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1986-10-15 第107回国会 参議院 国民生活に関する調査会 第1号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和六十一年十月十五日(水曜日)    午後一時五分開会     ─────────────    委員氏名     会 長         長田 裕二君     理 事         坂野 重信君     理 事         水谷  力君     理 事         吉川  博君     理 事         糸久八重子君     理 事         高木健太郎君     理 事         沓脱タケ子君     理 事         三治 重信君                 井上 吉夫君                 小野 清子君                 大島 友治君                 大塚清次郎君                 倉田 寛之君                 斎藤 文夫君                 添田増太郎君                 高橋 清孝君                 寺内 弘子君                 中曽根弘文君                 松岡滿壽男君                 向山 一人君                 吉川 芳男君                 及川 一夫君                 千葉 景子君                 八百板 正君                 山本 正和君                 刈田 貞子君                 矢原 秀男君                 吉川 春子君                 勝木 健司君                 平野  清君     ─────────────    委員異動  九月十一日     辞任         補欠選任      沓脱タケ子君     福田 宏一君  九月十八日     辞任         補欠選任      糸久八重子君     上野 雄文君  九月十九日     辞任         補欠選任      上野 雄文君     糸久八重子君     ─────────────   出席者は左のとおり。     会 長         長田 裕二君     理 事                 坂野 重信君                 水谷  力君                 吉川  博君                 山本 正和君                 高木健太郎君                 吉川 春子君                 三治 重信君     委 員                 井上 吉夫君                 大島 友治君                 大塚清次郎君                 倉田 寛之君                 斎藤 文夫君                 添田増太郎君                 高橋 清孝君                 寺内 弘子君                 中曽根弘文君                 福田 宏一君                 向山 一人君                 吉川 芳男君                 糸久八重子君                 及川 一夫君                 千葉 景子君                 八百板 正君                 刈田 貞子君                 矢原 秀男君                 平野  清君    事務局側        第二特別調査室        長        菊池  守君    参考人       AP通信社記者  サリーソロ君            (通訳 本井真理子君)     上智大学教授 グレゴリー・クラーク君        社団法人国際日        本語普及協会専        務理事      西尾 珪子君     ─────────────   本日の会議に付した案件 ○理事補欠選任の件 ○参考人出席要求に関する件 ○国民生活に関する調査  (国際化に伴う国民生活対応に関する件)     ─────────────
  2. 長田裕二

    会長長田裕二君) ただいまから国民生活に関する調査会を開会いたします。  まず、委員異動について御報告いたします。  去る九月十一日、沓脱タケ子君が委員辞任され、その補欠として福田宏一君が選任されました。     ─────────────
  3. 長田裕二

    会長長田裕二君) 次に、理事補欠選任についてお諮りいたします。  委員異動に伴い、現在理事が二名欠員となっておりますので、その補欠選任を行いたいと存じます。  理事選任につきましては、先例により、会長の指名に御一任願いたいと存じますが、御異議ございませんか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  4. 長田裕二

    会長長田裕二君) 御異議ないと認めます。  それでは、理事山本正和君及び吉川春子君を指名いたします。     ─────────────
  5. 長田裕二

    会長長田裕二君) 次に、参考人出席要求に関する件についてお諮りいたします。  国民生活に関する調査のため、本日、参考人としてAP通信社記者サリーソロ君、上智大学教授グレゴリー・クラーク君及び社団法人国際日本語普及協会専務理事西尾珪子君出席を求め、その意見を聴取することに御異議ございませんか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  6. 長田裕二

    会長長田裕二君) 御異議ないと認め、さよう決定いたします。     ─────────────
  7. 長田裕二

    会長長田裕二君) 国民生活に関する調査のうち、国際化に伴う国民生活対応に関する件を議題とし、日本における国際化について参考人から意見を聴取いたします。  本日は、お手元に配付の参考人名簿のとおり、三名の方々に順次御出席をいただいております。  まず、AP通信社記者サリーソロ君から意見を聴取いたします。  この際、ソロ参考人一言ごあいさつを申し上げます。  本日は、御多用中のところ、本調査会に御出席をいただきましてありがとうございました。本日は、日本における国際化につきまして忌憚のない御意見を拝聴し、今後の調査参考にいたしたいと存じます。  議事の進め方といたしましては、まず最初に 三、四十分程度御意見をお述べいただき、その後、委員の質疑に対しお答えをいただく方法で進めてまいりたいと存じます。よろしくお願いいたします。  なお、本日の通訳本井真理子さんにお願いしております。  それでは、ソロ参考人にお願いいたします。
  8. サリー・ソロ

    参考人サリーソロ君)(本井真理子通訳) きょうは皆様お忙しいところこちらに集まっていただいて、どうもありがとうございました。  私は記者なんですから、普通は聞く方です。英語でもスピーチはほとんどやったことはありませんけれども、ここで話をやったり聞いたりすることが非常にいいチャンスだと思いました。最初は、できれば直接日本語で話した方がいいと思っていました。けれども、準備をしながら、一回目の日本語スピーチを思い出しました。それは友達の結婚式でした。ただ五分、ずっと前から知っていた友達の前だったのにひざがすごく震えていました。きょうはひざ状態を心配しなくて話の内容を考えたいんですから、本井さんに頼ります。そして、もう一つ言わなければならないことがあります。それはきょうは個人として話をします。これは記者考え方とか、AP記者考え方じゃなくて自分考えです。  私は一九七九年から八〇年にかけまして初めて日本生活をいたしました。京都と大阪の間の都市の日本の家族のところで生活をいたしました。私は同志社大学の交換留学生として日本に滞在していました。毎日家に帰る途中、八幡様を通りまして、そして田んぼの中を通って帰っていきました。私には頭は一つしかなく、二本の腕、そして二本の足を持っていますけれども、きっと田舎の人たちから見れば、私は大変に違った人間として見えたのでしょう。  あるとき、私はそのようにじろじろ見られてしまうことに飽きてしまいまして、いつか必ず日本人のどの人も外国人に紹介し、そして基本的に人間はそれほど違ってはいないのだということをわかってもらいたいと思うようになりました。しかし、むしろそうではなく、私がいろいろ書いておりますことを通じまして外国人日本を紹介するという逆の仕事を今までずっとしております。しかし、世界に対する日本人々姿勢という問題について、つまり皆様方が言う国際化というプロセスにつきましては、私個人としても関心を今でも持っていることであります。  まず最初に、簡単に私が国際化とは何であるか、どういうふうに思っているかということを定義したいと思います。一つの定義があるかどうか、それは私はわかりません。しかし、私が考え国際化というのは次のようなことであります。この国際化プロセスには三つの部分があり、恐らく部分というよりもこれはプロセスでありますので段階があると申し上げた方がよろしいかもわかりません。  国際化していくためには、まず事実を得ることが必要です。それらの国々がどこにあるのか、どのような言語が話されているのか、またどういった政治制度がとられているのか、そしてどういう製品を輸出し、また輸入しているのか。また、少々の歴史も必要でありましょう。一般的に、つまり本や新聞、そしてそのほかのソースから得られる知識を必要といたします。この段階知識と呼ぶことができるでしょう。  二番目として、理解を得る必要があります。これは、必ずしも書物から学びとることによって得られるものでもないかもわかりません。理解するということは何が異なっているかということに対する姿勢関係を持つことであります。つまり、違いがあるということは別に悪いことでもまたよいことでもないということを理解するということであります。あるいはこれは類似性を受け入れるということかもわかりません。また、理解するということの中には、我々が人間として共通のものを持っているということを理解するということも含まれるかもわかりませんし、また個人として共通しているということを理解することも含まれるでしょう。  第三番目のステップは、一言で述べるのは難しいと思います。世界一つの全体のものとして考えることが重要です。そして、自分たちがその中に含まれているのだというふうに考えることも大切であります。全体の一部であるという感覚を持つことは、我々、そして彼らということについての考えを持つことがより容易であるというふうに考えられるかもわかりません。  それでは、日本はどうでしょうか。一般的なことで片づけてしまうというのは私は余り好みません。というのは、もちろん必ず例外があるからであります。ただ、今日私が全体的にこうであろうと考えることを述べたいと思います。  日本は、この第一番目のカテゴリーである知識ということに対しては、恐らく私が知る限り、ほかの国々と比べて最も高い価値を置いていると思っております。例えば、けさの新聞を見てみましても、毎日新聞がそうですが、国際的なニュースでいっぱいです。したがいまして、学問的な意味合いで言えば、国際化ということについては日本人は大変にうまく行っていると思います。  しかし、私が先ほど述べましたそのほかの残りの二つカテゴリーにおきましては、改善の余地がまだたくさんあると思います。つまり、日本世界の全体の一部であるということを理解し、それを認識するということです。日本語におきましては、我々が英語で言うウイという言葉に当たる言い方というのは幾つかあるというのは大変に興味深いことだと思います。まず、私たちという言い方がありますが、これは英語で私たちがウイと言っている意味合いに最も近いものであると思います。それから、我々という言い方もありますが、これは世界に対し日本を分けて言うときに使われるように思われます。  それでは、英語の教え方について私がどういうことを言わんとしているのか、具体的な例を挙げて申し上げたいと思います。  皆、英語を勉強します。そして、ほとんどの人々も少しは英語のことを知っています。世界国々につきまして、学問的な方法日本人が大変によく勉強しているということを示していると私が考えるのはこういった理由によるものです。ほかの言語を話す人々について学ぶことは大変にすばらしいことでありますし、それからそれは大変にすばらしいスタートでもあります。しかし、それだけでは十分ではありません。  私が家庭教師をしておりましたころ、生徒の多くが英語言葉のわきに振り仮名をしているのをよく見ました。もちろん、何か新しいことを学ぼうとするとき参考として自分の知っていることを使うのは当然です。しかし、片仮名化した英語というのは本物の英語ではありません。つまり、直接、英語日本語に置きかえようとすることは、知識を超えて理解段階へ持っていこうとしようとしていないことに思われます。言葉を学ぶということは、一部学問的であり、そして一部本能的なものがかかわるものであると思います。つまり、思考の古いパターンにとらわれることをやめるということであると思います。それが知識であり、理解であります。より大きい全体像の中に自分を当てはめるようにする場合、どうやって新しい言葉を使うのかということを考えるべきでありまして、新しい言語を使い、そして自分理解させるということを考えるべきであるわけです。  私は、こう言いながら、私の言葉どおり自分は実行していないことを少し恥ずかしく思っています。というのは、私は、英語スピーチを書きまして、そしてそれを日本語に訳して発表しようと思ったんですけれども、しかし、そのように今しておりません。ですから私は完全に国際化しておりません。  それでは、私自身の経験から幾つかの例を申し上げたいと思います。  数年前、私はアパートを探していました。そして、三軒茶屋の町にありますある不動産屋に行きまして大変にがっかりしてしまったことがあります。その不動産屋が、私はどこから来たのかと言 いますので、私がアメリカからだと言いますと、その不動産屋は、ああ、自分はテレビでアメリカのことはたくさん見たから十分にわかっている、行かなくても構わないと言いました。これはショックでした。また、別の近くの不動産屋日本人友達一緒に行ったことがあります。アパートを探しているのが私であると知りますと、私はまだ一言も言っていないのにもかかわらず、その不動産屋は、外人はだめだと言いました。また私はショックを受けてしまいました。アメリカで同じようなことをしたら、差別をしたということで逮捕されることもあり得るとその不動産屋に言ってやりたかったんですが、私の友達が、この人はちょっと変わっているのだからというふうに説明したので、私はただ笑っていただけでした。もう嫌になってしまいました。  ことしの初め、私は車に乗っておりまして、新宿の近くで駐車場を探していました。ある駐車場の入口のところに看板が出ていたのです。外車お断り大型車お断り。そこで私は友人に、どうして外車はいけないのと聞きました。大抵外車は大きいからと友人は答えました。そこで私は、それでは大型車お断りだけで十分ではないのかと言ったんです。  最後に述べましたこの二つの例は、日本において私が何度も気づきました態度姿勢について私が申し上げたい点を示しているものだと思います。多くの方々が、外国の物、外人ということでこれを悪いものと一緒にしている嫌いが感じられます。なぜ例の不動産屋は、残念ながら日本語を話せない人はだめですと言ってくれなかったのでしょうか、外人お断りと言わずに。そして二番目の例においては、なぜ外車お断りと書かなければならなかったのでしょうか。また他方で、日本的なものというのはよいものであるということと一緒にしてしまう姿勢がよく見られます。別に、自分の国についてよい感情を持つことは悪いと言っているわけではありません。ただ、私が指摘したいのは、このような姿勢は余り国際化されている姿勢とは言えないということです。  例えば、私が京都におりますころ、私の両親が初めて日本にやってくるということがありました。私は、ホームステーをしておりましたので、ちょっと心配いたしました。私の両親がこのホームステー家庭でうまくやっていけるか心配したのです。特に、私の父は大変に率直な人間で、直接的に話をし、そして余り物事を言うときにも術を心得ていないからです。すき焼きやまたたくさんのお酒、そして「マイ・オールド・ケンタッキー・ホーム」といったような歌を何度か歌い、そしてその夕べが過ぎたころ、私のそのホームステーをしておりますところのお父さんが私に、あなたのお父さんは大変に日本的だとおっしゃいました。私は大変に驚いてしまいました。  今になって考えてみると、その言葉は大変なお世辞であったんだということがわかります。しかしそのときには、後で考えてみて何とも妙に聞こえたのです。恐らく私のホームステー日本お父さんは、私はあなたのお父さんは大好きだ、大変にいい方だし、私は彼を理解することができた、そうおっしゃいたかったんだと思います。私が何かを、あるいはだれかのことをアメリカ的であると言う場合には、それは何か具体的なことを指して言うときです。あるいはそれは表面的なことであるかもわかりません。それに対し日本的というのは、何か価値の判断がかかわってくるように思われます。それは誇り以上のものが入ってくるように思われます。つまり、日本を何か基準のようにしているように思われるのです。これは国際化に反することです。  私が言おうとしていることは、もっとよく考えなければならない態度があるのではないかということです。別に私は、国際化プロセスの中で日本の文化をなくしていくために何かを日本人があきらめていかなければならないということを言おうとしているのではありません。ただ、日本人方々がもっと心を開いて、開放的な考えを持っていただくようになってほしいということなんです。国際貿易世界平和といったことには余り関係のない幾つかの例を今まで述べてまいりました。しかし、それらの問題ともわずかながらつながりがあるかもわかりません。つまり思考のほかの方法、ほかの考え方に対しもっと開放的な姿勢を持つことによりまして、日本はより大きな問題に対しての解決策を見出すことができるようになるかもしれないからです。  ここでもまた違いということに着目し過ぎる危険が出てまいります。私は何度も日本は大変に理解しにくい国であるということを聞いてまいりました。また、日本語はもうほとんど学ぶのが不可能なほどであるということを聞いてまいりました。でも私が考えるには、アメリカ人韓国人フランス人もみんなそれぞれわかりにくい性格を持っていると思います。何か言った場合に、理解することをあきらめるべきかというような反応が出てくることもあるのです。  京都で私と一緒に勉強していた友達と最近話をいたしました。現在その人はアメリカ大使館で仕事をしています。彼が言うには、日本人は欧米の音楽、ダンス、また料理を勉強する、そしてそれを当然のことのように考えている。しかし、なぜそれでは外国人日本の芸術を勉強し、そしてそれを完全にマスターしてしまうことに対してそれほど驚くのであろうかということです。四年も住んでいて、その後、もはやおすしをおしょうゆの中に落としてしまわないほどおはしの使い方が上手になったことに対して、どうして日本人方々はそんなに驚くのでしょう。  私は英語教師でもなく、また言語学者でもなく、社会学者でもありません。まるでこれらの分野においての専門家のような口のきき方をしてまいりました。ごめんなさい。  そこで、私が知っていることにつきまして最後にお話をしたいと思います。それは情報交換日本についての報告ということです。このような仕事につく者にとりましてこれは大変大きな責任を持つ仕事であります。日本は重要な国であり、またほかの国の人々日本でどういうことが起こっているかについて大変に興味を持っています。残念ながら、いわゆる情報市場はそれほど必ずしもいつでも開放的であるとは言えないと思います。  例えば、昨年の八月、私は初めて原爆が世界で投下されましてから四十年たちました広島での記念式典取材するために準備をしておりました。中曽根首相はその式典出席し、また被爆者養護ホームも訪れるということを聞いておりました。そしてそこで記者会見を行うという話でした。これは国際的なニュースです。しかし、広島市役所記者クラブの方はそのようには考えておりませんでした。これは単に自分たちのみが取材すべきことであり、これは官邸記者クラブ自分たちのみが許されることであるというふうに考えたのです。外国通信社特派員とそれからこれらの記者クラブとの間で怒りに満ちた電話のやりとりが何本か行われ、そして最終的にはその記者会見のみに我々は出席が許されました。  また、数カ月前、韓国の野党の党首であります金大中が米国での数年間の滞在を終えソウルに戻る途中東京に立ち寄ったということがあります。そのとき成田の記者クラブは、その記者クラブのみが取材をするということを決定いたしました。私はその場におりませんでしたが、後で怒った外国記者から聞いたところによりますと、このような国際的な取材にアクセスをとることが許されなかったということでありました。  この金大中の事件を発端といたしまして、外国記者の間で記者クラブに対してアプローチを求めるキャンペーンが開始されました。そしてこのようなことが二度と起こらないように協定を結ぶようにキャンペーンが行われたのです。この年の初め、我々三十人ほどがまとまりましてそれぞれの主要な記者クラブアプローチを求め、我々も取材に加わることができるようにするにはどうしたらよいかということを求めました。  今や幾つかの記者クラブは我々外国特派員もそ の会合に出席することを許しております。APとロイターは防衛庁長官のブリーフィングを取材する責任も今や分かち合えるようになりました。日本国際化しているということによりまして、世界に対して日本についての情報がもっと伝えられることを考えることが重要であり、そのようになることがよりよいことであると思います。それで、記者クラブの中にそのような外部の人間を入れる幾つかの妥協がとられてまいりました。しかし、完全に制度そのものを廃止するほどの大きな変革を我々は行い得ておりません。  まず第一に、門戸を開くということは、別に古い制度、それを完璧になくしてしまわなければならないということを意味しているわけではありません。ただ、世界の現実に対して調整を行うということであるのです。それは日本が好もうと好まざると、日本に対して関心を持っている世界に対してそのような調整を行うということを意味するのです。  そして二番目に、国際化日本が完全にコントロールできること、あるいはコントロールしなければならないことを意味するわけではありません。日本が別に真空の状態の中で運営していくということではないのです。世界はどんどん小さくなってきています。そして、もしその国がみずから変革を行っていこうとしなければ、日本の方が外から変革を余儀なくされてしまいます。  できれば、一人一人がこのすばらしい日本を訪れ、自分たち自身の目で見ることが一番よいのですが、しかし、そのようなことはできませんので、あらゆる情報の流れを許す必要性があると私は考えております。その情報はよいものであるかもわかりませんし、あるいは否定的な、ネガティブなものであるかもわかりません。しかし、そのような情報日本から外へ流していくということ、そしてそれが認識されるということが必要であると思います。  それほど多くのトピックスについてお話をしたわけではありません。また私から解決策や提言をしたわけでもありません。そのような解決をなさったり、あるいは提言を行うのは皆様方であると思います。ただ私は、自分が思っていることを申し上げただけであり、私はもっと自分が思っていることを皆様方に喜んで申し上げたいと思います。そしてそれとともに、皆様方のお考えも喜んでお伺いしたいと思っております。  どうもありがとうございました。(拍手)
  9. 長田裕二

