○
竹内参考人 今
牧野さんおっしゃったことに私非常に賛成しているところが幾つかありますので、そのことについてちょっとつけ足しみたいな形で述べさせていただきたいと思うのです。
まず、
最初のころにおっしゃったのが要するに
ソフトといいましょうか、インテレクチュアル何とかとおっしゃっていましたが、そういうものがこれから
日本の金のもとになるわけですから、一種の資本なんですから、これを決して安く売っちゃいけないんだということ、これはとても大事なことだと思うのです。特に、これはさっき
牧野さんもそのていのことを多少おっしゃいましたが、例えば大陸のチャイナと何とかやろうということになりますと、本当にどうもひどいのです。要するにただでくれろという
感じなんです。賠償金を蒋介石が払わなくてもいいと言ったので払わなかったことのアフターエフェクトが来ているのじゃないかなんて書いている
評論家もいますけれども、そういうことでずっとおつき合い願うことはできないと思うのですね。ほかのいわゆる自由主義国と言われている国では、まだそういう観念がありますからいいですけれども、社会主義国とつき合います場合には、やはりそういうことをよほど腹構えしていかないとえらいことになってくるのじゃないかと思うのです。
例えば、いずれソビエトのゴルバチョフさんなんかがやってきますけれども、こんなときなんかも何か調子に乗って安い取引なんかしない方がいいと思うのです。これは非常に大事なことだと思います。何かジョイントワークだとかなんとかいってうまい口先にだまされて、
ソフトをそのときに込みで安く売っちゃったりするなんというのは国を誤ることだと思うのですね。ちょっと過激な論調かもしれませんが、これは非常に大事なことなので、
牧野さんがおっしゃったことを言っているだけのことなんですけれども、
一つつけ足しにしておきたいと思うのです。
韓国なんかもちょっとやりにくい方なんですが、だんだんこういうことになってくるのじゃないかなと思いますのは、台湾というところはまだしもそういうところが自由主義国に近い取引ができるんじゃないかなというようなことをちょっと経験しましたので……。私、ややコマーシャルめきますけれども、
大学をやめましてから、今、「ニュートン」という科学雑誌の編集長をやっております。これは非常に大事なことで、特に若い人たちに科学を知ってもらうということではこういうことをやるのがとても大事だと思って、
大学をやめてからはそういうことに打ち込んでいるつもりなんですけれども、今
日本で大体四十万部売っております。科学雑誌で四十万部売るというのも珍しいと思うのです。売れて金が入るので喜ぶというほど単純じゃないので、それくらいたくさんの若い人が読んでくれるのはうれしいと思うのですが、問題は台湾なんです。台湾が、
日本「ニュートン」が成功すると直後くらいに台湾のある出版社がやってまいりました。台湾とか
韓国は御存じのように国際翻訳同盟というのでしょうか、何かそういったところに加入しておりませんから、別に何も断らなくて海賊出版してもちょっと文句言えない筋合いなんですね。さっき
牧野さんなんかは
自分の本が何とかいろいろおっしゃっていました。僕なんかもいろいろ訳されているらしいのですが、いまだもろうたことありませんけれども、それはそれとしまして、だからなお感心だと思いますのは、台湾からある出版社がやってまいりまして、台湾では今言ったように海賊版を出してもいいんだけれども、
うちはそんなことしたくないと言って、ちゃんと使用料みたいなものを払って実に立派なものを出しまして、驚くなかれ台湾で四万部売っているのです。これは僕ちょっと驚くべきことだと思うのです。御存じのように台湾の人口は千八百万くらいでしょうか、
日本は一億何千万ですからね。まだ経済のレベルは
