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参考人(高橋
紘士君) ただいま御紹介いただきました法政大学の高橋でございます。
きょうは、今お手元に資料をお配りいただいておりますが、武蔵野市の福祉公社を中心に、最近、さまざまな形態でございますが、新しい
社会福祉サービスの提供組織というものがいろいろな形で出てきておりますので、その御紹介をしながら、その中で武蔵野市の試みを位置づけてみようという、そういうことで参上いたしました。
初めに個人的なことを申し上げますと、実は私は一九四四年生まれでございまして、ということは私が六十五になりますのは二〇一〇年ということでございますので、まさに日本の
社会が
高齢化のピークを迎えるときに
老人になる、そういう世代の者でございます。そういう意味で言えば
高齢化社会の問題というのは
自分のために仕事をしているというのが正直のところでございます。そういうことで、そういう視点を多少交えながらお話ができればというふうに思っております。
といいますのは、実はある統計を見ておりまして、二点ほど申し上げたいと思いますが、御案内のとおり、同じ世代に生まれた人たちが何%ぐらい
老人に到達するかという生残率というデータがございます。これは五十九年の厚生白書に出ておりましたけれ
ども、明治時代、大正時代は長らく一〇%を割っておったわけですね。九%、一〇%
程度の数字。今は正確な数字は忘れましたけれ
ども六、七割、七、八割という数字でございましょう。要するに、同じ年にギャーと生まれた赤ん坊が六十五歳に到達するのが、百人いたとすればしばらくは五、六人しか
年寄りになれなかったという意味で言えば、正直な、こういう言い方をしまして妥当かどうか知りませんが、今ないし過去のお
年寄りはエリートであったと。今のお
年寄りは子供のときに肺炎に打ちかち、青年時代の結核に打ちかち、それから戦争がもたらした飢餓
状態に打ちかってお
年寄りになられた、そういう
方々だというふうに私は思っております。
ところが、これからのお
年寄りというか、これから
老人になるということは、私
どもも含めまして、今
長谷川先生から多分お話があった
ぼけの問題を含めまして、言ってみればそういう淘汰の機会をなしに六十なり七十になるというそういう時代、これは私たちはひそかに大衆
老人化
社会というふうに言っておりますが、今までのお
年寄りは五、六%しかお
年寄りになれなかった。それはエリートだったわけであります。ところが、これから
老人になる我々を含めては、あらゆる者が
老人になれるという、そういうことである。これはともすれば忘れられがちでございますが、非常に重要な事実だというふうに私は思っております。
それからもう
一つは、ライフサイクルのデータが、同じ厚生省のデータが出ておりまして、長男が結婚して、女性の場合ですと、おばあさんが亡くなるまでの期間が大正時代は大体十年でございました。現在は大体二十年ちょっと。言ってみれば嫁、しゅうとめの関係が昔は十年で済んだわけでございます。今は嫁、しゅうとめの関係は二十年以上。これは
老人の
介護の問題を考える場合に、これも、うっかりすると忘れられがちな、しかし非常に重要な事実。要するに嫁、しゅうとめ期間が二倍になっているという、これ意外と気がつかれませんが、大事な問題ではないか、
家族のあり方ということを考える場合に重要な事実だというふうに私は思っております。これは多少時間をいただきまして、前置きのような話でございます。
今お手元にお配りしたレジュメに従ってお話を申し上げますが、大体
昭和五十年代からさまざまな形で地域
社会を基盤といたします新しい、私
どもはサービス提供組織というふうに呼んでおりますが、そういうものがいろいろな形で出てきております。既に地域
社会の重要な
社会福祉の担い手といいますのは、御案内のとおり、去年
社会事業法の改正がございまして、法律の中にその形を位置づけられました市町村の
社会福祉協議会というのがございます。この
社会福祉協議会は、在宅福祉サービスの担い手としてさまざまな形の活動をしております。
非常に有名な例をちょっと挙げますれば、三食完全な食事サービスをしているので有名な福岡県の春日市
社会福祉協議会でございますけれ
