○板垣正君 私は
靖国神社問題に絞りまして御質問をさしていただきたいと思いますが、まず
靖国神社の
公式参拝が戦後四十年にして実現を見たことについて心から感謝申し上げている次第であります。去る八月十五日には
中曽根総理初め
閣僚の
靖国神社公式参拝が実現を見ました。
戦没者遺族初め
国民多数の長年にわたる熱願であり、この実現はまことに感謝にたえないところであります。
中曽根総理初め
政府当局の英断に対し高く評価し、我が党の立場から、また多くの遺族、多くの
関係者にかわりまして、厚く謝意を表するところであります。
官房長官、どうもありがとうございました。
靖国神社の
公式参拝は、
官房長官の
談話にもございますとおり、まさに遺族初め多くの
国民の多年にわたる念願であります。また
靖国神社は
戦没者追悼のまさに中心的施設であります。私はこうしたことについてもう少し具体的に触れさしていただきたい。
戦後、二十年の十二月十五日の神道指令によりまして、
靖国神社初め国とのかかわり合いが一切断絶されるに至ったわけであります。そして二十一年の十一月一日、内務、文部次官から地方長官あての公葬等の通達によって、公葬、慰霊祭等に
公務員とのかかわり合いが禁絶された。ただ、ここで非常に注目されることは、旧軍人
戦没者の慰霊祭、そうしたものに公職の者が参列してはならない、公的かかわりを持ってはならないということであって、いわゆる文民の立場における殉難者の慰霊祭であるとか、その他の葬儀であるとか、そうしたものについてはあの占領下神道指令のもとにおいても容認をされておったということであります。つまり占領下に禁絶され、それを背景にしてこの通達が出された。日本国
憲法はまさにこの二日後に、二十一年十一月三日に公布されるわけでございます。当時のこの通達から見るところ、占領
政策のもとにおいても、これを政教分離の立場からかかわりを絶ったというよりは、まさに旧軍人あるいはその遺族に対するある意味の懲罰的な立場、そういう立場において公的なかかわりを絶ったというふうに言えると思うのであります。
そして、二十六年九月十日に、文部次官、引揚援護局次長の「
戦没者の葬祭等について」の通達が出されました。この通達によって
戦没者の慰霊祭等についても知事さん等が公職の立場で参列して差し支えないということになったわけでありまして、これは現在も有効である、現在も根拠とされて地方自治体においては実行されている通達でありますが、この通達はまさに今まで差別されておった文民と旧軍人、その遺族、その差別をなくす、平等に扱う、こういうことにあったということは注目されなければならない。しかし遺憾ながら、
憲法の政教分離との兼ね合いにおいて、
戦没者の慰霊祭そのものに、
靖国神社そのものに公的なかかわり合いを持つことが許されないという
憲法解釈が一つの有権解釈として長く
影響力を持ってきたという点に一つの大きな今日の問題もあったと今にして思うわけであります。
いずれにしましても、全国
戦没者遺族で結成される遺族会では、
昭和二十七年の独立回復以来、靖国の問題について絶えず取り上げ、絶えず熱心に
戦没者に対する公的な立場において、その慰霊あるいは
靖国神社の
国家護持等々、いろいろないきさつがあったことは御承知のとおりであります。そしてまたその挫折の中で、新たに
昭和五十年以来、
靖国神社公式参拝の実現を目指し、ひとり
戦没者遺族会のみならず、幅広く英霊にこたえる会、
国民的な運動として展開されてきたわけであります。この英霊にこたえる会の参加団体は現在四十三団体、この延べ会員数は一千万名を超えております。そして全国各都道府県にまた各市町村にその組織を持ち、まさに
国民的な基盤に立っておる。
公式参拝実現のための賛成署名運動が展開されましたが、本年三月末までに集められた署名は一千三十八万二百五十名に及んでいるわけであります。まさにそこに
国民の幅広い声があると言わなければなりません。そしてまた地方議会の決議、県議会において三十七の県において決議がされ、市町村においては千六百を超える市町村議会が、
公式参拝は当然である、
