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1985-06-05 第102回国会 参議院 外交・総合安全保障に関する調査特別委員会外交問題小委員会 第4号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和六十年六月五日(水曜日)    午後一時四分開会     ─────────────   出席者は左のとおり。     小委員長        大木  浩君     小委員                 石井 一二君                 宮澤  弘君                 久保田真苗君                 野田  哲君                 和田 教美君                 立木  洋君        外交総合安全        保障に関する調        査特別委員長   植木 光教君    事務局側        常任委員会専門        員        山本 義彰君    参考人        日本国際問題研        究所理事長    新関 欽哉君       国際連合大学副       学長       武者小路公秀君        東京大学教授   関  寛治君     ─────────────   本日の会議に付した案件外交問題に関する調査  (我が国外交現状と今後の強化策等に関する件)     ─────────────
  2. 大木浩

    ○小委員長大木浩君) ただいまから外交総合安全保障に関する調査特別委員会外交問題小委員会を開会いたします。  外交問題に関する調査のうち、我が国外交現状と今後の強化策等に関する件を議題とし、我が国外交現状と今後の強化策等について参考人から意見を聴取いたします。  本日は、日本国際問題研究所理事長新関欽哉君、国際連合大学学長武者小路公秀君、東京大学教授関寛治君、以上三名の方々に御出席いただいております。  この際、参考人方々に一言ごあいさつを申し上げます。  本日は、御多用中のところ、本小委員会に御出席いただきましてまことにありがとうございます。本日は、我が国外交現状と今後の強化策等について忌憚のない御意見を拝聴し、今後の調査参考にいたしたいと存じます。  これより参考人方々に御意見をお述べ願うのでございますが、議事の進め方といたしまして、まず最初に参考人方々から御意見をお述べいただき、その後小委員の質疑にお答えいただく方法で進めてまいりたいと存じますので、よろしくお願いいたします。  それでは、まず新関参考人にお願いいたします。
  3. 新関欽哉

    参考人新関欽哉君) 御紹介いただきました国際問題研究所新関でございます。  本日は、本小委員会におきまして、外交政策に関しまして意見を陳述する機会を与えられまして大変光栄に存じております。ただ、本日、伺いますところでは、一人の発言が大体二十五分というふうに時間が限られております。その関係で、いただきました意見陳述の際の主要項目いろいろございますけれども、このすべてに言及し得るかどうか、それは困難ではなかろうかと思っておる次第でございます。それからまた、意見陳述順序につきましても、ここに書いてあります一、二、三、四というような順序でお話しすることも難しいのではないかと思っておりますので、その点はお許し願いたいと思います。  また、私が外交の実務に携わっておりましたのはもう十年以上前でございまして、個々の外交案件、あるいは外交政策の具体的な方針といったことにつきましては詳細を承知いたしておりません。したがいまして、私がこれから申し上げることはあるいは若干抽象的と申しますか、概括的な話になるのではないかとおそれておるわけでございますが、この点もあしからず御了承いただきたいと思います。  私の話といたしましては、大きく二つに分けまして、一つ日本外交政策現状と申しますか、特色というようなことにつきまして私の考えを申し述べさしていただきまして、その後で外交機能強化するのにはどうしたらよかろうかと、外交機能強化策についての意見を申し述べさしていただきたいと思っております。  まず、日本外交現状特色と申しますか、これにつきましては、私がかつて外務省に勤務しておりましたころ、と申しましても相当前の話でございますが、日本外交の三本の柱ということが言われておりまして、これは一つには対米協調二つにはアジア諸国との連帯、それから第三が国連中心外交ということでございました。その後、日本の国際的な役割が非常に増大いたしまして、そういうわけで日本外交活動分野というものも非常に広がってまいりました。それに従って日本外交の選択の幅というものも大きくなってきたように思います。