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秋山長造君 例えば
日本なんかのような島国で全然かけ離れておる
国同士の
関係だと、
首脳会談だとか
巨頭会談だとかというような非常に派手な場面で
国交が悪くなったとかよくなったとかいうようなことがはっきりわかるわけですね。ところが、
中ソなんかになるとあの長大な
国境を接して、場所によってはどっちの領土やらわからぬようなところがいまだにあるようですがね。ですから、もうしょっちゅう隣の村へ行き来するような
状態で、
国境を越えていろんな交渉があるわけでしょう、日常。だから、そういう国際的には自立たない、
マスコミなんかの面には全然浮かび上がってこないようなごく日常的な面でいろんな積み重ねというものがあるわけだろうと思うんです。ですから、ただ国際的な非常に目に立つ派手な出来事だけを追っておりますと、中
ソ関係なんかいうようなものは非常に大きなミスをやる場合があると私は思うんですね。
例えばひところダマンスキー島
事件ですか、何か黒竜江――アムール川の川の中の島の
領有権をめぐって激しくやり合ったりしたことがありましたね。ああいう直接
中国が痛みを感ずるような
事件というものは近年全然ないわけですね。むしろどちらかといえば、そういう
国境紛争なんかはなくなってしまって、割合平和的にそれぞれの
地域で行き来をしておる
状態のようですね。
それから、例えばモンゴルと
中国との
関係はひところ非常に
国交断絶したままの
関係だったようですが、最近はまた非常にこれは
改善されつつあるような話を聞くんですけれども、そういうこと。それから、さっき
大臣のおっしゃったように
ベトナムなんかとの
関係もひところの険しい
関係とは少し和らいてきた、いろんな融和的な傾向が出てきているように思えます。そういうことから考えますと、それからもう
一つは、
中国のこれは余り
名前を挙げて立ち入って申し上げるのもちょっとどうかと思うんですけれども、例えば今の
中国の
外交関係なんかを担当しておられる
呉学謙外相を初めとして大体過去の
経歴からいいまして、親ソとは言いませんけれども
知ソですね、
ソ連を知るという、
知ソ派と称したらいいのかどうか、どっちかといえばいろんな過去の
経歴からいって
ソ連の事情に非常に詳しい方がずっと今の
ソ連、
モスコーへ行っておられる、
次官会議へ臨んでおられる何とかいう
次官がおられましたね、銭其シンさんですか、何かああいう人も大体そういう
モスコー育ち、
モスコー大学かどこかで勉強したような人なんですね。それから鄧小平さんにしても、きのう
演説された
ホウ真さんにしてもいわゆる
劉少奇路線と言われた人でしてね。それから千九百六十何年でしたか
モスコーへ乗り込まれて
理論闘争の口火を切られた当事者でもあるわけですけれども、しかしまたその反面、
理論面では論争されましたけれども、
毛沢東主席のようにもう金輪際
ソ連は許すべからざるかたきだ敵だということじゃなかったと私は思うんです、やはり
イデオロギー論争はやったけれども、しかし基本的には話し合いが十分できるという
関係はずっと持ってこられたような立場の
人たちだと思うんです。
だからそういうようなことをずっとつなげて考えてみますと、これは全くの想像ですから、こういう微妙な国際問題なんかについてむやみなことは言うべきじゃありませんが、ただ転ばぬ先のつえでね、余りこっちがもうへソテンでね、ああもう
日中関係はこれでいいんだ、いいんだというような調子で安住し切っておりますと、ある日突然びっくりするようなことが出てこぬ保証はないと思うんです、
国際関係については。ですから、別に
中ソが手を握ることが困るといっておるんじゃないですよ。それはどこの国だってけんかするよりは仲よくしてもらった方がいいに決まっておりますけれども、しかしまた反面から言いますと、
日本のグローバルな
外交戦略といいますか何といいますか、そういう面から考えると、いわく言いがたいいろんな影響というものは出てきますからね、ですからそれ以上は申しませんけれども、やはりいろんな
民間団体がそれぞれの
出先を
中国の各地へ置いているわけですから、
マスコミ関係を初めとしていろんな筋を通じて
情報は入ると思いますけれども、一番基本的なしかも権威を持った、
責任を持った
情報というのはやはり
外務省の
出先でしょうからね、その点はひとつ万々抜かりのないようにあらゆる
方面の細かい
情報というものに注意していただいて、
外務大臣がある日びっくりするようなことの起こらぬようにひとつ今からお願いしておきたい。
と申しますのは、私は今も覚えているんですが、
イラン革命が起こったときに、あの
パーレビ王朝が倒れたとき、
名前は申しませんけれども、あのときの
大使なんかは随分私は大きな失態があったんじゃないかと思うんですね。あの
イラン革命の
パーレビ皇帝が追放される直前にNHKの
政治討論会かなんかへ当時の
大使が出られて、そして
イランの問題について
評論家か
学者先生かが、
イランは危ないんじゃないかというようなことをしきりに問いかけられたときに、いやそんなことはないです。それはもう
イランの王政がひっくり返るなんていうことはとんでもないですというようなことを言うて、頭からそれを否定されたのを私はいまだに覚えているんです。その舌の根も乾かぬうちにあんなことが起きて、転覆してしまって、これはどういうことかな、
日本の
外務省というものはどういう
情報を集めておるんだろうかと思って、私は非常にびっくりした記憶があるんですよ。たしかそういうことがありましたよ。そのときのことを今蒸し返すわけでも何でもありませんけれども、やはり
外務省の
出先機関の
情報収集ということがいかに大事かということを私は本当にそのとき痛感した。
それで、当時、園田さんだったか
外務大臣をしておられたと思うんですが、そのとき私は個人的に
大臣へ、きちっと
中近東、
東南アジアあたりの
情報網というか、
外務省の
出先機関というものをもう少し充実されたらどうかと。
ヨーロッパとか
アメリカの方のことはいろんな
ルートを通じて
情報が入りますけれども、
中近東、
東南アジア、まあ
アジア関係の
情報というのは、これはなかなかいろんな
ルートから入るというわけにいきませんので、やはり私は
外務省の
出先機関というものをしっかり充実して、そしていやしくもそういうあけてびっくりというようなことの万々ないように特に注意していただかなきゃいかぬのじゃないかという気がするんです。
これはまあ
外務省の人事の問題にも関連してくるんですけれども、やはり表街道と裏街道が、これはあるべからざることだし、あってはならぬことだけれども、事実上ないということは言えぬので、だから
日本の身近なところ、
アジアだ、
アジアだ言うて、自由国家の一員であるとともに
アジアの一員だということを総理
大臣も
外務大臣も事ごとに強調しておられるぐらいですから、そういう
情報収集といいますかね、いかなる場合も細かい
情報まで正確に
外務省が握っておる、
大臣が知っておられるということが、本当にこれからますます重要になるんじゃないか。いかがでしょうか。