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参考人(
西尾珪子君) 御紹介いただきました
西尾でございます。本日、
参考人としてお招きにあずかりまして先生方の前で話をいたしますことを光栄に存じております。どうぞよろしくお願い申し上げます。
私は、
国際化の問題を話します場合に、やはり私の
仕事の範囲の中でできるだけ具体的なお話をいたしたいと整理をいたしてまいりました。私は、ただいま団体名をおっしゃってくださいましたが、
社団法人国際日本語普及協会と申しまして、
外国の方に
日本語を教育する教育機関をいたしております。私
自身も
教師でもございます。その
仕事を通じまして具体的に
国民生活での
国際化ということを
考えますときに、できるだけ限られた時間の中でお話しするために、
日本で受け入れる側の立場に立って、
外国の方を受け入れる場合というところにまず範囲を絞ってお話をいたしたいと存じます。
非常に大勢の
外国人、ますます来日される
方々の数がふえております。御承知と思いますが、法務省の入国管理統計によりますと、五年前が百五十万名ぐらいでありましたところが、昨年は二百三十万近くになっている。年間通して大体二十万から二十五万人ずつふえてきている状況でございます。ただ、一九八六年、今年度は円高の
関係がございましてどういう結果が出ますかは多少不安ではございますが。
来日される
外国人が近年とみにその目的が多様化されまして、いろいろな
方々が来られるようになったという現状を御報告いたしたいと存じます。
日本語をその中の何割かの方が学習されるわけでございます。一体、
日本に来られた
外国の方がどのぐらい
日本語を勉強しておられるのかということの教字と実態は私のところでつかめておりますが、その
日本語を勉強している方から一応類推して御説明いたしますと、大きく分けまして大体六つぐらい、といってもこれは細分すれば十五か十六になりますが、大きなグループがあるとお
考えいただいたらよろしいのではないかと思います。
第一に留学生のグループです。この留学生につきましては、中曽根総理大臣の、二十一世紀までに留学生を十万人ぐらい受け入れるように態勢を整えていこうという御提起がございますけれども、この留学生という定義に広義の解釈と狭義の解釈がございます。恐らく皆様、先生方がお
考えなのは狭義の解釈、今までの留学生と申しておりました範疇のお
考えではないかと思いますが、四年制の大学に勉強に来る
外国の学生、これが狭義の留学生でございます。ところがこのごろは、例えば大学院に研究に来る学生もやはり留学生でございますし、短期大学で学ぶ
外国の学生も留学生でございます。それから同時に、非常にこのところ盛んになりました、増加いたしましたが、各種学校、専門学校、専修学校、つまり美容師とか理容師あるいは写真技術、コンピューター、それから服飾などなど、いろいろな専門学校がございますが、この専門学校に学びに来る
外国人もやはり留学生という範疇に入っております。
それからさらにもう
一つ解釈を広げますと、実際に大学なり専門学校に入るためにはどうしても
日本語を学ばなければなりません。
日本人と肩を並べて
日本人の先生の講義が聞けて、
日本語の本が読めて、専門書が読めて、そして
日本語でレポートが書けるというところまでの
日本語が留学生の場合には要求されるわけでございますので、一年ないし一年半の予備
日本語教育が必要になっております。この進学を予定する留学予備生ですね、いわば予備校のような形での
日本語学校、ここで学ぶ生徒
たちも非常に広義な意味での留学生、留学予備生なんですが、留学生というふうに解釈されております。こういうまず大きな留学生のグループというのがございます。
その次に一般社会人でございます。これは実務家、実際に
日本に
仕事をしに来る
人たち、このグループが次の数を占めております。これはもちろんビジネスマンと言い切ってしまえばそれまでですが、例えば外交官、ジャーナリスト、実業家あるいは会社員とか銀行員あるいは弁護士などなど実務に携わる
人たち、この
人たちが非常にふえてきております。
日本語を学習する学習者の層でも大変な増加率を見せております。これはやはり
言葉というものは、御承知のとおり国の力に準じて注目されていくと申しましょうか、これだけ