しかしながら、日本外交は私は依然としてやはり三本の柱の上に立っておると考えてよろしいのではなかろうかと思っておる次第でございます。  まず第一に、対米協調と申しますか、日本外交の主軸といたしまして、やはりアメリカとの友好協力関係というものを緊密にしていくということが中心になっておると思います。それからまた、アメリカとの安全保障体制というものが日本安全保障政策の中核になっておるということは申すまでもございません。アメリカは現在もなお、政治的に申しましても、経済的にも、また外交面から申しましても、軍事上の関係から申しましても世界一の強国であることは変わりないのでありますけれども、国際的な地位というものはその後相当大きな変化を生じておりまして、かつてのような圧倒的な優越性というものは持っていないと思われます。  一方、我が日本は、その後国際的な地位がとみに向上しておりまして、経済的な実力というものが、国際的に大きく、広く認められておるような状態でございます。  こういう新しいその後の発展にかんがみまして、私は、ただ対米協調ということをもう少し押し広げて、もう少しアメリカばかりでなく、政治的には民主主義経済的には自由経済というものを理念とする西欧諸国との協調連帯関係を広げていく、強めていくということが必要であろうと思います。そして広く、グローバルと申しますか、世界的な事柄についても、政治、経済軍事、いろいろの分野にわたりまして日本国力、それからまた、国情に応じた役割を国際的に分担すべきではなかろうかと考えておる次第でございます。  第二のアジア諸国との連帯という問題でございますが、このアジア諸国との連帯ということは、その後ますます重要になってきていると私は思う次第でございます。  二十一世紀はアジア太平洋の時代という言葉で言われております。アジア太平洋地域の将来性というものは、世界各国によって最近とみに注目されておりまして、アメリカの例をとってみま すと、御承知のようにアメリカ大西洋諸国との貿易よりも太平洋諸国との貿易の方が額が多くなった、上回っておるというような事態でございまして、アメリカアジア太平洋地域というものを重視する政策を最近とるようになってまいっております。  それからまた、欧州諸国アジア太平洋の地帯に対しまして、これまではそれほど関心を持っておったとは見受けられなかったのでありますけれども、非常に注目するようになってきたように私は思っております。  日本は特にアジア太平洋地域、地理的に隣接の地域でございますし、また、歴史的にも文化的にもつながりを、深い関係を持っておる地域でございます。したがいまして、この地域の安定と繁栄のために、日本としてはいわばかなめとしての役割を今後果たしていくべきではなかろうか。ますますアジア太平洋に対する外交連帯ということは重要になってくると私は思っております。  もちろん、アジアと申しましてもいろいろな国がございます。中国それから韓国、あるいは東南アジアASEAN諸国、いろいろ国情も違うわけでございまして、そういった国情の違う国々に対してそれぞれ適当な対応をしていくということを考えながら、アジア太平洋外交というものを我が外交重要課題としていかなければならないというふうに考えておる次第でございます。その場合、アジア太平洋諸国の、殊にアジア諸国東南アジアASEAN、そういった国々自主性ということをやはり非常に尊重しながら外交を進めていくべきではなかろうか。  亡くなられました大平元総理が、太平洋協力構想というものを初めに唱えられたわけでありますけれども、その太平洋協力構想というものが最近非常にいろいろな面から注目されまして、論議されるようになりました。こういった太平洋協力を進めていく場合にも、やはり域内の諸国のイニシアチブというものを重んじる姿勢を崩してはならないというふうに私は考えておる次第でございます。  第三の点でございますが、国連中心外交、これは私は単に国際連合という枠に限らないで、もう少し広い意味国際協力というふうに考えて、一つ日本外交の柱とすべきではなかろうかと思っております。  御承知のように、国連の一番最高機関として安全保障理事会があるわけでありますが、ただ、安全保障理事会は五大国拒否権というものがございますために、平和維持という国連最高機能が必ずしも完全に果たされておらないといううらみがあるわけでございます。しかしながら、従来国連経済社会分野におきまして、それぞれの専門機関を通じまして相当大きな活動をしてきたわけでございまして、これは十分高く評価しなければならないと思っておる次第でございます。  また一方、国際問題におきまして、経済というものの比重が近来非常に高まってまいっております。