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高桑栄松君 それに関連して私の
意見だけもう
一つ申し上げますと、いろんな御
意見の新聞やなんかに出ておるのを読んだりしておりますと、六年制中学ではカリキュラムは六カ年のものが重複している部分があるので、四年半ぐらいで済んでしまう、少なくとも五年で済むから一年残る。これは受験勉強に充てるみたいな話になっているようでありますので、私は思うんですが、我々のころは旧制中学は四年修了で、四修で旧制高校を受けることができましたから、平均的な教育のレベル
アップというのも結構なんですが、まあ英才かどうかしりませんけれども、場合によれば、中学六年制であれば五年で
大学が受験できる。つまり第二次受験資格を取る試験を受けて通れば受けられるというふうなことで、
大学入学を一年早めるということもあり得るんじゃないか。というのは、やっぱり頭脳の発達は満二十歳ぐらいが
一つのピークでございますから、
大学教育を
余り遅くまで引っ張っていたんでは、頭脳の飛躍的な創造性を期待するのはやっぱり難しいかもしれないですね。ですから、やっぱりある
意味で若くなきゃだめだ。だから十七歳でもし
大学へ入ると、現行
制度で二十一歳で卒業です。医者ですと二十三歳になりますから、ですからひょっとしたら、数学の発見は二十歳前半ぐらいのことを言っていますから、やっぱりそういう教育も必要なのじゃないのか、これはディスカッションじゃございませんので。
あともうちょっと時間をおかりしまして、きょうは朝から
久保先生、安永
先生、粕谷
先生も医者のことばかり、医学教育ばかり言われて、私はと思っていたら、高木
先生も何だか被告席に座らされているような気がして、同僚教授の弁解じゃありませんが、若干私の認識している範囲をこの問題にちょっとお話ししまして、御
意見があれば、あればじゃないな、やっぱり
文部省の
考えも承りたいと思うわけです。
一つは、私は今同僚教授、医学教育の教授方の弁解と申し上げましたが、前提があります。悪いことはだめ、これはもう前提でございます。その
意味であと聞いていただきたいんで、悪いのもいいと言おうとなんか思っておりません。悪いことはだめ、これが前提でお話しさしていただきます。
新聞によりますと、ある関連した
大学の
医学部長の言葉だったと思うんですが、新聞捜さしたんですが、出てこなかったんで、某と言っておきますが、私が読んだ中に載っていたんですが、このことはほかの
大学でもやっていることだというふうに聞いているとかなんとかとおっしゃっているのを私は見て、やっぱりこれは聞き逃せないことだと僕は思ったわけです。というのは例の、赤信号みんなで渡れば恐くない、みんながやっているんじゃないですか、悪いことだって仕方がないみたいな必要悪的な表現が私酌み取れて甚だ不愉快な思いで新聞を読みました。そういう弁解をすべきものじゃないと僕は思ったんです。
しかし、その赤信号みんなで渡れば恐くないということの中に、高度成長下で物価が上がり、月給が上がっているのに予算はマイナスシーリングだ、これがいけないと僕は言っているわけじゃないんですが、現実を今申し上げているんです。マイナスシーリングの中で何が減らされるかといえば講座費だとか学会出張費だとか、いや
文部省の講座費は昔から何十年と変わりありませんから、現実的には減っているということになると思うんです、物価にスライドしておりませんから。そういった
意味で学会出張費、こういうことももう一律に足切りだか頭切りだかになっておりまして、したがって、もうこれでは学会は一回も出れない、一回出れば終わりなんですね。私が教授時代に年間の学会出張旅費が十万ちょっとだったかと思いますから、そんなもう一回ないぐらい、一回で終わりと。ところが我々関連学会は私のようなものでも数カ所あるのに、臨床なら大変ですから、そういったもの。それから外国ですと
研究費を取るとそれを堂々と人件費として人を雇える、これが我が国ではなかなか面倒であるというふうなこともありまして、やっぱりその赤信号というのはマイナスシーリングをどう埋めていくかというための必要手段として赤信号が合理的であるかのごとき表現をしたんだろうと僕はそう思ったわけです。
しかし、だめなものは、悪いことはだめなんでありまして、だからといってこれを
理由づけにはできない。そして、医の教育倫理とか医の倫理とか、その倫理観というものは哲学でございますから、個人的な認識には幅があると思います。しかし、正、不正の
判断ではお金というのは極めて客観的に明白でございますから、お金に関しては教授会は
大学の自治を侵しているのではないか。前に
文部大臣とは
大学の自治とは何かということで、もちろん御存じないというのじゃなくて確認の
意味でお話をさしていただきました。教育と研究の自由が保障されているのが
大学の自治である、お金の取り方や使い方の自由なんというのはない、刑事
事件問題は
関係ないんだということを明快にさしていただいたのでありまして、ですから今度の
