○稲葉(誠)
委員 今精密司法という言葉がありました。そのとおりなんですよね。日本の場合は有罪率が九九・九九九ぐらい、そこまでいかないか、とにかくそうですね。それは確かに立派なのであって、それを今変えろと言っているわけじゃありませんけれども、しかしそのことから出てくるのは、こういうことがあるわけです。有罪になる見込みがないのは
事件を捨ててしまう。みんな嫌疑なしか、とにかくそういうことで捨ててしまうわけで、危ない
事件は取り組まないわけです。危ない
事件をやって無罪になったら検事が責任をとって飛ばされてしまうことになる。今は上申書を書くのか何か知りませんけれども、結局あの検事は成績が悪いということで現実問題として飛ばされてしまうでしょう。一生烙印を押されてしまうわけだ。烙印でもないけれども、とにかくそういうようになってしまうから、危ない
事件は起訴しないでしょう。そういう弊害がまた生まれている。それから、一たん起訴したら何とかして有罪にしなければと、自分の成績にかかってしまうから、とにかく徹底的にやって、証人偽証で引っ張ったり、今は余りやらないかもわかりませんけれども、証人に対して帰りにちょっと来てくれなんというのも昔はいたけれども、そういうことは別として、そういう形で起訴したら、今度何とか有罪にしろという形になってくる。そこに弊害が出てくると
考えられるのです。
そうするとそれは問題なんで、では精密司法にかわるべきものは何かというと、アメリカのような形にしろということは、これまた日本に合っているか合っていないかということで
根本問題がありますし、そんなになったら犯罪がどんどんふえてしまうということも
考えられる。だから検挙率が減ってしまうとかなんとかいろいろな問題になってきますから、問題があるのです。
私はこの間矯正
局長にもちょっと話したのですが、一番大事なことは、例えば刑事施設法を改正するとかなんとかいったって、
捜査の段階のところが一番大事なところでしょう、今の日本のように代用監獄が現実にあるのだから。そうすると、
捜査のあり方全体を変えなければならないといったときに、問題になってくるのは検事と
警察官の関係でしょう。それが一番大きな問題ですよ。私は、イギリスでも今検事と
警察の関係を変えなければいかぬという動きがあるということをこの前ちょっと聞いたのです。これはロンドンの空港で会ったときですから大分前ですけれども、立ち話程度の話なのでちょっとはっきりしなかったのですが、そういう話もあるのです。この前アメリカに勉強に行ってきた人に聞いてみると、アメリカの場合は、検事というのは
警察から回ってきた書類をほとんど右から左へ回すだけということを言う人もいるので、どれが正確かわからないのですが、
捜査機関がどういう形であるのが一番正しいかということを検事と
警察との関係で
考えなければいかぬと私は思う。
そこでさっきちょっと言った刑訴の百九十三条の問題が出てくるでしょう。一体百九十三条をどういうふうに理解したらいいのですか。指揮権の問題をどういうふうに理解したらいいのか。実は僕は、新刑訴になって検事の
警察に対する指揮権はなくなったなと初め思っていたのです、そういう説明を受けていたものですから。そうすると、そうじゃなくて百九十三条がありますということで、一体どういうふうにこれを理解したらいいのだろうかということになってきたわけです。これはどういうふうに理解して、どういうふうにあなた方は解釈するのですか。検察官の司法
警察職員に対する指示、指揮が一体旧刑訴と新刑訴とで違うのですか、違わないのですか。どうなんですか。