○山原
委員 この問題は別の角度から後刻やりたいと思いますので、
警察庁の方、結構ですからお帰りください。
そこで、この
学校に起こったさまざまな
事件について私はちょっと
報告したいと思うのです。私も現地へ参りまして、実際に
被害を受けました
生徒の親御さん
たちにもお会いをしました。また、
生徒自身の作文や親御さんの聞き取りの文書をいただいてきておりますので、その一部を読み上げてみたいと思います。
これは鈴木政彦君の場合でありますけれども、親御さんはこういうふうに書いております。結局、
先生方は、「家に帰りたいために適当なことを言っているのだ」「父母はその手に乗ってはだめだ」ということを一貫して父母
たちに言っております。そのために
子供たちが暴力、
暴行を受けておることが完全に隠されてきているのが実態だということが書かれておりまして、この鈴木政彦君の御両親はそういう言い方が、
リハーサルまでしている。この様な
少年達の必死の訴えをふみにじり、父母への信頼を失なわせる様な
学校教育がまかり通っている。多感な
少年を育成するにはあまりにも乱暴な
教育環境であり、大小の負傷者は相当数あると思われる。
そして、
暴行され心ならずも
学園を去って行ったまじめな
少年達の無念の思いをはらすため、徹底的に
学園の非をあばき、この無神経な
学校運営の事実を広く
世間にアピールして、この
学園への警鐘としたい。
というふうに、これはまじめな気持ちで書かれているわけです。
それからもう
一つ、これは鈴木享君の場合でありますけれども、彼は
暴行を受けまして、こういうふうに書いております。
五月一日から中川原内科で嘔吐が始まり、食欲不振が始まった。内科診断。(二日間ねたきり)
五月三日帰省、朝、内科で栄養剤をもらい
学校まで連れて行った。その翌日
先生に電話で聞きましたら食欲があるとの事でした。(実際には食欲なし)
五月末日から六月初めに第一高校に転校したいと手紙有り。理由として、マラソンが楽でしたからと友達から聞き。
六月十日頃でした。体の調子が悪いとの事、手紙着く。担任の
先生に電話、本人に会わせてほしいと言ったら二度目の電話でOK。
本人と面会した時、体の調子が悪いから家に帰りたいとの事。
先生が健康診断するからと約束して帰る。
二週間位病院に連れて行ってもらえなかった。電話して見ると、
先生が用事があったと言って遅れた。正常との診断。
七月二十九日帰省。
八月一日、浜松の北病院診断、骨の異常に気づく。本人に聞きましたがなかなか言いません。何かなぐられた事なかったかと医者が聞いたが言いません。ころんだと言った。
八月二十四日帰省。本人が泣いて行きませんでした。無理に連れて行きました。
十月十八日帰省の時、手術をするからと言って帰ってきました。それから
日生学園に帰らず。
浜松北病院で手術をやめ、とうとう
学校をやめました。
一月十日でした。初めて、
学校でなぐられたとの事でした。
上級生から親に言ってはいけないと口止めさせられた。その本人の名前すぐに言っていただけなかった。
二月の終りでした。本人、もう
日生学園をやめたからと言って初めて
上級生の名前を言いました。これは、名前は書いてあります。
夜中の十二時に、第一高校転校なまいきだと言って胸をなぐられたと言いました。又、首の所を持って気を失う様な事もしたそうです。マラソンが遅いと足を足げりも何回もあったそうです。
上級生の方から電話があっても暴力はなかったとの事で、親が
子供の事を信用してはいけないと言われました。
こういうことが書かれて、首の骨が突き出ているわけですね。これが図面まで書かれておるわけでございます。
こういうのは
幾つもありまして、鈴木勝己君の場合は、入学三日目から暴力を受け、頭、胸、足首に青アザがたえることなく毎日ありました。決定的と思われたのは、毎日夜になると
上級生かかわるがわる二、三回首をしめて気絶させられたことで、本人も精神的にまいってしまいました。
日生学園での暴力は悪いとも思わないで、むしろ人に暴力を加えることでストレスが発散できるので、善悪も分からないでやっています。
というふうなことで、これは診断書が出ているわけでございます。「縫合処置施行」と書かれておりまして、縫い合わせをしているわけですね。
それから、鈴木典彦君の場合は、リンチの時、入口に見張りをおく。
