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1986-11-21 第107回国会 参議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 第3号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和六十一年十一月二十一日(金曜日)    午前十時開会     ─────────────    委員異動  十月十七日     辞任         補欠選任      関  嘉彦君     井上  計君  十月十八日     辞任         補欠選任      永田 良雄君     大鷹 淑子君      守住 有信君     岡田  広君      吉川 芳男君     高木 正明君     ─────────────   出席者は左のとおり。     委員長         矢野俊比古君     理 事                 大城 眞順君                 北  修二君                 中村  哲君                 及川 順郎君                 市川 正一君     委 員                 板垣  正君                 岩本 政光君                 大浜 方栄君                 岡田  広君                 志村 愛子君                 鈴木 和美君                 井上  計君                 木本平八郎君    国務大臣        外 務 大 臣 倉成  正君        国 務 大 臣        (沖縄開発庁長        官)      綿貫 民輔君    政府委員        総務庁北方対策        本部審議官   船津 好明君        北海道開発庁総        務監理官    西原  巧君        沖縄開発庁総務        局長      小谷 宏三君        沖縄開発庁振興        局長      塚越 則男君        外務大臣官房審        議官      渡辺  允君        外務省欧亜局長 西山 健彦君        外務省条約局長 小和田 恒君    事務局側        第一特別調査室        長       荻本 雄三君    説明員        総務庁行政監察        局監察官    加藤 武久君        防衛施設庁施設        部連絡調整官  芥川 哲士君        厚生省援護局庶        務課長     大西 孝夫君        運輸省航空局飛        行場部計画課長 堀井 修身君     ─────────────   本日の会議に付した案件 ○沖縄及び北方問題に関しての対策樹立に関する調査  (ゴルバチョフ書記長訪日問題に関する件)  (北方領土問題に関する件)  (北方領土隣接地域振興等に関する件)  (北海道総合開発計画に関する件)  (沖縄振興開発計画等に関する件)  (沖縄国体に関する件)  (沖縄における遺骨収集に関する件)  (嘉手納飛行場問題に関する件)     ─────────────
  2. 矢野俊比古

    委員長矢野俊比古君) ただいまから沖縄及び北方問題に関する特別委員会を開会いたします。  まず、委員異動について御報告いたします。  去る十月十七日、関嘉彦君が委員辞任され、その補欠として井上計君が選任されました。     ─────────────
  3. 矢野俊比古

    委員長矢野俊比古君) 沖縄及び北方問題に関しての対策樹立に関する調査を議題とし、質疑を行います。  質疑のある方は順次御発言を願います。
  4. 中村哲

    中村哲君 理事者ということもありまして、最初発言をさしていただきます。  新聞等で御承知のように、日ソ関係は問題を含みながら非常に緩和するような、また私どもが見ると理解をしようという動きのように見えるのでありまして、さきに中曽根内閣外務大臣でありました安倍さんがいろいろ交渉されておられて、その後倉成外相になりましてから今回こういう問題をお聞きするのは初めてでありますが、外相は特に日ソ関係の経済的な面での、また文化的な面ももちろんありますけれども、特に経済関係交流を促進されるように期待しているんでありますけれども、その点どうでありましょうか。
  5. 倉成正

    国務大臣倉成正君) ただいま先生から日ソ関係についての経済問題を中心お話がございましたけれども、ちょっと初めてでございますから、基本的な考え方を申させていただきたいと思います。  御案内のとおり、日本ソビエトは移転のできない隣国でございまして、両国の間で友好関係を保っていくということは、アジアにとってのみならず世界の人類にとっても非常に大切なことであるということで、日ソ関係は大変大事なことと認識しておるわけでございます。最近は特にいろいろ文化の面、超一流芸術家等来日したり、あるいは北方の墓参が実現しておる、そういう面は私ども大変喜ばしいことだと思っております。同時に、経済的にもいろいろ日本の開発協力すべき問題があろうかという点も認識しておる次第でございます。  ただ、基本的に私ども考えておかなきゃならないのは、戦後四十年を経ました今日、日ソの間に平和条約がないということは、やはりこれは異常な状態ではなかろうか。専門の先生に申し上げるまでもないわけでございますけれども平和条約の基本的な要件の第一に、戦争の終結、賠償、領土の問題、そのほかの問題もございますけれども、この三つが一番基本的な問題で、最初の二つは片づいておりますけれども、第三の領土問題、いわゆる北方領土の問題、特に先般も本委員会において全員一致で御決議を賜りました北方領土返還の問題、このいわゆる領土問題を解決するということがやはり最大の日ソ間の懸案ではなかろうか。  したがって、この問題について十分な話し合いが行われるということが前提として初めて日ソの経済問題についても長期的な、安定的な関係が生じ得る、そういう認識に立っておりまして、そういう角度で、そういう考え方に立ってゴルバチョフ書記長来日を御要請しているというのが私ども立場でございます。
  6. 中村哲

    中村哲君 今の外相お話平和条約締結されてないのでこの締結に努力したい、こういうことでありますが、これは当然のことであります。  ところが、そう言われる口先からというのは失礼かもしれませんけれども領土問題と結びつけておられるのですけれども、我々がこうして領土問題について超党派的に提言しておりますのは、これは平和条約締結をするためにこれを先にや れというようなことを真正面から言っている、そういう考えもありますけれども、それはいろいろ政党を超えて超党派的に言っているだけに、この提言は具体的には平和条約締結するためにこれはやれ、こう言っているわけでは必ずしもない。なぜかと言うと、それは望ましいんですけれども平和条約締結に支障となっているのは領土問題だということは御承知のとおりだと思うんです。  それで、やはりこういう戦後の大きな問題については、新外相でもあり、慎重に、それから入念にこれを促進するようにされないと、何か領土問題と密接不可分で、せっかく両国、殊にソビエトの方でも経済交流をやろうと言っているときに、それだけを推すというのは、我々が知るところでは一種の教条主義のような感じがする。大体倉成外相というのは、ちょっと教条主義のような感じがするんですが、その点はいかがですか。
  7. 倉成正

    国務大臣倉成正君) 中村先生の御意見は、御意見としてごちょうだいいたしますけれども、やはり基本的な日ソ関係の長期安定的な状態をつくり出すためには、そして本当に友好関係をつくり出すためには、領土問題の解決なくしては長期安定的な関係はあり得ない。したがって、政経分離はとらないという立場を私どもはとっておるわけでございます。  もちろん経済問題について、いろいろな点について御協力をしたり、あるいはお話をし合ったり、既に先ほど申しましたように文化面等についていろいろなすばらしい、よいものはよいわけですから、そういう超一流芸術家が来れば我々も喜んで迎えるというようなことでございますけれども、しかし、やはり経済問題を一方でどんどん進めていって、最後の出口で領土を片づけたらいいじゃないかというような議論も一部にはございますけれども、私どもはそういう立場をとっていない。残念ながら政経不可分の原則をとっておるというのが政府立場でございます。
  8. 中村哲

    中村哲君 外相のお言葉ですけれども、この委員会領土問題について超党派的に結論を出そうということになりましたのは、倉成外相アメリカにおられて、現地からの要請もあって、これはなるべく早くやろうというので我々委員会の一員としてまとめたんですけれども、そのときにもう政経分離という考え方を持っておられてこういうことを言ってこられたんだと思いますが、その点どうですか。
  9. 倉成正

    国務大臣倉成正君) 本件の決議につきましては、院の御意思として御決議を賜りましたわけでございますから、その背景なり全体のお考えなりということについては、私が論評したり、あるいは意見を申し述べる立場でございませんけれども、いずれにしましても、領土問題を解決するということが国民悲願である、そしてこの問題の解決なくしてはやはり安定的な長期の日ソ関係はあり得ない、私はそういう考え方に立っておるわけでございます。
  10. 中村哲

    中村哲君 そういう考え方は、中曽根第三次内閣に入られる前から従来そういうふうなお考えだったんですか。私が感ずるのは、中曽根内閣外務大臣としてアメリカに行かれて、その出先でこの領土問題の結論をまずきちんとやってほしいというような要請があったかのように感ずるほどの政治環境がありまして、こういう結論を我々急いだのであります。その点どうですか。
  11. 倉成正

    国務大臣倉成正君) 私、ことしの七月、外務大臣に就任いたしまして、八月早々、御案内のとおりソビエトソロビヨフ日大使外務省に招致をいたしまして、そしてゴルバチョフ書記長の御来日要請したわけでございます。その際に、ソ連最高首脳日本を訪れられるということは、これは画期的なことであり、また初めてのことでもある。これを実りのあるものにして、日ソ両国の間で確固たる友好関係を築くというためには、我々の多年の悲願である領土問題、このことについてやはりしっかりした私ども立場先方にも申し上げて、これについての前進があるということが、両国関係の長期安定的な経済関係その他の問題について大きな収穫があるんじゃなかろうか。そういうことをソロビヨフ大使にも申しましたし、終始一貫してそういう立場をとっておるわけでございます。  ニューヨークでシェワルナゼ外相と会談した際にも申し上げております。またカピッツァ次官日本に参りました際にも、そのことは申し上げておるわけでございます。
  12. 中村哲

