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上田耕一郎君 私、まず最初に経過をお聞きしましたのは、
昭和四十一年に
建設省が調査を始めて、
道路公団が
昭和五十一年からと、約二十年にわたる調査経過があるんですね。非常に問題点も多いし、二十年にわたるこのプロジェクトが急遽浮上してきたということについてはやっぱり非常に大きな問題点がありますので、よく審議が必要だと思っているからです。
今、
局長から答弁がありましたように、
昭和四十七年に
東京湾横断道路研究会というのができました。最高顧問は当時の経団連
会長の土光さんです。今は稲山さんが最高顧問になっております。これは経団連
会長がなっているわけですね。それから、
会長は永野重雄さん。永野重雄さんは新日鉄の名誉
会長であります。稲山嘉寛さんもそういう関係の方であることは御承知のとおり。今、
理事長は徳永久次新
日本製鉄副社長であります。ですから、この
東京湾横断道路研究会というのは専ら新日鉄。経団連、新日鉄、特に新日鉄、稲山さん、永野さん、徳永さん、新日鉄の
会長、副社長が中心になって
東京湾横断道路研究会、四十七年からやっている。君津の製鉄所もありますし、橋そのものも鉄鋼を大いに使いますから、そういう点で、新日鉄が自分の企業利益という点で非常に大きな関心を持って
東京湾横断道路研究会を続けてきたことは、これはもうメンバーや経過から見ても明らかです。
それからJAPIC、これは鉄鋼、
建設業中心で二十一団体、百六十一社が参加しております。
昭和五十四年に発足しましたけれども、JAPICが一番の目玉として提起したのが
東京湾横断道路でございます。五十四年にできたJAPICが、五十六年に
東京湾横断道路のカラーパンフをつくりまして、一万部印刷して各方面に配布しました。このJAPICも
会長は新日鉄の斎藤英四郎
会長であります。だから、斎藤さんがJAPICでJAPICの
会長になり、まずやはり
東京湾横断道路を目玉にして、すぐ一万部のパンフレットをつくるということで一生懸命やってきたわけです。ちなみにJAPICの副
会長は石川六郎鹿島
建設会長です。
きょうの日経新聞を見ていてなるほどとおもしろく思ったんですが、今経団連の
会長人事がいろいろ問題になっておりまして、五月二十八日の経団連総会で稲山嘉寛氏が勇退して、同じ新日鉄出身の斎藤英四郎氏が第六代の
会長に就任すると。就任理由について、こう書いてあります。「斎藤氏に内定した理由は次のように言われている。
日本プロジェクト
産業協議会(JAPIC)
会長として
東京湾横断道路プロジェクトをスタートにこぎつけるなどその行動力、各業界をまとめる調整
能力が
産業界で高く評価された」ということがあります。だから経団連の
会長人事、斎藤英四郎氏が就任するのも、今我々が審議している
東京湾横断道路、これをとうとうスタートまでこぎつけたということが
産業界から高く評価されたという日経の、これは学習院大教授の河合さんの論文であります。河合さんの論文で書かなくたって周知のことで、ですからこの
東京湾横断道路というのは、
建設省も
道路公団も二十年やってきましたけれども、新日鉄を中心にした鉄の大企業、またセメント企業、
建設企業がやっぱりみずからの企業の事業化のために、もちろん利益をつくるわけですけれども、非常に執念を持って
昭和四十七年以来わざわざ研究会もつくり、JAPICで後押しもし、業界の総意で推し進めてきたというものであるということは、以上の経過から見ても明らかだと思いますね。
私は今までこの問題で三回質問をしております。五十六年五月二十八日、斉藤滋与史
建設大臣のときに一回、五十八年三月二十四日、内海英男
建設大臣のときに一回、五十九年四月十七日に水野満
建設大臣のときに一回質問をいたしました。
水野
建設大臣のとき、このときは主に
東京湾の
航路運航の安全問題について質問をしまして、きょうの午前中の
参考人質疑でも
田尻参考人その他が引用いたしました
建設省の出した資料その他に基づいて、この運航問題、特に
避難錨地がこのままでは非常に減ってしまう、橋ができますと南北二海里、三・六キロ、つまり七・二キロは
避難錨地にすることができないというのが
経験則でほぼ明らかになっていて、それを運輸省、
建設省も採用して、
避難錨地というのは橋ができるととれないということになっているわけですね。それで、今でさえ
避難錨地は必要
錨地の半分しかないのに、これで七・二キロ海をとられてしまったら本当にこれは
東京湾は使えなくなる。私は当時議事録で運輸省の
課長さんが、これでは
東京湾は使えなくなるじゃないかということを述べている議事録まで引用して問題を詰めたことがある。
水野
建設大臣は御存じのように
千葉二区の方で、大変これには熱心だったそうです。ところが水野さんは私の質問に対して、マイナス面について検討するにやぶさかではありませんと、少し冷めた目で私はこれを考えているという答弁をしました。
委員会が終わってからですけれども、終わってから私のところに見えられて、やっぱり運輸関係、
船舶交通問題がなかなかこれは大変だということが、私も大臣になって積極的に取り組んでみたらそういうことがわかった、だから上田さん御心配なく、私は余りもう熱心にこれをやりませんよということを水野
建設大臣は言われておりました。
委員会の答弁でも、冷めた目で私はこれを考えているというふうに言われておりました。
ですから、二十年近く百億円以上の調査費をつけて橋でかけるという
