○
参考人(永井道雄君) それでは、ただいま
会長のお
言葉がございましたように私の考えを申し上げますが、問題を分けまして、一番初めに、昨今よく言われている
国際化とは何であるかということについて申し上げたいと思います。
国際化という
言葉が非常に今便利に使われておりまして、非常に多義的だと思います。先週、
国民生活白書が出たのをお読みになった方も多いと思いますが、その中でもいろんな意味に使っておりますが、少なくも二つぐらいの使い方があるわけです。
一つは、
日本人の生活水準を国際的に見た場合どういうことであるか。そうすると、国際的な生活水準に
日本人の生活が近づいてくると
国際化したというような言い方をする場合があります。具体的に申しますと、現在
日本の人口一億二千万人、そのうち三千万人が
学校教育に何らかの形で参加をしている、これはもちろん父兄を省いて、幼稚園から
大学院までですが。そうすると、非常に教育が普及している、したがって
日本の教育は
国際化しているじゃないか、こういう使い方があるわけです。あるいはまた、そこで算数と理科の試験をやるというとなかなか成績がよろしい、これも
日本の教育が
国際化しているじゃないか、そういうふうに使う場合があるということが
国民生活白書を見ていただくとわかるわけですが、私はきょうそうでない
国際化の理解の仕方についてむしろ重点を置いて申し上げたい、そうでない
国際化とは何かということを申し上げたいと思います。
国際化というのは、違う
言葉で言いますと、国際協力の実現ないしは国際的秩序を形成するに当たってこれに貢献すること、そういうふうに考えたいと思います。そうすると、
日本の
国民生活ないしは政治などが含まれますが、それが果たして国際的な協力の実現に貢献しているか、あるいは国際的な秩序の形成に貢献しているかという角度から
国際化を見るのがいいんではないかというふうに考えております。
今日まで、といいますのは第二次戦争が終わるまで、つまり一九四五年、
昭和二十年までは
国際化というものはほとんど、完全ではありませんがほとんど西洋化というものと同義語でありました。つまり、西洋化するということが
国際化である。そうすると、具体的にはどういうことかといいますと、過去約二
世紀にわたって、西洋の中では、初めは
ヨーロッパ、もう少し具体的に申し上げるとイギリスとか
フランスあるいはオランダな
ども関係がありますが、そういう国々が中心になって国際的な秩序を形成する、あるいは国際的な協力を行っていく。今
世紀に入りますと重要な主役になったのは
アメリカ合衆国であって、どちらかというと今まで主役であった、先ほど挙げた
ヨーロッパ諸国の方は脇役に回る。しかし欧米ともに西洋でありますから、そういう国々が活動していくのを
一般に西洋化と言ってよろしいかと思います。
その西洋化をどういう
領域において行っていくかという問題でありますが、四つの
領域に分けて考えるのがわかりやすいんではないかというふうに思います。
一つは安全保障の実現であります。安全保障には当然軍事力も必要といたしますが、軍事力というようなものは常に戦争をすればいいとか、あるいは自分の国が強力になればそれで済むという問題ではなくて、終局的な目標は安全保障の実現のために、例えば勢力の均衡あるいは軍事力の均衡とも言いますが、そういうものを維持したり、あるいは均衡がない場合には、かつてのイギリスの海軍のように
世界的な秩序を独力で維持していこうと、そういう意味において安全保障が第一
領域だと思います。
第二の
領域は政治であります。政治については
世界のそれぞれの国、そこにいろいろな問題があるわけですが、それを主権を持った国家として形成していくのに理論的にも、また実際的にも貢献していく。具体的に申しますと、昨年、
我が国でも内閣
制度百年を祝いましたけれ
ども、内閣
制度というような行政機構をつくる、あるいは国会開設はそれより少しおくれておりますが、これも西洋モデルでつくり上げたわけであります。
明治憲法は立憲君主制でありますが、これも憲法という考え方、また立憲君主制的なものも西洋にあったわけです。
そういうふうにして主権国家をつくりますが、ただ主権国家だけをつくると、今度は主権国家同士の対立が起こりますから、第一次大戦以降は国際機構の形成というために大変努力をいたしました。第一次大戦後は国際連盟、そして第二次大戦後は国際連合という形で政治
