○正森
委員 中曽根総理がよくそれに近い
答弁をしますが、さすがに後継者をねらっておるだけあって、
答弁もだんだん似てきたことを甚だ遺憾に思います。(「ふざけるな」と呼ぶ者あり)ふざけるなじゃないです。
大蔵大臣自身がそういう
答弁をしておるから私が言っておるのです。これはまじめな質問であります。
私
どもはこういうことを極めて遺憾に思いますが、さらに、
天皇が、新憲法が制定されてから以後も、「
天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する機能を有しない。」という憲法の規定に著しく反することを行っているということは事実であります。
ここに「世界」の一九七九年四月号があります。これは筑波大学の助教授でありました進藤栄一氏が「分割された領土」ということで書いておられる論文であります。これはアメリカの公文書館から発表された資料に基づいて、
天皇が沖縄を事実上アメリカに長期占領させる、こういう提言をしたことを論じた論文であります。この中でこう言っております。
その
意味では、それより一週間程遅れ、総司令部と皇室とのリエゾンとして
宮内庁御用掛をつとめる寺崎英成からジョージ・アチソン亡きあとのシーボルトを通じて国務省に伝達されたメッセージのほうが、はるかにワシントンの動向と波長の合うものであった。
すでにその年五月六日、
天皇はマッカーサーに三度目の訪問をし、対日講和成立後「アメリカが撤退した場合誰が
日本を守ることになるのか」と直接元帥に問い、自ら講和後の
日本防衛問題への関心を見せていた。
このくだりはニューヨーク・タイムズの五月七日、九日、十日付に載ったものであります。
それに関連して九月中旬、寺崎は、「沖縄の将来に関する
天皇の考えを伝えるため」としてシーボルトを訪ね、次のような談話を行なっていた。
「寺崎が述べるに
天皇は、アメリカが沖縄を始め琉球の他の諸島を軍事占領し続けることを希望している。
天皇の
意見によるとその占領は、アメリカの利益になるし、
日本を守ることにもなる。
天皇が思うにそうした政策は、
日本国民が、ロシアの脅威を恐れているばかりでなく、左右両翼の集団が台頭しロシアが“事件”を惹起し、それを口実に
日本内政に干渉してくる事態をも恐れているが故に、
国民の広範な承認をから得ることができるだろう。
天皇がさらに思うに、アメリカによる沖縄(と要請があり次第他の諸島嶼)の軍事占領は、
日本に主権を残存させた形で、長期の
——二五年から五十年ないしそれ以上の
——貸与をするという擬制の上になされるべきである。
天皇によればこの占領方式は、アメリカが琉球列島に恒久的意図を持たないことを
日本国民に納得させることになるだろうし、それによって他の諸国、特にソヴェト・ロシアと中国が同様の権利を要求するのを差
止めることになるだろう。」
こう言っています。そして、同じ論文は、
九月二〇日、シーボルトはこのメッセージをまずメモランダムによってマッカーサーに伝え、さらに二日後、メモランダムの写しを同封した上その要旨をマーシャル長官に送付した。
中略
国務長官マーシャルは、この文書をシーボルトから受けたあとただちにケナンに回送し、ケナンは、当時作成中の対日講和構想の附属文書として、沖縄に関する特別勧告書をしたためる。そしてその中でメッセージの重要性を次のように強調した。
「政策企画部は、南琉球をアメリカが統治する原則を承認する。……企画部が注目しているのは、
日本国
天皇が、アメリカは、沖縄を始め〔アメリカ側の〕要請する他の島嶼を、
日本に主権を残存させた形で、長期
——二五年から五十年ないしそれ以上にわたって軍事占領し続けるべきだという示唆を伝達してきていることである。企画部は、この方式を戦略的信託統治の代案として十分
検討すべきものと考える。」
翌四八年三月初旬、ケナン訪日と差し違いに国務省は、再度、寺崎
——シーボルトのラインを通じ、アメリカが「ソ連の侵略と、さらに浸透とから守るため」東アジアの防衛前線を確認し、新たに「南鮮、
日本、琉球、フィリッピン、それに可能なら台湾を、アメリカの〔防衛〕前線として」画定するよう要請したメッセージを受ける。
云々、こうなっております。
大蔵大臣、
宮内庁、どちらでもいいですが、憲法によれば、
天皇は、限定された「国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する機能を有しない。」となっております。しかるに我が国の外務省が講和問題についていろいろ苦労しているときに、この論文によれば芦田さんの
意見と
天皇の
意見は違っておったと書いてあります。こういう重大な問題についてアメリカに事実上提言するなどということは、みずから憲法の条項に真っ向から違反するものではないですか。そして、これがアメリカの公文書から出てきておるということになれば、
日本側にも何らかそれに関連する文書があるはずですから、これを公表させるべきであります。これに対して
政府や
宮内庁が何らかの方策をとったということは、私
どもは寡聞にして聞いておりません。それは憲法の建前から見て極めて遺憾なことではないかと思います。
そういう点を考えますときに、
天皇在位六十年などといって、戦前の二十年と戦後の四十年を一緒にしてお祝いするなどということは、私は断じてあってはならないと思いますが、いかがですか。