○有島
委員 私どもも、生涯
教育、生涯
学習といった
一つの体系の中でも
学校教育というのが主要な柱である、非常に大切なものである、そういった認識を持っております。おりますけれども、大切だから絶対だというような論理が往々にしてまかり通る。そうすると、これに反するものは敵だ、こういう論理もあるわけです。その間を今るる御説明があったけれども、今
岡本会長の言われましたような趣旨が本当にうまく伝わっていくようにしたい。それが中途半端なところで、スローガン的に
学校教育を崩すものだとか軽視するものだとかいうようなところに歪曲されるというおそれは十分ありますね。それも故意にする場合もありますね。それは将来の
子供たちのためというよりも、現在の生活がかかっている人々がいるわけですね。そういった点を本当に十分意識なさって、そして、
国民全体を本当にその気にさしていかなかったらば、押し戻されてしまうのではないか、私は二十年言い続けてきて、その実感で申し上げているわけであります。
次に、そういう中にあって生涯
学習体系の中に位置づけられる、あるいは国際化という
日本の
状況の中にあってこれからの
学校体系、そこにおける
教員の
資質向上ということが大変大切になってくる。ところが、
教員の
資質向上ということはたびたび叫ばれておりますけれども、それではこれからの
学校教育の位置づけ、その中における
教員、その
教員に新たに求められるべき資質ということについて、これは解明が不十分であろうと思っております。これは幅広い人間性だとか理論だとか実践的指導力だとかということがいろいろ書いてございますけれども、これはかっても必要だ、こういったことはいいわけです。何が一番必要か。今の
岡本会長のお話に限って言えば、モチベーションということがある。やる気を与える。やる気を踏みつぶすような
教員は悪い
教員だ、育てる
教員はいい
教員だ、そういう
一つのメルクマールがうんと出てくるということがありますでしょうね。たとえ
学校で成績がどうであろうと、そういったことが下手だったらば
教員としては不適格だというようなことも出てくるでしょうね。そういったことについてのコンセンサスがなければ、これは特に
教員団体とのコンセンサスがなければ、コンセンサスのないままに新しく試補制度をつくってみるとか研修制度、講習とかということを言えば、これは混乱することは目に見えておりますね。
私たちのアンケートでは、ごらんになったかもしれないけれども、
教員の資質について
幾つかの問いをしてみたわけでございますけれども、使命感というところに非常に寄っておりました。これからの
教員の資質として、校長
先生は八二・五%の方々が第一番に
教育者としての自覚、それから第二番目が
子供好きということでもって四五・二%。これは二つずつ答えを書いてよろしいというので全部で二〇〇%になっているわけですけれども、その次が研究心、その次が情熱。それから、
教員自身としても第一に挙げておられるのがこの使命感ですね。第二番目が情熱。三番目が
子供好き。それから、父兄の方々が挙げられているのも、第一番目が
教育者としての自覚、これが五三・四%。
子供に対しての公平、これが三九・九%。そういったこともこの間御報告申し上げましたけれども、この使命感ということがこれだけ挙げられたということは
幾つかの
意味があろうかと思います。
これは、私たちもこれから研究してまいりますけれども、こんなような条件の中で、人数が多いとか事務が多いという中で使命感でもなかったらとてもとてもやっていけませんよ、こういう
感じの答えが
一つある。
それから、もう
一つは、何のために
教師になったのかと自問して、答えが余り出てこないで不安を覚えている
教員の方々も相当いらっしゃる。父兄の方々から見ても、あの
先生は何で
先生になったのかしらと思われるようなそういった方もおられる。そういったことの
幾つかの総合的な数字であろうと思いますけれども、
教師自身の生涯
学習、
学習意欲といったことが大切だと思います。
それから、「世界の中の
日本人」という
一つの項目がありましたね。
教育目標が三つ挙がっておられる。こういったことがまず本当のコンセンサスになっていかなかったらだめなわけです。例えば、
教員自身ですけれども、一人一人の
教員が一人の外国人の友人を持ったらどうだろう。非常に具体的な話になるけれども、随分教え方も変わる、人世観も変わると思いますね。国際的といえばすぐに高等
