○
参考人(津村英文君) 専修大学の津村でございます。
大変教科書的なお話をさせていただきまして恐縮でございますが、
証券市場論及び証券分析論を研究しております者の一人といたしまして、その
立場から、以下三つのことをお話し申し上げたいと思います。
三つのことといいますのは、第一は、
証券市場ないし資本
市場の
国民経済的な意義ないし
機能、第二は、その
市場における
価格形成
機能ないし利子率形成
機能であります。それから第三番目に、その第二に申し上げましたことの一つの応用問題といたしまして、いわゆるプライバタイゼーション、公的な機関が民営機構に移行することをプライバタイゼーションと申しますが、それに伴う
株式の公開、
価格形成に関する問題、この三つについてお話し申し上げたいというふうに思います。
まず
最初に、
証券市場の
国民経済的意義ということでございます。
これはもう皆様よく御承知のとおりでありまして、今さら申し上げるまでもないことかと思いますが、最終的な
資金の余剰部門であります家計部門から、
資金の不足部門であります企業部門及び
財政部門に、その必要な
資金を流していくというパイプの役目をしているのが
証券市場でございます。
すなわち、
国民経済において生産
機能の主たる担い手は、今日の
経済におきましてはもちろん企業、それも主として
株式会社企業であるわけでありますが、その企業に設備投資等の産業
資金を供給する、長期の
資金を主として供給するという
機能、これが一つでありますし、また、
政府、地方公共団体は、いろいろな公共サービスを提供するために必要な
資金を、この
市場を通じて調達するということが可能になっているわけであります。もちろん、そのルートといたしましては、
証券市場以外にも、
金融機関を通ずるいわゆる間接
金融レートがあるわけでありますし、実際
我が国の
経済におきましては、その方がはるかに大きな
ウエートを占めていることは皆様の御承知のとおりであります。しかし、近年、日本
経済の成熟、成長の減速といった変化に対応いたしまして、慢性的な
資金不足構造が解消し、そして
資金が恒常的に緩和
傾向を示し、そのことが反映いたしまして、資本
市場を通ずる産業
資金、
財政資金の供給ルートというものの持ちます、すなわち直接
金融ルートの持ちます相対的
重要性が高まってきているということ、これもまた皆様のよく御存じのとおりであります。
第二に、
証券市場の
価格形成の
基本構造について御説明申し上げたいと思います。
これも言うまでもないことでありますけれ
ども、
証券市場はただいま申し上げましたように
資金余剰部門から
資金不足部門に必要な
資金を流すといいましても、ただやみくもに余剰
資金を流しているというわけではないのでありまして、そこには一定の
資金の選別
機能と配分
機能が働いているというふうに言うことができます。その
機能というのはどういう手続によって行うかというと、
市場における証券の評価、
価格形成という形を通じて行うわけであります。
例えば、ある一つの会社が新たに社債を
発行いたします。すると、今までなかった社債が
市場に登場いたします。この社債を
投資家が持っていたといたしますと、毎年あるいは毎半年に一回ずつ一定額の利子が支払われる。その後一定期間、例えば十年経過いたしますと、そこで
満期償還金を受け取ることができる。これらの証券保有者に対して支払われる現金の流れのことを私
どもは、キャッシュフローという英語をそのまま使って言っております。そのように
有価証券を保有していることによって支払われます、獲得することのできますキャッシュフローを、これは通常長い期間にわたるわけでありますが、これを一定の利子率でそれぞれ割引をいたします。つまり、将来のお金は現在のお金と違いますので、現在の価値に直すために割引をいたします。その割引をすべてのキャッシュフローについて行いまして、それを全部合計いたします。それがその証券の、例えば先ほどの例で言いますと、社債の
価格、評価額、価値額になるというふうに言ってもよろしいかと思います。このことから直ちに次の二つのことが言えるわけでございます。
第一は、将来支払われると予想されるキャッシュフローが大きいほど証券の評価額は高くなる。第二、割引に用いられるその評価利率、適用される利子率、これが低いほど証券の評価額は高くなる。いずれも当たり前のことで、そんなことはもうわかり切っておるというふうにお
考えの
方々が多いと思うのでございますけれ
ども、このことは後々の議論に
決定的に重要な
関係を持ちますので、しばらく御容赦願いたいと思います。
第一に関しましては、予想されるキャッシュフローの成長率——成長率とやぶから棒に申しましたけれ
ども、例えば社債のような場合ですと一定の額が支払われるわけですが、