日本に比べれば低いと思うのですが、そういう国で結構四万部売っているというのは驚くべきことです。それでまた、それが若い社長なんですけれども、本当にこっちが嫌になるくらいしばしばやってまいりまして、こういうことをやりたい、こういうことをやりたい、これで幾らでと言うのですが、またそれが華僑の精神なんでしょうか、いろいろ値切ったり、そういうコマーシャルの取引に僕が出るわけじゃありませんけれども、担当の者が困り抜いているくらい熱心なんですね。言いたいのは、困るということではなくて熱心なんです。つまり全部商取引としてやってくれているわけです。そういうことをやろうと思えばだんだんできるんじゃないかと思うのです。その辺はやはり国と国との何か駆け引きみたいなことになってくると思うのですが、さっき
牧野さんおっしゃったこと、そういう
意味では非常に大事なことをおっしゃっていると思いますので、それがつけ加えの一点なんです。
それから、さっき
日本人の
創造性ということをおっしゃいました。私も全く
牧野さんと同
意見なんです。
日本人というのはやはり相当すぐれた
創造性を持っていると思うのですね。ただ、これも
牧野さんおっしゃったことですけれども、天から降ってくるような、何か偶然というようなことをおっしゃいましたが、そういうのですと、まだ
日本人はそういう
創造性にはやや欠けているところがあるんじゃないかと思うのです。何しろ自然科学というか学問の歴史を考えましたって、イギリスにはニュートンが出てから何百年たっておりますが、
日本がそういうものを受け入れたのは明治になってからで、百年と四、五百年の違いがあろうかと思うのです。そういう学問の歴史の短さのせいだと僕は思っておりますけれども、まだ天から降ってくるような、一
世紀に何人しか出ない天才がやるような
創造というものには多少乏しいかもしれません。
ところが、
日本人は、これは多分農耕民族だからだと思うのですが、お互い寄り合って、よく言われるのですが、
会社を引けてから赤ちょ
うちんでもって何か余り浮いた話はしませんで、
会社をどうしようというような話をやっているというのを、僕は行ったことないから知りませんけれども、そういうふうに書いてあります。つまりお互いに力を合わせ合ってやっていくというような、ちょっと劣るけれども十人くらい合わせれば、天から降ってくるようなインスピレーションを抱く天才を追い越すことができますからね。そういうようなことで、僕は
日本人はすごい
創造性を持っていると思うのです。
これはまた話が横へそれますが、
本田宗一郎さんというのは、
牧野さん盛んに褒められましたが、僕も実に立派な方だと思います。あの方はもう
自分のおつくりになった
会社を六十前にみんなほっぽり出してというか、つまり責任の地位から退かれました。僕は
本田さんから伺ったことがありますが、おやめになって一年くらいは、何かもう反射的に朝になると立ち上がって車に乗って
会社の方へ出かけるんだそうですが、途中で思い返して帰ってきたというのですね、
自分が行っては邪魔になる。これは偉いことだ。
今度は、ちょうど
本田さんがそういうことをやっていらっしゃるころだったと思うのです、僕は
本田技研の
研究所へ行って伺いましたら、その
所長さんはこれまた偉いことを言うていました。
本田さんの精神をちゃんと脈々と受けていたと思うのです。それから、今私がここでつけ足しをしておきたい
創造性とも関係することなんですけれども、
うちは
本田さんがやってくると追っ払うと言うのですね、
研究所では。なぜかというと、ああいう天才だって、それは寿命がありますからいつか死ぬだろう。そういうときに今私が言った準天才みたいな者が十人くらい集まって、
本田さんの一天才を抜こうというようなことをこの
研究所でやっているので、そこへ何かいろいろなディスターバンスが入ると困るので、来ると追っ払うんだということを言うておりました。これは非常に大変な、つまり創業者も立派であったけれども、それを受け継いだ人もそういう
創造性の何たるかを理解した立派なことをおやりになっていると思うのです。
とにかく卑下することはないので、むしろ
日本人は非常にすぐれたいろいろな特性があって、それは僕がさっき申しました農耕民族でお互いに助け合っていくというところから出ていると思うのです。知恵を出し合って、手柄をひとり占めしないとか何かいろいろいい特性がありますけれども、それのせいだと思うのです。
嫌らしい例を
一つ思い出しましたのですが、私、若いころに
