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中村哲君 私は本来文教
委員会に属しているんですけれ
ども、文教
委員会の管掌事項としても非常に大きなユネスコの問題についてここで外相その他の
外務省側の見解をお聞きしたいのと、私の意見も言いたい、こう思ってそれで今回は
外務委員会に出席させていただいたわけですが、本論に入る前に私自身広い意味で国会の通営とか、国会の将来とか、こういうことは戦前からの専門の
分野でありますために、戦前も貴族院当時の本
会議を何回か傍聴に参っております。殊に私がまだ学者の見習いのときに先生であった美濃部達吉先生が天皇
機関説について当時の
議会で問題になりまして、その何といいますか
説明の演説をされまして、当時美濃部先生は勅選議員でありましたが、その当時は
議会というものが本
会議中心で、しかも読会制度になっておったもんですから、あれほどの大きなことになりますと議員がみんな一斉に本
会議に出ていて、重要な問題というのは議員がわざわざこういう
委員会に出てこなくても総観できたわけですが、今日の戦後の国会に出てみますと、
委員会というものは非常に発達しているが、一方において、これまた私は参議院ができてから間もなくある雑誌で傍聴に参ったことがありまして、その当時ともまた違って、本日の
委員会がそうであるように、何か官庁の各省の区分けと国会の
委員会の区分けが一列になってしまいまして、本日文部省から
外務省に出てきたような
感じになっておりますが、そういうことにかかわらず国政一般について多少脱線してお話を聞きたいと思っております。
本来ユネスコの問題は、戦後の国際化した
日本として、国連などと並びまして非常に大きな、
世界における
発言の場でありまして、終戦から憲法ができましたころには、国内問題としては国会、それから国際問題としては結局米ソを
中心としてすべての国家の代表が出てくる国連、こういうところですべてが決まっていく、これが戦後の新しい歴史の
方向である、こういうふうに
考えていたし、また多くの人はそう言っておりましたけれ
ども、その中のユネスコが今やや危機に瀕している
感じを受けるので、それについてお聞きしたいと思うんです。
一月の末から二月にかけましてストラスブールで欧州評
議会が開かれ、そしてその席上に国
会議員の一人として、
日本側のオブザーバーの一団に加わって出ておりまして、その機会にかねてから問題になっておるユネスコ問題を目で確かめておきたい、こう思ってパリのユネスコの本部にも訪れましたし、ムボウさんとも会ってみたりいたしました。そして幾つかの国を歴訪しましてから
日本に着く直前の香港の
新聞を目にしましたときに、香港の
新聞に
日本では知られている加川
大使が突如として東京から派遣されて、そしてかなり重要な
発言をした、こういうふうな記事がありまして、そのとき私も非常に意外に思ったのです。というのは、パリで多少関係の方々にも会ったりしておりまして、そういう
空気がなかったのにアジアの
日本の近郊の近い国の
一つである香港で非常なショックを受けたような記事がありましたので、それで、この問題は、実際に
外務省あるいは
政府それから出先の加川
大使等がどういうつもりで行動され、
発言したかという問題もありますけれ
ども、
世界の
各国の受け取り方が非常に異常だったということだけは事実だったと思う。国際問題というのは、こういうつもりでやったと言っても、その客観的な作用といいますか、反響というものが、これがまた
日本に返ってくるんですから、その意味で本日この加川
大使の
発言その他について最初にお聞きしたいんです。
この加川
大使のユネスコにおける
発言及び行動というものは西欧諸国にも非常に大きな驚きであったようでありまして、例えば、ここにはスイスの二月十六日の記事がありますけ
ども、それには
日本が
アメリカの脱退についてユネスコに対して秋まで、ヘルプストと書いてある、つまり最終的にはこの秋までということなんですね。これは加川
大使がそういうふうに言ったというんじゃなくても、この秋までと具体的な改革を要求した。で、これは島国であるということは、非常に離れた、西欧とはまた違う予想のつかない不思議な国という意味でもありましょう。インゼルライヒの、島国からのそういう使者がやってきて
発言したんだと言って書いているんですが、これはアジアの諸国に与えた影響と同じように非常に
世界の注目する問題になっているわけです。それで、この加川
大使の
発言の内容を一応
日本文とそれから英文で言われたことも見せていただいて拝見したのですけれ
ども、この当時は場合によっては脱退するということを含めた意味で加川
大使は
相当な決意で臨むということでパリのユネスコの執行
委員会に出かけられたものなんですか。これはユネスコの本部の関係の、あそこには代表部、
日本からも常駐している人がありますけ
ども、それとは違って東京ということを特にどこの
新聞でも書いてある。東京からの
特使、東京からの
特使というと、
現地の人が
考えたというのではなくて、やはり普通に
考えて
政府あるいは
外務省と、こういうことになりますんですが、そこではどういうことを加川さんに委嘱されたんですか。