○関嘉彦君
科学技術庁関係の
質問はそれで終わりでございますので、私の
質問関係の
政府委員の方は退場なさって結構でございます。
次は
文部省関係に入りますが、民社党は前から
教育改革の問題に熱心に取り組んでまいりましたし、私自身長い間
教育界におりまして
教育の問題、今のままでいいのかどうかいつも頭を悩ましておりました。したがいまして、政治家になりましてから、私は文教
委員ではございませんけれども、事あるたびに
文教委員会の方にも顔を出しますし、あるいは予算
委員会なんかでも取り上げたことがあるんですが、若干そういった
質問と重複する点もあると思いますけれども御了承
願いたい。新しく
大臣になられた
海部さんに特に要望しておきたいことがございますので。
一つは教科書の問題ですけれども、教科書購入費というのは五十八年度の
決算にも出ております。私は、この教科書の問題を単に行財政改革の観点から取り組むべき問題ではないと思うんです。私は、議会に来てどの
委員会に出ても金を出せ出せというので、金を減らせという
意見は余り聞いたことがないんですけれども、ほかの
委員会じゃできるだけ金を減らすことを提唱したいと思っておりますけれども、
教育に関しては私は金をけちってはいけないと思うんです。したがって、そういう観点から教科書無償交付がいいか悪いか、あるいはこの予算をもっと削るべきかということを言っているわけではないんであります。つまり
教育効果、場合によっては教科書を余りたくさん使うことによって逆の効果を生み出しているんじゃないかと思うことがあるわけでございます。
海部文部大臣、前の
大臣のときにゆとりのある
教育ということを言われました。私も全く賛成です。しかし、ゆとりのある
教育ということを言うためにはまず教科目を整理して、教科目を整理すれば当然に教科書の数も減ってくるはずでございます。
一昨年の予算
委員会で、私の孫が
小学校の一年でしたので毎日持っていく教科書を持ってまいりまして、毎日こんなにたくさんの教科書をランドセルに入れて行ったり来たりしているんだということを言いましたら、そのときの森
文部大臣が、私の方には孫がいないのでよく知りませんでしたというふうなお答えがございましたけれども、ゆとりのある
教育をやるためにはやはり教科目を整理する必要があると思う。
そのゆとりの問題で私思い出しましたのは、イギリスにロバート・オーエンという社会主義者、これはマルクスの社会主義なんかとは全く違う、いわゆるイギリスの社会主義、イギリスのフェビアン協会の社会主義なんかの精神的な父になったとも言われている人なんですけれども、この人が
教育論を書いているわけでございます。また実践をした人であります。会社が社宅をつくるのは
日本だけの現象だというふうなことを言う人があるんですけれども、実はロバート・オーエンが初めて社宅を工場の横につくった。社宅をつくった理由は、
一つは労働者の
教育、もう
一つもっと大事な目的は労働者の子弟を幼稚園に集めて
教育する。幼稚園といっても今の幼稚園よりもっと程度の高い、小学生ぐらいまで含んでいたと思いますけれども、幼稚園に収容して、
教育するためには方々に散っていたんではできないからというので社宅をつくって、その子弟を幼稚園に入れて
教育したわけです。その
教育の
内容を見ますと、ダンスが非常に重視されているわけであります。これはつまりロバート・オーエンの
考え方は、ダンスといっても遊戯と
考えたらいいんじゃないかと思うんですけれども、狭い
意味のダンスだけじゃなしに、
子供のときにやはり遊戯、正しく遊ぶ訓練をすることが大事だ、そういう
考え方で幼稚園なんかを経営したわけであります。私はロバート・オーエン全体の
教育理念、
教育に関する
考え方には賛成しがたいんですけれども、しかしその幼稚園を非常に重視してそこでダンスを非常に強調したということは私は大いに学ぶべき点じゃないか。
日本の
小学校においてもやはり欠けているのはそういったダンス
教育といいますか、遊戯を教えることだろうと思うんですけれども、そのためには時間数が足りないという不平が必ず
先生の方から出てくるに違いない。それで私はやはり時間数を減らす、みんなどの科目でもやっぱり必要だといえばある程度必要なことはわかり切っているんですけれども、もっと大事なダンスなり遊戯を教えるためにどの時間を減らしたらいいかとなってまいりますと、私はやはり
