○
榎本委員 ただいま
建設大臣それから
道路局長から大変積極的な御発言を賜りまして、非常に感激をいたしておるわけであります。
国土庁長官、そういうことでございますから、ぜひひとつ
四全総の中に組み入れてくださいますことを強く要望を申し上げたいと思う次第であります。
大臣、どうぞ。よろしいです。
最後に、
国土庁の事務当局の
局長に
お尋ねをいたしたいのでありますが、これはいささかそれぞれ
意見の異なることもあろうかと思うわけでありますが、
国土計画というものは、私なりに素人ながらに
考えておりますことは、やはり全
国土的な
観点から
考えていくという一面が、これは一面というよりもこれが
主要部分だろうと思うわけでありますが、もう
一つの面は、中央におってはわからないような、それぞれの地方地方の住民の切なる夢と願望というものもこれまたあわせて解決してやる、実現させてやるという二面的な
考えのもとに進めていただかなければならぬのじゃないだろうか、私はこのように
基本的に
考えておるわけであります。先ほど
国土庁長官から非常に謙虚な一番当初のごあいさつ、発言がございましたのですが、私は、やはり全
国土的に見た場合の
日本の
国土開発というものは、
それなりの評価をいたしておるわけであります。
例えて申し上げますならば、最もわかりやすい例を挙げますならば、
日本列島、北から見まして北海道、本州、四国、九州という四つの島といいますか大陸といいますか、大陸にはならぬわけでありますが、これがまさに半
世紀を待たないで陸路で結ばれたなどというものは、私はすばらしい民族の快挙だろうと
考えておるわけであります。それは、今の
時点で
投資額に見合うような
それなりの効果が上がったとか上がらないとか、それは別問題でありまして、やはりそういう民族の夢と願望というものがわずかの期間でここで達成されたなどということはすばらしいことだ、私はそう思って、全
国土的に見た場合の
一つの
国土のあり方というものに対しては、
それなりの評価を私はしておるつもりなのであります。
しかし、もう一面の各地方地方への、特に
四全総の中で、三全総の中にもございましたのですが、いわゆる各
地域がそれぞれの創意工夫と
地域特性を生かし云々という、まさに個性のある豊かな
一つの
地域のあり方というものを
考えますと、これまでのような単なるメニュー方式的な、国でこういうふうな事業がありますよ、あなたのところには学園
都市をあげましょう、あなたのところにはテクノポリス
構想をあげましょう、あなたのところには何をあげましょうというこれまでのメニュー方式化されたものではやはり特性ある地方の、
地域のあり方というものにはならぬのじゃないだろうかと私は原則的に
考えておるわけであります。
それは、確かに地方の区域区域の
地域分担の役割という面からいいますならば、これは否定するわけにいきません、それも大いに必要なことではありますけれ
ども、本当にその
地域の住民が、ここに生まれ、育って、そしてここで一生を終わるということを最大の喜びとするためには、それだけでは足りないのじゃないだろうか。いささか表現が難しくて表現ができないのですが、私の足りない表現で申し上げますならば、
日本人の心の回帰といいますか、その
地域地域の住民の心の回帰といいますか、そういうものに触れる
地域開発というものがこれからなされなければならぬのじゃないだろうかな、また、
国土庁がおっしゃっておりますところのいわゆる特色ある
地域のこれからのあり方にはならぬのじゃないか、これまでのメニュー方式の、
地域にそれだけの
地域分担を与えたからそれで
地域の特色ができるんだというだけではならぬじゃないだろうかと私は
考えておるわけであります。私は、これこそ二十一
世紀に向けての最も大切なポイントだと
考えておるわけであります。
これは
一つの例でございまして、すぐにここで
お願いをするというものじゃありませんが、
自分のところの
山形県を挙げて悪いのですが、
山形県というところは、
国土庁、
建設省の方々は存じ上げておりますが、一般の方は余りわからないと思うのであります。
東北地方というと、表
日本と
裏日本というのは蔵王の尾根で分かれておるぐらいにしか思っておらないだろうと思うのでありますが、
山形県の地形を申し上げますならば、蔵王連峰よりももっと高い山脈が県内の真ん中に、いわゆる東西に遮っておるわけであります。いわゆる海岸地方と
内陸地方というように遮っておる。その中の一番の霊峰は月山という、森敦の小説に出てくる月山でありますが、私は、この月山というものは、かつては
山形県の
歴史、伝統の中に、本当に住民の中に生きてきた山であろうと
考えておる。
なぜかといいますと、私が経験したわけでありますが、私
どもそれを眺めている、裏表から眺められるわけでありますが、十五歳になりますと、白装束に身を固めまして月山、湯殿山、羽黒山という三山参りをさせられる、まさに元服の式典であったろうと思うのでありますが、そういう長年の風習といいますか因習といいますか、これは、やはり
山形県内分け隔てなく、海岸地方の住民も
内陸地方の住民もそういう風習、伝統の中に生きてきた。
〔
委員長退席、谷
委員長代理着席〕
ところが、世の中がだんだん進みますと、そんなことをやる人はだれもいない。逆に、月山という
山形県の中に南北に横たわっている山脈によって全く分断、今では
経済交流もない。人の
交流も、新潟県の方に行った方が早いとか
秋田県の方に行った方が早いとかという海岸地方の住民の
生活であります。世の中が便利になればなるほど、先ほど申し上げたいわゆるふるさとへの回帰、人間の心の回帰といいますか、そういうものがだんだん失われてきた。私は、そういう点に焦点を持った
考え方がこれからの
地域づくりにならなければならぬと
考えておるわけであります。
私は、どこの偉い人の前でも言うのですが、月山を一またぎする乗り物をつくろうじゃないか。今の
日本の科学技術の粋を集めますならば、たかだか、二千メートルありません、一千九百八十三メートルしかありませんが、あそこに、昔のように、
山形県民が
一つ心になるようなそういう近代設備、いわゆる心の回帰と近代性をあわせた施設をつくる、私は、まさにそういうことこそこれからのふるさとづくり、地方づくりのポイントじゃなかろうか、こういうふうに
考えておるわけであります。
これは私の
考えで、例に挙げたにすぎませんから、これをしてくれとかこういうことをやってくださいという
お願いを今しているわけじゃありません、例を挙げないとなかなかわかりにくい話でございますから例を挙げただけでございますが、今私が申し上げましたことにつきましての
国土庁の御見解をお聞かせいただきたいと思う次第であります。