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岩上二郎君 従来よりもいささか前向きの御
答弁がありましたので、ちょっと何とかなるかしらと、こういうふうな気持ちを持ったわけです。結構でございます。
各省庁とも、大蔵初め通産、農林、それぞれの文書の取り扱いの実態というものをある程度
委員部を通じて拝聴いたしました。非常によくやっているところと、去年は全然どれだけどのようになっているかわからないというような省庁もありまして、千差万別です。しかし、それが日本の実態ではなかろうか、このように思うのですが、これから私の私見を加えて、
大臣にお答えを願いたいとこのように思います。
とにかく前後二回にわたりましてもなかなか新しい
法律をつくるということは難しいというような印象を受けながらきょう
質問しているわけでございますが、
行政文書であれあるいは一般の記録であれ、これは歴史的な目から見れば一つの事実
関係としてその時代時代に生きているものであると思うのです。したがって、文書というのは国民共有の財産と見ていいものであろうと思うんです。
日本の場合には、表にあらわれた例えば仏像だとか絵画とかそういうものを文化財としてとらえ、民族資料としてもとらえてこれを保存をする、こういうふうな傾向があるわけです。ところが、その時代時代を語る
言葉を刷り上げた文書というものは余り重点を置かれない、そういうふうな実態になっているのが今日の状態ではないだろうか、このように思うんです。むしろ、物よりもその時代時代を語った
言葉を文章にしたものの方が文化的な価値があるものだと、私はそのような
認識を持っているわけです。じゃ、日本人の性格かというと必ずしもそうではない。かつて室町時代においては記録所をつくり、そして
政府の組織として重要な位置を与えていたこともある。あるいは明治の初期において内閣文庫をつくり、既に五十何万冊。国立公文書館では三十七万冊かにわたる膨大な資料を収蔵をされている。こういうふうな実態等もあったわけです。
しかし、明治の中期以降、大正、
昭和にかけてたびたびの戦争の経験あるいは町村合併、特に三十年以前から行われた全国的なあの町村合併のあらしによって、それぞれの町村で持っている重要な資料というものは一部は焼却され、そして古本屋に流れ、そして重要だと思うものさえも十分な保管をされずに、ただこの書類が古い倉庫の中に堆積をされている。このことは多かれ少なかれ各省においても同じようなことが言い得るのではないだろうか、こういうふうに思うんです。しかも、永久保存とかあるいは十年保存とか五年とか三年とか、それぞれ各省ごとに
規定をつくって、そして保管をされているわけでございますので、その保管の基準もまちまちであります。そういう保管された資料を今度は整理する職員、これが一般の公務員でありますから、しょっちゅう二年あるいは三年で場所が変わるということでもございますので、せっかくつくられた文書館等に勤めている職員すらもしょっちゅう入れかわりをする、こういうふうな実態ですから、なかなかこの文書の整理ということさえも容易ではない。
ただ、一面文部省の所管であります図書館あるいは博物館等においてはそれぞれ専門的な司書あるいは学芸員、こういうようなものが配置をされて、そして身分
関係もはっきりしている、こういうふうなところではこれは十分に整理ができるはずなんです。ところが、図書館自体あるいは博物館自体がこの膨大な資料を全部そこへ集めて一般に公開ができるような体制にはなっていない。したがって、この文書の
重要性を
認識した都
道府県の知事等においては、これは別個に新しく組織をつくっていく必要がある、こういうことで歴史館なりあるいは文書館をつくられつつあるのが現状ではないだろうか、このように思いますが、その整理をする職員すらも一般の公務員、こういうふうな実態になっていますので、どうしてもやはりそこらあたりを
考えてみると新しい一つの
法律をつくる必要があるのではないか。そして、それを整理する専門職、こういうようなものを配置をするというようなこととあわせて、文部省でもできる限り大学院なりあるいは大学においてそういう専門的な知識を与えるための教育
計画というようなものをお持ちになる必要もあるのではないか。むしろこのように前向きで各省庁とこの文書
行政について積極的に取り組んでいただきたいものと、このように私は念願をしているわけであります。
特に、なぜそういうふうに私がもうここ五、六年の間この文書