ども、これも最近新しい試みとして
老人下宿というのを始めました。これは多分後ほど隅谷先生からお話があるシェルタードハウジングの私は日本的な先駆の事業だと思っておりますが、そういうものが全国にございましてさまざまな活動をしておりましたが、それに加えまして特徴的な在宅福祉サービスを主として提供することをねらった新しいタイプの組織というものが出てきております。
これはお手元に資料を、私
どもの
研究チームが日本
社会事業大学の三浦教授を中心とする
研究チームで東京都の委託を受けてやった
調査の中から、「先行的供給組織の概要一覧」として幾つかまとめましたものをお手元にお配りをいたしましたので、後ほど
参考にしていただければと思いますが、それぞれ、例えば主として有料のサービスを行うとか、それからさまざまな家事援助のサービスを行う。非常に私は注目をしておりますのは、その中にはもちろん武蔵野市の福祉公社もございますが、これからのいろいろな動きを考える上でかなりおもしろいと私がひそかに思っておりますのは、賀川豊彦先生が始められました灘神戸生協が、暮らしの助け合い活動ということで生協活動の中に
社会福祉の相互扶助の活動を繰り込んだような活動を
昭和五十八年から始めております。
あるいはボランティア性の高いものとして私は非常に高く評価しています神戸のライフ・
ケアー協会、これはクリスチャンユースセンターというキリスト教の地域センターがございまして、そこの土井さんという牧師さんが中心になられて、地域の
家庭の主婦の方を担い手といたしましてボランティア活動としてさまざまな
障害を持ったお
年寄りのお世話をするという活動、これを有料で行うという活動をやっております。これは神戸市の市民福祉振興協会からの援助というものが入っておりますが、そういう形で公的な助成を受けて活動をしております。しかし、本質はボランティア活動でございます。あるいは、大阪にございます大阪
家族福祉協会あるいは上福岡市における福祉バンクというような活動、あるいは東京の練馬に本部がありますくらしのお手伝い協会という、これは非常にそれぞれの発想で展開をしている在宅福祉サービス事業の試みということでございます。
このリストをちょっとごらんになってお気づきだと思いますが、このような新しいサービスの提供の組織というのは、大都市及びその近郊都市に多いというのは、これはしかも
昭和五十年代からそういう活動が動き出していることが非常に注目すべき事実でございます。
これはいろんな理由が考えられますが、私は三点ほどその理由を考えておりますが、
一つはやはり都市が
高齢化しつつあるということでございます。これは都市型
高齢社会というふうに私は呼んでおります。現在からここ数年は、やはり過疎地域での
高齢化というのは大変深刻になるのは御案内のとおりでございますけれ
ども、それと同時に都市で
高齢化が本番を迎えてきている。これは御承知のように、都市で
高齢化というのはどういうことかというと、
昭和三十年代にいわば都市に流入をして、そしていわばマイホームを築かれた人たちが、そろそろ
高齢化をし始めているということでございます。それで、そういう
方々は、言ってみればもうふるさとと縁がない、もうそろそろお父さん、お母さんは亡くなっておりますから、故郷にいるのは兄弟だけだ。となりますと、帰りにくいという、そういう意味で言えば都市に定着をし始めている。そして、
自分たちの老後をやっぱり考え始めてきているということが
一つの条件でございます。
それからもう
一つは、都市において
社会福祉サービスが非常に手薄でございます。これは
老人ホーム
一つとりましても、御案内のとおり東京都の山手線の中には
老人ホームは
一つもございません。どうやら東京都がことしから二十三区に
特別養護老人ホームをつくってもらうという方針転換をいたしまして、
お願いをしておりますけれ
ども、それからあるいはホームヘルパーさん、これが公的なサービスの在宅福祉サービスの基礎でございますが、それが
老人一人当たりに換算をいたしますと、東京都、横浜、大阪、神戸、いずれも非常に低い充足率でございます。お
年寄り一万人当たりのホームヘルパーさんの数というようなものを計算をしてみますと、大都市地域というのは軒並み低位でございます。そういう事実がございます。
