○木島
委員 警察も消防も究極的には国民の生命財産を守るために国や
地方自治体が金を出している役所である。ところが、
白川先生もおっしゃいましたように、例えば国家賠償法は施設に瑕疵があった場合あるいは公務員の故意または過失があった場合に国が補償する。逆に言うと、国に責任がないときには補償しないという思想であります。だが、それていいだろうか。今お聞きしましたように、防災局ができた。もともと警察や消防というのは国民の生命財産を守るものである限り、それが完全でなかったからその補償は一〇〇%せよとは言わないけれども、責任は皆無だとはならない。ここのところが、これから我々が考えねばならない問題なんだろうと思う。そういう観点が犯罪
被害者等給付金支給法という法律ではないだろうか。すべての理由ではありませんけれども、この犯罪
被害者等給付金支給法というものができた幾つかの理由が考えられる。これは五十六年の一月一日から施行されておりますけれども、その前には、例えば新宿のバスの焼き討ちというのですか、ああいうものがあった。そういう
被害者は、その人に責任がないのにその一家が路頭に迷わなければならないことになる。しかし、国は国民の生命や財産を守るために警察やあるいは消防がある。にかかわらず、それが完全でなかったがゆえにこそこういう事件が起こったがゆえに、行きずりのああいう犯罪に対して若干の金を、すべて一〇〇%とは言わないが、責任があるから。だから、
災害が起こる。
災害はいつだれがかかるかわからない。それに対して、その個人だけが不幸にして遭ったからといって、その個人だけが一家が路頭に迷うような状態になっていいのか。そうではないから、だれもがその可能性があるがゆえにこそ国全体でもって補償しよう、そういう思想もあります、この法律ができるには。
この
災害委員会の歴史もまたそれがあります。
昭和五十六年のときに、福島とか福井県では雪のために随分と森林が折れました。雪損木と言いました。それを激甚法を改正して、森林は個人の財産です一が、個人の財産を国が一定の補償をしよう、すべてじゃないが。そういう法改正をいたしました。あの年、寒冷のために、樹液が凍ってミカンが枯死いたしました。温州ミカンのでき過ぎから晩柑種に植えかえて農林省から金をたくさん借りた連中は、みんな五百万、八百万の借金があった。しかし、農林省は、一度金を出したとこうのものは二度出さない。しかし、それは予算的に
措置をいたしました。そういうこの
委員会の歴史がある。
したがって、そういう意味で個人
災害というものを、すなわち国家賠償法では国に責任がないものは国は補償しない、国に責任があるものだけを補償する、過失賠償責任主義から無過失賠償責任主義の方向に行かざるを得ないのではないか、
災害に関しては。
もう時間がありませんから、しゃべってしまいますが、そのことは、例えば今日雪おろしの税金で、雑損控除、五万円以上のものをしますね。個人
災害で、個人に降った雪、この雪をおろすのに雑損控除で減税をする。それは個人
災害に対するところの手を差し伸ばしたものでしょう。今雪の話をした。屋根の雪を道路におろす。その道路におろした雪は、
市町村が排雪するわけでしょう、公の費用で。そういう大きな方向をたどっておると思う。
だから、過失責任主義から無過失責任主義という方向に、
災害に関しては行かねばならないのではないのか。だのに
弔慰金は、世帯主で二百五十万、世帯主でない者百五十万。さっき言いました犯罪
被害者等給付金支給法は、いろいろなあれがありますけれども、大体八百五十万ぐらいじゃありませんか、いっているでしょう。この法律は、さっきも言いましたように、国も責任があるという思想があるわけです。
災害の
弔慰金は恩恵的、恵慈的な金だ。気の毒だから出しましょうということ、責任を感じて出すのじゃない。そういう発想が転換されなければ
被災者は、そして
雪国は永久に救われないのじゃないのか。十三人の
人たちが死んだ。死んだが、それが単に死んだのじゃなくて、犬死ににならないように
政府の、政治の大きな転換がなされればこの十三人の生命は生きていくだろう。そういう政治がなければならないのじゃないのか。
しょせん、私は、きょうは答えを求めてはおりません。物の発想を、先ほど宿命から宿題へと言った。政治の宿題と言った。それは政治の、
政府の物の考え方を根本的に直さない限り始まらないのじゃないのか。だから、私はさっきから、なぜ根拠法がないのか。根拠法がないということ、そのことは何だ。地質や何かいろいろ変わるなんてさっき
局長は言ったけれども、地すべりは土質などはみんな違いますよ。家は金を借りなければ建てられない。家がつぶれた。金を借りなければ建てられない。だが、返す力がない。それでどうするのか。いろいろ融資があります。融資などと言っているのじゃない。融資は金を返せる者が借りるのです。返せない者は一体どうするんだ。しかし、そこには、私がさっき言ったように、幾つかの補償の方法があるじゃないか。そのことが直ちに生きるかどうか知りませんよ、
検討しなければならぬことでしょう。しかし、そういう知恵が回ったっていいじゃないか。一番苦しんでいる者をなぜ救えない。そのことの
基本は何か。そのことの
基本は、国に責任のあるものは補償するけれども、責任のないものは補償しないという。しかし、先ほど言いましたように、犯罪
被害者等給付金支給法はそういう思想を入れておる。財政的に言うと、確かに今
市町村は、
災害が起こったときには大体国からいろいろな面で面倒を見てもらっておりますことを感謝しております。これからなすべきことは一体何か。個人
災害はどうするか、そこに国が責任を負うか負わぬか、責任を感ずるか感じないか、このことがまさに焦点になるのだろうと思うのです。
そういう観点というものは、私は、きょう答えが得られるとは思っていません。けれども、そこは
白川さん、同じ
雪国の中で雪の中の苦しみを知っている者、あなたの政治生命にかけてこのことをやると約束していただけませんか。