アメリカへ行ってすぐのころに、
アメリカの学会で話したことがあるのです。
日本の学会ですと、そういうときには弁士の講演が終わりますと一問一答というのがある。いわゆる質問がある。それは何か言って答えるのですね。僕の演説が終わりましたら一人のやつがとことこと僕の横へ出てきまして、質問するのにはえらい接近してきたなとやや警戒の念を出しておりましたら、驚いたことに、これは
日本では見なかったことなんですけれども、
自分も
竹内と同じことをやったという演説を始めまして、僕と同じ時間くらいしゃべったのです。これは肉食民族と穀食民族、ここが違うと思ってそれ以来嫌らしくなりましたが、そういうような
感じがあるのです。
それと反対のようないい特徴を
日本人は持っているわけですから、卑下することはないし、こうなってきますとこういう特徴を臨教審あたりで議論していただかなければいけないのじゃないかと思うのですけれども、お互い助け合って頑張ろうじゃないかというようなところをも
うちょっと教育して、まあ教育しなくても
日本人はそういう特性を持っているのだと思いますけれども、教育したらもっとよくなりますから、したらいいのじゃないかなと思うのです。
それからその次にもう
一つ大事なのは、よく言われます軍備なんです。軍備がいいか悪いかというようなことを何か哲学みたいな問題とか宗教みたいな問題で近ごろ論じられているように思えて僕はしようがないのです。そういう論じ方をするのはおかしいのじゃないか。僕は、軍備というものは経済という面から見たらいいのじゃないか、こういうふうに思うのです。
例えば、今一生懸命軍備をやっておりますのは二大強国の
アメリカとソビエトです。そのためにこの両方の国の経済ががたがたになっているというのは事実だと思うのです。
まずソビエトの方を申しますと、そのために人々の生活というものが非常に事欠く状態になってきて、それでどうしようもないという状態になっている。僕は、だからソビエトの方に多少のいら立ちがあると思うのです。アイスランドの会談なんかでも強いことは言っておりますけれども、我慢し切れない。つまり、民需を抑えて軍備に注ぐという限界まで来ていて、何とか妥協したいという色が見えるように思うのです。それがソビエト側の事情です。
一方、
アメリカ側の事情は、さっき
牧野さんは違ったニュアンスでおっしゃいましたが、
産業の
空洞化というのが起こっておりますが、そのかなり大きい原因が、いろいろな
技術だとか、それから人、科学者、
技術者、金や人を軍備に関係した
研究に注いでいるということにあるように思うのです。
アメリカの経済が落ち込んできているのもそこにあると私思うのです。
そういう
意味では
日本は、戦後やや強制された形で平和国家としての道を選んだわけですが、これあったればこそ現在の経済繁栄が来たと思うのです。というようなことを改めて言うまでもないのですけれども、これはかなり真剣に考えて、そういう見方から軍備というものを見ていったらいいのじゃないか、見ていくべきじゃないかと私は思うのです。
端的に申しますと、軍備というのはおつき合い程度にすべきだと思うのです。これは戦後吉田茂さんという方が偉かったと思うのですけれども、平和憲法をつくって、
アメリカの軍備のもとで協力を受けるというか中へ入る。これは経済問題として考えると、
アメリカが腹立たしくなるくらいに利口な道を
日本は選んだと思うのです。その路線を戦後ずっと
日本は歩み続けているわけですから、それから外れない、そういう
意味のおつき合いですけれども、軍備はそういう
意味のおつき合い程度にとどめておいて——本当は軍に注ぐ金はゼロだった方がいいのですけれども、しかしそうは言っておられませんので、おつき合い程度の軍備というものを考えるのが
日本の
科学技術に関係していると僕は思うのです。そういう道を選んでいけばまず
空洞化は起こらないと思いますので、そういう
意味でこれはとても大事なことだと私は思うのです。
というようなことを、二、三
牧野さんのしり馬に乗って申したわけですが、これから少し
自分の大事だと思うことを二、三言わせてください。