    会長長田裕二君) 大変興味のあるお話、ありがとうございました。  以上でソロ参考人からの意見聴取は終わりました。  これより参考人に対する質疑を行います。  質疑のある方は会長の許可を得て順次御発言を願います。
  10. 矢原秀男

    矢原秀男君 どうもありがとうございました。時間の関係もございますので、一言だけ質問したいと思います。  私たち外国へ参りまして、逆にいろいろと日本の立場として勉強しなくちゃいけない、非常に教訓や反省というものを得ながら帰ってくるわけでございますが、最近、中曽根総理の知識水準の発言が非常に大きな波紋を起こしたんですけれども、ソロ参考人から見られて、それが総理の発言ということだけでなしに、日本人も含めて、厳しい批判やいろいろなものがあろうかと思うんですけれども、外国からどういうふうに日本を見られているのか、そういう点をお伺いしたいと思います。
  11. サリー・ソロ

    参考人サリーソロ君)(本井真理子通訳) 中曽根首相の発言に絡んでという御質問でしょうか。——まず、ほかの国々からの反応につきましては、私はこちらにおりましたので、皆様方がお知りになったほかの国々の反応と全く同じです。その発言がありまして、友人から何通か私手紙を受け取りました。そして最近の手紙では、そのような中曽根発言について私自身どう思うかというような内容のものもありました。私自身のその発言に対しての反応としてはたくさん申し上げることがあるんですが、しかし、申し上げるべき点といたしましては、その中曽根発言は、先ほど私が例に挙げて申しました不動産屋外人お断りとか、あるいは駐車場の看板の外車お断りというような見方と同じ見方を反映しているものであるというふうに思います。またその発言は、深い問題を認識した上での発言であるというわけではありません。表面的な考えで発言したものであります。ですから黒人について、またスペイン系の人々についての言及がされておりますが、真の貧困者の状況など深い問題を認識した上での発言ではないわけです。  アメリカにおきまして中曽根発言に対する反発は強いものでした。しかし、今は日本アメリカ理解し、またアメリカ日本理解するということになって、そしてみんながまた話し合いをしているというプロセスに入っておりますので、大変にこれは健全な状態になってきていると思います。
  12. 千葉景子

    千葉景子君 ソロさんはやはり若い世代に属されると思うんですけれども、日本国際化という問題について、若い人たちの間では、例えば芸術、文化などを通してかなり交流が活発になってきたと思うんです。ただその反面、従来からの事実を知る、知識という範囲からまだまだ飛び越えられない状況もあると思うんですけれども、これからの若い世代の日本の若者についてどんな御認識をお持ちでしょうか。
  13. サリー・ソロ

    参考人サリーソロ君)(本井真理子通訳) 日本の若い人たちに対してということですが、まずその人によるということです。大変に難しい質問だと思いますが、日本にいまして日本の今の若い人たちと話をして、またアメリカに戻りましてアメリカの若い人たちと話をしてみますと、お互いにそれぞれの国に対しての関心がどんどん高まってきているなと思われます。私、もっと国際的な見地から話をしたいのですが、残念ながら唯一知っております国は私の生まれましたアメリカ日本だけでありますので、世界のほかの国々の状況はよく知りませんので、どうしても発言が日本アメリカということに偏ってしまうので申しわけないんですが、例を挙げてちょっと考えてみたいと思います。  よく海外から来た人に、私は日本人友人がいるかというふうに聞かれます。私の友だちというのは、別に日本人外人かという枠は全くありません。ただ、別の国で生活した経験を持っている人たちが多いのは事実です。というのは、そういう人々は表面的な、例えばどこで日本語を勉強しましたかとか、おはしが上手に使えるとか、そういった表面的なこと以上のステップに進んでいこうという意欲があるからです。そして、共通の理解の基盤に立っているからです。  初めて日本に参りましたとき、京都に行く前に、私は日米学生会議に出席いたしました。そこでは、アメリカ人の学生四十人と日本人の学生四十人が東京から広島まで旅をいたしまして話し合いを行いました。これは大変すばらしい会議で、お互いに共通なことがたくさんあるということがよくわかりました。そして、日本人の学生もよく私どもの言うことに耳を傾けていましたし、大変に多くの交流があったというふうに感じられました。そして、京都におりますときにその会議の出席者とまた集まりを持つことがありまして、そのときに出席していたある日本人とまた会うことができました。その人は京都で大学の四年生になっており、仕事を探しておりました。また、会議のときに私はアメリカ人のある学生と会いました。その人は大学を卒業し、世界じゅうを旅をして、自分がやりたいこと、またしたいことをはっきり決める前に、自分の好きなところに行き、そして好きなようにいろいろな生活をしているという人でありまして、私は大変そのときにその人の行っていることをすばらしいことだと思いました。しかし私は、今の生活のパターンに入ってきてそれほどそのようなことはうらやましいと思わなくなったのです。今私は仕事が欲しいと思いますし、それからその会社から与えられる保障も欲しいと 思います。ですから、そのとき感じたほどそのような自由な行動というのがうらやましいとは思いません。大変にオープンな生き方をしている人がいる一方、また一方では大変にその落ちつく先を求めている、そういう人がいるということを感じました。
  14. 三治重信

    三治重信君 私は民社党の議員ですが、先ほど記者取材のことで日本記者クラブの閉鎖性の問題が出たんですが、日本記者アメリカへ行ったときでも、いろいろ取材に入るには、やはり資格とか何か要るんじゃないんでしょうか。その国々アメリカで結構ですが、日本新聞記者アメリカへ行って国務長官の記者会見に出るとか、あるいは各省の記者会見に出るときにはそれの事前の審査とか加入のやつが要るとか、そういうような慣習というんですか、制度の違いがあるんじゃないかと思うんです。確かに日本記者クラブ制度があって、記者クラブというのが非常な特権を持っているようになっているんですけれども、皆さん方がいろいろ取材について連絡をし、何かするということ、そういうことがやはりお互いに必要じゃないかと思うんですが、アメリカ記者会見とか取材というものについてはどうなんですか。
  15. サリー・ソロ

    参考人サリーソロ君)(本井真理子通訳) 私自身記者の経験というのは日本においてのみです。ただ、もちろん同僚と仕事をしておりますし、いつかはアメリカに帰ってアメリカ仕事をするということになります。アメリカにおきましてはどの記者も皆どの記者会見出席できるというわけではありません、それほど大きな規則があるというわけでもありませんが。ただ、アメリカにもプレスクラブというのはありますが、そのプレスクラブというのは記者がお互いに何か飲んだり、そういうところでありまして、日本で言う記者クラブとは全く違うところです。記者会見には、記者会見出席できるような登録がされている人たち出席できるわけですけれども、日本記者方々がワシントン、ニューヨーク、どちらにいらっしゃいましても全くアメリカ人記者と同じような扱いであり、コンタクトさえとり、また正しい電話番号、正しい約束の時間に行けば必ず取材ができるというぐあいになっています。  そこで論点は、なぜ同じ扱いをされないのか、なぜ外国記者日本人記者と違う扱いをされなければならないのかということですが、制度が違うからそのような違いがあるのだというのは余り現実的な意味を持たないものだと思います。APは恐らく日本に基盤を持つ通信者、ニュース組織としては最大のものであると思いますし、十五人ほどがいるわけですが、制度が違うからというような論理は我々には通じないものであると思います、我々は待ってはいられないわけですから。したがいまして、このような場合では相互性といいますか、日本記者と平等の扱いをしていただくということの議論をしたいというふうに思うわけであります。別に同じ制度を持つというのではなく、我々も日本人が扱われているのと同じ扱いをされるようにしていただくということです。
  16. 吉川春子

    吉川春子君 ソロ参考人どうも御苦労さまでございます。私は共産党の吉川ですが、一点だけお伺いいたします。  中曽根総理が九月二十二日の静岡県での自民党全国研修会で行った講演の中で、女性は今度のネクタイはどんな色をしているか、そんなことを一番見る。何を言ったかを覚えていないらしい。しかし、ネクタイがどうであったとか服がどうであったかということはよく見るし、よく聞かれるというふうに発言しました。国会でこの点を我が党の議員が質問したところ、総理は女性の問題については、女性は非常に審美眼が強くなってきているので、そういう意味で大いに注意を要するという意味のユーモアを込めて話したと答えています。しかし、総理のこの種の発言は今回が初めてではなくて、数年前に評論家の竹村健一氏との対談でも、うちの女房や娘もテレビなんかの話が出ると、言うことなんかは余り聞いちゃいないで、何かというとネクタイを見ると言いますねというふうに語っているんですね。総理の女性に対する認識がこの程度であるということを示している発言で、これは日本の女性の激しい怒りを買いました。この総理の発言に対してあなたの感想をお聞きしたいわけですが、同時に、もしお国の政治家、それもトップクラスの人物がそういう発言をしたときは、国民、なかんずく女性はどんな反応を示すとお考えでしょうか。そして、あなたは国際的なお仕事をしておられるんですけれども、この発言についての諸外国の反応をお聞きでしたら聞かせていただきたいと思います。
  17. サリー・ソロ