寮内での床磨きの時、二段ベッドの上から落下傘部隊と称して背中の上に飛びおりる。床みがき中、後からけったり、棒でこづく。風邪で三十八度五分もあり安静と医者の診断を受けたにもかかわらず、マラソンをさせ、たおれて一瞬意識不明となり、同級生に助けられ、宿舎にねかされるも、
上級生にたるんでると無理に床みがきをさせられる。入浴(風呂)は一分でゆっくりはいれない。先輩より少しでも後れるとなぐられる。
ということでございまして、これは親御さんが聞き取りでこう書いております。
子供自身も日生の事は早く忘れたいと言って
関係書類は全部焼却してしまいました。
子供の手記の書き始めに、お母さん、お父さん、僕は
日生学園の敬天寮に此の世の地獄をみた。何の理由もなしにやたらなぐる、ける、床を磨いている二段ベッドの上から落下傘と称して背中に落ち、打撲を受ける。封書はやたらとあけ、都合が悪ければ破り捨てる。どうしてこんな暴力
学校にはいってしまったのか……お母さん早くやめたい、助けて……こういうふうに書いてあるのですね。
この
子供は脱出を図るのですが、これはお父さんが書いております。
私の息子典彦も五十九年四月、日生第二高校に入学、
暴行をうけ、同年五月二十二日に
集団無断離校、脱走のことです。
理由をきくも何もしゃべらず。五月二十三日無理に
学園に戻す。無断離校のリーダーと言う事で一週間の罰を受け、
上級生に首をしめられたり、床みがき中、背中に落下傘部隊と称して、わざと背中の上に落下し、打撲をうけ、此の状態が続けば不具者にされてしまうと
感じ、二回目の単独離校を決意、五月二十九日の夕方、山中に逃げ込み、夜が更けて、近鉄線路伝いに名鉄中川駅まで必死に歩き、名鉄一番電車で名古屋ヘマイカーで迎えにいき、浜松市に連れ帰る。三十八度の熱が十日以上も続き、肺炎をひき起す。
こういうふうに書かれて、これは
警察官の方と立ち会いで事情聴取がなされておりますが、こういう状態の
報告をされております。
それから、永井清人君の場合です。これは実はお父さんが今度
被害者の会を構成されまして、三十数名の親御さん
たちが集まっているのですが、この方はこの問題につきまして
学校に対して非常に丁寧な手紙を出しておりまして、その善処方を求めているのです。これは、
清人は
昭和六十年四月八日貴校に入学し附属寮に入寮致しましたが、入寮早々の同月十五日から、
上級生による所謂しごきが始まり、同月末日頃迄
暴行脅迫
行為が繰り返されました。私は清人からの右事実を聞かされ、同年五月一日、清人を一旦帰宅させると共に、貴校に対し右事実の
解明及び善処方を申し入れを致しました。
貴校はこれに対し、具体的な対策は示されなかったものの、一応の謝罪をなされたので、私は貴校に改善の意思ありと判断して、同年六月三日、清人を帰校させました。
ところが、右当日から再び
上級生のしごきがなされ、以後同月八日に至る迄、連日
暴行脅迫が繰り返され、ために清人は加療約二十日間を要する右大腿部及び同下腿部打撲、右足関節捻控の
傷害を負いました。貴校の
教育理念からすれば当然、右の如き暴力
行為は否定されるべきものと
考えますし、かような状態が放置されるのであれば、
被害者の
生徒のみならず、加害者の
生徒も、より一層人間性を喪失し、共々不幸な結果を招来することとなるものと
考えます。
右の事情の詳細について、私は既に貴校に対し、口頭及び文書をもって伝達しており、再度事実の
解明及び善処方を申し入れておりますが、貴校からは、何等具体的回答が得られず今日に至っております。そこで、本書面をもって、貴校に対し、本書面到達後一週間以内に具外的回答をして頂くよう要望すると共に、右期間内に何等の回答なき場合、然るべき手段を講ぜざるを得なくなることを申し添えておきます。
ということを親御さんは
学校側に通告しているわけでございます。
このようなことはこれ以上申し上げる時間的な余裕はございませんけれども、もう
一つ、これは谷浩久君の場合ですが、
集団脱走をこの
生徒もしております。
親が面倒を見られない
子供を預かっているのだから暴力ぐらいと
先生が住民の前で暴言する。松葉づえの折れたのを
先生が振り回して半狂乱になり県道でわめく。捕まった
子供、K君などは、
先生は足で腹の部分をけり上げる。特に
子供の担任は新任でもあり、
生徒に手をかけることがたくさんありましたと親御さんは述懐されておりまして、このお母さんはこういうふうに書いております。