日本が経済国家として
世界の中で云々されております今日、やはりその国の人がどんな
考えを持っているか、どういう発想であるか、どういう技術を持って会社を経営しているのか、こういうことを知るためにその
人たちがしゃべっている
言葉というものを通じて
理解しようとする機運が高まってきているからでございまして、そのためにビジネスマン、一般の社会人の
日本語学習熱が今高まってきているところでございます。このグループ。
それから技術研修生。これは特に開発途上国から
日本に具体的に技術の研修に来る。反対に申しますと、
日本から進出している企業の
関係者が、現地の幹部を養成するために一度
日本に呼んで技術を学ばせる。そのためにそれに必要な
日本語の教育というのが行われているわけでございます。この技術研修生のグループ。
そしてまた、これは昔からございますが、学者、研究家、特に
日本を研究しに来る、
日本のあらゆる事象を研究に来る学者というグループも、少ない数でございますけれどもおります。
最後に申し上げたいグループは、特に社会現象として今起こっておりますインドシナ難民の
日本への受け入れ、中国から引き揚げられる孤児の問題、そしてその家族の方
たち、こういう方
たちが
一つの時局性を持ちました社会現象としておられるわけです。
インドシナ難民は、
世界各国に比べますとその受け入れの数が余りにも
日本は少ないという意味でいろいろな非難を浴びますし、またある意味で国際社会として恥ずかしい思いもしているわけでございますけれども、このインドシナ難民が昭和で申しますと五十四年の閣議了解で受け入れが実際に決められまして、それからただいまのところ定住した人数が四千七百名まで行っておりますが、たった四千七百名ということを、
世界を見回しましたときに「たった」という字をつけなければならないほどこれは少ないのでございますが、実態としては四千七百名が定住いたしております。このインドシナ難民、ラオス、カンボジア、ベトナムの難民の
人たちが第三の定住国として
日本を選び、あるいは万やむを得ず
日本に踏みとどまって
日本語を勉強し、そして
外国人として
日本
で
生活をしております。
それから中国から引き揚げられる孤児は、厳密なことを言えば
日本人だから引き揚げられるということを申しますと
外国人というわけにはいかないかもしれませんが、この引き揚げられる方の家族、この
方々は全部中国人でございますから、
外国人として今
日本は受け入れているわけでございます。
非常に大ざっぱに申しましたけれども、ただいまのいろいろな
カテゴリーと申しましょうか、でおわかりのように、いろいろな目的で、いろいろな理由でいろいろな人が
日本に
外国人として来られているわけです。そしてそれを
日本側が受け入れているわけでございます。その接触の前線に私のような職業の者がおりまして、そこで実際に見たり聞いたり、実際に経験してまいりました中から、異なった文化を持つ
人たちが接触したときに、国内でさまざまな問題が起こっている。そのさまざまな問題の中から本日は、
日本人の国際性が問われるような事柄、そのようなケースを
幾つか御紹介して、具体例としての御報告にかえたいと思っております。余りにも多角度で多様、いろいろなものがございますので、私はそのある現場報告という形をとるために、
一つに
日本語教育の現場から、
二つ目にインドシナ難民の受け入れの現場から、三番目に留学生受け入れの現場からと分けて、できるだけ簡単にお話しいたしたいと思っております。
まず第一の
日本語教育の現場からのいろいろな実例というのを申し上げますと、非常に具体的な話になりますけれども、
日本人は
外国語というと
英語だけだと思っているという傾向が非常に目立つことに私は気がつきます。例えば先ほど申しました、いろいろな目的で来日している
外国人のうち、半数は
英語がしゃべれません。ところが先ほどもお話にありましたように、一般の私ども
日本人は、中学校の一年で初めて
外国語というものが勉強の科目に入ってきたときは
英語だけなんです。ですから
日本人は、どうしても
外国語というと
英語という意識が固定してしまっているというふうに私には思えます。極端な話が、一番初めに習う
外国語が中国語でありましたらば、恐らく