    中村哲君 しつこいようですけれども、私は国会に出てまいりまして、外務委員会に二回ほど出まして、安倍外相の見解を聞いたことがあるんです。それから新聞等、外国の新聞等を見ていても、シュルツ安倍さんの関係は非常に柔軟というか、やはり努力を重ねようという感じがした。しかし、それに対してレーガン・中曽根さんの線はどうも強い表現を先にする。少なくとも表現の程度で後引っ込めますからね、引っ込めるんだから態度が強いというんじゃなくて、最初言葉が強過ぎるというのかしらぬけれども、殊に中曽根さんの場合そうですが、そういうことから言うと、倉成外相中曽根さんの表現には近いけれども、せっかく安倍外相が積み上げてきたような、それからまた、最近もシュルツさんがイランの問題なんかで柔軟に努力し、殊にフィリピンの政変なんかの発言についてもシュルツさんの実際の陰の力があると私は評価しているんですが、何かそういう点が中曽根式ではないかと思って、その点だけちょっと所感を述べたわけです。
  13. 倉成正

    国務大臣倉成正君) 中村先生からいろいろ御教示を賜りました。私の至らない点はあろうかと思いますけれどもシェワルナゼ外相と私との会談は極めて友好的なものでございましたし、その後も機会あるごとにシェワルナゼ外相から私によろしくという御伝言があるわけでございまして、私はやっぱり率直な意見交換ということが必要じゃないかと思います。私は最後シェワルナゼさんと別れるときに申しました。あなたはソビエト外務大臣、したがって、ソビエト連邦利益を代表して御意見をおっしゃるでしょう、私は日本外務大臣日本国民の、そして日本の国の利益を代表して申し上げておる日本国外務大臣です、意見相違はあるかもしれない、しかし、率直な話し合いということが必要ですということを申しまして、シェワルナゼさんもそれには同意していただいたわけでございます。  したがって、私は率直な意見を言うことが必要であって、それが何か柔軟性を欠くということとすぐ結びつけていただくと、いささか私の真意と違うのじゃないかと思いますし、また日本外交方針安倍外務大臣とは私、同期生ということもございますし、またいろんな意味外交問題についての意見承知しております。したがって、いささかの相違もない。しかし、人間でございますから、表現の仕方なりあるいはやり方なりあるかもしれませんが、基本的な日本外交方向方針というのはいささかも相違はないというふうに確信をしております。
  14. 中村哲

    中村哲君 ついでに小さなことを申しますけれども、相手の外交官あるいは国の代表とお会いになるときに、にこにこしていたとか、それからよく話をしたとかいうことは、これは単なる社交的なものでありまして、外交というのはそういう中で線を通すことで、しかもその線というのが強い線というよりは、個々の実際の手を打つことによってそれが既成事実となって困難な問題も打開する、こういうふうなことで領土問題というような長年の問題も解決する方向でやられないと、何か事があるごとに領土問題、こうなると、少なくともソ連との関係では硬直するんじゃないか。これは一言申すだけです。  それでは、本論に入るんですけれども北方領土の問題については、私の属しています政党として、寺田参議院議員外務委員会で細かくこれまた戦後の法的交渉の経過をずっと追及してこられた。これは寺田さんの考えもあるものですから、私は同じ考えだというわけじゃ必ずしもありませんけれども、そういうふうな法的に詰めていく問題は多々あるけれども、そういうことより も、まさに今ここで日ソの新時代を迎えてもいいぐらいの、向こうゴルバチョフ時代になりましたですからね、こっちは中曽根さんのそのままなんだけれども、何といってもやっぱり新しい国際環境になっていると私は思うんです。  そこで問題は、法的な条約の解釈の問題なんというんじゃなくて、実際の問題をお聞きしたいんですが、この北方領土については、本日も「調査」と書いてあるように、八月の二十九日からですが、前後しまして現地の視察をいたしました。それで私が感じたことなんですが、あの千島日本領土なのかどうかなんという難しい問題になって、引き揚げてきた人の写真を見ましたらクリル人なんですね、これは博物館にクリル人と注釈がある。千島クリル島といいますが、クリル人というのは、厳密な意味の人種的なことからいうと何かという問題はあるんですけれども、これはもう九〇%がアイヌの人なんです。私はかつて終戦間もなく北大で憲法集中講義をしましたものですから、その機会にアイヌ問題をと思いまして、アイヌ部落を十日ぐらいずっと回ったことがある。アイヌの人の風貌、風習その他、割合知っているつもりなんですが、あのクリル人を見るとアイヌの人なんですね。  それで気がついたのは、北方領土の問題というけれどもソビエト日本が何か難しいこと言っているけれども、そこで長く生活していた人はアイヌの人だ。アイヌの人が大体日本にこういうふうになってから引き揚げてきている、向こうソ連の方、ロシアの方に所属した人もあると思うんですけれども。こういうことから、北方領土の問題をただ従来の条文の上でソ連の言う千島はどうかとか、四島か二島かとかいうことよりも、論ぜられている内容は、長年にわたってあそこを生活の場とし、あそこから離れて対岸にも移住されておりますが、そういうアイヌの人の問題だということをお忘れないようにしていただきたい、このことを申し上げておきます。  それで、現に明治八年五月の千島樺太交換条約のときに樺太アイヌ八百四十一名を宗谷に移住さしたのですが、このとき千島アイヌもやはり移動さしていると承知しておりますが、それは別に——ここで細かな事を知っている人がいなきゃ私がむしろそう報告したいぐらいです。このとき北千島アイヌ九十七名を色丹に移動させたんですね。そういうことで、そう数は多くはございませんが、千島は先ほどから申しておりますように、アイヌの人の土地で、そこに当時のロシア探険家日本間宮林蔵とかその他が調査に入って、倉成外相自身の属しておられる長崎は関係の深いシーボルトは、時の徳川の天文方高橋景保からあそこの調査の資料を受け取って、それを持っていたことが、たしかそれが理由でスパイ的に見られて、最初追放されたわけですね。  今、国家秘密法が案としてつくられようとしていますけれども、あの日本に大きな功績を残したシーボルトが、あの当時はやや暗黒の時代だからそういうことがあったでしょうけれども、こういう時期に機密がどうだとか、スパイだとかいうようなことは非常に政治的なものでありまして、殊に、先ほどお聞きしたように、領土問題がソ連との間でなかなか解決しないで、そして経済的な交渉を進めるよりも、こういう問題をちゃんとやるよ、そう言っておきながら、一方で国家秘密法をつくる、それを非常に急いでいる。  結局、私などが終戦後まあ憲法論なんかしてきて、あの当時はそんなに問題のあるときじゃなかったですけれども日本というのは望むらくは中立的な役割をしたい、こう言って、その当時にはアメリカだろうがソ連だろうが、日本に対してスパイするようなものがないんじゃないか、それで、軍機保護法ですか、というのが戦前はありましたけれども、そういうものをつくる必要がないというので今、日本はつくってないんで、ただ、日本国家機密のことをおろそかにしているというのではないんですね。だけれども、こうやって平和条約締結さえも難しい、それから一方で、東西の緊張が緩和されようとするのに、SDIその他で角を突き合わせていて、細かにこれは科学技術の問題になってくる。そうすると、そこに絡んで国家秘密ということになりますと、これはちょっと簡単に最高裁といえども裁判できないし、それから、そんな簡単な問題じゃなくて、日本が何か泥沼にみずから入るんじゃないのか。  私は、自分のことを言うのはどうかと思うけれども戦争中、戦争を終わらすことそれから軍に対する牽制、これはちょっと自分のできるだけのことをしたことがございました、近衛内閣のもとで。そのときに接触した人の中の一番犠牲を受けましたのは尾崎秀実氏であります。尾崎さんは実際にどういうことをしたかということは、私はそんなことは知らないんです。憲法問題として、統帥権というのは政治がコントロールできないのかというんで、私はその問題の調査後藤隆之助さんを中心として委嘱を受けました。そしてある会合に出てくれと言ったのは尾崎さんでもあったし、それからあと一、二の人が言うから出たんです。それは司法大臣をした風見章さんの会であります。  今なお生きておられる松本重治さんが最近私に、君と会ったのは覚えているかと言われた。十和田の会で会って、そのとき来なかったのは尾崎、それから西園寺公一だったと松本さんが言われる。戦争というものをどうにかしてコントロールする、殊に近衛さんの考え最初戦争を承認しましたけれども、途中から終わらせようという空気になりましたもんですから、その意思を受けて私も後藤隆之助さんと……。それで、尾崎さんは実際にどのくらいのことをしたか知らないけれども、それ以来拘留されまして、それから死刑になったわけです。  今日、これまたやっぱり戦前のことに関係しますけれども、我々多少総合雑誌なんかに書いておりましたので知っているけれども、その人たち細川嘉六さんを中心として逮捕されたことがある。これは全く無実だというんで、最近はいろんな調査が進んでいますが、尾崎さんの場合だって、その尾崎さんの過失とか尾崎さんの中の、尾崎という人はちょっと軽いところがあったりするところがありましたからね、それで何かああいうふうになっていった。なっていけば尾崎さんはそれに対する自分なりの心の処理はしたと思いますが、こういうことに戦争中触れてきましたものですから、殊は国家秘密保護法なんということになりますと、何だか次から次にそういうふうになるようだということを心配するんで、秘密保護法についてはどうか慎重にお願いをしたいと思う、そういうことです。
  15. 倉成正

    国務大臣倉成正君) 中村先生からいろいろな御体験を通じての貴重な御意見拝聴いたしまして、そういうもろもろの問題についてはいろいろ参考にさせていただきたいと思います。同時に、今、スパイ防止法というか機密保護法というか、そういう点についてお話がございましたが、今議員立法の形で検討中ということは承知しておりますけれども政府として現段階でコメントを申し上げる立場にはございませんので、この点は意見は差し控えさせていただきたいと思います。
  16. 中村哲