多国間と二国間とを問わず、あらゆるルートを通じての国際協力というものによりまして世界経済を活性化するということが、一つの大きな課題であると私は思います。ことに自由諸国の中でも第二位の経済力を持っておる国、一割国家とまで言われている経済的に実力を備えた我が国といたしましては、この面で大いに寄与しなければならない。ともすれば、日本考え方経済面におきまして自己中心であるとか、あるいは閉鎖的であるとかいうことが言われております。これは誤解に基づく面も多分にございますし、そういう誤解は解いていかなければなりませんが、半面、真理を持っておるということも事実でございます。  やはり、ガットだとかIMFだとかOECD、そういったような国際経済協力体制を維持運営する上におきまして、私は、日本といたしましてはアメリカを初めとして先進工業国と協力しながら必要なコストは負担する、それからまた、ある程度の犠牲もこれはいたし方がない、こういうような気持ちで世界経済繁栄に貢献する方途を探求すべきではなかろうかと思っておる次第でございます。  経済協力につきましては、記録を拝見いたしますと、外務省担当官から詳しく説明があったようでございますが、経済協力の面におきまして我が国の果たすべき役割は今後ますます大きくなってまいると思いますし、また、一層の努力をする余地があるように思っておる次第でございます。  そこで、対米協調、またアジア諸国との連帯、それから国連中心外交の昔三本の柱と言われたものは、その後の事態の進展によりまして、それぞれ新しい衣を着た形にはなっておりますが、やはり私は日本外交の三つの柱であるというふうに考えておる次第でございます。  次に、外交機能強化策につきまして一言申し上げたいと思います。  私は外務省OBでございます。ただ外務省OBであるということばかりでなく、国際問題、外交問題に関心を持っている国民の一人といたしまして、やはり日本外務省の予算、人員というものが過去と比較いたしましても、それから現在の国際的水準ということから考えましても余りにも少ない、不足なのではないかと思っておる次第でございます。この点は外務当局から常に御説明があり、またいろいろ御配慮をお願いしていると思いますが、私は外務省に勤務いたしまして、本省の幹部として、また出先の大使といたしましてこの点は痛感いたしましたし、それからまた一昨年でございましたか、アメリカ、カナダ、十一公館を査察するということで査察使として回ってまいりましたけれども、そのときも改めて痛感いたしました。  例えば、総領事館で三人しか定員がない、館長を含めて三人ということになりますと休暇もろくにとれないというような状況にある。三人公館などはやはりとても無理だ、これはなくしていかなければいけない、少なくとも四人か五人の公館にしなければいけない、私はこういうふうに思っております。そのほか旅費にしましても庁費にいたしましてもなかなかこれが足りない、不足であるということで、こういうものはいってみれば外務省事業費でございますので、やはりこういった外交政策を強力に推進していく場合には、そういった外交基盤整備と申しますかインフラストラクチャーの強化と申しますか、これが何と申しましても大きな前提になる条件ではなかろうかというふうに考えておる次第でございます。  今後の外交政策重点ということにつきましていろいろな問題がございますが、私はこの際、一つだけ申し上げておきたいと思います。  それは、やはり外務省という役所はいろいろなことを国益という、日本ナショナルインタレストという観点から判断して政策を進めていかなければならないところでございます。国際問題には国内の諸官庁もいろいろ関係しておるわけでございます。それからまた、国内官庁もそれぞれそういった国際情勢分析判断しておるわけでございますけれども、国内官庁といたしましてはそれぞれの行政機能に基づいてそういった判断を行っておるわけでございます。例えば経済問題にいたしましても、やはり経済問題は経済問題というふうに割り切ることも必ずしもできないような現在の情勢でございまして、経済問題がまかり間違いますと大きな外交問題に転化するということもございます。  そういったことで、やはり外務省という役所は大局的な見地から総合的に国際情勢判断する、そしてその政策を企画立案していく、実行していくということが必要になってくると思うわけでございまして、そういった意味におきましても私は、外務省の中での情報収集と申しますか、情報分析、それからそれに基づいた公正な判断がやはり外務省の今後ますます重要になっていく一つの仕事ではなかろうかと思っておる次第でございます。  私事にわたって恐縮でございますけれども、私、実は外務省の中でそういったことは非常に必要であるという認識をかねてから持っておりまし て、国際資料委員会というものを私が委員長になりましてつくりましたのが今から二十五年ぐらい前の話でございます。