    参考人サリーソロ君)(本井真理子通訳) 私個人といたしましては、そのユーモアは余りおもしろいものではなかったと思います。ただ、そのようなことを思っているのは日本では首相のみではないと思います。日本に来ます前に、日本においてビジネスを行っていたことのある、ある女性に会いました。そうしましたら、その女性が私に、日本ではどちらかのカテゴリーにされてしまうという話をしたわけです。まず、外人と見られるかあるいは婦人と見られるかです。その際になるべく外人であるという見方をされるカテゴリーの中に入った方がいい、というのはその方が真剣に自分の言うことに耳を傾けてもらえるからであるということを言っておりました。その言葉が示すようにこの問題というのは根が深いと思います。  しかし、この問題は別に日本に限られるものではないと思います。また、日本の政治のリーダーだけに限られるような問題ではないと思います。ことし、リーガンでしたか、南アに対しましての制裁措置をなぜアメリカが加えられないかという質問に対しまして、アメリカの女性はダイヤモンドを決してあきらめることができないからだというような答え方をしたことがあります。そのリーガンの発言もやはり日本の首相の発言と同様に新聞に取り上げられまして随分反響を呼び、また風刺の漫画も出ました。したがいまして、そのような問題意識というのは日本に限ったものではなく、アメリカにおいてもあると思います。
  18. 平野清

    平野清君 時間がありませんので、簡単にお答えいただければ結構なんですが、質問の前に、外車駐車お断りのことで、ちょっと国際理解を深めるために申し上げたいんですけれども、その大半の目的は日本人の乗る外車に対しての規制であり、あるグループのトラブルに対する防護策としてそうなっておりますので、一応理解していただいて……。  質問は、あなたが少女時代アメリカ日本のことを教科書で学ばれたと思うんですが、同志社大学に来られて、自分の学んだことと自分の目で見た日本との違いといいますか、そういうことをちょっとお聞かせいただければありがたいと思います。
  19. サリー・ソロ

    参考人サリーソロ君)(本井真理子通訳) まず、京都においての私の経験というのは、現在私が持っております経験とは随分違うものです。京都におりますころはできるだけ日本の文化を学ぼうと一生懸命でした。また、現在は日本の社会について、とりわけ近代史について学ぼうとしております。したがって、以前日本について学びましたことと、それから現在学んでいることとは内容が違っているということはあります。ですから、前に学んだものの上に現在学びつつあるものを積み立てて蓄積しようとしているわけです。  駐車場の話ですけれども、友人と乗っておりましたのはカブトムシの形のフォルクスワーゲンでありまして、今発言の中でおっしゃいましたある日本のグループの乗っている車というのは、通常はそのようなフォルクスワーゲンではなくて、アメリカ製の大型車であろうかと思われますので、そのとき外車お断りと言われたのは全く意味がなかったと思います。
  20. 長田裕二

    会長長田裕二君) 以上でソロ参考人に対する質疑は終わりました。  ソロ参考人には、お忙しい中を御出席いただきましてまことにありがとうございました。非常に有意義なお話を承りました。ただいまお述べいた だきました御意見等は今後の調査参考にさせていただきます。ソロ参考人に対しまして調査会を代表して厚くお礼を申し上げます。ありがとうございました。(拍手)     ─────────────
  21. 長田裕二

    会長長田裕二君) 次に、上智大学教授グレゴリー・クラーク君から意見を聴取いたします。  この際、クラーク参考人一言ごあいさつを申し上げます。  本日は、御多用中のところ、本調査会に御出席をいただきましてありがとうございました。本日は、日本における国際化につきまして忌憚のない御意見を拝聴し、今後の調査参考にいたしたいと存じます。  議事の進め方といたしましては、まず最初に三、四十分程度御意見をお述べいただき、その後委員の質疑に対しお答えをいただく方法で進めてまいりたいと思います。よろしくお願いいたします。  それでは、クラーク参考人にお願いいたします。
  22. グレゴリー・クラーク

    参考人グレゴリー・クラーク君) 上智大学のグレゴリー・クラークです。  きょうおたくの国民生活調査会参考人としてお招きいただきましてありがとうございました。私のコメントがお役に立てれば幸いだと思いますけれども、残念ながら言葉の問題もあるし、もう一つ日本は長くて、通算で十五年ぐらいなんですけれども、心の中でもう半分日本人のようになってしまったかもしれません。客観的に国際化問題を見ておれるかどうかちょっと疑問を時々持っております。  ただ、日本に参りまして日本人の中で生活して、一つ非常に私にとって不思議な現象がよく目につきます。私、日本に来る前に長い間中国のことをやっておりました、オーストラリアの外務省の中で。我々の目から見て中国は非常に排他的社会です。けれども中国はそんなに外国で批判されていません。中国人のいわゆる排他性は我々欧米人の目から見て納得できるものなんです。中国と比べれば日本は非常にオープンな、開かれて、国際的と言ってもいい社会なんです。にもかかわらず、日本はよく批判されておるだけではなくて、外国人よりも日本人自分自身に対してもっと批判的ではないか。国際化という言葉日本人がつくった言葉なんです。外国にはないんです。英語に直すのは非常に難しいんです。インターナショナラィゼーションは英語ではほとんど意味はないんです。  さっき申し上げたように、外国人の目から見てある意味では日本人はもう既に非常に国際的な民族なんです。まず外国の文化に対して全く壁がないんです。何でも取り入れられる。技術だけではなくて、外国の思想とか服装、言葉英語の三割、四割ぐらいもう日本語にちゃんとそのまま入ってしまったんです。それで日本人英語言葉を非常にうまく使っています。料亭へ行くと御飯を頼む、レストランへ行くとライス。畑の中ではエンドウマメ、缶詰へ入れるとグリーンピースとなるわけです。そういう微妙なニュアンスの上に英語言葉をお使いになって、とにかく私は非常に感心しております。日本の経済活動、日本の商社、日本の輸出、全世界の隅々まで入ってしまって、外国でどんどん工場もつくって、ある人によると、外国人の目から見て、日本人はもう既に十分国際的なんです。もっと国際的になれば困るんではないかという話もあります。  それで、ある意味では外国人に対しても非常に開かれてオープンな面もあります。例えば、おたくの調査会参考人としてお招きいただきました。これは日本だけができるんではないかと思います。外国だったら、外国人参考人として、まあないとは言えないんですけれども、非常に珍しい。もっと珍しいのは、外国の場合は政府と関係のある委員会のメンバーになることは不可能なんです。もう原則上できません。けれども、私もう四回、五回ぐらい大蔵省、通産省、労働省に呼ばれて、政府に対してアドバイスを出すために委員会のメンバーとして半年ぐらい活動させていただきました。途中でいろいろ資料もいただきました。場合によってはマル秘もついていたんです。驚きました。これは外国では全く不可能なことなんです。  日本人は、いわゆる外国のお客様に対して非常に親切であるし、場合によって外国よりも親切である面もあります。外国特派員が自由に日本の役所に入ったり、日本の会社に入ったり、取材もできます。もちろん記者クラブのメンバーになるのは不可能なんです。あるいは非常に難しいんですけれども、記者クラブ制度日本だけではないんです。イギリスもあります、ロビーという制度。これはアメリカ人記者も参加できないんです、イギリス人の記者しかできないんです。  私は、前は日本の対外直接投資の研究をやっておりまして、オーストラリアで、研究のためにオーストラリアの会社にいろいろアンケート調査を出したんですけれども、返事がほとんどなかったんです。日本の会社は丁寧に私の質問に答えてくれまして、私初めて日本人のいわゆる独特な国際性に驚きました。  けれども、確かにその反面では国際的ではない面は存在しています。まず、よく外国で厳しく批判されています難民に対しての態度なんです。外国の労働者に対して、外国の教授に対して、私は私立大学だから大丈夫なんですけれども、国立大学はまだ不思議なぐらい排他的なんです。外人という言葉は非常に丁寧に使われていますけれども、外人の方とか外人様なんですけれども、場合によって丁寧ではないんです。特に修学旅行の子供の使い方は丁寧ではないんです。いや、その言葉自体に問題があると思います。外国人という言葉英語に直せばフォーリナー。これは問題ないんです、外国人は。けれども、外人は、外の人、英語に直訳するとアウトサイダー。アウトサイダーは非常に冷たい、そして原則として使うべきではない言葉なんです。  もちろん外国人よりも外人と言う方がごろがいい、簡単ですけれども、例えば日本人はジャパニーズでしょう、英語で。ジャップという言葉を使えば日本人はすぐ怒っちゃうでしょう。外務省の場合も抗議も出すんですよ。だけど、ジャップに悪い意味を持っているのは、これはアメリカだけなんです。私の国オーストラリアではかえっていい意味なんです。親しい意味なんです。けれども、日本人は非常に気にしていますから、日本人の前でジャップという言葉は絶対使わないんです。逆に、我々外国人外人という言葉は余り気に入らない面が多いんですけれども、日本人は平気で使っています。これは小さなことなんですけれども、国際的ではないんです。  あとは、いわゆる外国人登録証問題、いつも携帯しなければなりません。これは大変なことだ。登録証制度自体は別に悪いことではないんです。指紋押捺も別に悪いことではない、私の方から見て。アメリカでも同じようにやっています。けれども、いつも持たなければいけない。これは日本だけと言ってもいいんです。それで、ちょっとだけ買い物に出るにも持たないと、警察の方からとめられれば大変なことになってしまうんです。日本では余り知られていないんです。一度そういうふうにされれば、日本に対して悪い印象を持つ外国人が多いんです。  最後は、いわゆる国籍問題。日本国籍を取るのは非常に難しい。最近まで日本の国籍を取れば名前も変えなければならなかったんです。グレゴリー・クラークという名前をやめて鈴木太郎さん。高見山さんは渡辺大五郎さんになって、これは外国でかなりコメントされました、なぜ渡辺大五郎さんにならなくちゃいけないのか、ジェシー・クハウルアでとてもいい名前ではないか。  私も、日本人のいわゆる変則的な国際性の前に長い間困っておりましたけれども、このごろその理由がわかってきまして、客観的な理由が存在しております。日本人の国家意識は根本的に外国人とは違うんです。外国、これは欧米だけではなくてほかの民族、インドとかアラブ、中国、韓国。 国家の意識はその国の思想、文化。それで、一度その国の思想、文化、イデオロギーが自分の身につけば自分はその国の人のメンバーになれる。フランスは一番極端な例なんです。顔色とか全く関係なくて、ちゃんとフランス語を覚えれば、フランスの文化を持てば、あなたはもうフランス人です。アメリカも同じです。アメリカはもうちょっとイデオロギー的な国家意識なんです。アメリカの国旗の前に誓いをすればもうアメリカ人です。オーストラリアも同じ国家意識です。  日本はそういうイデオロギー的、文化的な国家意識はないんです。日本は非常にそういう意味で例外的な国と言ってもいいんです。日本の国家意識は一つのグループなんです。一つの家族、クラブ、チーム、村と同じ。メンバーになるためにそのグループの中に入らなければなりません。日本語で仲間入りという言葉があるでしょう。文字どおり日本の仲間に入らないとメンバーになれない。だから、日本人はある意味で自然に外の人に対して排他的です。もちろん、お客様として入れば全然問題はない。私の家族も全く同じです。文化に対しては排他的ではないんです。私の家族の意識は文化にはないんです。外の人に対して排他的。けれどもお客様に対して排他的ではない、もちろん親切にやっています。けれども、知らない人が急に私の家族のメンバーになりたければ、私もちろん排他的なんです。ごめんなさい、出てください。それを例外的に認めれば、いわゆるその人は養子にならなければいけないんです。その場合は、もちろん名前も変えなければなりません。鈴木太郎という名前をやめてクラークという名前、これは全く日本と同じと言ってもいいのです。  けれども、そういう国家意識は非常に珍しいことなんです。国家意識だけではなくて、日本人価値観も、人間関係とか、甘えの構造とか、思いやりとか、全部いわゆる家族的価値観、そういう価値観の上に一つの国家をつくるのは、ある程度東南アジアもちょっとありますけれども、日本だけと言ってもいいんです。ほかの民族、中国、韓国、もちろん家族の中では日本人と同じなんですけれども、国家の次元、政治の次元、あるいは会社の次元、いわゆる英語でセカンダリーグループ。家族、村はこれはいわゆる英語でプライマリーグループ、第一次的なグループ。セカンダリー、第二次的。その第二次的なグループではエモーショナルな価値観ではなくて、いわゆる合理主義、原理原則的な価値観を使っています。結果として、外国人は我々の仲間に入るのは、これはいわゆる一つの原理原則の上でやっています。それで、原理原則、その基準を満たせればもうどうぞ、別にエモーションの上ではなくて。日本人の場合はエモーションの上にメンバーにならなければなりません。結果として、いろいろ外国人の目から見てわけのわからないひずみ、矛盾が簡単に生じてきます。  例えば、日本人韓国人、朝鮮人、台湾人に対しての独特な意識が外国で厳しく批判されています。私、この間たまたま取材されまして、例の総理大臣の発言の後で日本人のいわゆる排他性に対して外国の意識が急に高まってきまして、そのインタビューの中では、私は王監督の話をさしていただきました。あの人は台湾人でしょう。日本国籍を断っておられるらしいんです。自由に取れますけれども、台湾人に残りたいんです。にもかかわらずあの人は完全に日本人扱いです。英語でエモーショナルウェーブレングス、情緒的、心的な波長に乗って、もう完全に日本人扱い。け,れども、そのエモーショナルウェーブレングスに乗らなければ、もう原理原則がなくて排他される。これはある程度避けられないんですけれども、外国では厳しく批判されています。  同じように中曽根総理大臣、名前を言ってしまいましてごめんなさい、の発言についてもう一つの大きな誤解は、日本人は人種主義だけではなくて、非常にレーススペリオリティー、人種優秀主義、これは外国人に説明するのに非常に難しいんです。外国の場合は、自分の国はほかの国よりも偉い、知識程度でも。もちろん知能程度だったら絶対そういう話はできないです、英語でインテリジェンス。けれども、総理大臣は多分インテリジェンス、知能ではなくて知識程度。知識でも、自分の国はほかの国あるいはほかの民族よりも偉いということ、それでも禁物なんです。逆に自分の国はほかの民族よりも低い、それも禁物なんです。原則として国家のアイデンティティー、文化なんです。どこの文化が偉いか、どこの文化が低いか、それは言えないんです。言うべきではないんです。  けれども、日本人の国家意識は、文化ではなくて、さっきの家族、チームと同じ。そのチームは絶えずほかのチームと自分の実績を比べています。結果として、自分より実績のいい民族に対して素直に劣等感を認める。最近まで我々外国人の目から見て不思議なことがありましたよ。世論調査の中では、日本人アメリカに対して劣等感を持っていると素直に認めていたんです、五割、六割、あるいはヨーロッパに対して。これは外国考えられないことなんです。逆に、自分の実績がほかの民族よりもいいと思えば同じように素直に認めておられる。だからアジアに対して、ほかのアジアの民族と比べれば、実際客観的に日本人の実績はなかなかいいと私も認めています。それで日本人は素直にそういうふうに言っています。けれども、これは外国人の目から見れば許せないことなんです。  だから、そういう違う国家のいわゆるアイデンティティー、国家意識の現象の前にどうすべきか。いろいろ言われていますけれども、ある程度仕方がなくて、数の上で日本人よりも多いいわゆる非日本人考え方、やり方は国際的である、日本人のやり方は国際的ではないという評判になって、ある程度外国人の前に違う国家意識が必要ではないかと思います。外国人の国家意識はある程度勉強せざるを得ないのではないかと思います。  それで、日本人の国際意識をどういうふうに高めるか、いわゆる国際化教育について、時間余りないですけれども簡単に触れさせていただきたいんです。今、外国との交流、外国人との接触、外国の文化の勉強とかいろいろ進められていますけれども、私の目から見てその効果は非常に薄いんです。私から提言させていただければ、量よりも質、質のある外国との交流が必要なんです。だから、観光客とか使節団とか、そういう表面的な交流よりも、長期的な外国滞在、留学生、ホームステーが一番理想的なんです。逆に、外国人日本に来て、短い時間ではなくて長い間日本の社会の中に住みついて、ゆっくりして日本人の独特な価値観を勉強させていただければ幸いだと思います。特に留学生の受け入れ態勢は御存じのようにまだ十分にできていない。けれども、それよりも、日本で勉強したければ、決まった勉強、どこかの大学に入らないと、どこかのコースに入らないと、登録しないとビザがもらえません。  私、自分の経験から申し上げれば、十八年前に初めて日本に来まして、一年ぐらい日本の経済の研究をやっていました、大学のお金で。それで、日本の社会の魅力とかおもしろさを感じまして、私の国に戻ってもう一度日本に行くためにビザを頼んだんです。それで、ビザを取るのにはもちろんなぜ日本に行きたいか理由を書かなければなりません。それで私、日本の社会、日本人日本言葉の勉強をするために一、二年ぐらい日本に行きたい、必要あれば自分自身のお金で行きたい。すぐ断られましたよ。日本語では何と言うんですか、門前払いされてしまった。  同時に、私と同じ大学で、徳島県の江戸時代の歴史、蜂須賀藩の研究をもう二十年前からやってきました。今でもまだやっています。その人は日本語が余りできないんですけれども、ビザを頼みましてすぐビザをもらいました。それだけではなくて、日本政府から補助金ももらいました。その人はまだ蜂須賀藩の研究をやっておられます。今でも日本語ができないんです。字は読めますけれども言葉はできないんです。日本人に対して興味がないんです。あの江戸時代の歴史しか勉強して ないんです。そういう極端な受け入れ態勢は、御存じのようにいろいろ矛盾を生じています。結果として、特にアジアからの学生は半分ぐらい反日感情を持って国に戻っています。これも不思議なことなんです。  戦争前の日本は、もっと外国の学生に対して寛容だったんです。外国の文化に対しては寛容ではなかった、排他的。もっとそういう意味で欧米的、非日本的だったんです。けれども、外国人に対してはもうちょっと自信を持って取り入れている。周恩来は一年ぐらい留学生として日本に来まして、全然勉強してなかったらしいんです。京都の方で何か浪人生活をして、ガールフレンドをつくって、結果としてあの人はもう最後まで親日派でした、中国では。一度そういう日本の社会の中に入れば反日的にできないと思いますよ、日本の社会の魅力を一度感じれば。けれども、その次元に入るのは非常に難しいんです。学生の中では一、二割、三割しかできないと思います。  もう一つ、時間がほとんどないんですけれども、言葉の問題でちょっと一言させていただきたいんです。もし今の日本が国際的ではない面があれば、その理由の半分以上は今の英語教育制度だと思います。今の日本英語教育制度によって語学の奇形児を日本の学校で、日本の政府の金でどんどんつくっています。日本人には特別な問題があります。外来語が多くて、若いときから間違った発音が頭の中に入る。もう一つ日本人の学生の独特な感受性は非常に強い。学校に入って十二歳から勉強始めれば、一度悪い形で、間違った形で英語の勉強をすれば、後で直すのは不可能なんです。言葉は数学と違って非常に心理的なものなんです。悪い、間違った英語が頭の中に入れば直すことは非常に難しいんです。  今、英語教育は御存じのように欠点はある程度知られています。直すために外人教師とかLLもうちょっと使いましょうとか、これも無理なんですよ。初めから正しい方法、特に日本の場合は、目ではなくて、教科書ではなくて、正しい耳の訓練を徹底的にしないと、後で悪い教育の結果を直すことは非常に難しい。幾ら外国教師を使っても、もちろんコストは高いですが。外国人教師よりもテープレコーダー使えばどうですか。はるかに安い。日本はいいテープレコーダーつくっていますから、輸出しなくてもうちょっと国内で使えば。私の日本語は全部テープレコーダーから覚えてきまして、もちろん不十分な面がありますけれども、習い始めたのは三十歳。三十歳になってもだれでも言葉の能力持っています。もちろん大人になるともうちょっと努力しなければなりませんけれども、耳から勉強する。後で目を使えば結構なんです。けれども、初めは目から覚える。後で耳を幾ら訓練してももう遅いんです。  だから問題は、英語教育問題プラスいわゆる受験英語問題。大学に入るために信じられないぐらい難しい英語の試験を受けなければなりません。結果として、日本の若者が英語に対しての印象、感情は非常に悪いんですよ。うちの大学でも、みんな英語が上手だと言われていますけれども、必ずしもそうではないんです。英文学部の方はもちろん積極的にやっていますけれども、私の感じとして、日本の大学の学生は半分以上はもうアレルギーになりまして、あの人たちにとって英語は嫌です、しゃべりたくないんです。英語嫌だけではなくて、外国人の顔も嫌なんです。外国人の顔見て、またその悪い思い出ばっかり頭の中に浮かんでしまうんです。  だから、その間違った英語教育制度を早くやめて、もし新しい制度をつくることになれば、小学校から毎週一時間、二時間、発音、歌、外来語の悪い影響をなくすためにできるだけ若いときから正しい発音を教える。簡単なんです。英語でワン、トゥー、スリー、日本のテレビでワン、ツー、スリーでしょう。若いときにワン、ツー、スリーではなくてワン、トゥー、スリーと教えれば、それで頭に入る。そのぐらいの英語教育をすれば、大学になって、十八歳になって集中的に六カ月ぐらい、あるいは一年ぐらい英語を教える、耳から。というのは、十八歳になって、もう英語必要性もちゃんとわかっているんです。自分の将来のために英語必要性もちゃんとわかっている。そうすれば意欲的に勉強する、これも非常に大事なんです。消極的に、受験のために英語を勉強すれば、もうこれはアレルギーの根源なんです。  それでもう一つ、もうこれで最後なんですけれども、私、日本国際化を見て、日本人の努力を見て、もちろん非常に高く評価しています。けれども、世界英語だけではないんです。英語はもちろん国際言葉になりましたけれども、英語だけではない。フランス語、スペイン語。日本の商社、日本の会社、自動車メーカー、例えば、全世界で工場をつくっています、事務所をつくっています。それで、フランス語、スペイン語を上手にできる人はいないんです。だから、会社の中でそういう教育を行わなければなりません。大学の時点で外国語の教育に集中すれば、英語だけではなくて、まあ英語を例えば六割、七割。それでほかの言葉、スペインとかフランスとか中国語、韓国語を専門的に教えることは可能となるんです。もちろん、中学校と高等学校でほかの英語以外の言葉の教育は不可能なんです。私もちろん承知しております。だから、これからの日本国際化の中で、私の判断では、言葉の問題は問題の内容の七割ぐらいではないか、言葉の問題が克服できれば、ほかの問題は簡単に解決できると思います。言葉の問題を解決しなければ、ほかの問題は、特に日本人の独特な国家意識の中では解決できないではないか、かえって将来ますます悪化すると心配しております。  ありがとうございました。(拍手)
  23. 長田裕二

