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政府委員(
佐々木晴夫君)
柳澤先生から傷病
恩給につきまして大変厳しい御指摘をいただくということについては、大変私申しわけないと思います。まあこれにつきまして数字をお示しする前に、一言ちょっと私
どもの
立場を申し述べさせていただきたいと思いますけれ
ども、何分にも四十年昔の戦争の
状況であります。その段階でまさしく
公務に従事して受傷したかどうかということにつきまして、これを判断するのが非常に難しいという場合がしばしばございます。これは公金を扱うわけでありますから、やはりそうしたものは必要であり、これは現認証明なり、そのときの、例えば兵営の中での写真でもいいと、あるいは軍隊手帳があればもちろんいいわけでありますけれ
ども、いろいろとそのあたりにつきましては何でもいいからそうしたような証明をいただきたい、これが
一つであります。ただこれがなかなか難しい場合があります。
それからもう
一つ、何分にも受傷によるところの程度であり、それからその後遺症が、現在やはり年相応にあちこち痛まれる方もいらっしゃるわけで、その受傷との
関係いかんということについて、これはもう率直に言いまして、今私
どもが事務的に判断するよりは、実は専門医にいろいろと御判断を願いまして、私
どもとしてはそのあたりの御判断を最大限尊重してやっておるということでありまして、たまたま文章がこれはつっけんどんだと、こういうお話、おしかりでございますけれ
ども、それは私
どもとしては誠意を持ってこれについて審査をいたしておる、こういうことはちょっと念のためでありますけれ
ども申し上げさせていただきたいと思います。
それから、今数字をもって示せと、こういうお話であります。
傷病
恩給につきましては、御
承知のように初度請求、あるいは前には大したことなかったけれ
ども後で重くなったというその後重症、こうしたものがあります。それから、有期の
恩給につきまして五年後に再審査請求というのがあります。今先生が特に言っていらっしゃるのは最初の初度請求ないしその後請求だろうと思いますので、そのあたりの数字についてちょっと申し上げさせていただきますけれ
ども、
昭和四十六年度、これは申請件数が三千八百八十四。それから繰り越しその他一応省きますけれ
ども、そのうちで
給与したのが千六百四ということで、これが実は全体の処理の中の四七・三%になります。それから棄却が千四百五十八で、これが四三・〇%。返戻したもの三百二十九、九・七%。これは前からの繰り越しを含めまして、全体で三千三百九十一の処理をいたしておる。そのころは大体こうしたような四七%。
それから、逐年申し上げるのは大変恐縮でありますので、例えば五年飛びまして五十年度で申し上げますと、このときの申請が四千三百九十一。それから繰り越しがありまして、処理をしましたのが三千六百八十六。
給与をいたしましたのが千九百七十、これは五三・四%。それから棄却をしたのが千六百三、四三・五%。処理を返戻したのが百十三、三・一%。このころはわりかし
給与の率が高いのであります。四七、八%ないし五〇%に達しているものがあります。
ところで、それから十年たちました五十六年度の数字を申し上げますと、当時の申請が四千三十二。それから処理件数が、その年は繰り越し等も処理いたしておりまして四千八百八十九。その中で
給与は千二百三十六ということで二五・三%。棄却が三千六百六、七三・八%。返戻が四十七、〇・九%。
それから、さらにまた五年飛びまして六十年度、これにつきまして申請が千七百八十五。それから処理をいたしましたのが三千百七十四。そのうちで
給与が七百三十八で、二三・二%。それから棄却が二千三百九十八、これが七五・六%。それから返戻が三十八、一・二%。だんだん
給与の率が低くなっておるんです。これはそれだけやはり戦後四十年、これが三十年から四十年、なかなかそのあたりの判断が難しいという要素がありましょうけれ
ども、なかなか難しい事案が最近ふえてきておる、こういうことがお示しできようかと思うのであります。
有期の再審査につきましては、これはもう大体その前に査定をして五年後にまた再度審査するわけですから、大体
給与率は九四、五%。これは十年前もそれから現在もほとんど同じであります。
大体数字として今申したようなことで、初度ないしその後重症の場合には、大体四分の一はこれは容認をいたしておりますけれ
ども、あとは残念ながらこれは医者の判断を求めまして棄却せざるを得ないという場合が多い、こういうことを申し上げられるかと思います。