株式の場合ですと、企業の成長に伴って配当金が年を追ってふえていく、毎年毎年ふえることはないかもしれませんけれ
ども、しかし増資による増配というようなメカニズムを通じまして、株主に対して支払われる配当金というものは長期にわたって成長を続けます。非常に極端な成長企業の場合に、例えば配当金の成長が利子率を上回るというふうな超成長企業がもしあったとしますと、その証券
価格は無限大になるということがわかります。実際にはもちろん無限大の
株式価格というものは
市場に
存在しないわけでありますけれ
ども、それにはそれでまた理論的な説明が必要なのではありますが、例えば国際電信電話
株式会社でございますか、いわゆるKDDの株価などを見ておりますと、まあ無限大ではありませんけれ
ども、それにかなり近い現象がそこに生じているということを私たちは観察することができるわけでございます。
二の方の、割引に用いられる率が低いほどということを申しましたのですが、それに関して言いますならば、予想されるそのキャッシュフローが安全確実であるほど、あるいは逆に言えばリスク、危険性でございますね、不確実さ、これが小さければ小さいほどその評価のために用いられる利子率は低くなる、したがって証券
価格は高くなる。これは当然と言えば当然とお
考えになるかと思うのですが、実はそれほど当然でもないのでありまして、
市場に参加する人が危険を嫌うという性質を圧倒的に多くの人が持っているということが前提になっておるわけでございますが、そういうことでございまして、例えば
国債の
満期利回りの方が一般の民間社債のそれよりも低いことが多いというのがまさにその理由であります。
株式でありましても、例えば収益構造の極めて安定した産業や企業の
株式は相対的に低い要求利回りとなりますし、その分だけ株価は高く形成されるということに相なります。
以上申しましたことをまとめて申し上げますと、結局、確実に大きな収益が支払われていく証券が最も高く評価される、これまた全く当たり前ではないかというふうにお
考えになると思うのですが、確実性ということ、逆に言えば不確実性が小さいということと、それから支払われる収益が多いということ、そういう証券ほど高く評価されるということになります。ということは、つまり
経済社会にありまして需要の最も多い商品を生産し、その結果多くの利潤を生み出している企業ほど証券
価格が高く評価され、低い要求利回りが要求され、その結果、より多くの低利の
資金がその企業に資本
市場を通じて流入するということになります。すなわち、持てる者といいますか、よりすぐれた者はより多くの
資金を配分される、その逆の場合は逆になるということになりまして、このことを私
どもは
市場の規律、マーケットディシプリンというふうに呼んでおります。
次項で述べますプライバタイゼーションというのは、いわばガバメントディシプリン、
政府の規律のもとに置かれていた機関を、マーケットディシプリン、
市場の規律のもとに置き直すという行為を意味するというふうに解することができようかと思います。
そこで
最後に、今申しましたプライバタイゼーションに伴う
株式公開の問題について
意見を申し述べたいと思います。
先ほど申し上げましたように、プライバタイゼーションというのは、従来公的な所有を受けていた機関が民営は転換すること、例えば、ブリティッシュテレコムといったような国有特殊法人が
株式会社という組織形態に転換するというような場合がこの例であります。この場合には今まで
存在しなかった
株式や社債が新たに
証券市場に登場してまいります。
ここでは、さしあたり
株式の公開だけを
考えることにいたします。その場合でも、実は公開株を、一、だれに売却していくか、それから二番目にどのような方法ないし手続で売却していくか、三番目に幾らでその公開
株式を売却していくかという、いわば三つの問題があるように私には思われます。しかし、時間の
関係で私は、ここではその三番目の、幾らでという問題だけについて当面お話しいたしたいというふうに思います。
プライバタイゼーションに伴います公開株の評価を、先ほど申し上げました証券一般の評価の枠組みに照らして考察してみますと、そこには幾つかの特殊性があることがわかります。第一番目、何といいましても、そのプライバタイゼーションが問題になるような機関というものは、通常非常に大
規模であるということ、つまり何といっても
規模が大きいということ。大体においてその種の機関は、
経済学で申します自然独占という状態が成立していることが多いわけです。自然独占というのは、どうしてもその業種といいますか、その業務自体の性質が大
規模であることを必要とし、そしてたくさんの同種の機関の
存在が難しいというような条件が備わっている場合を言います。ブリティッシュテレコムなんかもそうでありますが、小