    会長長田裕二君) 大変興味のあるお話をありがとうございました。  以上でクラーク参考人からの意見聴取は終わりました。  これより参考人に対する質疑を行います。  質疑のある方は会長の許可を得て順次御発言を願います。
  24. 矢原秀男

    矢原秀男君 どうもありがとうございました。一点だけお願いしたいと思うんです。  各大学の日本の教授から伺いましても、今クラーク参考人がおっしゃいました外国留学生の受け入れが非常に日本は不備である、こういう点と、もう一つは、今お話ございました外国語の教育について日本はもっと考えなくちゃいけない、この二点は非常に国際化の問題と絡んで懸案事項になっているわけでございますけれども、今お話がございましたように、これは日本としては早く制度を変えないといけないと思っているんですけれども、小学校から英語教育は変えなくちゃいけない、こういう問題と、外国留学生に対しての日本政府の取り組みですね、これを具体的に御指導いただきたい、こういうふうに思うんですけれども。
  25. グレゴリー・クラーク

    参考人グレゴリー・クラーク君) 英語教育制度について、小学校でしなくてもいいんですけれども、まあ中学、高等学校よりも小学校の時点で、問題は発音と英語に対しての態度、自信、小学校の時点でやり始めればましではないかと思います。もちろん時間は今の中学を短縮して、週三時間、四時間ではなくて、一時間、二時間でも結構なんだと思います。それで、大学に入って、そのとき、そういった難しい文法の教育をもうやめて、発音、簡単な英会話とつづり、スペルとか、そのぐらいで結構だと思います。  アジアの留学生の問題に関して、みんな周恩来のように日本に入れば一番理想的なんですけれども、日本の法務省は多分いろいろ心配なさるかもしれません。もしそういう浪人的な生活を許さなければ、どこか、東京だけではなくて、地方にも日本の文化センター、例えば日本の文化教育センターを設けて、特に東京よりも地方の方はもうちょっとそういう意味では恵まれていますし、現地の社会の中で、ホームステー、いわゆる宿の問題、寮ではなくて、どこかの日本人の家の中に入って泊まって、その文化教育センターの中では簡単にまず日本言葉の勉強をする。どのぐらい外 国人の学生、特にアジアの学生は言葉の問題で悩んでおられるかまだ十分理解されていません。  うちの大学でも、一流の留学生がかなりアメリカから来ています。アメリカでよく勉強しています、二年ぐらい、日本に来る前に。にもかかわらず、日本に着いて、勉強の時間は半分以上は言葉なんですよ。だから、そういうセンターの中で集中的に言葉の勉強と簡単に日本の文化、日本の歴史、日本の経済とか、そういうコースも行って、コースの長さといえば時間は二年ぐらい。それで卒業して、一つのディプロマみたいなのを出して、その準備をして、その後で専門の勉強、例えば江戸時代の歴史とかあるいは日本の科学とか、その勉強を一年とか五年なりすれば一番理想的ではないかと思いますけれども、そういう準備的な学校は今存在していません。あっても、その学校に入るためにビザをもらうのは難しい。お金の問題もあります。勉強しながら、御存じのようにアルバイトしなければならない。理想的な形でアルバイトするかどうか、いろいろ問題はあります。労働省も悩んでいます。だから、日本は大胆に政府がお金を使えば、そういう日本文化教育センターというのを設ければこの問題は解決できるのではないかと思います。
  26. 及川一夫

    及川一夫君 私ども日本人が国際性というものを意識をするようになったのはごく最近と言ってもいいんだろうと思うのです。なぜかということを考えますと、地球の上では極東、一番東の端にあるということと、日本列島が全部海に囲まれているということ、それから文化とか宗教というものが、どちらかというと中国それから韓国といいますか、ああいったところから流れてきている一つの歴史があるわけですね。ですから、積極的に打って出るというよりは、受けて立って育ってきたという、そういう歴史性みたいなものがあるような気がしてしようがないんですね。  そこで、先生が御指摘になった、中国の場合には排他的ではあるけれども批判がない。日本はオープンで開放的ではあるけれども批判がある。なぜそうなってきたのかという理由は、先進国、中進国、開発途上国という三つのグループがあるとすれば、戦後ということを考えますと、やはり日本も開発途上国であったと思います。それが今では先進国と経済的に言われるようになってきたということです。そういうものが必然的に国際性とか国際化とか、世界の中の日本というものを意識をしなければいけないのだという批判ですね。国際的なものになってきたのかなということを感じたりするんですけれども、なぜ日本がそういうふうに批判されるようになったのかということについての先生の見解をお聞きしたいと思います。
  27. グレゴリー・クラーク