そういうようなことでそれが国際資料部というものになりまして、それは現在情報調査局と局にまで昇格さしていただいたわけでございまして、そういった意味でそういった外務省情報収集機能分析判断機能というものが強化されていくということは大変ありがたく思っておるわけでございます。日本外交にとりまして日本国力と申しましても、やはり防衛力という問題になりますと憲法上のいろいろな制約もございまして、憲法の許容する範囲内において防衛力を持つということでございますので、やはり広い意味での総合安全保障の一環として情報を収集し分析し、そしてまた判断しこれを政策にインプットしていく、政策の中にその政策を決定する素材としていくということは、私はこれからますます大事になってくると思う次第でございます。  飛耳長目というちょっと難しい言葉がございますけれども、やはり目は遠い世界じゅうどんな遠隔の地でも重要なことがいつ起こっているかということに対してしょっちゅう耳を傾けている、目を向けているということが必要でございまして、そういう面においての外交活動というものは目立たない形でございますが、それからまたすぐ結果には出ないわけでございますけれども、これは非常に大事、これからますます重要になってくるのではなかろうかというふうに思っておる次第でございます。  以上、簡単でございますが、私から外交政策現状あるいは外交強化策についてどういうふうに考えるか、ごくかいつまんで考え方を御披露さしていただいた次第でございます。あとは先生方からの御質問に応じましていろいろお答えしたい、こう思っておる次第でございます。ありがとうございました。
  4. 大木浩

    ○小委員長大木浩君) ありがとうございました。  次に、武者小路参考人にお願いいたします。
  5. 武者小路公秀

    参考人武者小路公秀君) きょうはこの外交問題小委員会意見陳述をさせていただく機会を与えられましたことを、まず厚く御礼申し上げます。  それから、意見陳述の際に、国連大学の公務についている者としてではなくて一研究者としての意見を陳述させていただきますので、私の発言国連あるいは国連大学を代表するものではないということをまずお断りさせていただきたいと思います。  それから、先ほど新関大使がやはり冒頭でおっしゃいましたように、この四つの問題について十分カバーできるかわかりませんし、その順序につきましても順序不同重点的に発言をさせていただきたいと思います。  まず第一に、この主要項目の第一点と第二点に関係しまして、今日の国際的世界の問題、それからアジア太平洋地域平和維持にいかなる活動をなし得るかという設問がありますので、今日のアジア太平洋地域ないしは世界の平和問題がどうなっているかということについて、まず簡単に私の意見を述べさせていただきたいと思います。それから次に、経済大国日本という問題で経済面を含めた問題について第二に情勢分析をさせていただきたいと思います。それをもとにして第三、第四の問題にも触れさせていただくという形で意見を述べさせていただきたいと思います。  まず第一点から申しますと、今日の国際平和の問題を取り上げるときに一番重要な点は、各レベルにおけるいわゆる核抑止力あるいは核のバランス、そのような五〇年代からでき上がっておりました核戦略あるいは核戦略もとにした二つブロックの間のバランスというものの基本的な論理そのものが不安定化してきているという事実でございます。これは欧州における戦域核の配備の問題を中心にした東西核競争というものを引き起こしたわけでありますが、同時は、この核競争を何らかの形で米ソ間のデタントに持っていこうという米ソ両超大国努力は、これはうまく実を結ぶかどうかわかりませんが、その努力は実は同時に、西欧中心とした核の安定化努力する余り、問題をアジアに転位させるという一つ危険性を帯びているということがありますし、また、核の問題が今まで大陸中心であったものが、海洋を中心とした核競争というものがこれから大きくクローズアップされてくるのではないかというふうに考えられます。  その場合に、複雑なことは省きまして結論だけ申しますと、核抑止力相互抑止力というものに頼る平和維持、安全の保障というものは極めて不確かなものになっていくおそれがあるのではないかという点が一つと、それからもう一つは、アジア核競争が転位して、ヨーロッパからアジアの方に重点が移ってまいりますことは、とりもなおさずアジアの中に両超大国中心とするブロック化をしていくという努力が非常に強引に進められる可能性があるのではないかという感じがいたします。  