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国務大臣(
竹下登君) まず私の分野から言えば、貯蓄率が高いと、こういう問題でございますが、これは先進五カ国なり十カ国なり、あるいはサミットの場で我々
大蔵大臣同士の間ではこれはいつも
議論される問題でありますが、明快に何がその理由がと言われたときに、私は大筋次のようなことを申しております。
一つは、貯蓄率が高いということはこれは
国民性であろうと思います。だが、この
国民性というのはなかなか説明がしにくうございます。子供のころから二宮尊徳先生、勤倹貯蓄というふうなことを習いましたと言っても向こうになかなかわからないことでありますが、しかし悪いことではないという印象は十分受けておると思います。
それから二番目は、老後に対する備えの仕組みというのが日本はやはりほかの国よりもおくれておったではないか、このように申しております。しかし、それも今日の
時点の水準からすればおくれておるとは言えぬではないかと、こういう反論がありますが、そういう慣習が依然として定着しておると、こういうふうに私はこれを説明しております。
それから三番目の問題は、給与体系がいわゆる十二分の一でなく、十二カ月の給与のほかにボーナス比率が非常に高いと。例えば公務員でも四・九カ月はボーナス比率であるということに対する、いわば本給で生活給と
考えボーナスを消費、貯蓄に充てるというそういう体系がおたくの国らとは違うのではございませんかと、こういうことを申します。
それから四番目には、金融機関が倒れないと。イギリス等はそう金融機関は倒れませんけれ
ども、他には金融機関が例えばアメリカにしても銀行だけで一万四千五百ございますし、日本は百五十六しかございませんし、言ってみれば金融機関に対する信用ということもあるではないかというぐらいまで僕が、僕と申しますか、私の方から申しますと、向こうが言うのは、やはり租税
負担率が低いから貯蓄が多いではないかと、こういう
議論がもう
一つは出てきます。
それからもう
一つは、貯蓄優遇税制という我々の知らない税制があるそうじゃないかという質問も出てまいります。それについても私は正確にこれに
お答えをいたしておりますが、
結論から言うと、貯蓄が多いというのはいいことであって、その貯蓄が多過ぎるということを批判するというのは、むしろそれをお互いがまねるべきではないかというところまで大体
議論は私としてはそこまでしておるような気がいたしております。ただそれを、少し長くなりましたが、投資の方へ振り向けるためにいかにするかという問題でございますが、これについては、今日まで多額の公債が発行できましたのも、率直に育って私は日本の貯蓄率があったからこそ発行できたというようなことも申しておりますが、しかしそれにしても、既にその公債発行といういわば後世代の納税者にツケを回すような問題についてはおのずから限界に達しておるというようなことも十分理解されておるではなかろうかというふうに
考えるわけであります。
したがって、先ほ
ども経済
運営、貿易の
問題等について、いわば決めることは決めたが効果がどう上がるかという問題だとおっしゃいましたが、私
どももそのとおりだと思っております。この効果がどう出てくるかということをこれから我々は七月のアクションプログラムの作成、そしてそれが実行についてまさに
政府一体となって対応していかなければならない課題だというふうに
考えます。そのほかは、私
どもはその都度説明いたしますが、絶えず緊密な連絡をとることによって、それらの相互の理解というものがより濃密になることによってお互いの
立場を理解し、お互いが自分の国の経済を自己評価しながらお互いが相互監視をして進めていくというような場に、サミットもあるいは五カ国も十カ国もそういうふうな場になることが一番好ましいではないかというふうに今
考えております。
話が長くなりましたが、貯蓄のことがありましたものですから、生々しい話でございましたから申し上げた次第であります。