一つは、いきなりどうも変な話になってきますけれども、私、地球物理という学問を長いことやってきましたのでいつも思いますことは、
日本の心配というのは
一つが東京大地震だと思うのです。これは今現在駿河湾あたりが危ないと言われております。またそれには地球物理的根拠がありますけれども、そのことを別にいたしまして、やはり東京が大地震に襲われたときのダメージと静岡が襲われたときのダメージとは
日本国に与える影響としては違うと思うのです。これは決して静岡をないがしろにするというような
意味にとらないでいただきたいのですが、それではずっと起こらないかというと、これはどう考えましても起こるわけです。いつの日にかは東京大地震というものが起こると思うのです。そのときの問題です。
この前、一九二三年ですか起こりました関
東大地震のときは、とっくに御存じと思いますけれども、あのときの物的損害が五十億円でした。当時の国家予算が十五億円でしたから、国家予算の三年分余りがすっ飛んだわけです。それから人的損害、行方不明も入れまして死んだ人がおよそ十五万人でした。そのままの状態が今起こったとしますと、これはやはり相当
日本国にとっては大変なことです。国家予算の三年分も一遍にすっ飛んじゃったらどうしようもないわけです。
じゃ、どうしたらいいかということです。地震の予知なんというようなことをいろいろやっているじゃないかと言われるのですけれども、私は、なかなか物の役に立つ地震の予知は難しかろうという考えなんです。物の役にというのは、つまり、いつ起こるということがなかなか言いにくいのですね。いつ起こるかをちゃんと言ってくれなければ予知としての
意味をほとんどなしませんから、そういう
意味で大変難しかろうと思うのです。しかしとにかく起こるのは必ず起こる。しかし、いつ起こるかというようなことも込めて、地震の予知はできない。それではおまえ、一生地球物理を勉強してきたというけれども、何をやっていたんだときっと
牧野さんあたりは僕を責めるのじゃないかと思うのですけれども、それはそう言われると困るのです。地震というのは非常に物が破壊する、地面が破壊する現象で、確率統計的な現象ですから、確率統計的な現象を予知するというのは非常に難しいのです。あしたの天気だってなかなかわからないわけですからね。おまけに天気の場合は、最近は気象衛星「ひまわり」から雲の動きはわかるのですけれども、それでもあしたの天気はあれだけ難しい。ましていわんや今度は、地球の中は上の方から見て透いて見えるわけじゃありませんのでわからなくて、というようなことになりますと、その難しさの程度を御理解いただけると思うのです。
さあ、必ず起こる、予知は難しいということになって、おまえどうするんだ、責任をとれというようなことになってくると思うのです。しかし僕は、問題がちょっと変なぐあいになっているように思えてしようがないのです。地震の予知をなぜしたいかというと、結局は地震による損害を少なくしたい、これが目的だろうと思うのです。それは地球物理学者は予知するのがおもしろい、こういう人ももちろんいますし、そういう好奇心をとめることはできませんけれども、国から金をいただいて
研究するのは、なぜやっているのかといったら、やはりそれはもう当然のことながら、起こったときの損害を小さくする、その手だての
一つとして予知ということを考えているのだろうと思うのです。
ところで関
東大地震の場合について申しますと、実はあの場合には火事が物的にも人的にも損害を五十倍にしているのです。さっき物的損害が五十億円と申しましたが、関
東大地震の後ですぐ地震学者たちが行って調べまして、例えば、くしゃっとつぶれた家と、つぶれた後で焼けた家とは、見ればわかるわけですから、というようにして調べてみますと、地震が起こって二、三分でくしゃっとつぶれた家、それによる損害というのは一億円程度だという調べがあります。それが五十億円に膨れ上がったのは、あの場合には言うまでもなく火事なんです。人的損害についても大体それと同じようなことが言えます。地震でくしゃんというので死んだ人は二、三千人と見積もられております。それが十五万人に膨れ上がっているのですから、この場合七十倍です。ですから、逆の言い方をいたしますと、あの大正十二年の関
