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佐藤(誼)
委員 今の、信念、
教育観が主義、
信条や
価値観に
関連あるのかどうかと聞いたら、あなたはいみじくもよいとか悪いとかという
言葉を使ったでしょう。よいとか悪いというのはそれ
自体が
価値判断の問題であり、その本人の思想、
信条にかかわっていることはだれしも常識でしょう。しかも、どこかでつながっておるということはあなたは認められておりますから、そういう個人の主義、
信条や信念やそういうものにかかわることをこの
陪審制度で取り上げられていったら、これは大変なことになると思うのです。あなたは全然無
関係だとは言っていない、どこかでつながっていると言っている。しかも、よい悪いという
判断ということも言われておる。そうすると、今申し上げたように、
教師の信念とか
価値観とか主義、
信条までふるいにかけられる可能性が絶無とは言えないわけです。しかし、この
部分が大切なんです。あなたは
問題教師ということで具体的な行動を取り上げて言われておりますけれ
ども、この
制度が生まれたときに、
制度というのは、あるいは法律というのは、残念ながら、生まれますとつくったときの趣旨とか
考え方とかそういうねらいに外れてひとり歩きする可能性を持っておる。ひとり歩きしたときに、今のようなあなたの意思とは直接
関係なく、今のような形で本人の信念や
価値観や主義、
信条までふるいにかけていくということを、これは危険な
部分として考えられるわけです。これは極めて重要、重大だ。このことが私は今日
教育陪審制度の一番大きな問題になっておると思う。
このことについて、時間ありませんから、あなた今うなずいておりますから、
関連して、あなたは今のことについて次のことを言っている。これは十一月十三日の私の
質問に対する
答弁の中で、次のことをあなたは答えているのです。この中で、「そのつもりでありまして、この
教職適格審査会を拡大解釈していくとすれば、
教育委員会の多少気に入らない者とか、
正義感が強くて口返答する者とか、これは限りなく拡大されていくと思いますし、そこまで拡大されていくぐらいなら初めからこの
制度はない方がいいというふうに私は考えております」、こういうことを言っている。今のようなことをあなたはおもんぱかっているわけですよ。主義、
信条やそういうことまで踏み込んで拡大解釈されていく、それは重大問題だということをあなたは言っている。しかし、この
制度が生まれてひとり歩きをしていったときに、あなたがここで今いみじくも言われたように、「この
教職適格審査会を拡大解釈していくとすれば、」という仮定の上に立って
議論されている。しかし、拡大解釈をされていかないという歯どめになるという、このことを断言できますか。拡大解釈されていかないということをあなたは保証し、断言できますか。