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1986-04-09 第104回国会 衆議院 文教委員会 第5号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和六十一年四月九日(水曜日)委員長の指名で 、次のとおり小委員及び小委員長を選任した。  義務教育学校等における育児休業に関する小  委員       臼井日出男君    榎本 和平君       北川 正恭君    中村  靖君       二階 俊博君    鳩山 邦夫君       町村 信孝君    森田  一君       佐藤 徳雄君    佐藤  誼君       馬場  昇君    池田 克也君       伏屋 修治君    三浦  隆君       藤木 洋子君  義務教育学校等における育児休業に関する小  委員長                 臼井日出男君 ――――――――――――――――――――― 昭和六十一年四月九日(水曜日)     午前十時三十分開議 出席委員   委員長 青木 正久君    理事 臼井日出男君 理事 北川 正恭君    理事 鳩山 邦夫君 理事 町村 信孝君    理事 佐藤 徳雄君 理事 佐藤  誼君    理事 池田 克也君 理事 中野 寛成君       赤城 宗徳君    石橋 一弥君       榎本 和平君    大塚 雄司君       田川 誠一君    中村  靖君       森田  一君    渡辺 栄一君       田中 克彦君    中西 績介君       馬場  昇君    有島 重武君       伏屋 修治君    藤木 洋子君       山原健二郎君    江田 五月君  出席国務大臣         文 部 大 臣 海部 俊樹君  出席政府委員         文部大臣官房長 西崎 清久君         文部大臣官房総         務審議官    五十嵐耕一君         文部省初等中等         教育局長    高石 邦男君         文部省教育助成         局長      阿部 充夫君         文部省高等教育         局長      大崎  仁君         文部省学術国際         局長      植木  浩君         文部省社会教育         局長      齊藤 尚夫君         文化庁次長   加戸 守行君  委員外出席者         警察庁警備局公         安第二課長   菅沼 清高君         大蔵省主計局主         計官      武藤 敏郎君         文教委員会調査         室長      高木 高明君     ――――――――――――― 委員の異動 四月九日  辞任         補欠選任   伏屋 修治君     吉浦 忠治君 同日  辞任         補欠選任   吉浦 忠治君     伏屋 修治君     ――――――――――――― 四月三日  私学助成等に関する請願中西績介紹介)(  第二四九五号)  私学助成大幅増額等に関する請願経塚幸夫君  紹介)(第二五九二号) 同月七日  私学助成等に関する請願渋沢利久紹介)(  第二六九四号)  同(戸田菊雄紹介)(第二六九五号)  同(中西績介紹介)(第二六九六号)  同(堀昌雄紹介)(第二六九七号)  同(武藤山治紹介)(第二六九八号)  同外一件(中西績介紹介)(第二七八七号)  大学院生・研究生学術研究条件改善等に関す  る請願佐藤誼紹介)(第二七八八号) 同月九日  医学教育の充実・改善に関する請願木島喜兵  衞君紹介)(第二八三四号)  児童の学ぶ権利保障に関する請願正森成二君  紹介)(第二八三五号) は本委員会に付託された。     ――――――――――――― 本日の会議に付した案件  文教行政基本施策に関する件      ――――◇―――――
  2. 青木正久

    青木委員長 これより会議を開きます。  文教行政基本施策に関する件について調査を進めます。  質疑の申し出がありますので、順次これを許します。中野寛成君。
  3. 中野寛成

    中野委員 塾の問題から質問をいたしますが、きょうの朝刊各紙には、文部省調査をされてきのう発表された塾の実態調査の結果が発表されております。先般、予算委員会一般質問で塾の問題を大臣お尋ねしましたその日に公正取引委員会実態調査発表して、また翌日には大々的に公正取引委員会発表が載っておりました。きょうまた、この塾の問題を質問しようと思いましたら、今度は文部省がいよいよ御発表ということでございまして、何か随分私の質問に引っかけておられるのではないか、その因縁を感じるわけであります。  しかし、この塾の問題、予算委員会のときにも大臣にお見せいたしましたが、その過当競争といいますか、塾の方の過熱状態というのは大変なことでございます。塾そのもの存在についても当然いろいろの論議もございますが、ここで大臣に塾をどうしたら是正できるかとか直したらいいかという質問をして、大臣から、それは塾の問題ではなくて学校教育がもっと充実し魅力あるものになれば塾の対策はおのずからできるものだという答弁をお聞きしようとしているのではないわけであります。そういう大変すばらしい御答弁はもう何回かお聞きしているわけでありまして、むしろ現実論、現在既に塾は存在をする、そして子供たちの数が減っていく、塾はいよいよその競争過熱させる。この前は大阪で熟年鑑というのが発行されまして、どの塾はどういうところがすぐれているか、ABCでランクをつけまして、これはいい塾であるというのにはマル優というのがついておりまして、いよいよそこまで来たか、こういう感じがするわけであります。  そこで、文部省としてはこの塾の存在そのものについてきょう云々するのではなくて、こういう状態になったときに子供たちがどういう形で犠牲になるかわかりません。そういうことを考え合わせますときに、このたび文部省実態調査をされたことは、遅きに失するとはいえ、私はよかったと思います。その内容、出た結果と、そして問題意識文部省としてはどうお感じになっておられますか。まず簡単にお答えいただきたいと思います。
  4. 海部俊樹

    海部国務大臣 御指摘のように、塾の問題につきましては、私はこの前の在任中に実態調査をいたしました。それは当時乱塾時代という言葉新聞に出てきたからであります。国会質疑の中でもいろいろな角度の御議論がありまして、塾に対してどう思うのか。これを端的に言いますと、いい現象と思っているのか、好ましくない現象と思っているのかというようなところからの御議論が始まりましたので、これは実態を調べなければそういったことの議論ができない、こう考えたわけでございます。たまたま今回二度目に就任しましたときには、前任者が既に調査をしておりました、その結果が今日こうして出てきたということでございます。  塾というものは基本的にいろいろな姿かたちがあるわけですから、これに対して一概にいいとか悪いとか、今ここで軽々に価値判断はできにくいと思いますが、ただ、一つ言えることは、塾が過熱状態になって、そこで忍術のような受験技術を身につけなければ上の学校に進めないのだというような風潮が定着してしまうことは、好ましい風潮だとは思いません。  同時にまた、新聞報道によりますと、ごく一部の先生ではございましょうけれども有名校に行きたかったら君は塾に行きなさい、先生の方からそういうことをおっしゃる人があるということをちらほら耳にしますと、そういう状況だけはきちっとなくすることがまず公教育責任ではなかろうか、私はこんなふうに受けとめるのです。そして、公教育が一生懸命努力することによって過熱状態だけはなくなるようにしたいということと、塾の中にも、いろいろその人の資質能力がありまして、大器晩成型の人は学校で一回教わっただけでは十分理解できないから塾へ行って補習授業のようなものを受けたら、別の角度でアプローチをされたらよく理解ができて追いつけたというようなことですと、塾の存在が丸々悪いばかりではないな、そういう人々には役に立っておるのだなと私も感ずることがございます。  また、おけいこごととか、趣味とかスポーツとか、そろばんとか書道、そういうことになっていきますと、これは入学試験とは全然別の問題で、その児童生徒の余暇時間の過ごし方というものの選択にもなるわけですから、これは一概に基準を決めていいとか悪いとかは言えないと思います。そういうような中で、塾が結果としてこう進んでくる。  また、ちょっと角度を変えて言いますと、この間の家計調査を見ましても、家計負担伸び率の一番多いところはやはり中学というところだ。何が原因だろうと思って調べてみると、学校以外のことにかかる教育費というのですから、やはりおけいこごととか壁とかそういったところの費用が相当ウエートを占めておったということも結果として出てくるわけです。ですから、無視できない存在でありますからこういう調査をしたのですが、私が一つだけ気になりますことは、この前、五一%くらいの人が子供が希望するから塾に通わせておりますという答えをされたのです。今度はその答えがさらにふえて、なぜ行かせるかという理由に、五二・三%の親が子供が行きたいと言うから行かせるのだ、こうなっておるわけです。そうしますと、家庭における教育機能が低下したとか、兄弟の数が減ったとか、周辺に遊び場がなくなったのか、何か子供学校以外のところでも触れ合いの場所を求めておるような気がしないでもない。しかも学校が、今言われているように、暴力だとかいじめだとか嫌ないろいろな雰囲気が起こっておるというようなこととあわせ考えますと、何か別の、人間の心をほっとさせるようなそんなものがもし塾にあるのだとするなれば、その辺のところは、私としてもこれから十分研究し、分析し、検討して、児童生徒の時間やエネルギーをいい方向へ導いてあげるようにしなければならぬな、こんなことを感じました。  もう一面の方では、学校勉強で十分だから塾には通わせないという答えを出した親がこの前は四八・六%でしたけれども、今度は頼もしい親がちょっとふえまして、五六・六%が学校勉強で十分であると思うから伸び伸びやらせておきたい、遊ばせておきたい、私どもが願うようなことをしっかりと調査答えた親もあるわけでして、好ましい方も好ましくない方も両方ともずっと伸びてきておるという結果が端的に言いますと出てきております。いろいろ刺激と教訓を与えられますので、よく検討勉強をしてみたい、このようにこの結果を受けとめております。
  5. 中野寛成

    中野委員 やはりきょうも大臣から、長時間にわたって大変御丁寧に、基本的な塾の対策のことについて、また学校反省点について御答弁をいただきました。正直言って、私も大臣のその御答弁にちょっと困っているのです。なぜかというと、今お聞きしたのは、その調査結果に基づいて何が問題であるのか。今の基本論は先に申し上げているのです。具体的に新たに出てきた問題点とか、こういう手を打たなければとかという――塾そのもの、塾の存在は既に私は認めざるを得ない。既に一兆円産業以上の状態にまで来ているのですから、これをなしにしろと言ったってそう簡単にいかない。私は、今はただあるという前提に立って、その塾の中身の問題についてお聞きしているわけです。  例えば、ベビーホテルの問題がありましたときに、これは保育行政がしっかりしていないからだということがありました。しかしながら、現実ベビーホテルそのもの存在するということで、いろいろな対策、手を打ったのです。何かそういうことについてお感じになったことはありませんか。
  6. 海部俊樹

    海部国務大臣 ちょっと理屈を言いますと、これは自由な社会で必要に応じて親と塾経営者の間の合意に基づいて行われる問題でありますから、それが著しく社会正義に反するとか、公の秩序、善良の風俗に反するというようなことになってきませんと、いきなりこちらの見方だけで、要するに文部省側の主観と判断だけで、これがいいから伸ばせとか悪いからやめろとかいうような権力的志向で踏み込んでいく問題ではないのではないか、私はそう見ておるのです。  そして、塾のもたらす弊害は何であるかということを、今もちょっと申し上げましたけれども、やはり行きたいから行くというならば、なぜ行きたいのだろうか。これはただ単に進学の点数だけというならば、入学試験の制度のところや内申のところを少し変えていくことによってこの過熱は是正できるわけですから、そういう努力によって是正したい。塾のあることも、壁もいろいろの姿かたちがあるわけですから、必ずしも全部が今社会問題になったり御両親が心を痛めていらっしゃるわけじゃございませんし、塾に行くことによって逆に親子の心の通いができたところもあるかもしれませんので、それはよく検討勉強をさせていただきたいと私は正直に申し上げたわけで、まだ結果を私も二、三日前に受け取ったばかりで、今詳細に読んでおるところで、今目立ったところを二ポイントだけ先生に申し上げましたけれども、これからずっと幅広い問題がありますから検討させていただいて、もうしばらく時間がたってからまたひとつお答えをさせていただこう、こう思っております。
  7. 中野寛成

    中野委員 この調査はどこで行われましたか。
  8. 五十嵐耕一

    五十嵐政府委員 文部省で行いました。
  9. 中野寛成

    中野委員 文部省のどこで行われましたか。文部省でやったというのは最初から言っているのです。
  10. 五十嵐耕一

    五十嵐政府委員 文部省大臣官房調査統計課というところがございまして、そこで学校基本調査等の基準的な調査と、このような「児童生徒学校外学習活動に関する実態調査」のようなそのときどきの必要性に応じての調査と、両方やっておるわけでございます。
  11. 中野寛成

    中野委員 調査目的は何ですか。
  12. 五十嵐耕一

    五十嵐政府委員 調査目的につきましては、児童生徒学校外学習活動につきましての実態把握し、それに対応しまして文部省として今後の施策に役立てるということでございます。
  13. 中野寛成

    中野委員 形式的なことを聞いているのではありません。何か問題意識感じてやったのですか。いわゆる塾通いが多いからということですか。それとも費用がどのくらいかかっているのだろうということですか。子供に対していい影響を与えているか悪い影響を与えているかということを調べようとしたのですか。何を調べようとしたのですか。
  14. 五十嵐耕一

    五十嵐政府委員 お答え申し上げます。  先生御承知のように、私ども昭和五十一年度に同じような調査をいたしました。その後、国会の中におきましても、塾の実態につきましてよく把握をしろ、あるいはそれ以外の校外の学習活動につきまして把握をしろというようなことがあったものでございますから、その状況把握するために行ったわけでございます。
  15. 中野寛成

    中野委員 もう一つはっきりしませんね。調査した結果、先ほども大臣は今熟読中だということでございますから精査されているのでしょうから、その中から新しい見解が生まれるのかもしれませんけれども、さっき大臣がおっしゃられたようなことであれば、わざわざ調査しなくたって、おおよそみんなが共通の認識として持っている現在の内容ではありませんかというふうに思うわけであります。  これは調査調査統計課が行いました。しかし、その対策だとかどうあるべきかについて論議をするのもまさか調査統計課で行うのではなかろうと思います。この塾の問題の担当部局はどこですか。
  16. 五十嵐耕一

    五十嵐政府委員 文部省といたしまして、特定の部局でどこが担当するということは決まっておらないということでございます。
  17. 中野寛成

    中野委員 担当部局さえないんです。子供たちにどれだけの影響を与えているか。しかも、それは教育的な部門においてこれだけの大きな影響を与えている。しかも、子供たちの五〇%以上が塾に通う――五〇%以上か否かは別にして、約半数の子供たちが通っている状況。こういう実態の中で、文部省の中にこの塾の問題を十分審議し、検討し、そしてその対策を講ずる部局がないということはどういうことなんですか。公正取引委員会や通産省に中小企業だとかなんとか別の観点からいろいろな論議をされて、そして文部省では何にもないということは一体どういうことなんですか。ましてや、既に海部文部大臣が前に大臣やられたときにも実態調査をされているわけでしょう。文部省はそれほどに塾に対しての問題意識はないということですか。
  18. 海部俊樹

    海部国務大臣 そもそも文部省公教育を担当するということからスタートいたしましたので、私が最初に申し上げましたように、新聞社会面であれだけ乱塾時代という言葉が出てくるようになり、児童生徒にもいろいろな意味影響があります以上は、先生方はおわかり願っておったかもしれませんが、やはり調査をしてみないと実態がどの程度であったかよくわかりませんでしたので、それで前回調査した。それで、前回調査の結果でわかったことを一つ解決しましたのは、学校先生が塾の先生を兼務して両方で御指導願うということはどうかおやめいただきたい。このことは教育委員会にも厳しくお願いもいたしましたし、前回と今回との結果を見ますと激減しております。それは、公教育の場を責任を持ってきちっとしたものにしていくことが文部省の構えとしてはまず第一歩である、こう思って、この前のときは指導を一生懸命したことを私は今思い起こしました。  今回再びこういったことをしましたというのは、約十年近くの年月も経過しておりますから、その間でどんなような変化があったのだろうか。今度の調査で初めて現職の教師皆さんが塾の教師を兼ねている度合いが激減してきたということもはっきりわかるわけでありますし、いろいろなことがわかるわけでありますから、やはり調査をさせていただきながら、その中で公教育に好ましくない影響がある、あるいはこういったことが起こってくるのは公教育の方にこういう反省点があるんだということがわかりましたら、謙虚にそれを改めていく努力をすべきである、このように受けとめておりますので、この調査も積極的にしたのだ。これは前任者がやったことでありますけれども、恐らくそういう気持ちでおやりになったろう、私はこう推察をしておるわけでございます。
  19. 中野寛成

    中野委員 塾の調査を前の松永文部大臣が命令したというよりも、むしろ文部省の中でそれなりにやっていこうと御検討なさった上でやられたものだと思いますね。ですから、前任者がといって、花を持たせるときにはそれでもよろしいけれども、しかしこれはやはり継続的な文部省の課題としてとらえていただきたいと思いますね。  それで、この塾の問題、前回調査をした、そして公教育に携わっている先生方が塾にも携わっているという実態がわかった。今回の調査ではそれが少ないのがわかった。しかし、前回調査でも、学校よりも学習塾の方に魅力を感じる、または例えば子供が進んで学習塾へ行きたいと言っているからというのが、今回はふえているとはいうものの、前回だって極めて大きい数字が出ているわけですね。そういうことを見て問題意識感じなかったのかということが問題だと私は思います。  もうこれ以上この塾の問題言いません。文部省として担当部局もなければ、今大臣がおっしゃった、公教育について文部省は携わるんだと言ったって、しかし、子供たち教育を受けている年限の中において子供たちの環境だとかいろいろなことを総体的に考えるというのはやはり文部省仕事ではありませんか。それを公教育とかなんとかといって、縛ってしまって、そして一部分についてだけ責任を負うみたいな考え方ではなくて、できるだけ広くあらゆる見地に立って子供たちのことを考える、そういう姿勢が文部省に必要だ、こう思うのであります。私はこれ以上申し上げません。担当部局もないのであれば、これ以上質問のしようがありません。むしろ、こういう文部省実態であることを私は大変残念に思います。――もういいです。これからいろいろな問題が起こってくると思いますし、その際また改めてお尋ねをしたいと思います。  次に、いじめの問題について若干質問をいたしたいと思います。  この前、中野富士見中学校卒業式の日にいろいろな処分が行われて、それ以後マスコミいじめの問題については何かもう報道もピークを越したようでございます。しかし、問題はいよいよこれからでございます。むしろ、小学校に入学したばかりの子供が大変ないじめを受けた報道がその後行われておりましたけれども、いよいよまた新しいいじめがこの新学期とともに始まるわけであります。これらのことについて、果たして今後どう対応していくのかということについて、私はきょうは前向きに論議をさせていただきたいと思います。  先般、去年の十月二十三日に臨教審の会長談話いじめの問題について行われました。大変抽象的ですが、しかしそれを具体化するのは文部省仕事であろうと思います。どういうことをおやりになっているのか。  なお、これからお聞きするのを総論的に申し上げますと、学校の問題、家庭教育の問題、地域社会との協力のこと、そしてマスコミのこと、こういうことを少し、ほかにもいろいろな要素がありますが、きょうはお尋ねをしたいと思います。  そこで、学校の問題から入ります。  学校の問題として考えられることは、おおよそ学校管理、そして教員資質、そして教育内容、こういうことになるのではないかと思います。学校管理につきましては、例えば教育委員会学校に対する指導性、そして校長先生資質リーダーシップ、そして校長職員との関係、とりわけ職員会議の位置づけについてややもすると大変な覚書があったりいたしますが、そういうことの実態、そして教師間の協力、とりわけ問題が起こりましたところを調べますと、出てくるのは親の問題と教師同士協力、これがないということでありをする。それから、先般も質問をし、大臣からも明確な御答弁がありましたが、責任体制の問題であります。そして教員の問題につきましては、教員養成あり方、実習、採用、適性審の問題、そして免許更新制責任感、とりわけいじめ等に対する対応能力教師資格の外にあるのか、むしろそれは教師資格の中に入らなければいけないのか。先般申し上げましたが、子供たちはまだ未完成な存在、未熟な存在であります。いじめその他が起こるのはある意味では当たり前のこと、そうとらまえてその対策が講ぜられるような教師を採用するということが必要だと思いますが、そのことについてどうお考えか。そして教育内容について、思いやりのある子供たちを育てるためにはどういうことがもっと充実されなければならないか。時間の都合で一括してお尋ねをいたしましたけれども、まとめてお答えいただければと思います。
  20. 海部俊樹

    海部国務大臣 その前にお許しをいただいて、先ほど肝心なことを一つ答えし忘れましたので追加さしていただきますが、文部省では昨年の十月から幅広い有識者にお集まり願った協力者会議というものを設けまして、塾通い実態、塾というものが児童生徒の生活に与えている影響等をいろいろ調査研究し、これに対する対応あり方について御報告を願うような措置もしておりますので、その有識者皆さんのいろいろな審議経過報告等も踏まえてさらに我が省でも検討を進めていきたい、こう思っておるところでございますから、これは追加さしていただきます。  それから、ただいまの先生の一連の御質問は、私どもといたしましても、いじめの問題を中心に御質問の御議論を展開なされましたので、それを中心にお答えさしていただきたいと思いますが、校長先生はやはり校務をつかさどる学校管理責任者でありますから、校長先生リーダーシップとか指導力というものはその学校運営について大きな影響、効果を持っていると思います。ですから、象徴的な例で申しわけありませんが、中野区の富士見中学校の例なんかを見ましても、もう少し教職員一致になって取り組んでいじめ対応していただけるような、俗に言うならばその場で受けとめていただけるような雰囲気があったならば、あのかわいそうな事件は未然に防げたのではないだろうか、そんなような気持ちすらいたします。そして、三年、四年前には荒れた学校の代表であった町田の忠生中学校でも、校長先生以下教職員、地域の皆さんが一致して取り組んでいただいたら、今は完全に立ち直ってすばらしい学校になったという報道等も私は聞いておりますから、やはり学校が一致結束、協力してお取り組み願うことが一番大切だと思うのです。そして、国に平和がなければ文化が興りませんように、学校に平和がなければ、児童生徒を人格者として、人格の形成を目指して育てていこうという雰囲気も出てこないわけでありますから、それは教師は当然児童生徒に直接接していただくわけですから、そのことも教師としては重要な資質であって、ただ読むこと、書くこと、数えることだけを教えていただければいいというものではなくて、これはまさに教育基本法に書いてありますように、平和的な社会及び国家の形成者として人格の完成を目指して指導育成していくんだということになりますれば、教師はやはり、いじめがなくなるように、読み書き数えること以外に心の教育もしっかり通い路を持ってやっていただくのが教師の大切な資質一つである、私はこう受けとめております。
  21. 中野寛成

    中野委員 大臣がおっしゃられたこととその方向、そしてまた問題の認識については共通すると思っております。問題は、具体的にそのためにどうするかなんです。臨教審でいろいろ御論議をいただいていることは、もちろんみんなが承知していることであります。しかし、先ほど一つ一つ申し上げました、こういう運用面については、これは臨教審でどう決めようとしようがないことで、むしろ文部省なり各地教育委員会が具体的にしっかりとした認識を持って行動していく以外にないわけであります。例えば教師の不祥事の処理の問題にいたしましても、適性審の話がありますが、例えば臨教審では教育委員会がもっと活性化すればという良識論が出てくる。私はそれは当然だと思いますが、言うならば、運用面でどうあるべきかということが実は極めて大切なんです。  この前、私この準備をするために原稿を我が家で書いていたのです。そうしたら、うちの娘は今高校一年生と二年生になりましたが、パパ何しているの、こう見るわけですよ。いや、いじめの問題でちょっとこれから文部大臣質問するんで原稿を書いていると言いましたら、パパやめなさい、こう言うのです。どうしてと言ったら、政治家が幾ら論議したってだめよ、こう言うのです。そして、どうしたらいいのと言いましたら、結局はいじめの問題は教師と親の問題でしょう、こう言うのです。結局、幾ら我々が論議を抽象的にしましてもだめなんで、むしろ教師がしっかりし、親がしっかりしておればいじめの問題というのは解決できる。それじゃあなたはいじめを実際に見たことがあるか、いじめられたことがあるか、もしくはいじめたことがないかどうか、これを聞きましたら、いじめは小学校と中学校の問題よ、高校でまでいじめをやっているようでは、その子随分おくれているわね、こう言うのです。もう高校ではいじめは卒業しなければいけないのです、子供の世界の常識でも。そういうことなんだそうです。  そういたしますと、結局は小学校と中学校においての運用面と現場での働き、そして親と学校との協力をどう進めていくかの具体的な施策がどう進められるかにかかっているのです。ちょっと私も長い発言をしましたが、こういうことについて文部省では具体的にどうなさろうとしていらっしゃるのですか、またどうされたのですか。
  22. 高石邦男

    ○高石政府委員 御指摘のとおりでございまして、それぞれの学校、地域でこの問題が直接解決されなければならないのでございます。文部省といたしましては、このいじめ問題に対する実態把握した上で、そして各市町村教育委員会、都道府県教育委員会等に対してのいろいろな指導助言をするということしかできないわけでございます。したがいまして、指導助言の内容として、いろいろな手引書を作成するとか、そういう研修会を持つとか、それから総点検の指導をするとか、それから都道府県、市町村ないしは学校におけるいじめ問題に対する体制整備を図ってもらうとか、そういうような具体的な事項を指摘しまして、今日まで一年間に二回も初中局長通達を出して注意の喚起を図ってきているわけでございます。  したがいまして、その内容を現場がしっかり受けとめていただいて、あとは行動を起こしてもらうということが必要であろうと思います。行動を起こすためには、都道府県ないしは市町村教育委員会が管下の学校に対して適切な指導をしていく、そして校長みずからが自分の問題として学校職員に対して接していくというようなことが必要であろうと思っております。  ですから、一応文部省の段階として打てる手は今日まで打ってきたつもりでございますので、その状況を今後とも把握しながら、なお一層指導に努めてまいりたいと思います。
  23. 中野寛成