政府において処理すべきであると決議されているわけであります。
昨年来、英霊にこたえる会、遺族会を中心に、ぜひとも終戦四十年の八月十五日にはこの問題に決着をつけてもらいたいと、大変な熱心な運動が全国的に展開されてまいりました。大会あるいは地方大会、全国で四十数カ所において開かれ、広報活動が展開され、
関係方面に対する四十九万七千通のはがき陳情が行われておる。さらに昨年の八月十三、十四、十五と三日間、日本遺族会青壮年部、つまり
戦没者の遺児の
方々でありますが、四十七都道府県から集まりました百三十二名、文字どおり三日間五十時間食を断って、亡き父の遺影を胸に、ひたすらに
公式参拝の実現、
政府の決断を迫る、こうした姿はまさに私どもにこれ以上の心の痛みをもたらすものはなかったのであります。特に本年に至りましてからは全国決起大会に続いて、五月下旬から七月の末まで四十七都道府県によるいわゆるリレー陳情、代表の
方々が毎日毎日はるばる上京し、
政府、我が党執行部に対して熱心な陳情を繰り返された。こうしたことは到底いいかげんな気持ちではできない。本当にひたむきな
国民的な熱意のあらわれと言うべきだと思うのであります。
さらに、
靖国神社はまさに
戦没者追悼の中心的な施設であります。創建以来まさに百十七年、
戦没者二百四十六万余柱を祭り、今日も
国民多くの英霊祭られし神鎮まるところとして敬仰を集めていることは申すまでもございません。
靖国神社の
年間の
参拝者は約五百五十万人ということであります。そして最近のここ数年来の傾向としては特に若い人の
参拝がふえておる、あるいは子供連れ、孫を連れて、そういう形でございますけれども、社頭は極めてにぎわっておるということでございます。そして、あの
靖国神社において遺族会なり戦友会が亡き戦友をしのび、肉親をしのんでの慰霊祭がよく行われますが、五十九年においては二百七十七回、ほとんど毎日これが行われているという実態であります。あるいは七月のみたま祭りがございますが、これには毎年多くの献灯がなされます。この献灯はもう五十八年には一万四千、五十九年には一万四千二百八十二、ことしは一万六千三百二十二、大きなちょうちん、小さいちょうちん、これが皆神社に奉納されているわけでございます。
靖国神社の桜は有名でございますけれども、四季欠かさず花の奉納展が行われている。四月には盆栽展があり、さらにさくら草展があり、あるいは六月にはさっき展、また六月花菖蒲展が、七月にはあさがお展が、十月には菊花展が、そしてまた他に常に献花として拝殿前の華席には各流派交代で生花の奉納が行われている。
英霊にこたえる会では、毎年
靖国神社のカレンダーを頒布いたしております。これは従来
靖国神社が出しておりましたが、負担に耐えなくて、この英霊にこたえる会が
昭和五十一年から引き継いておりますが、これは
靖国神社の四季のカラー写真、
戦没者の遺書を掲載したカレンダーであります。五十一年から五十九年まで、有償頒布でありますが、二百五十八万部が頒布されております。昨年五十九年には三十九万三千九百十三部。一つのカレンダーで、有償で、これだけのカレンダーが頒布されるということは、まさに
靖国神社が多くの
国民にとって、遺族にとって
戦没者慰霊の中心施設であるがゆえでございましょう。このカレンダーの頒布金からは毎年英霊にこたえる会から二千万円が
靖国神社に奉納されているわけであります。
靖国神社の収入
状況でございますけれども、奉納金が昨年の場合五億五百八十一万。最近目立つのは、特に年とった遺族の方が
参拝されて、もうこれが自分の
参拝の最後だという形で五十万なり百万なり神社にお納めをして、これでみたまを祭っていただきたいという姿が非常に多いということであります。社頭のさい銭は、昨年は七千七百九十一万円であります。そのほかに奉賛会がございます。昨年の奉賛金一億一千三百十万円、各企業あるいは団体、個人会員等をもちまして七千七百七の件数でございますが、こうした形で
靖国神社は長い歴史の中、曲折を経、また痛果な思いでいろいろなものを経ながら、民族のまさに魂のこもるところ他をもってかえがたい、こうしたまさに一宗教、宗派、思想、信条、そうしたものを超えた