子供が入学して一ケ月余りたった五月二十一日、担任の
先生から、
学校をやめたい人は
先生に
申し出る様に。
子供は他の二、三人と
申し出たのです。
先生はいきなり「ふざけるな」と大声でいうなり、ゲンコツが鼻にとんできました。余りの力の強さに後によろけ倒れ、左頭を打ちました。その時気を失なったのか、どこで頭を打ったのか覚えていないそうです。
その夜、
子供からの連絡で、面会に来てほしいとの事。面会の許可を得て夜七時敬天寮に面会。その時
子供は口の中を見せて「これ」といっただけでした。口の中はいっぱい切れていました。鼻を殴られた事、頭を打った事、何
一つ親にはいいませんでした。
その夜先輩とお風呂に入ったら鼻血が流れ出たそうです。
その翌日、二十二日、
集団脱走で
子供は家に帰ってまいりました。
こういうことです。
それからさらに、これは
田中君の場合でありますけれども、お母さんが聞き取りで書いております。
昭和五十八年六月十九日腰を痛めて連れ帰る。期末テストに間に合うようにと逃れていく電車の中から足腰が痛み出し、
先生と話し中に激痛となる。足腰はほとんどよくなり、嫌がる
子供を無理に
学校へ行かせる。胃痛と嘔吐のため家へ帰ってくる。その前に
学校で二回血を吐く。これは京都の日赤病院へ入院をしておりますが、仮死状態となっているわけであります。そして、友人のI君が
学校へ行こうと誘ってきて、その夜になって、僕がどうなってもいいのか、死んでもいいのなら
学校へ帰ると言う。そこで恐ろしいリンチのことを言い出しましたというふうに書かれておりまして、彼は一度
学校へ荷物を取りに行くわけです。そうすると、十五人ないし十六人ほど退学、休学で友達はいなくなり、隣の組も同じ状態で、主犯格の五、六人を退学させたと
先生から聞いたのに、その
生徒たちは
学校にいることがわかりましたということを書いてあります。
そのほかに、その後彼は五人でまた脱走するわけであります。つまり五十九年一月十八日に退学届を提出して
学校をやめております。
六月十九日に家に帰った。その日から、午前四時前後になると、痛い痛い、先輩やめてください、許してくださいとうなされる状態が一月ごろまで続いたと書かれております。そして、そういう中でこの
子供たちから聞き取りがなされております。
一晩じゅう殴るけるの
暴行を受けたこともある。おふろに入っても湯を使わせてくれない。リンチのために顔が砕け歯が全部折れた二年生を見たことがある。酒、たばこ、シンナーを拒否するとリンチ。一晩じゅう見張り番、その中でトランプ、花札のつき合い。暑くなってくると衣装缶のふたで先輩をあおぎ続ける。オールナイトアンマーといって一晩じゅうあんまをさせられる。ここから先はちょっと私は言いにくいのです。女子寮のことも書かれておりますし、私自身確認をしたわけでありませんので、これはここでは言わない方がいいかもしれませんけれども、全裸にしてほうきで殴るというようなことも出ているわけです。そして、勉強しようと本やノートを出すと殴られる。夜眠れないために
学校で授業中睡魔に襲われ居眠りをすると、寮に帰ってからリンチを受ける。寮に食事を持ち帰り、においをかがせながら心行をさせられて食べさせてくれない。欲求不満のはけ口として、寮をリングにしてのリンチ。石ころの上に三時間ぐらい正座をさせられる。ニンジンを盗みに行かされた。帰省のときはみんなからお金を巻き上げる。Tシャツを家より持ち出す。金づちで手の甲を二十回ぐらい殴られる。勉強は教室でも進まず、一学期と同じところを二学期も習う。こういう状態。さらに、手紙を書くとき、監視が厳しくリンチのことなどとても書けない。リンゴニケースを盗んできたが、一年生はもらえずビン入りジュースをもらった。二学期は恐ろしくて顔を上げずに下ばかり向いていた。僕も
中学校時代に酒やたばこの練習をしておけばよかったとひとり言を言う。ゴキブリを食べさせられているのを見た。セミやカブトムシを食べさせられた。石ころの多い山道に正座して殴ったりけられたりした。
学校をやめたいと言ったら、
先生が足で教室からけり出した。おまえら人間扱いしてもらえると思ったら大間違いだぞ。おとなしい
生徒はおかまをさせられる。針金、カッターナイフ等があればどんなかぎでもあけられる方法を