    中野委員 局長の歯がゆい気持ちもわかるような気がするのです。文部省としては精いっぱいやってきた、通達も出してきた、指導もしてきた、いろいろな研修の機会もつくってきたが、なかなかにもって現場が必ずしも――もちろんそれに敏感に対応してくれる現場がほとんどであろうと思いますが、なかなかすべてに行き渡らないという歯がゆい気持ちもわかります。しかし、同時にまた、それがより一層いわゆる管理教育を徹底することになっても困るわけでありますね。私は管理教育がそれほど深刻だと思いませんけれども、しかしながら、そういう認識で受けとめられて、それがまたいろいろな摩擦の問題になりますと、犠牲になるのは子供でございます。ですから、より一層現場との理解を深めながらやっていく必要があるだろうと思うわけであります。  先般来起こっております事件等々、学校先生が気がつかない、また先生同士の協力関係について、もっと言いますと、例えば教職員団体の所属にしたって、Aの団体に加盟している人、Bの団体に加盟している人、その中でまた派閥が別々だ、そしてまたノンセクトとか、その間の協力はし合わない、また同じセクトに入っておっても、一国一城のあるじとしてまたは一つ風潮としてできるだけ向こうには口出ししない、それは自分が責任逃れすることにもなりますが、そのことは結局、一見相手の教師を尊重しているようにも見えるわけであります。私は、こういう風潮が明らかにはびこっているように思えてならないのです。  以前申し上げたことがあるのですが、私が小学生、中学生のころの学校先生、私は必ずしも質が高かったとか品位がよかったとか思いませんよ。私、休み時間にしょっちゅう学校先生にたばこを買いに行かされましたもの。放課後、掃除が終わって宿直室に報告に行きましたらマージャンをやっておりましたもの。これ終わるまで待つとれと言って、マージャンが終わるまで待たされました。ところがその先生たちが、一たん我々が何か問題を起こして職員室に呼ばれますと、全部の先生がそのことを知っているのです。そして、担任の先生に怒られて、ああやれやれ、さあ帰ろうと思ったら、次の先生に呼びとめられて、おい何で怒られた、あれだろうと言われるわけですよ。マージャンをやりながらというのはどうかと思いますけれども、しかし少なくとも連係プレーが極めてがっちりとられている。その中で少々のやんちゃ坊主でもつけ入るすきがなかったですね。  こういうことを含めてどう考えておられますか。今その差が激しいと思いますが、いかがですか。何か一人一人の先生方は、もちろん宿直もなくなりました、マージャンもしない、子供にたばこを買いに行かせる先生も少なくなったと思います。そういう意味ではよくなっているのだけれども、肝心かなめのところが抜けているように思えますが、どうですか。
  24. 海部俊樹

    海部国務大臣 先生の御意見を聞いておりまして、まさにそうだと同感する点が大変たくさんございます。例えば、これはちょっと次元が違う私の受けとめ方かもしれませんが、戦後日本の教育の中で、人に迷惑をかけてはいけないということを随分徳目の中心に言ってきた時期があったと思うのです。人に迷惑をかけてはいけないということは、逆に言うと人に迷惑さえかけなければいいのかというようにひねくれて考えますと、人の困っていることや人の悩みには見て見ぬふりをするとか、余り言葉をかけたり心をかけたりすると自分がそれに関与して協力しなければならぬとなると大変だから、なるべく問題には巻き込まれないようにしていこう、小ちんまりと自分だけでつじつまを合わせてしまおうという風潮があったのではないだろうか。いい悪いは別にして、そういうことがずうっと人間の生活の中にしみ込んできますと、人間関係というものがだんだん砂漠のようにぱさぱさしたものになってしまう。今先生が御指摘になった小学校時代の思い出、私自身もよく職員室でおしかりを受けたりしましたが、ただ先生方が連係プレーをされたということは事実であったと思います。同時に、校長さんがよく学校の中へ出てきては、遅くまでいると、今ごろまで何しておるんだとか、顔色がよくないがきょうは風邪でも引いておるのかとか、いろいろ声をかけてくださったこと等も今思い出しながら御質問を聞いておりました。学校教育というのは生徒教師との間の心の通い路というものが一番大切で、何事も相談し合える、何事も知っておってもらえる、落ち込んだときに声をかけてもらえる、いいことをやったらほめてもらえるというような雰囲気、活力が全体として学校をみずみずしい、生き生きしたものにしていくのじゃないだろうか、こんな感じがいたしますので、先生の今の御指摘は、これから学校運営の中において多くの教職員皆さん方が一遍我が事として考え直していただきたいテーマである、私も率直にそう受けとめました。
  25. 中野寛成

    中野委員 学校の中へ摩擦を起こすのではなくて――この前からテレビのニュースとか番組を見ていましても、日の丸と君が代のことで何かえらい大げんかしている姿が画面に映し出される、情けないことだと思います。そういういろいろなことがまた学校の中で摩擦を生むことになる。もう少しいい手はないものかということを皆さん考えていらっしゃると思いますが、これは粘り強く努力をしていく以外にないことでございましょう。今申し上げた一連のこと、教員資質のことも含めましてぜひとも具体的にその実現方を図っていただきたいと思います。  家庭教育の問題であります。  文部省の方へ以前お願いをして実行に移していただいていることがあります。一つは、明日の親のための学級ということ、それからもう一つは、親子キャンプに対する補助事業を行っておられます。私は、厚生省とも連絡をとっていただいて母子手帳――あれも母子手帳じゃなしにむしろ親子手帳にした方がいいと思いますが、それを交付するときに、前にここで申し上げたのですが、スウェーデンでは必ず夫婦そろって行かなければならないのですね。それで有給休暇がとれるのです。車で行く人にはガソリン代、地下鉄とか電車で行く人には切符代が出るのです。そして、結局一日かけまして先生から子育てについてのいろいろな話を聞かせてもらう。また午後は親同士が、こういう親になりたい、こういう子育てをしたいというディスカッションをやるというようなことで、親に対する心構えというのがそこで育っていくのですね。そういうことをいつも言っておりましたところが、昭和五十六年度から明日の親のための学級というのができました。私の地元では大変好評でございます。特に都市部の場合核家族化しておりますから、これは一つの大きな意味があります。  それから、もう一つは、親子のきずなを深めるために親子キャンプ。しかし、これは親子でキャンプに行ける人はすばらしいですな。問題は行けない人の方です。こういう場合、親がどうしても行けないような人たちのために親がわりを務める人たちをつくってそういうことをさせるというふうな、そろそろもう少し工夫をしたらどうでしょうか。かなり定着はしていると思いますが、工夫をしたらどうでしょうか、こういうことを考えるわけでありますが、こういう事業の今日までの実績、評価、今後の展望等についてお尋ねをいたしたいと思います。
  26. 齊藤尚夫

    ○齊藤(尚)政府委員 ただいま先生からお話がございましたように、明日の親のための学級は昭和五十六年度から実施をいたしておりまして、昭和五十九年度段階での資料でございますが、全国で開設の学級数が八百二十二、そして参加者の数が三万人を超えるという状況に至っているわけでございます。家庭教育学級そのものは参加者が全体で百五十万人を超える規模でございますが、明日の親のための学級につきましても、徐々にではございますけれども、ふえてきている状況でございます。  それから、親子スポーツでございますが、これも昭和五十八年度から実施いたしておりまして、着実に伸びてきているわけでございます。また、PTAの中でも親と子の活動の場あるいは先生も含めた活動の場を設定するということで、たしか五十万人ぐらいの子供たちがこの事業に参加するという状況も出てきているわけでございます。親と子のきずなをつくっていくためにこのような活動が大変重要な役割を果たすと思っておりますので、今後ともこの充実に努めてまいりたいと考えております。
  27. 中野寛成

    中野委員 私の希望からすると、まだまだ参加者、学級数は少ないわけであります。しかし、これを子育てのための一つの精神的な支えにしている人たちからの声もよく聞きます。私は、ぜひそういうことも充実させていただきたいと思います。また、お父さんだけ、お母さんだけという家庭もあるわけです。いろいろな家庭実態を想定してこれらの事業を進めていっていただきたいと思いますが、大臣、いかがでしょうか。
  28. 海部俊樹

    海部国務大臣 非常に意義のある仕事だと思いますので、前向きに一生懸命努力していきたいと私も考えます。
  29. 中野寛成

    中野委員 それから、私の地元ですが、全国でもこういうケースはあるんだろうと思いますけれども、先般たまたま目につきましたので持ってまいりましたが、市の青少年問題協議会が「私の子育て」というものをつくっているのです。体験談の作文を募集して、こういうパンフレットをつくって各家庭に配ったりしている。また、この四月のきのうかおとといの入学式のときに、新しい小学校一年生に、これをお父さん、お母さんに渡してくださいといって、元気な子供を育てるためにということで、青少年問題協議会と教育委員会とが、遊ぶことやテレビを見ることやおふろのこと、まあしつけのことについていろいろ解説したものをつくって配りました。実はこういうものでも、お父さん、お母さんは大変喜ばれるのですね。本当に今自分で悩んでいるわけですよ。だれかに相談しようと思っても、核家族化で自分たちでどうしたらいいか途方に暮れることも多い。だからテレビの育児番組の視聴率が高くなるわけです。  この前、警察庁がつくったいじめ対策のパンフレットを見ましたけれども、あれはちょっとできばえがどうかなと思いましたが、もっと文部省として前向きのものをどんどん指導し、つくっていくというふうなことがなされてもいいのではないかと思いますし、場合によっては家庭教育指針みたいなものをおつくりいただいて、共通の認識の中でみんなで大いに協力し合って家庭教育を充実させていくというふうなことを、これは文部省だけではないでしょう、役所でいえば総務庁や厚生省、こういう役所のことに気を使いながら質問しなければならないのもしんどい話ですけれども、それは厚生省の仕事だ、どこの仕事だと言わないで、海部さんはおっしゃらないと思いますが、文部省中心になって大いに頑張っていただきたいと思いますが、どうですか。
  30. 齊藤尚夫

    ○齊藤(尚)政府委員 先生が御指摘のように、家庭の機能が子供にとって大変低下してきているという問題がございまして、文部省としては、家庭教育学級等の学習の機会の提供、資料その他の情報の提供、そして相談、この三つの柱で家庭教育の充実策を講じているところであるわけでございます。つい最近も、家庭教育のための、指針というよりも勉強するための資料としての指導書を発行したところでございます。このようなことにつきましては今後とも十分気を使ってまいりたいと思います。  ただ、お示しの家庭の指針といいますと、家庭教育はあくまで親と子の私的な教育でございますから、親が子供教育をする場合の学習の手だての御援助を申し上げるということに尽きるかと思います。その点につきまして十分対策を講じてまいりたいと考えております。
  31. 中野寛成

    中野委員 基本指針であろうと手だてであろうと何でもよろしいが、何しろ大いに積極的にやっていただきたいと思います。  それから、先を急ぎますが、地域社会との問題、これも家庭と同じで、果たして教育委員会文部省が地域にどこまでタッチできるか、家庭教育にどうタッチできるかという問題があることは百も承知です。しかし、みんなで協力をして努力していかなければいけません。事教育といえば文部省。厚生省とならないのです。文部省とくるのであります。やはりその役割の使命感、そういうものを持っていただきたいのです。  例えば、地域社会となると、青少年団体の育成、青少年指導員の育成等々ということになってきますが、私はソシアルアンクルと言っているのですけれども、そういう方々をもう少し意図的に育てていったらどうでしょう。それから、そういう方々にボランティアでいろいろなお世話をいただくために必要な背景をつくってあげるということにもっと努力をされたらいかがでしょう。例えば、アメリカで、ボーイスカウトと一緒にキャンプにリーダーとして行く場合に有給休暇がとれるということですとか、ボランティア活動をやっているときに事故が起こったとき保険制度があるようですけれども、そういう事故が起こった場合の対策をもっと充実してあげるとか、いろいろなことができるように思うわけであります。  私の地域でもスポーツ少年愛好会ができまして、地域の人たちが皆さん入っているのです。学校で問題が起こりますと、学校先生がそこへ相談を持ち込むのです。その人たちが学校と相談しながら、家庭に問題があれば、その地域の人たちが家庭に乗り込んでいって、地域ぐるみで子供より先に逆に親を教育してしまう。これも行き過ぎるとまた問題が起こりますけれども、そういういろいろな方法があるだろうと思います。これらについての工夫を文部省としてはどうお考えですか。
  32. 齊藤尚夫

    ○齊藤(尚)政府委員 先生前からソシアルアンクルあるいはソシアルブラザーということの御見解を表明されておられますが、私ども、これは正規の学校の組織、学校とか家庭とかの組織、教師や親と離れた、別のインフォーマルな指導者の必要性ということを指摘しておられるように思うわけでございます。社会教育としての青少年教育はまさにその点について配慮していかなければならないというふうに考えまして、先ほど先生御指摘ございましたような青少年団体の活動の活性化でありますとか、青少年のグループづくりの促進でありますとかについて意を用いてきておるつもりでございます。  指導者の補償の問題につきましては、例えばボーイスカウトあるいは子供会等はそれぞれ指導者のための補償の仕組みを、保険制度を持っておりまして、まだ一部そういう制度ができておらないところもございますけれども、そのような制度ができることがいろいろな方々の参加を促す道だと考えておりますので、今後ともその点につきましては十分研究をしてまいりたいと考えております。
  33. 中野寛成

    中野委員 大いに頑張っていただきたいと思います。今の御答弁言葉じりをとらえるわけでは全くありません。あなたの責任では全くありませんが、インフォーマルな部分について社会教育の方で担当しておられる、まさにそれが仕事だとおっしゃられたのですね。この言葉を聞いてすばらしい言葉だと思うのです。それを利用させていただいて恐縮ですが、さっきの塾の問題、高石局長、ひとつそういう観点で取り組んでいただけませんか。文部省公教育についてなどと振りかざさないで、大臣、まさにインフォーマルな部分についても今大いに期待されているのではありませんか。一言申し添えておきたいと思います。  最後に、こういう問題についてのマスコミ影響は極めて大きいと思います。ところで、そのマスコミの与える悪影響、本当は、いじめを起こすのはマスコミ影響ではなくて、それもあると思いますが、いじめの形態はマスコミ影響が極めて大きいのですね。大体みんな漫画かテレビのまねですよ、いろいろな名前がつけられているけれども。  そこで、先般来私は、テレビの深夜番組のこと、それからビニ本のこと、自動販売機のこと、それから例のスポーツ新聞のこと、やりましたが、これどうですか、こういう業界の皆さんに、例えば規制する法律をつくるとか国会決議をするとかという不穏当なことではなくて、これはやはりもうしばらくは自主規制を促す以外になかろうと思います。思いますが、その自主規制を促すためには、自粛を促すためには、やはり周囲からやかましく言わないと、こう言っては失礼ですが現実は自浄作用がきかない。販売部数、視聴率、その競争でもう血道を上げている、これが実態ではないか。私はマスコミ界の内部の方から聞くのですもの。もっとやってください、内輪で努力をしようと思ってももうだめなんです。もう視聴率の競争の方に先走ってしまってどうしようもないんです。周囲から言っていただければ、ああいうふうに皆さんが言っているんだから何とかしなければという気持ちがそこから働いてくる。他の局の様子も見ながら徐々に正常化していこうかという機運がその中から生まれてくる。かなりそれは醸成されつつあると思いますけれども、どうです、マスコミ界の皆さんに、文部大臣、懇談会か何かやって要望なさったらいかがですか。そういうのをしつこくやっていったらどうでしょうか。
  34. 海部俊樹

    海部国務大臣 いつでしたか、国会でも目に余る問題が取り上げられて議院運営委員会でも問題になって、国会決議で自粛を求めようかという動きが出ただけで自主的に規制が働いて廃刊された行き過ぎ雑誌もあったという報道等も聞いておりますし、また、私どもマスコミ皆さんといろんなところでお会いするときにそのことを厳しくお願いをしたり、特にこれは言論の自由とか表現の自由という問題の、私にとってはこれは履き違えじゃないかと思われるほど強い保護がありますから、いっそこの問題に対処して根本を片づけるには、西欧で発達しました、北欧ですか、マスコミオンブズマンというような制度があって、あれが非常に機能しておるという話もスウェーデンかどこかで私は聞いてきたこと等もありまして、そういう監視機構というか壁を一つつくってもらわなければ片づかないのかなというような気もしますけれども先生おっしゃるように、権力的なことでいく前にまず何かならないか。  私はよく郵政大臣には直接申し上げるのです。各局ごとにいろいろ番組審査委員会というのは形式的にもあるんだから、あれをもう少し有効的に働かせて自粛してもらわないと、やがてオンブズマン制度みたいなものが声になって出てきますよ、そこへいく前にどうかそれらの方々に覚せいの鐘を乱打してください、こうお願いしております。私どもも立場上いろいろなところでお話させていただくときには、マスコミ皆さん影響も大きいし、自粛、自主規制をお願いしたい、良識に従って、これはいい意味の生涯学習の中では大変な大衆教育機関でありますから、ぜひその自覚に立ってお願いしたいということを繰り返しいろいろなところで申し上げてきておるつもりでございますけれども、御指摘でもございますので、さらに一層効果的にこの声が広まりますように、一遍よく研究させていただきます。
  35. 中野寛成

    中野委員 言うならば、監督官庁がやるのではなくて、文部省教育的見地に立って協力を要請するということは、これはまだある意味では余計な反発を招かないでより効果的な方策であるかもしれませんですね。ですから、ひとつ大いにその辺具体的に、しかもそれが文部大臣が要請をしたというのが大々的に国民に知れ渡るようなことも含めて、これはやっぱり世論を喚起することが大事でもあろうと思いますから、御努力をいただきたいなというふうに思います。  さて、きょうはたくさん用意し過ぎまして、次へいきたいと思うのですが、入試改革の問題についてお尋ねをいたします。  共通テストの問題で何か文部省と総理大臣と見解が違うようなことを聞きましたし、大学入試改革協議会が七月に何か具体的な報告をされるそうでありますが、総理の真意が私はいまだにわからない。共通一次テストを共通テストに直すことについて臨教審の答申がありました。私は、これだってどこがどう違うのかようわからぬ。言うならば、学校の方で選択が自由にできるとか幾らか緩和されたですな。それをもう一歩進めて、総理のおっしゃる大学側の選択の自由だけではなくて、受験者側の選択の自由も認めよう。それで結局なくても構わぬみたいな極論までいってしまうのではないかと思うのですが、その真意は一体何なのか。私は、今まで報道されている、またいろいろな国会答弁、総理の答弁なんか聞いておりますと、突き詰めていくと、結局共通テストみたいなものはない方がいいというふうにおっしゃっているように聞こえてしようがない。共通テストの意味は一体何なのか、総理の真意は一体何なのかさっぱりわかりませんが、これは受験生側の選択の自由、大学側の選択の自由、これを認めると、受験生にとって決していいとばかりは言えないのですね。受験生はますます混乱しますよ。自分の試験はどうなるのか、かえって受験生に心理的な混乱を与えると思いますが、どうお考えですか。
  36. 海部俊樹

    海部国務大臣 先生御承知のとおりに、大学の入学試験の改革の問題は、臨時教育審議会が第一次の答申で、今の共通一次試験を変えて共通テストを創設して、国公私立を通じて各大学が自由に利用、活用できるようにすべきである、こういう指摘をなされて、それによって今改革協議会がまさに御議論願っておるさなかですから、制度の基本に対して余り予断と憶測をもって物を言うことは慎まなければならぬことだとは思いますけれども現実委員会の場でいろんなやりとりがございまして、文部大臣が総理大臣答弁と食い違うような答弁をしたということが広く世間に報道されまして、それがもし受験生の皆さんに大変な混乱を招いたとしたら、大変それは申しわけなかったことだと思います。けれども、あれをよくお読みいただくと違っておるわけじゃないわけでございまして、総理大臣のボキャブラリーは御承知のように豊富でありますし御経験も豊かですから、私が同じような表現ができなかったという差は、これ人間それぞれ違いますから。  どこに問題点を指摘されたかというと、私もその後二人でお目にかかっていろいろ調整をしてきて予算委員会にも報告をしておきましたけれども、第一は、今の大学の入学試験の制度は偏差値、大学の輪切りというような嫌な言葉で支配されておるから、それは徹底的になくさなければならぬというような発想が一つ総理にございました。  それから、もう一つは、例のマークシート方式というものについて、もう少し人間的なものに、そして物を考える力を見る方向に変えなさい、こういう御指摘がございました。それは二つながら改革協議会で議論も願っておりますし、変えていかれると思うのです。  それから、私どもが今各大学にお願いをして、どうかそれぞれ大学ごとにもっと個性と特色を生かした入学試験をやってください、大学の中でも文学部や理工学部や医学部や芸術学部や、学部ごとにいろいろな特性があるわけですから、学部ごとに違っておったっていいではないですかと。そして、例えば共通一次試験も五教科七科目きょうまでやってきました。今度から五教科五科目に、これは別の次元の話ですが大学協会が御議論願ってなっていくのですが、五教科全部受けなければならぬということはないわけであって、全部受けたらその結果を公表しますから、いい子、悪い子、普通の子とすぐコンピューターでふるいにかけられてしまう。だから、そんなことも表に出ないようにするし、五教科受けようが一教科受けようが、あるいは極端に言うと、一教科も受けなくても共通一次試験というものはその点数の評価をゼロにしたってほかがすぐれておればとりますよという制度が姿かたちであってもいいし、あるいは高校と大学とのいろいろな信頼関係の中で、高校の推薦があったならばいきなり推薦入学で、ほかの入学の手続と別に書類審査、面接だけで入る道があってもいいし、全国たくさんある学校の中にはいろいろな姿があったと思いますから、そういったことを大学側でもっと徹底してやってください。そうすればいろいろな姿が出てきます。  ただ一つまだ報告待ちになっておりますことは、先生もおっしゃるように、受験生にも今度はテストを受けるか受けないかの自由を与えてしまうというところまで踏み切れるのかどうか、この一点が残ったわけでございますが、私は、大学ができるだけ自由な利活用をし、総理が言っていらっしゃるように、共通テストを受けなくても本試験を受けることができる制度、道があってもいいではないか、本試験とは別に推薦があれば推薦入学の制度でその制度も素通りして入っているケースが、調べてみますと現にあるわけです。それから、共通試験は受けてもらうけれども、共通試験の点を横へ置いておいて、筆記試験の方ですばらしい点をとったら、そのことだけで合格させるという幅も少しはあっていいはずなんですよ。  ですから、いろいろな種類、形態、利用活用の方法をうんとたくさん大学側に考えてもらう。そうすれば、受験生の方には基本的に大学を選ぶ自由があるわけですから、共通テストなしで、あるいは面接なしで、推薦だけで入りたいとか、あるいは正面から全部受けて入っていこうとか、おれはこの課目は不得意だからこの課目のないこちらへ行くんだということで、受験生の方でいろいろ選ぶ自由があるわけでございます。  で、私はあのときは、受験生の恣意に任せる気持ちはございません、こう言いました。そうしたらそこのところを、文部大臣よくやってくれるがもう少し考えてもらいたいと言っておるのだ、こういう御意向もありましたので、総理のおっしゃることもやはり姿かたち一つだと判断しましたから、私は改革協議会の方へ、国会でこういうやりとりがありましたからこういうこともひとつ姿かたちとして考えてみてくださいと協議会の御議論の場にそれをお伝えしてお任せしてあるわけであります。今協議会では、それらのことを含めてそれぞれのお立場の方が御議論を詰めておっていただいておると思っているわけです。  ですから、あくまで、受験生の側に立ってみますと、いろいろな試験制度の選択の中で自分はどの道を通っていったら一番いいのかな、最近の総理の党の文教関係の方との懇談のときの言葉をかりれば、ナマズの道やドジョウの道もちゃんとつくっておいてやるのがいいのだ、いろいろな可能性があっていいのだ こうおっしゃいますから、そういったこと等も全部踏まえて今御議論願っておると思いますので、これは協議会の結論が出るまでもう少しお見守りいただきたいということ、それが、大学が自由に利用活用できる多様な入学試験の方法がそこから報告として出てくるのではないか、私はこう思って見守っておるところでございます。
  37. 中野寛成