教育あるいは研究、あるいは外務省、通産省、こういうようなことではなくて。そうすれば、現在の
日本では十分可能なことですね。
青少年一人一人が一人の外国人の友人を、一生の友人を持つというマナーを
一つのカリキュラムの中に入れるべきじゃないだろうかとさえ私は思っています。それは
学校の
教員がそういったことをしていったらどうか、これは
一つの宿題といいますか
提言であります。
それから、もう
一つは、
家庭や
社会との連携がとれる人物あるいは仲間、それから校長さんとの話し合い、連携、協力
関係が本当にとれるような、これは
子供に言い聞かせることじゃなくて、
教員自身がそういう方が非常に必要になってくるのじゃないでしょうか。
それから、もう
一つは、
教員が教えながらかつ学ぶものであるということになれば、じゃ
子供たちはどうか。
子供たちは専ら教わっていくだけのものなんであろうか。やはり弟分がいて、そして学びかつ教えていくということが今は全く欠けているんじゃないでしょうか。異年齢混成の
教育効果ということについては今非常に重視しなければならないときである。特に、兄弟が少ない
社会状況、
家庭状況にありまして、
学校教育の中でそういったことをしていかなければならない。これには
教員の方々はまた新たなる困難がある、厄介なことが起こる、
責任も幅が広がってくる、そういうことがありますね。しかし、これはほっといてでるきものじゃなくて、相当進めていかなければならないことです。それで、その進め方の
一つとしては、現にそういったことをやっているところがあるわけですから、そういう例を持ってきて、その
教育効果をどんどん宣伝していくようなこともしなければならないことじゃないでしょうか。
それから、
いじめについてアンケートがあります。ここでは詳しいことはもう省略いたしますけれども、
いじめの一番の
要因は
家庭にあるという答えが圧倒的に多うございました。ですから、
中曽根総理大臣から
学校で起こることなんだから
学校の
責任ですという御
意見がありましたけれども、アンケートではそうでないということが示されております。しかし、それでは
家庭に対してだれがどのように働きかけるのか、これも非常に難しい問題なんですね。それはさっきも
岡本会長が言われたとおりであります。
それから、私がここで伺っておきたいのは、今の
自殺と
いじめというのは深い
関係があるのだろうか。あるいは、
自殺というものは
自殺として、これはほとんどコンスタントにといいますか、別にあるのだというお
考えでしょうか。これが
一つです。
それから、もう
一つは、この前
校内暴力ということがあった。これは私たちも
提言をいたしましたし、数の上では減りました。そのかわり
いじめがふえました。今度は
いじめ一一〇番であるとか、早期に発見してこれは説教してだんだん数が少なくなるでしょう。
いじめが減ったときに、次に出てくるものがあるのではないだろうか。例えばセックスというようなことも起こるでしょう、それもまた抑える。その次にまた出てくるものがあるのではないだろうかということになりますと、これは早期発見して早くつかまえてこういうふうにやったから、その場ではいいかもしれない。親から見て、大人から見て、これでおさまったから
責任は逃れたと言うかもしれないけれども、民族全体として、
いじめなら
いじめのエネルギーというものがあるわけですから、これをどう
転換して思いやりなり
責任感の方に持っていかせるかという手だてを本気で
考えなければならない。確かにそれは、コンサルタントというかそういった校長OBの方々が、いろいろな方がいらっしゃるでしょうけれども、やはりそういう
一つの流れをつくっていかないと、悪いものを抑えていけというような今の行き方、これは明治以来の大きな流れですね。お手本を示して模範生をつくっていく、そうでないものはだめ、こういう行き方の大きな流れですから、これも今おっしゃった新しい生涯
学習なら生涯
学習、人間の
個性というものをもととした
教育体系の中にふさわしい
一つの答案が出てこなければならない。ここに書いているのは、そういった大きな構想につながっての太い線というものが見られないというのが、私は残念に思うわけであります。
時間が参りましたから、これらの
お答えをいただければこれでおしまいにいたします。あと、高等
教育についてもいろいろございますけれども、またこういった
質疑のチャンスが与えられればありがたいと思っております。
それでは
お答えをいただきたいと思います。