    中村哲君 つい最近も、倉成外相もそうでしょうが、我々が国際法を習った横田先生が九十歳になられましてそのお祝いがあったようです、私は出ませんでしたけれどもね。横田先生にあるとき、戦争中の東大研究室中心としたああいう平和な動きやら、それから太平洋協会、新渡戸さんとか矢内原さんもそうですし、ああいう人たち動きがもっと正面に出ていれば、戦争をあんな状態にしないで済んだんじゃないか、しかも、私の周りにいた外交官英米派だといって追放されたりしましたけれども日本にはそういう動きがなかったんじゃなくて、我々が触れていたのはむしろそういうものであった、殊に重臣の人たちはみんなそうであった。それを軍がねらい撃ちして、天皇機関説でもそうですし、すべて軍の希望に反するものをたたいていったわけです。  横田先生に、あの当時も東大というのは相当自由主義でいろんな発言をしていたね、どうしてや れなかったかと申し上げた。それは軍が想像できないぐらい強かった、それは不可能だったと言われたんで、私は不可能だけじゃないと思って、やれることはないかと思いましたけれども、そういうことからいいますと、今は非常にいい時代なんですけれども、何かみずからソビエトに対して門戸を狭くして、そしてスパイ製造法みたいのをつくったりするようなこと、再度ないことをお願いしたいと思います。  それで、アイヌ問題に行ってみますけれども中曽根首相アイヌ問題に対してちょっと学のあるようなことを示したり、民族の問題を時々発言したりしますけれども民族の問題、レースの問題というのは国連が最も神経質になっている。そして、これが時代の問題であるので御承知のとおりです。倉成外相国連において講演されました英文を拝見しますと、その中でアパルトヘイトのことをかなり発言しておられる。これについてはどういうふうにお考えになりますか。
  17. 倉成正

    国務大臣倉成正君) 南アのアパルトヘイトにつきましては、これはもう断じてこういうことがあってはならないということで、先般先方外務大臣が非公式に日本に参りまして、私がお会いしましたときにもかなり強い形で警告を発して、この態度を改めない限りにおいては、我が国にとってもさらに強い制裁措置を講ぜざるを得ないということを申しました。また私も、国連においてアフリカの外務大臣皆様方、約四十名近い方々ですが、若干その中で御欠席になった方もございますけれどもお会いしまして、そして一人一人と御懇談を申し上げました。したがって、アパルトヘイトの政策につきましては、とにかく一日も早くあのようなことがないようにということで国連でもあのような発言をしたような次第でございます。
  18. 中村哲

    中村哲君 民族というか、レースの問題をこういうところで取り上げるについては慎重にしなければならないと思っておりますけれども、まさに北方領土に関連したアイヌ人たちの権利のことについて中曽根首相自身も発言しておられるんで、これは中曽根さんに聞いた方がいいんだと思うんですけれども関係がこういうふうにして外務大臣にもおありなものですからお聞きするんです。  このアイヌについては、アイヌという言葉自身がこれはアイヌ語では人間ということでありまして、大体部族、トライブとかレースの名称と言われているのは、よそのところの国の者が来て、おまえは何だ、こう聞いたときに、おれは人間だと答えるのが当然なんです。だから、台湾なんかでブヌンとかタイヤルとかありますが、あれは自分たちのところで言う人間という言葉なんですね。だから、アイヌというのは人間ということなんですね、実際に。それがただ歴史的な印象でいろんな過去の嫌な追憶があるものだから、それでアイヌということを余りいい言葉に思わないんで、それで、日本でこの人たちの保護をしようとしたときに、殊に保護は、個々人というよりはやっぱり集団でコミュニティーをつくっている村落の共同体的なもの、それを守るような意味で保護法ができていると思います。だから、個々に土地から離れている人はだれがアイヌかなんていうのはもともともうわかりにくくなっている。  吉田松陰は、あの攘夷論をやるときの前に水戸から下北半島に行っておりまして、そのときにロシアの船がどういうふうに入るかを見に行ったんです、偵察、彼自身の考えで。そのときに、ここの部落はアイヌ人たちの部落である、こう書いてある。ところが、今だれもそこの部落はアイヌだとは言いません。そういうふうにアイヌというのは大体日本人のもとになっている一部分でありまして、しかも初期の北海道統治の場合は、和人が奥さんを連れてじゃなくて、単身赴任しか認めない時代もあった。したがって、女性の方はアイヌの人だ、こういうことが実際上長く続いた。だから、今アイヌの部落の中に住んでいる人だって、人類学的にアイヌだというんじゃなくて、アイヌと称せられている人が多くなっている。東北地方なんかは新渡戸さんのニトべというんだってこれはアイヌ語ですからね、そういうふうになって広がってしまっている。  したがって、北大で私は一緒は研究室に寝泊まりしたことがあった。そのときアイヌの出身で北大の最初の教授になりました知里真志保君というのは、知里君は一高から東大に行った秀才でありまして、知里君はアイヌの全くの専門ですけれども、彼はアイヌ系と言っていて、純粋のアイヌというのはだれかというのは非常にわかりにくくなった時代であると言っているんです。そんな時代でありまして、民族の問題を取り上げるというのはなかなか難しい問題ですけれども、しかし、この人たちが例えば旧土人法という名前でなお規制されたり、この旧土人法というのも、土人と言ったんじゃなくてあのとき元土人と言われた、そういう人たちというつもりであれをつくるときは旧土人法と言っていたんですね。しかし、もうそのこと自身が今は合わなくなってきたということで、名称の変更も必要だし、それからあの立法の趣旨もいろいろ考え直さなければならないということで、このことに手を加えなければならないという段階にもなりましたけれども、これまた慎重はお願いしたいと思います。  それで、一部ではウタリという言葉を使って、ウタリというのは仲間という意味ですね、自分たちの仲間のことを、殊に村落の共同体の仲間をウタリと言うんです。そんなことで、どうかそういう問題も、北方問題をただソ連領土日本のかと、そういって硬直したようになって動きがとれないようにして、経済交流もストップするというんじゃなくて、いろんなことが緩和していくようなそういう積み重ねの外交をぜひお願いしたいと思います。
  19. 倉成正

    国務大臣倉成正君) 私も大学で国際法横田先生に習いましたし、また長崎に緑の深いシーボルトお話等々、いろいろ先生の多方面にわたる御意見をごちょうだいしまして感銘を受けた次第でございます。  同時に、決して硬直化した考え方を私持っているわけではございませんで、外交は継続性ということもございますし、それぞれ外務大臣の個性はあるかもしれませんけれども、私ははっきりするところははっきりする、そしてその上で話を詰めていくということが大切じゃなかろうかということで臨んでおるわけでございますので、従来の日本外交方針といささかも現在私が進めております外交とは相違はないということだけはひとつ御理解賜りたいと思う次第でございます。
  20. 及川順郎

    ○及川順郎君 当委員会といたしましては、本格的な論議というのは今回が初めてでございますものですから、きょうは各論に入る前に総論という立場で、限られた時間ではございますが、なるべく幅広くお伺いをしたいと思いますので、率直にお答えをしていただきたいと思います。  まず外務大臣にお願いしたいわけですけれどもゴルバチョフ書記長の訪日の見通しについて、一部マスコミで伝えているところによりますと、政府の判断として、一つは米ソ軍縮交渉の行方がまた不透明であるという点、それからソ連書記長の国内日程が非常に立て込んでいるという状況、それから来年一月までの間に外交日程等も含めて日本へ来る日程の見通しが立たない、こういう主に三つの理由をもとにして一月のゴルバチョフ訪日は一〇〇%ないであろうというような、こういう見通しを立てているやに一部の新聞報道ではなっておりますけれども外務大臣としての見通しについてまず伺っておきたいと思うんです。
  21. 倉成正

    国務大臣倉成正君) ただいまの及川先生お話でございますが、シェワルナゼ外相との会談の際には、年内は非常に難しい、来年以降ということ、しかし、米ソの交渉関係もあるので時期を明示することはできないということでございました。その後、ごく最近では日ソの高級事務レベルの会議で、梁井審議官が参りましてシェワルナゼ外相ともお会いした次第でございますが、ここではとにかく、ゴルバチョフ書記長来日の希望は持っている、ただ、今まだその日程を示す時期に は至っていない、そういう御返答でございました。  私は、基本的にはこのように考えているわけでございまして、明年一月末までにおいでいただきたいと申しましたのは、いろいろ国会の日程その他考えまして、八月の段階でこれを申し上げたわけでございますから、先方日本側の都合としては年内か一月末というのが一番都合のいい時期ですということを申し上げたわけですが、これに最終的にこだわるつもりはないわけでございます。そしてまた、せっかくおいでになるなら、まず時期を確定しましょう、それで時期を確定したら、先ほど中村先生からもいろいろお話がございましたけれども、いろいろな問題について、ひとつ綿密に事務当局の間でも外交ルートを通じて、議題なり話の進め方なりをしっかりしたものにして実りのある会談にしようということを申しておるわけでございますので、一週間や十日前に来るからというわけにはいかない。おのずからある期間が、おいでになる時期をお示ししていただいて、準備に相当の期間を要するということは事実でございます。  しかし依然として、先方日本には来たいという希望を伝えられておる状況の中で、またいろいろ日程の都合その他でまだ日本側にその時期を明示できないとおっしゃっている段階で、いろいろな憶測が新聞等でされていることも承知しておりますが、少なくとも外交ルートを通じてそういうお話を私ども承知しておりませんので、ボールは先方にある、この向こうのボールがどういう形ではね返ってくるかをお待ちしているというのが今の立場でございます。
  22. 及川順郎

    ○及川順郎君 ソロビョフ駐日大使の新聞インタビューで、日程を決める全体の雰囲気の中から、今状況として雰囲気がよくないというような発言が注目されておるわけですけれども、その理由としまして日本のSDI研究参加への決定や、それから北海道における日米合同演習、また領土問題に対する日本動き、こういう日本の全体の動きに対する一つの牽制もあるんじゃないかというような、こういう指摘があるわけでございますが、この点に対する外務大臣としてのお考えはどうでしょうか。
  23. 倉成正