    中野委員 結局、原則的に言いますと、受験機会だけではなくて、受験方法も含めて複数化、多数化することはいいことですよ。いろいろな得手不得手もありますからいいことですが、朝令暮改ではないけれどもしょっちゅうくるくる変わるというのは本当に困る。結局、親子が一番精神的に安定するのは、親が受けたような方式を子供も受ける。精神的な安定面からいえば、親が自分の体験に照らし合わせてアドバイスができるというのが一番いいのです。それは試行錯誤も必要ですよ。必要ですが、しょっちゅうころころ変わる、まして臨教審の答申が出た、しばらくしたら――池田先生質問で、マークシート方式はどうこうというような答弁をあのときに中曽根さんがされたことを覚えておりますが、受験一つにしたってそういうことで、何が何やらどうなっていくのやらさっぱりわからないという不安感が募ってくる。そこで結局どこに頼るか、今は学習塾に頼るしかない。親にアドバイスを求めたって親はわからないのですから、そのプロに頼ろうとする。学習塾に行かないと受験生はとっても不安なんです。ですから、もう少しその辺の発言も含めて慎重にしていただきたいし、そして、そうころころ変えるのではなくて、できるだけ早く定着をさせていただきたい、私はこうお願いしたいと思うのです。  そこで、受験に関してもう一つ、国立大学受験の複数化、これも賛否両論あるようです。メリット、デメリットあると思います。文部省としては、また大臣の方は、そのメリットの方についてむしろ評価するという形の談話が発表されたのを私も拝見をいたしました。しかし、決して評価だけではなくて、心配される部分があると思います。例えば、優秀な生徒が結局国立大学に集中してしまうことになりはしないかとか、いろいろな議論がなされているのは御存じだと思います。そのデメリットをいかに少なくするかという配慮は、あらゆる改革をするときには常に考えていかないといけないと思います。だから、評価をする部分は結構です。結構ですが、むしろ心配になる部分は全くないのか、あるとすればどういう手を打つのか。それを最小限度に食いとめるという方策が当然なされなければならないと思います。  時間の都合で、ついでにもう一つ聞きます。  専修学校で三年間学習をした人には大学の受験資格が与えられるようになりました。通信制大学、放送大学でいいますと、言うなら特修生の制度ができて、これまた、そこで特修生として勉強しておりますと追っかけて入学資格が得られたことになる方策もできました。通信制大学でできて、どうして一般大学でできないのですか。一般大学の聴講生にもそういう方途が認められるようになりますと、これまた大学入学の方法が一つ広がります。とりわけ社会人の入学などということについては、私は大変評価をされると思うのであります。こういうことにつきましてどうお考えでしょうか。
  38. 海部俊樹

    海部国務大臣 最初の入学の問題、朝令暮改ではよくない、おっしゃるとおりだと思います。けれども、過ちを改むるにはばかることなかれという教えも古来からあるわけでございまして、私がしみじみ感じますことは、この前、在任中に文教委員会でいろいろ御議論いただいて、大学入試センターの法律をきちっと通していただき、共通一次試験をスタートさせたとき、私はたまたま文部大臣でございました。あのときの世論や御意見の中には、一期校、二期校というのは何だ、国立大学に格差があるような扱いをするのはけしからぬ、これは一律にしなさい。今度の共通一次試験でまずメリットがあるとすれば、学校間格差をなくしたことだとまで皆さんから御議論があり、また世論の中にも、共通一次試験をスタートさせることによって難問奇問と言われるようなものがなくなっていって、塾へ行って忍術のような受験技術を身につけなければならなかった時代から、高等学校の五教科全部をまじめに勉強しておれば、まあまあのところの努力をすれば、次の第二次本試験に臨んでいかれる仕組みになるのだということはこれまたメリットだといって評価をされたと私は記憶をしておるわけです。  しかし、ここからは言い過ぎかもしれませんが、制度、仕組みは、それが定着するとまた次の新しい要求や不満や批判が必ず出てくるもので、そういったものが社会の進歩にもつながっていくと思いますが、せっかく一期校、二期校をなくして一律にしたがために、一、二年たってから世で起こっていた御批判は、あるいはテレビの討論会なんかへ行きますと私に対する御批判は、あなたは血も涙もない人で受験機会を一回にしてしまった、昔の方がよかった、一期校、二期校があった方が少々のことがあっても滑りどめがあって安心感もあったというような御意見が出てきて、何だそれでは改革のための御要求のところへまた戻るわけじゃないですかと、盛んに反論したこと等も思い起こすわけですけれども、今度は受験機会をもっとふやせ、受験機会の複数化ということがこの二、三年来、世論調査でも各界の御要望の中でもどうしても強かったものですから、その強い各界の要請を受けて、臨教審の答申をまってということよりも、国立大学協会自体の中で、自分たちの自覚と責任でこの複数化の問題は解決できるからというので、最近、いわゆる国立の七大学の方がまず前期と後期に自主的にお分けになった。それに伴って残る八十幾つかの他の学校も地域の特性や学科の特性について前期と後期に自主的にずっとお分かれになるとすると、理論的に言いますと、複数化が国立大学の分野で確保されることになる。これはいいと思ってやったことでも、世論に非常に反発があったり複数化を望む声が多いときにはやはり複数化をすべき、またした方がいいと思ったから私はあの評価するという談話を出しましたけれども、それは同時に、昔の一期校、二期校の方へ戻ってもらってはいけないわけであって、よく言われるように、学校の格によってまた前期、後期と分かれるのではなくて、地域の仕組みとか、学部、学科のあり方によって分かれるのだ、決して学校間格差を昔のようにつくり出すものではないという点には十分考慮をし判断をしてやってもらえたものだ、私はこう期待しておりますので、それが世の中の、世論の要求であるなれば、それに従ってやられた大学当局の努力を私は評価したい、このように思っておるわけでございます。
  39. 大崎仁

    ○大崎政府委員 後段の御質問につきましてでございますが、先生の御指摘のように、昭和五十六年に大学通信教育の設置基準を制定いたしました際に、通信教育で聴講生として相当程度の科目を履習し、単位を修得した者につきましては、それぞれの大学の御判断で、高等学校を卒業しておりませんでも正規の資格を認定するということをいわば各大学にお勧めをしたわけでございます。放送大学の特修生につきましても、いわばその通信教育の一環としてそういう措置を講じ、現に既に何人かそれの制度によって資格を得た者が出ております。  それで、ただこれは通信教育というものがその性格上、広く大学教育社会に開放するという基本的な性格がございますので、まずそのような措置を通信教育でお勧めをしたということでございますが、一般的には入学資格を持たない方々のために、先生御承知のように大学の入学資格の検定制度というのがございまして、その検定制度で広く機会の開放の道を確保しておるという制度の建前になっておるわけでございます。そういう制度の建前から申しますと、個別の大学の認定し得る範囲というものについては、やはり入学資格学校制度の基本でもございますので、慎重に検討する必要があるのではないかということも考えておりまして、通信教育における実態状況等も十分把握をしながら、ただいま御指摘の点につきましては、将来の課題として慎重に検討させていただきたいと思います。
  40. 中野寛成

    中野委員 将来の課題として慎重に検討すると言われると、これはあかんなというふうに思うのですが、慎重な御答弁だと思いますが、しかし、大臣、今の私の質問、そして局長の御答弁意味がわかったと思います。通信教育でできて一般大学でできない、もちろん大学のキャパシティーの問題もありますから、いろいろな工夫が必要でしょうけれども、しかし一般大学でもそういうことができるというふうに、やはり通信大学でできるならできないわけはないので、通信制の大学ならいいわというのなら、通信制大学をよほど軽視しているのか、もしくは通信制の大学で勉強して一定の単位を取ったら資格を認めるということは通信制大学の単位の取得の仕方に逆に権威を認めているのか、そういうことになるわけで、これはやはり区別するのはおかしいと思いますから、ぜひとも前向きに御検討いただきたいと私は思いますのと、先ほど過ちがあったら改めるにはばかることなかれ、わかりますよ。しかし、その言葉をそのままお受けして、そしてお返ししようと思いますと、ああ、よくこれだけしょっちゅう文部省は入試制度を変えるけれども、これはそのくらいしょっちゅう文部省は過っているのかということになりますな。やはりそれでは困るので、複数化は結構ですよ、私も評価しますが、しかし、それをやるときにやはりこういうことが心配されるなということは洗い出して、それを最小限度に食いとめるような努力を、あらゆる改革のときにはそのフォローアップのために必要だということを申し上げているのですよ。私は日本列島改造論だって評価しますよ、地価対策が加わっていたらね。というふうに、何かがしっかりできていればこれがせっかくいい効果を上げたのにということがいっぱいあるのではないですか。そういうフォローがないからまた次のときに変えなければいけなくなるのじゃないですか、ということを申し上げておきたい。済みません、あと文化政策をやりたいのですけれども、ちょっと一分間ほどで、制限して恐縮ですが、大臣答弁いただけませんか。
  41. 海部俊樹

    海部国務大臣 先ほど引きました例は必ずしも適切じゃなかったかもしれませんが、制度、仕組みがよければいいほど世の中も変わっていくわけでありますし、いろいろ問題も出てくるから変えなきゃならぬということを私は申し上げたかったわけですし、そういった趣旨のことを言ったつもりでございますが、余り長時間おしゃべりしておってもいけませんので、その真意をひとつお酌み取りいただきたいと思います。こういった制度になっていってもなおいけない問題があるということがあればそれを謙虚に受けとめて、どうしたらその弊害が除けるかということは、教育改革は永遠の宿題だと思っておりますから、慎重に検討し、考えていきたいと思います。
  42. 中野寛成

    中野委員 通信制大学に適用されているその問題はどうですか。
  43. 海部俊樹

    海部国務大臣 通信教育とか放送大学というのは、私は新しい意味の生涯学習の一環だというふうにより受けとめたいわけでございます。人生の十八歳から四年間だけ学ぶのが大学だということにしてしまいますと、生涯学習をしたいという方々の期待にこたえられません。あるいは、職業を持っていらっしゃる方が世の中の進歩発展とともに自分も学びたいというお気持ちがあれば、それはやはり通信教育とか放送大学というのはいい仕組みであった、こう思うのです。それらに今先生おっしゃったように大学に入ることが認められる――私が今心配しますのは、今の制度、仕組みの中で高校へ入らなかった方が、入れなかった方のための入試検定、大学の資格試験ございますね、あれを初めから、入れなかったのじゃなくて、それを目指して入らないで、高校へ行かないで資格だけを取って、おれは大学へ行けるんだということを売り物にしていらっしゃる塾も残念ながらございます。そういったことは人格形成の上において余り好ましい姿ではないなと思っておりますから、大学の入学資格というものは、私は、社会人になった方やあるいは年齢が達した方がもう一回入りたいとおっしゃるときは、これはうんと柔軟に考えてもいいのではないだろうか。むしろ、中学卒業して一年くらいから天才勉強をやって、高校を抜きにして、どうだ、おれは早く大学へ入ったぞ、おれは大学生だ、合法的な飛び級だというような発想で受け取られることは、その人の人格形成の上からいっても弊害があるのではないかなという気が、これは文部省ではなくて私個人にですけれども、しておりますので、そういう意味で、幅広く一般の社会から大学へもう一回生涯学習の見地で学びたいと思う方には門戸開放はなるべくした方がいい、私は基本的にそう思いますから、先生のお考え、お気持ちはよく理解できるところでございます。
  44. 中野寛成

    中野委員 飛び級に利用されるとか、また何と言ったか、テレビの番組で「東大一直線」とかなんとかというのがあって、高校へ行かないでというのがありました。そういうことを助長することになってはいけませんから、それは防ぐ方法を考えなければいけませんが、一般大学へも適用を広げる工夫をぜひしていただきたいと思うわけであります。  もうあと十分ちょっとしかなくなりました。文化庁の方へ、大変長くお待たせして申しわけありませんが、先般来、文化政策というのを実は申し上げておりまして、地方自治体でも随分文化施設が充実してまいりましたが、この適正配置それから利便等を考えまして、私は文化圏というのをひとつ設定してみてはどうだろうか。コミュニティー文化圏、これは中学校区くらいの範囲、そして地域文化圏、これは市町村の範囲、広域文化圏、これは都道府県、全国ブロック文化圏、これは北海道とか東北とか中部とか関東とか、それぞれに、コミュニティー文化圏ではこういうものをつくる、例えば図書館の分館でありますとか、多目的施設としてのコミュニティー文化センターとか、いろいろな考え方ができるでしょう。この文化圏ではこういうものをつくる、そして地域文化圏としては、例えば文化会館、図書館、郷土館、そして都道府県単位の広域文化圏では博物館、美術館というふうなこと、そしてまた全国ブロック文化圏では国立の施設をつくっていくというふうなことで、もう少し整理をして有効に活用される、しかも効率的に財政運営ができるというふうなことをお考えになられたらいかがでしょうかということ。  それから、それを基盤に置きながら、高度情報化社会ですから、地方住民の文化情報の入手、それから今度は博物館や美術館同士の情報交換、そういうことを行うことができるように文化情報ネットワークというふうなものを考えてつくり出してはいかがでしょうか。これを、特定の地域財産、所有権はそこにありましても、その利用について国民全体の財産として活用できる方途をもっとお考えになられてはいかがでしょうか。あちこちで日本のお金持ちや企業が貴重な美術品等を買いあさってそれが相場を値上げして、やはりエコノミックアニマルだと批判を受けているようですが、そうしてでも入ってきた文化財というのはたくさんあると思いますが、それを何か一人が私物化してにやにや笑ってそれを眺めているということではなくて、もっと広くそれが国民の財産として活用できるような方途を考えてはいかがでしょうか。そのための文化トラスト、これは国民の意識を改革しなければいけませんので難しいですが、そういうことを含めて、文化財を単に私物化するのではなくて国民みんなの共有財産にできるような風潮を形成する努力をなさってはいかがでしょうか。  まとめて申し上げますが、もう一つ、環境アセスメントの問題がいろいろ論議されますが、文化アセスメントを設定してはいかがであろうか。都市計画や都市再開発等を行うときに環境アセスメントをやるという考えはあっても、この町をこれからの将来の展望を開くのに文化的にどういうふうに発展させるかということを考える時期に来ているのではないだろうか、文化庁を環境庁並みの権限を持つところに育ててはいかがでありましょうか、こういうことを考えるわけであります。  いつも申し上げますが、総理や文部大臣の演説の中で使われる二十一世紀へ向けての文化の中身がいつもわかりません。しかしながら、今申し上げたようなことを中心にお考えになられれば、経済大国日本と言われるようになりましたが、文化大国日本への道を歩み始めることができるんではないだろうか、それがひいては世界の国々から日本の国の風格として尊敬をされることになるのではないだろうか、こう私は思うのでありますが、文化政策についてもう少し突っ込んだ議論がなされるべきではないか。文化のための審議会を設けたり、そこでまた文化振興基本法をつくったりとかいろいろなことが考えられると思いますが、今御提案申し上げましたことについていかがでございましょうか。
  45. 海部俊樹

    海部国務大臣 大変示唆に富んだ御提言をいただきまして、私もなるほどとうなずきながら御質問を承っておりました。戦後ひたすらに豊かさを求めて、国が追いつけ追い越せというようなスローガンのもとに努力をしてきました時代は、それはそれでだんだん豊かな国になってきたのですから、国民生活の物質的な質を高めたことに貢献があったと私は思いますけれども、しかし、教育基本法にも書いてありますように、個性豊かな文化を創造していく、そういったことを目指す教育をしなければならぬという理想は既にもう掲げてあるわけでありますから、これからは御指摘のような方向に向かって努力をしていかなければならぬのは当然でありまして、物質と文化と心と、それを大切にしていこうという、我々に対して抽象的な言葉でなく文化情報ネットワークのいろいろな参考資料等までもつけての御質問には、私は全く敬意を表する次第でございます。  なお、詳細につきましては文化庁から答弁をいたさせます。
  46. 加戸守行

    ○加戸政府委員 いろいろ御提言いただきました。まず文化圏の問題でございます。もちろん国民の文化活動というのは日常生活に根差したものでございますから、そういった生活の基盤とその文化活動の場というのはこれはパラレルに考える問題でございまして、しかもその配置の問題も、今先生おっしゃいましたような狭い地域からあるいは一つの都市圏あるいは広域圏という形に広がっていく、それぞれの文化活動の分野によっても異なりがあろうかと思います。  文化庁が従来から文化施設につきまして、特に公立文化会館の設置につきましては、人口十万以上の都市または広域市町村圏の中心地におきます文化施設に対する補助を行ってまいりまして、全国で補助対象あるいは補助対象外も含めまして八百程度の文化会館が設置されてまいりまして、当初想定しましたものからいきますと約七割程度の達成率にはなっているわけでございます。こういった施設の配置等、特に国立の施設につきましても現在調査研究を進めておりますが、特に各地からの国立文化施設の要望が多種ございますけれども、こういった財政状況の中にありまして少し足踏み状態ではございますが、鋭意検討を進めている段階でございます。  そういった文化施設を結びます情報ネットワークの問題でございまして、この点に関しましては、昨年私どもは文化庁附属機関の中でまずそういったネットワークを通じた情報処理というのができないのかという検討を開始させていただいております。ただ、こういうものがそれぞれの機関ごとに共通利用ができるようなデータベースをつくるということになってまいりますと、基礎データの整備が必要でございまして、そういった一つのパターンに従った形で、現在は各機関ごとにあるいは各館ごとにまちまちの整理方法でございますから、それを共通してデータとして入れるためには、ある程度の統一的なシステムづくりあるいはそのための各館の資料整備が急がれるところでございますので、そういった面を鋭意検討を進めて、先生のおっしゃいましたような文化ネットワークというものが実質的に活用できるようなことを想定して準備を進めているわけでございます。高度情報化社会の時代でございますので、各般の分野におくれないように、文化の世界も文化情報のネットワークづくりというものを考えていきたいと思っているわけでございます。  それから、文化トラストの問題でございまして、先生おっしゃいましたようにいろいろな難しい問題もございます。ただ、一つ新しいところにつくるということではなくて、現在例えば過半数の都道府県におきまして都道府県の出資に係ります文化振興基金あるいは文化事業団等もございまして、こういったところは財源がほとんど市町村あるいは都道府県によって拠出されたものでございますので民間拠出がございませんが、そういったものを核として民間の美術品あるいは資金、そういったものも寄託、信託を受けるというようなことへ広げていくこと、これは国民の意識の改革はもちろん必要でございますけれども、そういった意味努力づくりをする母体はささやかながらはある。これを大きく伸ばしていくということを、税制問題との絡みもございますが、諸般の検討を進めてまいりたいと思っております。  なお、文化アセスメントにつきましては、私ども承知しております限りでは、東京都あるいは兵庫県におきましてこういった文化アセスメント委員会等をつくりまして検討された経緯もございます。恒常的な形で文化アセスメントのための審議会等をつくるということは現状ではいかがかと思いますけれども、そういった各県の取り組みあるいは市町村の取り組みの中に、恒常的な機関というよりも随時的な機関としてまずはそういった姿勢をとっていただくことを、この東京あるいは兵庫等の例を十分援用させていただき、そういった内容はまた各都道府県、市町村にも周知させ、そういった方向への努力ということを要請してまいりたいと考えておるわけでございます。  各般の御提言いただきました事柄につきましては、今後の文化政策を進めるに当たりまして大いに参考とさせていただきたいと考えております。
  47. 中野寛成

    中野委員 最後に申し上げたいと思いますが、文化庁の予算は年々減る一方でございまして大変残念であります。もちろん、文化に関することは文化庁だけでやるわけでありませんからほかの省庁の予算の中にも潜在的に含まれているのかもしれませんが、それは一つの言いわけとして、これからの日本はまさに文化への歩みをどう踏み出すかということだと私は思います。  大臣、きょうここで改めて御提言を申し上げますが、文化庁の位置づけから文化財政を含めまして文化のための審議会、今まで全くなかったわけではないけれども、ここいらで日本のこれからの文化の問題について基本的に論議をする場を一回おつくりになられてはいかがでしょうか。文化振興基本法がその中で生まれ、そしてそこに財政の裏づけができていくことを望みますけれども、しかし私は、そういう時期が来ているのではないか、ここまで御提言申し上げますと多分青木委員長が、わしが議員立法ででもやろうかと言い出すのではないかと顔色をうかがっておりますが、しかしそういう時代を迎えている。総理の演説や文部大臣の演説を聞いておりますと、もっと大きな文化対策をやろうとしているのではないかという期待だけは演説の中で持つのでありますが、具体策になってあらわれてきませんので、きょうは幾つかの御提言を申し上げました。基本的に文化施策について今申し上げたこと、いかがでございましょうか。
  48. 海部俊樹

    海部国務大臣 文化を大切にしなければならぬということは私も全く同感でございますし、年々の文化庁の予算措置を見ますときに、やはり応援団の一人としては微力を恥じるわけでございます。これから皆様方の御理解とお力添えをいただきながら、日本の文化がますます基盤を厚くしていくように、これは心から願うところでありますし、文化庁なんかもことしは国民文化祭なんという新しいものをスタートさせよう、予算措置もお願いをして一生懸命やっておるところでありますが、すそ野の広い、幅の広い文化が育っていくためにも、もう少しやはり先生おっしゃるように、文化に対する取り組み方とか心構えとか何が必要かということを、我々が演説で言うだけではなくて、それぞれの有識者の方々にお集まりをいただいて御議論願う場も必要かな、今もそんなことを考えておりますから、これはきょう研究課題として先生から御提言いただきまして、我が方で勉強し、検討させていただきたい、こう思います。
  49. 中野寛成

    中野委員 最後に、要望だけ申し上げます。  国民文化祭のことについて質問する時間がなくなりました。ただ、私が期待をいたしておりますのは、各都道府県から毎年、来年はうちで、再来年はうちでといって引っ張りだこになるように、国民体育大会に負けないイベントになることを期待いたしておりますし、そういう御努力をいただきたいというふうに思っておる次第でございます。そしてまた、あわせて、文化庁で現在行われております文化政策は、言うならば文化財の保護、そしていわゆる芸能の問題、そしてまた著作権、宗教団体の事務、これに限られていると言っても過言ではないと思います。先般も申し上げたのですが、文化省の中に文都庁があってもいいのではないか。文化がベースになって教育があるのです。ところが、どうも日本の場合には教育中心で片隅に文化庁があるような気がしてなりません。もう少し発想の転換をこの際なさるべきではなかろうか、こう思います。  今の大臣の最後の御答弁に期待をして質問を終わる次第であります。ありがとうございました。
  50. 青木正久

    青木委員長 午後一時に再開することとし、この際、休憩いたします。     午後零時三分休憩      ――――◇―――――     午後一時六分開議
  51. 青木正久

    青木委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。  質疑を続行いたします。山原健二郎君。
  52. 山原健二郎

    ○山原委員 急遠大蔵省おいでいいただきましたので、昨日の補助金問題の一括審議の連合審査の際に、私が大蔵大臣に、ちょうど江崎大臣がかわっておられましたが、質問いたしましたが、お聞きになっておられたでしょうか。――きのうお尋ねしましたけれども、まだちょっと釈然としない面がありますので、お伺いしたいと思います。  これはいわゆる大蔵省が今度出されました臨教審に対する申し入れ書でございますけれども、これは昨日指摘しましたように、スクラップ・アンド・ビルドというお考えに立ちまして、「教育改革と財政問題に関する基本的考え方」というのを提出されております。これがこのままの申し入れのとおりいきますと、臨教審のいわゆる教育改革の具体的提案、例えば現在臨教審の目玉と言われております初任者研修制度あるいは六年制中等学校の設立というものにどれだけの経費が要るかわかりませんが、その経費の出方によっては、大蔵省としてはそれをビルドとして、一方でスクラップをするという、そのスクラップの中に、今まで文教行政の中で非常に重要な地位を占めている四十人学級の問題とか、あるいは高等学校以下の私学に対する助成であるとか、私立大学に対する助成であるとか、あるいは給食あるいは大学の授業料、全般にわたって影響が出てくるわけでございます。例えば教科書につきましても無償を有償にするというようなことが書かれておるわけでございますが、この文書につきまして、この性格を昨日もお尋ねしたのですが、どうもはっきりしませんので、はっきりさせていただきたいと思いますが、いかがでしょうか。
  53. 武藤敏郎

    武藤説明員 ただいまのお尋ねの「基本的考え方」というペーパーでございますけれども、結論を申し上げますと、大蔵省の意見書というものではございません。  少し詳しくお話を申し上げないといかぬと思いますけれども、まず、「審議経過の概要」が去る一月臨教審の方から出されまして、それを私ども拝見さしていただきまして、私どもなりにいろいろな内部の検討をしたわけでございます。同時に、臨教審の委員先生方から、財政当局の考え方を非公式にといいますか、個人的にといいますか、個別に意見交換をしたいというお話がございました。そういうことで、私どもの部内の考え方を取りまとめまして、個別の意見交換に臨んだわけでございます。そういうことでございますので、それが正式な臨教審に対する意見書というものではないことは言うまでもないわけでございます。  その後、三月十九日に臨教審の運営委員会懇談会におきまして、これも非公式にではありますが、この懇談会という場で大蔵省、大蔵省以外にも文部省、自治省等も呼ばれたわけでございますけれども、意見交換の場があったわけでございます。そこでも同じような議論をさせていただいたわけでございますが、先生の御指摘のペーパーはあくまでも内部の検討用のメモという性格のものでございます。
  54. 山原健二郎