それから、もちろんすぐ御想像いただけますように、都市の場合は、
家族というものが、非常に
家族の扶養機能が、これは事実問題として弱体化しているわけでございます。そういう意味で言えば、これらの地域でサービスのニードは増大しつつあるけれ
ども、サービスの供給の絶対量が非常に不足している。しかも、これも後ほど申し上げますが、従来のような、もちろん
家庭奉仕員は制度改正が行われましたし、また養護
老人ホームもそうでございますが、費用負担を導入しながら、その利用者を拡大をしてきているという、そういう考え方で、いわゆる今までの低所得者層に
社会福祉サービスを限定するという、そういうあり方は変わってはおりますけれ
ども、しかしながらまだ不十分と言うほかはございません。そういう中で、やはりサービスを必要としてきている
方々が非常にふえてきているということがございます。
それから、都市の中で、先ほど定着した市民が単に公的なサービスに依存するだけではだめだと、地域づくりをするためには、
自分たちで活動しなければだめだという、そういう感覚をお持ちになってきておりまして、それを私
どもは参加型のサービス組織というふうに呼んでおりますが、そういう形でボランティア活動というか、そういう形であれ、在宅福祉サービスの直接提供であれ、そういう形で市民、殊に
家庭の主婦が主力ではございますが、つぶさに見てまいりますと、非常に興味がございます。厚生年金を受け取られた会社勤めの方とか、労働組合活動のOBの方とか、そういう方が地域に出ていこうじゃないかというようなことで非常におもしろい活動をしておられる。主婦だけではございません。
高齢者の元気なリタイアした
方々も非常に興味を持って、地域活動を始めようかとか、し始めているという、そういう
状況がございます。
それは、実は4に挙げましたように、「誰でもがニードに応じて必要なサービスを地域
社会で利用する」、そういう
社会福祉へ変えていかなければならない。これを私は普遍的
社会福祉と呼んでおります。普遍的というのは、要するに、従来のように
社会福祉が低所得者層を中心にサービスを提供するというあり方を改めて、必要なニードがあればだれにでもサービスを提供していくんだという、そういう考え方への転換でございます。そのニードは恐らくこの後の
参考人である隅谷教授からお話があるかと思いますが、重度のお
年寄りであってもいいわけ、重度というそれに着目するわけですね。所得ではなくて重度なニード、
介護の
状態がどうなっているかということに関してニードそのものに着目するという、そういう意味での普遍的なということであります。
従来
経済的な要件で限定するという、選別主義というふうに私
ども呼んでおりますが、そういうものではなくて、ニードがあれば、これは当然だれでもが
老人になる、だれでもが
寝たきりになる、そういう確率をあらゆる我々自身も含めて共有しているという、そういう認識、これは実は
障害の問題でもそうでございますね。ノーマリゼーションという
言葉はまさにそういう
状況を反映した表現であると思いますが、そういうだれでもがニードに応じて必要なサービスを地域
社会で利用するための
社会システム、これは適正な費用負担、それから在宅福祉と施設福祉の統合、そしてさまざまなタイプのサービスを今度は組み立てて利用していく。
というのはどういうことかといいますと、もし
家族の中に
介護者がいれば、それを支援するようなサービスを導入して、そして組み立てていく。従来の施設福祉というのは、そういうものを根こそぎ、言ってみれば施設に措置をして、そしてお世話をする。そうではなくて、そのニードの
状態を適切に
判断しながら、どういうサービスがこの人には必要かということを念頭に置きながら在宅でサービスを組み立てていく、施設もそういう専門的な機能を持ったものの一環として考えるという、そういう考え方、これが
社会福祉のこれからの大きな転換の方向だと思いますし、その線に沿って制度改革が必要になってきているというふうに私
ども考えております。
これはちょっと時間を超過しておるようでございますが、前置きでございますが、そういう中に武蔵野市の福祉公社のサービスを位置づけるとどうなるかということがきょうお話しをしたいことでございます。
