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公述人(楠山三
香男君) 楠山でございます。
ちょうど一年前まで新聞社の現場におりまして、
教育行政の推移を見たり、あるいは団体の動向を追いかけたり、それから現場に伺っていろいろな実践を見せていただいたりというようなことをやっておりました。今日までもそういったことはある
程度引き続いているわけでございますけれ
ども、そういうことで、割合新聞社の中では長くそういうことをやっておりましたので、そんなところで見聞いたしましたりあるいは考えましたことをもとに、六十年度の
予算案のうち文教
関係の部分につきまして私の考えますことを二、三申し述べたいと思います。
ことしの
文部省の
予算というのは
一般会計で四兆五千七百四十一億二百万円でございますか、これは昨年よりはちょっとばかり、〇・〇三%ふえたということでございますし、国の
一般歳出三十二兆何がしというものと
比較いたしますと、そのうちの一四・〇四%、この方でも〇・一%ばかり五十九年度よりはふえているということで結構なことだと思うのでございますけれ
ども、こういうものは多々ますます弁ずるというところがあるわけでございますから切りがないわけですけれ
ども、しかし
財政逼迫というようなことの中では、まあまずまずということなのではなかろうかというぐあいに考えます。
そういう
意味では、基本的には
方向として支持できると思うのでございますけれ
ども、さらにもう
一つ突っ込んで考えてみますと、この中に、今は
教育の問題というのはさまざまな形で問題になって、臨教審というふうなところでも御
議論が行われているわけでございますが、そこに示されますような現状の問題点というようなものの解決への姿勢というのが幾らか見える、そういうものが盛り込まれているということが
一つ。もう
一つは、やっぱり近ごろ二十一世紀までどうというような話が非常にあるわけでございますけれ
ども、そういう将来へ向けての展望を開くようなものも含まれている。そういった面からも今度の
予算というものをある
程度評価することができるのではないか、そういうぐあいに思うわけでございます。
まず、そういいましても、これはいつも問題になることなんでございますけれ
ども、
文部省予算のうち非常に人件費が占める部分が多い、つまり義務
教育関係のことでいきますと約五三%でございますか、半分を超えてしまう、これはしょっちゅうそのくらいの
数字を前後しているような形でずっと推移していると思うのでございます。
〔
委員長退席、理事梶木又三君着席〕
それからさらに国立学校の特別会計へ
一般会計からも
支出をしているわけでございますけれ
ども、その中に国立学校の先生の給料が入っているわけですが、それをも加えますと、
文部省の
一般会計予算のうちの七二・八%は人件費が占めているということになるわけで、そうすると、あと残りの部分というのは甚だ窮屈で、その中でさまざまなことをやりくりをしなければならない、文化の問題もやらなければいけないしというようなことがあるわけでございます。
そこで、やっぱり人件費の問題というのは考えなければならない大きな課題はあると思いますが、これは
文部省だけのことではなくてさまざまな省庁にも及ぶことでございましょうし、私はそこに深入りはいたしません。ただ残りの部分についてどうするかということを考えながら、同時に今の問題にも及んでいくというようなことになろうかと思います。しかし、人件費が多過ぎるということが非常に悪いことのように考えるのはおかしいわけで、
教育は人なりということをよく申します。私はそこに尽きるだろうと思います。さまざまな施設設備、それからそうした
条件というものを整えることももちろん必要でございます。そういうことをしなければなりませんけれ
ども、仮にそういうものができたとしても、そこに実際に子供と接触をされる先生方というものが非常に豊かなお気持ちで、そして進んで子供たちを導いてくださるということがなければならないわけで、そういう
意味ではとても大切なことだと思うのです。ですから人件費というものを何か非常に邪魔者扱いにするような姿勢をとってはいけないだろうと思います。
そこで、しかし今回の場合、
教育は人ということにかかわりのある、さっき申し上げました、
現実の問題をある
程度解決に導くことにも役立つだろうという
予算が、これは復活でございますけれ
