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国務大臣(加藤紘一君) 源田先生は、非常にお若いときから日本の
国防という問題に身をもって御体験されてこられた方でございますから、いろんなただいまおっしゃっていただきました防衛のフィロソフィーみたいなものを私たちお聞きして、十分に理解していない部分もあろうかと思いますが、十分心にとめて今後の防衛
政策を
考えさせていただきたいと思っております。
今、先生がおっしゃいましたのは、
一つはMADというものの
性格についてこれでいいのかということでございましょうけれ
ども、その点につきまして、現在、世界の核の均衡がミューチュアル・アシュアード・ディストラクションで行われていることは事実でございます。先ほど
穐山先生のSDIについての御
質問に対して御
答弁申しましたように、現在、国と国との間の相互信頼
関係が十分に確立しておりませんし、また特に米ソの間の軍拡競争が非常に厳しく存在している中で、相互確証破壊というのはそこをとめる
一つの理論であろうと思いますが、だからそれが理想的なものであるかということにつきましては、だれもそういうふうには思ってないんではないだろうか。そして、できるならばその相互確証破壊のレベルを、我々の中曽根
総理もおっしゃっていますように、できるだけ低いものにして、そして最終的には核の廃絶に持っていくということの努力をしなければならないのだと思います。
そして一方、SDIというものは、相互確証破壊から相互確証生存の世界へ何とか持っていこうという、戦略論としては、哲学としては大きな転換であるのではないかと思います。先ほど申しましたように、MADの一番の理論的構築したと言われる米国、マクナマラ
長官が理論づけしたと言われておりますが、その米国で、従来そのMADの効率性を追求しながら、同時に、最近に至って大統領
自身が相互確証破壊の世界というのが本当にヒューマンなものなんであろうかということを大統領の演説でおっしゃっているということ自体、米国も何とか核の業の中から抜け出したいという気持ちが明確に見えているのだと思います。
ただ、問題は、MADの世界からMASの世界にそう簡単に技術的にできるのであろうか、フィージブルな、実現
可能性があるものであろうか。その辺と、それからその途中経過を十分コントロールしなきゃならぬのではないだろうか。そういった部分について私たちは今後慎重に検討していかなければならないのであろうけれ
ども、いずれにいたしましても、核の恐怖の均衡というものが、現在仮にそれで平和が保たれているとしても、将来何とか別の道を模索しなければならないということは、先生御
指摘のとおりなのではなかろうかなと
考えております。
それから、牛若丸の話でございますけれ
ども、私たちの国の防衛力というものは核の戦略面を持たないわけでございます。非常に節度のある
通常兵器だけの世界で、なおかつ専守防衛に徹しておりますから、ある
意味では、牛若丸ほど立派かどうか別にして、我々の防衛
政策がねらっているところも、そういう負けないようにひらひらと身をかわすというようなものなんではないだろうかなと、こう思っております。スポーツのサッカーで言うならば、どちらかというとゴールキーパーみたいなものでございまして、決して攻めではいかない、しかし攻めてきた以上は、全部キャッチして攻撃をかわすという非常に難しいことをやっているというのが専守防衛の
政策なんではないかな、こう思っております。したがって、専守防衛ですから私たちは決して
外国に行って勝つことを意図しているわけではなくて、
外国に行くだけの装備が
我が国にあるかといえば、源田先生特に御承知のように、長距離爆撃機を持つわけではない、大型攻撃空母を持つわけではない、ミサイルの射程だって
外国に届くものは一切ないということでございますから、私たちの行動が牛若丸のような非常に効率がいいものであるかどうか、また彼が持っていた扇子のように効率がいいかは別にいたしまして、我々が目指しているのも、勝ちを制しないけれ
ども負けないようにする
政策という
意味でやはり牛若丸精神なのではないかな、こんなふうに思っております。