武蔵野市の福祉公社で注目すべき点として、レジュメに書きましたけれ
ども、第一にサービスのメニューが非常に多様であるということでございます。御承知のように基本サービスというサービスがございます。これは月額一万円をお払いいただいて、そのかわりに、これは一定の、定期的にワーカーが訪れてさまざまな相談に乗るという、しかしそれ自身はサービスではないのであります。ただ、そういう公社と利用者を結びつける役割を果たす。これがまず基本サービスでございます。
その上に必要に応じて家事援助サービスあるいは食事サービス、緊急通報サービスあるいは
病院へ通うときに
介護する通院の援助サービス、あるいは必要ならばナイト
ケアといいます
夜中まで泊まり込んでお世話をするというような、さまざまなサービスメニューが用意されておりまして、それを第二の点でございますが、利用者のニードに応じてソーシャルワーカーが行きまして、そしてあなたのところにはこういうサービスが必要でしょうというのを相談しながらその必要なサービスを選ぶ。当然その中では
経済的な事情とかそういうものを含めながら、どういうサービスをするのがいいか。
あるいは逆に言いますと、これは大変武蔵野の公社の特徴といいますか、サービスをしないこともサービスなんですね。というのは、こういう自立の
状態を確立するためには、むしろサービスはしないで、ここは自力でおやりなさい、そういうことを基本サービスの中で見守ってはあげるけれ
ども、自力でおやりなさい。そうすれば、まだ残った自立心みたいなものが涵養できるというような、頼めば何でもやってくれるというわけではございません。そこにはここに書きましたような、ニードとサービスの調整機能を持ちますソーシャルワーカーが配置されておりまして、そしてさまざまなサービス設計を行う、その上で必要なら看護婦さんを派遣したり、あるいは協力員、これはその多くが
家庭の主婦の
方々でございます。これは地域に、武蔵野市に住んでおられる
家庭の主婦の皆様ですが、そういう方が実際に家事援助を担うというそういう分業の関係が成り立っております。もちろん必要な場合には、夜何かあったらいけませんので、常に事務局長さんなり事務局のスタッフの
方々はいつでも連絡に対応される、そういう意味では二十四時間勤務をしておられますけれ
ども、そういう形で分業ができている。
それからもう
一つは、余りにも有名になりました不動産の担保による福祉資金貸付制度でございます。これに関しては非常にいろんな形で関心がおありのようでございますけれ
ども、現実を見ますと、きょうお手元にお配りをいたしました、グラフを二枚ほどおつけをいたしましたけれ
ども、その下の方の「支払別」ということで書きましたように、現実に福祉資金貸し付けを利用しておられる方は五十九年末で全部で百三十四人の利用者のうち三十人
程度でございます。
これは御承知のように、資産の担保ということによって、言ってみればフローで、まあ非常に卑俗な表現をすれば死に金になっている不動産の価値を
自分の老後
生活のために有効に使うというそういうシステムでございますが、そういうものを導入している。これは言ってみれば、お
年寄りの自立を尊重した制度というふうに私は考えます。要するに、頑張れるところは頑張るんだという、そしてその上で有効に
自分の持っている資産を活用して、そして利用する。それは、そういうことによって、言ってみれば、これは消費者主権という不思議な
言葉を使いましたが、
社会福祉でこの
言葉がなじむかどうかは別といたしまして、消費者のイニシアチブ、利用者のイニシアチブでサービスを使っていくという、そういうものとして非常に重要な制度でございます。ただ、これはいろいろな問題があるのは承知をしております。資産を使い切ったときにどうするかというような、これは後ほど私の考え方を申し上げたいと思います。
それからもう
一つは、先ほどサービスの担い手が、協力員という
家庭の主婦が要るということを申しました。これはこの組織が、言ってみれば、地域に開かれた市民の参加を予定している組織であるということでございます。もちろん福祉公社の場合は参加型というには多少、例えば先ほど挙げました他の組織とは若干様相を異にしているというふうに私は思いますが、それにしても、地域住民で支えるんだということがこれに入っております。これは武蔵野市の福祉公社を考える場合、あるいは新しい