東大地震の場合、火事が起こるということがなければ損害は五十分の一にとどまったであろうということです。これだってゼロではありませんけれども、五十に比べては一はゼロだと私は思うのです。問題は、ただしこれから次の東京大地震でまた火事が損害の倍率を掛けるのかどうか、そこのところはちょっと疑問がありますけれども、まずさしあたり焼けない家をつくるというようなこと、これはいろいろな手だてがありますから、地震の予知とは違いましてこれはできることですから、というようなことにも
うちょっと気を使うべきじゃないかと私は思うのです。おまえ、東京のことばかり言っているけれども、大阪は大丈夫なのか、それはどこらじゅうやれたら一番いいのですけれども、冒頭にも申しましたように、東京で起こったときの被害の大きさは大阪で起こったときに比べてもちょっと国に与えるダメージとしては違うと思いますので、みんなやれたらいいのですけれども、専ら私はまずは東京のことを言いたいと思うのです。
さあ問題は、次の東京大地震のときの被害に倍率を掛けるものが火事であるかどうかという問題です。これは僕は、やはりあのころに比べましては家もだんだん火に対して強いものができてきましたし、それが数十倍にするということはまずなかろうと思うのです。それは思うだけで、実際どうなるかわかりませんけれども。当然火に注意すべきだということは変わりませんけれども、ウエートはやや落ちてきているのじゃないかと思うのですが、私は、それにかわってもう
一つ重要なものが現在出てきていると思うのです。
どういうようなことかというと、要するに
情報の伝達みたいなことなんですけれども、例え話で申しますと、私は目黒の柿の木坂というところに住んでおります。それから私のオフィスは西新宿にございます。それから孫が一人学校へ通っておりますが、芝白金の辺に通っております。非常に都合の悪いときに東京大地震が起こったとします。僕がオフィスにいて、孫が学校にいて、家の者は家にいてというとき、そういう状態を考えましたときに、例えば私がすぐに西新宿のオフィスから家へ電話を入れて、大地震がいったな、だけれどもおれのいるビルも大丈夫だし、
自分自身も大丈夫だったよ、家はどうだというようなことの連絡がとれれば、同じようなことが孫と家人との間にとれれば、仮にその後私が二、三日家へ帰れなくても、そして時々刻々、時々電話をかけてというようなことができれば、これは不安の程度といいましょうか、それは非常に少ないと思うのです。ところが逆に、電話線がすべて断たれてとか錯綜してというような場合のことです。これは冗談じゃないので、宮城県沖地震というのが数年前に起こりましたが、このときに電話が錯綜でもって数日間通じなかったという例があるのです。仙台ごときと言うと仙台の人は怒るかもしれませんが、それでそうですから、東京でこんなことが起こったらえらいことになると思うのです。こういうときに、何か電話線を臨時に借りるとか、僕は具体的な方法は余り知りませんけれども、人工衛星をそのときだけチャーターするとか、とにかくそういう手だてを講じておくということが大事です。これはやはり、前の関
東大地震のときのような火事による損害が次の関
東大地震で少なくなったとしても、今私が心配しているようなことで起こります損害というもの、これがえらいことになるのじゃないかなと時々不安になるのです。こういう点についての何というか、前もってといいましょうか、手だてを今の
うちから考えておくべきじゃなかろうか。私はずっと地球物理学をやってきましたものですから、また、やってきた立場で社会的責任というものをいつもいつもひしひしと
感じているものですから思うのですけれども、非常に心配というか、今の
うちから少なくとも憂慮しておいた方がいいというようなことの
一つに、この関
東大地震のときの
情報連絡というようなことについて何か方策を講じておくべきじゃないかということを申し上げておきたいのです。
それから、これからの
産業の行く末というか、いろいろ考えておいたらいいというようなことで、これも