計画については、もう水野大臣のときに運輸省、
海上保安庁も恐らくそうだったんでしょうね、それから海事七団体も、これは
東京湾は大変なことになるという反対が強くて、デッドロックに乗り上げていたのだろうと私は思うんですね。これは五十九年四月十七日ですからちょうど二年前です。二年前には橋のプラン、二十年、百億円以上かけて橋という
計画で皆さん方はこれを詰めてきた。それが安全というところでデッドロックにぶつかっていたんですね。
ところが、それが急速トンネルということになって、第九次
道路五カ年
計画で予算もつけられて頭を出してくる。そのときに私も質問をいたしましたけれども、急遽浮上してきた。それで
東京湾横断道路それから明石大橋、これは今の大規模プロジェクトの代表のように言われておりますが、ちょうど一九七二年に田中角榮氏が
日本列島改造論を発表して、田中内閣ができて以来
日本列島改造論、大規模プロジェクトを推し進めていって大問題になったわけですね。それが今また
日本列島改造論のちょうど中曽根版みたいに、一兆一千五百億円のこういう
東京湾横断道路、明石大橋、こういうのが次々出始めたんです。
これは私は非常に危険だと思う。大体、田中内閣の
日本列島改造論なるものはまことに荒唐無稽な
計画なんです。当時田中角榮氏は、今後十年間に
日本の工業生産量は四倍になる、それから旅客量も貨物輸送量も四倍になるということを言いまして、それであれだけの大ぶろしきを広げたんです。ところがこれが全く現実と違っていたし、
世界と
日本の経済情勢に全く外れた極めてこっけいなものであったことはその後の経過で明らかなんです。
なぜなら、彼が
日本列島改造論を出したのは七二年ですけれども、一九七一年はニクソン・ショックで金とドルの交換停止が決まって、七三年の末は石油ショックで
世界の資本主義の景気もわあっと落ち込む。
日本そのものも大変な経済矛盾が深化する段階に入るわけです。七一年というのはもう
世界資本主義の景気の曲がり角なんですよ。高度成長が終わって、それから新しい危機的な様相がいろいろ生まれる
状況に
世界の景気も踏み込んでいった時期なんです。もう高度成長は終わっている、それなのに七二年に高度成長以上の大ぶろしきを勝手に吹いて、それをしかも首相になってから実行していってさまざまな矛盾を引き起こした。地価高騰や大変な物価狂騰で国民も苦しんだことは、皆さんよく覚えていらっしゃると思うんです。
国鉄の赤字も、彼があのときに三兆七千億の十年間の長期投資をいきなり三倍にして十兆五千億に膨らましたということが国鉄の赤字の一番大きな原因であることはもう事実なんですが、そういうことをやって破綻がもう明白になった
日本列島改造論に似たようなものを、今、日米貿易摩擦を解決するための民間活力導入だということで、中曽根内閣がまた大ぶろしきを広げ始めた。
その大ぶろしきがどういう結果をもたらすかは、例えば最近の急激な円高、ついに百六十六円にまでなっているんです。自民党内部からも、こんなことをやっていたら
日本の輸出
産業、中小企業は壊滅だというような声さえ生まれるような、急激な円高となって
日本経済を直撃しつつあるわけですね。円高だけじゃない。私は、こういう
日本列島改造論型の全く無責任な大規模プロジェクトを広げ始めたということは、これはやっぱり前車の覆ったわだちから我々は教訓を引き出さなきゃならない。七〇年代初めに
日本列島改造論の田中角榮の大ぶろしきからどれだけ被害を受けたかということを知っている以上、今また無責任に広がりつつあるこの大ぶろしきがどういうものをもたらすのかという問題は、本当に我々国会としては、
建設委員会にこの法案がかかっている以上、真剣に深くいろんな面から討議していかなければならないと思う。
これまでにも政府が行ったいろんなプロジェクトで、
千葉ニュータウンしかり、それから青函トンネルしかりです。それから数年前私が取り上げたんだが、今また問題になっている中海干拓だってそうです。あれは八郎潟に続いて、中海干拓で水田を広げるというので始めたわけだ。ところがその後経済
情報が変わって米は減反になるという
状況なのに、行ってみると平気で続けているわけですね。おかしいじゃないか、こういう情勢が変わったら変えたらどうだということを私はこの
建設委員会でも取り上げたことがあります。しかし一度滑り出すと、本当にもう
タンクがばく進するみたいに進んでいってしまうわけです、どれだけ赤字が出ても。
今この
東京湾横断道路問題では、これは我々革新政党側だけでなく、また学者だけでなく、例えば
日本開発銀行の、後で述べますけれども、参事の方からもいろんな疑念、これは大変な大赤字、第二の国鉄になるんじゃないかということが、真剣に検討した上で論文で書かれたりシンポジウムで発言されたりしているわけですね。各界からさまざまな問題が出ているのになぜこれをこういう形で強行するのかという点で、私は疑問が非常に多いと思うんです。取り返しかつかない、法案が通って滑り出しが始まれば。予算がついて、もう国家権力の力ではく進してしまうわけだから、それで大赤字になったら若干反省をして、そのツケがまた国民に回って税金からというようなことでは、国民は救われないと思うんです。
だから、いろんな点をまず総論としてお伺いするんだが、この
東京湾横断道路というのは、全国開発幹線自動車道のネットワーク、これに入っていたのかどうか。それから、三全総の中で
位置づけがはっきり行われていたのかどうか。まず、この二つをお伺いします。