社会福祉の供給組織を考える場合に非常に重要な事実でございます。これは少しずつ
始まりつつあります営利的な
社会福祉類似のサービスとは違う、地域住民の連帯というものを基礎に、その上に有料のサービスを組み立てていくという、そういう考え方でございます。
それは当然のことながら第五の点の市の従来の委託の方式と異なった組織形態、要するに民間委託という表現がございます、それとは違うわけでございます。それから措置委託、
社会福祉でよく行われます措置費を決めて措置をして委託をするということとは違う、行政そのものではないけれ
ども、こういう
社会性を持ったといいますか、公的な性格を持った新しい意味での組織、これは第三セクターという
言葉が、その営利企業とそれから行政の間でさまざまな組織がつくられるのを第三セクターと呼ぶならば、これは神戸市の高寄昇三さんの表現をおかりすれば、地域
社会と行政が協力してつくった第四セクターとも言うべきそういう組織、要するに地域連帯というか、地域の地域連帯と行政の力を合わせて考えたそういう複合的な組織、それは単に民間ではなくて、
社会的な性格、公的な性格を持ったそういう組織であるというふうに私は解釈をしております。
そういうようなことで、福祉公社の利用者の実態でございますけれ
ども、先ほど申しましたように、現金払いが結構多うございます。
それから最後に、ちょっと表をお出ししましたように、資料3に
家族の形態と健康
状態クロスした表をちょっとお載せいたしましたけれ
ども、一人暮らしあるいは夫婦の世帯が多い。これは当然これからの都市
社会における
高齢化の中で、しかも子供の数が少なくなっているという
状況の中で、夫婦及び一人暮らし世帯が結構多いということ。それからもちろん結婚経験のない、例えば長らく女医さんをやっておられた方が、同じ女医さんの歯
医者さんでしたかの仲間と一緒に共同
生活をしながら武蔵野の福祉公社を利用なすっているとか、それからあるいは戦争で結婚する機会のなかった女性の方とか、いいなずけに亡くなられたというような、そういう方がいらっしゃいますけれ
ども、そういう意味で、あるいはお子さんがいらしても子供の数が少ないという中で、例えばニューヨークに駐在をしているとか、大阪に転勤をしているということで、子供は物理的に扶養が不可能である。しかも従来の
家庭奉仕員のサービスでは、所得から言ってどうしても利用に該当しないというような
方々が非常に多い。
それから階層的に見ますと、よく優良福祉は金持ち福祉だというふうに御批判をちょうだいするのでありますけれ
ども、事実として
生活状態を見ますと、フローのレベルで言いますと、これは判定をケースワーカーにしてもらったのでありますが、これはボーダーラインあるいは
生活扶助を受給してもおかしくないぐらいの
生活の
程度であるというふうに
判断をされる方が結構いらっしゃいます、もちろん高額の方もいらっしゃいますけれ
ども。
そして逆に言いますと、こういう例がございますね、
生活程度をそのレベルまで落としても、サービスが必要だから十万とか二十万そのサービスを優良サービスとして利用するという、そういう利用のなさり方をしている。そういう意味で言えば、金持ち福祉という批判は私はこのケースでは当たらない。むしろお金ではというか、市場的にさまざまなサービスを購入する、そもそも市場的に整えられていないわけでございますから、あるいはそもそもそういうものがそういう形で市場的に売り買いの関係で提供するのは不適切な領域のサービスでございますから、むしろ必要ならばお金を幾らでも出して利用したいという形で利用しておられる。それはそういう
生活の基本的な部分を支えるものだというふうに考えておられるということでございます。
お
年寄りの皆さんに会いますと、何よりも安心だとおっしゃるわけですね。今までの
自分の長い人生の中で、武蔵野の公社のサービスを利用するようになって初めて安心して夜休めると。いつでも来てくれる。これは言ってみれば、安心の意味というのは、孤立からそのお
年寄りを解消する、あるいは
社会とのつながり、定期的にケースワーカーが派遣される、それからお
年寄りに相互に集まる機会を基本サービスの中につくっておられる、そういう