規模の電話会社がたくさんに併存するということは、
経済効率からいって非常に無理があるという性質がございます。ということで、そのような企業体にありましては、競争企業があらわれるとしてもそれは比較的少数であり、競争企業もまたある
程度大
規模になる。つまり、大
規模少数競争しか
考えられないというような特徴があろうかと思います。
このような大
規模性ということを株価という点で振り返ってみますと、いわゆる
株式市場用語で言います大型株という範疇に属するものだということを意味するわけでございます。大型株といいますのは、例えば既存の有名な会社で言えば新日本製鉄でありますとか日立製作所でありますとかいうような
株式でありまして、大型株であるということは、それだけ
資金吸収量が大きく、したがって動きがどうしても鈍くなる。鈍くなるというのは何か言葉が大変悪うございますけれ
ども、要するに軽々しくは動かないという特性を持つわけでございまして、その種の大型株の一つとして登場してくるということが事前に察知できます。その結果株価も極端に高くなるということは、非常に難しい。
資金量の制約の面からいって極端な急騰は難しいということが、漠然とでありますけれ
どもわかります。ただし、先ほど申し上げましたような独占的な産業組織でありますから、そのことが利潤の安定性を保証するというふうな形にもし働くようでありますならば、それは先ほど申しましたキャッシュフローの安全性、確実性につながり、低利回りしか要求されない。したがって、高株価という面もあわせ持つことになろうかと思います。
つまり、大型株であるということ、そのゆえに急騰は難しいけれ
ども、またある
程度以上の高い株価を期待するというか保証されるという面があるということです。
それから第二の特徴でありますが、その種の企業の生産活動は公共性が極めて強いというのが一般であります。ということは、つまり
国民生活に対する直接的
影響が大きいということでございます。このことは、ちょっと言葉が適当かどうかわかりませんのでお許しいただきたいのでありますが、いわゆるもうけ過ぎ批判というふうなことを招きがちの性格を持っておるということが言えます。何らかの企業
努力によって非常に高い利益が上がった場合にも、世間からはしばしば批判的な目で見られがちである。したがってまた、規制をも招きやすいということがあります。ということは、つまり利益におのずから上限ができはしないか。つまり、上限を抑えられる
傾向を持ちはしないか。その分だけ株価は高くなりにくいのではなかろうかということが予想されます。
第三に、これは何もプライバタイゼーションの場合だけに固有の問題ではないのでありますけれ
ども、新規公開
株式全部について言えることなのでありますが、未知の要素が極めて多いということが一つ言えると思います。知られていない要素、これが非常に多いということ。
一般に、別に公開株でなくても、
株式市場においては、
投資家の行動が非常に振れが大きゅうございます。これは御承知のとおりであります。例えば、自分がある証券をどのように評価するかということももちろん重要でありますけれ
ども、それと並んで、場合によってはそれ以上に、他人がどう評価するかということがまた重要でありますし、もっと極端なことを言いますと、他人がどう評価すると他人がどう評価しているかをどう予想するかというふうな、何重もの間接的な予想が
価格形成の上で重要なファクターとして入ってくるというようなことが、
株式市場では極めて普通のこととして
存在しております。このことは証券の
価格形成を極めて不確実なもの、不安定なものにしがちなのでありますが、新規公開の場合には特に未知の要素が大変多いということがあります
関係で、そのような評価の人による分かれ方、分散、これがどうしても出てまいります。このことは、公開
価格の
決定やら新規上場の場合に、十分考慮に入れておくべきことであろうかというふうに思います。つまり、夢を買うというような投資行動も十分予想されるし、反対に、不安を覚えて非常に控えるという行動もまた十分合理性を持っているということでございます。
以上申し上げましたことを総合いたしますと、私の
考えといたしましては、プライバタイゼーション企業の
株式は、既に
市場に
存在している大
規模かつ中
程度の成長見込みの企業、これは、ではどんなのを言うのかということについてはちょっとすぐにはお答えしかねますけれ
ども、大
規模企業であって中
程度の成長見込みを持った企業の
株式に準じて評価するのが妥当なところであろうかというふうに思います。つまりそれら並み、それらの
株式に現在成立しているような評価の基準、それを当てはめるというのがまあまあ妥当な姿勢なのではなかろうか、こんなふうに
考えております。
以上で私の見解を一応報告させていただきました。