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田内参考人 参考人としてお招きをいただきました
田内でございます。
私は、現在、
一橋大学で
マーケティング講座を担当いたしておりますが、こういった
特殊取引の
規制に関する私の
基本的考え方は
二つでございます。まず、その
二つを申し上げて、その後少しばかりそれにコメントさせていただきます。
まず第一は、どういう厳しい
法律をつくっても、それをくぐり抜ける
方法を見つけ出す者が必ずいるということでございます。
例え話で恐縮でございますが、私は
昭和六年の生まれでありますが、そのころ小学校の友だちのお母さんに非常に
衛生精神に目覚めた方がおりまして、アルコールを湿した脱脂綿を金属の入れ物に入れていつも持って歩いていた。
子供が何かにさわるとすぐ手の先、指の先をふいてやるのですが、そんなことをしてもばい菌は結局防げない、かえって
抵抗力がなくてその子は猩紅熱で死んでしまったということがありました。私みたいに
ぞうきんバケツの水を飲んで育ちますと現在まで病気一つしない。したがって、
個人個人の
抵抗力、
免疫性をつけるということが、まず私の
基本的考え方でございます。
日本の場合と比べまして西洋の場合こういう
被害が非常に少ない。というのは、昔から
キリスト教の
教会では、
高利を取ることはいけない、
高利貸しはいけない、
高利の金を借りてはいけないということを繰り返し教えておりますので、赤ちゃんのときから親に
教会に連れられていって、
高利はいけないのだということが骨の髄までしみ込んでいる、それがずっと何千年にわたって続いてきているわけです。ですから、
抵抗力、
免疫性をつけるためにはこういうことをやらなければいけないということでございます。
二番目の基本的な
考え方といたしましては、今申し上げましたように
幾ら法律を厳しくしても防げない、しかも厳しくすると
経済の
活性化を非常に妨げるということであります。これは
経済の成長にとってマイナスであると同時に、外国から非
関税障壁だと非難される
可能性も出てきますので、そういう意味でも
法規制を厳しくすることは問題があろうかと考えるわけでございます。
それでは、第一の私の
基本方針であります
個人個人の
抵抗力ということでございますが、先ほど申しましたように、西洋の場合には、特に
キリスト教の
教会で、昔から
高利はいけないのだということを骨身にしみるほど、ちょうど何か物が飛んできたら瞬きをするように、
高利と聞くと拒否動作が出る、反射動作化するほど教え込まれておりまして、やはり一番の基本はここにあるだろう。したがって、
日本の場合には、
教会に行くことは
キリスト教の方はあるでしょうが、その割合は少ないし、神道と仏教徒は大体
教会に行きませんし、お坊さんや神主さんがそういうお話をするとも思えませんので、幼稚園、小学校の段階で徹底的に教えるしかないと思います。
ですから、先ほど
清水参考人もおっしゃいましたように、具体的な
事例、生々しい
事例を挙げて、怖いものだ、こういう非常に危ないわながあるのだということを徹底的に教えていくことが必要でありまして、そのためには、こういう問題はこの商工
委員会だけではなしに、教育
関係の
委員会でも大いに御議論いただきたい、そういう問題ではないかと考えます。
二番目の、私の基本的な考えでございます、
法規制を余りに厳しくすると
経済の
活性化を妨げるのではないかということでございますが、この問題に限らず、この世の中はほとんどのものは二律背反でありまして、片方を立てると片方が立たないというような二律背反の中で、どこでバランスをとっていくかという問題だろうと思うのです。
この
特殊取引の問題もまさにそのとおりだと私は考えるわけでありまして、
法規制を厳しくしても全部の悪者を防ぐことはできない。
経済の勢いというのはそれによって失われてしまうということになる。
経済の発展とか
経済の勢いというものは、常に創意工夫の余地を大いに広くしておく、今までなかったもの、いろいろと新しいものが出てくる
可能性を大いに広くとっておくということが必要であると考えます。もちろん、広くあけておきますと、いい創意工夫だけではありませんで、悪い創意工夫も出てくる
可能性は多くなるわけでありまして、やたらに広くするということは問題がありますけれども、そのバランスをとる。
法規制で自由、創意工夫の余地をある程度は狭めることになるけれども、
国民全体の福祉を妨げるほどには創意工夫の余地を少なくしない、しかも悪い創意工夫の出てくる余地を非常に狭める、そういう両方の間の非常に微妙なバランスをとって
法規制というのは行っていかなくてはいけないということであります。
この場合によく考えねばいけないのは、悪い創意工夫によって何か
被害が出たというとき、それは具体的にそこに存在するわけです。
被害自体が存在しますし、
被害を受けられた方も現実にそこに存在するわけです。具体的な存在であります。したがって、それは非常に大きな存在として意識されるわけです。ところが、これから起こるであろう創意工夫というのはまだそこに現実にないわけでありますから、インパクトとしてはどうしても弱くなる。しかし、国として考えるべきなのは、
国民全体のウエルフェア、福祉厚生ということであります。そうなると、創意工夫の余地を大いに広くとるという側にも大いに配慮しなければいけない、それが国としての役目ではないかと考えるわけです。
例えば、皆様御
承知でしょうが、公正
取引委員会の管轄のもとに景品と懸賞に関する
法律というのがありますけれども、それで景品あるいは懸賞金額を限っております。これは不公正競争を防ぐのだということにはなっているわけですが、今みたいに国際化が進みまして外国からいろいろな企業が出てくるということになりますと、そういう新しく出てきた企業は過去の広告の蓄積がないわけです。ずっと
日本で企業活動を行っているところは広告の蓄積が非常に大きくある。
そうすると、そういう広告の蓄積がない企業が
日本でフェアに競争するためには、人の目を引くような派手な懸賞や景品を出さざるを得ない。そういうときに
法律がある。これは非
関税障壁だ。これは現実にそういう声が外国企業から出ているわけでありまして、創意工夫あるいはいろいろな企業活動に厳しい手かせ足かせをはめるということは、貿易摩擦の面でも問題があるだろう。
あるいは、リッカーミシンが倒産いたしましたときに、あらかじめ金を取って
商品を後で渡すビジネスというのはいけないからやめちまえという
意見もあったように記憶いたしますけれども、その当時は、前に
お金を取って後で
商品を渡すという
取引で余り目ぼしいものはなかったわけであります。ですが、その後で、例えば
日本交通公社が「たびたび」という
商品を開発いたしまして、これはあらかじめ
お金を払っておきまして、そして例えば一年後に六%の利子を乗せた旅行券を渡す。これは、私も
審査委員の一人であります日経新聞の優秀製品にも選ばれた
商品でありますし、大ヒット
商品、百万以上の人がこういう
商品が出たことで非常に喜んでいるわけであります。ですから、もしリッカーの問題が出たときに、前受け金を取って後で
商品を渡す
商法を一切禁止するという
法律をつくっていれば、こういう非常に多くの人に喜びを与えている「たびたび」という新
商品は出なかったと私は考えておるわけでありまして、なるべく
可能性は広くとる、ですが、悪い創意工夫が出てきて
被害者が出ることはなるべく防ぐ、この微妙なバランスの上に
法規制はあるべきである。
最後に、今回
通産省の御
提出になりました
特殊取引規制についての
法律案は、今私が申し上げた微妙なバランスを非常によくとっておられるというふうに考えております。