○
参考人(関
寛治君) 約二十五分ぐらいというお話を聞いておりますので、その範囲におさめるつもりでございますが、私の話は大体四つの部分に分かれると思います。
最初の部分は、
日本が置かれている現代の
状況をどのようにとらえるのか、つまり、
太平洋時代と言われているような中での
日本の位置づけ、次に、
米ソの軍拡競争と日米の
経済貿易摩擦というのは、これは両方とも対抗
関係でありますが、その対抗
関係をワンセットにして考えた場合にどうなるのかということ、三番目は、非常に地球的な規模の現在の構造の中で
日本の持っている知識、
情報の位置づけというもの、それから最後に、地球的な規模の発展という概念がどういう形で可能になるのか、
日本がそれに貢献できるのかどうかということについてお話をさせていただければ幸いであります。
現代
世界の理解で何よりも突出している
太平洋時代というものが言われております。
太平洋時代は最近は大学の学生も非常に
関心を持っておりまして、五月祭で東大の学生も国際政治研究会がいろいろなインタビューをやりまして、「
太平洋の時代を検証する」というのを出したわけでありますが、そういう
関心の
中心になっているのは何と申しましても
世界じゅうに非常に解決の難しい問題、この解決の難しい問題をグローバルプロブレマチック、地球的問題群と呼びますが、そういう問題群がある中で、ほのかに
アジア・
太平洋地域だけがある種の明るい側面を持っているということに基づいているわけです。その明るい側面と、もう
一つの非常に暗い側面、つまり
米ソの核軍拡競争がNATO
地域から
太平洋地域に移行してきて、SDIというようなものが現在重要な争点になっているわけですが、そういう中で
太平洋時代というものはどういう位置づけにあるのかという、そういう
関心だろうと思うのです。
明るい側面についてはいろいろ言われておりますが、
経済成長が非常に高いとか
貿易量が非常に多いとか、あるいは
日本の対外投資の中でも八二年の段階で三八%が対米投資になって、一千億ドル以上も
日本の対米投資があるというような
状況で、日米
関係の摩擦といいましても、従来の構造をはるかに超えて、理解を超えるような
状況が出てきている。つまり
アメリカが本当に地盤沈下したのか、
アメリカは猛烈な力をまだ持っているのかどうかという議論の中に、
日本が
アメリカの
経済を助けているという側面を無視して議論できないような
状況が出てきているわけです。そして、
アメリカの
経済の
中心が当然大西洋岸から
太平洋岸に移ってきている、あるいは南部が非常に
活動力を持ってきて、ハイテク、ハイサイエンスはそっちの方に集中し始めているという問題、こういう大きな
アメリカの内部の構造変動と
日本の
経済の発展というものが密接に連関しているという、そういう
太平洋時代を見る必要がある。
そして、
アメリカにとって非常に解決困難な問題というのは、恐らく中米が一番難しいだろうと思う。それから中東もちょっと
動きがとれないという面がある。それに比べると
アジア・
太平洋地域においては、
朝鮮半島の問題に見られるとおり非常に明るい展望が目の前に浮かび上がり始めている。これをどうするかというのが
日本の非常に大きな責任であろうと思うわけであります。
こういう中で、
日本の位置づけをどういうふうにしたらいいのかという点から、次の三つの問題、つまり
米ソ関係と日米
関係の問題、そして臨教審に示されているような教育改革の問題、これは
日本の教育改革の問題じゃないと私は思っているのです。
世界全体の教育改革につながる問題だというふうに思っているわけですが、その問題があり、そして地球的な規模の発展が可能なのかどうなのか、
日本がそれにどういう
役割を果たし得るのかというところに焦点が移るだろうと思うのです。
そこで、まず
米ソ関係について一番大きな問題は、これは大きな争点でありますけれども、一体七〇年代中ごろにできたデタントはなぜ崩壊したのか。これは冷戦起源論と同じようにデタント崩壊論というのは非常に大きな争点だろうと思うのです。
アメリカに言わせれば、はっきり主張するわけですけれども、七〇年代というのは
アメリカはベトナム戦争に失敗して、そしてニクソン・ドクトリンでだんだん兵力を縮小していく、そして、
軍事予算も七〇年代中ごろは大体凍結に近い
状態になった、にもかかわらず、
ソ連の
軍事費は伸び続けた、そして、いろいろなところで問題が起こったというわけであります。しかし、私はこの見方には必ずしも同意しないのです。