    参考人グレゴリー・クラーク君) 理由は二つあると思います。例えば中国人の排他性は、中国だけではない、どこの国もある程度排他的です。ただ、日本以外の国はどちらかといえば文化の次元で排他的です。人の次元でもうちょっとオープンなんです。だから、例えば中国の場合は、もし外国人に対して壁があれば、文化の次元でもっと高い壁がある。みんなそうなんです、外国で。フランスが一番極端です。人の次元でほとんど壁がないけれども、文化の次元で高い壁がある。アメリカでも人の次元でほとんど壁がないけれども、例えば共産主義者だったらアメリカの場合ビザがもらえない。イデオロギーの次元で排他的です。みんなそうなんです。日本人だけ逆です。文化の壁は低い。人の次元で壁がある。そんなに高い壁ではないです。一〇〇%だったら私きょうここにいるはずないんですから。けれども、ある程度壁があるんです。それが外国人にとって不思議な現象なんです。説明はできないんです。私も一生懸命記事とか本の中で説明しようとした。日本人の独特な国家アイデンティティー。いつも失敗に終わっています。  日本だけこういうふうになってしまって、外国人の目から見ておかしいんです。日本人はわざと人に対しての壁をつくっている、鎖国を守るため。あるいは日本人は精神分裂症ではないか、そういう批判もありますよ、外国では。理解をされていないんです。だから、仕方がなくて、もしいわゆる人の次元で摩擦があれば、どうしても何とか解決しなければならない。  例えば難民問題、アメリカのインテリは、私まだ覚えていますが、三年前、日本の貿易摩擦よりも日本人の難民に対しての態度の方がもっとひどいという世論調査の結果が出ました。なぜひどいか。日本外国の文化を取り入れてそんなに恩恵を受けているのに、どうして外国の難民を取り入れたくないか。それで、私理解はできますけれども、私の方から説明はできなかったんです。それがまず一つ。  それでもう一つ。私今大学の教師なんですけれども、一九六九年から七四年まで特派員として働きました。なぜか。さっきの話なんですが、ビザを頼みまして断られまして、日本にもう一度行くために新聞社に入りました。特派員だったら必ずビザがもらえますから、それで私の陰謀が成功しました。とにかく非常にその時代はおもしろかった、よかったと思います。  ただ、そのときは、例えばこの間の総理大臣の発言問題がありまして、私の目から見て大した問題ではないですけれども、十年前、十五年前に同じ問題があれば、ほとんどだれも外国でも気がつかないんです。だけれども、今日になって明らかに外国人日本に対しての意識は根本的に変わってきました。日本は、いわゆるトップでなければ、日本の政治家は何を言っても結構なんです。だけれども、外国では日本はもう一流国家になっているんです。ある意味では経済の面で怖い国なんです。それで貿易摩擦問題が外国で、特にアメリカで非常に意識されています。だから、日本はちょっと外国人の目から見て一つだけ間違いを犯せば、もうすぐ批判の的になりかねない要因がこのごろ出てきました。だから、例えば十年前と比べれば、はるかに日本はこれから慎重に行動しなければならないではないかと思います。
  28. 斎藤文夫

    斎藤文夫君 クラーク先生のいろいろな長い間の御滞在における御経験を拝聴させていただきまして、私ども日ごろ感じておったこと、また逆に、例えば国籍を変えて名前を変えることの矛盾とかいろいろ御指摘いただいて、きょうは大変教えられるところが多うございました。  そこで、私ども日本人の年齢構成、御案内のようにひところは、戦前、戦中、戦後派、こういう大きな分け方がございました。あるいは最近は新人額とかこんな言葉もございますけれども、それぞれがその時代の中で生きてきているわけですから、対外国観あるいはまた外国人に対する見方、考え方、これがどうも違っているのじゃなかろうか。例えばゼネレーション的に見た日本人の対外国観というようなものを先生何かお感じになっておられたらお聞かせいただきたい。それをいわば明治、大正、昭和とかあるいは新人類とかそういうようなものに置きかえていただいても結構です。
  29. グレゴリー・クラーク

    参考人グレゴリー・クラーク君) これは非常におもしろい質問だと思います。  私だけではなくて、外国でも学者の中でおもしろい指摘がありまして、なぜ日本人は国際的ではないかという議論があります。その結論は、特に日本人の方から、日本は長い間鎖国であって、外国との接触がまだ少ない、だからこれからもうちょっと接触しなければなりません。これが大体の結論なんです。  けれども、実際には、我々にとって不思議なのは、明治時代の日本人は非常に国際的でした。特に、初代駐米大使は非常にアメリカで評判が高くて、日本のことを代表して堂々とアメリカと交渉して、あるいは八十年前に不平等条約問題がありましたでしょう。日本の外交の中ではすばらしい実績です。その再交渉、堂々と外国と交渉しました。  それで大正に入って大正デモクラシー、よく外国の思想とか文化を勉強して導入して、それで軍国時代に入っても、さっき申し上げたように日本人の国際性は、そのときももうちょっと欧米的でした。外国の文化に対しては排他的だけれども、外国人に対してはまだそんなに、まあ完全に軍国 時代になっては外国人に対して排他的なんですけれども、学生はずっと三〇年代まで日本に自由に入れまして、戦後、戦争終わって日本人は急にぐっと変わったんです。外国人に対して排他的になっただけではなくて、外国人に対しての自信もなくなってきた。いわゆるコンプレックスになりました。外人コンプレックスは戦後の現象ではないか。  ちょっと脱線的な話なんですけれども、日本人の独特な日本的企業の経営も、これは戦後のものなんです。いわゆる家族的経営。日本人の独特な国家意識もある程度戦後のものなんです。ある程度日本人はルーツに戻ったかもしれません、戦争の間いろいろつらい経験があって。とにかく、明らかにこれは外国との接触不足という意味ではなくて、価値観の変化によって、特に日本の明治時代のエリートは、私の分析なんですけれども、どうしてもうちょっと欧米的だったか。そのときの教育制度はかなり中国に影響されているでしょう、儒教文化。だから、もうちょっと原理原則の上で、イデオロギーの上で行動して、結果としてそういう意味で欧米的でした。そういう意味で欧米人に対してコンプレックスは余りなかったんです、イデオロギー的な国家意識が強くて。今の日本人の国家意識は非常にそういうあいまい、英語でネビュレス、つかめない、直観的なものなんです。だから、いつも日本外国の間にそういう摩擦が非常に起こりやすいんです。貿易摩擦も日本人一つの交渉のやり方、外国人は違う、外交問題。  きょう外交の話は余りするつもりはないですが、内政干渉なんですけれども、私前は外交官として日本の外交歴史をある程度勉強したんですけれども、八十年前の日本の外交あるいは五十年前まででもなかなかうまくやっておられましたけれども、戦後の外交は不思議なことに、まあ具体的な話をしなくてもいいんですけれども、急に弱くなりました。戦略性がなくなりました。だから国際化問題は非常に深いものなんです。これは、さっきの価値観と絡んでいるんではないかと思います。  以上です。
  30. 斎藤文夫

    斎藤文夫君 時間もあれだと思いますが、もう一言。  先生、結局先ほどもお話がありましたが、日本人は極めてエモーショナルな国民性を持っているんですね。それだけに、例えば戦争、敗戦、二度と再び愚を犯してはならぬと、こういう一億総ざんげの中で、非常に外国に対して新しい意味のコンプレックスというものが特に戦後出ました。ところがさらに今日の現状になってきますと、先ほどいみじくも御指摘をいただいた違った意味の優越性というものを民族的に感じて、それが即新しい国際化という言葉を情緒的に受けとめて、何でも国際化国際化と、特に最近は猫もしゃくしもすべてが国際化を言うようになった。ところが、実態は先生の御指摘のように、むしろ国際化に逆行する何らかのものが出てきている。このギャップというものはどう埋めたらいいんでしょうか。
  31. グレゴリー・クラーク

    参考人グレゴリー・クラーク君) 特に、おっしゃるとおり新人類の中では国際化国際化と何回も言われて、それで国際的にやりましょう、外国へ行って外国を見て、一週間ぐらい、二週間ぐらいのグループ旅行で行って、フランスのホテルはそんなによくないとか、アメリカの道路は汚いとか、やっぱり日本人は優秀な民族だとか、確かに逆行的な面が強いと思います。そういう面は私も心配しております。
  32. 斎藤文夫

    斎藤文夫君 ありがとうございました。
  33. 三治重信

    三治重信君 私、民社党の議員なんですが、先生のきょうの発言で私は非常に示唆に富んだことを承ったと思っているんですけれども、最近非常に外国人日本を見る目が変わってきたと、こういうことについて日本世界と仲よく生きていくためには何をしたらいいかというのが今我々のこの委員会の仕事の一部なっているわけなんですが、そういうところからいくと、やはり長期の対策ということが一番重要だというのが先生のお考えですが、やはり留学生を余計たくさんとって、ホームステーもたくさんやってということが長期的には非常にいいんですが、そのほかに、そういう文化の交流とかなんとかいうことについて先生がこういうのはやったらいいというのがあったら二、三教えていただきたいんです。
  34. グレゴリー・クラーク

    参考人グレゴリー・クラーク君) さっきの質問と非常に関係あると思います。戦後の日本人、特にいわゆる新人類は非常に気持ちの上で行動している民族になりまして、直観力が強くて、新人類、感覚人間という言葉もお使いになっているんです。だから実際には、国際化は原理原則の上で行われるべきなんです。原理原則として日本人は優越ではないです。劣っているんでもない、優越でもない、一つの文化なんです。中国は違う文化、経済の面で中国とかあるいは東南アジアは生活水準は低くてもその国は自分なりの文化を持っています。だからその意味では尊敬しなければなりません、原理原則として。けれどもそういう意識は日本では弱くて、やっぱり感覚の上で行動しています。それでさっきの話、外国へ行って感情として向こうは汚いとか、あるいはおもしろくないと思えばすぐいわゆる優越感になりかねない面があります。だから、その問題を解決するためにやっぱり原則的な教育を行う、もうちょっと徹底的に学校の時点で。特に外人という言葉を学校の中で使うのはやめていただきたいんです、早く。嫌な感じです。国会の前によく、私の事務所近いんですけれども、修学旅行の子供は怖いですよ。バスが私の前を通れば必ず外人外人だと呼ばれる。本当に嫌な感じなんです。それで二、三回先生たちと討論になったんです。外人と言うことはこれは失礼なんです、特にそういう呼び方は。先生たちも私の言うことの意味はわからないようなんです。これは絶対言うべきではないんです、特にそういう形では。これまず一つなんですけれども、実際にはもうちょっと深い次元で言えば言葉です。  日本人言葉の次元では不自由。これは若い新人類だけではなくて、年寄りの方も不自由を感じる。日本人は非常に敏感性の強い民族なんです、英語では非常にセンシティブな民族なんです。言葉、コミュニケーションがうまくいかないと心の中では不愉快なんですよ。それで外国人は嫌だという結論に走りやすいんです、日本人は。だから言葉の教育は今諸悪の根源と言ってもいいです。徹底的にやり直さないと。  それで、特に書き読みではなくて、会話、耳、特に聞く能力、これ一番根本的な問題なんです。日本の若者はある程度口から言葉は出ます、意味がわかるかどうか別なんですけれども。けれども、聞く能力はほとんどないんです。普通の自然なスピードで会話されればもうわかっているのは五%、一〇%しかないんです。そうするとコンプレックスになりやすいんです、その雰囲気の中では。
  35. 吉川春子

    吉川春子君 クラーク参考人、きょうはありがとうございます。私は日本共産党の吉川と申します。  クラーク参考人が対外直接投資の研究をやっておられたという御発言がありましたので、私は経済問題についてお伺いしたいと思うんです。  ことしの四月七日に国際協調のための経済構造調整研究会の報告書、いわゆる前川レポートが出されて、五月一日の経済対策閣僚会議でこの前川レポートと全く同じ構成の経済構造調整推進要綱を定めて政府は実行しようとしています。このレポートの中では、「基本認識」として、「従来の経済政策及び国民生活のあり方」の歴史的転換なくして「我が国の発展はあり得ない」としているんです。石炭鉱業について言えば、「地域経済に与える深刻な影響に配慮しつつ、現在の国内生産水準を大幅に縮減する」とか、中小企業等についても、「中小企業等への影響に配慮しつつ、積極的に産業構造の転換を推進する」、まあ中小企業をなくしていくということですね。それから農業について言えば、「基幹的な農産物を除いて、内外価格差の著しい品目については、着実に輸入の拡 大を図り、」と、こういうふうにしているんです。  私は、この前川レポートの実行というのは、日本の中小企業、農業をつぶして、日本の産業にはかり知れないマイナスの影響を与えると思っているんですが、この前川レポートが出された要因というのは日米間の経常収支の不均衡にあるわけなんです。とりわけ貿易収支の対日赤字が約五百億ドル、八五年の米商務省の数字によるとそういう数に上っており、この是正のためとされているわけですが、この経常収支の不均衡はアメリカの財政赤字によって引き起こされたということは常識になっています。これは経済白書の八六年版でも指摘されているわけです。  すなわち、アメリカの大軍拡、そして財政赤字、高金利、ドル高、輸出減、輸入増、多国籍企業の一層の海外逃避、そして輸出減、輸入増という悪循環、こういうのが対日赤字の根本原因であって、この原因を取り除かない限り対日赤字は是正されないというふうに思っているんですけれども、こういう問題について、貿易赤字その他の問題についてのお考えをお聞かせいただきたいと思います。
  36. グレゴリー・クラーク

    参考人グレゴリー・クラーク君) アメリカの財政赤字がなければ日本の円はドルに対して百五十ではなくて百二十、百十まで上がるだろう。そうすると日本の中小企業、日本の農業が受ける打撃は今よりもはるかにひどいものとなるんです。だから今、日本の経済はアメリカの財政赤字に救われていると言ってもいいんです。けれども、おっしゃるとおり、アメリカの財政赤字によって国際貿易が大きな不自然なひずみ、不均衡を生じてきました。長い間円安の中では日本は自由に輸出できまして、それで日本の中小企業を含めて大変大きな恩恵を受けて、今そのいわゆるツケが回ってきました。  もうちょっと円安のときに、四年前、五年前に、そのときに中小企業の問題とか経済調整、いわゆる前川レーポートの構造の調整が行われれば、特に内需拡大が行われれば、今のジレンマ、日本の経済のジレンマに陥らなかったんではないかと思いますけれども、私は経済関係として今円高問題非常に悲観的です。これからの日本の経済の苦しみとか、円高、デフレ問題とか十分認識されていないと思います。円がもっと高くなれば、アメリカの経済学者はみんな、もう八割ぐらい、円はもっと高くなる、百二十までならないと日本アメリカの経済の不均衡は解決はできないという発言をし、そういうふうになれば日本の経済はどうなるか、非常に心配しております。
  37. 平野清

