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説明員(三浦朱門君) 私、民間から
文化庁に入りましたけれ
ども、基本的には代々の長官を中心に
文化庁の職員たちがやってきた仕事、それは基本的には何も問題ない、そのままでよろしいと思っております。
ただ、なぜ私が民間から入りましたかということを
考えますと、これが第一の御
質問にかかわると思いますけれ
ども、なぜ私が民間から入ったかと申しますと、時代の動きというものは大変に激しく変わっておりまして、最近の
文化現象はどんどん新しい
状況を呈しつつある。それに対して、今までのような整然とした官僚機構で処理してきました
文化行政でよろしいだろうかという反省あるいは疑惑が恐らく
文化庁内部にありまして、この新しい
状況を自分のうちに取り入れて、そして検討しなきゃならない。そして、それに対してしかるべき対応をとろうというふうな動きがあったのだろうと私は想像いたします。そのために、外側の新しい
文化的な
状況をよく知っていて、しかも、それを
文化庁の人々にわかり得るような言葉で話ができる人間、それが望ましい条件だったかと思います。
なぜ私がそれに該当したかと申しますと、これは全く私の想像でしかございませんけれ
ども、
一つには私が長い間教師をしておりました。教師というのは特殊な
状況——文学の教師をしておりましたから、特殊な感情あるいは特殊な
状況を普遍的な形で表現できないと、教師というのは勤まらない。そういう
意味で、私は、
文化という取りとめのないものを
文化庁の
人たちにある程度客観的な形で表現することが、伝えることができるのではないかということがその条件の
一つかと思います。
それからもう
一つ、私は文芸家協会とかペンクラブのような文学を中心とするさまざまな団体の理事を二十年近く勤めてまいりまして、その方面での知人が多い。したがって、
文化庁の意向とか
文化庁の解釈というものを、それらの私の同業者たち及びその集団に伝えまして、
文化庁と文学全般の調整をすることができるのではないか。私は文士ではございますけれ
ども、同時に芸術学部という学部で二十年間奉職していた関係上、それ以外のさまざまな芸術のジャンルにも知り合いが多い。そのようなことが、私をうまく利用すれば、変わりつつある
文化状況に対して対応する道を見つけるきっかけをつかめるかもしれない、そう
文化庁が
考えられた。それが私に就任しろという要求が出てきた理由かと思います。これが第一点でございます。
それから第二点の、
文化を守り広めていくためには、これだけはどうしても守っていきたいということ、あるいは育てていきたいということ、並びにこればかりはやってはいけないということ、この点について私の
考えを申し上げます。
先ほど来、
文化現象が変わりつつあるということを申しましたけれ
ども、それがどういう変わり方をしているか、それをまず私の私見を申し上げたいと思います。一口に言いますと、これは専門家から大衆へ、もう
一つの立場から言いますと物から心へということかと思います。
専門家から大衆へといいますのは、今日、日本でもプロのコーラス団体というのはたくさんございます。しかし、それよりもはるかに多くの、けた違いの数の素人のコーラスのグループがございます。そしてプロのコーラスの方が確かにこれは問題なく上手なんです。しかし、プロのコーラスの
人たちの歌を、では下手なアマのコーラスたちが一生懸命聞くかというと必ずしもそうではない。歌いたいけれ
ども必ずしも聞きたくない。このような
人たちにとっては、コーラスを芸術として
考えますと、芸術というのは鑑賞するものよりも自分で参加し自分で創造するものであるということだと思います。
これはコーラスに限らずあらゆる場合にこれを見ることができます。例えば、原宿に休みに行きますと、十代の若者たちが思い思いの服装をして踊ったり歌ったりしている。それは単なる無
意味なものだと言えばよろしい、それで片づけることもできます。しかし同時に彼らの中に、自分も表現する側に回りたい、芸術を鑑賞し受け取る側にとどまりたくない、そういう感情があるように思います。
また表現の手段にいたしましても、昔はステージとかあるいは出版のための手段とか、それから音楽の楽器あるいはそれを録音する器具とか、これらのものは非常に高価なものでありまして、国家とかあるいは大きな資本を持った者でないと持つことができなかった。ところが今では録音の道具などというのは大学生でも簡単に買える。コピー機とかあるいはワープロなどが発達しますと、だれでも書物に近いもの、雑誌などをつくることができる。ビデオコーダーが発達しますとだれでもが映画かそれに近いようなものをつくることができる。こういう表現手段というものが大衆のものになったということも相まちまして、今や芸術あるいは表現活動の担い手が専門家から一般人にかわろうとしている。
これは例えば
文化財につきましても、戦後これが、発見し、復元し、保護するというのが精いっぱいであったのに、今や一般の人々が、なぜそれらのものを専門家の手に任しておくのか、博物館の中にしまい込んでおくのか、我々に見せろ、我々のものであるということを確認したいという要求が強くなっております。
これの裏づけになっているのが物から心という動きだと思います。高度経済成長というものをどのように評価するかは別にいたしまして、日本人はとにかく食うに困らなくなった、そして大体似たような収入で似たような生活条件の中で暮らす。そのときにやはり隣とは違うもの、自分独自の世界をつくりたい。それがある場合には脱サラとか、あるいは働くのは生活費を得るためであってそのお金を使う、充実した使い方をする、それが生きがいだというふうな
考え方が出てきました。そのような
人たち、つまり、お金を稼ぐこと、あるいは物質的にただ量的に豊かになるのが目的ではなくて、質的な豊かさを、つまり心の豊かさを求めるという風潮が、先ほど来申しております専門家から素人へ、プロから大衆へという動きとマッチしまして、表現活動の担い手が次第に広範な大衆に移ろうとしていると私は判断いたします。
そして
文化庁の仕事というのは、その
意味で、かつてはプロとか少数の専門家を把握しておれば仕事の何割かが済んだものを、これからは大衆の動きをとらえてその要求にこたえることが
文化庁の仕事の大きなものになるかと思います。
文化財の展示にいたしましても、あるいはさまざまな表現活動に対する奨励にいたしましても、プロから大衆へという動きを持たなければならないと思います。
このようなことが、つまり大衆に奉仕するということが
文化庁の基本的な仕事であると私が判断しますことから当然出てくることが、
文化庁は何をしてはならないかということであります。つまり奉仕をするという姿勢が大切なのでありまして、
指導するとか、あるいはあるものを統制するとか、そのようなことをすることだけは
文化庁は絶対にしてはいけない。
文化というのは人間の心、人間の自由なる心が生み出すものでありまして、その自由なる心によって育てられ、はぐくまれ、守られて、そしてこの日本そのものをつくってきたわけでございます。これをやはり外側から手を加えて抑えつけようとしたり、あるいはどのような
方針であろうとも特定の方向に持っていこうとするとき、これはやはり日本人の心を、一人一人の心を傷つけ、むしばみ、そして損なうものだと思います。したがって私は
文化庁の仕事というのは、してはならないことというのは、上から抑えつけるということだけは絶対にしてはいけない。人々が願っていることを、例えて言いますと、人々が歩いている道を舗装し、照明をよくし、太陽が暑ければ並木をつくり、寒ければ休む場所をつくる、そのような奉仕に徹するのが
文化庁の仕事であろうと
考えております。
以上でございます。