    国務大臣倉成正君) 御指摘のソロビョフ大使の御発言は、報道によりますと、一月訪日は薄くなったが、まだ決まったわけではないという趣旨のものと承知しておるわけでございます。  いずれにしましても、さっき述べましたように、私ども外交ルートで正式に先方からの回答を得てないわけでございますから、現在シェワルナゼ外相は、明年のゴルバチョフ書記長の日程を作成中である、その作業が終わってない旨を我が方に伝えてきておるわけでございますから、ボールは先方にある。したがって、我が方はその回答を待っているという立場には依然として変わりはないわけでございます。
  24. 及川順郎

    ○及川順郎君 訪日に絡みましての領土問題についてでございますけれども領土問題に対する返還促進運動というものが、ゴルバチョフ訪日をめぐって非常に国内にも高まってきているというような、こういう雰囲気があるわけです。やはり先日も、北方返還の促進署名二百万人を超えて、トータルではもう四千万を超えたというような、こういう状況がございますけれども領土問題に対する認識の隔たりというのが非常にまだ大きいんじゃないかという感じがするわけです。やはり四島一括返還、これを基軸としながらも、その中で国内においても一部月刊誌に二島返還論、こういう主張をする有識者の主張も見られる。こういう状況の中で、これが一つの巧妙な世論操作じゃないかというようなこういう指摘も見られるわけですが、この点に対する外務大臣としての所見はいかがでしょうか。
  25. 倉成正

    国務大臣倉成正君) 政府の基本的立場は、先ほどから中村委員と私との間の質疑応答の中で明らかにいたしましたように、歯舞、色丹、国後、択捉の北方四島の一括返還を実現して平和条約締結して、重要な隣国たるソ連との間の真の相互理解に基づく安定的な関係を確立することでありまして、この方針に変更はございません。政府としてはこの基本的な立場を堅持しながら、北方四島の早期返還をソ連側に要求し、粘り強く交渉を続けていく所存でございます。  いろいろな諸説がございますけれども、それはそれなりに御意見があろうかと思うわけでございますけれども、大多数の国民の御要望というのは先般御決議いただいた院の趣旨というのであろうかと思うわけでございますから、この趣旨を間違いなく体して外交を推進するのが政府の任務であると心得ている次第でございます。
  26. 及川順郎

    ○及川順郎君 日ソ平和条約締結に対する国民の期待感というのは非常に高まっておりますので、ぜひ今後とも御尽力を賜るようにお願いいたしまして、この項目を終わりたいと思います。  次に、私、特別委員会としての所管になっております沖縄北方の現場の問題に入る前に、沖縄開発庁長官おいでになっておりますので、まず長官兼務について、大変お忙しい状況の中で今取り組んでおられると思いますけれども、その点の所感からお伺いしたいと思います。
  27. 綿貫民輔

    国務大臣(綿貫民輔君) このたび国土庁長官と北海道開発庁長官、沖縄開発庁長官、三長官兼務ということで、三長官を拝命したわけでございますが、私がこの三長官兼務をやったのは三庁統合につながるのではないかというような、皆さんからいろいろのお考えで御質問がございましたが、一生懸命各庁の存在価値があるように、十分機能するように私がトップに立って調整をしていくということが、むしろ三庁統合につながらない、それぞれの機能が十分働くような方向にいくんだという信念のもとに今日までやってまいりましたが、私は思った方向に行っておるというふうに考えております。
  28. 及川順郎

    ○及川順郎君 今の御発言はしかと承っておきます。  まず、国土庁として四全総に取り組んでおられまして、今中間内容が、先日その骨格が示されたわけですけれども、その中において北海道開発と沖縄開発、どういう位置づけをもって臨もうとなさっているのか、その点をまず全体として伺っておきたいと思います。
  29. 綿貫民輔

    国務大臣(綿貫民輔君) 国土の均衡ある発展を図るというのは、国政の最も重要なかなめであるというふうに考えております。その中でも特に北海道と沖縄は、それぞれ開発庁が設けられておりますように、北海道は開道百二十年の歴史の中で、さらに新しい日本の未来の開かれた国土としてこれをひとつ盛り立てていこうという趣旨から北海道開発庁ができておるわけであります。沖縄開発庁は、復帰後十四年を過ぎましたが、早く本土との格差をなくしようという目的のために設けられておる役所でございまして、この国土政策といたしましては国土の均衡ある発展、この旗印のもとに四全総もその思想で組み立てようとしておるわけでございます。それぞれの各セクションがございますので、各セクションにおきまして振興開発計画等が立てられておるわけでありますから、それらをさらに総合いたしまして四全総の中に盛り込んでいきたい、こういうふうに考えております。
  30. 及川順郎

    ○及川順郎君 開発行政に責任ある長官といたしまして、先ほどから出ておりますこの北方問題に関連しまして、隣接地域の振興事業対策ですね、これに対する基本的な考え方と、それから北海道の総合開発との整合性とその位置づけですね、これをちょっと担当庁の方からお願いしたいと思うんですけれども
  31. 西原巧

    政府委員(西原巧君) ただいま北海道開発庁長官を兼務していらっしゃる大臣の方から御答弁がございましたように、私ども、北海道は二十一世紀の日本を支える上で、北方隣接地といたしましての面ももちろんございますわけですが、大変に重要な地域と認識しているわけでございます。  このため道路、港湾、空港その他の基盤整備を鋭意進めてきているわけでございますけれども、いまだ遠隔地であることあるいは積雪寒冷地であ るというようなことの不利な条件を打破するまでには至ってないわけでございます。しかも最近、北洋漁業あるいは石炭問題等従来北海道の経済を支えてまいりました分野におきまして大きな変革にさらされております。私どもといたしましては、今後さらに計画的に開発を進めまして、先生御指摘のこの重要な地域の発展に資してまいりたいと考えているところでございます。
  32. 及川順郎

    ○及川順郎君 基幹産業が全体に冷えておりまして大変ですので、ぜひその点活性化につながるような努力をお願いをいたします。  ちょっとこの関連で、総務庁の方おいでになっていらっしゃると思うんですけれども北方領土隣接地域振興基金でございますけれども、この基金の問題で八月末に当委員会として現地視察いたしましたときにも、北方基金については非常に強い御要請がございました。それで矢野委員長も、現地人たちの熱意に力強く何としても努力をしていくという答弁をしておりまして、私たちも委員としてこれを推進する決意を新たにしたわけでございますが、今の状況でいきますと、六十二年度予算概要、こういう状況の動きの中で、大体目標百億に対して半分という状況でございますね。来年度、五年の期間がこれが切れますから、このままでいくと半分で終わるのか、それとも期間を倍に延ばすのか、あるいは少し延ばしてその間に処理をするのか、さもなければ期間をそのままにしておいて、今後の政治折衝の中で配慮をするのか、この辺に対する地元の関心というのは非常に強い。こういう状況の中でどのように処理しようとお考えになっているのか、これを総務庁の関係、ちょっとお伺いしたいと思うんです。
  33. 船津好明

    政府委員(船津好明君) 北方基金につきましては、地元の方々の強い御要望、御期待、それから北方特別措置法の立法経緯を踏まえまして、総務庁といたしましては、厳しい財政状況のもとにおきまして、対前年度マイナスの概算要求枠という中でもって御要望にかなった基金の造成に向けまして精いっぱい努力してまいったところでございます。その結果、昭和五十八年度には十億円の、これは国費が八億円、道費が二億円の内訳でございますが、十億円の基金を造成することができまして、その後も毎年同様に十億円ずつ積み立てることができまして、昭和六十一年度には四十億円となっているのでございます。昭和六十二年度におきましてもさらに十億円の造成をすべく八億円の国費の概算要求をしているところでございます。  そこで、造成のための国の補助金、これは北方特別措置法によりまして昭和五十八年度から五年度以内を目途に交付ということになっておりまして、この基金につきまして先ほど先生もおっしゃいました百億円の御要望があるということは十分承知しているところでございますけれども、今後の取り扱いにつきましては、北方特別措置法の立法経緯でありますとか厳しい財政状況、それからこの基金に対します地元の方々の強い御期待、御要望、そういうもの、諸般の事情を総合的に勘案いたしまして適切に対処してまいりたい、このように考えております。
  34. 及川順郎

    ○及川順郎君 これは与党四役合意の上で国の方針として決められたわけでございますから、その経緯を踏まえまして、事業費として、あるいはまた予算的な性格を持って積み上げていくということではなくて、基金として確保する、確保することによっていろんな沿岸事業とか、そういうものの関連のことができるということであって、今の立法の経緯を踏まえてこれからも努力していくという状況は、この百億円の基金積み立ては、これは約束を守るという方向に理解してよろしゅうございますか。
  35. 船津好明

    政府委員(船津好明君) このような今先生おっしゃいました百億円の声があるということを承知しておりますので、その点を含めまして今後の取り扱いにつきましては、諸般の事情を総合的に勘案して検討してまいりたい、こういうふうに思っております。
  36. 及川順郎

    ○及川順郎君 総務長官がおいでになっていませんから、これ以上押してもなかなか答えにくいだろうと思いますので、きょうはここでとどめておきますけれども、ぜひ御努力を賜りたいと思います。  北海道の総合開発計画に対する諸問題について質問を移したいと思いますけれども、六十二年で第四期が最終年次になりますけれども、今までどこの点に重点を置いてこの問題を進めてきたか、さらに、その延長線上にある新北海道総合計画に向けての取り組みについて、まず担当省から伺いたいと思います。
  37. 西原巧