下級生に教えて盗みに行かせる。脱走をして暴力団に入り込む人もいる。今度丁が来たら半殺しに遭うだろうと一年生の間ではわかっていたというようなことが書かれておりまして、私はオーバーに言っているのではなくて、こんなことを
子供たちがみずからつくり事で言うはずはありません。
時間をかけてこんなことを申し上げたわけですけれども、どうしてこういうふうになったのか。この
学校はスパルタ
教育では有名だそうです。永井道雄
文部大臣がこの
学校へわざわざ視察にも行っておるわけでして、そういう
意味では
教育における今日の情勢の中でこういうスパルタ
教育が一定の権威を持っているのではないか。だから功労者として表彰されておるわけですね。けれども、どこか狂いがある。これはやはり今の
体罰、
いじめの問題を初めとした
教育の
荒廃の中で、見た目にはすばらしいのですね。朝の五時にこの
子供たちが旗を持ってずらっと並んでいる姿を見ると、こんなきびきびした、こんな規律の正しい
学校があるかと思わず涙を流した、そして
子供を入れてみると
中身はそれと違った状態であったと親御さんは言っておられます。だから、一定引きつけるものを持っているわけです。しかし、こういう状態が続いたら大変なことだと私は思うのです。また、それをいささかでも助長するような、またそれを励ますようなことを我々が言ったら、これまた大変なことになると思うのです。
この
体罰の問題について、これは最後に
文部大臣にも伺いたいのですが、これはもう断固として
教育の場からなくするということを、各党含めてこの
文教委員会でも決意をする必要があるんじゃないかというふうに私は思います。
この間、日刊スポーツを読んでおりましたら、日本の競走馬は国際試合には勝てないと書いておる。なぜかというと、日本の競走馬はいざ競走に向かうと、いらいらしたりあるいは跳んだりはねたりするというのですね。だから国際試合には勝てない。なぜそうなるかというと、日本では競走馬に対してとなったり殴ったり、時にはけったりすることがしばしば見られるけれども、外国ではそんなことは全く見られない。動物も愛情を持って接したときに動物はそれにこたえるのであって、そういう姿は外国ではない、だから国際試合になったら日本の競走馬は負けるということをスポーツ紙が書いておりましたけれども、ましていわんや人間の
子供ですよ。人間の
子供などということで
教育ができるはずはないわけですね。そのことを、もちろんいろいろな理由があると思います、しかも、今四十五名学級で過密学級、これをまず解消しなければならぬわけですけれども、だからといって、現実にはそれがあるわけですから、
子供たちをきちんとさすためにはいろいろな校則もできる、その校則がまた問題になってきて、東京都
教育委員会はこの校則の問題について再び
調査をするということが昨日も
新聞に出ておりましたが、校則ができれば、これに従わなければ従わすために武力をもって鎮圧する、それもやむを得ないのじゃないか。また、親の中には、少しはうちの子は殴ってでもきちんと教えてくださいという気持ちがあることは事実です。でも、
教育に
関係する者がこの問題ではきちっと意思統一をしていないと、そういう理由をつけて
体罰が行われるということになりますと
荒廃は一層大きくなってくることは火を見るよりも明らかなところです。だから、この点では、本当に
体罰を一掃するという決意を持つ必要がある。それと同時に、
教育条件の整備を責任を持って国政はやっていくということが今問われているのではないかというふうに思うわけでございます。
一つの
学校の例を挙げて大変恐縮な思いもするわけですけれども、これほど出てきた以上は、これを等閑視することはできません。ましていわんや、十二年前にこの
学校とこの
校長先生が起こしたあのリンチ殺人
事件ですね。しかも、その前から
暴行事件があって、また
暴行事件明るみにということで、しかも
校長先生はこれでほとんど反省をしていないのです。言いわけはしておりますけれども、一人の
子供が殺されたという
事件に対してほとんど責任ある発言をしていないということが今まで放置されたところに、今回このような問題が再び明るみに出てきたのではないかというふうに思いますと、この際、ぜひこれは
松永文部大臣の
見解を伺いまして、総力を挙げて
体罰を征伐するというくらいの決意で臨む必要があるのではないかというふうに私は思いますが、この点について
文部大臣の
見解を伺っておきたいのです。