制度の形成に努めてきているわけですが、国際連合に至っては現在ニューヨークの国際連合の本部を中心に、
我が国の国連
大学も含めまして約三十の組織を持つほど巨大なものになりました。
三番目は
経済であります。
経済の活動というのも全くてんでばらばらに行われていれば、弱肉強食になったり、あるいは秩序が乱れるわけでありますから、具体的なものとしては例えばガット、これは自由
経済を維持していくという
制度として必要であるし、また発展途上国を助ける、そういうふうな場合には
世界銀行あるいはIMF、国際マネタリーファンドというようなものが活動するという
制度もつくり上げてきたわけであります。
第四番目は学術、
文化、教育、これを一くくりにしてよろしいと思いますが、学術、これは今日までの科学的な
研究の主力は西洋にあります。
日本の場合にもノーベル賞の受賞者、そういうふうな
人たちが数人はいるわけでありますけれ
ども、例えば戦後は
経済が非常に発展いたしましたけれ
ども、残念ながらノーベル科学関係の受賞者は二人にとどまっている。四十年間二人にとどまっておりますが、そういう事実から見てもわかりますように、主力は西洋であるというふうに考えるのが妥当だと思います。
さらに教育
制度ですが、これも小
学校の義務化、場合によっては中等
学校の義務化、さらにまた
大学制度をつくり上げるというような形で近代国家における教育
制度の
制度化を行いましたが、こういうふうなもの。さらに
文化、
文化というのは非常に広い
領域でありますけれ
ども、宗教的な活動というようなものを取り上げますと、例えばキリスト教によるミッションスクールの形成、
我が国においては小
学校、中
学校、
大学などを含めますと百を超えていると思いますが、こういうふうなものも
一つの例であります。
私は、そういう過程において西洋
諸国が軍事力や
経済力や、あるいは政治力を使ってしばしば西洋以外の国々を支配する、そして、いわゆる帝国を形成するという事実を否定しているわけではないんです。それはだれしも知っている事実でありまして、
日本のごときも
明治維新のときの最大の課題は、
日本が主権国家として独立を維持し得るかどうかということが大きな問題でありました。
日本以外のアジアの
諸国は、タイ国を除きますと
植民地ないしは半
植民地になったわけであります。そういう事実を否定いたしませんが、西洋の活動というものは相当複雑なものであって、同時に国際秩序の形成、さらにまた国際協力の実現に努めてきた。したがって、普通、西洋人と話しますと
国際化というのはウエスタリゼーション、西洋化と理解しておりますから、今流行の
日本語の
国際化というのは何のことですかと説明を求める人は非常に多いわけです。
一般に説明しましてもわかりませんし、
日本人で国際人を養成しようというようなことを言ってもわからないのが普通であります。一番最近の例では、私は最近
オーストラリアのホーク首相と全く自由な会談をいたしましたけれ
ども、ホーク首相もなかなかわからない
言葉を
日本ではお使いですねということで盛んに質問をされたわけです。
そこで、西洋化と
国際化は同義語であるというのは一番わかりやすい理解と思います。これを軽視してはいけないと思います。ところが、現在は
国際化が同時に西洋化であるということが終わった時代だと思います。つまり、西洋の独力をもってしては安全保障あるいは
経済、
文化、政治の四つの
領域のいずれについても国際的な秩序の形成ができない、また国際的な協力というものも有効にはできないということが明らかな
段階に入って、そこでどうするかということが大きな問題になっているわけであります。
まず安全保障について申し上げますと、西洋独力で
世界の安全保障を実現しようとしましてもできないわけでありますから、ソ連との間の交渉を必要といたします。したがって、ソ連が国際協力に応じてくるかどうかということが
一つのかぎであって、これを抜きにしては国際協力による安全保障の確保というものはできない。これが一例であります。
経済の
分野が主として
我が国に関連して議論される点でありますが、実は
我が国の場合、
経済だけではなくて
文化ないし政治、安全保障もそうだと思いますが、しかしとりわけ
文化、政治、
経済というような
領域において国際協力をどうやって実現するかということが求められる