    ○山原委員 ちょっと、内部の検討用のメモとおっしゃるわけですけれども、これは率直に言って、今読みましたように「教育改革と財政問題に関する基本的考え方」、こうなっておりまして、昨日も確かに、大蔵大臣の決裁をしていないけれども、平素検討しているものを並べたものだ、あるいは参考意見だ、あるいは参考メモだというふうに言われておるわけですけれども、同時に、我々の気持ちを述べたものである、こういうふうに昨日、主計局の次長が答弁されたわけでございます。そうしますと、これはしかもこの重要な段階、本日から最後のまとめに入っておる臨教審に対するこれは大変な重みを持った大蔵省の考え方というふうに受け取られることはもう間違いございません。これはいわば大蔵省の基本的な態度ではないのでしょうか。
  55. 武藤敏郎

    武藤説明員 御指摘のペーパーの中で、スクラップするべきもの、それからビルドと考えられるものといったようなことで、いろいろな費目が並んでおるわけでございますけれども、その「ビルド」の方に並んでおるものは、「審議経過の概要」の中に新規施策として掲げられているもののうち、主なものを挙げたわけでございます。それから、「スクラップ」という表題になっておる部分は、かねがね財政当局が文部省あるいは関係者にいろいろな場で議論をしております項目を並べたものでございます。もう少し別の言葉で言いますと、それらはいずれも例えば臨調あるいは行革審といったようなところで何らかの御指摘を受けたものでございます。そういうものでございまして、そのスクラップとビルドが、何といいますか、ビルドするためにはこれらを必ずスクラップすべきものとか、あるいはその「スクラップ」として掲げられているものは全部やるものとかそういうものではございませんで、先ほど内部検討用のメモと申し上げましたのは、ビルドの方でいろいろな御議論があるとすれば、既存施策の節減合理化といったような議論も当然する必要があるであろう、現下の厳しい財政事情を前提といたしますれば、当然そういう合理化努力が求められるであろう、そういう場合に、従来いろいろ議論されているものを取りまとめたもの、こういうものでございます。
  56. 山原健二郎

    ○山原委員 ちょっとこだわらせていただきたいと思うのです。今お話を伺いましても、従来出てきたものというふうなお話、それからビルドの方では、臨教審が新しくやられようとしている新規計画、その新規計画を実現するためには、予算の枠というものを考えまして、そこに臨調行革の網がかかっておるわけですから、そうすると、それをつくるためにはスクラップをしなければならぬ。スクラップの項目がこういうふうに出てまいりますと、義務教育費国庫負担金の見直し、高校以下の私学助成、あるいは社会教育費の地方一般財源化、私立大学助成のあり方、あるいは科学技術研究における民間活力の導入、あるいは学校給食費の問題、教科書、国立大学の授業料、育英奨学事業のあり方すなわち有利子化、これはこの文教委員会におきまして与野党含めて文部省との間に論議をし、また大蔵省とも話をして、しかもこれらはことごとく文教行政の基本的な柱の問題ですね。それがこのビルドのためにスクラップになるということになりますと、これはとても大事なことでございますし、それから、今おっしゃいますけれども、基本的な考え方として出てきておるのが、一つは、スクラップ・アンド・ビルドという思想ですね。それからもう一つは、これはちょっと字が読みにくいのですが、「その他個別事項」としまして、初任者研修制度については、あっさり言って、余り具体的に言うなと書かれているわけですね。「基本的考え方を示すことが適切」であるということで、具体的に答申の中に書かないでほしいという意味がこの中にあります。  それから、学級編制の改善の問題につきましても、これは今一番問題になっている四十人学級あるいは三十五人学級への移行の問題で、四十人学級については国会側としては何回も各党一致して決議している問題であるわけですけれども、これも四十人学級計画の六十六年の完成後におけるその後の問題については「十分検討すべきこと」であって、要するに書くなということですね。それから受益者負担思想とか、そういったものが出てまいります。  そうしますと、これは全く、この大蔵省の考え方を撤回をしていただかないと、本当に教育行政の基本に関する問題がここで挫折をする。国会として何遍も一つの法律を成立させるために論議をし、教科書なら教科書無償法案が出てこれを論議をし、それを何年も続けてきて、確かに予算編成のときには教科書無償を有償にせよというような論議もありましたけれども、これは自民党の皆さんも含めてこれに対しては国会側は反論をしまして、それが今日まで守られてきたという経過があるわけですね。それが臨教審が出てきたことによって、臨教審のビルド部分が出てくると、それを実現するためにはこういった長年にわたって各党一致してきた文教行政の基本までが崩されていくという、その考え方を基本的に大蔵省は持っているんだよということを示しているわけですから、これはとてもじゃないが、ちょっとやそっとで引き下がるわけにはいかない問題だと私は思うのです。当文教委員会としても、これは簡単にああそうでございますかでは済まされない問題でございまして、一体今まで何十年も何を文教委員会論議をしてきたのかと言われるくらいの中身を持っているわけでございますから、あなたの方が大臣の決裁も経ていないあるいは話し合いの過程に出てきた程度のものだとおっしゃるならば、その文書は一度御撤回になった方がいいと思うのです。そのことをぜひあなた方のお考えを伺っておきたいのです。どうでしょうか。
  57. 武藤敏郎

    武藤説明員 先ほど申し上げましたとおり、このメモはあくまでも内部の検討用のメモでございます。たまたま一部の新聞に報ぜられたわけでございますけれども、性格は内部検討用のメモということでございまして、臨教審の方に提出したという事実は、これは臨教審の事務局に聞いていただければ明らかなわけでございますけれども、全くないわけでございます。したがって、撤回とかなんとかいう話も私どもとしてはないということにならざるを得ないわけなのでございますが、ただ、この「基本的考え方」という言葉が示しておりますとおり、具体的にそれぞれの予算項目をスクラップするかどうかというのは、あくまでも今まで臨調あるいは行革審で具体的に指摘された事項、例えば今お話のありました学校給食ということであれば第一次臨調答申、第五次臨調答申において具体的に指摘されておるわけでございまして、そういうものを検討のまないたの上にのせるという意味でそこに掲げたわけでございます。したがいまして、個別の予算項目がどうのこうのということは私どもは現段階では検討中ということでございますが、ただ、あくまでも現在の財政状況を考えますと、基本的に、新たな大変お金のかかる新規施策をやっていこうとすれば、従来の施策をやはり見直しまして、できる限りスクラップ・アンド・ビルドの考え方に立って検討していく必要があるというのは、従来から財政当局は申し上げておる考え方でございまして、そういう基本的考え方をその紙は示しておる、こういうふうに御理解をいただきたいと思うわけでございます。
  58. 山原健二郎

    ○山原委員 内部資料ということですけれども、同時に、大蔵省の基本的な考え方はスクラップ・アンド・ビルドの予算編成の方針であるという枠組みは変えようとされていないわけですね。例えば、臨教審というのは御承知のように内閣直属として法律によってつくられた審議会ですね。単なる大臣の私的諮問機関というようなものではありません。国会によって、法律によって作成された審議会でしょう。そして、その審議会の決定、答申は内閣は最大限尊重しますという言葉がついております。だから、恐らく大蔵省は試算されておると思うのですよね。例えば初任者研修などをやるためには、臨教審そのものが年間七百六十億、七年間継続すると五千三百億という数字を出しておりますが、これは海部文部大臣は、いややり方によってはそういう金額にはならないかもしれないというようなお話もきのうあったわけですから、金額そのものは問題ではありますけれども、臨教審自体としてはそういう試算もしておられるわけですね。ところが、これが臨教審にとっては最大の目玉、こうなると、これを尊重するという立場に立ちますと、仮にやり方を変えてこの金額は減ったにしても、その分は今度どこかで削らなくてはならぬ、スクラップ・アンド・ビルドの立場で言えばそういう仕組みになるわけですね。そうすると、どうしても既存の、長年にわたって文部省努力されてきたもの、あるいは国会も審議をしてきたものをそのために崩さなくてはならぬということになってくるわけですね、大蔵省の考え方からいうならば。あるいは臨教審が出してきたものに対して、その金額は上積みするということならわかりますけれども、この枠をがっちりはめた段階では結局既成の施策が犠牲になるという理屈になってくるわけですね。これは本当に重大問題でして、これはむしろ大蔵大臣に当委員会としても出席をしていただいて論議をしなければ解決できない問題だと思いますけれども、あえてもう一度お伺いしますとともに、青木委員長、私はお聞きしますと自民党の内部でも大変な論議を呼んだ問題だと思うわけです。それは当然のことだと思います。そういう意味で、この問題については一定の決着をつける立場をとらないとどうにもならない。あるいは教育費を一定の枠をつくってこれは確保するとかいうようなことをするのか、あるいは別の方法を考えるのか、それなしには、スクラップ・アンド・ビルドががっちりと加わってくるということになると、率直に言って私は臨教審の存在には反対しておりますけれども、臨教審も答申もできなければ、答申されてもどっちも実行できない、実行するとするならばこっちを削らなければいかぬ、そんなばかな教育改革があるかというふうに思うわけですよ。そうしますと、ここのところはたとえ内部資料とはいえ、この重圧がかかっていることは事実ですから、これは当然大蔵大臣をお招きして事態を解明していただかなければこれ以上質問ができないということになりますが、委員長の御見解をぜひ伺いたいのですが、いかがでしょうか。
  59. 青木正久

    青木委員長 ただいまの御発言につきましては、後刻理事会において協議をいたしたいと思います。
  60. 山原健二郎

    ○山原委員 それでは、今のような考え方で御質問申し上げましたので、委員長の御発言にゆだねまして、大蔵省、お帰りいただいて結構です。どうもありがとうございました。  引き続いて、臨教審の問題についてお尋ねをしたいと思います。  臨教審が今度出されようとしている第二次答申の中身が各紙に出まして、それを見せていただいたわけでありますが、率直に言って、どうしてこんな難しい言葉を使うのか。国民に開かれた臨教審というならば、少なくとも国民にわかるような文章を書いてもらいたいと私は思うのです。例えば今度の場合でも、前にも岡本会長に一度指摘したことがあるのですが、「モラトリアム人間」あるいは「不易と流行」あるいは「超越的存在への畏怖の念」なんという言葉が随所に出てまいります。これは解釈ができないことはありません。ありませんけれども、少なくとも一般の国民にとっては全くなじまない、また見なれない言葉が次々と出てくるわけですね。だから、私はこれは個人論文のごときものではないかということを思いまして、個人論文にしても一定の特異な見解を持つ人物の文章がそのまま答申の中にあるいは若干変更はされたとしても出てきて、国民に容易に理解しがたい答申が出てくるということになりますと、これは後世における物笑いになると思うのですよ。少なくとも教育の問題については一定の整合性もなければなりませんし、それなりの合意というものがなければならぬと思うのです。例えば教育史を考える場合でも、単に一人の考え方で教育史を書いてみたところで、それが臨教審全体のものというふうに私はどうしても思えない。この前の「概要(その3)」にいたしましてもそういう感じを受けまして、どうしてこんなややこしい難しい文言を並べるんだろうかという疑問を持っていますが、今度の新聞発表されておるものを見ましてもそうです。それは指摘しておきたいと思います。  ところで、海部文部大臣は昨年、私もあの席におりましたけれども予算委員会の総括質問をされましたね。去年の二月四日のことです。これは中曽根首相に対しての御質問で、ちょっと失礼ですけれども読み上げてみますと、日本の教育について、やはり社会に病理的な現象がある、それをまず片づけたところから、世のお父さん、お母さんが納得して協力してくれるようなそんな教育改革に進んでいかなければならぬと心から期待しています、中学校における校内暴力、家庭内暴力、一体この原因は何だろうか、これを何とか解決する方法を見出すところから教育改革はスタートすべきである、まず第一は、ここのところへ手をつけて解決しなければなりません、それが片づいたら、教育内容教育理念、そして最後に多様化、国際化、弾力化、それに向かって教育改革は完結されていかなければならぬと私は考えますと述べられまして、多様化、自由化、弾力化はお芝居で言えば第三幕に出てくる問題だと言っておられるのでございます。海部文部大臣、去年は大臣ではなくて自民党を代表して質問されたわけですが、この考え方の第二、第三などについては異にするものもありますけれども、第一の今日の教育の抱えている問題を解決することが大事だという点では、方法は異なる点があるかもしれませんけれども、思いは一緒ですね。これは大変立派なことだと思います。  臨教審が第二次答申を出そうとしている今日、しかも、この第二次答申は基本答申とまで言われた重要性を持っておるものでございますが、この段階で、去年の二月四日の代表質問で御発言されたお考えは今も変わっていないかどうか、率直なお気持ちを伺っておきたいのです。
  61. 海部俊樹

    海部国務大臣 私の昨年の質問を詳細にお読みいただきましてありがとうございました。あのときの気持ちは今も変わりません。あのときは自民党の代表質問という形で予算委員会に立ちましたし、同時に、当時は党の文教制度調査会長でもございましたから、党で文教関係の仲間といろいろ議論をしてきましたが、教育改革のためには当面の急務と中長期の目的と二つある、当面の急務は、まず何と言っても学校に平穏な状況を取り戻すことである、児童生徒一人一人の心の中にいじめとか暴力とかというものによっていびつな状況を与えてはいけない、これが社会の病理的現象の第一歩だから、これをまず解決する、教育改革の一番当面緊急解決の課題はこれだということを私は当時も思っておりましたし、今も思っておりますが、先生に再現していただきましたような表現でたしか質問したと思っております。変わりございません。
  62. 山原健二郎

    ○山原委員 私はそこのところ同じ気持ちでございまして、今当面している問題、例えばだれに遠慮もなくできる問題としては、四十人学級という国会の決議、国民的な合意もある問題ですね。この経費にしましても、やり方によっては三年間で年次計画を立てまして、第一年度に四百億、第二年度に三百億、第三年度に二百億程度で実現可能だという考えを私は持っております。あるいは一番隘路となっている中学校から高等学校への結節点、ここの希望者全員入学制度の確立、あるいは偏差値、輪切りをなくするための学校間の格差の是正というような幾つかの急務を実現するために例えば国会が総力を挙げる、こういうことを一つ一つ実現することによって、今日のいじめの問題その他を相当部分解決できるのではないか。恐らく二十五人学級、三十人学級になれば今のいじめ問題はほとんど解決できるというぐらいに、もちろん多少は残るかもしれませんけれども、私はそんなふうにも思っているわけでございます。  ところが、今度の臨教審の第二次答申へ向けての基本的な方向がそれとは違った方向に向かいつつある、そのことに非常に疑念を持っております。  その一つは、今度新聞に出ておりますものを見ますと、生涯学習体系への転換というのがございます。学校教育体系の見直しということがしきりに冒頭から書かれているのであります。私は今まで生涯教育、生涯学習という言葉は聞きましたけれども、今度臨教審が出そうとしている基本的な部分、生涯学習体系への転換、学校教育体系の見直し、これは一体何を意味しておるのか。香山メモが三月七日に出されておりますが、これを見ますと、香山さんが第三部会で説明している内容が出ておりますけれども、その中には六・三・三制の見直しも含んでいるのでございまして、これが生涯学習体系への転換の一つのモメントとなっているわけでございます。これについて、文部大臣として今どのような御見解をお持ちでしょうか。
  63. 海部俊樹

    海部国務大臣 第二次答申が出てくる前のことでございまして、私どもは、新聞に出ておりますものがそのまま答申だとは思いませんので、ここでそれについて独断的な意見を述べることは差し控えなければならないと思いますが、先生が大きく言わんとされる生涯学習体系ということについてどう思うかとか、六・三・三制についてどう思うかということになってまいりますと、私も前回質問のときにもいろいろ触れておりますように、世の中がどんどん変わってまいりますから、十八歳年齢のときに高等教育機関に入る人、あるいは十八歳で社会に出た人が、人生の極めてスタートの時期に身につけた知識だけではあるいは技術、学問だけでは世の進展についていかれないというようなこともございますから、生涯を通じてだれでも、社会人になってからもう一回学習したいというときには学習できるような制度、仕組みや環境を国の方でも社会の方でもできるだけ整備した方がいいではないか、生涯学習をしようという考え方とか、それができるようにしていこうということについては私は賛成の意見を持っておるものございます。  また、ときどき私が申し上げておりますこと、例えば最初に御引用なさった、学校の制度、仕組みを変えようというようなことはお芝居で言うなれば第三幕の話で結構だと私が申し上げましたのは、例えば六・三・三・四制の六というところに今いろいろ御議論はあるかもしれませんが、六歳児から六年間の小学校という仕組みにまず手をつけることによって教育が全部片づくかというとそういうものではございませんので、それ以外のことでできるだけ教育改革はやってみたい。そして、いろいろな手だてを尽くしてもどうにもならないときに初めて制度、仕組みのところに手が入っていくのではないだろうか、こんな気持ちを私は持っておりますので、最初に六・三・三の切り方の変更ありきとか、最初にここを変えればすべて片づくというような、突破口の糸口あるいは切り込み点としてそこを持ってくるのはいかがなものかなという気持ちを私は個人的に持っております。いずれにいたしましても、答申が出ましてから、それらに触れてあるとするなれば、それに対する意見もまた述べさせていただきたい、このように考えます。
  64. 山原健二郎

    ○山原委員 第二次答申が出まして、それを尊重する一定の義務を内閣は負っているわけでありますが、その答申が出されて重大な事態になることも予想しておかなければならないという意味も込めて私は申し上げているのです。今大臣がおっしゃったことと、今度発表されております、しかもそれほど変わるものではないと私は予想していますが、これはかなり隔たりがございまして、ちょっと申し上げますと、香山さんはこういうふうに言っているのです。生涯学習体系への転換という観点から、各ライフステージの教育との関連で、初等中等教育内容を位置づける必要があり、学校教育の見直しの部分を充実補強する必要がある。生涯学習体系の中でのライフステージ別の教育内容の連続性、蓄積性、適時性、選択性、多様性などという観点から教育内容を一貫したものとして把握する姿勢が必要であると述べておりまして、具体的に言うと、結局初中教育でも本人の選択によって、例えば小さいうちは学ばなくてもよい、大きくなって学べばよいとか、あるいは、それとも途中でやめて将来大きくなってからまた学べばよいとか、また、小さいうちは音楽だけやって、将来その他の一般教養を学ぶもよしとかいうふうに受け取れるところの姿勢がこの中には表現されています。  生涯学習というのは今大臣がおっしゃったように大事なものですから、年がいつでも大学の二部へ行って勉強するとかさまざまな学習形態をとることは、これは国の責務として大事なことですけれども、今大臣がおっしゃったこととこれは全く違いまして、むしろ今日の学校教育体系の否定につながるにも等しい、まさに公教育の解体とまでは言いませんけれども、それにつながるような中身を持っているわけですね。そのことを私は危惧しているのです。というのは、この香山健一氏の臨教審の中における役割というのは、この二年間見てまいりましたけれども、相当重要な役割を果たしているばかりか、この前の「審議経過の概要(その3)」にいたしましても、その前段部分は恐らくこの人の文章ではないかと思われるところがたくさんあるわけですね。  この香山さんのいわゆる香山メモ、第三部会において説明した部分が単に個人的なものでないということ、それは今度の新聞発表されたものの中に出ておりますからこの点はおわかりくださると思います。結局、父母の教育選択の権利を主張しておりまして、今まで問題になりました自由化と同じ考え方、いわゆる自由化の路線、新たな自由化の考え方が生涯学習体系への転換という言葉で表現されておるのではないかと思います。これは海部文部大臣がおっしゃっておることとは全く異質のものであると思うのでございますが、その辺はどのようにお感じになっているでしょうか。
  65. 海部俊樹

    海部国務大臣 報道されておることが本当だといたしましても、それは臨教審の答申でも何でもないわけでございまして、一委員の御意見とかお考えの中にそういう気持ちがあるということではないでしょうか。同時にまた、私自身が今申し上げましたことは、先生の御質問に対して率直にお答え申し上げた。去年の私の、党の代表質問のときでも申し述べたことと重ねていただきますと、それが私の真意であることは間違いございません。もちろん、臨教審は幅広くいろいろな立場のお方が自由に御議論をなさったわけでありますが、その御議論を踏まえて、いろいろな経過を経て答申に煮詰まっていくわけでありますので、どういう考え方が出てくるかは答申をいただきましてからまた御議論を深めさせていただきたい、こう思います。
  66. 山原健二郎

    ○山原委員 あえて反論ではありませんけれども、もうちょっとつけ加えますと、今香山さんの考え方を私は申し上げました。ところが、それが単に香山見解に終わっているのではなくて、今度新聞に出ました臨教審の素案、これを見ますと、こういうふうに出ているのです。これも実に重大なものがずばり冒頭から出てくるものですから、これが今度の答申で変更になるとはちょっと考えられませんが、そこの部分を読み上げてみますと、臨教審は二十一世紀のための教育体系の再編成ということを打ち出しております。教育体系の再編成ですよ。私はこんなことを、臨教審の権限の中にあるんだろうかと思うのですけれども、その文章を読んでみますと、こういうふうに新聞に出ております。本審議会は生涯学習体系への移行を主軸として、学校中心の考え方を脱却し、二十一世紀のための教育体系の総合的な再編成を提案する、すなわち学校中心の考え方を脱却するという。そしてさらに、教育体系の再編成の目標として、本審議会は、これからの学習が、各人の自発的意思に基づき、必要に応じて、自己に適した手段・方法を、みずからの責任において自由に選択し、生涯を通じて行われるべきものであると考える、こう出ているのです。これを考えてみますと、これは大臣でも結構ですし、この問題について熟達しておられる文部省局長さんでも結構ですけれども、この考え方はどういう考え方ですか。私は義務教育の否定だと思う。義務教育というものが年齢、学齢制度がつくられている。そんなものは要らないんだ、いつ学んでもいいんだ、いつやめてもいいんだというようなことになったり、義務教育において基礎、基本を教えるのが今までの戦後の教育の姿ではなかったでしょうか。それを、生涯学習体系の再編成、本審議会は生涯学習体系への移行を主軸として、学校中心の考え方を脱却し、二十一世紀のための教育体系の総合的な再編成を提案するということになりますと、これは日本の教育、今日の教育全体に対して、もちろん教育基本法の問題もあるでしょうし、あるいは基礎、基本を教えることが大事だとおっしゃっておられる義務教育内容ですね、このものまで踏み込んで、これすら存在し得ない可能性を持つ文章となっているわけですね。これが冒頭からこの臨教審の中に出てくる。しかも、これが間もなく答申として出てくる可能性がもう一〇〇%近くあるんじゃないかと思いますと、この点についてはやはり明確にしておく必要があると思うのですが、いかがでしょうか。
  67. 齊藤尚夫

    ○齊藤(尚)政府委員 社会教育局長でございますが、これまで御議論されてきました審議経過概要の中で、やはり生涯学習体系への移行ということにつきましてかなり突っ込んだ議論がなされております。先生御指摘のこともいろんな形で述べられているわけでございますが、生涯学習という考え方を学校教育社会教育を通じて一つの理念として考えるという考え方は、これは昭和五十六年の中央教育審議会の答申、「生涯教育について」という答申の中でも明らかにされている考え方でございます。表現の仕方はかなり違いがございますけれども、そういう考え方でございます。先生がおっしゃいましたように、例えば義務教育段階につきましては、人間生涯にわたって学習するのであれば基礎、基本をまさに義務教育の段階で学習すべきであるという考え方でありますとか、あるいは高等教育につきましても、いわばリカレントという形、先ほど大臣が申し上げましたように、一定の十八歳という段階で入るのではなくて、一たん社会に出た後でも学習できるというそういう体制をつくっていくという、そういうさまざまな形で学校制度についてもやわらかい組織をつくっていく必要がある、そういう理念だというふうに理解をしておりますので、先生御指摘のような御心配は、これからの審議の結果によってどういうふうになるかわかりませんけれども、生涯学習というものを中心に据えて今後の教育を全般について考えるということ自身は、それほど大きな問題、大転換を来すという事柄ではない、義務教育を廃止するというような課題でもないというふうに理解をいたしておるところでございます。
  68. 山原健二郎

    ○山原委員 まあ社会教育局長答弁に立たれたわけですが、社会教育の観点でお考えになり、私はその点はわかるわけですよ。生涯教育が必要なこと、そのためのいろいろな施策が必要なこと、それはもう当然のことでして、人間生涯学ぶことのできる喜びとか、あるいはそういう体制をつくることの重要性、それはわかるのですけれども、しかし、これは文部省、本当に全く何にも痛痒を感じないとすると、私は文部省の姿勢も何となくおかしく思いますね。生涯学習体系への移行を主軸として、学校中心の考え方を脱却し、二十一世紀のための教育体系の総合的な再編成を提案するというわけですからね。  そうしますと、これは体系まで変えるということを臨教審は御提案されようとしているわけでしょう。そうすると、これは文部省が全く痛痒も感じない、当たり前のことをおっしゃっているんだというふうにはとれないですね。しかも第一次答申にもこの言葉はなかった。それから「概要(その3)」にもこういう言葉はなかった。これが今回どうしてこういう形で出てきたのか私はわかりませんけれども、生涯学習体系への移行を主軸として、学校中心の考え方を脱却したいうことになりますと、これはちょっとやそっとの問題ではないと思うのです。山原の考え方は余りにも揣摩憶測だというふうにお考えなのか、文部省として何の痛痒も感じないのか、これはぜひお聞きしておきたい。
  69. 海部俊樹