その枠の中で、例えばアメリカによるチームスピリットという非常に大きな演習も展開されておりますし、また、日本に対するアメリカからの防衛努力強化するようにという期待もこのブロック化ということ、ブロック強化する、西側陣営を強めるというアメリカ側努力一つのあらわれではないかと思います。もちろん、これに対応するものとして、ソ連側の方にも同じような形で太平洋におけるソ連の艦隊の活動強化するというような動きもあって、この問題がアジア太平洋地域世界平和維持ということを考える場合の非常に大きな問題ではないかと思います。  この問題は、同時に核以外の問題にも非常に大きな影響力があるわけで、つまり、アジアの中で民主化を求めて動いております、いわゆる自由圏の中のいろいろな国の民主化の運動というものが、ブロック強化するという意味で強い政府が必要でありますために、そういう民主化努力というものが非常に阻害されるという状況東北アジアにも東南アジアにも出てきていると思います。  同時に、社会主義圏におきましても自由化への動きというものが出てきてはおりますけれども、しかし、そのような動きはやはりブロック強化されるということで、例えば朝鮮半島において、あるいはインドシナ半島において社会主義諸国がより開かれた体制をとろうとしている、その趨勢もブロック化によっておくらされているという問題が指摘できるのではないかと思います。  この点で特に強調して申し上げたいと思いますことは、日本がこのようなブロック化動きに追随するということは日本国益にもそぐわないばかりか、アジアにおける平和のためにも、あるいはアジア諸国安全保障にとっても決してためにはならない。むしろ、ブロック化の傾向とは逆行するような形でアジア太平洋地域における新しい安全保障仕組み日本が進んで提唱していくという必要があるのではないかと思います。  なぜそのように申すかといいますと、アジアにはヨーロッパのように東のブロックと西のブロックが固く結束してそして対峙しているというようなことはございません。むしろいろいろな形での三すくみ状態あるいは四すくみ状態利害対立があり、それがもちろん紛争のもとになっている面もありますが、しかし、東西核抑止力もとにしてバランスをとるという形が極めて不安定化している現在では、むしろ三すくみ、四すくみのようないろいろな利害の微妙な対立というものをうまく組み合わせて、そしてそこに新しい均衡というものを多元的につくり出すという、ヨーロッパにないそういう可能性アジアにはあるのではないかということを指摘させていただきたいと思います。  このことについて簡単に、どんな三すくみ状態、四すくみ状態があるかと申しますと、まず第一に、米中ソ三すくみ状態というものがございます。そして、そこで米国中国のカードを使おうということを考えておりましたけれども、現在、中国が進めている政策は、むしろ米ソ間に一 つのバランサーとしての役割を求めているようにうかがえますし、そのことを高く評価する必要があるのではないかと思います。  しかし、そのほかにも例えば、中国ASEAN、ベトナム、ソ連とのような微妙な複雑な関係東南アジアにありますし、今度は経済面になりますけれども、日本ASEANとの関係アメリカとの関係というものがありますし、その場合に必ずしも日本アメリカ利害が完全に一致しているわけではありませんし、また別の方面から見ますと、日本ASEAN中国関係がこれからどう発展していくのか、その場合に日本中国が余り近寄ってはASEAN諸国は心配をするというような関係もあります。あるいはまた、最近注目されておりますニュージーランド一つ非核主義というものがANZUSの同盟を微妙な形で変化させている。そこで、日本ニュージーランドとオーストラリアの関係というものもまた三すくみというか、微妙な関係にあります。  朝鮮半島においては、言うまでもなく中ソと朝鮮民主主義人民共和国あるいは南側の方の米国と大韓民国と日本との関係というものがありますし、その南北朝鮮日本との関係はまた昔の行きがかり上、南北朝鮮日本との対峙ということも考えられます。  そのような形で、アジア情勢は必ずしも東のブロック、西のブロックと分かれているのではなくて、むしろいろいろな微妙な利害調整を必要とする。その調整をする中から新しい安定を求め、新しい安全保障仕組みを多元的にいろいろ積み上げ方式でつくっていく形が可能ではないかと思います。  そういうような複雑なところに二つブロックを強引につくり出そうと西側陣営というものがあり、東側の陣営があるのだというふうに西側が頑張ってみても、それはいろいろな矛盾が増幅するだけではないかと思われますし、その意味で、また、かつ国内自由化あるいは民主化ということを希望している国々動きというものを、ブロックをつくることで西側の結束を固めるということで民主化をおくらせる、あるいは東側がそれに対抗するということで社会主義圏における自由化動きがおくれるということは非常に望ましくないことではないかと思います。  