なぜならば、まことにそうなのです、
アメリカが
軍事費を七〇年代中ごろにかなりストップしたけれども、
ソ連の
軍事費が伸びたというわけですが、実はこのとき何が起こったかと申しますと、キッシンジャー
外交が展開されたわけでして、キッシンジャー
外交は完全に勢力均衡
外交に移ったわけです。ニクソン・ドクトリンで兵力縮小するかわりに勢力均衡
外交に移りまして、米中
軍事同盟というような方向がまたキッシンジャーの中にはっきり出ていなかったけれども、大体
軍事的な路線としてはそういうものが浮上してきていたわけですね。ベトナムはその中から取り残されるものですから、
ソ連と結びつくと。そして、
ソ連にとっては
アメリカと
中国を含めたものに対抗する形でベトナムと結べば、当然これは
太平洋に艦隊を出してくると。
それで、従来からの
ソ連の基本的な路線という
のは
アメリカに追いつけだったわけです。だから追いつくところまではいくということが、まず間違いない一貫した
政策だったわけで、その点がさまざまの
研究者によって、その時期の
米ソ関係をどうとらえるかについて非常にはっきりしたイメージが出ております。つまり、
ソ連が
軍事費を増し続けたということが、
アメリカの方はストップしたのにと。これは間違いないわけなのですが、しかし、勢力均衡型の大きな問題が生じてきたために、
ソ連の
外交はそこで必ずしも
アメリカが
軍事費をストップしたと同じ方向に行かなかったという問題を見る必要があると思います。
それから、もちろんその間、核ミサイルを
中心とした
軍事技術が急速に向上した。この
軍事技術の急速な向上というのは、
ソ連にとっては
アメリカの方がどうしてもこれは先であったわけですから、それに対応するという姿勢というものがSS20につながったという
分析は非常に明快なわけであります。
さらにもう
一つ、中東の問題で申しますと、
アメリカは
軍事費をストップしたけれども、今までの
軍事産業が大量の兵器を製造しておりましたから、
軍事費がストップすると、その兵器生産したものをどこかに売りつけなきゃならないということで、それと
アメリカの
世界政策が結びつきまして、ベトナムまで行っていたものがイランとサウジアラビアに非常に大きく切りかえられた。ところが、イランの方はその結果として逆にひっくり返ってしまったわけです。大きな革命が起こったわけです。この革命は、
ソ連というのじゃなくてイスラムファンダメンタリズムが基盤にありたわけです。その波及効果は当然アフガニスタンにも及んだわけでありますけれども、アフガニスタンは
ソ連と接触していて、しかも、それまでちょうどイランを
アメリカが把握しているがごとくアフガニスタンを
ソ連が把握してたので、簡単に
ソ連は地続きで出兵してしまった。
ところが、カーター政権はイランに出兵できないわけですから、フラストレーションはますます大きくなる。そうして
アメリカはナンバーツーになる。したがって、チームBが
活動し始めまして、チームBのグループで戦略論というものも、例えばフォスター氏の、最近翻訳されていますけれども、「コンパラティブストラテジー」なんかの中に非常にはっきり書かれているわけですけれども、現在の初期のレーガン
政策の軍拡の方向というものを完全に基礎づけるような議論が展開されているわけです。このフォスターの本の中を見てみればわかりますけれども、カーターのときには
朝鮮半島から軍隊を撤兵するニクソン・ドクトリンのの延長線上で撤収しようとしてたわけですけれども、それにストップをかける非常に強固な議論がその中で展開されているわけです。こういうようなことを通じまして、冷戦再開という
事態が再び大きな軍拡を
アメリカが再開するという形で始まってきた。こうして、
米ソの対決が第一期レーガン政権の間は非常に危機的な
状況になったわけであります。
このようなデタント崩壊というものを見てみた場合に、私どもはそのデタントが崩壊して、その再開された冷戦
政策というものが非常に大きな壁に
世界じゅうでぶつかっている
事態を見る必要があります。したがって、今は基本的な
世界の空気は、再開した冷戦をいかにしてストップさせるかという方向が地球政治の中の草の根レベルで非常に上昇している。
アメリカを含めてそうであります。このような
動きの中でレーガンは再選されたわけですけれども、再選のやり方を見てみますと、もはやレーガンは平和の大統領だということを公然と言わずしては再選がほとんど不可能だった
