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野田哲君 藤波さんは労働大臣もやられているのでかなりその辺
事情に詳しいと思うんですが、官邸へ来られてからかなり心臓強くなられたですね。
問題は、大分時間が迫ってきましたので、三年前に言っていることとILOが言っていることは変わっていないのだということではないんだ。だんたん変わってきて、初めは代償機能をちゃんと果たしなさいよと言っていたのが、代償機能が果たせないのなら
制度にまで踏み込んで再検討しろというところまで来ているんですから、そういう点にひとつぜひ留意して今後の対応をきちっとやっていただきたいと思うんです。
結局、問題は国内の問題ですが、
公務員の労働組合あるいはその所属するナショナルセンターの
人事院勧告をめぐっての
政府に対する不信感というものはこれは抜きがたいものになっていると思うんです。後藤田さんは首を横に振られたが、これは本当にそうなんです。あなたは三年先の約束をしてやったから少しは回復しているのじゃないかと思われているかもわかりませんが、そうじゃないんだ。あのこと自身も、これはやっぱり来年もまた、今度は一年前から削減を宣言したのかと、こういう受けとめ方なんです。結局、不信感の一番大きな原因は、
政府の関係の大臣がこういう
国会答弁の場でも、あるいは労働団体と会った場でもその場しのぎのことしか言わないから、そしてその言葉を使用して収拾に当たると、結果は出てみるとその言葉どおりになっていない、こういう繰り返しが大変な不信感を生んでいるわけなんです。
私は、ずっとこの問題で歴代の関係大臣との間を行ったり来たりしていろんな取り次ぎをやってきておりますけれども、率直に言って、本音で対応したのは後藤田さんが
総務庁長官に就任されてからだと思うんです、本音で対応されたのは。しかし、それは本音で対応されたから評価できるかというとそうはいかないんです、
勧告が出る前から、七日ごろから値切るぞ、値切るぞという本音なので。しかし、本音であったことは今になってみれば間違いないわけです。完全
実施をしない本音を早々と出されたわけですからこれは評価できない。
今までの
国会での答弁をずっと私も拾い上げてみました。歴代の総理大臣や
総務庁長官、官房長官が何回も繰り返して、鈴木
内閣以来、
労働基本権制約の
代償措置である
勧告は尊重しますとか、
人事院勧告の完全
実施に向けて誠意を持って
努力します、そして五十七年の凍結あるいは五十八年、五十九年の削減
措置についても今回限りの異例中の異例であります、こういうふうに述べておられるんです。本音で対応していないところに私は一番問題があるんです。
一番問題は、去年の十一月二十六日から七日にかけて、この
内閣委員会でのことなんです。当時の総務長官であった丹羽長官が、初めてのことであった
俸給表を全然別のものを出したときに、「五十九年度の
人事院勧告の
取り扱いについてこれまでいろいろ御議論がございましたが、ことに改めて申し上げます。」ということで、これは質問に答えたのじゃないんです。一番最後にわざわざ手を挙げて、自分がしゃしゃり出て、「ここに改めて申し上げます。」、こういうことで、「五十九年度の
人事院勧告の
取り扱いについては、
人事院勧告制度尊重の基本方針を堅持しつつ、
俸給表等の
勧告内容を尊重した完全
実施に向けて
最大限努める所存であります。なお、本年
俸給表の引き上げ率の切り下げを行ったことは異例のことであると認識しております。」、こういうふうに言っておられるわけです。
内閣委員会で
給与法の
審議に際してここまで言われているのだから五十九年は
俸給表をつくり変えるようなことはないだろう、正直な人はみんなそう思うんです。私もそう思ったですよ、ここで聞いていて、もうないなと。
そして、今度は四月四日の先ほど言ったような仲裁裁定、
人事院勧告については完全
実施に向けて誠意を持って取り組む、こう言われたわけでしょう。そういう経過を見ればだれだって、こんな繰り返しはこれでなくなった、こう思うんですよ。だました方が悪いのか、だまされた方が悪いのか、本当にこれは大変な不信感が高じている。私は、やはりこういう繰り返しは、
国会に対しても、労働団体に対しても、そして国際機関に対しても背信行為が続いている、こう言わざるを得ないと思うんです。そういう不信感を払拭するのは、こういうことはやらない、来年はちゃんとやる、これを言明され、そのとおり実行されることしかない、こういうふうに思うんです。先ほど答弁がありましたから、これ以上答弁をこの問題では求めませんが、強く要望しておきたいと思います。
そこで、時間がありませんので、具体的なことを二点ばかり要望しておきたいと思うんです。
それは、
昭和六十年三月三十一日で
公務員の定年制が実行に入ります。だから、今までは、凍結の年でもあるいは五十八年でもやめる、やめないは
法律的には選択の余地があったわけです。ことしは凍結されたから時期を待って少し上がった年にやめようか、年金にも響くしと、こういう選択の余地があったわけです。この問題は、
防衛庁長官に就任された
加藤さんとも国対当時私もいろいろあの凍結のときにやめる人の扱いをどうするかということでやりとりをした経過も今思い起こしているんですが、今年度は選択の余地はないわけです。そういう中で六・四四%上がると思っていたところが三・三七%しか上がらなかった、こうなってくると本人が期待していた退職
手当や年金がかなり狂ってくるわけです。
大ざっぱな例を挙げますと、定年でやめる平均的な人たちの場合を例にとると、六・四四%上がるとすれば一万五千円
給与が上がるんです、ことしの四月から。ところが、今回の
措置によってそれよりも七千円ばかり上がり方が低くなるわけです。そうするとどういう結果になるかといいますと、
月額七千円低くなると退職
手当で四十五万円ぐらい完全
実施されたよりも低くなるんです。それから年金についても三万二、三千円減額になるわけなんです。たまたま定年制が発足する年に当たっている。そして、本人は選択の余地がない形でやめざるを得ないわけですから、たまたまその年にそういう形で
給与が抑制され、退職
手当や年金に大きな減額という形が出てくる。もし同程度の人が、たまたま一歳若い人が来年やめる、そして来年は完全
実施された、こういうことになるとことに大変な不均衡が本人の選択の余地がない形であらわれるわけなんです。このことについて、退職時の昇給の
取り扱いとか、あるいは大蔵省の場合の年金の
取り扱いでは仮定
俸給表の決め方とか、こういう形で行政的な裁量で救済の方法があるはずでありますから、これはぜひ考えてもらいたい、こういうふうに思うんです。大蔵省なりあるいは
総務庁なり
人事院なり、それぞれにそういう点についての考え方を伺っておきたいと思うんです。