外国語といったら中国語というイメージがわくのではないかと思いますが、ともかく
外国語というと
英語と思う傾向があるのではないか。
東南アジアからの留学生をたくさん教えておりますけれども、よく言われます。東南アジアの留学生は、大体東洋人同士ですから、割と顔、形、みんな私どもに似ているわけです。バスを待っていまして、バス待ちの列を組んでいて、
自分たちだけでは
自分たちの
言葉で話し合うわけですね、インドシナ語だのタイ語だの。それでほかに並んでいる
日本人が、ああこの
人たち外国人だなとわかる。そうすると
英語で話しかけてくる。私
たちはアジア人なのに、どうして
日本人は
外国人だとわかると
英語で話してくるんだ。これは非常に深刻に東南アジアの方
たちのいつも怒りを込めたクレームとして私どもによく返ってくる事柄なんでございます。
そのように、ともかく実際に来日している
外国人の中で、本当の欧米圏の方は別ですけれども、イギリス人、
アメリカ人あるいはオーストラリアの方はもちろん
英語民族でいらっしゃるんですけれども、例えばドイツ人にしても
フランス人にしても、あとスイス、どこの方にしても、本当に
英語民族でない方は、
英語は第三国語なんです。
外国語なんです。なのに、ともかく
日本人でないと思うとみんな
英語が話せると思って
英語で話してくるのは、中学校の義務教育でまず接触するのが
英語だというようなことまでは
外国の方は
日本の教育システムを御存じないかもしれませんから、やはり欧米志向なのではないかというふうにとられて、アジアを
考えていないのではないかというふうにアジア人の怒りの形になってはね返ってきているものと私は解釈しております。まず、
英語の問題、そして、私
たちは
国際化を
考えるときに、
外国人、アジア人をもっともっとこれからは
考えなければいけないのだということがどうしても一般には浸透していないのではないかということを感じる次第でございます。
それで、
日本語のことは数限りなくございますが、次にインドシナ難民を受け入れております立場から申し上げたいと思いますが、インドシナ難民が
日本に定住するということが起こりましてから、まず
最初にやはり
日本語を教えなければならない。それもできるだけ短期間に、できるだけ集約した、効率のいい教育をしなければならない。そこで、アジア福祉教育財団というところに各省がいろいろ人材等を派遣しておつくりになりました組織がございますが、そこから関東地区の
日本語教育に関しましては私がたまたま委嘱をいただいておりまして、今までに、先ほど申しました四千七百人のうちの約二千五百人ぐらいを教えてまいりました。そしてこの体制は、
日本語教育が三カ月で終わりましてから必ず
日本の社会に就職させていくところまでいたすわけでございます。就職します。そうして
日本の社会に全く溶け込んで入っていくわけです。そのときに、そこでどういうことが起こっているかということを多少事例を挙げて御説明したいと思います。
インドシナ三国、ベトナム、ラオス、カンボジアはもちろん東南アジアに位置しておりますが、いろいろな意味で、文明的にも文化的にも
日本と違います。同じ東洋人同士ではありましても、やはりいろいろなところで、
生活様式はもちろんのこと、社会慣習から、それから
価値観まで非常に違います。そしてその方
たちを、ただ非常に
日本人の善意のあらわれているところでございますけれども、もちろん労働力という問題もありますけれども、非常に規模の小さい企業の
方々が受け入れてくださって、一〇〇%就職できております。
ただ、昨年末から円高の影響が出まして、非常に小さい企業はこれを食らっておりますために、求人難が初めて起こり出しておりますけれども、その求人は今までは絶えることがございませんで、一〇〇%就職できました。ところが、就職した後でまた異なる文化の接触の場でのさまざまな問題が起こりまして、残念ながら離職も結構率が高うございます。そして、離職した人にまた再就職、再々就職ということを国で世話しているわけでございますけれども、どんなことが起こるか。
例えば保険
制度、給与の
制度、いろいろな雇用