状態であります。
レーガンは再選しましたけれども、
軍事費ストップの
状況。このような
状況が
アメリカに出てきているということは、私は、
アメリカが今まで再開した冷戦
政策というのは、
世界的な
意味でも大きな壁にぶつかっただけではなく、
アメリカ国内の
経済の問題を通じても大きな困難にぶつかった。二千億ドルの財政赤字、一千二百億ドルを超える
貿易赤字と高金利、そして
アメリカにますます外国の資金が流れ込んできているというこういう
状況。
アメリカの輸出競争力は全くなくなってしまった。こういった
状況の中で、
米ソ関係の危機というものは、我々の日米
関係の問題にシフトさせて考えてみる必要があろうかと思います。
日米
関係について言えば、戦後四十年の間に
日本は
アメリカに追いついてきたわけです。現在
アメリカの
経済はなお
日本より強い。
日本がまた弱くなるというような議論も出ておりますけれども、過去四十年の歴史を見てみれば、もう
アメリカの
経済競争力を
日本の
経済競争力が追い上げてきて、完全に互角の勝負をやるまでに近づいているということが言えるわけです。もちろん宇宙とか
軍事産業の領域では明らかに
アメリカが優勢でありますし、ある種の先端産業の部分、例えばコンピューターのソフトウェアでは
アメリカの方がはるかに強いというふうにまだ言われております。確かにそれは事実でありますけれども、物をつくる領域では圧倒的に
日本が
アメリカを追い上げて、
アメリカの競争力が全くないわけです。
こういうふうな追い上げ過程の背後にある
日本の強さというものは一体何であったかというと、明らかに非
軍事的な
日本経済の発展である。その非
軍事的な
日本経済の発展を支えたものは、
日本の知識、
情報というものが非
軍事的な民需産業の発展のために知能が動員された。これに対して、
アメリカでは軍需産業の発展のために
最高の知能が動員されたわけです。そして
アメリカでは、基礎科学においては
日本にまさるものが現在あらゆるところにあるわけですが、それを民需産業の形に応用することはできなかった。
日本がそれを全部いただいてきたという形になります。このいただいてきた形というのは何かといえば、フルブライトとかいろいろなものを使いまして
日本人は安い金あるいはただで
アメリカに出かけていったわけです。
そして
日本人は、明治以来の教育のおかげで読む能力はあったけれども、話したり、書いたり、聞いたり、しゃべったりする能力は余りなかった。そこで
アメリカ人は、
日本人は愚かだろうと思って安心していたら、書いたものはどんどん持っていっちゃう。ほとんどただに近い形で
アメリカの知識、技術を
日本へ持ち帰りたわけです。そうしてそれを使って安く第三
世界から輸入してきた原料に加工をして、その加工部分は非常に大量ですから結局輸出いたしまして、
アメリカからポンプのようにお金が
日本へ流れてきた、こういう形で
アメリカに追いついてきたわけです。
こういう形で
経済大国になりますと、当然
アメリカは
アメリカの現在の古典的な戦略から見れば一番いい方法は何かといえば、
ソ連と対抗するために
日本を使えということであります。
日本の
軍事力を増強させれば
日本の
経済力を弱めることができる、それによって日米の
経済競争では
アメリカは勝てる、同時に
日本の科学技術と
経済の力を使って
ソ連に対抗する、それで
アメリカは
ソ連にも対抗できるという、こういう古典的な戦略が頭の中に浮かんでくると思うのですが、この古典的戦略は
アメリカ人は賢いように見えて一番愚かであるということになります。
何と申しましても、現在
経済の側面では
アメリカは
日本から学びたいというので夢中であります。
アメリカ南部の四十ぐらいの大学を回りまして、私の実感なのですが、ビジネススクール、つまり経営学部とか商学部に相当するところは
日本語に一生懸命であります。これは
日本から経営の仕方であろうと何でも学ぶという点が非常にはっきりクローズアップされております。ところが残念ながら、
世界全体の
軍事的
安全保障の問題では、さっきも申しましたようなフォスターさんの「コンパラティブストラテジー」とか、岡崎久彦氏の「戦略的思考とは何か」とかは、みんな
日本に輸出されてそして
日本の
安全保障政策を
アメリカがつくった枠内でつくらせる、要するに
日本はそれに従っているという
状況であります。