段階になったと思います。といいますのは、
日本のGNP、これは皆様方の方がよく御
承知の点でありますが、戦争直後、
世界のGNPの三%
程度のシェアというものが今日一〇%ぐらいになる、そういうことになりますと、例えば発展途上国に対する協力はどうなるのかという問題がおのずから生ぜざるを得ないわけであります。
一般にODAと言われておりますオフィシャル・デベロプメント・アシスタンス、公的な
経済援助でありますが、現在
我が国はGNPの〇・三%
程度でありますけれ
ども、その実質的な額というのは
アメリカ合衆国に次いでおりますが、こういうものを使うことによって二国間、多国間ないしは国際機構に対して
我が国は貢献していくということは当然国際的な活動として期待されていることであり、またこれを
我が国も行ってきていると申してよろしいと思います。
科学
技術の
領域でありますが、
明治の初め、工部
大学校ができましたときに、
最初の教頭になったのはイギリス人のダイヤーという人ですが、
日本人にとって当分必要なのは創造ではない、模倣である。したがって
日本人の
学生諸君はいろいろ創造したい楽しみもあるだろうけれ
ども、しかし国家の維持のために模倣に徹した方がいいという
言葉がございますが、まさにそういう形で西洋の科学
技術を移入ないしは模倣したわけでありました。
戦後につきましても、
我が国の企業の極めて目覚ましい発展、そして最近におきましてはハイテクノロジーの
領域においても非常に主導的であるということがしばしば指摘されますが、一九五五年からごく最近に至るまで、つまり一九七〇年代の中期
程度までの統計の数字を見ますというと、
我が国の企業が発展する場合の
技術的なパテントについては、
日本の
大学や
研究所で創造したものよりも圧倒的に輸入したものが多い。そしてパテント購入料には多額な金を払っております。ですから、
日本からのパテントの
輸出によって収入があるという場合、その収入は非常に少ない。数字を申し上げますと、一九六〇年ぐらいですと二十対一
程度我が国はパテントの輸入にお金をかけているわけであります。しかしながらその国が相当の発展を遂げて
経済的な大きな力を持つようになった。そうするとそこでも創造ができるはずではないか。
そこで今、
日本の
学校教育の中で必ずしも算数、理科のいわゆる練習問題でいい点を上げるだけではなくて、創造力のある人間の教育ができるかどうかということが大きい課題になっておりますが、少なくとも今日までのところは簡単に解けていない。私が申し上げたいのは、要するに
経済の
領域において一〇%国家になりますと途上国に対する応援、そういうものが必要になるし、また
学問もここまでまいりますというと単純な受益者ということでは済まない、そういう
段階に到達している。また
経済については先進国間にフリクションがあること、摩擦があることは申し上げるまでもございません。
そういうことになりますと、その摩擦をどうするかという問題をめぐって為替のフローティングレートとかあるいはG5による話し合いとか、さまざまな方法。また
日本では前川さんを中心にした報告書がございますが、内需の拡大というふうなものもそこで問題とされるわけでありますが、これなくしては
世界の
経済の安定と繁栄を維持することはできない。したがって
日本人から言いますと、引き続いてもうけて何が悪いかというふうな声をしばしば聞くわけですが、しかしながら考えてみますと、
世界経済が安定し繁栄するという要素が欠けて、そして
日本経済だけが独走して繁栄するということはあり得ないわけでありますから、そういう意味合いにおいても、単なる西洋化時代というものは終わった。
日本が貢献する、あるいは安全保障についてはソ連も貢献する、あるいはそのほかの第三
世界の国々、これは
一般に受益者的な側面が強いですけれ
ども、しかし第三
世界というようなものも本当は望ましい形態としては、相当の累積負債がございますが、それをそのままにしていかない、できるならばそういう累積赤字を解消して、発展の方向を探し求めて、確立していくということが、実を言うとそういうところにも求められている
国際化である。
ですから、西洋中心の約二
世紀にわたる
世界秩序の形成から、今、
世界の多くの国々がそれぞれ応分に協力ないしは秩序形成に参加していく、その中で、
我が国は特に
経済の
