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佐藤(誼)
委員 それでは、これはオーバードクターをどう規定するかということによってその把握される人数もいろいろ違ってくると思うのですが、これは、私の持っているデータによりますと、例えばこういう区分なんですけれ
ども、学位修得後学内で
研究を継続している者、
昭和五十八年五百五十六名、必要な単位を修得して退学した者で学内で
研究を継続している者、千五十七名、所定在学年限を超えて在学している者、留年組も含むわけですが、これが二千四百八十二名、合計
昭和五十八
年度で四千九十五名となっているのです、こういう分類によりますと。これは
昭和五十八
年度だけではなくて、それをさかのぼることやや十年ぐらいからこういう傾向がずっと続いてきて、しかも累増しているのです。ごく最近の統計はありませんけれ
ども、普通よく言われるのは、オーバードクター五千名というような
数字も時々出てくるのは、こういうようなとらえ方の延長上でとらえているのじゃないかな、こういうふうに思うわけですね。これは今もお答えありましたが、本人の非違とか本人の怠慢ということよりも、
社会全体の環境とか
制度あるいは
一つの構造上の背景を持ってこういうものが出てきているのでありまして、これは深刻な問題として我々がとらえなければならないのではないかというふうに思うわけです。
私が得た情報によりますと、
大学院で博士号を取って未就職者が大体三〇%ないし四〇%ぐらいじゃないかというようなことも言われているわけであります。いずれにしても、大変な数だということは言えますね。今も話がありましたけれ
ども、大体いつごろからこういう
状況が急速に出てきたかといいますと、オイルショック後の、いわゆる高度成長から低成長に移るに従って顕著になってきているのですね。これは
大学の
設置なりあるいは
学部を含めて、山場であったのは一九六〇年代なんですよ。その後ずっと減ってきておりますけれ
ども、減ってきているというかそのまま横並びなんだけれ
ども、大体それと合わせながら、高度成長時代には大体五千人ぐらい
教員等含めて何だかんだ採用されておったのが、半分くらいだという
数字も出ているわけですから、言うなれば、低成長が
一つの背景になって雇用問題を起こしていることは間違いないと思うのです。それから同時に、最近の年間の
大学等の
教員の採用
増加は一、二%だ。しかも、定年退職者は千名程度だという、こういうマスター、ドクターの修了者に比べて需要者が非常に少ないということが、経済的、構造的な問題も背景にしながら出ているということを我々は十分認識をしなければならぬのではないかと思うのです。
そこで、私の方のとらえている
学生の
実態も若干述べながら、後でお答えいただきたいのですが、以上のようなことを背景にしながら、では、現在、オーバードクターと言われる人
たちがどんな暮らしやどんな
研究状態に置かれているのか、私は極めて重要だと思うのです。
これは、私のところに
大学院学生委員会、
大学院制度検討小
委員会という資料がありまして、この方々がつくっているグループの方々が私のところにもいろいろ要請行動をしてまいりました。いろいろ事情を聞きましたが、これらの方々の話を聞きますと、オーバードクターは授業料の減免
措置について対象外にするという、つまり、こういうことを会計検査院なんかで出してきているのですね、これは留年組であるからあるいは学業不振者であるから、したがって留年している方々については授業料免除については対象外だという具体的な
措置がとられてきて、大変困っているという。しかも、私が先ほど言いましたようなオーバードクターの一部であるいわゆる留年組は、自分が好きこのんで留年したり、本人の勉学が不振のためというよりは、先行きが就職の見通しがないものですから足踏みしているという方がかなりいるわけです。この辺の
実態を考えたときに、このオーバードクターは、授業料減免の対象外にするとしたら、これはますます彼らは生活苦に陥り、
研究もできないという状態になるということを考えなければならぬのではないか。
それから、次の問題は、育英奨学金ですよ。これも御承知のとおり昨年改正されまして、これは有料になり、しかも必ずしも対象がふえたわけでもない。この育英奨学金に頼っているマスター、ドクターは大変でありまして、これをもらえない方もいますから、そうなりますと
研究費や生活費のためにアルバイトをやっている。このアルバイトで生活費なり若干の
研究費を生み出している、こういう状態ですね。
さらに、就職の当てもなく生活に疲れて