    政府委員(西原巧君) 先生御指摘のように、私どもはこの六十二年度で終わります新北海道総合開発計画に基づきまして、北海道の基盤整備、先ほどちょっと申し上げましたけれども、河川、道路、港湾、空港あるいは農地その他の経済社会基盤の整備に重点を置きまして計画の推進を図ってまいりました。その結果、相当の効果は上がっている次第でございますけれども、最近の、先ほどこれも申し上げましたのですが、経済面における大きな変化等によりまして、必ずしも所期の効果を上げていない面もございます。特に、数年間にわたって行われました公共投資の抑制等の影響も大きいわけでございますけれども、そういった点を踏まえまして、六十三年度から新たな計画を策定いたすべく、現在種々検討をいたしている次第でございます。
  38. 及川順郎

    ○及川順郎君 開発予算の推移を見てまいりますと、ここ数年減額傾向に歯どめがかかっていないという状況なんですが、これが緊縮予算の中での影響なのか、それとも開発事業の終息の方向に向かっての全体の規模が小さくなってきているのか、この辺について再度お願いしたいと思っております。
  39. 西原巧

    政府委員(西原巧君) 北海道開発予算は五十七年度から五カ年間漸減してまいっております。これは国の財政再建という緊急課題によるものでございます。私どもといたしましては、このような厳しい財政事情の中ではございますけれども、北海道の開発を着実に推進するために、事業費の面におきましては種々御協力、財政当局の御協力その他をいただいておりまして、例えば六十一年度の補正後の事業費は過去最高の一兆九百十五億円で、対前年度当初比七・五%の増となっている次第でございます。というわけでございまして、終息には向かっておらない、今後ますます北海道開発のための公共投資その他は行われてまいるであろうと私ども確信している次第でございます。
  40. 及川順郎

    ○及川順郎君 補正予算の中身を見ますと、かなり北海道開発関係の予算大型のものが入っておりますけれども、現場の状況はもう雪が降り出しておりまして、発注は十二月の末になってくると相当厳しくなってくる、こういう状況が現地での補正予算の執行に支障があるんじゃないか、こういう心配が出てきておりますけれども、この点はついての見通しはどうでしょうか、今。
  41. 西原巧

    政府委員(西原巧君) 公共事業の執行のありようそのものにつきましては、これは公共事業を所管している各省が御指導くださっているわけでございますけれども、概括的な面でお答え申し上げますと、御指摘のように、北海道は工事をやる期間が暖かいところに比べてどうしても短くなっております。私どもといたしましては、予算が成立すればできるだけ早くに全部の発注を行うというようなことで、その円滑な執行を行っているところでございますが、特に補正予算につきましては種々努力いたしまして、せっかくの予算でございますので、北海道の経済浮揚に役立つべく、できるだけ早期に発注するように努力している次第でございます。
  42. 及川順郎

    ○及川順郎君 もう一つ、これは答弁する状況がちょっと難しい、角度が難しいだろうと思いますけれども、北海道の現地を見てみますと、三月年度末、そして四月新年度開始、こういうことで、実際に予算が組まれて下におりてくるという、仕事ができるようになるのは六月、雪が解けてから四、五、六という、六月の前半までのこの二カ月半というのは非常に重要な時期である。しかしな がら、公共事業関係を見るとそのときに仕事がない。別な委員会でその辺の論議等も行われておりましたけれども、現場サイドから見て、こういうのに対して特別の措置あるいは対応というものに対する努力というものを今まで検討なさったかどうか。  実際に、新年度の予算が執行されて、そして下へおりてきて事業をやるというまでには、六月に入ったとしても、その前の二カ月半の期間にできるものからどんどん仕事を出していくというような、こういうものを裏打ちする法的な措置とかあるいは条例の措置とか、こういうものに対する議論を今までおやりになったかどうかというこの点を踏まえまして所感をまぜて、こういう方法だったらいいんじゃないかというこういう考え方もしありましたら伺っておきたいと思います。
  43. 西原巧

    政府委員(西原巧君) 先ほどちょっとお答え申し上げましたように、北海道ではできるだけ早くその予算が成立したら工事を発注するということに力を注いでおります。ちなみに五十九年度の例をちょっと申し上げますと、四月には二六・四%、五月には累計で五六・五%、六月では七四・三%というふうに暖かい地方に比べますとかなり早期発注に努力している次第でございます。こういうことによりまして工事の適期に工事がやれるように努力している次第でございます。  また、北海道は冬季は寒いということでございますけれども、その冬季においても施行可能な業種もございます。そういったものは冬季においても行う、どうしても効率が悪くなりがちでございますのでその辺は努力をいたしまして、冬季といえども効率的な工事の施行ができるように指導等をいたしている次第でございます。その予算の四月から始まって三月に終わるということにつきましては、いろいろ私的には感想もございますけれども、この際は申し上げないでおきたいと思います。
  44. 及川順郎

    ○及川順郎君 私の方も求めないでおきます。  沖縄問題に移りたいと思いますが、いよいよ第二次沖縄振興開発計画が明年度から後半に入るわけでございますけれども沖縄開発の審議会で第二次振興開発計画に関する後期の展望、この最終報告が大変おくれているという状況がございますが、これは四全総のおくれの影響というぐあいに理解してよろしゅうございますでしょうか。
  45. 小谷宏三

    政府委員(小谷宏三君) お答えいたします。  ただいま先生のおっしゃいましたとおりでございます。
  46. 及川順郎

    ○及川順郎君 この四全総の中間報告案の中で、那覇空港に対しまして、日本の南の玄関という位置づけから国際空港化に向けての整備ともとれるような内容が盛り込まれているという状況があるんですけれども、これは運輸省の所管になると思いますけれどもおいでになっていらっしゃいますか。——その位置づけと今後の空港充実に対する考え方をちょっと伺っておきたいと思いますけれども
  47. 堀井修身

    説明員(堀井修身君) お答えをいたします。  先生御指摘の沖縄県内の空港整備でございますが、沖縄県と申しますのは島嶼部から成る県土でございますので、交通基盤、特に空港整備の重要性というのは非常に高いと私ども認識をしておるところでございます。このようなことから第五次空港整備五カ年計画といたしまして、今お話が出ました幹線空港でございます那覇空港を初めといたしまして、既存空港におきます四次五カ年計画からの事業を鋭意推進をするということ、並びに久米島空港のジェット化あるいは南大東、多良間空港のYS空港化、伊平屋島の小型機用の新空港の整備、こういったような種々の要望を承っておるところでございます。  第五次空港整備五カ年計画につきましては、本年の二月二十五日に閣議においてその総事業規模一兆九千二百億が了解されたところでございますが、個々の事業内容あるいは事業費等具体的な内容につきまして現在最終的な詰めを行っておるところでございます。このようなことでございますので、現時点におきまして個々がどうなんだということにつきましては、ちょっと言及を避けさしていただきたいと思いますけれども、先ほど申しましたように、沖縄県の実情から見まして空港整備極めて重要であるというふうに認識をしておりますので、このような観点で最終的な詰めをしていきたい、このように考えておるところでございます。
  48. 及川順郎

    ○及川順郎君 空港問題は、それじゃその程度でとどめさしていただきます。  外務省関係でございますけれどもアメリカ政府の行政資料の返還問題、これは我が党の中野議員が再三にわたって取り上げておりまして、五十六年の行政改革特別委員会で当時の園田外相からも、極めて重要な問題でありますから全力を挙げて取り組みたい、こういう御答弁をいただいているわけでございますが、余り進んでいない。アメリカとの関係等もあるでしょうけれども、その辺の経緯を踏まえまして、現在の進行状況とあわせまして今後どう処理するのかという点についての御答弁をお願いしたいと思います。
  49. 渡辺允

    政府委員(渡辺允君) この問題につきましては、ただいま先生から御指摘ございましたとおり、従来から国会でも御質問いただいておりますが、基本的に政府とそれから国立国会図書館との協議をいたしました結果、この文書の収集等につきましては、それについて専門的知識経験を持つ国会図書館に実施をお願いするということで来ておるわけでございます。  国会図書館は現在、連合国最高司令官総司令部関係文書の収集、複写、整理等を行っておられるようでございまして、その後この民政府関係の文書を収集される計画というふうに承知しております。昨年五月にも国会で御質問がございまして、それを契機に私どもアメリカ側に現状の問い合わせ等をいたしておりますけれども先方といたしましては非常に文書全体が膨大なものでございまして、確かに保管されていることは確かでございますが、全体の整理等もまだ済んでないような状況でございますので、もう少し時間を必要とするかというふうに考えております。
  50. 及川順郎

    ○及川順郎君 時間の関係もございますので次に移りたいと思いますが、来年沖縄で国体が行われまして、これで一巡終わるわけでございますけれども、ことし山梨でのかいじ国体を終わりました後、行政監察の地元からそういう発言がございまして、担当庁で最終的にはやらないという方向で終息をしたように受けとめているんですが、そのような認識でよろしいか。  さらにまた、これはなぜこのようなことを言うかといいますと、今国体に向けて沖縄地元では最終の努力に向かっているときに、こうした動き沖縄国体に水を差すような状況になってはならないという配慮から、しかと総務庁、担当庁の回答をいただきたい、こんなぐあいに思って確認をさせていただいたわけでございますが、それとあわせまして、全部一巡が終わった時点でこの種の問題も含めまして国体関連で行政監察のような状況の中で検討するというような考え方、今後にそういう含みがあるのかどうなのか、この点を二点お伺いしておきたいと思います。
  51. 加藤武久