牧野さんは、こういうことが重要だ、こういうことが重要だとおっしゃったこと、非常に的確におっしゃっていると私は思います。おっしゃったことのまた復習みたいなことをいたしますと、いろいろな集積回路だとかそういった問題、そこのところだけ、その生産がハイテクだというような誤解が私は世の中にあると思うのです。それは
牧野さんがおっしゃったとおりです。しかしそれは、
産業としてはパチンコの四分の一の規模だというようなことでびっくりしましたが、でもこれは欠かせないのです。これも
牧野さん的確におっしゃいましたが、つまり人間の栄養みたいなもので考えると、たんぱく質とかそういうもののほかにビタミンが必要なわけで、それに当たるようなことだと思うのです。問題は、まさにこれも
牧野さんおっしゃったように、そういうものは大きい電機
会社あたりに、ほかのところでもうけてもらったその余りの金をうまく回してLSIとかそういったものの
研究をやっていただく。それは大きい
会社の責任だし、もしかすると国がそこに適当な援助というようなこともあろうかと思うのです。ただ、国全体として、国の経済を賄っていくという
意味ですと、そういうふうにしたハイテク
技術というものをやはり人々の生活に、また経済の規模としても大きいようなところに応用していく。川上と川下という言い方がよくなされますが、川下の方に行けば行くほど川の流れが大きくなるわけですから、そういうところにうんと利用するということが私はとても重要だと思うのです。
それで、そういうことの
一つとして考えられますのは、私は長いこと
大学におりましていつも思っていたことなんですが、教育というのが恐ろしく非生産的だと思うのです。まあちょっと漫画的な言い方、かつていたところに泥をかけるような言い方なんですが、僕はそういうことをしてこなかったつもりですからいいのですけれども、例えば
大学の
先生なんというのは、まずとにかく普通の人にはとてもわからないようなしゃべり方でしゃべります。僕は西田哲学なんというのが悪かったと思っているのですけれども、要するに何かわからないことをしゃべると、あの人はおれにもわからないことをしゃべっているから、もしかすると偉いのじゃないかというような誤解を起こすというようなところがあると思うのです。というようなことをこの間ある仏教の人に話しましたら、昔の天台宗だとかそういうところはみんなそれで食っていたというような話をしてくれまして、そこへ親鸞とか日蓮が出てきて、在俗仏教というのでやっと多少わかるようなことを言うてくれたというような話でしたけれども、それはやはり、これもさっき
牧野さんおっしゃいましたが、とにかく
国民の税金で教育の任に当たってもらっているわけですから、この辺も
うちょっとまずしゃべり方あたりも考える。
それから、教育と
研究というようなことをよく言うのですね。それで、何か
自分はすごい
研究をやっているから教育なんかどうでもいいわというような非常に間違ったことを言うているやつがいる。そういうやつに限って
研究の方も何もしてないんですけれどもね。これはどういうふうにして活を入れたらいいかよくわからないのですが、何か教育の能率というものが恐ろしく非能率だと思うのです。だからやはり何というか、さっき
牧野さんもこれはおっしゃいましたが、そこに何とか競争原理みたいなことを入れなければ話は片づかないと思うのです。親方日の丸でわからないことをしゃべっていても大丈夫だとか、
教授になったら何もやらなくても定年まで食えるとか、ちょっといけなさ過ぎると思うのです。そういうところへ活を入れてもらわぬといかぬと思うのです。
とにかく教育を考えましても、これはいろいろな見積もりの仕方ですけれども、教育
産業というのがかなりの規模だというのですね。教育
産業にもいろいろあります。
大学だとか小学校まで入れて、それから塾から、何ならマスコミ、
テレビとかみんな入れたらえらいことになると思うのですが、十兆円か二十兆円の規模だと思うのです。これは相当大きな規模なので、そこにいろいろなハイテク
技術を使って教育を効率化することが非常に大事なことじゃないかと思うのです。
一例で申しますと、教育