そこで現在、
日本の
経済力がこういう
状態になり、
アメリカと競争可能になったときに、そのア
メリカの
考え方を百八十度転回させる必要性が現在
日本に出てきている。しかし残念ながら、
日本の知能がまだそこまで結集していないわけです。
アメリカの
軍事戦略に従いなさいというのが幅をきかして、
日本の
情報秩序を支配しているわけです。これに対して我々は何をなすべきかというのが決定的な問題になろうかと思います。その何をなすべきかという決定的な問題の
一つとして、私は教育の問題があるということを指摘せざるを得ない。
大体、明治以降の
日本の教育の発展を見てみますと、
日本は段階的にうまくやってきたのですね。小学校から実業教育、高等専門学校、戦後は大学の
自由化であります。大体小、中学校ぐらいの教育が非常に発達しているときは、高等教育というのは必ずしもうまく発達しないという非常に不思議なトレードオフ
関係があるのです。これは非常に奇妙な話なのですが、私はその奇妙な
関係を発見したわけです。戦前までは
日本の大学教育というのは私は余り大したことなかったと思うのです。戦後、大学教育というのがやはり
自由化したことによって大量の大学卒業生を生み出して、これが戦後の
日本の発展の基本的な原動力になったわけです。ところが、それは私は六十年代の終わりの大学紛争で終末したと考えております。
その後、六十年代の大学紛争で終末したそういう問題の中で、実は
国連大学が生まれてきて、そして
日本人の武者小路先生が
国連大学の副
学長になられた、これは非常に大きな
意味を持った出来事だと思っておるのです。ところが、残念ながら
国連大学ができた後、
日本の一般の大学の大学改革はちっとも進んでいない。はっきり言えば、
日本の大学はこれから国際化しなきゃいけない、あるいは企業が海外に出ていっていることで、
日本の大学がどんどん海外に出ていくことができるようにしなきゃいけない。そのかわり、もちろん大学を
自由化すれば外国の大学も
日本に輸入しなきゃならないのですけれども、それがちっとも進んでこない。
そこで、香山健一さんみたいに文部省廃止論などというのが出てくるのですが、明治維新後百二十年たてば、文部省が解体されなくてもすべての制度がある新しい形に変わらなければいけない。これは第二次明治維新と言っていいと思うのですが、第二次明治維新は
日本の明治維新じゃない、地球的規模の明治維新なのです。
国連大学を
中心にした知識、
情報の傘の
もとに
世界じゅうの大学が入るような、あるいはその傘の
もとに
世界じゅうのシンクタンクが入るような新しい知識、
情報秩序の改革の青写真を
日本がつくる責任を今持っているのじゃないか、それを外国の一級の知識人が求め始めているということがあるわけです。
例えば、ヨハン・ガルトンクという平和
研究者はパリに六十講座ある平和大学をつくりました。それからアナトール・ラパボート氏はトロント大学にサイエンス・フォー・ピースという平和のための科学のカレッジをつくったわけです。そのほか
アメリカでもナショナル・ピース・アカデミーをつくる
動きがあります。そして、それは今研究所の方に何か焦点がシフトしたようですが、いろいろの大学が新しい方向を模索し始めた。これは相当のところまで進んでいますけれども、まだこれはほんの萌芽だ。
日本の場合は萌芽よりもう少しおくれていまして、大学改革はなかなかうまくいかないわけです。そこで臨教審ができていろいろ議論しておりますけれども、臨教審が、これは
外交問題とは無縁だと思っている人が非常に多いと思うのですが、実は臨教審が取り上げている大学改革の問題というのは
日本の
外交政策の
中心的
課題でなければならないだろうというふうに私は考えております。
こういうような中で、一体そういう大学改革というものが空想ではないという事実を見てみる必要がある。空想ではないということは、現在
アメリカにおいても産業構造が変わる中で先端的な産業構造が生まれつつある
地域、新しい発展が生まれつつある
地域は必ず第一級の大学のハイサイエンスとハイテクノロジーを発展させつつある。その周辺に新しい産業が興って雇用が創出されて新しい発展が起こっている。今後はこれは
日本でも同じことだろうと思います。そういうレベルの問題が実は科学技術というレベルより、より広い大学の地球化、
世界化という段階であらわれてくるというのが私の見方であります。
なぜかといえば、
アジア・
太平洋時代の一番大きな問題は、