部分が突出いたしておりますが、そういうものとしてどう貢献していくかということを迫られているというところに非常に大きな問題点がございますし、そういうことは行政府ないしは政党だけで解決できる問題ではなくて、
国民生活全体にわたっておりますから、今度の
国民生活白書が、
国民生活の
国際化というものがうまくいっているか、あるいはそこにどういう課題があるかという問い方をしていることは私は妥当であると考えております。
そこで、お話を申し上げる過程において、もう少し具体的に
国際化の諸課題というものを申し上げておきたいと思います。
先ほどから、有償、無償ないしは二国間などの
経済的援助については申しました。さらにまた、先進国相互間の
経済交渉による安定の実現についても申しました。三番目に、私は人間の協力という問題を挙げさせていただいております。この点は実は非常に重要な点であると私自身が考えているからであります。
といいますのは、先ほどミッションスクールといいますか、宣教師による
学校の話をいたしました。小中高を含めますと百を超えるでしょうということを申したのですが、例えば北海道の函館に遺愛というような
学校があり、あるいは長崎に行くと活水というような
学校がありますが、これは諸
外国の人が金を集め、そして
最初の主要な
先生を送ってきてつくり上げましてから、現在大体百年たっているものが非常に多いです。
明治十八年、十九年という時期、この時期に相当の努力がありますのでそういうケースが多いんだと思います。
どういうところに
一つのポイントがあるか具体例を申し上げますと、例えば東京の六本木に東洋英和という
学校がありますが、これも去年百年を祝いました。だれがつくったかというと、カナダ人がつくりました。百年前のカナダはそう裕福な国ではないです。また、実はカナダにも
学校は足りなかったわけです。ところが、なぜそういう国が自分と関係のないところに
学校をつくったのかというのが
一つの大きい問題だと思います。その場合の考え方は、人間というのが大事なんだ、そうすると、人間が国境やあるいは
文化の違いを超えて協力すべきだという考え方があったと思います。
そのほかの例を申し上げますと、東京のど真ん中に上智
大学というものがありますが、上智
大学には百二十人の神父がおりますけれ
ども、その神父さん方は、実質給料で三十万円
程度を
教授ですともらっておられますが、妻子を持ちません。これは
日本の昔の真言宗のお坊さんと同じことです。寄宿舎に住んでいます。したがって、毎月二十万円ぐらいお金が余ります。これを寄附しております。その寄附金によって上智
大学の建物が建ったりいたします。実を言いますと、そういう
人たちの国はどこか調べてみると、
ヨーロッパもございますが、中南米が非常に多いです。ですから、コロンビアとかメキシコとか、パラグアイとか、そういう国々で、すべて
日本よりも貧困な国でありますが、貧困な国の神父が富裕な国
日本に来て毎月二十万円ぐらい出している。これはどういうことかということを考える必要があると思います。実は、私はそこと随分話し合いをしまして、その問題について議論いたしました。自分たちは人間的な協力をしている、自分たちの国の人間のように
日本にも問題がある、それに役立ちたいだけですということを言っておられました。そこで、
日本はそういうことをやるかどうか、これはもちろん留
学生の問題も大事なのですが、その前に考えなければいけない問題だと思います。
我が国は今
世界で働いている人口が約五十万人あります。したがいまして、その子弟というのが三万人を超しています。その子弟をどうするかということが大問題でありますから、
世界に
日本人学校というのが約七十あるわけです。これは
アメリカ合衆国が六十
程度を持っているのを上回ることになりましたので、
一つの国が持っている
海外の
学校の数としては一番多いわけです。ただ、
アメリカンスクールと
日本の
学校の違いはどこにあるかというと、
一つは、
アメリカンスクールは、
アメリカ人の子供も勉強いたしますが、ほかの国の人が入りたければ入れます。これは
言語の問題も当然あります。ジャパニーズスクールの場合には
日本の子供だけが入っております。これに対してメキシコのエチェベリア大統領は、そういうやり方はメキシコ市にある諸
外国の
学校の中で少し変わっている、例えば
アメリカンスクールあるいは
ドイツの