    海部国務大臣 詳細は局長からまた御答弁することになりますが、先生のおっしゃっておる生涯教育ということが今もし出てくると、学校体系そのものが変わってしまって、義務教育もみずからの責任でいつ受けてもいい、小学校教育もいつ受けてもいいというようなところまでいくのじゃなかろうかと御心配をいただいておると私は推測をするのですけれども、この生涯教育というもののスタートの基礎は、やはり義務教育の基礎、基本の徹底、充実でありまして、そのことについては臨教審の第一次答申とか「審議経過の概要」の中を見ましても、義務教育の段階では基礎、基本をしっかりと身につけてもらわなければならぬということは書いてあるわけでありますから、義務教育が人生のスタートにおいて必要として身につけるべきものを身につけるんだという出発点は変わらないものと私は受けとめておるのです。同時にまた、六歳児、七歳児というああいった義務教育年齢の子供が自分で学校を選択するとか自分で学校へ進む時期を選択するとか、選択しろといってもそれはとても無理なことでございますので、やはり児童生徒が将来国民として身につけておいた方がいいと思うことを義務教育の段階でしっかりと身につけるようにしなければならないということ、この点においては変わりないと思います。同時に、生涯教育というのは、私が最初に申し上げましたように、その以後の段階で余りにも野放しであったり、国の方や社会の方でこれに対して環境整備の関心等を寄せないのはよくないから、きちっとその辺を整備充実したらいいというところにむしろ重点が置かれておるのではないかと私は思っております。  一次答申並びに「経過の概要」の中の表現等については政府委員より御答弁を補足させます。
  70. 齊藤尚夫

    ○齊藤(尚)政府委員 言葉じりを申し上げるわけじゃございませんが、「生涯学習体系への移行」ということは、第一次答申の今後における「教育改革の基本方向」として八点示されておりますが、その中にも表現されております。ただ、「転換」という表現の仕方はこれまでの公の文書の中には出ていないものであると承知しております。いずれにしましても、これはたしかきょうからだと思いますが、三日間にわたって総会が開かれまして、どのような表現にするか、どういう考え方を基本にするかということが臨教審の内部で議論をされる段階でございます。まだ途中の段階でございますので、それについてのコメントを申し上げるのは差し控えさせていただきたいと思います。
  71. 山原健二郎

    ○山原委員 率直に言って、一部私の勘ぐりではないかというふうな御答弁もあったわけですけれども、私が言っているのではなくて、私がつけ加えた部分もありますけれども、今おっしゃったように、本審議会は生涯学習体系への移行を主軸として、学校中心の考え方を脱却し、二十一世紀のための教育体系の総合的な再編成を提案する、ここまで書かれますと、これは勘ぐりではなくて向こうさんがおっしゃっていることなんでして、そういう点で私はあえて取り上げたわけです。  確かに「概要(その3)」の場合に、生涯教育、生涯学習というのが随分出てまいりました。これも読みました。私はみずから分析もしてみたわけでございますけれども、このような強烈な表現はなかったですね。そうしますと、今の学校体系そのものについて香山さんの六・三・三に言及しておるものと含めてこれを考えてみますと、同じ文言がここのところに出てきておりますので、そういう意味で、もともと香山氏の考え方は自由化論でありエリート教育論であり競争原理の導入でありますから、そういう点から考えると、このまままともに解釈すれば、善意に解釈しないで、私は危惧の念を持って解釈しますと、本当に公教育さえ崩壊しかねない内容を持っておると思わざるを得ません。きょうは塾の話も出ましたけれども、塾も学校にするという意見が総理の口からも述べられておりますね。義務教育民営化論が昨年九月に総理みずから申されておりますから、そういう点から考えますと、自由化論というのが一度出てきまして、臨教審の中でもこれに対する反撃が出てきて、そしてそれが個性の重視という言葉で結ばれた。あのときに香山さんはどう言ったかというと、いや個性の重視という言葉にはなったけれども、おれの言っている自由化論には変わりないんだというふうにおっしゃったのが、今度の「概要(その3)」と、それに引き続く今度の素案の中にこういうふうに明確に自由化論が打ち出されてきますと、これはよほど慎重にこの問題についての分析をしておかないと、二十一世紀へ向かってどういう事態が起こるかわかりません。基礎、基本を教える義務教育の根幹にまでかかわりかねないものを含んでいるということを私は指摘しておきたい。これが臨教審に対する私の考え方でございまして、もちろん自分勝手な解釈ではいけませんから、これからさらに臨教審の動きその他を見まして論議をしていきたいと思います。  もう時間がなくなりましたが、共通テストのことにつきまして、先ほど中野委員からも御質問があったように思いますが、ちょっと重複する点があるかもしれませんがお聞きしておきたいと思います。  来年から二ブロックに分けて受験生の受験機会をふやすということで、国大協が入試改革について案を出しておられます。それで、共通テストの実施はいつを目途としておるのか、まずその点だけ聞きたい。
  72. 大崎仁

    ○大崎政府委員 臨時教育審議会の第一次答申を受けましての新しいテストの実施につきましては、六十四年度の入学生から実施をするということを目途といたしまして、現在検討を急いでいただいておるところでございます。
  73. 山原健二郎

    ○山原委員 二ブロックに分けたわけですが、これはあくまでも六十二年度のことでございまして、六十三年度はどうするかおわかりになっているでしょうか。
  74. 大崎仁

    ○大崎政府委員 国立大学の受験の機会の複数化ということにつきましては、これも臨時教育審議会の第一次答申でも御提言をいただいておりますが、さらにそれ以前から国立大学協会あるいは関係者自体も取り組んでおった課題でございます。そういうことでございまして、性格といたしましては共通一次テストを契機といたしまして一元化したわけでございますけれども、事柄として国立大学の受験機会を複数にするかどうかということは、共通一次試験あるいは新しく行われる試験と違った区分と申しますか次元の問題として私ども考えておりまして、複数化ということあらば六十二年度以降原則として継続されるということで私ども受けとめておるわけでございます。
  75. 山原健二郎

    ○山原委員 もう一回伺いますが、六十三年度は共通一次をやって、二次は二ブロックに分けてやる、六十二年度と同じやり方というふうに受け取ってよろしいですか。
  76. 大崎仁

    ○大崎政府委員 六十二年度の実施の経験を踏まえて何らかの手直しの議論があり得るわけでございますが、基本的には六十二年度実施の姿が六十三年度も引き続くというふうに考えております。
  77. 山原健二郎

    ○山原委員 今の高等学校二年生が直接関係してまいりますので、御承知のように、二年生といえば受験態勢に入っているわけですから、これはやはりそこらの不安を起こさせないということが大事だと思うのです。その意味では、いつごろそれは確定されるのでしょうか。
  78. 大崎仁

    ○大崎政府委員 現在具体案につきまして国大協で鋭意検討が続けられておるわけでございますが、現時点での予定といたしましては、五月の初めに国立大学協会がそのための臨時総会を開くということを予定をいたしておりまして、その臨時総会で国立大学協会の意向が決定を見ますれば、文部省といたしましてそれに伴う必要な措置は至急講じてまいりたいというふうに考えております。
  79. 山原健二郎

    ○山原委員 大崎局長、先ほどちょっと六十二年度でやってみてというお話がありましたけれども、それでは困るのです。これはこれ以上言いません。その上に六十四年度には共通テストを導入するということですが、共通テストは、これは共通一次あるいはマークシート方式はやめるということですか。
  80. 大崎仁

    ○大崎政府委員 新しいテストのあり方につきましても現在入試改革協議会で具体案の検討をいただいておるわけでございますけれども、このたびの複数化につきましては、新しいテストの導入によってその基本が変わるというようなものではないと理解をいたしております。  なお、先ほど六十二年度の経験いかんによってと申しましたのは、そういう基本的な事項ということではございませんで、例えばグループ分けその他技術的なことで手直しをすることが全くないか、つまり六十二年度とおり六十三年度も必ずやるかというお尋ねであれば、今断言するのは差し控えさせていただくという程度のことでございますので、御了承いただきたいと思います。
  81. 山原健二郎

    ○山原委員 共通テストはマークシート方式ですか。
  82. 大崎仁

    ○大崎政府委員 現在の臨時教育審議会の御提言に係る新テストの具体化の議論の中では、マークシート方式をとるということを前提に御議論をいただいておるところでございます。
  83. 山原健二郎

    ○山原委員 マークシート方式が弊害があるということで共通一次をやめて共通テストにするという意見があるのじゃないですか。
  84. 大崎仁

    ○大崎政府委員 そういうことではございませんで、非常に多数の受験生を対象として客観的な試験を行うためにはマークシート方式が不可欠であるということが基本的には前提としてあるわけでございます。ただ、マークシート方式のあるいは客観テストの持っている限界というのも片やあるわけでございまして、そういう技術的な限界等を考えながらできるだけマークシート方式を改善をすべきではないか、こういう御意見が出ておるわけでございます。関係者が常にマークシート方式をさらによりよいものにするという努力を重ねてきておるわけでございますが、これでいいということではございませんので、今後さらに一層改善をすべきであるという方向で、現在改革協議会の御検討も重ねられておるというところでございます。
  85. 山原健二郎

    ○山原委員 政府のあるいはこの受験システムの変更によってたくさんの受験生が本当に振り回されてきたという批判がありますね。これは本当にいかぬことだと思うのです。共通一次のときも、この委員会は八年間にわたって随分論議をし、最後は外国の調査もし、小委員会もつくり、そしてマークシート方式の危険性、あるいはあのときの法案として出てきました大学設置法の中に、他の賛成すべき大学の設置もあって、そして入試センターもつくるという、法律の中に混在しておったためにそれを分離して慎重に審議すべきだということも私自身主張してまいりました。しかし、ともかく国大協がいろいろお考えになって出されたことだということもあり、また各党一致して附帯決議もつけました。これを実施した暁においてその功罪を文部省はこの委員会報告して、そしてそれについての検討をするという附帯決議もついているのです。文部省、なぜ今日まで、これだけ重大な問題になってやめるやめぬというところに来るまで、この委員会報告しなかったのでしょうか。
  86. 大崎仁

    ○大崎政府委員 共通一次試験あるいは共通一次試験を軸といたします入学試験状況等につきましては、随時御質疑等を通じまして状況のお知らせは申し上げておったと存ずる次第でございますが、なおその入試自体のあり方につきましては、大学入試センターの研究部門等を中心にいろいろデータ等の蓄積もし、またその成果は一般にできるだけ公表するという努力も続けておるところでございます。
  87. 山原健二郎

    ○山原委員 中曽根首相は任意テストとおっしゃっておりますね。これは四月二日に首相官邸で自民党の教育改革特別調査会と会いまして、共通テストを受けなければ目指す大学に挑戦させないというのはどんなものか、バイパスを設けて共通テストを受けないで直接受験する道も開いておくと述べ、そして結局、共通テストをめぐっても意見の不一致が見られたと私は思います。例えば、自民党の方では、すべての受験生を自由にし、各大学が自由に入試を行えば、共通一次導入前のような難問奇問の入試に逆戻りするというふうな発言もされておるのでございまして、この共通テストをめぐって首相と文部省は一体どのようにしようとされているのか、この到達点について説明をしていただきたいのです、簡単で結構ですから。
  88. 海部俊樹

    海部国務大臣 これは総理大臣とか文部省とかで決めようとしておるのではございませんで、ただいま大学入試改革協議会というところでいろいろな立場の方にお集まりをいただいてこの問題を御議論いただき、七月にその報告をいただくことになっております。そこへ国会でありますいろいろな御議論や私どもの日ごろの考え方等も全部お伝えをしてございまして、そこで重ねて御議論をしていただく、こう思っております。
  89. 山原健二郎

    ○山原委員 共通一次があれだけ大騒ぎしてつくられまして、海部文部大臣が文部大臣をされているときに出ましたし、たしかあのときは自民党幹事長は中曽根現首相がされておったように記憶しております。そしてこれがつくられまして、それからその功罪についての科学的な検討もなしに共通一次をまるで諸悪の根源のようにおっしゃって、そしてこれをやめなければならぬというふうになってくるわけです。私も共通一次がいいとは思っていません。けれども、少なくとも教育行政を幾らかでも変更しようとする場合、何十万という学生諸君の立場に立って考えるならば、そういう感想やみずからの考えだけでやるということでは、教育行政としては余りにも出たとこ勝負になってしまうわけでございます。だから、国会は附帯決議もつけまして、これは当然その功罪を明らかにしてやろうということを言っているわけです。これが節度ある行政の立場だと思うのです。それをかなり無理にやった。マークシート方式はいかぬという声もあのときは強かったのです。これは個性を見ることができないとかいうことも多かったわけでございまして、それをかなり強硬にやった。やって、そして、それに対するよかった点、悪かった点などというものが科学的に教育的に分析もされないままに、あれはだめだ、あれが諸悪の根源だというようなことをおっしゃって、では今度は共通テストだ。共通テストになると、受けてもいいし受けなくてもいい、採用してもいいし採用しなくてもいい。一体この共通テストとは何なのか。今臨教審も出そうとしている共通テストとは一体何なのか。あるいは文部省と首相の間に意見の違いが存在すると言われる共通テストとは一体何なのかということですね。これは一体何なのか。それから、入試センターはどうなるのか。入試センターも法律で決められているのですが、法律改正までやって入試センターを変えるのか。その辺のことも私どもには全くわかりません。勝手に上の方でどなたかが言っているだけのことであって、国民的な合意を得られようとする努力もなければ、共通テストという言葉だけがあって、その共通テストはマークシートを使うのか使わないのか。それはすべての子供たちがそれを受けなければならぬのか。そうではなくて任意に受けるのか。任意というのは、これは共通テストではありません。これはもう任意テストであって、子供たちにとってみたら、全く自分の学力をテストするだけのものになってしまうわけですね。そこらも全くわからない。わからぬというのは私がわからぬのであって、皆さんにはわかっておるかもしれませんが、どんなものですか。
  90. 大崎仁

    ○大崎政府委員 臨時教育審議会の御答申を受けて、その具体化に、文部省といたしましては、入試改革協議会を設けまして御検討をいただき、準備を急いでおるわけでございます。したがいまして、現時点の新しいテストの性格、目的というのは、これは第一次答申に記されているところが最も具体的な御提言ということになるわけでございますが、先生御承知のことと重複して恐縮でございますけれども、共通テストというのは、現行の共通一次試験にかえて、新しく国公私立を通じて各大学が自由に利用できるものとして創設をする。目的といたしましては、良質の試験問題を確保いたしまして、高等学校教育内容を尊重する。同時に、各大学で多様で個性的な選抜が実現できるように、テストを実施することによりまして、すぐれた能力、適性に関する判定資料と申しますか、基礎資料というものを各大学が持ち得るようにする。こういうところが基本的な考え方として第一次答申には述べられているところでございます。先ほど御指摘ございましたマークシート方式につきましても、マークシート方式の改善ということで第一次答申に御指摘がございまして、当然マークシート方式を使うということは予想をした上での御提言であると受けとめておりますし、それから、その具体的な利用活用方法につきましては、国立大学については、これまでの国立大学の共通一次試験の実績から得られました経験、成果あるいは反省というものは受け継がれていくものだと私どもとしては考えているところでございます。
  91. 山原健二郎

    ○山原委員 文部省としましても、これは既に八回ですかやってきておりますから、これについて文部省らしく分析をし、総括もしていただいて、こういうところがよかったとかこういうところが悪かったとかいうことは国民に示すべきだと私は思いますし、国会にも出すべきだと思うのです。それをいきなり飛び越してぼんと出てきますと、疑心暗鬼も出てまいるわけでございますし、共通テストにつきましても、何でこれだけ共通一次が批判を受けているかというと、輪切りになってしまうとかいうことが一つ。もう一つは、マークシート方式では人間性の涵養はできない。これはもっともな理由でございますからそういうことだと思っておったところが、今度、共通テストというのはマークシート方式を使うと今おっしゃるわけですから、どうもわかりにくいわけです。この点はきょうはこれ以上言いませんけれども、ぜひ分析をしていただきたいと思います。  最後に、藤木先生質問がありますので、一言だけ。  今度、ワインバーガー国防長官が参りまして、四月五日に加藤防衛庁長官と二時間会談をしまして、その中で、ワインバーガー氏がSDI参加問題について、「日本が政府対政府の協定であれ、民間会社、大学研究所の契約の形態であれ、SDIに参加することを歓迎したい」、こういうふうに述べておられるのでございます。  時間の関係でもう省略しますけれども、これは、日本の教育が、御承知のように憲法に基づきまして、しかも真理と平和を希求する人間の育成という立場、あるいは平和的な国家及び社会の形成者をつくるという立場、さらに国会決議でありますところの宇宙開発は平和利用に映るという数度にわたる決議から見ましても、軍事利用として軍事的側面を持つところのこのSDIに日本の国立大学研究所が参加することは、当然これは否定されなければならない問題だと思います。大学は軍事研究に参加できぬということを文部大臣に言明をしていただきたいのですが、この点について簡明な御答弁をいただきたいと思います。
  92. 海部俊樹

    海部国務大臣 SDI研究への我が国の参加問題につきましては、御承知のように、現在関係省庁の間で慎重に検討中であると聞いておりますし、現時点ではSDI研究の内容文部省としては承知いたしておりませんので、この点についてはお答えを差し控えさせていただきたいと思います。
  93. 山原健二郎

    ○山原委員 私の質問はこれで終わりまして、藤木議員に関連質問をお願いします。
  94. 青木正久

  95. 藤木洋子

    藤木委員 では、続きまして、二つほどお尋ねをしたい点がございます。  一つは、文化庁にお尋ねをしたいと思っておりますが、最近横浜市の六浦で発見をされました上行寺東遺跡につきまして、若干お尋ねをいたします。  六浦というところは、幕府がございました鎌倉の外港といたしまして、海上交通の要所であったところでございます。いわばみなと横浜の先駆けとなった町ですが、この地からこのほど、当時のやぐら群、五輪塔、建物跡、池などが築造時に近い形で発掘をされました。先日、私も現地を見に行ってまいりました。上行寺というお寺の裏手の小高い丘の上にございまして、中世の歴史的な景観をしのぶことのできるすばらしい遺跡群でございました。今、地元住民を初め全国の六千名を超える歴史学者、研究者及び歴史愛好家の保存運動が起きておりますけれども、文化庁はこの上行寺東遺跡の歴史的価値をどのように考えていらっしゃるのか、まずお尋ねをしたいと思います。
  96. 加戸守行

    ○加戸政府委員 上行寺東遺跡につきましては、発掘調査の結果、四十一のやぐら群、それからそれと一体的なものとして考えられます六棟の建物跡、それから池状の遺構等が発見されたということでございまして、中世のこのような調査事例というのは少ないわけでございまして、そういう意味では珍しい、価値のあるものだと理解いたしております。
  97. 藤木洋子

    藤木委員 非常に珍しいということでおっしゃってくださいましたけれども、池状の井戸と今お聞きしたのですが、井戸だというふうに御認識でいらっしゃいますか。
  98. 加戸守行

    ○加戸政府委員 池ではないかと思われる遺構ということでございます。
  99. 藤木洋子

    藤木委員 遺跡の重要性は、今の文化庁の見解でも非常に珍しいということで、明らかにしていただいたと思います。  横浜市は、この遺跡を根こそぎ削り取りましてマンションを建てることを認めまして、遺跡のごく限られた一部をよそに移して保存すれば十分だ、このように申しております。  問題は、これだけの遺跡を市の文化財審議会にも諮りませんで、横浜市はその処理方法を決定しているという点でございます。横浜市には文化財保護条例というものもございませんし、学芸員などの文化財保護の専門職員もいらっしゃらないわけでございます。したがって、最低限、横浜市は公の機関である市の文化財審議会に諮って態度を決めるようにすべきではないだろうか、このように思いますが、文化庁は文化財保護法の精神に照らしまして強い御指導をすべきじゃございませんでしょうか、いかがでございますか。
  100. 加戸守行

    ○加戸政府委員 今回の事例につきましては、横浜市は同市の文化財審議会に状況等は説明をされましたようでございますけれども、納論が得られないままで、この保存の方針について市議会において考え方、いわゆる市の教育委員会の方針が採択をされたというような状況のように聞いております。  私どもとしましては、事柄が非常に専門的な事項あるいは文化、学問的な事柄でもございますし、審議会あるいは関係者等の意見は十分聞いて対応していただくことが望ましいと考えております。
  101. 藤木洋子

    藤木委員 文化財保護法第三条では、「文化財がわが国の歴史、文化等の正しい理解のため欠くことのできないものである」ということを明らかにしておりまして、「政府及び地方公共団体は、」「その保存が適切に行われるように、周到の注意をもってこの法律の趣旨の徹底に努める」ということを求めております。横浜市の非常に性急なこの態度というものは文化財保護の精神にも反していると私思うわけでございます。審議会無視の暴挙に抗議をして、昨年九月、会長さん、副会長さんなど三名の審議会委員が抗議の辞表を出されました。それでも市は反省をしておりません。  第二の問題点は、発掘調査が開発地域の二〇%しかまだやられていないという点でございます。未調査地域の一部から新たに参道が発見をされておりまして、全山が霊地霊山だったという可能性も生まれてきているわけでございます。未調査区域につきましても全部発掘すべきではなかろうか。文化庁は未調査区域についてどのように考えていらっしゃるのかお聞かせいただきたいと思うのですが、横浜市は試掘を行った上で遺構がないという確認をしているのかどうか、その辺も御存じでしたらあわせてお答えをいただきとうございます。
  102. 加戸守行

    ○加戸政府委員 先生合おっしゃいましたような道様のものが試掘の結果存在するのではないかという可能性もございますので、当方承知しておりますところでは、横浜市におきましてもその遺跡の有無並びに範囲等を確認した上で調査するかどうかということを検討したいというふうに承知いたしております。
  103. 藤木洋子

    藤木委員 また、その調査が必要かどうかというようなことについてはいかがでございますか。何かのめどが立っておりますでしょうか。
  104. 加戸守行

    ○加戸政府委員 現時点におきます試掘の結果が必ずしも断定的、決定的なものではございませんので、なお、さらに試掘を行いまして、そういった遺跡の可能性が高いということならば発掘調査をしていただくのが正しい対応であろうかと思っております。
  105. 藤木洋子

    藤木委員 保存団体が市教委と交渉中の昨年十月末、業者がやぐらの一つを破壊するという事件が起こりました。これは横浜市の言う遺跡保存策のやぐら切り取り練習だったというわけでございますけれども、話し合いが目下続いている最中に切り取り練習を、しかも文化財そのものを使ってやるということは本当に言語道断だと思うのですね。私も現地を拝見してまいりまして本当に痛ましい思いをいたしました。この事件以後、地元住民や保存団体は横浜市に対する不信感を持ったというふうに言っておられます。交渉もことし一月には決裂をしているという状況になっております。  今となりましては、横浜市が当初の遺跡評価が低過ぎたということをお認めになって、よりよい保存策を探るために、文化庁も今御答弁いただきましたけれども、専門家の意見を聞くということが最も今求められているのではないかというふうに私も思うわけです。この点を含めまして、この膠着状態を打開し、円満な解決に向けて文化庁はどのような責任ある御指導をされるおつもりでいらっしゃるのか、最後にその点をお伺いしたいと思います。
  106. 加戸守行

    ○加戸政府委員 事柄といたしましては、現在までの状況判断といたしまして、国でこれは重要な遺跡であるという考え方で指定をするようなものではないという考え方でございまして、問題は、横浜市レベルとしてどういった形で適切な対応をしていただくかということで、第一義的には横浜市の対応によると考えているわけでございます。その場合、確かに関係者あるいは学者あるいは住民団体等の御意見等も十分聴取しながら対応する必要があるわけでございますけれども、私ども聞き及びますところでは、かなり後世の破壊もひどく、風化も著しいところであるという状況の中にあって、当該地域がいわゆる危険斜面地の危険地帯になっているというような状況等もあります関係上、現時点におきまして、どこまでの部分を保存し、どういった形で別途その活用を図るか、あるいは記録をどの程度にとるのかという点につきましては、なお十分横浜市にも指導してまいりたいと思っております。
  107. 藤木洋子

    藤木委員 私が今伺いましたのは、横浜市とそれから関係者の皆さん方、保存団体の方たちや研究者の方たちとのコンセンサスが全くとれないというような決裂状態のこういった状態を文化庁としてはそのまま黙って見過ごしておかれるおつもりなのかどうか、その点をお伺いしたのですが、それはいかがでございますか。
  108. 加戸守行

