○下村泰君 連日にわたって
労働省関係が痛められておりますが、気の毒だとは思いますよ。気の毒だとは思いますけれ
ども、なぜこんなに責められるのかということを反省していただきたい。これが、今六対五ですわね、この間巨人が負けたのと同じなんですから。六が女性で五が男なんですね。今、六対五の比率なんですよ。六千万が女性で五千万が男なんだ。その多い六千万の女性がもろ手を挙げて、いいものができた、これで私たち女性の喜びが
一つ倍加したという
法案なら、これだれも問題にしやせぬわけですわね。余りにも手落ちが多過ぎる、至らないところが多い、まだまだ企業サイドの男側の方に寄ったものができ上がっているというところでおたくらが標的になっているのはこれは否めない事実だと思いますよ。大分お疲れのようですから、私は、いつも私の出番が参りましたときには、多少のゆとりをとって、少し脳をやわらかくして差し上げますから、人の話を聞きながらゆっくり休んでください、その後に攻撃を始めますからね。
昨日の朝日新聞の「天声人語」、これ持ってきました。大変おもしろいんです。最近は非常に女性があらゆる会場へ来て、展覧会に限らずいろんなレクリエーションの場であるとかあるいはカルチャーセンターとか、ほとんど女性の方が多いということが書かれておりまして、
劇団こまつ座の座長として全国を歩きはじめた井上好子さんの話によると、どこへ行っても八割、九割が女性の観客であることにびっくりもし、不安にもなったという。「びっくりしたのは、女性の文化吸収のすごさです。不安になったのは、いずれ女の方が男よりも文化的な水準がはるかに高くなるだろうということでした」。
男性がビールを飲んで会社のぐちをいっている間に、女性はせっせと学び、観劇をし、という状態が続けば、文化的水準の格差は開くばかり
だろう。この地殻変動を「知らぬは男ばかりなり」であるのかもしれぬ。主婦の自由時間がふえたのは、育児の期間が短くなったことや家事の合理化が進んだためだろう。そして心の3C(カルチャー、クリエーション、コミュニケーション)を求める動きが強まってきた。
男性がカタツムリのように会社人間という殻に閉じこもっているうちに、女性はボランティアや文化活動の
分野で実力をつけつつある。この奔流がいかなる方向をめざすかはわからないが、既成の会社人間集団の価値体系に穴をあけることにはなるだろう。女性だけの会社「アイディア・バンク」を作った佐橋慶さんは、昨今の世相を「家父長制から家婦長の時代へ」と表現している。さらに「二一世紀は女性の自由謳歌の時代、しかも、
男性の受難の世紀である」と書いている。
これは
大臣、大変なこっちゃ。このとおりになったら男はへらへら笑っておられませんぞ、これは。しかし、チリ津波ではないけれ
ども、女性が目覚めていろいろの運動を展開して、もう男専横の時代ではないという意識が非常に高まってきていることは、これは日本だけじゃないでしょう。ひたひた来ているんですよ。まごまごしておられませんぞ。
私は、つまらない雑学を求めて、また披露したりするのが好きでございまして、頭休めて聞いてください。
「刀自」という字がありますわな、熟語が。刀自などというのは若い女には使いませんね。――女なんて言っちゃいけないんだ、若い女性には。若い御
婦人には。これは男も交えてそうですがね、若い方々には。刀自というのは、少なくとももう中年以上、そしてある程度の位以上の御
婦人に対して使う
言葉が刀自。これは大変な敬語ですわな。これはどこから来たかといったら、戸主。ですから、その家の主ですね。戸主の約でもあるというわけですね。
杜氏というのがありますね。冬の冬至じゃありませんよ。これはお酒をつくるときの長をいいます。これから転訛したという説もあるんですね。いろいろあります。これは、上古の時代というから、もちろん私は生きておりません。「口中に米を噛みて吐き、木びつに納む。口を経て酣酸、これを名づけて醴となす。故に今酒を醸すというのは噛みしためなり」、こういうふうに出ているわけです。この役を務めていたのが、ほとんどいわゆる上古の御
婦人なんですよ、これは。
じゃ、上古の御
婦人は、その時代から女性はやはり
男性に従属してそんなことをしていたのか。そうじゃないんですね。このころの男というのは、こういう御
婦人あるいはお子さんを守るため、その食糧を求めて外へ出ていくわけですから、このころははっきりしておったわけです。
ところが、物の本によりますると、このかんでつくったお酒というのを守っているのがこの刀自なんですね。刀自の役目なんだ。つまり女性の役目なんだ。この女性の許可がなければ男に一滴も酒が飲めない。偉いんですよ、そのころの女性は。そして、男が集まって祝い事をするときに、その戸長、戸主ですわな、家主たるべき刀自のつくり上げたお酒を、その方が来て初めて許可を得てみんなが飲んだというのが、これが始まりなんだそうですよ。そのぐらい偉かったんですよ、女性は家の中で。外でも。私の家なんかまるっきりこの調子ですからな。昔のままですよ、うちは。恐らく
労働大臣のとこもそうだろうと思うんです。うわさに聞けば大変かみさん怖がっているそうですから。こういうふうなのが歴史の中でいつの間にかいわゆる暴力というもので、力というもので世の中を支配するようになった。歴史の事実はそうだろうと思いますよ。そして次第に今のような形になってきた。
ところが、例えば女性が男と一緒に荷揚げ人足をやるとしますね、荷役に従事するとしますね。女性の方はできなかった。それは当たり前ですわね。重たい物を持ってあんなところ、はしけの上をとっとことっとこ飛んで歩けるわけがない。だけど今は違うんですわな。例えば大きな物を持つといったって、フォークリフトというのがあるんですよ。運転さえできれば女の子だって百キロでも二百キロでも、二トンでも三トンでもばあっと持ち上げられる。そういう時代になってきたわけでしょう。そうなるからこそ、初めて女性が職場に進出できるのは当然なことなんです。しかも女性のみででき得る
仕事もたくさんふえてきた。にもかかわらず、男の方があくまでも優位で、女性がその下にいるからこういう大きな問題になってくるわけでしょう。それを全部受け入れられたらこんなことにはならないと思う。これがまず前段です。
さあそこで始まりますよ。それで、この
女子差別撤廃条約の根本精神というものは、
女子に対する
差別が、
権利の平等の原則及び人間の尊厳の尊重の原則に違反するものである、
男女平等は
基本的人権であるという点にあるわけなんですね。条約の第十一条は、経済的な自立の基礎である
労働権を、「すべての人間の奪い得ない
権利」と規定して、女性の
労働権を具体的に保障しようとしているものと、こういうふうになります。条約の理想とする姿を可能な限り追求していくとともに、正確に条文を
解釈して実行していくことが大事であると私は考えるんですけれ
ども、まず外務省からお答えください。