どもついた。つまり四十人学級というものの計画というのが三年間凍結をされていたわけですけれ
ども、それが再開をされた。これは五十五年から十二年計画で今の学級定員が上限が四十五人であるものを四十人にしようという計画が始まったわけでございますけれ
ども、二年間にして
財政問題から三年間の凍結を見ている。今度その凍結が解除になるのかどうかと私なんかも外側から眺めてというか、どうなるのかなと思って見ておりましたら、とにかく再開をするということに決まったので非常に安心をしたわけでございますけれ
ども、これも予定どおり六十六年度までに一応計画を完了するということで至極結構なことだと思います。
これはよく言われることでございますけれ
ども、学級単位に物を考えることがいいかどうかというのはまたいろいろあろうかと思いますけれ
ども、とにかく
一つの先生の数と生徒の数の
関係ということをとらえるのにこれは学級という単位でとらえているわけでございますけれ
ども、その場合に、現在は四十五人という枠の中ですと大体小学校で三十三・七人、中学校で三十七・五人、これは一学級当たりの人数でございますけれ
ども、これを先生一人当たりというようなことにいたしますと二十二人、生徒が小学校の場合には二十五人ですし、中学校の場合には十九人というようなことになるわけですが、これが多いか少ないかというようなことは非常にまた
議論が分かれますけれ
ども、とにかく先進諸国の中では余り少ない方ではない、多い方であるということは紛れもないことでございます。
数字は省略いたしますけれ
ども、そういうことになっています。
それはどうしてこれが必要かと申しますと、やっぱり今学校の先生たちの
世界では一斉指導、つまり子供たちをまとめて一斉に指導するという、それから個別に指導するという、そういう両方の
側面があるわけでございますけれ
ども、
日本では非常に一斉指導というのが上手であった。それが明治以来伝統的に
日本の
教育の水準というのを高めることに非常に役に立ったということが言われているわけですけれ
ども、しかし、今日の中では、やっぱりその一斉指導が全部先徒を見ないというわけではありませんけれ
ども、生徒一人一人を見ていくということをもっとやらなければいけない。指導の個別化というふうなこともしきりにこのごろ言うわけでございます。
それと同時に、今度は生徒の方、学ぶ方の側からいきますと、学習の個性化というふうな言い方もこのごろよくされます。つまり極めてそれぞれの個々の個性に応じた形で勉強していく。そういう両々相まつことが必要なんだろうと思いますけれ
ども、そういうことを実現していくためにも、やはり先生お一人当たりの生徒の数というものがある
程度のものである、余り多くない形であることが望ましいのは当然なわけで、そういう
意味でこの四十人学級の再開というのは大変喜ぶべきことだと思う。こういうことが結局今の問題行動とかあるいは学力不振というようなものを改めていくのに、
現実的に改めていくのに役立つということになることを信じます。そういう
意味で、これは問題点の解決に寄与する
予算であったということが言えるかと思います。
そこで私は考えますのに、文教
予算というのをこれから考えるのに、学習者、学ぶ方の側の立場から見直してみる、学ぶ方の側にとってはこの
予算はどうであるかというぐあいに考えた方が、それが
一つの視点ではないかというぐあいに思うわけです。
そういうことを思いますと、次にちょっと簡単に触れたいと思いますけれ
ども、
私立学校の
助成の問題でございますけれ
ども、今幼稚園から
大学、それから専修、各種学校というものも含めまして大体学校の名のつくところに通っているのは二千七百七十二万人ということになるわけでございます。大体総
人口の二三%というようなことになるわけでございますけれ
ども、これに先生などを加えれば大体二五%、四人に一人は何らかの
意味において学校
関係者というようなことになるのだろうと思います。そういう
意味で文教
予算というのを見るという見方も
一つあるかもしれない。
文教
予算は学校
予算ばかりではございませんけれ
ども大部分でございますから、そういう見方もあるかと思います。
そこで、今は生徒の側だけ見ますと、この二千七百七十二万人のうち
私立に通っている生徒というのは二一・四%になるわけで、これは全部を平均した数値でございます。幼稚園だけで見ますと七四・八%、それから高校は二八%、短大が九〇%、