    説明員(加藤武久君) 先生御指摘の、当庁の出先機関におきます国体運営のあり方に関する地方監察の報道についてでございますが、早速当日現地事務所に問い合わせましたところ、現地事務所では本年度の第四・四半期に調査実施の可否について本庁の判断を求めてきたわけでございます。本庁といたしましては、国体に関する問題は、この問題につきまして仮に監察をするとすれば、本来本庁におきまして全国的視野から取り上げるべき性格の問題である、地方監察として一事務所において実施することにはなじまない性格の問題である、本問題について地方監察を実施することは適当でないと考えられましたので、早速現地事務所に中止の指示をしたところでございます。  それから、先生御指摘の、全国一巡後の取り扱いについてでございますけれども、今後国体の運営について全国的視野から行政監察を実施するか否かということにつきましては、各方面の意見等 も聴取しながら慎重に検討してまいりたい、このように考えております。
  52. 及川順郎

    ○及川順郎君 最後に、沖縄県援護課の意向でもあったと伺っておりますけれども、国体までには遺骨収集を終わらせたい、こういうような状況で地元でも大変努力をしているように私は承っているわけですが、国体というのは地方県においては大きな行事でございまして、一つの区切りである。その成功を私も期待すると同時に、やはり第二次大戦であれだけの被害を受けた、こういう状況の中で、遺骨収集が終わらなければ沖縄の戦後は終わったとは言えないという考え方もあるわけでございまして、この点についての戦後処理のきめ細かな、しかも温かみのある努力、これに対する取り組み、そしてまた今後の要望、充実していく要望をこれを加えまして私の質問を終わらせていただきたいと思いますが、よろしくお願いします。
  53. 大西孝夫

    説明員(大西孝夫君) 先生御指摘の遺骨収集関係につきまして、まず現状から申しますと、沖縄におきます戦没者の数は約十八万六千五百人ということでございますが、これまで県御当局及び県民の大変な御尽力、御協力を賜りまして、九八%近い十八万二千五百柱ほどの収骨を終わっておるわけでございますが、残り二%強、約四千柱につきまして非常に難しくなってきておる、まず所在そのものがわからない状態ということでございまして、非常に最近の収骨状況は厳しいものになってきておりますが、県ともよく相談いたしまして、私ども残っておると考えられるところはいわゆる埋没ごうでございまして、この埋没ごうにつきまして沖縄国体の始まる前に全部計画的に掘り起こしをして収骨をしましょうということで、六十年度から計画的な実施に入っております。  この後、私ども来年の二月、三月、それから六十三年の第一・四半期のできるだけ早い時期に、したがいまして二回にわたりまして後収骨を行いまして、その未処理の埋没ごうもおおむね収骨作業を終えるということにして、国体の始まるまでに遺骨収集は概了したと言えるようにすべく、今県ともども努力しておるところでございます。
  54. 市川正一

    ○市川正一君 その時期はまだ未定でございますけれども、予定されている日ソ首脳会談での最重要課題の一つは、言うまでもなく領土問題であります。これに関して政府の見解をただしたいんでありますが、この機会にあわせて我が党の基本的な立場をも改めて明らかにさせていただきたいと思います。  第一に、我が党は全千島の返還というのがその主張であり、要求であります。もともと北千島を含む千島列島は日本が侵略によって略奪した領土ではなくて、日露間の平和的な話し合いによって日本領として歴史的に画定したものであります。それをヤルタ協定を最大の根拠の一つとして、ソ連ソ連領に編入したこと自体領土不拡大の原則に反するものであります。したがって、平和的な外交交渉によって千島列島の全面返還を図ることは日本国民の正当な要求であると考えます。この立場から、五〇年代末以来我が党は繰り返しソ連共産党と交渉いたしました。一定の前進的合意を実現していることは御承知のところであります。  第二に、日ソ両国間の交渉がなぜ進まないかという問題であります。その最大の原因は、日本政府がサンフランシスコ条約第二条(c)項で全千島に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄し、そして今もってこの条項を廃棄しようとしていないところにあります。そのために、政府は北千島の返還は要求しようとせずに、かつまた国後、択捉は千島にあらずという詭弁を弄して、あえて言うならばみずから迷路にはまり込んでおると言わざるを得ません。しかし、そういう詭弁は国際法上道理に合いませんし、強力で有効な対ソ交渉はできないと思います。またそういう詭弁では、日本はサンフランシスコ条約千島を放棄しているではないか、したがって、領土問題は解決済みだ、こういうソ連側の主張を打ち破ることもできないと思います。ですから、こういう状態を根本的に変えなければ領土問題の全面的解決はあり得ないことは明白であります。  そこで、外務大臣にお伺いいたしますが、外務大臣は北千島は要らないんだ、北千島はもともと日本領ではないんだ、こういうお立場なんでしょうか。
  55. 倉成正

    国務大臣倉成正君) お答えをしたいと思います。  今の先生お話でございますけれども、サンフランシスコ条約千島列島については我が国は放棄をいたしたわけでございます。したがいまして、国際約束でありますこのサンフランシスコ条約日本は遵守する義務を有しておると考えておる次第でございまして、これを廃棄することはできない。  一方、我々が一括返還を求めております北方領土、歯舞群島、色丹島、国後島、択捉島の北方四島は、歴史的にも法的にも我が国の固有の領土である。すなわち、これらの領土は歴史上一度も他国の領土となったことがないという歴史的な事実に照らして、また日露通好条約及び千島樺太交換条約の諸規定から見ても我が国がサンフランシスコ平和条約第二条(c)項により放棄した千島列島には含まれないということは明らかでありまして、したがって、これらは四島一括返還をされるべきものである、歯舞、色丹両島と国後、択捉両島は一括して考えるべきものである、かような見解をとっておるのでございます。
  56. 市川正一

    ○市川正一君 先ほど諸説いろいろとおっしゃいましたけれども、これは単なる諸説、単なる学説じゃないんです。じゃ、外務大臣は国後、択捉というのはこれは千島ではない、南千島ではない、こうおっしゃるんですか。
  57. 倉成正

    国務大臣倉成正君) おっしやるとおりでございます。
  58. 市川正一

    ○市川正一君 それは歴史の上から言っても、また実態の上からも全く詭弁です。それは結局サンフランシスコ条約の二条(c)項に縛られているからそういうことになるんで、正々堂々とこれは正しくないということで廃棄の手続をすればいいんです。南千島千島にあらずという、そういう議論は例えれば白馬は馬にあらずといったたぐいの全くの詭弁ではありませんか。それでソ連側がうなずくとでも本気でお思いなんですか、外務大臣
  59. 小和田恒

    政府委員(小和田恒君) 北方領土四島の法的な地位についての、若干法的なお尋ねでございますので、私から補足して御説明いたします。  先ほど大臣が御答弁になりましたように、一八五五年の日露通好条約あるいは一八七五年の樺太・千島交換条約というような歴史的な文書の中におきまして既に千島列島とは何であるかということについては、国際的に極めて明確な規定が置かれているわけであります。日露通好条約につきましては、ウルップ島全島、それより北の方がクリル諸島であるということが明確でございますし、樺太・千島交換条約についても、同じように択捉、国後を除いた地域というものがクリル群島として千島、樺太交換の対象になっているわけでございます。さらに、歴史的な関係については、先ほど大臣から御答弁したとおりであります。  したがって、国際法上の問題としては、既にこのウルップ以北の島がクリル諸島、桑港条約日本語で申しますと千島列島に当たるものであるということは極めて明確であって、したがって、我が国が桑港平和条約において放棄をいたしました千島列島というのは、そういう国際条約によってはっきりしておる千島列島、すなわちクリル諸島のことを指すものであるということを政府としては申し上げでいるわけであります。
  60. 市川正一

    ○市川正一君 北千島、南千島両方合わせて千島列島なんですよ。筋の通らぬそういうことをいつまでも固執しているから展望が開けぬのです。私は、サンフランシスコ条約二条(c)項を廃棄して全千島日本領土であるということを、そしてその全面返還、これを堂々と主張して要求してこそ国際的にも筋は通るし、展望も開けるんだということを重ねて強調しておきたいんです。  しかし同時に、日本政府がサンフランシスコ条約を廃棄しない現状のもとでも解決し得る問題が ある。それは歯舞、色丹問題です。歯舞、色丹、これは千島列島ではなしに北海道の一部なんです。ですから、サンフランシスコ条約にも抵触いたしません。またヤルタ協定にも抵触いたしません。したがって、日本政府がサンフランシスコ条約を廃棄しなくても今すぐ歯舞、色丹に絞ってその返還をソ連に強力に要求し得るものでありますし、またそうすべきものではないのでしょうか。外務大臣、いかがでしょう。
  61. 倉成正

    国務大臣倉成正君) 我々の立場は、二つ問題を提起されたわけでございますが、サンフランシスコ条約、共産党のお立場は廃棄ということ……
  62. 市川正一

    ○市川正一君 二条(c)項です。
  63. 倉成正

    国務大臣倉成正君) それにつきまして廃棄の問題を御提起になったわけですけれども、我が方はサンフランシスコ条約はこれは尊重すべきである、尊重しなきゃならない、また、当時の状況から千島列島の放棄についてはやむを得なかった措置であると考えておる次第でございまして、歯舞、色丹、国後、択捉四島というのは、これは御指摘のように相違というものはないというふうに考えておる次第でございます。
  64. 市川正一