北九州病院グループの最もいけないのは、お金の取り扱いという明白な犯罪的行為に対して公私混同した。そして、それは教授会であればいいと思ったのではないかという教授会自治論に対して私は甚だ不満があるわけです。ですから、教授会というものが自分自身の個の確立がないんでないか。これは実は
大学紛争の際に、私、
医学部長として全共闘だとか民青だとかと言われる人たちの矢面に立って論争しましたときに、私は諸君は個の確立がない、全体主義で動いちゃいかぬ、個の確立が必要だということを私は自分の教育哲学の中でお話をしてきたんです。その個の確立が教授会にはあるのか。やっぱり全体主義的な
意味で、赤信号みんなで渡れば恐くないという
考え方というのが私は個の確立がないんだと思うんです。自分がしっかりしている、自分というものを見詰めて、自分が自分を評価して、自分の行動に責任をとる、それがなければいけないんだろうと私は思っているんです。ですから、そういう
意味で私は教授会そのものがある
意味の責任を負うべきことではないのか、一人ではなかったというようなことがありまして、甚だ同じ医学部が
余り俎上に上がるものだから不愉快でありますから自分の
考えを述べてみたわけです。
それから
奨学寄附金というものがありますね。これはやっぱり新聞に出ておったんですね、これは使途がうるさいから、だからその筋を通らないでイン・マイ・ポケットだというふうにたしか書いてあったんです。これも、私も経験しました。
奨学寄附金は使途がもう明確に示されますので、それから会計検査院の検査を受けますから、それはもう厳しいですよ。厳しいというのは普通でございますけれども、これは厳しいわけだ、ある
意味では。ですから
奨学寄附金というのをイン・マイ・ポケットにするのはこの使途がうるさいからという
理由づけは
理由になっていない。これはもうそう思うんです。ですから、やっぱりここでもし犯罪を形成するとすれば、正規のルートをとった
奨学寄附金で入れたかイン・マイ・ポケットかという、明白にお金の使い道はここで分かれるんですよ。もう私が言わなくったって大臣はもう百も千も御
承知なはずだと思うんです。
ですから、
奨学寄附金で、私自分の方の経験を語りますと、ほんの数万円をルートを通さないで来たというの、僕部長時代ですよ、十数年前です。会計検査院に
指摘されて、その教室が四苦八苦しましたよ、どうしたと。いや、これは私も部長として細か過ぎるじゃないかと思ったんですが、金銭というのは明白なんですね。それで私はそれ以来絶対にイン・マイ・ポケットはだめ、僕、学部長でしたから、全部
奨学寄附金できっちり経理は事務でやらせる。経理、事務でございますから、だから事務官がルーズでない限り明白にその使途がはっきりします。これは会計検査院が毎年来ますから、だから見ているわけですね。ですからそういうことが今度の
事件の中で問題があるとすれば私はそこだ、こう思っております。それから
国立大学の医学部の無給研究員というお話が、
久保さんかな、お話が出ておりましたけれども、もちろん御
承知のように
国立大学では無給は一人もいない、有給か、研修医も有給でございます。またはお金を出して、
授業料を払って研究員になっている、この二つになっているわけです。無給は今ないです。しかし研究員というものは
授業料と、
大学授業料と同額払っていますので、これはアルバイトが必要だと思うんです。これはもう普通のことで、
公務員じゃございませんからアルバイトしております。だから、本人たちがアルバイトすることに対しての異論は私はない。管理者としても当然僕はそう思っております。当時ですね、当時がそうでした。
ただ問題は、そのときの親方が、つまり教授がこれをしたかどうかですよ。それが問題なんだ。高木
先生もおられますが、我々基礎の研究室はやろうと思ったって下にそんなに医者がいませんので、出せないから幸か不幸かこれをするチャンスも何にもない。それ冗談でございますけれども……。だからやっぱり臨床はたくさんお医者さんがいられるから、ただそういったマイナスシーリングのしわ寄せをどこでカバーするかというところがあったと思うんですね。しかし、悪いことはだめなんです。これはだめだと思います。ですからその辺が
一つありますが、
大学だからまた命令に従って、例えば僻地医療に行くんですね。
北九州病院というのは都会のようでありますから、それはないと思いますけれども、僻地なんかは、例えば北海道の僻地なんかは、
大学の半径百キロとかその範囲は
大学の行動圏内です。頼まれると仕方がないから交代で出すわけです。これは行ってこれるんです。ですからそういう
意味の
大学の存在というのもあるんですね。
ただ、本人がアルバイトするということと教授がポケットに入れるということとは違う。それから
奨学寄附金というのはきっちりした形で入れるべきであるということはありますね、あると思うんです。ですからこれが氷山の一角なのかということが
一つあるんですが、
文部省はこういう
事件が引き続き出てきたことに対してどんなふうにお
考えになっているかということが
一つありますね。——そんなところかな、じゃそのことについて伺いたいと思います。