大学が七五%、
大学院が三四%、専修学校九二%、各種学校九八%というような
数字を並べましたけれ
ども、平均しますと二一%ですから、学校に行く者の五人に一人は
私立に通っているということになるわけです。そうすると、
私立の学校の問題というのを、ただあれは健学の精神をもって勝手にやっているのだからというわけにはいかない。現に、そういうことで四十五年からは、
助成というか、経常費
助成というものが始まって、年々ずっと
伸びてきていたわけですが、これも
財政の問題というふうなことから、一昨年か昨年あたりから
伸びがとまり、さらに減りという形で、今回それが五十九年度と同様な額が査定をされているということは、まず、ひとまずということでございますけれ
ども、よかったのではないかというぐあいに思うわけです。
これもいろいろと考え方があろうかと思いますけれ
ども、今の経常費
助成、学校という機関に補助をしていくのがいいのか、それからその学生に個人的な補助をしていくのがいいのかということにもその問題があって、これはもう要するに私は学習者の側からということから考えると、やはりひとつこれから考えていくポイントがあるかなという気がするわけです。
次に、もう
一つは、将来に向かって前向きなことの例といたしまして、留学生の問題を挙げたいと思います。これは今留学生は二十一世紀の初頭に十万人にしようということで計画がいろいろと進められている。そういう中で、ことしはその初年度ということになるのでしょうか、それへ向かってさまざまな計画が今実際に机上プランとしてはでき、そして準備を整えているところのようでございますけれ
ども、そういうことを反映いたしましたのか、とにかく今度は昨年、五十九年度より留学生
関係の
予算が一三・一%ふえて初めて百億円の大台に乗った、百億五千八百万円ということになったようでございます。これは留学生
関係の
予算としては画期的なことのようなんで、これからどうなっていくのかということは、計画が滑らかに進むかどうかということともかかわりがありますけれ
ども。
今、留学生というのが大体一万二千四百十人というのが、これ五十九年の
数字でございますけれ
ども、いるわけでございますね。このうち、国費留学生というのと私費留学生といるわけでございまして、それから、学部に行っていたり
大学に行っていたり、いろいろするわけで、国費の留学生の数というのはそう多くはないわけでございますけれ
ども。ここで注目しなければならないのは、専修学校、専門学校と申しますか、つまり高等学校を卒業して行く
程度の専修学校、これは専門学校と申しますけれ
ども、ここへの留学生の志望というのが最近著しくふえた。昨年の、五十八年の場合に比べますと倍になっているんですね。五十九年度現在千六百五十六人、専修学校、あるいは高専もちょっと入っているのでございますけれ
ども、行っているというような
状況になっているわけです。
そこで、専修学校というものがなぜ注目をされるのかというようなことから、ややわき道にそれますけれ
ども、そこにも、文教
関係の
予算をどう考えるかというようなときに考えていかなければならないこれからの
一つの大きな課題があるのではないかと思います。これは五十一年からでございますから、ちょうど制度が発足して十年たったわけでございますね。そして、ついでに申し上げますと、高校の昨年三月の現役卒業生の場合、一〇・五%が専門学校に行っているわけです。現役だけに限りますと
大学短大合わせて二五%ぐらいでございますから、そしていわゆる浪人を含めた
進学率ということでいきますと三五%ぐらいになるんでしょうか。ですから、その両者を合わせますと、もう五〇%近くが高等学校を終えた後もさらに上の学校で勉強しているという実情もあるわけです。そういう中で、五〇%弱の中で一〇%ぐらいを、もうちょっとになりますか、過年度の卒業生もあると思いますから。だから、それも
高等教育というぐあいに考えますと、かなりな地歩を占めている。これも注目点の
一つではないか。留学生の話のついでに脱線をいたしましたが、そういうこともある。
そこで、留学生に戻りまして、そうやって十万人にしようというときには、大体国費留学生が一万人、それから私費留学生が九万人、合わせて十万人という計算をしているわけですね、計画の上では。そして今度は
大学、学部というような別に見ますと、