社会性を確保する。それから万が一のときの予防機能、そういうものの複合としてこれは異口同音に安心だという
言葉が返ってまいります。
そういうような論点がございますが、福祉公社というのは、そういう意味で言えば、利用者を指向したサービス、従来の
社会福祉サービスというのは措置というシステムでございますから、ある尺度、物差しを当てはめまして、その上でこれは措置要件に該当するかしないか、それから
家庭奉仕員のサービスとして上限何時間、十八時間でございましたか、限定がございます。しかし、ここではニードの
状況に応じて、必要ならもっとサービスを派遣するという考え方、このことは、逆に言いますと、公的なサービスの質、量の不足というものを逆に武蔵野の福祉公社の実践が明らかにしているという、そういう問題でございます。
私は幾つかのケースをつぶさに拝見しておりまして、やはり公的なサービスとして対応しなければならない部分は、こういう新しいサービス供給組織がやっぱり担わざるを得ないという側面が随分あるのではないか。これは従来の
社会福祉の措置の仕組みというものが非常に硬直化して弾力性を失っているということなのではないかというふうに思っております。
それからもう
一つは、「ケースマネジメント」と書きました。先ほど言いましたようなサービスとニードを調整する機能を持っている、これは多分これからあらわれます営利的な企業と性格を分かつ
社会福祉の専門性ということと関係をいたしました機能でございます。今紹介をいたしました幾つかの組織の中でも、そういうケースマネジメントの機能を随分いろいろな形で持っております。灘の神戸生協もそうでございますし、ホームヘルプ協会もそうでございますが、そういうものでございます。
ただ、「課題」としてここに挙げましたとおり、今のところは武蔵野市の福祉公社は権利
能力なき社団でございます。御承知のように、財団法人の申請をいたしましたが、これは公益性がないということで東京都から却下されております。あるいは
社会福祉法人の申請をいたしましても、多分武蔵野市福祉公社は該当しないということで却下されることになります。ただ、
社会福祉法人は、
社会福祉協議会と施設が
社会福祉法人格を取得できる、中央共同募金会もそうでございますが、そろそろ在宅福祉サービス型
社会福祉法人というのを考えたらどうだろうかという
意見を私は持っております。
実は、横浜市で横浜ホームヘルプ協会というものが、従来ありました組織を市のイニシアチブで換骨奪胎をいたしましてこの十二月に発足をいたしまして、そのときに、先ほど御紹介いたした三浦教授、あるいは日本女子大の佐藤進教授などと一緒にいろいろな面で法律的な検討をしたことがございますけれ
ども、どう見ても、逆に言えば今の
社会と新しい
社会福祉組織というものが合わないのであります。これは、しかし、公益性というか、戦略的な重要性を考えますと、やはり法人格というものをきちんと与えて、公的、
社会的な責任を果たしていただけるような、そういう制度上の整備が私は必要であろうというふうに考えております。
それは実は、ここで「基金の設定」と書きましたが、例の老後保障基金の構想の中でも、担保にいたしまして使い残した場合に、それを寄附をいただいて基金として積み立てて有効に活用するとか、それから、あるいは市民の拠金を求めてファンドをつくっていくとかというようなことを構想をいたしますと、権利
能力なき社団では不可能でございます。御承知のように贈与税の対象にもなりますし、実質上それは不可能でございます。今は
社会福祉法人が言ってみれば寄附の独占をしている。寄附というか、そういう民間の自発的な拠金が常に最も必要な先端的な仕事が、実は民間の自発的な支えができない制度的な仕組みになっております。
御承知のように、寄附というものを大蔵省は非常に限定的に考えておりまして、
社会福祉法人以外は寄附しちゃいかぬ、それから試験
研究法人以外には損金扱いはできないとかという幾つかの制度の壁がございます。もう
一つ重要なのは、公益信託が私は使えるのではないかというふうに考えておりますが、これも税制上の恩典は何らございません。そういう意味で言えば、民間の自発性と言いながら、民間の自発性を発揮していただくための制度的な措置ということに、