アジア・
太平洋時代と言っているにもかかわらず、地球的な規模での新しい発展を我我がつくり出していく上の障害というものが
アジア・
太平洋時代にもまだ残っているわけです。第一の障害は何かといえば、これは周辺
地域において国際紛争が残っており、それを基盤にして軍拡競争が非常に激しく続いている、これを解決しない限りは地球的規模の新しい発展は始まらない。地球的規模のいわゆる離陸という概念が定着しないのではないか。
テイクオフ、離陸という概念は
もともとロストウ氏が発展途上国の
経済発展がうまくいかないで悪循環している
状況をとらえるための概念として出てきたわけですが、実は地球的規模で一体我々は離陸したのかどうかというと、軍拡競争が続く限りは私は地球的規模の発展というのは決して離陸できないというふうに思っております。こういう周辺
地域の紛争を解決することと、極めて先端的な産業を育成することというのが
一つのワンセットの問題として考えられなければいけない。
周辺
地域の紛争を解決するためには、紛争を解決することと周辺
地域の貧困とか差別とかをどのように除いていくか、そのための投資が必要であります。その投資はある
意味では
国内の投資でいえば社会
政策的な投資に非常に近くなると思うのです。先端的な部分を発展させるのは、これは社会
政策的な投資ではなくて、全体として科学技術の先端部分を発展させるとか、あるいは全体として発展のためのインフラストラクチュアの一番最先端部分を育成していくというところに問題の焦点があろうかと存じます。
大体、
日本の戦後の発展を見てみましても、通産省を切めとして先端産業を常に育成してきたわけです。ところが現在の先端産業は何か。普通多くの人々はこれはコンピューターのソフトウェアとか、そういう部分が先端産業であらうというふうに考えているわけですが、実は私は教育、知識、
情報、全体をどのように再編成するかということ、つまり新しい大学とか新しいシンクタンクが基本的な先端産業になるという
考え方を持っております。こういう見地に立ちましたときに、現在
日本の大学はほとんど改革不能
状態に置かれているわけです。せっかく
国連大学ができたのですけれども、いろいろの大学がみずから下から
国連大学を支えるようなものに自己改革する能力を持ってない。そのことを考えますと私は、大学の国際化を
外交政策のレベルとして取り上げる必要がある、そうして新しい大学の発展を考える必要があるということであります。
これらの
動きというものは、既に
太平洋時代を提唱されたかなり初期の時代に部分的には出ているのです。例えば大平総理の時代に環
太平洋圏構想で報告が出ておりますけれども、その中で出ておりますのは、要するに現在言われている平和の船に相当するようなものを海外に派遣するということ。ところが、これがちっとも大学改革と結びついてきていないわけです。つまり、船が平和大学として
世界じゅうを歩き回るという発想方法がちっとも出てきていないわけです。現在、船を持っている大学というともちろん商船大学とか、あるいは
軍事関係の大学とか、東海大学は小さいのを持っておりますけれども、すべての大学が仮に五万トンクラスの平和の船をつくりまして、毎年
世界じゅうを回るということで、これは国際
関係の学科の学生を全部乗せる、そうして単位を上げるという形にするためには、これはやっぱり文部省の今の大学設置基準法を変えなけれはどうもうまくいかないのじゃないかというふうに私は思っております。
そういうことがちっともやられておりませんから、私は大平内閣の時代のそういう船の構想とい
うものを深刻に受けとめましたから、ついこの間、四月二十六日から平和の船というのに、これは
ソ連船をチャーターしたわけですが、乗りましてナホトカと北朝鮮、朝鮮
民主主義人民共和国の南浦と
中国の天津、北京に行ってきたわけであります。これは三百一人の人間が乗りまして未曾有のことだった。船の中には百二十の講座が設定されました。そうして最新型の日電のパソコンを積みましてパソコン講座をやりました。それから船の中では
日本海に平和の秩序ができるかという国際
関係のシミュレーションをやりました。そうして、
ソ連でも北朝鮮でも
中国でも大歓迎を受けました。北朝鮮に三百一人の人間が行ったというのは、これは驚くべきことであります。
そうして、若い人々は三国を訪問した後、船の中で討論をいたしました。これらの討論は千差万別であります。若い人は非常に自由に物を感じるわけです。したがっていろいろの感想が出てくるわけです。これらを