制度が違います。例えば私のところに、どうしてもあの会社やめるといって泣き込んできたある難民が言いました。先生、先月、実は僕は病気にかからなかった。お医者様に一度も行かなかった。それなのに社長さんは健康保険料を返してくれない。こういうことがもう本当に日常茶飯事でございます。例えば、これは大したことではないかもしれませんけれども、かわいい、かわいいといって子供の頭をなでてやった人がいました、
日本人で。ところが、これは私どもも知りませんでしたけれども、頭の上に手を置くというのは最高の侮辱なんですね、カンボジアあたりの文化からいいますと。頭の上に手を置いたといって大げんかが起こりました。こういう違いを知らないところから来る誤解と申しましょうか、問題、そのために随分難民の
人たちは苦労しておりますし、また雇用してくださった雇用主の方
たちも苦労しておられます。
ただ、私は雇用主懇談会というのに七年間出続けてまいりましたけれども、私がいつも首を傾ける御発言が雇用主の方
たちからあるんです。それは難民の
人たちが一刻も早く
日本人になってほしいのに、なかなか
日本人になってくれないというお
言葉なんです。さっきもクラーク先生のアイデンティティーのお話が出ておりましたけれども、私の
考えではベトナム人はあくまでベトナム人であっていいんですし、カンボジア人はあくまでカンボジア人であり、ラオス人はラオス人であり、
日本人は
日本人で、よそに行っても、ドイツに赴任してもドイツ人になろうとは思いませんでしょう。そこで融合して暮らそうと思うだけです、
日本人です。というように、先ほどの国家意識と申しましょうか、帰属意識と申しましょうか、そのアイデンティティーというものに対する尊重とい
うことが余り見えないというところに私は問題を感じる次第でございます。一刻も早く
日本人になれ、これは無理な話なんです。それがやはりベトナム人の、ラオス人の、カンボジア人の心を傷つけているわけです。どうして僕がベトナム人であっちゃいけないのか、違う民族がどうして
一緒に共存しようと
日本人は思わないで、
日本人になれ、同一化しようとするのかと。ここら辺に私は
日本人の
国際化というところの非常に困難な点が
一つあるのではないかと思います。
日本は、先ほどからお話に出ておりましたけれども、島国という立地条件の中で、線引きで国境が隣り合わせにないというような立地条件、地理的な条件の問題、それから歴史的にも、当然二千年前から中国及び朝鮮半島から渡ってきた
人たち、帰化人という
外国人と
一緒に接触する非常に国際的な場面が古代にあったわけです。しかし、その後のいろいろな歴史的な状況を
考えてみますと、やはり違った文化の人、違った民族、違った
言語と常に同居するという歴史的な習慣がなかった国だと思います。そのために、その習慣がなかったものが、
国際化という
一つの今の流れ、運動と申しましょうか、その中で突然いろいろな現象が起こってきた。
先ほど時局的社会現象だと申しましたけれども、インドシナ難民のことでも中国からの引き揚げのことでも時局的な問題だと思います。それに端を発したと思いますが、そういう現象が起こってきたときに
日本人はなれていないわけです。
単一民族という
言葉は使ってはいけないと思いますが、比較的
一つの同胞意識というものがあって、それこそ腹と腹で話すとか行間を読むというような
言葉があるように、同一意識という共通観念がございます。それと同時に、
言葉も北海道の一番北のところから沖縄の一番南まで全部
日本語で通用しているわけでございます。特に
情報、教育の徹底ということから共通語というものでみんな話せるわけです。こういう国は珍しいわけなんですね。そういう単一的な民族であり、国家の形態であるというところに
外国の違う者と接触したときにどう
考えていいのかわからない戸惑いみたいなものを、難民を雇用してくださるような本当に庶民的な方
たちを見ておりますと、そこここに発見するわけでございます。
留学生の場合を
最後に申し上げますが、留学生の場合には、やはり先ほどもお話が出ておりました
ホームステーが随分盛んになりまして、特に
外国人が今非常に地方に拡散していっている時代でございますので、いろいろな地方でも
外国人の受け入れが盛んでございます。そのときに、
ホームステーでよく御相談を受けるんですが、実は
ホームステーというのはありのままの
日本人の
生活の中に留学生を置いてあげることだと思うんですが、大変なお客様扱いをしている方
たちが多いということなんです。ある家族がぜひ