国家にとってのまさにみたまを祭るところ、
国民の
戦没者追悼の中心施設である、こう言えると思うわけでございます。
したがいまして、我が党は
国民政党として、政権政党として、常に
国民とともにある政権政党として、
公式参拝実現についても、五十五年以来党公約として掲げ、党を挙げて推進してきたわけであります。五十六年春以来、春秋の例大祭あるいは八月十五日の
総理、
閣僚、
国会議員の
参拝は既に定着を見ております。本年の八月十五日も
閣僚、衆参議員百九十三名が
参拝をいたしました。五十六年の春以来既に十四回の
参拝が行われております。延べ二千二百三十五人。こうした形で定着し、
参拝が行われておる。五十七年には「
戦没者を追悼し平和を祈念する日」が定められたことも御承知のとおりでございます。さらに五十八年の秋には、我が党の政調
内閣部会靖国問題小
委員会において改めて、
公式参拝問題と
憲法との関連において各方面の識者の
意見を聴取し、真剣な
検討を重ね、これについて合憲であるという
見解をまとめ、昨年四月には党総務会において全会一致をもって党の
見解としてこれが確認をされ、直ちに
政府に対し、
中曽根総理に対し、速やかに従来の
政府見解を見直してもらいたい、ことしの夏までに見直してもらいたい。これが昨年四月の
時点であったわけであります。
私も、この
委員会においても再三この問題について
政府の
見解をただし、また従来の
見解の見直しについて
発言も重ねてきたわけでございますが、さてこれに対する
政府の対応は極めて慎重であった。
行政の立場における判断にとどめることにできないということで靖国
懇談会を設け、十五名の識者に託して諮問をされ、率直に言って、私どもはむしろじりじりして、そうした気持ちでこの一年を過ごしてきたわけでございますが、この
懇談会の
答申を
参考とし、重ねて
政府においてはいろいろな角度から慎重に
検討をされ、しかも従来のいろいろな
見解、
意見等を踏まえた節度ある
見解をまとめられて八月十五日に
公式参拝に踏み切られ、実行されたわけであります。決してこれは唐突にできたことでもない。決して今までの
国会論議を無視したことでもない。また
憲法の立場においても十分以上の配慮を加えて今日の決断を下されたということに対して、私は重ねて敬意を表するところでございます。
さて、そこで質問でございますが、第一点は、
国民の世論の反応であります。私の接する範囲におきましては、遺族を初め
国民の喜びはまことに大きなものがございます。あの八月十五日当日、靖国社頭において
総理、
閣僚をお迎えした千名を超すあの遺族のおのずから発する万歳、拍手、ありがとうございましたという叫び、まさに四十年の苦節に耐えて初めて英霊が報われた。やっと英霊が浮かばれた。
総理が来てくれただけでもうれしい。これがもう英霊に対する何よりの供養である。戦後四十年を振り返って
戦没者とともに万歳を叫び、喜びましたという便りももらっております。むだ死にでなかった、長年の念願がやっとかなって安心した。
あるいはある遺児でございます。戦死した父を尊敬し、また誇りに思っています。この私たちの気持ちもわからず、一部の政党また教員たちがいろいろな理屈をつけて反対しています、非常に情けないと思います。あるいは
軍国主義とか
憲法違反とか言われる人がいますが、そういう人こそ時代錯誤のような気がします。もっと素直に国のために殉じた人に敬意を表し、広い気持ちで平和を論じてもらいたい。こうした気持ちが次々と訴えられておる。
靖国神社の歴史、存在。極めて厳しい試練の中で今日を築き上げてきたその遺族こそ最も平和を願うものであります。それほど切実に平和を願う者はない。
靖国神社公式参拝が平和に逆行するんだというような立場に対して私どもは絶対に認めることができない、
理解することができないわけであります。
さて、そういうことで新聞等にもいろいろな投書が出ておりますけれども、現
時点において
政府としてこれに対する反応をどういうふうに受けとめて認識しておられるか、その点についてまずお伺いいたしたいと思います。