学校、そういうところにはメキシコの子供が入っている、したがってメキシコに
日本人学校をつくるならばメキシコ人の子供も一緒に勉強さしてほしいという希望を表明されました。これは田中内閣以来の課題でございますが、エチェベリア大統領の要望を入れて、現在
世界にあるジャパニーズスクールの中で現地人が入っている唯一の例であります。
もう
一つは
オーストラリアでありますが、
オーストラリアは今いわゆるコーケーシャン、西洋白
人種の中で
日本語を勉強している人口の比率の最も高い国であります。高等
学校では第二
外国語として
日本語ないしそのほかにも
中国語、
インドネシア語を勉強しております。そこで、
日本でジャパニーズスクールをつくるならば、
オーストラリアの子供も少しそこへ行った方がいいんじゃないか。しかしなかなか正課の授業を一緒にはやりにくい。例えば
日本史ですとかそういうものになるとそうはいかない。それでは課外の活動は一緒にやろうということで、現在、シドニーにあります
日本人小
学校ですか、そこでは
オーストラリアの子供が
日本の子供と絵をかいたりスポーツをしたりという形で一緒に勉強をする。いずれの場合も諸
外国の要求から発しましたけれ
ども、ともかくその
程度である。その
程度以上のことはないというふうに申し上げる必要があると思います。
本来、
日本の
仏教あるいは儒教、さらにまた伝統的な美術、これは
明治時代以前は国益中心主義ではなかったわけです。ですから、親鸞とかあるいは空海というような人は、
日本人を救うというよりは人間を救うことを考えたでしょうし、また
日本の美術や文学の伝統というものもそうだと思います。私は別に国益尊重が不必要だと申し上げているわけではない。そうではなくて、国益中心主義というものに傾斜してその他のものを外していくというところに問題がある。しかしこれは
明治以降の発展においては避けがたいものである。
事ほどさように、
国際化というのは非常に難しい。
歴史的に言って
明治維新に十分匹敵する
程度の基本的な方向の転換でありますから、これを重視するばかりか、努力する必要があると私は考えているわけであります。もちろん、
日本の
仏教の人も宣教活動を一切しないわけではありません。
明治から今日までの中で最も著名な人物は鈴木大拙
先生であります。鈴木大拙
先生は
アメリカにおいて
仏教の宣教をやりまして、そして後には
アメリカ人の女の人と結婚されまして、ずっと生涯をそこで活動して、長く
仏教の活動に携わられました。
そういうふうに考えますと、
学校教育それから留
学生の問題な
どもだんだん大事になってきます。現在、
日本程度の
経済力を持ちながら、
日本のように留
学生をたくさんとっていない国はまずないです。一万五千人おりますが、その中で五千人だけが国費留
学生でありますから、
あとの一万人は民活といいますか、自分の金を使ってくださいと。しかし、自分の金を使ってくださいという場合は、こっちの
学校に魅力がなければ使うはずかないわけでありますから、中曽根首相が十万人を二十一
世紀までにと言っておられるお考えは大変大事な考えだと思いますが、さてこれを実現していこうということになりますとなかなか難しいことであって、相当の計画を立てなければならないと思います。
それで、留
学生を通常呼んだりするのは留
学生のためだという考えがありますが、それは半面の事実であります。留
学生が
日本の
学校の中に多数いるということが実は
日本人学生にとって大変有利であるということがもう
一つの側面でありまして、留
学生もいない国で
経済活動を
世界的にやっていくということになりますというと、語学の問題もありましょうけれ
ども、しかし異質的な人間と自然に話をしていく、そういう習性を持つことはできませんから、長期的に考えますと国の教育としては妥当性を欠いているというふうに私は思います。
また、この席には前から郵政と御関係になっている議員の
方々もおいでになりますが、今日、コミュニケーション、インフォーメーション、
情報通信はハードな側面で
日本は
世界で先頭に立っている国の
一つであります。しかしながら、それをどのように使って国際コミュニケーションを行っていくかという、いわばソフトの側面ということになりますと、まだまだ別問題でございますから、こういうふうなものもこれからの
段階でどう活用していくか。また、先ほどから申し上げました
