○飯田忠雄君 それでは、要領得ませんけれ
ども、次に進みますが、ポツダム宣言というのを日本は受諾いたしました。それで、ポツダム宣言受諾下における日本の政治、行政、
司法、立法、こういうものはいわゆる進駐軍あるいはGHQの利益に反するような方向では行うことができなかった。一切GHQに相談をいたしましてGHQの利益に反しないような立法、行政、
司法が行われたというふうに解せざるを得ないのでございますね。主権者はGHQですから。
そこで、私、実は当時いろいろな問題に出くわして、占領下における行政、
司法、立法というものの現実を見てまいりましたが、今ここでそれを述べようとは思いません。ただ、今回の今申しました平沢の関与した帝銀
事件というものにつきまして、当時警視庁が捜査を行いました重点的な相手はだれかといいますと、これは最近アメリカの文書公開法によりましてアメリカにおける弁護士が文書から拾い出したものがございまして、当時のGHQの文書です。
これはたくさんありますが、その中に一つこういうのがあるんです。それは当時の警視庁の
藤田次郎刑事部長、この人がGHQに呼ばれていろいろ注文をつけられたり、あるいは報告をさせられたりしておるわけなんですが、その中で
藤田刑事部長を呼んで会議を行ったことがあるんです。そのときに
藤田刑事部長が答えておる内容の中にこういう言葉があるんです。効果的と思われる新しい捜査方針を立ててやっている、戦時中に青酸を毒薬として使用するための実験を研究していたのが千葉県の研究所である、そこにおった者を満州に派遣して、いわゆる細菌部隊をつくったわけですが、その
機関に所属しておった人たちがどうも犯人のように思われるので、それに重点を絞って捜査をいたしておりますというわけですね。
「青酸毒薬を用いて帝国銀行で十二人を殺害した犯人のやり口はその軍の研究所が開発した訓練に酷似している。その銀行を検証したある刑事が掴んだ情報によると、その銀行強盗
殺人犯が用いた言語においてすら、その犯人がその陸軍研究所で訓練を受けたことを示すものがある。例えば、犯人が英語で「最初の薬」および「二番目の薬」といったことにより警察は犯人が、青酸を戦争に使用するための実験をしていた軍の研究所で訓練を受けたものであることを確信するに至った。」、これは
藤田刑事部長の報告書ですよ。
「
殺人犯は、毒薬が既に沈殿している故に瓶の中の上の方にある液体を飲んでも安全であることを知っていて、銀行の従業員と同じ瓶から飲んだということを以て、警察は、いっそう適切な捜査方向を辿っていると確信している。」、こういうわけです。それから次に、「椰子から採った油を使って青酸を沈殿させる実験の話があった。」、これは刑事部長の話があったんですね。この文書はアメリカのGHQでつくりまして報告した文書ですから。
次に、「警察が
殺人犯はその軍の研究所で教育を受けたと信じるに至ったもう一つの証拠は、犯人が所持していた器具が研究所で使用されていた器具の形状と似ていることである(戦争終結時に研究所が閉鎖されたので、所員たちは殆ど全員そこの器具を自宅に持ち帰った)。」、こういう話をしているわけですね。それから「
藤田氏は、その研究所の閉鎖前にそこにいた所員に関する情報をノノヤマ元少佐とヨコヤマ元大佐から入手中である」、こう述べておるわけです。
その次に重要なことは「
藤田氏は新聞社が本件の捜査を妨害するので甚だ不都合を生じている」ということを述べまして、GHQに協力を要請している、こういうわけです。このことは、警察は極秘の捜査をやっているのに、警察が捜査しようとするものが全部筒抜けになって、その相手のところへ新聞記者が押しかけてくる、捜査ができない、こういうことでは困るので、GHQの方で協力してくれということは、GHQからそういう情報を漏らして、そういう新聞社でもって妨害することをやめてくれ、こういうことなんですよ。
こういう文書がありますが、これから見ますと、当時警視庁が平沢を犯人として追及しておったんではないのです。こういうことがありまして、たびたび
藤田刑事部長はGHQに呼ばれて、GHQは大変この
事件について興味があるということを何回も言われ、そして、言われているうちにGHQの本当の心がわかったので、警視庁の捜査が知らぬ間に消えていくという事態に相なっておるわけです。そうして、そのかわり一カ月たって急に平沢が浮かび上がって検挙されている、こういう状況です。
当時、ソ連軍とアメリカ軍とは対立しておりまして、日本の細菌部隊は極めて優秀な
技術であって、何としてもアメリカが欲しいということで、これを戦犯リストから外しましてアメリカ軍で秘匿したわけであります。それをソ連が大変しつこくせっついて、これを公開するようにという
要求をしておる。そういう間における問題ですから、そのときにそういう秘密にしておるものを警視庁の捜査によってばらされたのでは、これは困るというのが当時の進駐軍のことですね。これは当時は主権者ですから、主権者は自己の不利になることは一切やらせないということは当然のことでございます。そういう事情において生じた
事件なんです。
それで、実は
裁判記録を私丹念に拝見いたしました。第一審、それから第二審、それから上告審ですね。最初証拠のとり方が非常に今だったら問題になるとり方をしている。例えば、平沢は終始一貫
公判廷で否認しておるのに、証拠としたのは捜査
段階における自白だけなんですよ。捜査
段階における自白だけを唯一の証拠としております。しかも、その自白の内容を裏づける補強証拠というものは連絡が完全についておるという証明なしに採用されておる。
例えば青酸カリを持っておるということを平沢は捜査
段階で白状しました。ところが、それに対して
裁判所では、自白とそれから現実に青酸カリで殺されたという事実があるではないか、それがある以上、これは平沢がやったに間違いはない、こういう論断なんですよ。もう今の
裁判だったら
考えられないやり方をしております。これはなぜかというと、GHQの利益に反する
裁判ができないからです。こういう問題を念頭に置いて私はもう既に新憲法が施行されて長いのですから、もうこの
事件についてのことを
考え直す必要があるのではないかと思うわけであります。
そこで私、御質問を申しますが、この
最高裁のこれは大法廷の平沢
事件についての
判例でございます。この
判例は大法廷の
判例ですから、現在も生きておるのかあるいは死んでおるのかは知りませんが、その後変わったかどうか。刑訴の応急措置法というのがございまして、それの十条の二項
ですか、こういうものに、これは憲法三十八条の二項によく似た規定なんですが、「不当に長く抑留若しくは拘禁された後の自白は」「証拠とすることができない。」と、こうあるんですよ。これにつきまして、不当に長い抑留、拘禁というのはどのぐらいの抑留、拘禁を言うのか。これはしっかりとした一つの
基準を設けておかなければならぬ問題でございますが、これについてどうもこの
最高裁の大法廷の
判決の御
判断は明確でないんです。
どういうふうにしておるかというと、
検察官が一カ月連続的に三十回にわたる取り調べをやっても、それは差し支えない、それからこれは別件逮捕ですが、甲の
事件の
被告人を
検察官が乙
事件の被疑者として約三十九日間五十回にわたり取り調べをしたからといってそれは違法ではない、こういうような
判断なんですよ。そうすると、不当に長いというのは一体どれだけを言うのか。三十九日間五十回もやっても不当に長いものと言えないとすると、それではどのぐらいですかと、こう言わざるを得ないわけですね。これは憲法上の基本的人権の保障の問題ですから、そういう問題を明確にしておくことが必要であろうと思います。
そこで、お尋ねしますが、
最高裁の法律解釈ですが、不当に長い抑留、拘禁というのはどのぐらいの
期間を
考えておいでになるのか、お尋ねをいたします。