○刈田
貞子君 大分
大臣のお気持ちがうかがえるような気がいたしますけれ
ども、いずれにいたしても私も個々別に、そして事例別にいろいろお伺いしたいこと等たくさん持っておりましたんですけれ
ども、ただいま社労
委員会におきまして慎重な御審議をなさっておるところでございますので、ぜひにこれが実効ある男女
雇用機会均等法が成立するように、私は実効あるものとして成立するように希望するものの一人でございます。
大臣も
政府原案にはいろいろ欠陥も今のところあるというふうに率直にお認めになっていらっしゃいましたので、その点私もぜひその欠陥をできるだけクリアする形のものができ上がっていくことを婦人の議員の一人といたしまして希望をいたします。
それでは次に、出稼ぎ
労働の問題についてお伺いをいたします。
今なぜ出稼ぎかということになるんですけれ
ども、農村では秋に一度出稼ぎの話が出ます。稲の取り入れが終わったころ、これから町に出て一稼ぎするという時期のことでございます。そして、今また都会の
労働が終わってふるさとに帰ってきて、その冬の間の自分たちの働きあるいは稼ぎ高のことについて話をしながら、出稼ぎ
労働の実態を集約するというのがこの四月の月に当たっているようでございまして、私のところへも岩手県の方から口頭ではございますが幾つかの話が届いております。その中でまとめて申し上げてみますと、ことしはやはり銭取りがよくなかった、こういう話が出ております。これは十人に七人の
割合で余りよくなかったという率直な意見が届いております。これは岩手の例でございます。そして、このような
状況だともう都会にわざわざ行かなくてもいいんじゃないかという、こういう気持ちのようですね。かつて高度成長期時代には、
日本の重化学工業などを中心にして部会の産業を支えてきた農村
労働力、そしてまた高速道路をつくり、あるいは地下鉄、高層ビル建設など都市の開発には非常にこの農業
労働力というものが果たしてきた役割というものは大きいものであろうかと思います。東京オリンピックの年あたりを中心にして本当にたくさんの農村
労働者が都会に入ってきて、そしてそのためにたくさんの問題があって、また国会等でも御審議があったこともよく皆様御存じかと思いますけれ
ども、今余り話が出なくなってきた。私もいろいろ
資料を探そうと思うと余りないわけですけれ
ども、私自身は大変にこのことを心にかけて関心を寄せている者の一人でございます。
統計によりますと、一カ月以上一年未満の期間の予定をもって出稼ぎに出た農家世帯員は、四十八年の三十万人を最高にそれ以降一貫して減少傾向を続けている。五十七年では
雇用情勢の悪化に加えて地元就労志向というものが高まってきたというような
関係から、前年に比べて六千人減少し十一万九千人、これは五十七年のデータでございまして、四十八年のピーク時から見ると四割になってしまった、つまり半分以上少なくなってしまったというわけですね。出稼ぎの話が余り出なくなったのもこういう実態にあるからではなかろうかというふうに私思うんですけれ
ども、ただ、ピーク時の四〇%になってしまったといっても、依然として農家世帯員が都会に出て働いているという実態があるということが
一つと、それから出稼ぎという
労働も四十年代では売り手市場だったのが、不況が続いてきている今日ではむしろ買い手市場になってしまって、自分たちが
仕事をより好みできない、選べないという
状況が出てきていることの中で、
労働条件が非常に悪化しているというような実態が私はあろうかというふうに思います。
それでまず
労働省の方にお伺いするわけですが、出稼ぎ
労働者の就労実態調査というのを
実施なさっておるはずでございますけれ
ども、この点についてひとつ御
報告をお願いしたいと思います。