社会福祉を含めて日本の従来の公的な仕組みというものがそういうものをむしろ無視をしてきたというふうに私は思います。それは逆に、措置委託という仕組みの中で公的な
社会福祉として取り込んで、言ってみれば、がんじがらめにしてきたという、多少きつい表現でございますが、私はそういうふうに考えております。
それと同時に、実は在宅サービスは、その活動をしてまいりますと、その拠点施設が必要になってまいります。特に都市の場合ですと、さまざまな、デイ
ケアという日常の援助をする、あるいは一時預かりというショートステイ、あるいは食事サービスの拠点、そういうものが必要でございますが、あるいは最近の小規模の
老人ホーム、まあシェルタードハウジングとか、そういうものが、これは実は現在の法体系とか施設体系では排徐されております。これは公的なサポートを何ら認可をされない。ということは、持ち出しで、自前でつくらなければいけない。そうではない、もう少しそういう試行錯誤を十分認めるような仕組みというものをぜひ考えなければいけないのではないかと。
時間をちょっとオーバーしておりますのではしょりますが、そういうことで、こういう武蔵野の福祉公社の三年、まあ四年目に入りますが、そういうその他のさまざまな実践の中で、新しい
社会福祉の方向、制度改革の方向が私は見えてきたというふうに思っております。ここに書きました「分権型」、国が基準を設けてがんじがらめにして
社会福祉をやるという時代はもう私は終わったというふうに思っております。
しかしながら、制度は御承知のように八割、まあ七割になりましたが、そうではない、新しい国、自治体の関与の仕方のルールというものを決める必要がある時代。それは民間活力という
言葉を、市場的、営利的なものだけではない、先ほ
ども言いました地域連帯に基づく参加型福祉システムと言いましょうか、そういうものを可能にするような形で民間のエネルギーを考えるべきではないか。そういう意味で、民間
社会福祉の意義というものを私は考え直さなければいけないし、そのための制度づくりが非常に重要であるというふうに考えております。これは、実は地域のさまざまな試行的な実践を踏まえた制度改革がこれから必要になってまいります。従来のような、国に予算をつけて、そしてそこから変えていくという、そういう仕組みではない制度改革が必要だろうというふうに私は思っております。
ただ所得保障は、これは逆でありまして、むしろ国ベースでのさまざまな努力が必要でございますが、
社会福祉サービスは、そのニードというものが個別性を持っております。それから在宅処遇原則という
言葉がございますが、その地域の中でその問題を解決していく。そういう動きを、やはり行政、それは地方自治体、市町村、県、国が支えていくというそのためのシステムをどうつくっていったらいいか。これは現実問題として、七十五歳以上人口を中心とします重度に
介護を必要とする人口がふえるのは必定でございます。予測をいたしますと、ある新興住宅地で、これは実は川崎市で私は計算をいたしましたけれ
ども、百合丘でありますとか多摩区でありますとかという近年非常に急速に
高齢化したところでは、七十五歳以上人口の伸びは、実は紀元二〇〇〇年で試算いたしますと三倍になります、絶対数が。そういう事態の中で新しい福祉実践が必要であろうと思います。
私は今、都市を念頭に申しましたが、それは実は過疎地域のことを考えますと今度は逆でありまして、福祉として自立してサービスをすることが実際問題非常に困難になる事態がこれから生じる。そうなりますと、今度はそういう場面では逆に、私は、例えば農業協同組合とか漁業協同組合とかという生産組織とそれから
社会福祉協議会のような福祉組織が融合したような新しい発想のサービス提供組織を考えなければならないだろうと。そういう意味で言えば、福祉というか
高齢化社会を支えます
社会福祉サービスというものが、もうそろそろ厚生行政とか福祉行政の枠だけで考えていたら話が済まない時代にどうもなりつつあるのではないか。もう恐らく、そういう線に沿ってどういう形で
社会福祉制度を考え直すかという時期に来ているのではないか、そういうことをこの武蔵野の実践が私たちに教えてくれるのではないか。
多少時間がオーバーしてしまいましたが、一応私の話はこれで終わらせていただきます。