小学校で教えている社会科の時間じゃないかと思う。殊に低学年、一年生から社会科の教科書があります。どういうことが書いてあるかというと、
自分の周囲の働いている人たちのことを知らせるために、一年生のときには
学校内、二年生になると町にどういう店屋があり、三年になると世田谷区なら世田谷区でどういう工場がある、そういったことを教えているようですけれども、こういうことを果たして教える必要があるんですか。あるいは仮にあるとしても、特に社会科という時間をつくって、教科書を使ってまで教える必要があるのかどうか。私は
小学校の低学年においては、やはり
基本になる、昔の
言葉で言えば読み書きそろばんですけれども、国語とか算数とかあるいは体育であるとか芸術
教育であるとかしつけであるとか、そういった
基本的なものをまずたたき込むべきではないか、少なくとも社会科なんかは廃止した方がいいんじゃないか、そのことが第一点でございます。
それから、これは松永
文部大臣のときにも私言ったんですけれども、
小学校、中
学校、高等
学校で歴史、
小学校の場合は
日本歴史ですけれども、それを繰り返して教えているわけですね。少しずつ詳しくはなっていますけれども、
基本的には同じ生活史あるいは文化史、そういったものを
小学校で教え、中
学校で教え、高等
学校で教える、私はこれはむだじゃないかと思うんです。もっと整理して、仮に教えるにしても、例えば人物を中心にした歴史を
小学校のときには教えるとか、高等
学校では生活史を教えるとか、そういったバラエティーがあれば、もっと
子供が歴史という科目に興味を持つようになるんじゃないかと思うんですけれども、どうも最近の大学に入ってくる大学生を見ておりますと、社会科学を勉強しようというのに歴史に対して興味を持たない学生が非常に多いわけです。私はそういう学生に対していつも言うのは、まず司馬遼太郎の小説を読め、これが一番の歴史
教育だということを言うんですけれども、どうも今までの
日本における小中
学校、高等
学校における歴史
教育というのは間違っていたんじゃないか、必ずしも間違いとは言いませんけれども、一方に偏り過ぎていたんじゃないか、このことが第二点でございます。
それから今の歴史にも関連する、歴史もその一部分ですけれども、中
学校、高等
学校、これも私は社会科のことしか知りません、ほかの科目のことは専門外ですから差し控えますけれども、社会科、これもかなり繰り返しがあるわけなんです。一貫制の私立
学校では、中
学校三年と高等
学校一貫して教えているところでは、大体五年間でこれを教えてしまって、あとをゆとりに使えばいいんですけれども、あとの一年は大学受験のために使っているんですけれども、それを何に使うかということは別にしまして、ともかく五年間で教えているわけです、教えられるわけなんです、これは体系的に教えていけば。
先般、
教育課程実施状況の
調査結果というのが出ておりますね。私はことしの一月十三日の
教育新聞でその
調査報告を読んだんですけれども、これは全文かどうかちょっとわからないので、あるいはその引用が間違っているかもしれませんけれども、こういうことが書いてありました。
中学の公民的分野では、概念の把握、政治
制度の
理解に関する力がそれぞれ不十分であると書いてあったんですが、具体的にその政治
制度とか概念というのはどういうことを指しているのか、推察する以外に方法はないんですけれども、恐らくこれは、例えば民主
制度、民主政治、デモクラシーあるいは人権、そういった概念のことを言っているんじゃないかと思うんですが、中学生でこういうことを正しく概念を把握することができると
期待する方が私は無理じゃないかと思う。こういうのは中
学校あたりではやめちゃって高等
学校でやればいい。しかも九十何%の人が高等
学校に行っている今日ですから、何も中
学校あたりでそういった無理なことを要求する必要はないんじゃないか、そういうことに頭を使わせる必要はないんじゃないか。そういった点からも、社会科の
教育を、一応科目をオーバーホールして、必要なもの、必要でないもの、それを輪切りにして何回も繰り返してやるんじゃなしに、体系的に変えていく、教えていく、そういうことを検討していただきたい。私自身どうしたらいいという案を持っているわけじゃないんですけれども、検討していただきたいと思うんですが、その点について
大臣の御所見をお
伺いしたいと思います。