大学に二、三万人、学部に六万人、それから高専、専門学校といったようなところに一万人というような計画を立てているんですが、この今の推移から見て、もし専門学校に人気が集まってきますと、一万人どころではなくてもっとふえていくことになるかもしれないということも考えられる。
そこで、その十万人計画でございますけれ
ども、問題は、もちろん学校個々の受け入れ体制ということもあるわけでございますけれ
ども、宿舎の問題というが非常に大きいようでございます。というのは、
一つはやっぱり留学生そのものに対して、それを十分に受け入れる土壌というようなものが我が国の社会の中にないというようなこともあるかもしれません。そういう
意味で、それは実は非常に重大なんで、留学生というのが、国際交流と申しますか、お互いにお互いの国が
教育研究を高め合うというような
意味合いにおいて非常に進められるべきですし、それから
発展途上国というものに対しては、そこの人材養成というのを
日本がいささかお手伝いをするというような
意味においても重要なわけでございますけれ
ども、問題は、そういう計画を立てて呼び入れるような体制をつくっても、それを本当に心をもって迎えられるかどうかということが問題だろうと思います。
ですから、これはやはり政治家の先生方にお願いをして、かなりそういう
意味でいろいろと大きく
一般的な広がりを持つようなことをやっていただくというようなことをお願いしたいような気持ちが私はあります。要するに留学生をふやそうというのは、やっぱりやや暗いような感じの中でもって、前向きな夢とロマンというような言い方をするとややセンチメンタルであるかもしれませんが、そういう要素を持った計画で、私はもう少し
一般的に広げた形でもって考えていきたいというぐあいに思います。
それから最後にもう
一つ、科学研究費というものは、前向きなものとしてはこれは着実に伸ばしているというところがあるわけです。今六十年度の場合には四百二十億円ということになっております。それはそれで結構なんですが、どうも、額は幾らかずつずっと
伸びてきているんですけれ
ども、それに対しまして今度は採択する課題でございますね、課題の数というのが余りふえてこない。つまり学者から申請があって、それを学者、先生たちの審査があって、そうして何がしか限られた中で決まるわけですが、最終的に決まる採択の課題数というのがどうも十分に
伸びていない。これはやはりそれぞれの研究にお金がかかるというようなこともございましょう。まあいろいろな
条件が大型化していくというようなこともあると思うのでございますけれ
ども、そういたしますと、やはり
伸びてはいるけれ
ども課題件数を伸ばすということについてはいま
一つ貢献が足りないということで、この辺ももう少し大切な基礎研究のことでございますので考えなければいけないのじゃないか。
そういったような
幾つかのことをピックアップして申し上げたわけでございますけれ
ども、私は、繰り返しますけれ
ども、やはり打ち出の小づちがあるわけではないので、限られた中でいろいろしなければならない。それから人件費の問題というのはもう少し広い懐の中で考えていかなければならない問題だろうと思う。そしてその限られた中でどこに何をどう使っていくのかということについてはもっともっと工夫が必要でしょうし、むだなものは省いていくということもこれからは必要なんだろうと思います。
そこで、それを考えていく
一つの視点として、さっきから繰り返し申し上げておりますけれ
ども、
一つは学習者の立場と申しますか、そういう面から考えていく。それを別の言い方からしますと、自分で
責任をもって同時に自分の学習というものを進めていく、そういう意識というものを育てていくということも必要なんじゃないか。つまり何か形をつくってそこに与えていく、そしてそこに来なさいという形じゃなくて、自分がやっぱりいろいろとぶつかりながら
伸びていくということをやるような、そういうことに水を向けるような
予算というものが考えられないだろうか。そういう姿勢で
教育予算というのも見直してみてはいいのではないだろうか、そんなぐあいに考えます。
ですから、二十一世紀を生き抜くなんということがよく言われますけれ
ども、それはすなわち学習社会を生き抜くということでもあろうかと思います。そのためには自己学習力といったようなものをつけていく。つまりそのための
教育費というのが必要
経費であるというぐあいに私は考えるものであります。
時間が参りましたのでこれで失礼いたします。どうもありがとうございました。(拍手)