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竹下国務大臣 非常に難しいところでございますが、きょうが寄りつきが二百三円九十銭で、九時半現在が二百四円十銭、この程度でしたら、普通の場合、
言葉のあやという
言葉があるように、あや戻し、こんな
言葉で使っておりますので、その背景に何か大きな
経済的な変動の背景があるというふうには思っておりません。
確かに、九月二十二日にG5をやって、二十二日からいわば
ドルが他
通貨に対して安くなっていく。
日本の場合は、二十三日が旗日でございましたから、二十四日から始まったわけであります。今日の状態は、私はまさに自律的に市場が相場を決めておるというふうにこれを見ておるわけでありまして、
各国のファンダメンタルズが為替相場によりよく反映されるようになってきておるんだというふうに評価しておるわけであります。一般にどのような水準が適正な為替相場であるかということは非常に難しい問題でございますが、具体的水準は市場の合理的判断にゆだねざるを得ないわけでございます。
きょうはフリートーキングという
感じでございますのであえて私自身も若干乱暴な
お話をするといたしますと、ちょうど一九七一年、
昭和四十六年に
ドルの兌換性が停止されたときに私は内閣官房長官でありました。それでしばしフロートして、それからスミソニアン・レートというもので三百八円に固定されて、そのときは
大蔵大臣は水田三喜男
先生で、私
どもは関心がありますから、関心があるというよりはむしろわからぬといいますか、知識が乏しかったから、その知識を吸収しようという
意味において関心がありますから、横目で眺めておりましただけの立場でありましても、やはり相場というのは市場が決めるべきものだということで変動相場制というものに落ちついたわけですから、何か介入ということも、人為的に悪いことしているとは
思いませんが、
余り欣喜雀躍してやるべきものじゃないという印象が私自身にもございます。
それで、いささか
お話が長くなって申しわけありませんが、ちょうどシュルツさんがその後の変動相場制がいよいよ確定するときの財務長官でありました。したがって、シュルツさんも恐らく気持ちの中では——あの変動相場制のときに参加した人はみんな何か市場至上主義みたいな
感じになりがちでございます。しかし、いろいろな
議論をした結果、G5で
協調介入というような時期としてそれをとらまえたわけでございますから、そのことはみんながもやもやとした気持ちじゃなしにすっきりした気持ちで対応したわけでありますが、今の段階は、私は自律的に市場が機能をしておるというふうに思っております。
そこで、やはりいわゆる乱高下というのが一番いけませんので、秩序ある
ドル高是正、こういうのが定着していくことを心から期待しておるということが、我々の答弁のある
意味において限界ではないかなというふうに考えておるわけでございます。したがって、特定の水準というのを考えているわけじゃございませんが、もとより
政府としては、為替レートの
動向がいわば
国内経済に及ぼす
影響ということになりますと、
先ほど来四業種の点についての御
議論もあっておりましたが、絶えず大変な注目をしていなければならぬ問題だという
問題意識は十分持っておりまして、先般も中小企業対策というのを一応決めたわけであります。
もう
一つ、幾らか自分自身少し粗っぽい
議論のようですが、心配しますのは、
円高の場合でも堂々と競争力のある企業というものは御
指摘なさったように我が国にあると
思います。それが仮に今度受けとめる側の方で、いわばそういう相場の変動にもかかわらず価格が全く変わらないということはダンピングじゃないかという懸念を持たれることがあってもこれは困ることになりはせぬかな。そうすると、ある程度競争力のあるものがさらに値上げをする余裕、余地が出てきて、しかも割り当て
物資などは、制限
物資などは値上げしてもなお競争力がある。だから、そういうことになると貿易バランスの上では一向
改善されない場合もあるし、その辺一体どういうふうに対応していいのか、素人ながら、それぞれの産業別に指導しておられる通産省などとも
協議しながら、今のところ私は私なりに興味を持って非常に注目しておるというのが
現状でございます。
それともう
一つ、
先ほど来御
議論いただいておりますが、十二月になったわけでございますから、何だかんだ言っても来年の
経済見通しをあと二十日ぐらいのうちに一応めどを立てなきゃならぬということでございますので、それぞれのセクションで今勉強しておりますが、
経済企画庁を中心にすり合わせをやるような時期もそう遠くなくやってくるのじゃないかというふうに私も思っておるところであります。