○栗林卓司君 大臣、
質疑を伺っていて感ずるのでありますが、きのう参考人の諸
先生においでいただいてお話を伺ったのでありますが、
特例債について、これはあってはならない公債なんですとおっしゃっておりました。言われるまでもなく当たり前のことでありまして、公債で資金調達をしながらその資金は一般
歳出で使ってしまう、これはもうあってはならないことなんであります。これは常識だと思うんですね。この常識がいつの間にか常識でなくなってしまった。
特例債というのは本来はあってはだめなんです。この常識に立って議論というのはできないものなんだろうか。
毎回
財確法をお出しになっておられますから、やがて、もういっときの
審議の苦痛さえしのげばとにかく
特例債は出せる、こうなってしまったのでは、もう
財政の節度もへったくれも何にもない。私、今問われているのは
財政の節度だと思うんです。
審議に参加している我々でさえ胸が痛いんですから、
財政の責任者として大臣のお気持ちもさぞかしつらかろうと思いますけれ
ども、議論していく入り口というのは、
特例債というのはあってはいけないものなんでありますから、その上に立って多少でも議論ができるんだろうか。
以下、若干意見を交えて申し上げますけれ
ども、
減債制度がございますれば多少ある面で言いわけもつかないまでのことはありません。
減債制度はどうかといいますと、その根幹部分というのは
定率繰り入れでありまして、これは以前よく議論をしましたように、片方で
特例債を
発行していながら
定率繰り入れができるか、これはもうナンセンスなんです。したがって、
特例債を
発行している限り
定率繰り入れはできないんですよ。ところが
減債制度は何としてもこれは維持していかなければいかぬ、私もそう思うんです。そうすると
定率繰り入れは毎年していかなければいかぬ。そのためには、
特例債を
発行しておりますと、幾らしたくたって
定率繰り入れをすること自体がナンセンスなんです。多少ややこしい借
換債と一緒でして、片一方で
借金しながら片一方で
定率繰り入れで計上していくというのはどだいナンセンスでありまして、したがって、
赤字国債、
特例債をなくすというのが
財政再建を考える場合の私は大切な
前提条件だと思うんです。もちろん建設公債もありますから、国の
借金という
意味では姿、格好は同じでありますけれ
ども、これをごちゃごちゃにしますと話がどうも見えてこなくなるものですから、きょうは
特例債と建設公債を分けて議論を申し上げます。
そこで、
減債制度の基本的な枠組みを守るためにも
特例債を
発行しないことがまず第一の
前提条件だ、私にはそうとしか思えない。ではそのためにどうやって
特例債発行を中止なさいますか。今のところは六十五年
特例債依存体質から脱却とおっしゃっておりますが、なぜ六十五年ならよかったんですか。
特例債をとにかくなくさなきゃいかぬというのは日々の課題でして、六十五年までは
特例債を出しても結構などという理屈はどこからも出てこない。そこで、ではどうやって
特例債を減らすのでございますか、こうなりますと、仮にもこれは公債ですから、
特例債を
発行することによっていかなる便益がそこに生じているんだろうか。そこに便益を感ずる人たちからいただくというのは、税金としてですよ、だれが見てもわかる筋道です。
増税なき
財政再建ということがあるものですから、なかなかに増税問題は議論がしづらかったんですけれ
ども、ただ、臨調がなぜ増税なき
財政再建ということを言い出したか。それは政府の、何
も政府だけの責任に私は押しつけるつもりはありませんけれ
ども、政府の自律能力に対する不信感ですよね。あくまでも増税なしということでしりを押さえておかないととてもできないだろう、それが増税なき
財政再建ということを第二臨調が言い出した本当の
意味ですよね。それは確かに第二臨調としてそう思いたくなるような現実があっただろうと私は思います。では一体、第二臨調がそう言うから税については一切考えません、そして片一方では、何と言われましょうとも金は要るんですという格好でずるずる
特例債の
発行に追い込まれていく、これは決していいことでは私はないと思うんです。それは税をもって充てるのか、あるいは
歳出の削減になるか、どちらかはそれはわかりません。いずれにしてもどっちかの道筋しかないわけです。そこで、
特例債はゼロにいたします、したがってこうであります、私は
大蔵大臣としてここまでのお話はする責務があると思うんです。
建設公債については今ちょっと私触れておりません。
特例債についてはこれはあってはいけない公債なんです。この常識の上にしっかりと座って議論をしていくのが今何よりも必要であり大切なことではないだろうか、こう思われてならないんですが、御所見伺います。