行政についてしつこく皆さん方に申し上げているかというと、外国の実態というものが日本の実態とまるっきり違うからであります。外国の場合は、図書館とかあるいは博物館の法と並んで、やはり文書館法をつくっている、こういう文書館法の方がはるかに高い位置づけをされている。しかも、国際的にはユネスコという文部省
関係の組織もあって、そこの本部にもそういう文書
行政情報システムというものがどうあるべきかという機関さえも設けて、各国に対して国際的な協議会をつくり、そして先進国あるいは開発途上国とを問わずPRをされているわけです。
アメリカのバーンズという博士が日本にたまたまおいでになって、日本の文化
行政の中で一番立ちおくれているのは文書
行政であるということを
指摘してお帰りになったのが昨年の九月です。その中身を見ましても、がっかりしてお帰りになっておるのです。
これは今度は全体で見てまいりますと、世界各国の中で日本ほどおくれている国はない。インド、インドネシアよりもおくれている。フランス等においては、産業革命以降とにかく各
市町村までいわゆる文書司というものを置いておるわけです。アーキビストといいますけれども、そのアーキビストは各
市町村まで少なくとも一名は配置されている、こういうふうな実態の中で、従来の歴史的な五世紀も六世紀も七世紀もかかっているそういうふうな歴史の積み重ねの中で国を守っていく、こういうふうな姿勢がありありと見えるわけです。フランスにしてしかり、西ドイツしかり、英国、フランス、イタリーあるいはアメリカにおいてもそのような実態ですけれども、日本の場合はその
基礎的なものが全然準備をされないで、ただ見せる、知らせる、こういうふうなことと相まって、
住民の側から見れば知る権利、こういうふうなことの中でトラブルがしょっちゅう絶えないが、こういうふうな現象的なものに皆さん方はとらわれず、そして
基本的になすべき大事な問題をこれから真剣に
考えてもらわなければならない、このような
考えを私は持っております。
したがいまして各省とも、私の趣旨は賛成、しかし我が省としましてはということになりますとノー、こういうふうな拒否反応が必ず出てくるのが今まで私の受けた経験です。議員立法というようなことも
考えないではないのですけれども、しかし一体どこの省でそれをおまとめになるのかというと、これはまとめ先がない。
自治省か、いや、
自治省は
地方団体の世話役でございますので、全体の文書
行政はこれは総務庁ではないでしょうか、総務庁は、いや、それはなかなかそこまではいきませんと、こういうふうなことで文部省か、これは教育
行政が
中心でございますのでということになりますと、どこの省がその問題を整理をしようとするような姿勢をお持ちなのかということになるとさっぱりわからない。
こういうふうな文化
行政の中で、図書館、博物
館、それから文書館法と、この三つが並び立って初めて日本が文化国家になるのだと、世界に向かって日本は文化国家だと、こういうことを言えるのですけれども、一番大事なこういう文書
行政というものが欠落している中では最低の未開発国日本と言われてもやむを得ない。したがって、国際会議に出ても肩身の狭い思いでオブザーバーとして一人ぽつっと参加をしているにしかすぎない。今の中国、これは物すごく燃え上がるような動きの中でこの文書
行政に取り組んでいる、こういうふうな情報を
伺いますと、この際やはり皆さん方に、ことしぜひ
法律をつくれというようなことを言っても無理なことでございますが、まず意識の改造というか、意識変革というものを皆さん方に求めたい、このような気持ちで、各省の重立った、特に
関係のあるという省庁に一つはおいでをいただいた理由があるわけです。
そこで、
大臣にお
伺いしたいのですけれども、従来の因果
関係等もございまして、しかも文書
行政の
重要性については各省よりいささか
自治省の方が積極的に取り組んでいるやに
伺いもしますし、またこういう財源問題についても起債を配慮したりしておりまするような経過にかんがみまして、これは
自治省が十分に音頭をとってやってくれれば幸いですけれども、なかなかそうもいくまい、このように思います。これは内閣全体あるいは
政府全体の問題ではないか、このように
考えますので、ぜひひとつ自治
大臣の方から閣議にかけていただきたい。この問題については中曽根総理も私の
質問に答えて、前向きで
検討しますということを行管庁時代にも
答弁をいただいております。よもやお忘れではないだろうと思いますので、ぜひ内閣において取り上げていただいて、どこの省でやるかわかりませんけれども、ひとつ閣議で御発言を願い、非常におくれている文化
行政の汚名を返上するためにも、ひとつ
古屋大臣の御決意をお
伺いする次第でございます。