    ○加戸政府委員 基本的にはその保存に立ちました立場の方々との話し合いがつくことが望ましいわけでございますけれども、話し合いがつかなければその事業は進められないということになりますと、一方においていわゆる開発と保存との調整の問題が生ずるわけでございます。そういった点では、どういう形での保存をしていくのかということにつきましては、なるべく住民あるいは関係者の御意見を踏まえて対応することが適切だとは思っております。そういう意味で、今のところ微妙な問題もございましょうけれども、横浜市に対しましても関係者の意見を十分聞くように指導はしてまいりたいと考えております。
  109. 藤木洋子

    藤木委員 そうでございます。私も今のこの決裂した状態のままで業者の言い分をのまなければならないというようなことはもう本当に最悪の事態だと思うのです。ですから、最後におっしゃいましたけれども、御指導されるということのようでございますけれども、この点はぜひ積極的に文化財を保存するという立場から仲介の労をとっていただきたいというふうに思いますし、それは文化庁だけではなくて国民すべてが願っている点でございますので、こういったことが乱暴にやられることだけは絶対に避ける、このことを強く要望させていただきまして、次の質問に移らせていただきたいというふうに思います。  まず、これは宝塚小学校卒業式に右翼が乱入した事件の問題です。三月二十二日、式場の壇上に駆け上がって右翼がマイクをとり、アジ演説まで行い、式を中断させたという事件につきまして、大臣はしばしば遺憾の意を表明してこられたところでございます。  私の調査では、宝塚市の教育委員会は右翼の動きについて情報を得ておりまして、三月十二日には警備係長が市庁舎に来所された機会に参事が直接会いまして、右翼が来たらよろしく頼むというふうに言っておられます。三月十五日には臨時校長会を開いて右翼の動向について報告をし、警戒を示唆しておられるわけです。三月二十日、右翼が市の教育委員会にやってまいりました。委員会は危険を感じ、参事が警備係長に電話で再度警備を要請しております。  大臣にお伺いをいたしますが、この警備を要請したのは、教育現場への暴力的介入、暴力的破壊行為を防ぐために行ったのではなかろうかと思うのですが、その点いかがですか。
  110. 高石邦男

    ○高石政府委員 教育委員会は、右翼のそういう動向があるので、学校がそういう状況にならないようにということで、そういう暴力的な状態に陥らないようにという配慮からお願いしたと思います。
  111. 藤木洋子

    藤木委員 今のこと、大臣もお聞きになっていらっしゃってどのようにお感じになられましたか。
  112. 海部俊樹

    海部国務大臣 学校当局が、厳粛であるべき式典等を行うときに外部の不法な力によって乱されたくないと思うからこそそういったことを表明したのだろうというように私は受けとめております。
  113. 藤木洋子

    藤木委員 私が調査しましたところ、宝塚小学校現場には警備のための事前の配置はなされておりませんでした。右翼が宣伝カーで校庭まで乗り入れたのを目撃した事務員が、これは大変だということで警察に通報いたしております。右翼の宣伝カーの後からパトカーと制服が乗っていた警備車がついてきておりました。宝塚小学校の校庭に車で入ることのできる門は一カ所しかございません。しかも、この道路は決して広くはございませんで、校舎の一部が車の通路として校庭に通じるようにつくられておりますから、最徐行しなければ校庭に車で乗り入れることは困難でございます。パトカーや警備車がついてきていながら囲繞地侵入を防ぎ得なかった点にも私は非常に大きな疑問を抱いております。  しかし、さらに不思議なことは、校庭にとめた宣伝カーから十数人の右翼がおりて講堂に駆けつけたコースというのは直線コースではございません。一たん校舎に入り、校舎から通じている講堂の人口へ入っていくか、あるいはL字形校舎に囲まれた部分に建っております講堂へ侵入する通路を遠回りしていかなければなりません。この間警官は一体何をしていたのかという点でございます。いずれにしろ右翼は講堂に侵入をいたしました。これは建造物侵入です。第二の罪をもう犯しているわけです。次に、講堂に入りましてから私服としばらく押し問答をしております。これは既に式場内ざわつきまして騒然となっているわけですよ。彼らは式に参列をしている父母たちから注目を浴び、静かにしてくださいとか帰ってくださいとか出ていきなさいなどと言われているわけです。これはもう卒業式という学校行事そのものへの暴力的妨害行為そのものでございます。そして、その中の数人が壇上に駆け上がって式は完全に中止させられました。このとき私服警官も一緒に壇上に駆け上がったのは衆目の事実でございます。このとき白線のついた帽子をかぶったので、だれの目にも私服警官だと判明いたしました。  右翼に教育現場への暴力的破壊行為をやらせてから検挙するのが警備を要請された警察の任務ではないと私は思うのですが、その点いかがでございますか。
  114. 菅沼清高

    ○菅沼説明員 事実認識に大分違いがあるようでございます。一つは、あらかじめ要請があったということでございますけれども、私どもいろいろ確認いたしましたけれどもお尋ね教育委員会あるいは学校当局からの事前の警備要請はございませんでした。なお、事件の起こった後、もちろんこれは検挙した後でありますけれども、当日の昼過ぎに教育次長と教育委員会の参事が宝塚警察署の警備課長にあてて、入学式もあるのでよろしくお願いしたい、こういう話があったというように聞いております。     〔委員長退席、臼井委員長代理着席〕  それから、車の件でございますけれども、パトカーと装甲車様というようなお話でございますけれども、これはいずれも検挙のために通報を受けて後から参ったものでございまして、右翼の街宣車両にパトカーあるいは装甲車がついていたというようなことはございません。いずれも検挙のために駆けつけたパトカーと、それから部隊を連れてきた輸送車でございます。  それから帽子云々ということでございますけれども最初通報を受けた後すぐに二名の警察官が駆けつけまして、十九人の右翼の攻勢に対しまして学校内であるということも考慮して静穏に立ち去るようにということですぐに警告、制止をしておるわけでありますけれども、そのうちの制止を振り切った者が壇上に上がりましたので、警察官も壇上に上がって検挙活動に移った。もちろんその間応援要請等の通報はしておるわけでございます。帽子云々ということでございますけれども、これは警察官が権限を行使するときに相手方及び周りの人にそのことを承知させるために私服の警察官は略帽というものを持っておりまして、それをかぶって身分を表示した上で検挙活動に入るということでございます。  それから、警戒措置云々でございますけれども、宝塚市内の学校の国旗の掲示問題につきましては、昨年一部の週刊誌が大きく取り上げたこともございまして、右翼が大変強い関心を持っておりました。そのときの中心は、売布小学校のことが大変具体的に書かれておりました。右翼の関心の中心も売布小学校でございました。警察の方は売布小学校中心とした重点配置をやっていたわけでございまして、学校、特に小学校ということでございますので、警察官をすべての学校に張りつけておくというのはいかがなものかと考えられますし、情勢と情報に応じて必要な警戒措置をとって、そしてあとは状況に応じて遊撃的に対応するということをやっていたわけでございまして、特に警察がその点において問題があったというようには考えておりません。
  115. 藤木洋子

    藤木委員 非常に奇妙な話でございます。教育委員会からは何の要請も受けていなかったのに、警察当局の情報判断で売布小学校に対する警備を重点的に行った。そのためにあとが手薄になった。これはこの前のほかの方の質問に対しても御答弁をされているところでございます。しかし、私が調査をいたしましたのは、すべて目撃者がおりまして、証人からの証言を求めて調査をした経過を申し上げたわけです。犯罪の鎮圧や予防からいいましても、今回の事件への警察の対応は全く不十分では済まない、なってない措置だ、このようにしか私は申しようがございません。しかし、この前の質問に対しましては、今後このようなことが絶対にないように万全の措置をとる、再び繰り返さないための決意を新たにこの委員会で表明しておられます。  最後に伺っておきますが、宝塚小学校卒業式で未然に防ぎ得なかったという、このことから一体どんな教訓を得ておられるのか、そのことだけお述べをいただきたいと思います。
  116. 菅沼清高

    ○菅沼説明員 教育委員会等から要請もなかったのにどうして先ほど言いましたような措置をとっていたのかということでございますけれども、警察は必ずしも要請があるなしにかかわらず警察の判断によって情勢と情報に応じた措置をとっておるわけでございまして、要請等がなくても警察の判断で必要な措置はとっておるわけでございまして、その点は問題ないと思います。  それから、今後云々ということでございますけれども、言うまでもないことでございますが、警察はどういう立場からするものであれ違法行為はこれを看過しないという基本方針のもとに厳正な取り締まりをやっておりますし、これからもそういう方針でやっていくつもりでございます。
  117. 藤木洋子

    藤木委員 これでもう終わりますけれども、しかし、教育委員会がきちんと警察に対して電話をかけて警備の要請を行ったということは、行った本人から私自身が伺っているわけですから、どちらかが偽りの証言を行っているということになります。いずれそのことも明らかにさせて、私はきょうの質問は終わらせていただきます。
  118. 臼井日出男

    ○臼井委員長代理 江田五月君。
  119. 江田五月

    ○江田委員 今、日本の教育というのが非常に難しい大変な状態に来ておることは言うまでもないと思いますが、こういう時期に、我が国で最も高い教育についての見識をお持ちの海部文部大臣を文部大臣にお迎えをいたしまして本当に期待をするところ大であります。どうぞひとつ大いに頑張っていただきたいと思うのですが、冒頭、ちょうど今新学期が始まったところ、きのう、きょう、あすあたり小中高の学校の入学式、けさ新聞で塾の問題なんかも取り上げられておりますが、こういう今、あるいはもっと具体的に、けさ学校子供たちが一番話題にしたこと、これは何だというふうに文部大臣はお考えでしょうか。
  120. 海部俊樹

    海部国務大臣 私は、けさからこの委員会答弁のため来ておりましたので、学校現場でどんなことが話題になったか承知しておりませんけれども、恐らく、推測いたしますのに、日本一のアイドル歌手が飛びおり自殺をしたという大きな新聞記事がすべて載っておりましたので、あるいはそういうことに興味のある子供はそのことを話題にしたと、これは推測でございます。
  121. 江田五月

    ○江田委員 私が冒頭、日本で教育について最も識見の高い大臣と申し上げて、それがうそでなかったということがわかってほっとしたのですが、子供たちが今何について興味と関心を持っておるかということ、子供社会というのがどういうふうにできているかということについて鋭い感受性を持ち、そういう子供たちの思いがすぐぱっと心で受けとめられるような者でなければやはり文部行政を扱う価値がないと私は思うので、突然大変失礼な質問をしたのですが、本当にぴたっと感性の合う答えが返ってきましてはっとしました。私の目は間違ってなかったと思っておるわけですが、やはりこれは私たちが想像する以上だと私は思うのですよ。  きょうも、サンミュージックですか、この芸能プロダクションの前は大勢の子供たちがアスファルトにぶっ倒れて、ダイインじゃないでしょうが、おるらしいですね。あるいは、ろうそくの炎を大切に手で消さないようにとしておる子供たちがたくさんいるとか、私、選挙区に電話しましたら、やはりうちの娘も息子もその話を話題にして学校へ行ったとか、それどころか、きのうは子供たちが皆電話にしがみついてお互いに情報交換をしたとか、そういう今の子供たち状況。岡田有希子というアイドル歌手が自殺をした、大変痛ましいことでかわいそうなことでありますが、そのすぐ前には、今度はもう一人遠藤康子さんですか、やはりこれも十七歳の女の子が自殺をしているのですが、そういう状況について、大臣、どういう感想をお持ちですか。
  122. 海部俊樹

    海部国務大臣 実は、きのうも夜帰りましたら私の家でも娘がそのことを話題にしましたのでいろいろと話をしたのですけれども、個々具体的なケースについては新聞報道等によりましても個別のいろいろな複雑な事情があったようですから、そのことについて論評するのは避けたいと思いますけれども、一般論として、やはり十七、十八というこれから人生に大きな可能性を持っておる人がみずからの命をみずから失ってしまうということは、まず率直に何ともったいないことかという気持ちがいたしますし、同時にまた、中学校現場におけるいじめによる自殺なんかのときも、もっと強く生きてください、もっと生命を大切にしてくださいということを大人の一人として願わずにはおれない私の心情からいきますと、特にアイドル歌手だとかいろいろな立場の人たちは多くの青少年に大変な夢を与えておると言っても言い過ぎではないわけですし、その一挙手一投足は多くの青少年の心の中に何物かを絶えず与えておるわけですから、強くたくましく生きてほしいなと願わずにはおれません。それが私の率直な今の感想でございます。
  123. 江田五月

    ○江田委員 今の文部大臣の感想というのは、そのままきょうこの岡田有希子さんの死を悲しんでおる子供たちに対するメッセージということにぜひしていただきたいと思うのです。  もう少し子供文化のことについて聞いてみたいのですが、岡田有希子という女の子が遺書を書いているのですけれども、どういう文字で書かれておるか御存じですか。御存じないからといって責めるわけじゃないんで、どうぞそのままお答えください。
  124. 海部俊樹

    海部国務大臣 恐らく日本語で書いておるんじゃないかと思いますが、形態その他についての御質問であるとするなれば、恐らく私の娘と同じように、図案化されたような、やや丸みを帯びた、我々が書いたころの字とは違うような字で、これはうちの娘が書いておりますので、そんな字がなということを今思うのですが、確たる自信はございません。
  125. 江田五月

    ○江田委員 これまた子供文化に精通されたお答えで、本当に安心しました。私もどういう文字で書いてあるかは知りません。しかし、今子供たちがみんなくるくると丸い変体少女文字という字を使っておるということ、これは事実ですから、ひとつ大いに認識をしておいていただきたいのですが、この変体少女文字というのは文部大臣、どういうふうにお感じですか。
  126. 海部俊樹

    海部国務大臣 これは学問的に御説明するだけの自信は全くありませんけれども、映像とか図案とか、そういったようなものに対して一つの価値を求めておるのでしょうか、何か娘のところへ来る手紙とかいろいろなものもそういった似通った特徴があるような感じがいたします。
  127. 江田五月

    ○江田委員 これはいろいろな意見があると思いますけれども、こういう意見もあるのです。万葉時代に漢字ばかりが通用しておったときに女性が平仮名を書き始めた。初めは何というへんちょこりんな字だろうと言っておったのが、まさに今、平仮名として定着をして、当然男も全部使うようになっているわけですね。今またこの時代に少女たちが何だかへんちくりんな字を書き出して、しかし何か新しい文化を彼女たちがつくっているんじゃないかというような見方がある。それが当たっているかどうかよくわかりません。しかし、一方では今度は、そんなものはけしからぬ、丸文字で書いた試験の答案は採点をしないなどというような対応もあるようで、その辺の物の見方、例えば今の岡田有希子ちゃんというアイドル歌手が歌っております歌、あるいはその周辺の今の子供たちの芸能の所産、歌でも踊りでも何でもいいですが、こういうものをいかにも小学校の学芸会ぽくて幼稚で見るにたえぬという見方もある。しかし、子供たち子供たちでそういう一つの文化をつくっていっているという見方もあると思うのですが、ひとつ子供の物の考え方、感じ方、子供の価値観、子供のお互いの情報交換のやり方、これは余り大人の目ですぐにだめだとかいうのじゃなくて、まずはそのままとしてそのままそのとおりに受け入れていくことが大切なんじゃないかと思うのですが、いかがですか。
  128. 海部俊樹

    海部国務大臣 これも率直な私の意見ですから間違っておるかもしれませんが、うちの息子の書いておる字が乱れておったり、大きさなんかがばらばらで走りなぐり書きなんかするのよりは、娘の書いておる丸っこたい字の方が、大きさもそろっておりますし、妙だなとは思うけれども、それなりに素直に読めるし、最初にちょっと申し上げたように、図案とかポスターとか、そういったような規格的な美しさというものを取り入れて、少女は少女なりに自分に身につけておるのじゃなかろうかなという理解を私は示したつもりでおりましたので、どちらがいいとか、どちらが悪いとかいうような判定はちょっと私の学問、知識では下せませんけれども、そういったものがお友達同士の間でも使われておるということは、その世代にはそれが美しいものだ、それがいいんだという価値を認めておるんだなということは私も承知をし、認めておいてやりたい、こう思っております。     〔臼井委員長代理退席、委員長着席〕
  129. 江田五月

    ○江田委員 そのほかにも、子供世界、子供社会の中で大変に今興味と関心を集めているものは、例えば漫画、これはある特定の漫画雑誌が爆発的に売れているとか、あるいはファミコン、それから最近では芸能関係だとおニャン子クラブというのが大変なことになっているとか、そうした子供の今の生活実態というのは、塾の実態調査だけでなくてやはりきちんと把握をしておかなければならぬと思いますが、塾以外にそうした子供文化の実態調査というようなことをされるおつもりはありませんかね。
  130. 高石邦男

    ○高石政府委員 現在そこまで考えてはいませんけれども、十分検討させていただきたいと思います。
  131. 江田五月

    ○江田委員 実態調査と言ったついでに、プロダクションの側に私は一度やっぱりメスを入れなければいけない現状があるんじゃないかという気がしておるのですが、今の岡田有希子ちゃんは十八歳で、ついこの間高校を卒業したばかりということ。しかしその前の遠藤康子という子供は十七歳だという。小学校、中学あるいは高校生の子供たちが芸能プロダクションに雇われて、岡田有希子の場合には三年間で三十億円稼いだとか言われておる。そして、その子供たちが一体どういう毎日を送っておるのか、親元を離れてどういう保護のもとにあるのかといった実態というのは、これはやはり教育の過程の中にある子供たち状態として一度文部省としてお調べになった方がいいんじゃないかと思いますが、いかがですか。
  132. 海部俊樹

    海部国務大臣 これは先生、かなり次元の違う御質問でございますので、今までの物差しとか従来の発想でここでできるとかできぬとかお答えしにくいことでございますけれども、やはり義務教育段階の子供については、そういった芸能プロダクションのいろいろなことについてもきちっと実態を調べて保護していかなければならぬ必要は確かにあろうと思いますが、そこを、義務教育を終わって自分の意思で入ってきている人がどのようなことをし、どれくらい所得を上げておるかというようなこと等を、どういう角度からどうやって調査したらいいのだろうか。ただ、最初答えしましたように、多くの青少年に与える影響は非常に大きいわけですから、先生の今の御質問をいただいて少し勉強させていただきます。
  133. 江田五月

    ○江田委員 このアイドル歌手の自殺もさることながら、子供たちの自殺が相次いでおる。その原因はさまざまですが、このアイドル歌手の自殺の場合にもやはり個別の事件はそれはいろんな原因が絡み合っているんだろうし、私たちがあれこれ言うことじゃありませんけれども、やはり何かのサインじゃないか。子供が自分自身の置かれている状況を、意識的にサインをそこから発しているわけじゃないけれども何かのサインを出している。あるいはそれは子供の置かれている状況についてのサインであると同時に、人間社会というものが一体どっちの方向へ向いていっているのかということについての子供たちからの警告であり、こんなでいいんだろうか、考え直してくれないかというサインじゃないかという気がするのですがね。岡田有希子さんのこの自殺がどういうサインであるかというのはわかりません。あこがれた芸能界、その中に大変な競争を乗り越えて入ってきて、しかし何でどうなったか、行き場を見失ってということかもしれないが、そういう大変な競争を乗り越えてみて、さあ自分は一体どこにいるのかというような一種の構造が子供の中にどこにもあるということはあると思うのですね。受験勉強をやってあこがれの何々大学に入って、さあこれからどうしようか、やることは何も見つからない。自殺ということにはならなくても全然勉強なんという方向には向かわない子供がたくさんふえてきているとか、それから、そうした自殺の原因以外にもいじめによる自殺というのは随分今ある。いじめ子供たちからの大人に対する何かのサインであり、警告であるという気がするのですがね。  そこで、文部大臣、約十年前に大臣に就任をされた。以来十年たってまたもう一度ということで、この十年の間隔を置いて二度の文部大臣の重責を担われるに当たっての御覚悟というものは一体どういうことなのかお知らせください。
  134. 海部俊樹

    海部国務大臣 私は、教育を大切に考える政治家として日々一生懸命政策努力をしてきたつもりでございますが、この前の文部大臣のときの経験というのをきょう振り返ってみますと、世の中がどんどん変わってきて教育の場で取り組まなければならぬ問題点もまたいろいろ変わってきておる。ですから、余り今までの経験とかそんなことに頼っておらずに、やっぱり真っ白な気持ちで新しい問題に全力を挙げて取り組んでいかなければならない。教育全体として見れば、きょうまで社会の発展とか文化の向上とかに日本の教育の普及が随分大きな貢献をしてきたことは私は率直にお認めがいただけるだろうと思いますけれども、しかしながら、今日臨教審で問題点が指摘されておることだけを眺めてみてもわかりますように、いろいろまた改革しなければならぬ問題も出てきております。その中で最も象徴的なのが学校の場に平和な状態が今なくなっておるんじゃないか。国も平和でなければ経済の発展も文化の振興もあり得ませんように、学校のキャンパスが平和でなければ一人一人の資質や個性や能力を伸ばしてあげる教育といってもそれはできないわけですので、学校教育の現場を覆っておりますいじめとか集団的暴力とか、ああいった非行のようなものを、これは難しい問題だ、原因は絡み合っておるとだけ言わないで、できるところからひとつ改革をし改善をしていかなければならぬ。児童生徒の持っておるエネルギーをいい方向に、健全な方向に導いていくにはどうしたらいいか、これをまず当面の宿題として取り入れまして、中長期的にはたくさんほかに問題がありますけれども、今一生懸命努力を続けておるさなかでございます。
  135. 江田五月

    ○江田委員 十年前に文部大臣に就任をされたときには今のいじめというのは、なかったわけじゃないと思いますが、しかし、今のような急性症状ではなかった。あるいはその端緒はあったかもしれないが。十年前はむしろどちらかというと、乱塾あるいは教育過熱でもう少しゆとりが欲しいんじゃないかというようなこと、それから少年のゆがんだ行動で言えばどっちかというと非行でしたね。それが、この間、非行が家庭内暴力、校内暴力になり、これを全部一生懸命抑えつけてきた。何とかそういう方向に行かないようにと抑えつけたら、今度はそれがぶわっと下で広がっちゃっていじめになっちゃったというようなことが言えるんじゃないか。なぜ一体、本来平和であるべき学校が平和でなくなったんだろうか。一体どこにその原因があるんだろうか。根本的な原因というのは一体何だとお考えでしょうか。
  136. 海部俊樹

    海部国務大臣 先生がおっしゃったことも私は大きな理由の一つだと思います。けれども、ちょっと私も違う角度から物を考えますのでお許しをいただいて率直に申し上げると、根本的な原因の一つは、社会の人口構造の変化というのが家庭における教育的な機能というものを麻痺させてしまったあるいは低下させてしまった。  昔、家庭に、これは言葉が適切かどうか知りませんが、兄弟げんかというものが日常的に行われておりました。僕らも六人兄弟で育っておりますから適正規模があったのでしょっちゅうやりました。けれども、あの兄弟げんかの中を通じて我々が身につけたものは、ほうり投げるときは机や柱のある方へ投げてはいけない、物のない方へ投げろということぐらいの思いやりの気持ちはやっぱり身につけたと思いますし、それが切磋琢磨という言葉で、人間関係、我が身をつねって人の痛さを知れというような人間にとって一番大切な思いやりの気持ちというものを家庭の中で兄弟同士で身につけたが、今はそれが全くなくなりつつある。いい悪いの評価はちょっと別の問題でございます。  それから、学校の現場を取り巻く雰囲気ですと、先生ぐっと抑えつけてとおっしゃいましたが、僕らもこの前の在任中は、間違っても先生やお父さんやお母さんにみんなで暴力を振るうことはいけないことであるということぐらいは身につけろと言って、赤信号みんなで渡れば怖くないなんという風潮はよくないというようなことを一生懸命言って、確かに暴力はいけない、いけないと抑えつけるような指導もしたかもしれません。  それよりも、学校全体の雰囲気の中で、どうでしょうか、人間の尊厳とか生きることのとうとさ、あるいは親とか兄弟に対する思いやりの気持ち、かたい言葉かもしれませんが、道徳教育といったような心の教育の面がおろそかになってきて、それはなぜなってきたかというと、点数中心の偏差値による進路指導というのが幅をきかせ過ぎたがために、ややもするとそちらへいってしまうのではないだろうか。ですから、ゆとり教育という言葉もお出し願いましたが、確かにこの前は、現場にもう少しゆとりを差し上げよう、現場の先生の創意工夫でもうちょっと人間教育もしていただいたらいいんじゃないか、三十三時間の標準時間も二十九時間にして、教えなきゃならぬ内容も少なくして、ゆとりとしてどうぞと言って差し上げたつもりでございましたが、どうもそうはいかなくなっちゃって、上の方の天井が片づかなければ、もらったゆとりだけではどうにもならぬではないか。上のレベルを変えろ、例えば入学試験とか、その上にある有名校とか学歴社会とか、天井には雲がいっぱいあるんだというような状況ですと、そこを突破していかなければなかなかゆとりある教育、心の教育といってもできにくいのではないだろうかという反省等もいたします。  ですから、家庭の問題や、学校における教育内容の問題や、あるいは社会入学試験という制度、仕組みの問題といったものがずっと合わさってまいりますと、今度は児童生徒がだんだん社会の変化に伴って、この十年間の社会の変化で大きなもののもう一つは、先生もお触れいただいたが、パソコンとかファミコンとかいうのが家庭にずっと浸透しちゃって、近所の子供同士遊ばないで、テレビのゲームとだけ熱中して時間を費やす、機械とだけ向き合って、人間関係抜きで悲しんだり怒ったり興奮したり万能感を味わったりする。あの情緒の流れから切断された時間の中でかっとうしておる子供の心境というのは昔なかったことで、そういったこと等を考えますと、人間としていろいろな生活体験を身につけていくことが必要なんですから、バランスのとれた人間が大事だというならば、生活の場でも、学校教育の場でも、社会教育の場でも、自然と親しんだり、汗を流すスポーツをやったり、文化に親しんだり、そういう多様な人間としての人格が形成されていく上に必要なものをもっともっと児童生徒に与えることのできるような教育環境を整備していくことが大切ではないだろうか。これらのことを全部総合した結果、今御指摘になったような非常に厳しい状況が起こっておる。一人一人がもっとみずからを大切にして、歯を食いしばって強くたくましく生きていけるような、そんな心の教育をもっとしていかなければならぬ、私はそんなことを考えております。
  137. 江田五月