研究生活から離れている若い優秀な方々もたくさんいるわけです。よく何か特別な目で見られている向きもありますけれ
ども、私はいろいろなデータを見、本人
たちと接してみると、押しなべて言えば、オーバードクターと言われる人
たちは大変立派な
研究者であり、
研究成果も上げ、将来を嘱望される若い学徒だと私は思うのです。就職の見通しもないまま、
研究社会にも参加できず、生活に疲れ、
研究費もなく、
研究生活から去っていく方が非常に多い。私はこのことは本人の立場からいっても非常に残念だと思うし、また、日本といえば御承知のとおり資源のない国ですよね。
教育と頭脳で生きてきている国です。この優秀な日本の財産を、せっかく勉強した人
たちをむざむざとそういう
研究生活から去らさせていくということは、日本の将来にとっても憂うべきことであるし、憲法で保障するあるいは規定する、日本が文化立国として国際的な
社会に貢献していくという立場からいっても、極めてゆゆしき問題だということを特に
指摘しておかなければならぬと私は思うのです。
そこで、今後のことについて、私は若干今のようなことを基礎にしながら申し上げておきたいのだけれ
ども、将来の
大学研究者の確保を考えたときには、今からその手だてをし、そして今後の年齢構成を考えておく必要があると思うのです。この方々を見ると、
大学の
研究所に残る、
先生になる、民間の
研究に入る、いろいろあります。しかし、大部分の方が希望しているのは
大学の
研究室に残って
研究者になりたい、そしてまたこの数が一番多いのですね。そのことを考えますと、先ほど申し上げたように、ちょうど
大学がどんどんできていって
大学教員が採用された時期というのは一九六〇年代なんです。その後はずっと余りふえていないのですよね。こういう状態が命ずっと続いているわけです。一九六〇年代に採用された方々が定年を迎えるのは、おおよそ推計していきますと、今から二十年後と言われます。
昭和の年号で言うと八十年代ですね。そのころごそっとやめるわけです。そのとき採用しようとしても、もう
研究者は皆いないわけですから、そのときの
若手の人を選んで充当したとすれば、中堅の学者はだれもいなくなるわけでしょう、考えてみたって。若い人
たちを今から二十年後ばっと採用してみたって、上の方がいないわけですから、四十歳代相当の中堅の方々がいないという結果になってしまう。これは日本の将来にとってゆゆしきことなわけですね。
ですから、そのことを考えたときに、私は今申し上げましたけれ
ども、例えば二十年後の
大学の
教員の交代の時期もにらみながら、今からそういう
研究者を採用することを考えていかないと、年齢構成上もおかしくなってしまう。この辺のところを今から十分考えておかなければならぬのではないか。特に、先ほどからありましたけれ
ども、
昭和八十年代の中期ごろになりますと、十八歳の
大学の
学生がふえることになりますね。ちょうど重なっちゃうわけです。そうでしょう。
昭和八十年代に従来勤めてきた
大学の
先生方が退職し、ちょうどチェンジをする時期になっているのです。それがちょうど
大学の
学生のふえる時期に当たる。このことをにらんでおかないと、今は需要がないからオーバードクターだ、どこかで適当にやっている、そのときになったら雇おうといったって、人がいないのです、四十代の最もすぐれた人
たちが。このことをよく考えておかなければならぬのではないかというふうに私は思います。
特に、
学術審議会の
答申など見ますとそのことを非常に憂えて述べておりますね。
答申の中に「優れた
若手研究者の
養成・確保」という項目がありまして、その中にずっとありますけれ
ども、
一方、近年における
学術研究の進展にかんがみ、
若手研究者に、ある期間流動性を持たせて、自由な発想と幅広い視野を身につけさせながら、独創的な
研究者として育成していくことが、特に、新しい学問や学際領域の開拓には極めて有効かつ緊要である。このような事情を考慮して
若手研究者の
養成・確保のための多様な方策を講ずることが必要である。以下云々と書いてあります。私は適切な
指摘だと思うのです。
加えて言うならば、今言った
昭和八十年代を見通したとき、今から我々がやっておかなければ、日本の将来の
学術研究は大変なおくれを来すし、またその時点では間に合わないということを私は考えるわけであります。したがって、この辺のことを考えたときに、
文部省としてはこのオーバードクターについてどのような対策をする考えか、これからの
研究者あるいは学者の
養成のためにどうあらねばならないのか、この辺についての考えをお聞きしたいと思うのです。