○池田(克)
委員 大臣ということより一人の
政治家としての
お話を伺ったのですが、実は私もこの問題に関心を持って、中教審の
答申というのを調べたことがあるのです。去年の
予算委員会に、中教審の
答申を調べたのと、それから当時まだいろいろと議論のやかましかった
臨教審と、項目を拾って表にしたことがあるのです。実は
予算委員会に提出しまして、こういう小冊子にして持っているのですが、こういう表なんですが、後でまた
大臣のところにお届けしますけれども、非常に似ているのです、そのテーマのあり方なども、試補制の問題だとか、初任者研修の問題だとか、あるいは
大学のあり方として研究院を創設するだとか。比べてみますと、項目としては、
昭和四十六年に出ている中教審の
答申とかなりぴったりだなと私は当時思ったくらい似ているのです。この
教育の政革というのは既に
一つの
答申を得た、中教審のこの
答申はかなり立派なものだと言われております。これは
総理にも私は
予算委員会で伺いまして、
総理も、内容は立派なものだったと言う。なぜこの中教審が思うように進まなくて、今日
臨教審をつくらねばならなかったのかということをくどくど
総理に伺ったのです。私の認識の中では
予算が十分に伴わなかったと思っておりましたのですが、
総理は、
予算もさることながら世論が十分に熟してなかった、こういうふうに
総理は答弁をしておられたのですね。私はそれを否定するつもりはございません。もちろん世論もそうだったと思うのです。
やはり、今日まで
教育についての議論ということは随分あった。率直に申しまして、中教審
答申でも今日の
臨教審の御議論でも、共通する部分はかなりあろうと思います。問題はやはり、特に
教育の問題というのは
政治的中立性ということが法律にもうたわれておりまして、こうやって国会で
審議していても、ほかの役所を相手にするのと違いまして非常にもどかしいものを感ずるのですね。あるいは
予算の問題にいたしましても、特に
大学教育などにおきましては
大学の独立性と申しましょうか、自治というのが建前ですし、いろいろな財産の処分についてもやはり
大学の意向というものは重要だし、入学試験
一つをとっても
大学の
先生方、教授会の意向というものが
中心だし、我々がここで議論するのは、本当に
教育については参考意見ということなのかなと現実にそう思うのです。そうしますと、
教育というのは
国民の非常に関心の深い
改革テーマなのですが、それを
一つの目標を持って
改革していこうとしますと、さっき
大臣の
お話のように、何か
一つの御議論をして
答申ができ上がった、さあ、これをひとつ研究して
皆さん方が御自分の良識で
改革を進めてくださいと言うだけでは、どうもまた中教審の二の舞になってしまうのではないかというふうに実は思っているわけです。
この中教審の
答申というのについて、私は失敗だったとあえて断定はしませんが、ことしの二月に
総理とやりとりしたときには、
総理も、率直に言えば君の言うとおりだなと、失敗を認めていらっしゃった部分もあるのです。そうしますと、今度は失敗できないな、少なくとも出てきた議論については、
国民がなるほどなと思う程度の
改革の実を上げていかなければならない。確かに長くかかるものもあると思います。かなり早くできるものもあると思うのですね。ですから、そういう
意味では、これは
大臣の個人的な御見解ですので私はこれ以上申し上げるつもりはありませんけれども、何らかのこの
改革の後をあれする、
文部省だけではやはり
立場上もありましょうし、いろいろな諸官庁との絡み合いも出てくると思うのです、そうした問題で
文部省を超えた何かの機関というものが必要なのかなという気もしているのですが、これも私の個人的なものです、うちの党内でこれを議論したことはまだないのですけれども、少なくとも、今日まででも一次、二次と
答申が出ておりますが、それの実行などについてもこれからお尋ねしたいと思いますけれども、かなり面倒だ、時間がかかるというのが
実態だと思いますので、これは言うなれば第三者から、さっきの
お話にちょっと反論するようですが、多少はおしりをたたくくらいのものがどこかになければいかぬのじゃないかなという
気持ちを私自身としては持っている。
臨教審の設置法が出てきたころからずっとこの問題をやってきた者として、そんな長い経験者ではありませんが、私はそういう
気持ちを実は持っておりますので、どこか念頭に置いていただければと思うわけでございます。そんな状況で、今私が申し上げたことについて何か
大臣、御発言があればお伺いしたいと思います。