    ○江田委員 大変すばらしいお話が延々と続きましてありがとうございましたが、さあ今まとめて一体どういうことなのかというと、実はどうもよくわからないというような感じもするのですが、多少言わせていただくなら、私は問題があるんじゃないかという気がするのですよ。  確かに、家庭教育機能というものも、核家族になってきた、そして今の親が戦後のいわば飽食の時代に育ってきたとかいろいろあるでしょう。そういう問題がある。社会にもいろいろな問題がある。そして、そういう問題の根っこのところに、全部とは言わないまでも、点数中心教育があるというその御指摘はそのとおりだと思いますが、何かそういう大臣のお話を聞いておりますと、あれも問題、これも問題というふうにいろいろとお挙げになるけれども、しかし、家庭が悪いんだ、子供が悪い、学校がいけないんだと言いながら、世の中全体の動きというものに何かおかしなところがあって、それが子供たちのところにあらわれているんだという認識がないといけないという気が私はするのですね。ゆとりがなくなってきている、心というものが失われてきている。それは、子供たちの中にゆとりがなくなり、心が失われてきているというのでなくて、子供たちのところがそうなっているのは、世の中全体が何かそういうゆとりのない状態になり、心が失われて、お互いの世の中の社会的連帯の気持ちというのがなくなっていることがあらわれてきているんじゃないだろうかということですね。日本の教育が確かに今の日本の経済成長や文化の発展なりに大きな貢献をしたということは事実。しかし、一方で、これだけの経済成長をやり、これだけの文化、文明の発展をつくり出すために、私たちは負の遺産も随分積み重ねたんじゃないか。その負の遺産というのは何かというと、お互い人間同士がだれも皆それぞれにつまらぬところを持ち、欠陥を持ち、弱点を持っているわけですから、そういう弱点をお互いつつき合っていくというんじゃなくて、お互いに弱点をかばい合いながら世の中をつくっていくという気持ちがともすると後回しにされて、前へ前へ進んでいく。同じレースの中で人より前へということばかりに熱中してきたというようなことが今の状態をつくり出しているんじゃないだろうか。  そういう中で、私は今特に文部大臣にこれは一言どうしても聞き捨てならぬのでただしておきたいのは、強くたくましい心を育てるんだとおっしゃいましたけれども、私は世の中というのは強い心もあれば弱い心もあるんだと思うのですよ。たくましい心もあればまことにひ弱な、もう本当にちょっとでも人間の息がはっと当たっただけでへなへなっとしおれるような草にもすばらしい花が咲く、これが世の中じゃないか。強い心、たくましい心も大切だけれども、やわらかい心、弱い心、これも大事にみんなで包んでいくという社会ができなければいけないので、自殺をしたらあなたは心が弱いというようなやり方というのが子供をどんどん追い詰めているんじゃないかという気がするんですが、いかがですか。
  138. 海部俊樹

    海部国務大臣 先ほどは私もすべてを言わずに、一番大切だと思っておることを象徴的に申し上げましたが、おっしゃるとおりに世の中にはいろんなことがありますから、その世の中に起こったことを全部申し上げておしかりを受けぬようにしようと思うと話がくどくなります。したがって、私の思っていることを単刀率直にばっぱっと言いますからそのような御批判もあろうかと思いますけれども、世の中で今問題になっておる病理現象を直そうと思ったら、私は強くたくましく生きるということをまず教えなければならぬと思うのですよ。弱い者も世の中にある、それはそのとおりなんです。けれども、そういったものに対する思いやりもなければ何にもないというようなこと、また逆に見て見ぬふりをされたがためにどこへ行ったらいいかわからなくなってしまったということがある。  私が就任してから一番心を痛めましたのは、例の中野区の富士見中学校で起こった象徴的な事件ですけれども、彼は親にも話したし、学校先生にも話した、親も先生にも話してくれたけれども、親も先生もだれも救ってくれなかった。したがって、最後に話を聞いてくれるだろうと思うおばあさんのところまで行ったけれども、残念ながらそこで命を失ってしまった。ああいったのを見ておりますと、遠い盛岡までとにかくおばあさんに話を聞いてもらおうというのはまだ生きる希望を持っておる、私は強い心だと思っておったんです。だから、そういうようなものをもっともっとみんなが持ってもらうことが今の病理的現象をまず直すためには非常に大切だと思っておりますから、強くたくましくということをつい口癖のようにいつも言うのですけれども、私は弱い心とかやさしい心とか思いやりの心ということがいけないことだというようなことは決して思っておりませんので、そういったお互いの相互依存関係を高めていかなければならぬ。  同時に、もっと言うなれば、大人の社会のひずみが学校教育のひずみになったんじゃないかと先生おっしゃいますけれども、それは歴史的に言えば、戦後四十年の間追いつけ追い越せでひたすらに豊かさを求めて、豊かになることがこの国の努力目標だということで、一応国民的合意まで得ながら努力をしてきたというその社会風潮そのものが、花とだんごを分けますと、花の方は、豊かになること、幸せになること、国際社会で名誉ある地位を占めること、教育の分野で言えば、憲法、教育基本法を守って人格を高めていくことということになるのですが、だんごの部分ではまたこれ、いい生活をすること、いい生活をするためにはいい会社へ入ること、有名校へ行くこと、そのためには点数をたくさん取ること。何か花よりだんごという言葉であらわせば、だんごの部分でもまた、国民的にみんなが建前と本音を分けると、本音の部分では一致しておった。それが、学校における点数主義、点数中心教育というものをいろいろ批判はしながらも、解決をしようとか解明しようとかいう動きに戦後四十年ならなかったという角度から見れば、大人社会責任というものも確かに大きくあると私は思っております。だから、そういったものをどうかして改革していかなければならないという中で、今教育改革に取り組んで一生懸命あがいておるところですから、どうぞ先生の方からも、いろいろな御経験や体験を踏まえて、いい御意見を時々お聞かせいただいておりますので、積極的な御理解と御協力をお願いをしておく次第でございます。
  139. 江田五月

    ○江田委員 大臣から陳情を受けるまでもなく、文部大臣であれ文部省であれ、こうやって今努力されている皆さん方に私も敬意を表しますし、私自身の物の考え方あるいは提案をいろいろとこれまでやってきたつもりなんで、これからもそういう努力はやっていくつもりですが、しかし、ちょっとおかしいんじゃないかという意見も時に言いますので、そうするとすぐに反発をなさらずに、どうぞひとつ、そういう見方もあるのかなと聞いていただかなければいかぬと思うのですね。  今やはりお話しくださいましたとおりだと思うのですが、戦後四十年あるいはもっと言えば明治維新以来百十年追いつき追い越せでやってきた。それは国民のコンセンサスであり、そういう経過が日本に必要だったと思います。しかし、今ここに来て、そろそろそういうコンセンサス自体を実は大人が見直していかなければいけないときが来ているのじゃないか。そうでなければ、二十一世紀というものを今までのようにただ追いつき追い越せの延長線で幾ら展望してみても出てこない。むしろ逆に根っこがどんどん掘り崩されているということになっているんじゃないかということを問題――問題どころか、むしろ危機感を持って感じておるのです。ですから、今教育というのは本当に大切だ。ただ、教育現場が何かおかしなことになっているという、これを何とかしなければということだけじゃなくて、歴史の進みぐあいが何かおかしくなるんじゃないかというような感じで物を真剣に受けとめようということを考えておる。国民みんなが、そこは自分たち自身のコンセンサスをもう一遍洗い直してみよう、あるいは教育とか社会とか人間とか生き方とか、そうしたものについてのこれまでの私たちの考え方をもう一遍選択し直そう、それが実は教育改革でなければならぬのじゃないかと思っておるのです。教育改革というのは、何かあっちのねじを緩めこっちのねじを締めということを超えた、社会のメカニックそのものが、もう部品もそろそろ、単にねじが緩んでしまったじゃなくて、材質的にかなり傷んでしまっておるような状態があるので、そのあたりを全部つくり直すということが必要なんだ。だから、教育改革というのは、単にどこかの、臨教審のお仕事を今私も見守っているところですが、臨教審がすばらしい提案をした、それをみんなが実行すれば教育が改革されるということじゃないので、国民みんながいろんな立場でいろんな意見を出しながら、お互いに多少時間のかかる心の洗い直しをしていくということが教育改革じゃないかと思っておるのですが、いかがですか。
  140. 海部俊樹

    海部国務大臣 決して反発するわけでも反論するわけでもありませんし、大きな流れとしては、私もさっき申し上げましたように、戦後四十年ひたすらに豊かさを求めた社会の動きというものがやはり行き着くところへ来て、その結果、いろいろな考え方の誤りやレールが敷かれたということを率直に反省して、それを変えたいと思っておるのですから、この点は先生のお考えとよく似ておると思うのです。  それから、教育改革よりも、むしろ私は、先生の御指摘のようなことは、まさに国会の中で政策の方向をどうするかという国全体の立場で真剣に取り組まなければならぬ大問題だと思っておるのです。これは単に教育改革のみならず、国の文明、極端なことを言えば、物質文明というものが行き詰まってきた。ヨーロッパ、アメリカが日本に戦後与えてくれた民主主義とか自由を最高の価値にしろという物の考え方の中のその裏をなすものに、人間は自然を征服して自由を享受していけばいいんだというような発想があったと思います。けれども、自由を最高の発想、最高の価値としないところに日本の古代の文化があったと思うのです。だから、そういったものの中で、自然を征服して人間が自由を満喫したところに、公害が起こったり自然環境破壊が起こったりいろいろな問題が指摘されておるわけです。  そうすると、それらのことを考えながら、物質文明がさらに精神文明と調和していくためにはどうしなければならぬかということも、これはもう教育改革を乗り越えた大きな国全体の政策努力の目標で、まさに国の改革のテーマとしてそれはふさわしい大きな問題だと思うのです。ですから、それに取り組むことは決してやぶさかでありませんし、全力を挙げて取り組まなければならぬことは先生御指摘のとおりでございます。  ただ、文教行政を預かる身といたしますと、去年一年間で九人も自殺が出た。私が就任して、どうかこういう悲しいことはやめてくださいと、何回訴えても続いてそういったことが起こっておりますと、これは学校ばかりに物を言ってはいけない、世の中を変えなければならぬのだ、大人の意識を変えなければならぬのだ、それからいかなければならぬのだといって、そちらばかり大所高所論ばかりやっておりますと、現場に対する配慮というものもなくなりますので、せめて緊急の対症療法かもしれないけれども、やって救えること、やってできること、見て見ぬふりをしない、見たら言葉もかける、救いの手も差し伸べる、人間関係をそこで復活させれば救われるということがわかっておるなれば、そういったこともやはりやるべきであろうと思うし、また、御指摘いただいたような制度、仕組みの中でよくないということが指摘されておる問題は、とにかくそれを改革するための努力もあわせて行っていきませんと、全体が悪い、これだけ言っておったのでは、現場を預かる者としての責任もあるわけでございますから、三万、四万にずっと目配りをしながら、広い次元で、中長期の目盛りや当面の対策やいろいろあわせて取り組んでいかなければならぬ、このように受けとめさせていただいております。
  141. 江田五月

    ○江田委員 わかります。ただ、具体的な緊急のいろいろな手当てをすることももちろん大切で、それをやるなと言っているわけじゃない。大いにやってほしい。大いにやってほしいし、同時に、文部大臣からは、温かい人柄とか弱いすく崩れるような子供の心に対する思いやりとか、そういう気持ちがじわっと日本じゅう、にじみわたっていかなければ救われないと思うのですよ、今の子供たちは。ですから、大所高所のことは決して軽視しているわけではないのですがという言いわけ風なことじゃなくて、やはり文部大臣は、人間の可能性について語り、人間の夢について大いに語っていただかなければならぬと思うのですよ。それが文部大臣の役割だ。  それだけでもありませんが、先ほどの強い心、たくましい心については、私がいちゃもんをつけたのもそういう意味です。だってそうでしょう。強い心、たくましい心から生まれる文化なんというのは後進国くらいなものだ。後進国というのはマーチですが、発展途上国という意味じゃなくて。と言うと言い過ぎですが、きのう私はあの人にこんなことを言ったけれども彼女の気持ちを傷つけたのじゃないだろうかと一晩寝ずに悩む、そんな心からいろいろな小説が生まれたり絵画が生まれたりするわけですよ。そういう弱い心も大切にし、そして弱い心があればそれをみんなが包んでいくというようなそんな世の中をつくらなければいけないわけでしょう。  ですから、くどくどと申し上げませんけれども、文部大臣は、どうぞそういう国民を、特に子供たちを叱咤激励するのじゃなくて、叱咤激励を一方でするのも大切だけれども、同時に、大きく子供たちをはぐくむ言葉子供たちにかけてやってほしいと思うのです。いかがですか。
  142. 海部俊樹

    海部国務大臣 先ほど冒頭に、アイドル歌手の自殺の問題や学校におけるいじめ、自殺の問題についての御議論でございましたので、つい象徴的に強くたくましくという私の日ごろ考えていることも言いましたが、実は、先週の土曜日のNHKの教育テレビをもし先生が一時間半見ていただいたとするなれば、あのとき私は、花を摘んで踏んづけた子供に、花は踏んづけたりとったりしてはいけないのだ、生命はいたわる優しい気持ちを持たなければならぬのだという角度のことだけを議論した一こまもあったわけでございますし、また、おっしゃるようにそういういじめ、自殺の問題と離れて物を考えれば、人間というのは平和的な国家並びに社会の形成者としての人格を育成しなければならぬわけであります。それは何度も申し上げておりますように、思いやりの心とか、何も兄弟げんかだって、強いばかりが能じゃない、相手を思いやって空間に向けて投げるという、それくらいの配慮をすることが大切だということを、私は自分の体験からしてどこでも多くの子供さんにも申し上げていることでございます。言いわけをするわけじゃございませんけれども、世の中にはそういういろいろな光の面もあれば影の面もある、強い面もあればそれをぐっとしなやかに受けとめて社会を形成していく場合もある。それぞれ資質や個性や能力というのはたくさんあるわけでして、草にもそれぞれ、花にもそれぞれ、芭蕉の句の中にもありましたように、それぞれの生きがいや生命や役割があるわけですから、そういったことをみんな踏まえて、一人一人の個性を大切にした人間として生きていってもらいたい。思いやりのあるそういった人間関係を大事にしていってもらいたい。私はそう考えておりますので、もし私が強くたくましくだけを人間の価値として認めておるとお考えになれば、それはきょうの御議論質問の中における一断面であったとどうぞ御理解をいただきたいと思います。
  143. 江田五月

    ○江田委員 じゃ、それはそういうことで。  今のいじめのことですが、私はこんな感じもするのですね。今のお話のとおりで、まさに戦後四十年の日本のたどってきた歩みがこういうものを、もちろんそれだけじゃありませんが、大きな目で見るといじめなどを生んできている。しかも、今までの少年非行とか学校内暴力とかはそれぞれに対症療法があったけれども、このいじめの問題というのはなかなか対症療法というのは難しいですね。先ほどのお話にも出てまいりました東京の中野富士見中学、確かに教師を処分をされた、配置転換をされて学校の中の年齢構成をかなりバラエティーを持たした、あるいは原因となった子供たちにする少年保護手続が開始をされた、そういう対症療法が行われたようですが、しかしこれは、鹿川君は自殺をしましたけれども、自殺をしていない鹿川君というのは全国にいっぱい今おるわけですね。とてもとてもそんな対症療法で済まない。そういう意味では大変に深刻な事態ですが、一方で逆に考えれば、ついにここまでやってきた。私たち、子供を育てていくという意味において、十年前にはまだ川の表面であっぷあっぷしておった。五年前はかなり沈んで、今は川底までついちゃったわけですから、ひとつこの際、海部文部大臣を先頭にして、この川底をやあっと思い切ってけり上げて、もう一遍水面に出ていって、一番底までたどりついたらこれはもう上へ上がるしかないのですから、改革しかないわけで、やっと今、日本の教育が大きく教育といいますか、世の中のあり方が大きく変わる曲がり角に来た。そのときにすばらしい文部大臣を迎えたということでなければならぬというようなとらえ方が一方でできるかと思うのですよ。大臣責任重大だと思うのですが、そういうふうに言われると一体どうお思いですか。
  144. 海部俊樹

    海部国務大臣 国会議論をいろいろお伺いしましても、それぞれ当面は先生方から対症療法についての御提言や御指摘も随分承りました。例えば、学校の中に必ず取り上げる駆け込み寺をつくってあげることが、児童生徒が心を閉ざしておるのを本当に開かせることが大切だという御意見もあります。また、私のところへ随分お手紙も来ますけれども、ある新聞がトップに取り上げられました評論家の意見で、殴られたら殴り返せ、やられたらやり返せ、そう教えなければだめだというあの説を切り抜いて、文部大臣、この手でいけといって下さった手紙も複数ありました。同じころ、また新聞が大きく扱われた、殴られても殴り返すな、じっと耐えて相手に思いやりのある子供になるように言えというような、御意見は本当にさまざまたくさんございます。  けれども、私なりにそれを全部重ね絵のように合わせてみて考えてみますと、児童生徒の心をやはり閉ざさせてはだめなんだ、それは人生最初に出会う教師であるお父さん、お母さんが御家庭でやはり絶えず物を言っていただくとともに、同世代年齢が初めて集まる学校の場、特に教師の立場というのは、直接児童生徒に触れていただくのですから、そこで言葉をかけ、励まし、手を差し伸べ、相談相手になってやっていただくことによってまずこれは救われるのではないだろうか。救われる面も出てくるのではないだろうかと言った方が正確かもしれませんが、特に中野区の富士見中学校報道等を見ておりますと、私はそのことをいたく感じたのです。  だから、中長期的な大きな背景整備の問題もあわせてやらなければならぬということは当然申し上げておきますけれども、その前に、まず手っ取り早くその最低のところから上がってくるためのきっかけ、契機を心に与えてあげるためにも、くじけた子やあるいはどうしたらいいかわからない子に、学校教師の立場で、家庭の父母の立場で、心の通い路と、物を言ってお互いに励ましの気持ちだけは伝えておくんだというような、正義の行き渡るような、そんな雰囲気ができていかないかな。それができれば、これは反転していく一つのきっかけになる、私はこう思って、できるだけそれは全国の教室で取り扱っていただくようにお願いをしておるのです。そのことをさらに全国にまず徹底していただくように、児童生徒が自分のクラスで起こったこととしてあの遺書を読み、あの遺書に対する意見交換なんかをしてもらったら、ああ、いじめということはいかにルールに反した暗いことなのか、いけないことなのかということがやはり児童生徒の自覚の中でわかってくるのではなかろうかと私は考えております。
  145. 江田五月

    ○江田委員 中野富士見中学の例をもうちょっと素材にして考えてみたいのですが、先ほどの教師の処分とか配置の転換とか、生徒の保護処分とかという対症療法、同時に、これは新聞報道しか知りませんが、あそこで父兄が立ち上がった。私たちの中野富士見中学だ、すばらしい学校なんだ。卒業式のときですか、学校の上に看板を立てて、頑張れ、中野富士見中の子供たちというような、文言を覚えておりませんが、そういうことをやって、地域で、お父さん、お母さんたちが地域ぐるみでこの学校を何とかよくしようということになってきたという報道があったのですが、このあたり、私は非常に重要な問題を解くかぎではないかと思うのですね。学校の中で子供たちの話し合いをさしていく、これももちろん大切。同時に、やはり先生の処分もいいけれども、処分したって何も解決つかぬですね。むしろ逆に、あの先生たちも一生懸命やられていたんだと思いますよ、その先生たちを大いに励ましていく地域社会の連帯が大切なんじゃないか。  さらに進んで、そのお父さん、お母さんたちが、中野というところでは、富士見中の周辺のお父さん、お母さんだけではなくて、中野区全体でお父さん、お母さんたちが教育に随分関心を持って、自分たちの力で準公選という制度をつくってやっているわけで、そういうような地域ぐるみの、教育に関心を持ち、教育に物を言い、教育責任を持っていくという態勢を大切に育てていくということが一つのかぎになってくると私は思うのですが、いかがですか。
  146. 海部俊樹

    海部国務大臣 お言葉を返すようでまことに申しわけないのですけれども、地域のお父さん、お母さんが学校と一緒になっていい活動をしてきたから、世を騒がせるような学校にならないでまともに運営されてきておるという例は全国にたくさんあると思うのです。それから、三年か四年前に荒れた学校で有名であった町田の忠生中学校も、地域のお父さん、お母さんが関心を持っていい学校に生まれ変わったという報道を私は最近もよく見ております。ですから、そういった地域ぐるみの、学校職員と地域の皆さんが力を合わしておやりになることが、学校再生のためにあるいは学校の健全な運営のためにいいことだと思うし、いろいろなところのPTAではそういう活動を随分していらっしゃるという実践例等も私は聞いておるのです。  それから、先生が今中野富士見中学校のことを例にして少し議論を深めようとおっしゃいますから、私もあえて申し上げるのですけれども中野富士見中学校の現場と付近のお父様、お母様の関係とか、あるいは準公選をただ一つおやりになった中野教育委員会との関係は私はどんなものであったろうかと思って非常に興味を持っておったのですが、たまたま最近あるテレビで前の中野教育委員のお方と対談をする場を与えられました。率直に聞いてみたのです。地域の住民と開かれた学校運営、地域と直接風通しのあるいい制度をするためにはこうしなければならぬとおっしゃっておやりになったのですが、学校との関係はどうだったかと聞きましたけれども中野のその教育委員の方自身が、学校へ行っても、あの富士見中学校先生たちは、教育委員来たか、そこの廊下を直せ、天井を直せぐらいで、とてもそんな話のできる状況でなかった、だから私は二度自立候補するのはやめたんだとまでおっしゃっておるのですよ。私は、もうちょっと、せめて教育委員皆さんや地域の皆さん学校当局が話し合いができたならば、あのかわいそうな鹿川君の例なんかも救われたんじゃないかというような気持ちがどうしてもしてなりません。  ですから、地域と学校とのそういう交流や先生の入れかわりによっていい学校になっていったという報道や例がたくさんありますので、私は直接指揮監督はできませんけれども教育委員会がそれなりのことをして、例に挙げました町田の忠生中学校のように、余りにも象徴的に有名になってしまった富士見中学校を、教育委員会や地域の人が集まって生まれ変わらせよう、今一生懸命心を寄せていらっしゃるなれば、非常にいいことだと思いますから、校長中心にして教職員皆さんと地域の皆さんとが本当に力と心を合わせ合っていい学校に、活力ある学校によみがえっていただくように心から期待をして見守っていきたいと思っております。
  147. 江田五月

    ○江田委員 私は言葉を返されたと実は受けとめていないので、まさに文部大臣が今おっしゃったような、地域と学校、教職員とみんなが腕を組み合い、知恵を出し合って変えていくということをひとつ大いに見守っていただきたいし、見守るというのはそういうことが大切だという認識で見守っていただきたいと思いますね。  さらにもうちょっと、今の教育委員であった方のお話が出ましたのであえて付言をしておきますと、なぜ一体彼女は二度目の立候補をしなかったか、できなかったというところまで文部大臣おっしゃいましたが、できないについてはこれこれこういうようないろいろな桎梏があって、規則があって、何とかがあって、とても教育委員あるいは教育委員会に与えられた権限というものが限局されておって何もできない状態になってしまっておる、こんなことだと、これはもう文部行政を根本から変えなければならぬということに突き当たったということをその方は私にはおっしゃっていましたが、文部大臣にはそうおっしゃってなかったかもしれませんけれども、どうも文部行政、文部省にかなりの責任があるような意見もその方はお持ちでした。少なくとも私にはそうおっしゃっていました。まあひとつこれはじっくり後ほど議論をしてみたいと思います。  人間というものを育てていくんだ、本当に人間を大切にということがこれからの教育のいわば柱になっていかなければならぬということだと思うのですけれども、どうもともすれば、主要五教科といいますか、いわゆる点数をとるところにばかり問題が集中をしておって、本当に人間として生きていくという基本的な素養といったものが学校教育の中で十分与えられていないんじゃないかという気がしてならないのです。そういう問題意識からしますと、去年女子差別撤廃条約が批准をされて、その条約との関係で高校の家庭一般、それから中学の技術・家庭が見直されなければならぬということになったということは、私は大きな意味があると思っておるのです。  そこで、今この家庭科の見直し作業というものはどういう段取りになっておるかをひとつ御報告いただきたいと思います。
  148. 海部俊樹