テレビというものがあろうかと思うのですね。例えば山の中の高等学校でなかなかできないような実験を
テレビの画面でならば凝った実験室の中でやってもらうことができるわけですから、そういうものを見てもらえば山の中の高等学校でも非常にちゃんとした教育ができるわけですし、そういうところへ出てくる弁士の
先生もわかりやすいことをしゃべる人を一義的に選びましてやれば、教育の能率をうんと上げられると思うのですね。そういう観点から教育
産業をもう少し効率化するというようなこと。ほかにもいろいろあろうかと思います。
今は教育
テレビのことを申しましたし、またまたコマーシャルめきますが、私がやっている科学雑誌なども教育の効率化に貢献する
一つの
仕事じゃないか、そう思って私は一生懸命やっているわけですけれども、も
うちょっと教育の効率化というようなことを言いますと、教育という神聖なるものを土足にしたというような
感じのことをおっしゃる方がいるのです。これは僕は大間違いだと思うのです。とにかく
大学の
先生は
国民の税金で養われているわけですから、教育を立派にやらなければ務めを果していないわけなのですから、この辺のところをも
うちょっと考えるべきじゃないかと思うのです。
それから、
産業規模から申しましてとてもハイテク
産業とは言いがたいのですけれども、僕は
日本人の特性に適したメンテナンス
産業とでもいいますものがあると思うのです。
メンテナンス
産業と言ったっていきなりはよくわかりませんけれども、例えば大きい方から申しますとチェルノブイリ原子力発電所がばかんとああいう爆発をするわけです。それなども、私は非常に興味があるものですからその後いろいろ入ってきます文献をずっとフォローしておりましたけれども、あれで何か起こらないのはおかしいというような変なメンテナンスをやっております。それからスペースシャトルです。今すこぶるNASAが落ち込んでおりまして、あれなどもメンテナンスとしてよく考えますとどうもたるんでいる、そんな
感じがしないでもない。ところが
日本人はこういうことがすこぶる得意です。
日本の
国民性のどこかにそういうところがあると思うのですね。
よく冗談に言いますのは、
日本人は車を買いますとやたらぴかぴかに磨きますね。走るだけということを考えましたらあんなのは磨かなくてもいいわけです。
アメリカ人なんか磨いておりませんで白いほこりをかぶっておりますが、
日本人はぴかぴかに磨きます。それはやや漫画的ですけれども、もしかするとそういったところにメンテナンス
産業というか、そういうのが得意な適性みたいなものが出てくるように思うのです。
例えば今の集積回路をつくる
工場なんかへ行きましたらもっと徹底していますからね。マスクをかけて、入るときにみんな口をぬぐって、看護婦さんが着るような着物を着て入る。これなんか潔癖みたいなことがなければおよそ関心がないわけですからね。だからこれから発展しようなんて国でなかなかハイテク
産業がつくれない
一つのところは、そういうやや潔癖みたいなことに関係した問題があると思うのです。そういう点でいきますと、
日本人はすこぶるすぐれていると僕は思うのです。メンテナンス
産業といいましょうか、メンテナンスというようなことにかけまして適性があると思うのです。
国鉄をやたら非難するのが多いのですけれども、国鉄で立派なことをやったと思うのが新幹線です。立派なものをつくっただけじゃなくて、御存じのように人身事故を
一つも起こしてないのですから、これはメンテナンスとしたらえらいことだと思うのです。褒めるところはも
うちょっと褒めてあげた方がいいと思うのです。いかぬところも随分ありまして、貨物なんというのに怠りを見せましたからどこかの運送
会社に負けちゃったりするわけで、だめなところはだめなんですけれども、新幹線のメンテナンスというのは本当に誇りにしていいことだろうと思うのです。つまり、こういうところは
日本人の適性にかなっているし、メンテナンスというものを広く考えますと
産業規模が大きいですからね。