    ○市川正一君 それもまた、私は歴史的事実に本当に目をそらしていらっしゃると思う。ソ連側も歯舞、色丹については、一九五六年の日ソ共同宣言で一たんは返還を約束したんです。ところが、六〇年の日米安保条約の改定でその立場を変更いたしました。しかし、七一年の日ソ両共産党の宮本・ブレジネフ会談において、ソ連側は再検討を約束し、外交官に仕事をさせてみるということに至りました。  このように、日ソ両国領土問題についての根本的立場の変更を待たなくても、今すぐ双方にやる気さえあれば現状でも歯舞、色丹問題は解決でき得る問題です。なぜそれを切り離してやらぬのですか。領土問題の全面的解決の前に中間的条約として歯舞、色丹を切り離して速やかに解決すべきではないでしょうか、外務大臣。いかがでしょうか。これは条約問題じゃなしに政治判断の問題です。
  65. 小和田恒

    政府委員(小和田恒君) 日ソ国交正常化の過程、すなわち日ソ共同宣言が発出されるに至った経緯について、若干補足して御説明する必要があるかと思いますので、私から申し上げます。  市川委員承知のとおり、日ソ共同宣言には第九項というものがございます。その中でソ連は既に我が国に対して、「歯舞群島及び色丹島を日本国に引き渡すことに同意する。」という国際約束をやっているわけでございます。したがいまして、御指摘を待つまでもなく、ソ連としては我が国に対して、厳粛な国際条約におきまして歯舞群島及び色丹島を日本国に引き渡すことは既に約束をしているわけでございますから、それは当然ソ連として日本に引き渡す義務がある、こういう関係になっているわけであります。  ただ、その第九項にはただし書きがございまして、これらの諸島は、平和条約締結された後に現実の引き渡しが行われる、こういうことになっておりまして、その平和条約締結交渉に関しては別途松本・グロムイコ書簡というものがございまして、その中でこの領土問題を含む平和条約締結交渉両国間の正常な外交関係の再開後に継続せられる、こういう関係になっているわけでありますので、政府としては平和条約締結交渉を行って、歯舞、色丹は平和条約締結されたときに当然に返還されることが既にソ連としては約束済みである、さらに国後、択捉につきましては、先ほど申し上げたような理由によって返還を求める、こういうことで一括返還を要求しているわけであります。
  66. 市川正一

    ○市川正一君 私は、外交上のテクニックを言っているんじゃなしに、基本的な日本政府立場を今ただしているんです。ですから、かくのごとくサンフランシスコ条約に固執して、その上国後、択捉は千島にあらずという詭弁を弄し、北海道の一部と千島の一部、すなわち南千島でありますが、これをごちゃまぜにしていわゆる四島返還にこだわるから、すぐにでもできる歯舞、色丹の返還まで棚上げにしてしまう、俗に言うアブハチ取らずということになっておるんです。まさに私は、日本政府が歯舞、色丹返還をいわば先送りにしていると言わざるを得ぬのであります。  もちろん我が党は、領土問題の全面的解決日ソ平和条約で行われるべきである、こう考えておりますし、またそのために奮闘をいたしております。しかし、現状でもやれることはやっていくという現実的態度を貫いております。それが具体的には歯舞、色丹を軍事基地化しないということを前提にして、平和条約以前の中間的条約で直ちに返還するということを提起しているのでありますが、外務大臣日本政府としてもこれを進めるべきだし、またゴルバチョフ書記長との会談においても提起すべきではないか、私はこう考えておるんですが、重ねて外務大臣の所見を承りたいと思います。
  67. 倉成正

    国務大臣倉成正君) 国後、択捉両島の問題、これは歯舞、色丹と別じゃないかというような御見解であるわけでございますが、この二つの島についても、歴史上一度も他国の領土となったことがないという歴史的な事実がございます。これがまず第一でございます。  第二点は、先ほどからるる条約局長が申しましたように、我が国は、サンフランシスコ平和条約第二条(c)項により放棄した千島列島にはこれは含まれない、こういうことは明らかでございまして、サンフランシスコ条約を尊重する立場にある、また尊重しなきゃならない国際約束でございますから、そういう立場日本といたしましては歯舞、色丹両島と国後、択捉両島、これを御指摘のように区別して片方だけを、二つだけを返還を求め、そしてその後サンフランシスコ条約を廃棄して云々という立場はとってないわけでございます。
  68. 市川正一

    ○市川正一君 私は、サンフランシスコ条約そのもの全部を廃棄せよと言っているんじゃないんです。第二条(c)項ですね、これに限って、これはやっぱり正しくなかったわけですから廃棄する。しかも条約というものは決してこれは不変のものじゃなしに、情勢の変化、発展の中でやはり対応することはあり得るんです。私は、外務大臣がこの問題について、ぜひ真摯にもう一度本格的な検討をしていただくことを強く希望いたします。  話は、ずっと今度南へ飛びます、沖縄問題であります。いいですか、沖縄のあの嘉手納町で、アメリカの米軍機が市街地上空で曲技飛行を行った問題が起こりました。嘉手納町では、今月に入ってからだけでも連日百ホン前後の爆音の直撃を受けておりますが、去る七日にはKC135のエンジン調整音、さらにF15の曲技飛行で百八ホンをマークしております。たまりかねて、嘉手納の吉浜町長がアメリカの空軍嘉手納基地司令官に、十三日午後に証拠写真を持って抗議をいたしております。こうした事態について、政府は米軍に対して抗議など、具体的行動をとりましたか。
  69. 渡辺允

    政府委員(渡辺允君) 日米安保条約地位協定に基づいて、日本におります米軍が訓練を含めましてその任務の達成のために必要な活動を行うことは当然認められるわけでございます。  ただいま御指摘の中の、嘉手納飛行場上空におけるいわゆる曲技飛行と言われますものも、空軍全体のパイロットの技量向上、維持という必要から実施されているものというふうに私どもは理解をいたしております。他方におきまして、米軍も基地周辺の住民の方々への影響をできるだけ小さくするという観点から、この種の飛行に関しましてもこれを短時間に限定し、できる限り飛行場上空の内側で行うというふうに配慮をしているものというふうに承知しております。また、もう一つの点でございます空港周辺の騒音の問題についても、従来よりできる限りの軽減を図るという立場で対処しておるというふうに承知しております。  私どもといたしましては、そのような安保条約要請とそれから周辺住民の方々の生活に対する影響両方を踏まえまして、今後とも必要に応じましてアメリカ側との各種の接触の過程で、特に騒音問題等についてアメリカ側の配慮を要請してい きたいと思っております。
  70. 市川正一

    ○市川正一君 何にも抗議も申し入れてないんですか。あなたはそうおっしゃるけれども、曲技飛行の問題は沖縄県と在沖縄米軍及び防衛施設庁の三者連絡協議会の合意事項の中に、「嘉手納飛行場周辺上空での空中戦闘訓練及び曲技飛行を禁止する。」というふうに明確に禁止されております。今回のような事態は今までもあったんですけれども、町当局が改善を申し入れても、パイロットが基地からはみ出ていないと言っておるといって米軍は無視してきました。  しかし、今回は証拠写真、ここに私持ってまいりましたが、町当局が写した証拠写真、町当局が提供した写真がこれです。これを突きつけて、そして抗議をし改善を申し入れたんです。その結果、ようやく米軍側も事実を認め、改善を約束したんです。私は、この三者連絡協議会の合意というのは、米軍は尊重する義務があるし、政府はそれを守らせる責任があると思うんですが、いかがですか。
  71. 渡辺允

    政府委員(渡辺允君) 嘉手納飛行場の騒音問題につきまして、三者連絡協議会がございますことは私ども承知いたしております。ただ、その場で先生御指摘のような細かい規制が合意されているというふうには承知いたしておりません。他方、米軍といたしましては、一種の自主規制措置も含めまして、騒音問題については具体的にいろいろな配慮をいたしているというふうに承知しております。
  72. 市川正一

    ○市川正一君 そういう合意がなされていないとあなたはよくおっしゃいますな。三者連絡協議会の合意事項というのは、あなたあるんでしょう。ここに各項目ずっとあるんじゃないですか。手元にあるんですかないんですか、知っているんですか知らないんですか。それをまず聞きましょう。
  73. 渡辺允

    政府委員(渡辺允君) 三者連絡協議会、県とそれから那覇の防衛施設局、沖縄米軍の間で五十四年以来設置されて、ここで問題が検討されておるというふうに承知いたしております。
  74. 市川正一

    ○市川正一君 検討されているんじゃなしに、合意事項というのはそれは確認されているんでしょう。例えば、その第四項は「可能な限り住宅地上空の飛行を避ける。」、しかし実際にはKC135が飛んでおるんです。また第七項を見てください。あるんでしょう、あなた持っているんでしょう。眼鏡を外さぬでも見えるでしょう。第七項は「夜間、土、日曜日は、タッチ・エンド・ゴーは実施しない。」と書いているでしょう。これは合意じゃないのですか。それをあなた、防衛施設庁承認しているんでしょう。そこからはっきりしてくれよ。委員長、こういう無責任な、沖縄の方々、先生方いらっしゃるけれども、こんなあなた、むちゃな答弁ないですよ。眼鏡を外したりおろしたりするな、ちゃんと見い。外務大臣、こんなのあきまへんで。
  75. 渡辺允

    政府委員(渡辺允君) この三者連絡協議会の協議の詳細な内容につきましては、実は私ども直接関与しておりませんので、防衛施設庁にもさらに確認をいたしたいと思います。
  76. 芥川哲士

    説明員(芥川哲士君) 嘉手納飛行場の航空機騒音問題につきましては、先ほど来先生御指摘のように、現地沖縄において三者協議会、そのもとにございます騒音分科会というところで討議されてきたわけでございますが、昭和五十四年十一月から五十五年十月にかけまして五回の会議を開きました結果、それぞれの問題について双方おおむね了解に達したというふうに理解しております。
  77. 市川正一