日本人学校をどう改造していくか。問題は極めて多岐にわたりますから、私は総論的なことだけ申し上げて一応責めをふさぎたいと思います。
ただ、現在私は国連
大学というものにかかわっておりますから、このことだけは
一言申し上げさしていただきたいと思います。
といいますのは、国連
大学をつくろうということを熱心に言われたのは、
昭和四十五年、時の首相であった佐藤榮作氏、官房長官であった木村俊夫氏、そのお二方が大変な熱意を示されたということに関係があります。私はお二方に呼ばれまして、そして話を伺ったわけでありますが、その趣旨は何であるかというと、実は先ほどから私が申し上げたこととそう違いません。つまり、
日本がここまで
経済成長を成功するということになってくると、国際社会への貢献というものを考えなきゃいけない
段階に来ているんじゃないか。時あたかもビルマ出身の国連事務総長ウ・タント氏が国連
大学の創設を考えておられた。そうすると、
日本がそれに基金を出す、そして首都東京にその本部を置く。そして
学問の上で、従来、それこそ東大もそうでしょうし、早稲田もそうでしょう、あるいはハイデルベルク
大学、ハーバード
大学、みんな大事な
大学ですが、そういう
大学を超える
大学をつくる時代が来た。といいますのは、地球全体にまたがるような、先ほどから申し上げる安全保障もありますし、あるいは資源の問題もありますし、つまり人間がお互いに生きていくという共通問題をどういうふうに
研究していくか、そしてそのネットワークをつくっていくかという
段階であるから、ウ・タント氏の考えというものは尊重したいということであったわけであります。
そこで、
昭和五十年に本部が東京の渋谷にできまして、
日本は一億ドルというものを一応基金拠出いたしました。きょう詳細なデータを持ってきておりますから必要に応じて御説明申し上げますが、今日までのところまだ本部の建物も建っていないです。これは政府の財政事情を考えますと無理からぬところもありますが、しかし、
学校ができまして十二年たってまだ本部が建たないというのは、これは国際公約でございますから、やはりほかの国から見れば驚くべき現象であるというふうに言う人が多いわけであります。
では、ほかの国々は熱心でないんじゃないか。それは
経済事情が悪いからだと、そのとおりであります。
アメリカ合衆国もソ連も熱心でありません。そして両国の
経済事情が悪いことは皆様方御
承知のとおりであります。しかし、それが
世界のすべてかというと、そうではありません。
日本の次にたくさん金を出しておりますのはフィンランドであります。フィンランドは
日本の約三分の一
程度、三千万ドルを出しまして、既にヘルシンキに国連
大学支部というものをつくりました。フィンランドの場合、ここにいろいろな各党の違うお立場の方もおいでになると思いますが、私の考えでは、やはりソ連に近い国ですが、総体的に少しでも独立していきたい。ということになると、国際機構の
一つをつくって、そして
世界の南北
経済の発展、協力、それのための
研究機関をつくりたいということで、実は動きは東京よりフィンランドの方が速くなってきております。その次には
フランス、これが世銀と協力いたしまして象牙海岸に自然資源利用
研究所というものを国連
大学の一部としてつくろうといたしております。
あと二つ、
一つはオーストリア、もう
一つはオランダ、そういうところも
日本が多少動きが鈍い中で、今や動き始めてきておりますから、私は佐藤、木村の両
先生が御指摘になったことは正しかったと思います。
問題はそういうものも
一つであって、国連
大学ができればそれでいいという問題ではない、申し上げるまでもないことでございますが。そういう
明治以来の
歴史の重要な転換点に立っている。
明治国家というものも
世界の
歴史の中で非常に重要な役割を担った。それはアジアにおける
一つの国家の独立ということのために大変な努力を行ったすぐれた例であると、かように考えますが、それから百何年たった今日における課題は、国際的な協力ないしは
世界秩序の形成に
日本がどのように役立つのか、そういう問題こそがまさに
国際化というものであると私は
認識して、先ほどから皆様のお時間をちょうだいしたわけであります。
ちょうど四十分になりましたから、以上で私の全体的な考え方を申し上げるのを終えたいと思います。どうもありがとうございました。(拍手)