一つ一つここでは申し上げませんけれども、しかし共通の事実が
二つある。
一つの事実は何かというと、今まで
日本で
ソ連とか北朝鮮とか
中国について書かれていたことから比べると、自分の目で見た
ソ連や北朝鮮や
中国は、少なくとも
日本で言われているよりはましな国であるということを実感で感じたということです。それから二番目は何か。これは全然逆なのですけれども、にもかかわらず、我々は
日本にやっぱり住みたいという気持ちを持っている人が圧倒的に多いのです。ごく少数、
ソ連に住みたいという人はやっぱりおりました。かなり
中国に住みたいという人はいました。しかし、
日本へ住みたいという人が若者の中で圧倒的に多いわけです。私は、この
二つの事実は非常に貴重な問題だと思っているのです。
なぜかと申しますと、
日本は今や、そういう
意味では
世界のいろいろな国と比べた場合に非常に住みよい国になっているからもっと自信を持っていいのではないか。必死になって
情報コントロールで、
ソ連が悪い国だとか、北朝鮮が悪い国で危険な国だとか、
中国は悪い国だという、そういう
情報を流す必要は全くないのではないか。そういうことを流す必要があると思っている人がいるとすれば、これは時代おくれである。今や我々は
ソ連にも
中国にも北朝鮮にも出ていくべきなのだ。だから非常にはっきりしていることは、
日本人の対ソイメージというのは非常に悪いのです。嫌いな国を学生にアンケートをとりますと、
ソ連がトップに出てきます。私は毎年やりますけれども、いつでもトップに出てきます。しかし、
ソ連に行って
日本について聞くと、大部分の
ソ連人は、
日本というのはすばらしい国だ、学びたいというわけなのです。これは驚くべき違いだと思うのです。こういう
状態を突破しなければならない時代が来ているのです。私は
日本海・
アジア平和の船に乗ったわけでありますが、まさにそれは多くの人々の印象を通じてはっきりと実証された感じがいたしました。
そこで、私は
ソ連に行ったときに何を言ったかというと、もうそろそろ
日本海を
中心にした軍拡競争をやめようじゃないかと言ったわけです。ただ、
日本側が
日本海非核化と言うと、
ソ連は渋って反対だと言うのですね。これなぜ反対かというと、樺太とかカムチャッカの非核化が入るのかとか、あるいは
日本の
太平洋岸の非核化を無視して
日本海だけが非核化できるのかというわけです。仕方がないから、
日本海の非核化じゃなくて、
日本海を善隣友好の
地域というふうに私は妥協したわけですけれども、本当は
日本海非核化したいのですね。
日本海非核化するためにはインフラストラクチャーをつくらなきゃならない。したがって、
日本海側に新新幹線、リニアモーターカーを敷いて、朝鮮にもトンネルか鉄橋をつくる。樺太から北海道にもつくる。シベリアにもつくる。一回り二十五時間か三十時間で右からも左からも回る。そして重要な
地域に第一
日本海大学、第二
日本海大学といった国際的な大学つくる。
アメリカ人も教官になる。そしてそこで多国籍の教育をやる。その周辺にハイテク都市をつくる。そのハイテク都市のネットワークを
日本海に張りめぐらせる。コンピューターのネットワークを張りめぐらせる。
こういうアイデアは、既に
アメリカのノースウエスタン大学のハロルド・ゲッコウ教授が、去年の十月に新潟大学に来て新潟大学で話をしたときに我々との議論の中で出したわけです。そういう方向というものの
可能性が
太平洋時代において考えられないとすれば非常におかしいわけです。なぜなら、
太平洋時代というのは
日本海を含むものである、
日本海を含まない限りおかしいわけなのです。周辺
地域の発展を我々は考えるべきときに来ているのではないか、
朝鮮半島についても、もはや解決可能であるというのが私の
意見であります。
大体、七二年にニクソンが訪中したとき、もしその勢いをもう少し引き伸ばせば
朝鮮半島の問題は解決できたはずなのです。しかしキッシンジャーの構想というのが、
大国中心主義的パワーポリティックスという古臭い
考え方に乗っているために冷戦再開につながったわけですが、そういう中で、
朝鮮半島の問題の解決は延びてしまった。七二年の七四共同声明があったにもかかわらず今まで延びた。もう今はこれは可能なわけです。あの時期は
中国も、
アメリカと
軍事同盟を結ぶとかそんな話を言っていたわけですけれども、しかし、今や