    ○市川正一君 時間が参りましたので、引き続きこの問題は取り上げていきたいと思います。  外務大臣、お聞きのような経過で、それで十三日に嘉手納町長が抗議いたしましたところ、同日、嘉手納米軍基地のギル司令官が文書で回答をよこしまして、騒音の軽減対策を検討している、ここにその英文の原文を持ってまいりましたけれども、そういうふうに回答が寄せられております。私は、その改善案の内容がまだ具体的に明確にされておりませんし、また実際に効果があるかどうかはこれから見きわめなければならぬと思うんでありますが、こういう地元の人たちの切実な願い、そういう思いに対して政府として効果的にこれを厳しく監視し、実現を図っていっていただくようにその責任を果たしていただきたいと思いますが、大臣の所見を承って、私の質問を終わりたいと思います。
  78. 倉成正

    国務大臣倉成正君) 御指摘の点につきましては、事実関係を正確に把握しているわけではございませんけれども、一般的に本件のような場合には、できる限り飛行場の上空で行われるということが好ましいと考えておりますから、今後、必要に応じ米側との接触の過程で、騒音問題についての米側の一層の配慮を要請してまいりたいと思います。
  79. 市川正一

    ○市川正一君 どうもありがとうございました。
  80. 木本平八郎

    木本平八郎君 十二時までの間に、北方領土の問題について基本的な点から少し考えていきたいと思うわけです。  それで、厳密、事実上現在、日本ソ連の間はいまだに戦争状態なわけですね。これは平和条約締結されていませんから戦争状態にある。ただ、けさほど大臣がおっしゃったように、実際の交戦状況は一応休戦になっている。しかも、賠償問題も一応話がついている。残る問題は領土問題だけだというふうに解釈していいわけですね。  この領土問題なんですけれども領土問題は先ほどから歴史的にあるいは法的にどういう範囲なんだということがいろいろ議論がありますけれども、これはちょっと別にしまして、現実の問題あるいは国民感情の点から私は問題を詰めていきたいと思うんです。  この領土問題が解決しないと平和条約締結できない。しかしながら、もう四十年もたってなおかつこういう不安定な状況をいつまでも続けているというのは決しておもしろくない。双方にとってもおもしろくないんで、何とかこの領土問題というものを解決する必要があるんじゃないか。そして、実態を考えますと、戦争状態ですからソ連軍があの四島に入ってきて占領中なわけですね。そうすると、この戦争状態を終結して平和条約締結するためには、ソ連軍が撤退、撤収するということが現実問題として必要になるわけですね。  そうしますと、これは平和条約が先なのか撤収が先なのかという問題はちょっと別にして、とりあえず問題の糸口を探るために、この四島からソ連軍に撤収してもらう。撤収するということは、これは物理的にも金がかかるわけです、コストがかかるわけですね。その撤収費を一体だれが持つかということを考えますと、普通、戦争状態で占領軍がおる場合に、これは当然、もちろん戦勝国が自主的に自分の費用で撤収するという場合もあると思うんです。それから敗戦国がそれを負担するという場合もありますね。それから、あるいは賠償の中で賄うという、方法もいろいろあると思うんですね。  しかし、今の日ソ戦争状況を考えました場合に、ソ連側に撤収費に関しても御都合がいろいろあると思うんですね。幸い日本の方は非常に経済的にも恵まれて、外貨もあるし、まあ国の予算はないかもしれませんが。そういう状況だから、とりあえず日本がこの撤収費を負担して撤収していただく。撤収費がどれぐらいになるかわかりませんけれども、相当の費用になるんだろうと思います。撤収費を我々が負担して、そして、まず撤収していただくというふうなことで、そういう話がつけば、平和条約というのの座に着く糸口になるんじゃないかと思うんですが、そういう考え方をできないものだろうかと思うんですが、いかがでございましょうか。
  81. 倉成正

    国務大臣倉成正君) せっかくの先生お話でございますけれども日ソ両国関係戦争状態にあると思っておりません。これはもう明らかに戦争状態の終結は共同宣言第一項で実現をいたしておりまして、四島が不法占拠されておるというふうに我々は考えておるわけでございまして、その点はまず見解が異なることを明らかにしておきたいと思います。  第二点でございますが、国後、択捉、歯舞、色 丹の北方四島は我が国固有の領土でありますから、先ほどからるる各委員との間でお話し合い、私との質疑応答の中でお聞きのとおり、戦後四十年にわたって一貫してソ連側に対してこの返還を要求しておるわけでございまして、政府としては、ソ連側がかかる我が方の正当な要求に応じて速やかに北方四島を返還することを強く期待しておる次第でございますが、いずれにしましても、北方領土の返還は無条件で行われるべきものである。そういう賠償金というような問題はもうこれはちゃんと解決済みの問題でございますから、そういうことはなくて無条件で行われるものである。委員御指摘のような申し出を日本政府としてする考えは全然ございません。
  82. 木本平八郎

    木本平八郎君 いや、それは私もよく理解できるんです。今まで四十年間それをやってきたわけですね。しかしながら解決できない。ところが、その解決できないということ自身が非常に両国にとってぐあいが悪い。したがって、これは私は、理屈はともかく解決するというのが一番必要なんじゃないかと思うんですね、この時期には。  そうしますと、確かに戦争は終結しているかもしれないけれども、しかし逆から言えば平和条約締結されてないんだからまだ戦争状態が続いているという解釈もできるわけですね。そうすると、一たんそこに解釈を戻して、そして固有の領土を彼らに不法占拠されていると言うとまた向こうの、理論的にも感情的にもいろいろある、立場上もメンツもある。それであれば、むしろ今占領状態であるというふうに解釈を戻した方が解決の糸口ができやすいんじゃないか。私はこれは方法論を申し上げているんで、それは国の立場とかメンツとかということにこだわりますとかえってこれはいかぬのじゃないか。  ソ連側も、早く平和条約締結してシベリア開発初め経済援助あるいは技術援助とか、そういったものを非常に求めているわけですね。ところが、私なんかも実際に商売というか仕事をやっていまして、やっぱり何かあると北方四島の問題が出てくる。これはもう私、日ソ両方にとって大してそんなに、軍事的にも経済的にも大きな価値があるとは思わないんですけれども、ところがこれは小指の先に刺さったとげみたいなもので、あるときになってひょっと出てくる。そうすると、もう途端に腰が引けちゃうというふうなことでうまくいかない。今後ともそういう状況を続けていくというのは決していいことじゃないんで、そこでこれを何とか解決できないだろうか。  そのためには、今のような非常にリジッドな、固定的な解釈とか観念じゃなくて、少し頭を柔軟にして、先ほど戦争状況はもう終わっているんだ、まあ事実は確かにそうなんです、日ソ共同宣言からいってもそうなんですけれども、それではどうも解決できないんで、裏の方から、平和条約を早くやるためにはというふうな解釈ができないだろうか。そういうことで、それで賠償はもう解決しているわけですけれども解決しているといっても、平和条約がきちっと締結されてしまわないとこれは解決になるかならぬかわからぬわけですね、やはり平和条約締結されて初めてですから。だから、そのときに賠償ということじゃなくて、撤収費を日本側が支払う。敗戦国と言ってはなんですけれども日本側が支払う。どっらが支払ってもいいわけですから、そういうふうな賠償とかなんとかというかたくななことじゃなくて、撤収費を払うというふうな解釈にならないかということですね。  これは御答弁を求めても同じかもしれませんけれども、所見的にもう一度御意見承りたいんですがね。
  83. 倉成正

    国務大臣倉成正君) せっかくの委員の御意見でございますけれども委員の御意見をちょうだいするわけにはまいりません。  私は、ソ連に四島返還の意思があればいろいろ工夫の余地がある、すなわち基本は、ソ連が四島返還ということを、意思を明確にするということが大切であると考えておる次第でございます。
  84. 木本平八郎

    木本平八郎君 もう時間がありませんので、余り繰り返して言っても仕方ないんですけれども、要するに、私はソ連という国は余りよく知りません、商売の上でつき合っただけですけれども。しかし、こういうふうな非常にかたい対立状況になってきますと、なかなかお互いにメンツがあってやれない。そうすると、向こうが土俵に上がりやすいように少しはしごをかけるとか、そういったこともやはり必要なんで、日本の方も余りメンツ、メンツとこだわっているよりも、名を捨てて実を取るというふうなこともやはり必要なんじゃないかと思うわけです。  したがいまして、今後、こういう問題については、我々素人が口出しすることじゃないかもしれませんけれども、少し頭を柔軟にしていただいて、来年、ゴルバチョフさんが来られるんなら、そういうところも少し大人の交渉をしていただくように、頭の隅にぜひ入れておいていただきたいということをお願いして、最後に御所見があれば承ります。それで終わります。
  85. 倉成正

    国務大臣倉成正君) 日ソ間には経済や技術やジョイントベンチャーやいろいろ協力する部面があるんじゃないか、それを進めていったらどうか、そして最後に片づけたらどうかという、いわゆる出口論のお立場での御議論かと思うわけでございますけれども、少なくとも領土問題というのは国の基本に関する問題でございますから、我々のこれまでの主張を変えることはできません。これは、日本政府としてはその立場を堅持してまいるつもりでございます。その上に立ってひとつ双方で友好的な関係を築き上げたいということで、やはり率直に立場立場としてお互いに明らかにすることが真の友好関係のもとであると思っておるわけでございます。
  86. 矢野俊比古

    委員長矢野俊比古君) 本調査に対する本日の質疑はこの程度にとどめます。  本日はこれにて散会いたします。    午後零時二分散会