    海部国務大臣 御指摘のように、女子差別撤廃条約の批准に妨げがあるということで指摘されましたのが家庭教育に関する問題でございましたから、昭和五十九年六月に検討会議を設けまして、同会議からの報告をいただき、高校の家庭料についてはたくさんの科目を指定しまして男女が自由に選択必修させること、また中学校では技術・家庭と言いますけれども、これもすべての生徒に共通に履修させる領域と、生徒の興味、関心に応じて履修させる領域を設けるということを指摘されました。この報告の指摘を受けまして、それをただいま行われております教育課程審議会に審議をしていただきたいとお願いをしておるところでございます。
  149. 江田五月

    ○江田委員 じゃ、まずそこまでのところで多少大臣の認識をお伺いをしておきたいと思いますが、その女子差別撤廃条約といういわば外圧に促されてやむを得ず家庭科の履修のあり方検討するということなのか、それともそうではなくて、ただいま私が申し上げましたように、家庭科というものが調理と被服だけだというふうに考えておるとちょっとそこの認識を改めていただきたいわけですが、そうではなくて、今指導要領は調理、被服だけが家庭科というふうには書いてないのですね。もっと身辺自立の科学といいますか、人間として必要な生活を行っていく素養を身につけるというか、さまざまな、例えば子供を育てていくお父さん、お母さんの役割、あるいは家庭の経済のこと、いろいろなことが入っているわけです。私はもっともっと広げて、例えば今の非常に乱れてきておるセックスの問題であるとか、あるいは家庭を破壊していくさまざまなクレジットカード、キャッシュカードなどの動きがありますが、そうしたことにもあえて対応できるような家庭経済の物の考え方であるとか、あるいはこれから先どうしたってエコロジーという考え方が必要になってくるわけですが、ごみの問題、水の問題、下水の問題、あるいは食品添加物の問題、着色料の問題、その他もろもろありますが、そうした課題をひとつ広く体系的にとらえ直して、生活科とでも言うべき家庭科をつくって、これを男の子にも女の子にも教えていくということがこれからの時代、必要になるのじゃないか。高齢化社会を迎え、あるいは核家族という趨勢、これはもう迎えたどころじゃありません、もう核家族になっておるわけですが、こういう時代に、男は家庭生活あるいは生活一般というものに対して無知でよろしいなんて言っていたら暮らしていけない時代ですから、男のためにも家庭科は男も学ぶということが必要だという認識でおるのです。そういうようにして生活というものを学校教育の中でしっかりお互いに身につけていく、生活の技術を身につける、生活の哲学を身につけるということが学校教育を変えていく、今のすさんだ学校教育をもう一遍洗い直していくという大きな役割を果たすと思っておるのですが、そのあたりの大臣の認識を伺いたいと思います。
  150. 海部俊樹

    海部国務大臣 御説は全くごもっともだと思います。世の中における家庭の果たす役割とか、家庭における男女がお互いに人格を尊重しながらやっていかなければならぬ共同作業というものはそのとおりですし、また社会の変化にどちらかがひっかかってしまって家庭破壊なんということもよろしくないことでございますから、そういう意味で、家庭科の内容そのものもどのようなものにしていくのが必要かということも含めて、今教育課程審議会で御検討願っておるわけでございますから、そういった考え方には私も基本的に賛成でございます。
  151. 江田五月

    ○江田委員 確認ですけれども、高等学校家庭一般の履修形態だけじゃなくて、中学の技術・家庭の履修形態についてもあるいは中身についても検討しておるというふうに伺っていいですか。
  152. 高石邦男

    ○高石政府委員 そのとおりでございます。
  153. 江田五月

    ○江田委員 教育課程審議会で今検討しておるというところまでお答えをいただきましたが、さらにもうちょっと具体的に、どういう検討が今進んでおるかということをお教えください。
  154. 高石邦男

    ○高石政府委員 現在教育課程審議会は総論をやっておりまして、その総論の中でも特に次期の改訂の重要な要素と思われる事項を四つ挙げておりまして、その中の一つ家庭教育はどうあったらいいかという課題別委員会をつくっているわけでございます。その課題別委員会で具体的に小学校、中学校、高等学校を通じてどういう展開をしたらいいか、そして従来の家庭科はどちらかというと女子を中心として考えた教育内容になっておりますので、そういう男女とも履修させるということになればどういう範囲まで拡大していったらいいか、そういうことを鋭意検討を重ねているところでございます。
  155. 江田五月

    ○江田委員 高校の家庭一般が充実されてくる、そしてこれが男女必修、その必修の形態は選択必修とかいろいろあるでしょうが、ということになってくると、勢い中学の履修の状態も大きく変わらなければいけない。そこで、今は中学は技術と家庭になっているわけですが、この技術と家庭を足して二で割って技術も家庭もともに男女ともに学ぶというようなことになると、家庭を学ぶ時間教が男子はふえるけれども女子は減っちゃうということになりますね。これはどうするのですか。そういうふうに中学の女子の家庭の履修時間は減らすということでいいのですか。それとも今までの中学の女子の家庭の履修時間というものはきちんと確保するというお考えですか。
  156. 高石邦男

    ○高石政府委員 時間の配当についてまではまだ論議を進めていないわけでございます。  ただいま御指摘がありますように、中学校における技術・家庭科ということで、技術の面からも実は見直しが必要であるというふうに思っております。昔のように旋盤みたいなものを果たして教える必要があるかどうかということで、そういう授業内容の精選を図っていかなければいけない。それから、家庭教育についてもそういう内容の精選を図っていかなければならない。そういうことを考え合わせ、そして新たな要素として、先ほど来御指摘のあるような生活科的な領域のものをつけ加えていくということになると、どういう時間、どういう履修形態にしていったらいいか、そういう角度から検討が重ねられているわけでございます。
  157. 江田五月

    ○江田委員 この家庭科の履修方法についていろいろな提案や要望があると思いますが、全国高等学校長協会家庭部会というものが要望を出しておる、あるいは家庭科の男女共修をすすめる会という、これは任意の団体ですが、こういう皆さんの要望もあったり、先ほどの中野の方も入っていらっしゃる女性による民間教育審議会、これが出している提案とかいろいろありますが、ひとつこうしたものを大いに参考にしてすばらしいものをつくっていただきたいと思うのです。  同時に、東京都が、これは東京都生活文化局というのが去年の二月に「男女平等都政のすすめ方」という報告を出しておりまして、そこで家庭科の指導方法、内容方法などの研究を先行していくんだ、共修というものを課題として、こういうことを書いてあるわけですが、文部大臣、各自治体で今の家庭科の履修方法というものを、女子差別撤廃条約の示す方向、そして検討会議の示す方向に従って先行的に実験をしていくということは、これはいかがですか、大いにひとつ奨励をすべきことではないかという気がいたしますが。
  158. 高石邦男

    ○高石政府委員 現在、現行の家庭科の教育内容をどうやって展開したらいいかという意味の研究指定校、これは文部省自体も幾つか小中高等学校の段階を分けて指定しておりまして、その研究成果を広く利用していくというふうにしているわけでございます。したがいまして、現行の内容についての運用で効果的なものは大いに取り組んでいかなければならない、しかし、現行よりもはみ出してもう少しつけ加えていくべき要素というものはまたそういう角度から論議していかなければならないというふうに思っております。
  159. 江田五月

    ○江田委員 この家庭科問題については、家庭科なんというような学問といいますか、領域というのは、家庭生活というものについて子供たちが興味と関心を持って、家庭というものを運営していくその子その子の素養を身につけていくことが大切だ、そういう領域であって、何か成績なんというものをつけて競争させることがそう意味がある領域じゃないと私は思うのですね。     〔委員長退席、町村委員長代理着席〕 あるいはまた、そのほかにも、例えば音楽なんというのは余り点数なんかつけたってしようがないので、子供たちが音楽が好きになればいいのですから。小学校へ入るときには、子供が大声で調子が外れようが何しようが歌っているのが、卒業するころには、「仰げばとうとし」を歌うのにぼそぼそと小さな声で、別に何も悲しくて声が出ないのじゃなくて音楽が嫌いになっているというようなことがあっては困るわけですね。体育だってそうです。絵画だってそうです。そういうものは子供に点数をつけて競争させる、あるいは点数をつけてその子の評価を決めるよりも、その子その子の持ち味で、その子その子がそれぞれに音楽が好きになり体育が好きになればいいわけですから、こうした領域では点数をつけることがむしろ教育に何か障害になるのならば、あえて点数なんてつけなくてもいいんだということを認めてもいいような気がするのです。点数をつけなかったら主要五教科の方に全部流れて、時間も全部そっちにとられてという、確かにそういうおそれも今の学校教育の中にあるからなかなか難しいですが、基本的にどうお考えですか。
  160. 高石邦男

    ○高石政府委員 いろいろな見方、考え方があると思うのですが、音楽とかそれから美術、体操、そういうことを人格形成上非常に重要な役割を果たしているものであるという人々の考え方からいけば、もっとそういう面の教育を強化しろという意見になりますし、それから、国語だとか算数の基礎的なものを強化しろという方は、もうちょっとそこに時間数をふやせということになりますし、国際化を控えて英語はもうちょっと時間をふやせ、これからコンピューターが予想されるのでそういう教育がやれるようにしろ、要求される要素は実は非常に盛りだくさんになってくるわけです。したがって、それを踏まえてなおゆとりを持ちながら基礎、基本の義務教育を展開していったらどうかという形で位置づけていかなければならない。  したがって、家庭科についても、先ほど来御熱心な御指摘がございます。そのことはそのとおりだと思います。時間をどうするかというのは、そういう総合的なバランスの中からおのずから調整していかなければならない課題であると思っております。
  161. 江田五月

    ○江田委員 家庭科について触れたついでに、男女の平等といいますか、男女の役割分担といいますか、そういうことにもうちょっと触れてみたいのです。  ここに私が持っておりますのは、出版労連という労働組合の連合会の皆さんがおまとめになった八六年の「教科書レポート」なんですが、この中に中学校社会、公民的分野」への検定の種々の具体的な例としてこういうところがあります。  「(子どもを育てるという営み)」、これは括弧でくくってあるのですが、中身は違うのでしょうが、そういった課題を「個々の家庭、とくに女性だけに負わせると、女性の社会参加はいちじるしく困難になるうえ、男性の親としての役割は低下する。」という原稿本に対して、修正意見として「男女の差を認めて協力しあう、という両性の本質的平等にふれよ。」という意見が出されたという記述がありますが、これは事実でしょうかと伺ってもお答えにくいかもしれませんが、そういうことはあり得る話ですか。
  162. 高石邦男

    ○高石政府委員 ここで出されているような意見をこのままストレートな形で言うことはあり得ないと思っております。
  163. 江田五月

    ○江田委員 それはなぜですか。あり得ないというのは、どこかにこういうことを言うはずがないという部分があるからですね。どこですか。
  164. 高石邦男

    ○高石政府委員 要するに、男女の差を認めて協力し合うという両性の本質的平等に触れるということは、日本の現在の学習指導要領におきましては、現在の家族制度が個人の尊厳と両性の本質的平等に基づいていることを理解させるというような指導要領になっているわけでございます。そういう指導要領の中から、男女お互いにその特性を認め合って協力していくということは当然書かなければならぬことでありまして、男女差を設けるような表現で書くということはあり得ないということでございます。
  165. 江田五月

    ○江田委員 あり得ないと言っていただきますと大変に心強い限りですが、男女の差というのは、確かに男はどう頑張ったって子供を産めるわけじゃありませんし、お乳が出るわけじゃありませんけれども家庭において子供を育てるという営みは、男も女もともに、それぞれの果たす役割に個人としていろんな差はあるにしても、家庭子供を育てる役割というのはどちらもが果たしていかなければならぬわけで、男女の差というような言い方は女子差別撤廃条約に根本的に抵触をしてくる。女子差別撤廃条約というのは、すべての段階及びあらゆる形態の教育における男女の役割について定形化された概念の撤廃をしなければならぬということを締約国に求めているわけでありまして、ひとつそのあたりは十分に時代の向かっていく方向に沿った認識というものをお持ちを願いたい。検定がいいか悪いかということはちょっと今おいておきまして、そういうことをお願いをしておきたいと思います。  教科書の問題が幾つかあるのですが、男女の平等のこともありますが、同時に福祉というものが一体今教科書でどう扱われているのかということについて、私はそれほど詳しく調べる時間的余裕がなかったのですが、何か困った人を助けるのが福祉だというような扱いのように見受けられるのですね。例えば、ここに手元にありますのは東京書籍株式会社の中学校社会、公民的分野」の百七十九ページですが、「高齢化社会と福祉」「年をとって、働けなくなった人の生活を維持していくために、国民年金や厚生年金などの社会保険制度がある。」という記述になっている。しかし、今の認識は、年をとって働けなくなった人の生活を支えるのが年金だというそんな認識とかなり違ってきていると思うのですね。そうではなくて、今もうある年齢以上になると年金で生活をしていくというのがごく普通の姿になっている。あえて権利だと言うほどやかましいことではない。世代間の連帯のあり方として年金生活時代というものが今到来している。そういう意味で、この高齢化社会の年金の話だけではなくて、お互いに出し合いながらお互いに助け合っていく福祉社会をつくっていこうというコンセンサスが次第に広がっていく、そういう時代だと思うのですが、それならばなおさらのこと、子供たちに福祉というものの基本的な理念、基本的な精神、基本的な心をきちんと学校教育の中で教えていかなければならぬと思うのですが、それにしてはどうも福祉の記述は余りにもお粗末で、制度の説明ぐらいしかできていないという感じですが、折から教育課程審議会が審議をしている最中でもあるので、そのことをひとつ指摘をしておきたいと思いますが、いかがですか。
  166. 高石邦男

    ○高石政府委員 社会構造の変化だとか社会状況の変化がいろいろ出てまいりますので、教科書もそれに沿って内容は記述されていかなげればならないと思っております。
  167. 江田五月

    ○江田委員 初中局長答えはそういうことかもしれませんが、それでは、大臣、福祉の理念とか福祉の精神とかいったものが学校教育の中できちんと取り上げられるべきである、今の教科書の批判は別として。こういう指摘はどうお感じですか。
  168. 海部俊樹

    海部国務大臣 日本は福祉国家を目指して営々と努力してきたし、また社会の移り変わりとともに福祉というものが、国民の間で描くイメージもだんだん前進していかなければならぬわけですから、学校教育の中で十分に取り上げられることは大切なことであると思っております。
  169. 江田五月

    ○江田委員 ひとつそういう方向で頑張っていただきたいと思います。  さらに、教科書の中でもう一つ、無体財産権という権利があるんですが、これはもちろん御承知のとおり。今、子供たちまで例えばパソコンソフトというようなものに日常的に接するそういう時代が来ておる。ところが、この無体財産権、今のパソコンソフトといいますと著作権ということになりますが、こうした権利については日本はどうも諸外国に威張れる状態でないと言われているわけです。制度的にもいろいろ落とし穴があって、鋭意制度をきちんと仕上げるための努力をしておるわけですけれども、この無体財産権の物の考え方、つまり人が考え出したものはその人のものなんだよ、海部文部大臣が考え出された演説内容というのは海部文部大臣の演説内容で、それを私がどこかへ勝手に持っていって、これは海部文部大臣がおっしゃっていましたがと言わずに、私の言い方で言っちゃったらいけないんだ、そういうことは子供のときからきちっと教えていかなければならない、人間社会をこれからつくっていく上での基本的な考え方だと思うのですが、いかがでしょうか。
  170. 海部俊樹

    海部国務大臣 著作権に関するお話、それが中心になっておるように思います。そして、今まで権利義務として余り明確にあげつらわれなかった、また児童生徒の間でも、このところのテープレコーダーが発達した段階において、何か物を買ってくるよりも借りてきてテープにとった方がいいんだというような、知らず知らずの間にすれすれのところを行っておるというようなことが議論になりましたことを私も今思い起こしますが、やはり無体財産権もこれから先の世の中においては一つのきちっと保護されるべき権利であると思います。ただ、児童生徒の発達段階においてどの辺でどのような仕組みで教育をしていくかということはまた別の問題でございますけれども、これは大切なテーマの一つだという御指摘は私も承ります。
  171. 江田五月

    ○江田委員 誤解のないように申し上げておきますと、テープを借りてきてそれをダビングをするということは音楽文化の享受の仕方であって、そのことがけしからぬというふうになるかどうかということはこれはまた別の問題です。だけれども、そこには権利侵害とすれすれのいろいろな問題が出てくるわけです。ですから、例えば他人のテープを借りてきてそれをダビングする場合に、もとの権利者に対してそうしたことから生ずる利益が還流していくようにいろいろな形の代金の支払いなどが行われていくという仕組みが必要だ。しかし、テープをダビングすることはけしからぬということになるかどうかというのはこれはまた別の問題ということだけは指摘をしておきたいと思いますが、著作権だけではなくて特許権でも、例えば子供たちに対して発明工夫展というようなことで発明工夫を大いに奨励していく、あるいは今の技術革新ということを教科書の中でお取り上げになっている、ここまではいいのですが、そういう技術革新の知的生産物の権利性――権利性と言うと言葉は非常に難しいけれども、そういうものはその人のものなんだからこれを尊重しなければならぬといった物の考え方、これはどうも今のところ高等学校の商業法規といったところでしか実は扱われていないので、これではいけない、もうちょっと商業科の課題ではない社会一般の課題だという受けとめ方をしていただきたいと思いますが、いかがですか。
  172. 海部俊樹

    海部国務大臣 いろいろ人間の権利義務の明確化、個人に倣うべき権利や個人が努力によって生み出した権利義務を保護していくという方向は、方向として正しいと思いますから、どこで教えるかといういろいろ具体の問題については、これからひとつ研究し勉強させていただきます。
  173. 江田五月

    ○江田委員 もう時間がほとんどなくなりましたが、冒頭の私と大臣とのやりとりの中で、大臣が多様性ということをおっしゃいました。いろいろな人間がおるのだ、それぞれに長所もあれば弱点もある人間がこの世の中をつくっているので、それをそれぞれ尊重していかなければならぬ、自分と違った考え方を認めないとかいうのでは困るわけで、どっちみちこういう多様な世の中になっているわけですから、学校教育の中でも、そういう多様性ということを本当に大切にしていく、多様性に対して寛容である、多様性ということ自体を価値として受け入れていく、そういうことになっていかなければいけないと思うのです。今、例えばいじめなんかの根本に、そういう多様性に対する寛容さがなくなってきている、世の中の柔軟さがなくなってきていることの反映かもしれませんけれども、ちょっと何か人と違うとけしからぬというのでいじめるというような状態がありまして、そういう中で多様性を大切にしていく幾つかの方法といいますか、あるいは多様性を大切にしているかどうかのメルクマールといいますか、こんなものがあると思うのですが、その一つに帰国子女ですね。帰国子女というのはいろいろな対策文部省でとられているようで、帰国子女の教育の現状について先日私もお教えをいただいたのですが、帰国子女というのは問題にあるのだ、教育現場における攪乱要因なんだ、だからこれは何とかして教育現場の中にうまく入ってこれるように手だてを講じなければならぬということでいろいろとおやりになる。しかし、私に言わせれば、そういう面は確かにある、日本語が十分に話せない子供に対していろいろな教育をしていくのがなかなか難しいという点があるだろうと思いますが、一方、違う文化の中で育ってきた子供たちが私たちの中におるというそのことは子供社会にとって財産なんだという見方もあるし、少なくともそういう見方ができるような学校現場にしていかなければいけないという気がするのですね。  何か報道によりますと、東南アジアで過ごしてきた子供たちというのは実にのんびりしておりまして、学校先生がピッと笛を吹いてもすぐには動かない。ゆっくりといろいろなものに対応していくので、とてもぐずでのろでというわけで学校の中でいじめられる、つまはじきにされるという状態があるという新聞報道がありましたが、そうじゃないのですね。東南アジアというのはこういう国なんだということをその子供を通じて知ることができるという大変にありがたい生きた教材――教材と言うと言葉は変ですが、そういう多様性を認めるための大変大切な一つの手がかりが帰国子女だという受けとめ方があると思うのですけれども、いかがでしょう。そうした帰国子女問題というもののとらえ直しを一度していただけないかと思うのですが。
  174. 海部俊樹

    海部国務大臣 おっしゃるように、国際化時代はもうそれぞれの国と仲よくし、それぞれの国と相互依存関係を深めていく中で、日本もやはり刺激を受けたりそれによって力が出てきたりするいろいろないい面が相乗効果として子供の間に出てくると思うのです。その意味で、私は海外へ参りますたびに、そこの日本人学校というのも訪ねてみていろいろと意見を述べたりしてまいりますが、現地の子供と例えば校庭だけでも一緒にしておる日本人学校というのは非常にいろいろな体験をするようです。それと同じように、今度はそういう体験を持った子供が日本へ帰ってきて、日本の教室で日本の教育だけしか知らなかった子供と接触し合うと、珍しさというか、あるいはそこから刺激されたり啓発されたりしていく面も出てくると思いますし、その児童生徒のそういった生活体験、異文化と接触してきたということがやはり一つの刺激になっていくと思いますので、帰国子女を受け入れ、帰国子女を大切にしていくということは、今施策の中でできる限りのことはしておるつもりでございますけれども、なお今後の検討課題としてこれは前向きに解決をしていかなければならぬ問題だ、このように思います。
  175. 江田五月

    ○江田委員 異文化との接触というものが非常に大切だ、そういうことによって啓発されていくんだというお話、そのとおりで、しかしそのことが学校現場で実は行われていない。逆に、何ですか頭を結ぶゴムの色からソックスの色に至るまで、何か大変に決まり決まりで校則というものを随分うるさくやっているというのが今の現実学校教育だということ、これを文部大臣、知らないわけはないでしょうね。この校則というものは一体今の文部大臣の異文化ということとどういうふうに関係するのですか。
  176. 海部俊樹

    海部国務大臣 異文化を大切にするという面と校則の面とは次元の全く違う問題だと私は思いまして、校則のことについて私の考えを申し上げますと、やはり集団生活を営む上においては、一定の規律をきちっとつくってみんなでこれを守っていくという習慣を身につけることも学校教育では大切な要素の一つだと思うのです。それで、ついこの間、私も校則のことについていろいろな御指摘を受けました。けれども、日米の中学校先生のいろんなアンケート調査なんかを見てみましても、規律が行き届いておる学校ほど乱れとかいじめが少ないとか、あるいは学校現場ではやはり決めた規律はみんなで守っていこうということを身につけさせることも大切だということは、日米双方の中学校先生が高いレベルでお認めになっていることでございますから、希有な例として極端な、リボンの色がいかぬとか靴下の色がいけないとかいうようないかがかと思われるような御指摘も確かにございます。それは承知しておりますけれども、しかし、といって校則はというところまで議論がいかないわけであって、やはり校則はきちっとあって学校一つの規律にそれがなっておるわけですから、これは異文化の問題とは次元の違う問題としてまたお答えをさせていただきたい、こう思います。
  177. 江田五月

    ○江田委員 異文化の問題と違うとおっしゃいますけれども、必ずしもそうでもない点があると思うのですね。今の大臣のおっしゃる、私も別にみんなで決めた規則をみんなで守っていくことが大切でないなんて言っているわけじゃないんで、どうも我々の国の議論というのは極端から極端へというものが多いものですから、そこはお互い注意をしていきたいと思いますが、大変に細かく細かく規則を決めている例というのが本当に多くて、しかもそれが子供たちにとって随分悩みの種になっている。そんなこと悩まなくていいじゃないかと大人になったら言えるようなことでも、なかなか現実子供たちにはそうではない場合というのは非常に多いわけです。     〔町村委員長代理退席、委員長着席〕 私に言わせれば、古いもう二十年も前の制服をずっと後生大事に着ているのじゃなくて、新しいファッションにもある程度女の子供たちが関心を持っていくなどというのは決して悪いことでも何でもない。むしろ、そういうふうにして子供の美についての、自分を飾るなどというのもある意味の美意識ですから、そういうものが養われていくということは大切だという気がいたしておりまして、しかし、そうした議論もさらにまたこれから煮詰めさせていただきたいと思います。  それでは、時間ですから質問を終わります。
  178. 青木正久

    青木委員長 次回は、来る十一日午前十時理事会、十時三十分委員会を開会することとし、本日は、これにて散会いたします。     午後四時十一分散会