中国は中立的になり第三
世界向きになりました。そして
朝鮮半島の問題の解決は極めて熱心であります。これに
日本が協力すれば必ずできる。
アメリカの内部でも、
朝鮮半島の問題は解決できるという
考え方を持っている人が圧倒的に多くなりました。七三年に私が
アメリカに行ったときに、それを説得して歩いたわけです。そのころは反対する人間が七人、賛成する人間が三人ぐらいだったのですが、今は恐らく私は、七人と三人がちょうど逆になったというふうに思っております。
そういうような
状況で、
日本がなぜ
朝鮮半島の平和の解決のために主導権がとれないのか。
経済的には
大国になったときには、それで主導権がとれないのなら、政治的には依然として三流、四流ではないかというふうに言わざるを得ないわけです。
私どもに、SDIというものが出てくることによって現在さまざまの論議が起こっております。例えば、古典的な抑止戦略に戻れという、これはMAD戦略と言われておりますけれども、MAD戦略を主張する永井陽之助教授に対抗して、またチームBにつながっているような、
アメリカにつながっているのはNUTSという方を促進して、そしてSDI支持、こういうふうにSDI問題でもいろいろの議論がなされておりますけれども、私はこのSDI問題が、もし中曽根総理の言われるように理解されるなら、非核をどんどん進めなきゃいけない。そもそもレーガン大統領が言っているわけです。もしSDIが完成すれば抑止力というのはゼロになる、これは、
アメリカが先につくっても
ソ連が先につくっても抑止力はなくなっちゃうわけです。そこで困ったものですから、
アメリカが先につくった場合にはSDIは
ソ連の方にも配備しますと言っているのですね。
アメリカが先につくったようです。これはレーガンはそういう回答をやっているのです。これが全くSDIの持っている内的な矛盾というものをはっきりと示しているだろうと思うのです。
そういう
意味では、SDIをもし開発するなら、国際的な形で、
米ソ協力して開発するならいいだろうと思うのですが、そうでないと非常に危ない問題が含まれているということを結論として申し上げざるを得ない。
そのSDIの一番の基盤になる最新の科学技術、つまりハイサイエンス、ハイテク、マイクロコンピューターを
中心にしたさまざまの技術、こういう技術が
軍事的な開発とはっきりと結合する方向は危険である。これに反して、現在のパソコンというものは非常に安くなりまして、若い人々が個人で買えるわけです。したがって私は、パソコンを
中心にした市民的なレベルの新しい知識情
報研究プロジェクトというのをつくるべきである。大学なんかは非常におくれていまして、特に文科系などではいまだに、パソコンなんかを導入するのに極めてネガティブなところが非常に多いのです。これはもっと積極的に文部省がそういうものを促進して大学に五百ぐらいパソコンを置く、あるいはコンピューターの端末を置く、そういうような大学をつくって、そしてパソコンが平和のために使われるというのを市民レベルでやるべきではないか。市民レベルのそういう科学技術を発展させるために非常に重要な拠点になるのが私は実は地方自治体だと思っているのです。
外交が、国民に理解されるような
外交ということが強調されておりますけれども、今や地方自治体が
世界的な
外交にどんどん進出していくべきではないか。姉妹都市
関係、
世界連邦宣言自治体、非核自治体、こういうことを通しまして
世界じゅうの自治体ともう
一つの国境を越えたネットワークをつくる。
アメリカでも現在ハイテクを促進しているのは自治体なのです。自治体が一生懸命で大学とハイテクを促進しています。したがって、そういうレベルの
関係がネットワークとして発展してまいりますと、今までの
軍事戦略と国家というような
考え方を、地方自治体レベルの新しいネットワークを通して構造変動させる大きな力が出てくるだろうと思います。そのような大きな力を
日本の自治体が先頭に立って行うようなところまで進んでいかなければいけないのではないか。
そういう
意味では、国民に理解される
外交の展開ではなくて、国民の参加する、地方自治体も参加する
外交の展開というようなことをそろそろ、最先端産業を育成してきた
日本の過去の戦後の歴史の延長線上に構想すべきところに来ている。国会はそのような側面に向けて新しいアイデアを、少なくともそういう最初の方向づけをやっていただきたいというのが私の希望でございます。
以上でございます。