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寺田熊雄君 一般論として
裁判官が
憲法感覚なり人権感覚というものを十分身につけるべきであるという点、これは総長も是認されたわけであります。
私がなぜこういうことをあえて総長にお伺いをしたかといいますと、これは具体的な論議に入るわけですが、最近の
厚木基地訴訟判決ですね。この
判決は、公共性の強い国家の行為の場合は国民はこれを受忍する義務があるということで一貫していらっしゃるわけです。損害賠償の請求権も認めない、こういう
判決であったわけです。これは総長に
判決の批判をお伺いするんじゃないです。そういうわけじゃありません。
ただ、こういう
判決がありますと、戦前、御承知のように国防が国家の一番大切な任務なんだ、だから国防に対して陸軍が主張することは国民はすべてこれを是認しなければいけない、だから
国会でもそれに対してちょっとでも批判的な言動をいたしますと、当時の軍務
課長が黙れと言って
国会議員を一喝したことはよく御記憶だと思うんですけれ
ども、これは要するに国防なんだ、防衛なんだ、そこのけ、黙っておれ、一切文句言うなという戦前の思想を私は厚木基地
判決で思い起こしたわけであります。
その前に、御承知のように大阪国際空港の公害訴訟の
判決がなされました。このときはいろんな条件をつけて最高裁も損害賠償の請求権というのは認められた。私
どもは、公共の福祉という
憲法が守ろうとする
一つの
原則と、それから基本的人権の尊重という
憲法の大
原則との間の調和点として、差しとめは別として、損害賠償請求権を認めることによって
両方の調和を保とうとする最高裁の努力、そういうものがやっぱり大変尊敬に値するというふうに私
どもは眺めてきたわけですが、防衛に関しては黙っておれ、そこのけ、一切文句を言わせぬのだということにまで
裁判官が踏み切ってしまうと、一体
裁判官の
憲法感覚なり人権感覚というものはどこへ行ったのだろうか、そういう疑問を私
どもは感じたわけです。
これもやはり大変だ、ちょうど戦前に
裁判官がその意図に反してかあるいは知らず知らずのうちにか戦争に協力して、ああいう無益な第二次大戦を引き起こすのに実質上協力するようなことになったわけですが、今
裁判官がやはり第三次大戦を前にして同じようなことをやりつつあるのじゃないだろうかという心配を持ったわけであります。
これは、我々が
裁判官にこの
国会の場でいろいろ注文をしたりあるいは
意見を述べたりする機会は今の
憲法下では持ち得ませんから、どうしてもやはり事務総長を媒介にして、そうして何らかの意味で国民の危惧というものを
裁判官にわかってもらえないものだろうかということできょうは事務総長においでをいただいたわけであります。
殊に、防衛といいましても、今の防衛というのは
日本だけの防衛ということはあり得ないことはもう軍事専門家は皆認めているわけでしょう。これはアメリカの世界戦略の中の一環として組み込まれてしまっている。米ソが戦うときには、
日本はアメリカの押しつけてきた
一定の任務を担わされている。それは
日本にとって防衛になるのか戦争に対して加担することになるのか非常に疑問だという
考え方が今最近起きてきているわけです。そういうことに対して
裁判官が余り政治に関心を持って考えるということがいけないことなのだろうか、それともやっぱり
裁判官はそういう説もあるというようなこともその見識の中に含ましめていくべきなのだろうか、そういう点でもう少し
裁判官が高い見識といいますか、政治についてもある程度やはり理解というか、持っておらないと誤ってしまうのじゃないか。殊に
憲法九条の絶対的な平和
主義の
原則なんというものをすっかりどこかへ置いてしまって、ただ
政府の主張する防衛理論というものに埋没してしまうということは非常に危険じゃないだろうか、こんなふうに考えるんです。
それで、
判決の批判は一切これは事務総長にお伺いするわけじゃありませんけれ
ども、今お話ししたような政治的な問題に対して全く盲目であっていいのか、それともやっぱり
裁判官の見識の中には、そういう防衛に関する理論であるとかアメリカの戦略の存在であるとか、そういうものについてもある程度の理解を持っておった方がいいのか、一般論として総長はどういうふうにお考えになりますか。