またまた話が横へ広がりますけれども、例えば病院のシステムです。僕は元気なものですから余り行ったことがないのですが、横を通って大病院の受付あたりを見ているわけです。長いこと待っておりますね。あれなんかうまくやれば待ち時間がなくてやれると思うのです。そんなに難しいことじゃありません。だんだんそういうのを商売にして、
ソフト屋がきっと出てくると思います。あるいはもう出ているのかもしれません。そんなこともメンテナンス
産業の中へ入れるといいと思うのです。
それから、警備保障の
会社なんてありますね。これも文字どおりのメンテナンスですね。これなんか
技術としては大したことはないわけです。よく知りませんけれども、センサーかなんかいろいろなところへ取りつけて、それで中央のパネルかなんかでやるのだと思いますが、そんなに難しいことはないと思う。ですから、こんなのはハイテクではないのですけれども、メンテナンス、も
うちょっとそれを広く言いますと、いろいろなものを修理する
産業というのもこれから発展していくと思うのです。またそういうのに注目したらいいと思うのです。
大体電気
製品なんかを考えますと、電気
製品も一通り行き渡りまして、今さら何か買うてくれといっても買いたいものがないわけです。けれども、
製品ですからやはり壊れるわけです。壊れて電気屋へ修理に持っていきますと、電気屋は非常に嫌な顔をするわけです。新
製品を買ってくれと言うのですけれども、僕らは非常に勤倹節約で育ってきたものですから、そういうことをするに忍びないのですね。それはやや冗談に申しましたけれども、修理
産業というようなこと、それは電気
製品の修理だけじゃなくて、家の修理だとかいろいろな修理があると思うのです。家なんかもときどき取りかえたりなんかします。だからモジュールみたいになってある部分だけ取り外してなんということが簡単にできるようになったらいいと思うのですが、要するにそういったメンテナンス、それから修理
産業、こんなのはハイテク一辺倒という人に聞かせますとみんな非常にばかにするのですけれども、も
うちょっと目覚めて
日本人の特性を発揮して、これは
産業規模が大きいので金としては非常にもうかると思うので、も
うちょっと力を入れたらいいのじゃないかと思うのです。
それから、これもさっき
牧野さんがおっしゃいましたが、
レーザーディスクです。これはまず
レーザーが基礎
技術としては非常に重要だ。僕は今出版なんかやっているものですから思うのですが、
レーザーディスク、これはえらいことになると思うのです。御存じのように、あのディスク一枚に数万ページ分くらい入るとよく言われておりますね。数万ページといいますと大きい百科事典三十巻物くらいが一枚に入ってしまうわけですね。しかもそれがランダムアクセスというのですか、どこか取り出そうと思うとぱっと出てきてくれるシステムというのがあるわけですから、こういうのをうんと使って、例えば百科事典の将来がどうなるかというと、今百科事典一セット買いますと二十万円、それが一枚二十万円で買うだろうかということをいろいろ言う人がおるのですが、
自分自身は買います。それは百科事典は家の場所をふさぎますから、場所代だと思うと二、三十万円は安いと思うのです。というような観点で、どんどこどんどこ
レーザーディスクに詰め込むべきだ。
これは
産業規模としては小さいですけれども国にとっては大事だと思いますのは、古文書というものが
日本にたくさんございます。
日本は少なくとも千年の歴史を持っておりますから、古文書がいっぱいあると思うのです。これは紙ですから、ほうっておきますと朽ちてしまいます。せっかくの大事なものが朽ちてしまいます。古文書なんかを蓄えるのにこれほど適したものはないわけです。
一つの県に
一つだけ
レーザーディスクの記録ができるものを買えばいいわけです。そんなものは何の
お金にもなりませんけれども、これで後世の人が大変喜ぶだろうと思うのです。
それから
テレビが大画面になったり、
コンピューターについているディスプレーが板になったりすると教育の能率がうんと上がると思いますので、そういうところも頑張ってほしいなと思うのです。
話があっちへ行ったりこっちへ行ったりして申しわけありませんが、大体このくらいです。