    平野清君 きょうは御苦労さまでございます。  国際化国際化というのが最近物すごく叫ばれているんですが、私たちちょっと考えますと、日本人国際化というのは何となくほとんどの人がアメリカを対象にして、ごく一部の人がヨーロッパをにらんで国際化国際化と言っているような気がするんです。本当の国際化というのは、ちょっと言葉が当たっているかどうかわかりませんけれども、ユダヤの人のような人を本当の国際人というような気がするんですけれども、やっぱり日本が島国で国境がなかったこと、ヨーロッパなんかではちょっと買い物に行くんだって次の国へぽっと入っていける、そういう特殊な地位といいますか、地球上に置かれたことがいっぱいあると思うんです。  今、先生が一生懸命英語教育の重要性を強調されましたけれども、最近、ごく一部の学者の間では、日本はここまできたんだから、日本語国際化、いわゆる日本語をもうちょっと世界に拡げる努力をしろという学者が急にふえていますけれども、先生のお考えではそれはナンセンスなのか。全般的にもっと英語の学力というものを子供のころから身につけるべきなのか。そういうことをちょっと日本の学生を教えていらっしゃる立場から聞きたいと思うのです。
  38. グレゴリー・クラーク

    参考人グレゴリー・クラーク君) いわゆるアメリカ以外の外国人の目から見て、日本人アメリカ一辺倒、政治の意味では一辺倒ではなくて、文化の意味で見て、みんな確かに反感、反感というとちょっと言い過ぎなんですけれども、不思議だと思っています。特にヨーロッパ人、ヨーロッパ人の中で特にフランス人、フランスの場合はもうほとんどアメリカ一辺倒を見て、ある意味で日本のことをある程度軽べつしているんじゃないかと思います。理由はさまざまなんですけれども、日本人は非常に感覚的な民族なんですが、アメリカは強くて、アメリカは近くて、占領時代があって、日本にとってアメリカからいろいろ恩恵を受けて、関心を持つのはある程度当然なことだと思いますけれども、実際には、本当の意味で国際的になりたければ、アメリカだけではなくてヨーロッパ、ヨーロッパだけではなくてアジア、特に私の目から見て韓国、中国あるいはソ連に対しての意識は不思議なぐらい低いと言ってもいいんです。  この理由はさまざまなんですけれども、一つは学校の英語教育なんです。若いときから外国言葉英語だけという意識が頭の中に入っている。大学で英語だけではなくてほかの言葉の教育をされれば、若い日本人はそういう意味ではもうちょっと国際的になれるんではないかと思います。
  39. 千葉景子

    千葉景子君 いろいろなお話を聞かせていただきましたけれども、非常に外国語教育、その重要性ということを今お話しになられたんですけれども、さらにもう一点、やっぱり非常に日本国際化ということで変則的なのが国家意識ということでした。国家意識ということになると、これを変えていくというのは非常に難しいところがあると思うんですけれども、何かやはり日本の方から変えていこうとしない限り、なかなか外国から見れば不思議で、どうにも理解できないということになると思うので、この点について何か我々の方からこんなことを変えていったらいい、あるいは教育の中で、原則的な教育が必要だというお話でしたけれども、もう少し具体的なお話というのを何か一点でもお聞かせいただければ……。
  40. グレゴリー・クラーク

    参考人グレゴリー・クラーク君) 私、一生懸命具体的なものを出そうとしておりますけれども、もっと具体的にできないかと思って。ただ、おっしゃるとおりに、どこか心の次元で何か一つだけきっかけとして、けれども問題は、本当にほとんど日本の場合は不可能ではないかと思います。というのは、日本人の行動基準は外国理解されてないんです。だから日本人は、例えば外国人の扱いなんかに友好的にやろうとしても逆に受けとられるケースが多いんです。例えば日本人は心は親切でしょう。親切、親切。べたべた親切みたいになって、外国人はかえって嫌な感じなんです。けれども、日本人は国際的になろうと。それはもう半分以上はそういうふうに終わってしまうのです。  それで、どうしてそういうふうにやっているか。いわゆる英語でラショナリスティック、合理主義社会は、もうちょっと心の次元ではなくてこの次元でやってくれればいいのに、どうして心次元ばかりやっているか。やっぱり日本人は何かおかしいんではないか、あるいは何か陰謀をたくらんでいるんではないかと不気味な感じなんです。例えば日本人は右きき、外国人は左きき。一生懸命右手出せば出すほど向こうの方はいわゆるぎくしゃくとなるでしょう、握手すれば。右手出せば相手は左ききでしょう。できないでしょう。かえってその場合手を出さない方がいいんですよ、ある意味では。仕方がなくて右手ではなくて左手の使い方を覚えなければならない。それは簡単なものではないんですよ。一晩でできないです。  けれども、言葉を覚えればだんだんと自信を持ってもうちょっとうまくコミュニケーションができるんではないかと思いますけれども、私そういう意味では日本人の心に非常に同情しています。それで不公平だと思います。どうして日本人だけ努力しなければならないか。外国人にもうちょっと努力してもらいたいんですけれども、ただ、いわゆる左ききの人は大多数なんです。中国式でいけば左手でもいいです。インドへ行っても左手。日本人だけ違う。なぜか。日本人はおかしい。だ から仕方がなくて、日本人は国際的にやりたければ、ある程度左手の使い方を覚えなければなりません。時間がかかると思います。
  41. 長田裕二

    会長長田裕二君) 以上でクラーク参考人に対する質疑は終わりました。  クラーク参考人には、御多忙の中を御出席いただきましてまことにありがとうございました。非常に有意義なお話を承りました。ただいまお述べいただいた御意見等は今後の調査参考にさせていただきます。クラーク参考人に対しまして調査会を代表して厚くお礼を申し上げます。ありがとうございました。(拍手)     ─────────────
  42. 長田裕二

    会長長田裕二君) 次に、社団法人国際日本語普及協会専務理事西尾珪子君から意見を聴取いたします。  この際、西尾参考人一言ごあいさつを申し上げます。  本日は、御多用中のところ、本調査会に御出席をいただきましてありがとうこざいました。本日は、日本における国際化につきまして忌憚のない御意見を拝聴し、今後の調査参考にいたしたいと存じます。  議事の進め方といたしましては、まず最初に三、四十分程度御意見をお述べいただき、その後委員の質疑に対しお答えをいただく方法で進めてまいりたいと存じます。よろしくお願いいたします。  それでは、西尾参考人にお願いいたします。
  43. 西尾珪子