ホームステーをしたいといって申し出られて、半年間の留学生をお願いしたことがあります。四カ月目ぐらいにもうくたくたになったと言って駆け込んでこられたんです。どういうことだったとお思いになりますか。
毎日、すき焼きか、お刺身か、おすしか、てんぷらか、順繰りにお客様料理を出していっていたんですね、その御家族は。経済的にもそれでは大変ですし、大体神経が疲れてしまいます。
そうではないんですね。
外国の方が
日本を知りたいというのは、もうただ赤裸々というか、ふだんのままの
日本を知りたいからなんです。
ホームステーを望む方は皆さんそういう学生さん
たちです。それなのに、何かお客様扱いをされた。せっかく畳が敷いてあってその上で布団を敷いて寝るんだと思ったら、すっかり張りかえてじゅうたんを敷き詰めてベッドを置いて、わざわざ新しいベッドが買ってあった。これでは
ホームステーの意味は全くないわけです。そして、あげくの果てが子供の受験の
英語の先生にさせられたということで、
日本語を勉強しているのにどうして御家族が
日本語で話してくれないんだろう、すぐ
英語で話してくださるのは、それはサービスのつもりかもしれないけれども、
自分はアジア人だというさっきの問題がまた出てくるんですけれども。本当に
日本人がありのままの姿で、
生活で受け入れてくださるということが本当の
ホームステーだと
考えますときに、まだまだ
日本人に正確な
ホームステーの定義というものが普及していないのではないかと、残念ながら思う次第でございます。
それで、いろいろな例がそれぞれの分野でございますが、結論と申しましょうか、申し上げますと、要するに、異なる文化、異なる民族、異なる
言語、異なる
価値観が共存していくときに、
日本人はこれからどう
考えていったらいいかということなんでございます。
少し、また例を出させていただきますけれども、例えば気候のことでも、
日本語を教えておりますと常にこういうことはテキストに使えるか使えないかで問題になります。四季、四つのシーズンです。四季ということがわかるという民族はそんなに多くはございません。例えば亜熱帯の辺の方
たちは寒さ暑さの変化ということになれないわけです。例えば難民の場合もそうなんですけれども、寒い、では三枚重ね着していらっしゃいと言いましたらば裸にオーバーを三枚羽織って出てきました。これをとがめることはできないんです、笑うことはできないんです。が、
日本人は笑うんです。非常に気の毒なんです。一枚の洋服があれば今まで一生暮らしていた人が急に寒いという経験をして、そして三枚か四枚洋服を重ねて着ていらっしゃいと言われたときにどう着ていいかわからない。そういうことに対して違いということを発見して
日本人は戸惑うわけです。違いがあるのは当たり前だという感覚を私
たちは持たなければいけないのではないかと思います。
住居でもそうです。おふろに入るということは大変な苦痛なんです、留学生にとって。アジアではシャワーで、あるいはおふろでも個室のおふろで。銭湯に行けばいいといいましても、みんなの前で全部衣類を脱ぐということは全く経験したこともないし、大変な恥ずかしいことなんです。そういう思いをして
日本に溶け込もうと
生活している留学生
たちということも、その立場に立って私
たちは
考えてあげなければならないことがたくさんあると思うんです。
要するに、違いがあるということに対して
日本人は認識が少な過ぎはしないだろうか。例えば先ほどの
日本人になれと言った社長さんの話も出しましたように、どうしても立地条件、地理的な環境、歴史的な環境からいって、同一のものばかりの中で暮らしてきた私
たちは、同じ
日本人、みんなが同じ大きな物差しを持っているような気がいたします。違う物差しを持っている
人たちがいるということ自体からもっと学習していかなければいけないのではないかと思うんです。何でも
自分の物差しではかって、ああ違うぞ違うぞと笑い、あるいは違うぞといって違和感を感じるというのではなくて、あなたにもあなたの物差しがあるでしょう、
自分にも
自分の物差しがあるように、そちらにもそちらの物差しがあるんだということを
考えていくというところが、私は
日本人の今、
国際化の一番の第一歩ではないかと思う次第でございます。
御清聴ありがとうございました。(拍手)