○奥野(一)
委員 質問するに当たりまして、若干当惑している点があるのですけれども、それはこの前
防衛庁長官の方から所信表明がございました。その中でこの安保
特別委員会や
国会等においては
日本の国情にふさわしい
防衛力のあり方、
防衛戦略体系といった高い視点から論議をしてもらって
防衛問題についての
国民の理解が深められることを願う、こう
長官から述べられているわけであります。また、
外務大臣の方からはこの安保委の皆さんは
安全保障問題に精通されている方々である、こう言われているわけですが、私
自身まだ勉強中でありまして、今も系統的に戦後からずっと調べているのですが、この安保問題というのはなかなか幅が広いわけでございまして、高い視点からの議論ということになりますとどうもそれにふさわしいかどうか大変疑問に思っているわけです。ただ、戦後もうこれで四十一年になるわけですが、私は一貫して非武装中立という立場で運動をずっと続けてきております。そういう面では、私は結党時からの社会党の党員ですから、非武装中立ということでは石橋
委員長よりも若干歴史が古いのではないかと思っている一人でございます。
私の持論というのは、前回の安保
委員会でも申し上げましたけれども、軍備というものは一たん認めますとどうしても際限なく拡大をしていく性格を持っているものだ、こういうふうに感じているわけです。したがって、そういう視点を忘れて
防衛戦略などという論議に入りますと、これはどうしても精度の高い優秀な武器を準備しておかなければならないんじゃないかというふうに行ってしまう危険性があるのですね。そういうような面から考えてみたいとも思っているわけです。
それから
長官、高い視点から
国民に理解を与えるように、こういうことを言っているのですが、実際に
国民はそういう高度な議論を通して
防衛問題についての理解を深めていくということになっているのかどうか、私大変疑問に思っているのですね。それは、例えば
国会審議の中ではもう既に決着がついているんだと一般的に言われております専守
防衛という問題、憲法九条などに関係するようなことですね。しかし果たしてそうなのか。そういうような原則的な問題であっても、完全に理解されているのかどうかということは私
自身まだ疑問に思っているわけなんですよ。例えば確かに
自衛隊の存在を認めるという
国民は世論
調査だと大体八割ぐらい存在しているというふうに承知しているわけです。しかしその反面、それでは今度は逆に
防衛予算というものはどうなんだ、こういう
調査、五十九年十一月の
総理府の
調査などを見ますと、いや現状でいい、あるいはこれ以上ふやしては困る、その二つを足せば七一%にもなっているわけなんです。そうすると、
国民の皆さん方というものは完全に理解して例えば
自衛隊の存在を八割ぐらいが認める、こうなっているとは必ずしも思われないのですね、今言ったように、一面においてはいやいやもうこれ以上ふやしてもらっては困るんだという意見がまた圧倒的に多いわけですから。ですから、私は決して
国会の議論が先走るとかなんとかということは申し上げませんけれども、
国会が余り高度な高いレベルでもってどんどん展開をしていって、
政府の方ではまたそれによってどんどん解釈を拡大させていくような形の中で
国民は完全に
防衛問題について理解を深めることができるかどうか、そういう
意味では私は大変疑問に思っているわけでございます。
ですから、きょうはそういうような観点から
——今まで
国会の中ではもうその議論は言い尽くされた問題だ、こういうものだと思うのです。しかし、私
自身の性格とすれば自分が
一つ一つ関係者と
質疑をして確認をしておかないと納得しないという性格なものですから、今までの議論の中ではもう卒業しているという問題かもしれませんけれども、二、三少し原則に戻ってお尋ねをしていきたいと思っているわけでございます。
一つは、今申し上げました憲法九条との関係でございます。
これについては
政府の統一見解というものを今までずっと読ませていただいてきております。率直に言って、憲法制定の当時から比べると解釈は物すごく拡大をされたなという印象を持っているわけです。
政府の統一見解ということになりますと、憲法九条の関係、いわゆる自衛権の存在の関係については鳩山内閣のときの統一見解というのが出ているわけでありますけれども、独立国だから自衛権はあるんだ、したがって国土を
防衛するために必要最小限度の軍隊を保持することができるんだ、これは憲法の前文を初め全体の
趣旨に照らしてみて明らかだという
答弁などもあるわけでありますが、私は頭が悪いせいか憲法の前文なりを読みますと決してそういうふうに、なるほど軍隊というものはある程度持たなければならないんだというふうにはどうしても受け取れないのですよ。
これは今さら申し上げるまでもありませんけれども、憲法制定当時の経過というのを今考えてみますと、あの悲惨な第二次大戦を経験した我々
日本国民とすれば当然すべての戦争を放棄する、こういうところから始まったと思うのですね。そして「恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸
国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」これが前文にあるわけです。これは何を
意味するかというと、私は平和外交あるいは中立外交の精神だと思うのですね。いわゆる武力によらない、力の均衡によらない平和外交なり中立外交というのがこの憲法の精神だと思っているわけなんです。これは憲法制定当時のいろいろな資料というものにも目を通してみましたけれども、今さら申し上げるまでもないと思うのです。当時マッカーサー・ノートというのが出されて、その中ではいわゆる、今言われている自衛のための軍隊だって持つことはできないということは明確になっているわけですね。その後マッカーサーの草案が出されたりあるいは三月二日案なんというのが出されたり憲法改正の草案あるいはまた改正草案、改正案、あるいは帝国議会における修正案、こういう経過を経て現行憲法というのが制定をされてきているわけです。
この第九十帝国議会の議事録を見ましても、当時の吉田
総理はそのことについてはきちんとはっきり答えているわけですね。それは自衛のための軍隊を持つことはできないんだ、一切の戦争というものは、交戦ということについては否定をしているんだ、こういうことを明確に述べているわけです。
特にこの中では、当時の共産党の野坂参三さんが、戦争には侵略戦争とそうでない戦争があるんだ、侵略戦争は放棄してもいいけれども、正当な戦争まで放棄するのはけしからぬということで
反対の意見を述べているわけです。それに対して吉田
総理の方では、従来正当
防衛という名前で戦争が始まってきたのだからそのこと自体もだめだ、それが今度の憲法の
趣旨だということを明快に当時答えているわけですね。
なぜ私はこんなことを、皆さん御承知のことを長々と申し上げたかというと、最近の
防衛庁当局あるいは
政府のいろんな解釈をずっと聞いてきておりますと、憲法制定当時から比べると非常に拡大をされてきたな、どうしていつの間にこんなに拡大をされてきたのだろう、そういう心配があるものですから、私は今そう申し上げたわけでございます。
そうして、今までこういうふうに拡大解釈をされてきたことが、では本当に
国民は理解をしてそれに合意を与えているのかということなんですよ。例えばシーレーンの問題にしてもあるいはOTHレーダーなんかの問題にしても、
国民はそのことについて理解をしているか。
防衛庁としては、
国民は理解をしている、
国民の合意を得ているというふうに自信を持って言えるかどうか、そのことをまずお尋ねをしておきたいと思うのです。