    参考人西尾珪子君) 御紹介いただきました西尾でございます。本日、参考人としてお招きにあずかりまして先生方の前で話をいたしますことを光栄に存じております。どうぞよろしくお願い申し上げます。  私は、国際化の問題を話します場合に、やはり私の仕事の範囲の中でできるだけ具体的なお話をいたしたいと整理をいたしてまいりました。私は、ただいま団体名をおっしゃってくださいましたが、社団法人国際日本語普及協会と申しまして、外国の方に日本語を教育する教育機関をいたしております。私自身教師でもございます。その仕事を通じまして具体的に国民生活での国際化ということを考えますときに、できるだけ限られた時間の中でお話しするために、日本で受け入れる側の立場に立って、外国の方を受け入れる場合というところにまず範囲を絞ってお話をいたしたいと存じます。  非常に大勢の外国人、ますます来日される方々の数がふえております。御承知と思いますが、法務省の入国管理統計によりますと、五年前が百五十万名ぐらいでありましたところが、昨年は二百三十万近くになっている。年間通して大体二十万から二十五万人ずつふえてきている状況でございます。ただ、一九八六年、今年度は円高の関係がございましてどういう結果が出ますかは多少不安ではございますが。  来日される外国人が近年とみにその目的が多様化されまして、いろいろな方々が来られるようになったという現状を御報告いたしたいと存じます。  日本語をその中の何割かの方が学習されるわけでございます。一体、日本に来られた外国の方がどのぐらい日本語を勉強しておられるのかということの教字と実態は私のところでつかめておりますが、その日本語を勉強している方から一応類推して御説明いたしますと、大きく分けまして大体六つぐらい、といってもこれは細分すれば十五か十六になりますが、大きなグループがあるとお考えいただいたらよろしいのではないかと思います。  第一に留学生のグループです。この留学生につきましては、中曽根総理大臣の、二十一世紀までに留学生を十万人ぐらい受け入れるように態勢を整えていこうという御提起がございますけれども、この留学生という定義に広義の解釈と狭義の解釈がございます。恐らく皆様、先生方がお考えなのは狭義の解釈、今までの留学生と申しておりました範疇のお考えではないかと思いますが、四年制の大学に勉強に来る外国の学生、これが狭義の留学生でございます。ところがこのごろは、例えば大学院に研究に来る学生もやはり留学生でございますし、短期大学で学ぶ外国の学生も留学生でございます。それから同時に、非常にこのところ盛んになりました、増加いたしましたが、各種学校、専門学校、専修学校、つまり美容師とか理容師あるいは写真技術、コンピューター、それから服飾などなど、いろいろな専門学校がございますが、この専門学校に学びに来る外国人もやはり留学生という範疇に入っております。  それからさらにもう一つ解釈を広げますと、実際に大学なり専門学校に入るためにはどうしても日本語を学ばなければなりません。日本人と肩を並べて日本人の先生の講義が聞けて、日本語の本が読めて、専門書が読めて、そして日本語でレポートが書けるというところまでの日本語が留学生の場合には要求されるわけでございますので、一年ないし一年半の予備日本語教育が必要になっております。この進学を予定する留学予備生ですね、いわば予備校のような形での日本語学校、ここで学ぶ生徒たちも非常に広義な意味での留学生、留学予備生なんですが、留学生というふうに解釈されております。こういうまず大きな留学生のグループというのがございます。  その次に一般社会人でございます。これは実務家、実際に日本仕事をしに来る人たち、このグループが次の数を占めております。これはもちろんビジネスマンと言い切ってしまえばそれまでですが、例えば外交官、ジャーナリスト、実業家あるいは会社員とか銀行員あるいは弁護士などなど実務に携わる人たち、この人たちが非常にふえてきております。日本語を学習する学習者の層でも大変な増加率を見せております。これはやはり言葉というものは、御承知のとおり国の力に準じて注目されていくと申しましょうか、これだけ日本が経済国家として世界の中で云々されております今日、やはりその国の人がどんな考えを持っているか、どういう発想であるか、どういう技術を持って会社を経営しているのか、こういうことを知るためにその人たちがしゃべっている言葉というものを通じて理解しようとする機運が高まってきているからでございまして、そのためにビジネスマン、一般の社会人の日本語学習熱が今高まってきているところでございます。このグループ。  それから技術研修生。これは特に開発途上国から日本に具体的に技術の研修に来る。反対に申しますと、日本から進出している企業の関係者が、現地の幹部を養成するために一度日本に呼んで技術を学ばせる。そのためにそれに必要な日本語の教育というのが行われているわけでございます。この技術研修生のグループ。  そしてまた、これは昔からございますが、学者、研究家、特に日本を研究しに来る、日本のあらゆる事象を研究に来る学者というグループも、少ない数でございますけれどもおります。  最後に申し上げたいグループは、特に社会現象として今起こっておりますインドシナ難民の日本への受け入れ、中国から引き揚げられる孤児の問題、そしてその家族の方たち、こういう方たち一つの時局性を持ちました社会現象としておられるわけです。  インドシナ難民は、世界各国に比べますとその受け入れの数が余りにも日本は少ないという意味でいろいろな非難を浴びますし、またある意味で国際社会として恥ずかしい思いもしているわけでございますけれども、このインドシナ難民が昭和で申しますと五十四年の閣議了解で受け入れが実際に決められまして、それからただいまのところ定住した人数が四千七百名まで行っておりますが、たった四千七百名ということを、世界を見回しましたときに「たった」という字をつけなければならないほどこれは少ないのでございますが、実態としては四千七百名が定住いたしております。このインドシナ難民、ラオス、カンボジア、ベトナムの難民の人たちが第三の定住国として日本を選び、あるいは万やむを得ず日本に踏みとどまって日本語を勉強し、そして外国人として日本生活をしております。  それから中国から引き揚げられる孤児は、厳密なことを言えば日本人だから引き揚げられるということを申しますと外国人というわけにはいかないかもしれませんが、この引き揚げられる方の家族、この方々は全部中国人でございますから、外国人として今日本は受け入れているわけでございます。  非常に大ざっぱに申しましたけれども、ただいまのいろいろなカテゴリーと申しましょうか、でおわかりのように、いろいろな目的で、いろいろな理由でいろいろな人が日本外国人として来られているわけです。そしてそれを日本側が受け入れているわけでございます。その接触の前線に私のような職業の者がおりまして、そこで実際に見たり聞いたり、実際に経験してまいりました中から、異なった文化を持つ人たちが接触したときに、国内でさまざまな問題が起こっている。そのさまざまな問題の中から本日は、日本人の国際性が問われるような事柄、そのようなケースを幾つか御紹介して、具体例としての御報告にかえたいと思っております。余りにも多角度で多様、いろいろなものがございますので、私はそのある現場報告という形をとるために、一つ日本語教育の現場から、二つ目にインドシナ難民の受け入れの現場から、三番目に留学生受け入れの現場からと分けて、できるだけ簡単にお話しいたしたいと思っております。  まず第一の日本語教育の現場からのいろいろな実例というのを申し上げますと、非常に具体的な話になりますけれども、日本人外国語というと英語だけだと思っているという傾向が非常に目立つことに私は気がつきます。例えば先ほど申しました、いろいろな目的で来日している外国人のうち、半数は英語がしゃべれません。ところが先ほどもお話にありましたように、一般の私ども日本人は、中学校の一年で初めて外国語というものが勉強の科目に入ってきたときは英語だけなんです。ですから日本人は、どうしても外国語というと英語という意識が固定してしまっているというふうに私には思えます。極端な話が、一番初めに習う外国語が中国語でありましたらば、恐らく外国語といったら中国語というイメージがわくのではないかと思いますが、ともかく外国語というと英語と思う傾向があるのではないか。  東南アジアからの留学生をたくさん教えておりますけれども、よく言われます。東南アジアの留学生は、大体東洋人同士ですから、割と顔、形、みんな私どもに似ているわけです。バスを待っていまして、バス待ちの列を組んでいて、自分たちだけでは自分たち言葉で話し合うわけですね、インドシナ語だのタイ語だの。それでほかに並んでいる日本人が、ああこの人たち外国人だなとわかる。そうすると英語で話しかけてくる。私たちはアジア人なのに、どうして日本人外国人だとわかると英語で話してくるんだ。これは非常に深刻に東南アジアの方たちのいつも怒りを込めたクレームとして私どもによく返ってくる事柄なんでございます。  そのように、ともかく実際に来日している外国人の中で、本当の欧米圏の方は別ですけれども、イギリス人、アメリカ人あるいはオーストラリアの方はもちろん英語民族でいらっしゃるんですけれども、例えばドイツ人にしてもフランス人にしても、あとスイス、どこの方にしても、本当に英語民族でない方は、英語は第三国語なんです。外国語なんです。なのに、ともかく日本人でないと思うとみんな英語が話せると思って英語で話してくるのは、中学校の義務教育でまず接触するのが英語だというようなことまでは外国の方は日本の教育システムを御存じないかもしれませんから、やはり欧米志向なのではないかというふうにとられて、アジアを考えていないのではないかというふうにアジア人の怒りの形になってはね返ってきているものと私は解釈しております。まず、英語の問題、そして、私たち国際化考えるときに、外国人、アジア人をもっともっとこれからは考えなければいけないのだということがどうしても一般には浸透していないのではないかということを感じる次第でございます。  それで、日本語のことは数限りなくございますが、次にインドシナ難民を受け入れております立場から申し上げたいと思いますが、インドシナ難民が日本に定住するということが起こりましてから、まず最初にやはり日本語を教えなければならない。それもできるだけ短期間に、できるだけ集約した、効率のいい教育をしなければならない。そこで、アジア福祉教育財団というところに各省がいろいろ人材等を派遣しておつくりになりました組織がございますが、そこから関東地区の日本語教育に関しましては私がたまたま委嘱をいただいておりまして、今までに、先ほど申しました四千七百人のうちの約二千五百人ぐらいを教えてまいりました。そしてこの体制は、日本語教育が三カ月で終わりましてから必ず日本の社会に就職させていくところまでいたすわけでございます。就職します。そうして日本の社会に全く溶け込んで入っていくわけです。そのときに、そこでどういうことが起こっているかということを多少事例を挙げて御説明したいと思います。  インドシナ三国、ベトナム、ラオス、カンボジアはもちろん東南アジアに位置しておりますが、いろいろな意味で、文明的にも文化的にも日本と違います。同じ東洋人同士ではありましても、やはりいろいろなところで、生活様式はもちろんのこと、社会慣習から、それから価値観まで非常に違います。そしてその方たちを、ただ非常に日本人の善意のあらわれているところでございますけれども、もちろん労働力という問題もありますけれども、非常に規模の小さい企業の方々が受け入れてくださって、一〇〇%就職できております。  ただ、昨年末から円高の影響が出まして、非常に小さい企業はこれを食らっておりますために、求人難が初めて起こり出しておりますけれども、その求人は今までは絶えることがございませんで、一〇〇%就職できました。ところが、就職した後でまた異なる文化の接触の場でのさまざまな問題が起こりまして、残念ながら離職も結構率が高うございます。そして、離職した人にまた再就職、再々就職ということを国で世話しているわけでございますけれども、どんなことが起こるか。  例えば保険制度、給与の制度、いろいろな雇用制度が違います。例えば私のところに、どうしてもあの会社やめるといって泣き込んできたある難民が言いました。先生、先月、実は僕は病気にかからなかった。お医者様に一度も行かなかった。それなのに社長さんは健康保険料を返してくれない。こういうことがもう本当に日常茶飯事でございます。例えば、これは大したことではないかもしれませんけれども、かわいい、かわいいといって子供の頭をなでてやった人がいました、日本人で。ところが、これは私どもも知りませんでしたけれども、頭の上に手を置くというのは最高の侮辱なんですね、カンボジアあたりの文化からいいますと。頭の上に手を置いたといって大げんかが起こりました。こういう違いを知らないところから来る誤解と申しましょうか、問題、そのために随分難民の人たちは苦労しておりますし、また雇用してくださった雇用主の方たちも苦労しておられます。  ただ、私は雇用主懇談会というのに七年間出続けてまいりましたけれども、私がいつも首を傾ける御発言が雇用主の方たちからあるんです。それは難民の人たちが一刻も早く日本人になってほしいのに、なかなか日本人になってくれないというお言葉なんです。さっきもクラーク先生のアイデンティティーのお話が出ておりましたけれども、私の考えではベトナム人はあくまでベトナム人であっていいんですし、カンボジア人はあくまでカンボジア人であり、ラオス人はラオス人であり、日本人日本人で、よそに行っても、ドイツに赴任してもドイツ人になろうとは思いませんでしょう。そこで融合して暮らそうと思うだけです、日本人です。というように、先ほどの国家意識と申しましょうか、帰属意識と申しましょうか、そのアイデンティティーというものに対する尊重とい うことが余り見えないというところに私は問題を感じる次第でございます。一刻も早く日本人になれ、これは無理な話なんです。それがやはりベトナム人の、ラオス人の、カンボジア人の心を傷つけているわけです。どうして僕がベトナム人であっちゃいけないのか、違う民族がどうして一緒に共存しようと日本人は思わないで、日本人になれ、同一化しようとするのかと。ここら辺に私は日本人国際化というところの非常に困難な点が一つあるのではないかと思います。  日本は、先ほどからお話に出ておりましたけれども、島国という立地条件の中で、線引きで国境が隣り合わせにないというような立地条件、地理的な条件の問題、それから歴史的にも、当然二千年前から中国及び朝鮮半島から渡ってきた人たち、帰化人という外国人一緒に接触する非常に国際的な場面が古代にあったわけです。しかし、その後のいろいろな歴史的な状況を考えてみますと、やはり違った文化の人、違った民族、違った言語と常に同居するという歴史的な習慣がなかった国だと思います。そのために、その習慣がなかったものが、国際化という一つの今の流れ、運動と申しましょうか、その中で突然いろいろな現象が起こってきた。  先ほど時局的社会現象だと申しましたけれども、インドシナ難民のことでも中国からの引き揚げのことでも時局的な問題だと思います。それに端を発したと思いますが、そういう現象が起こってきたときに日本人はなれていないわけです。  単一民族という言葉は使ってはいけないと思いますが、比較的一つの同胞意識というものがあって、それこそ腹と腹で話すとか行間を読むというような言葉があるように、同一意識という共通観念がございます。それと同時に、言葉も北海道の一番北のところから沖縄の一番南まで全部日本語で通用しているわけでございます。特に情報、教育の徹底ということから共通語というものでみんな話せるわけです。こういう国は珍しいわけなんですね。そういう単一的な民族であり、国家の形態であるというところに外国の違う者と接触したときにどう考えていいのかわからない戸惑いみたいなものを、難民を雇用してくださるような本当に庶民的な方たちを見ておりますと、そこここに発見するわけでございます。  留学生の場合を最後に申し上げますが、留学生の場合には、やはり先ほどもお話が出ておりましたホームステーが随分盛んになりまして、特に外国人が今非常に地方に拡散していっている時代でございますので、いろいろな地方でも外国人の受け入れが盛んでございます。そのときに、ホームステーでよく御相談を受けるんですが、実はホームステーというのはありのままの日本人生活の中に留学生を置いてあげることだと思うんですが、大変なお客様扱いをしている方たちが多いということなんです。ある家族がぜひホームステーをしたいといって申し出られて、半年間の留学生をお願いしたことがあります。四カ月目ぐらいにもうくたくたになったと言って駆け込んでこられたんです。どういうことだったとお思いになりますか。毎日、すき焼きか、お刺身か、おすしか、てんぷらか、順繰りにお客様料理を出していっていたんですね、その御家族は。経済的にもそれでは大変ですし、大体神経が疲れてしまいます。  そうではないんですね。外国の方が日本を知りたいというのは、もうただ赤裸々というか、ふだんのままの日本を知りたいからなんです。ホームステーを望む方は皆さんそういう学生さんたちです。それなのに、何かお客様扱いをされた。せっかく畳が敷いてあってその上で布団を敷いて寝るんだと思ったら、すっかり張りかえてじゅうたんを敷き詰めてベッドを置いて、わざわざ新しいベッドが買ってあった。これではホームステーの意味は全くないわけです。そして、あげくの果てが子供の受験の英語の先生にさせられたということで、日本語を勉強しているのにどうして御家族が日本語で話してくれないんだろう、すぐ英語で話してくださるのは、それはサービスのつもりかもしれないけれども、自分はアジア人だというさっきの問題がまた出てくるんですけれども。本当に日本人がありのままの姿で、生活で受け入れてくださるということが本当のホームステーだと考えますときに、まだまだ日本人に正確なホームステーの定義というものが普及していないのではないかと、残念ながら思う次第でございます。  それで、いろいろな例がそれぞれの分野でございますが、結論と申しましょうか、申し上げますと、要するに、異なる文化、異なる民族、異なる言語、異なる価値観が共存していくときに、日本人はこれからどう考えていったらいいかということなんでございます。  少し、また例を出させていただきますけれども、例えば気候のことでも、日本語を教えておりますと常にこういうことはテキストに使えるか使えないかで問題になります。四季、四つのシーズンです。四季ということがわかるという民族はそんなに多くはございません。例えば亜熱帯の辺の方たちは寒さ暑さの変化ということになれないわけです。例えば難民の場合もそうなんですけれども、寒い、では三枚重ね着していらっしゃいと言いましたらば裸にオーバーを三枚羽織って出てきました。これをとがめることはできないんです、笑うことはできないんです。が、日本人は笑うんです。非常に気の毒なんです。一枚の洋服があれば今まで一生暮らしていた人が急に寒いという経験をして、そして三枚か四枚洋服を重ねて着ていらっしゃいと言われたときにどう着ていいかわからない。そういうことに対して違いということを発見して日本人は戸惑うわけです。違いがあるのは当たり前だという感覚を私たちは持たなければいけないのではないかと思います。  住居でもそうです。おふろに入るということは大変な苦痛なんです、留学生にとって。アジアではシャワーで、あるいはおふろでも個室のおふろで。銭湯に行けばいいといいましても、みんなの前で全部衣類を脱ぐということは全く経験したこともないし、大変な恥ずかしいことなんです。そういう思いをして日本に溶け込もうと生活している留学生たちということも、その立場に立って私たち考えてあげなければならないことがたくさんあると思うんです。  要するに、違いがあるということに対して日本人は認識が少な過ぎはしないだろうか。例えば先ほどの日本人になれと言った社長さんの話も出しましたように、どうしても立地条件、地理的な環境、歴史的な環境からいって、同一のものばかりの中で暮らしてきた私たちは、同じ日本人、みんなが同じ大きな物差しを持っているような気がいたします。違う物差しを持っている人たちがいるということ自体からもっと学習していかなければいけないのではないかと思うんです。何でも自分の物差しではかって、ああ違うぞ違うぞと笑い、あるいは違うぞといって違和感を感じるというのではなくて、あなたにもあなたの物差しがあるでしょう、自分にも自分の物差しがあるように、そちらにもそちらの物差しがあるんだということを考えていくというところが、私は日本人の今、国際化の一番の第一歩ではないかと思う次第でございます。  御清聴ありがとうございました。(拍手)
  44. 長田裕二

    会長長田裕二君) まことに興味のあるお話をありがとうございました。  以上で西尾参考人からの意見聴取は終わりました。  これより参考人に対する質疑を行います。  質疑のある方は会長の許可を得て順次御発言を願います。
  45. 千葉景子

    千葉景子君 大変貴重なお話を伺いましてありがとうございました。  今最後に、お互いに違いがあるということをやはり認識し合う、そういうことが非常にまだまだ乏しいんではないかというお話だったんですね。これは今は外国人に対して、外国の文化、あるいは異なる価値観に対して共通の問題ではないか。そうなると、今のこの国際化という問題ばかりでなくて、国内問題としても同じような問題が今存在しているんじゃないかと思うんですね。例えば、 学校の中でも異なった性格を持ったりする子供を排除をしていくとか、あるいは職場などの中でもちょっと変わった言動をすると排除をしていくというような、そういう意味では日本国際化という問題も、まず身の回りの生活の中からそういう価値観の違いをお互いに認め合っていく、そういうものを身につけていかなきゃいけないんじゃないだろうかとちょっと感ずるところがあるんですけれども、その辺御意見ございましたらお願いいたします。
  46. 西尾珪子

    参考人西尾珪子君) 先生のおっしゃるとおりでございます。私は外国方々日本のことをお教えするということを専門にしておりながら、結局教えるのは日本語でございます。日本語によるコミュニケーションということを考えましたときに、突き詰めて考えますと、いつも戻っていくところは日本人家庭教育、あるいは教育問題のところに戻ります。  例えば今の価値観の、人には人の物差しがある。もちろん間違った物差し、家庭のしつけの場合には物差しが間違っているのを是正するというようなことも当然ございますが、世代間のコミュニケーションがとれなくなってきていると言われております現代、やはりその世代にはその世代の比較的普遍的な物差しがあったはずであり、そして今の新人類にしても、あるいは子供たちにしても、子供たちには子供たちの物差しという、ゼネレーションの物差しというものがまずあると思います。と同時に、個性的な、縦割りの個人の物差しというのがそれぞれあると思います。そこのところの認識があれば、いわゆる家庭内のいろいろな問題あるいは教育の問題にしても人と人とのコミュニケーションの破壊というところに結びつかない。それがさらにコミュニケーションを円滑にする一番のキーワードではないかと私は思っております。
  47. 井上吉夫

    井上吉夫君 お話を聞きまして大変参考になりましたが、ただ、例えばカンボジアの人たちであるとか、いろんな国の人たちと非常に習慣が違うために、さっき事例としておっしゃいました、頭をなでられるということは日本人から見ればかわいいかわいいのつもりが、向こうにとっては大変な侮辱だ、ところが、ついつい何の気なしにこうやっちゃったと。外国からおいでになった方々のその習慣をみんながみんな知っているわけはないんで、絶えずはらはらしているという対人関係もどうかなと、そういう間違って、ついつい向こうの誇りを傷つけたり、いろんな場合に、実は我が国の習慣はこういうことでということを伝え合う何かがないと、いつもその気遣いばかりということになるんではないかなと思うし、また外国からおいでになった方々もああそういうことだったのかと、しかし我が国の習慣はこういうことなんでということを知り合うという相互の関係も大変大事ではないかなというぐあいに思うんですが、何かそういうときの接し方、あるいはそういうものを溶け合わせるというためにはどうすればいいのかな、間違ったままどこかお互いに根に持ったままというのもつまらぬ話だなと思うのでお伺いしたいと思うんですが。
  48. 西尾珪子

    参考人西尾珪子君) お答えいたします。  確かにもちろんそのような気遣いをしてばかりおりましたらばとてもおつき合いできないわけでございます。私どもは言葉を教えますが、当然言葉は文化の産物でございます。言葉の裏にあるすべての事柄を全部含めてお教えするわけです。ですからもちろん頭をなでられて怒ったというのは、一つの違いをただ端的に先ほど御説明したかったことであって、その人たち日本に住むんですから、日本ではこういうふうにかわいいというときには頭をなでるんだから、あなたたちの感覚からは非常にそれが失礼と思えても、日本人の善意、好意で日本人はこういうときにこういうふうに頭をなでるのだということも全部教えてまいります。その方がどこに住み、どういう事柄に遭遇するであろうか、どういう場面に遭遇するであろうかということを全部予測いたしまして、そしてテキストがつくってありますし、生活指導をやはり行うようにいたしておりますので、日本に住もうとしていらっしゃる、もちろん難民ばかりではございません、留学生にしても、いろいろな外国人、一般社会人の方々にもこういうふうだということは絶えずお教えして、そしてそこに融合を図っていくわけでございます。  ただ、先ほど私が危険だといって申し上げましたのは、何でも日本人になれという、同一化せよというような角度で働きかけるのはいけないことではないかと申しましたまでで、それはやはりできるだけ勉強していただいて、そして円滑に日本での生活を送っていただけるように御指導するわけでございます。
  49. 井上吉夫

    井上吉夫君 ありがとうございました。
  50. 矢原秀男

    矢原秀男君 実は国際化の問題の中で、難民の受け入れが日本は四千七百名で外国から非常に非難を受ける一つの条件である。逆に、私たち外国へ行ってみますと、日本の国土の狭さですね、住む範囲の。もうこれで非常に寂しくなる。それから二番目には豊かには見えるけれども、国民生活の平均度というものは非常に根がないんですね、日本は。一たん病気になればもうたちまち貧乏になっていく。こういうふうないろんなものがございますけれども、そういうことを含めた中で、難民の受け入れというものは日本状態から見たときにどこまでやるべきであるかというようなことがございましたらお教えいただきたい。
  51. 西尾珪子

    参考人西尾珪子君) 私がお答えする立場かどうかはわかりませんが、私見として述べさしていただきます。  アメリカならば何十万人、オーストラリアでも十何万、フランスで五万、六万、ノルウェーでも何万という中で、日本は一万という数字が受け入れの目標と申しましょうか、出ております。日本は先ほど申しましたような単一社会のような形態を形づくっておりますと、やはり内外というふうに外国人を見てしまう。そして先ほどの話のような外人と呼ばないまでも、外国の方、外国の方と。そして外国人一緒に働いた経験も少のうございます。ともかく受け入れのあらゆる習慣、経験というものが、例えばアメリカのようないろいろな国からいろいろな民族が来てでき上がっている国、オーストラリアのようなもともとの原住民はもう小さくなってしまって、ほとんど全部外から行った人たちで国家そのものが成り立っているというような状況と比べますと、全く日本状態が違います。  そして、受け入れももう一万というところがやっとであった意味合いは、いかに日本社会の中に外国人を受け入れてやっていく態勢ができ上がっていないかということ、それからあるいは国民の心理としても心情的にもそこまで開放されていないと申しましょうか、ということのあらわれだと思います、実際問題として数字が少ないのは。そして、実際に国土の狭さとか人口が過密とかいろいろなことがございますけれども、でもその中でも、もう少し社会的な閉鎖性というものがなければ、あるいはもう少し愉快に過ごしてもらえる土壌が築けるのではないかと思いますが、なかなかこれは日がたたなければならない。  ただ、例えば企業が外国へ進出されますね。そして、そこに日本人の社員が赴任して、海外へ行っていろいろ海外の事情を知って帰ってこられる、あるいは外国のビジネスマンたち日本に来て、いわゆるホワイトカラーの方たちがお互いに見たり聞いたりしながら交流していくというのでなくて、甚だ零細な企業の、例えば五人、六人のような単位の事業所がこのような具体的な国際体験というんでしょうか、しているということは、たとえ四千七百名だったとしても大変今日的に貴重なものではないかと思うんです。確かに世界的に言えば少ない少ないと非難を浴びますけれども、ただ日本としては日本の事情の許す限りにおいて非常にいいゾーンがと申しましょうか、が国際体験を身をもって行えている。  こういうところから、一人一人の本当に庶民の、一般の日本人が体験して外国人を受け入れるということができたということで、中国からの引 き揚げの問題も含めまして、やはりその辺のまだ第一歩を踏み出した時代なのではないかと思いますので、多く受け入れるという数で評価をすべてすることは危険ではないかと思っております。  お答えになりますかどうか。
  52. 三治重信

    三治重信君 民社党の三治と申しますが、西尾さん、まあ社団法人になっているんですが、国内で、おたくのようなこういう公益法人で日本語を教えているような機関とかそういうものはたくさんあるんですか。あるいはおたくが専売特許みたいにやっておられるのか。  それからもう一つは、大変重要な国際化をやっていくために日本語を教え、日本語を教える中で日本の慣習、外国人との違いというものを語学を通じて教えるのが一番いいことだと思うんですが、いま一つは、日本に来た人だけをやるんじゃなくて、日本に来る前に外国でこういうことをやったらどうかと思うんですが、そういうような機関とか、そういうようなことをやるにはどうしたらいいかというようなことについて御意見があったら。
  53. 西尾珪子

    参考人西尾珪子君) 私は今日、国内の場合だけをお話しいたしましたが、現在海外で日本語を学んでいる人は中国を除きまして約五十万人という数字が、四十八万何々というのが出ております。なぜ中国を外してと申しましたかと申しますと、中国では例えばラジオ放送で日本語講座を行います。今既にいたしておりますが、そうすると、将来の自分にメリットがあるからということばかりでなくても日本語を勉強する人が非常に多くございまして、何十万というテキストが一日ではけてしまうというぐらい学習熱が高まっております。これは日本語だけではないんです。これは誤解のもとになりますので御説明いたしますが、決して日本語だけに目を向けているのではございません。英語も、ほかのドイツ語とかいろいろな言語に非常に熱心に今学習しております。  それで、日本語を学習している人が中国の、重点大学とよく申しますが、主な大学にはほとんど日本語料がございますし、それから高校でも多少今教え出されておりますし、あるいは町の日本語塾のようなものはもう大繁盛、繁盛というか、あちらは資本主義ではございませんから、大変な人気でございます。まあ恐らく二百万か三百万、それこそ白髪三千丈ということが大げさな例に言われますけれども、本当に何百万かの人、ラジオ講座を何人聞いているかというのはなかなか数字がわかりませんけれども、二、三百万人の人は学習しているだろうというけた違いの地域がございます。  それ以外に、それぞれの大陸によりまして目的が違いますけれども、日本語を教育している機関がふえております。そこに日本からどのようにして専門家が派遣されているかと申しますと、ただいまのところは国際交流基金が専門家を送る窓口になっておりまして、大学機関とか、あるいは大使館の広報部等に専門家を派遣しております。そのほかには特別の個々のケースでの契約で送っているところがございまして、例えば私どもの国際日本語普及協会は、国際交流基金が専門家を国費派遣するときの幾つかの母体の一つでございますし、私ども自身が、例えば中国の何々大学と直接契約で専門家を送るというようなこともいたしておりますが、まあ例えて申しましたけれども、その程度なんでございます。  例えば、これで非常に御理解していただきやすいこととしては、ドイツのゲーテ・インスティチュートというのがございますね、あるいはフランスのフランコジャポネ。例えば、言語、文化、教育及び普及のために外地にそういう出先機関というか、教育機関をその国の国費でつくりまして普及していく。言語だけではございませんけれども、言語は非常に大きなウエートを占めておりますが、いろいろな文化交流の出先機関として置いていく。こういうことが、私の口からではあくまで私見でございますけれども、日本は非常におくれていると思います。しかるべき大陸なり国に当然日本というものが紹介されるセンターのようなものが、イタリーとか少しございますけれども、そういうものが地域地域にあって、そこに行けば日本のことはすべて資料がそろっているとか、言語もそこで勉強できるとか、あるいは日本についての情報がそこから得られるというようなものが置かれれば、先ほどおっしゃいましたように、日本に来てから慌てるのでなくて、いわゆる水際と申しますか、そこへ来るまでに既に日本に対する学習というものが十分に行われていくのではないかと、一つの理想像でございますけれども、私は考えます。ただいまのところ日本のその点の予算の配分というようなことも非常に少のうございまして、やはり文化輸出と申しますか、文化交流にかける国家的な志向というのがこの辺に端的に出ているような気がいたします。
  54. 三治重信

    三治重信君 ありがとうございました。
  55. 吉川春子

    吉川春子君 西尾参考人、きょうはありがとうございます。共産党の吉川でございます。一問お伺いいたします。  先ほども実はお話が出たんですが、総理の知的水準発言についてアメリカ等海外で大変問題になったときに、海外での反響の内容について日本のある新聞は次のように報じました。悪いのは中曽根総理一人ではない、日本人はみんなこうした偏見を持っているという印象が広まりつつある。今違いがわからない日本人という例をお話しなさいましたけれども、そういうこととの関係で今回の総理発言について西尾参考人はどういうふうに受けとめられたでしょうか。国際的なお仕事をしていらっしゃるわけですから、いろんな反響を経験されたのではないかと思うんですが、特にアジアの人たちがどういう反応を示したか、そのことについてもお聞かせいただけたらと思います。
  56. 西尾珪子

    参考人西尾珪子君) 今回のと申しましょうか、中曽根総理の御発言に対する反響を具体的に東南アジアの人たちから言葉としては聞いてはおりませんが、そのチャンスはたまたまございませんでした。が、例えば人種差別のような問題でございますね、このような問題は、それぞれの個々の中にどのようにあるかという問題では、あるかもしれませんけれども、外国人と実際に接触する場合に、私は幸いなことに私のような仕事をしております仲間の中ではみじんも発見したことはございません。いわゆる韓国人その他という問題がございますが、こういうことも今の若いゼネレーションで、特に知らないで過ごしていくかもしれない若い人たちに改めて意識を植えるような発言がよく新聞等にあるような気がいたしまして、私はそれは非常に残念に思っております。  東南アジアの場合、先ほどの日本人の欧米志向ということに対するべっ視ということではございませんで、欧米志向という事柄に対する不快感というものをアジアは確実に持っているというふうに私は感じます。アジアの人たちは別に顔色にも出さず言葉にも出しませんけれども、例えば日本人外人だと見ると英語でしゃべってくるというような姿勢の中にもう赤裸々に読み取っておりまして、それに対して、たまにはまともな集結した声のようなもので、どうして日本人はアジアをもっと身近に考え直さないのかと、どうしてアジアに向いてくれないのかということは留学生等から出ております。が、知的水準云々というようなことについて特別に今回具体的な反応はもらえませんでした。
  57. 平野清

    平野清君 きょうは本当にありがとうございます。  具体的なことを聞きたいんですが、ホームステーやなんかでだんだん留学生を短期に受け入れる方がふえてまいりました。特に、ロータリークラブとかライオンズクラブとか、そういうところで一年間ぐらいお預かりする。ただ、そういうところがふえましても受け入れる高校ですか、高等学校の方が極めて少なくて、せっかくのこういう交換学生が非常に困っているということをお聞きするんですが、公立高校なんかではそういうことをやっているところはないんでしょうか。  それからもう一つ、短期留学生が仮に一年間来ますと、二年でしたら一年間留年になってしまう わけですね、相互に。せっかく外国のことを知ろうと思って一年間行きたいと思っている。それから日本に来ようと思っても一年間留年になってしまう、極めて残念である。一年分ぐらいは自分たちで取り戻せるのに、どうしてそういう制度で留年さしてしまうのかというようなことを聞くんですが、何かそういうことでお気づきの点がありましたらお伺いいたします。
  58. 西尾珪子

    参考人西尾珪子君) その留年というのは、こちらから御質問して申しわけございませんが、日本語を勉強するための留年というふうに……
  59. 平野清

    平野清君 何か両方の交換条件だそうですがね。
  60. 西尾珪子

    参考人西尾珪子君) ああ、そうでございますか。ちょっと私はその点詳しくございませんで、明確なお答えができなくて申しわけございません。  公立高校でも受け入れているところは随分ございますし、私立高校でもございますが、それぞれの学校の考え、あるいはそれよりも県の教育委員会の判断というのが留学生を受け入れる場合に非常に多うございますね。特に高校、中学、あるいは小学校の場合に、県の教育委員会と私はいつもお話をし合いながら、それぞれの対応でそれぞれの学校に入学あるいは編入していくようにいたしております。
  61. 長田裕二

    会長長田裕二君) 以上で西尾参考人に対する質疑は終わりました。  西尾参考人には、お忙しい中を御出席いただきましてまことにありがとうございました。非常に有意義なお話を承りました。ただいまお述べいただいた御意見等は今後の調査参考にさせていただきます。西尾参考人に対しまして調査会を代表して厚くお礼を申し上げます。ありがとうございました。(拍手)     ─────────────
  62. 長田裕二

    会長長田裕二君) 次に、参考人出席要求に関する件についてお諮りいたします。  国民生活に関する調査のため、参考人出席を求め、その意見を聴取することに御異議ございませんか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  63. 長田裕二

    会長長田裕二君) 御異議ないと認めます。  なお、その日時及び人選等につきましては、これを会長に御一任願いたいと存じますが、御異議ございませんか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  64. 長田裕二

    会長長田裕二君) 御異議ないと認め、さよう決定いたします。  本日はこれにて散会いたします。    午後四時二十四分散会