これが第一点に関連する情勢分析で、それに対応する日本役割も、今申しましたように、ブロック化ということよりはブロックを破る方向、あるいはブロックを氷解させる、破ると言うと警戒されるかもしれませんので、むしろブロックをだんだん解消する方向に努力する必要があるのではないかと思います。ということは、すぐに日本アメリカブロックから抜けるとかということではございませんで、ブロック間の相互の解消を段階的に進めていくように、日本が今までとってきた政策をむしろはっきり説明をするということさえすればいいのではないかと思います。  と申しますのは、今まで日本がやってきた政策は、日米関係を基軸としながらも、やはり平和憲法というものを大切にし、また、平和、非核三原則ということで完全にアメリカブロックの枠の中にはまり込むということを今日までうまく避けてきたのではないかと思います。これが今、西の陣営の不沈空母になるということになったら非常に望ましくない状況が生まれるわけで、むしろ今までの等距離外交というような考え方をもう少し伸ばしていけば、伸ばせば伸ばすことによってこのブロックを解消させる方向に貢献できるのではないかと思います。  それから第二点は、経済大国としての日本の問題でありますけれども、この問題は、特に日米関係を新しいものにしているという点、それから日本とその他の先進工業諸国との関係を複雑なものにしているということ、それから第三番目には、日本が第三世界の発展途上国の間で一定の役割を果たす、貢献をするという能力を身につけているという、そういう三つの面から考えることができるのではないかと思います。  日米関係について簡単に申しますと、日米関係は、ある意味では五〇年代とは比較にならないほど緊密になってきているという側面があるのではないかと思います。それは簡単に申しますと、経済面での摩擦がふえているということもありますが、むしろ日本が、アメリカ経済を支えているような形でアメリカに非常に投資をふやしているという傾向が見られると思います。それからまた、技術の面でも非常に競争している面もあるし、協力をしなければお互いに技術が伸びないという側面も出てきております。その問題と、先ほど申しましたブロック化の問題をリンクさせるような形で、例えば軍事技術についての協力をアメリカからいろいろ要求され、要望されていると思いますけれども、そのような形で経済あるいは技術というものを軍事問題とリンクさせて、そしてブロック化に貢献をするということは必ずしも日本国益にもそぐわないし、また、アジア地域的な安全保障にとってもむしろマイナスになるのではないかと思います。  あるいはSDI、いわゆるスターウオーズ計画に日本が参加するということも非常に望ましくないことではないかと思います。このことは、望ましくないのは軍事的に望ましくない、平和のために望ましくないばかりではなく、日本の技術あるいはアメリカの技術もそうですが、正常な発展を遂げる上では、技術を軍事化し、そして技術の自由な情報の移転ということを軍事機密ということで覆い隠すということは、非常に技術の正常な発展にとって望ましくないのではないかと思われます。  それから次は、第二のアメリカ以外の先進国との間の関係でありますけれども、その点でも北北問題ということで、例えば西ヨーロッパ国々との経済摩擦も問題になるとは思いますけれども、しかし逆に考えますと、相互依存関係が、先ほど新関大使が御指摘になったように、アメリカ日本の間だけではなく、ほかの自由圏諸国といろいろ関係が緊密になりましたことは、日本アメリカとの関係だけを重視するのではなく、西ヨーロッパ国々との関係をもう少し大事にすることができるようになってきている。そのことは、ブロック化あるいはブロックをもう少し解消していく方向に向かうかという点では、やはりブロックを固くしようとする今のレーガン政権の政策に対して、ヨーロッパの中ではいろいろな疑問を持っている人たちが、あるいはその政府があるわけで、そのような政府との協力関係を進めていく可能性は、これからいよいよ日本経済あるいは技術をもってすればいろいろ協力関係が出てくるのではないかと思います。  それで、これは一つの提案ですぐにできるとは思いませんが、アメリカは技術と軍事をリンクすることでSDIという計画を提案し、それは対しヨーロッパでは軍事的なリンクを嫌って、それでヨーロッパ中心としたユーレカ計画というやはり新しい技術を中心とする開発計画を行っております。例えば、日本がもしもそのユーレカ計画をもっと広げて、むしろ第三世界の開発問題を解決するために進んで新技術を使うというような提案をして、そして科学技術のリーダーシップをとるということをするならば、これはブロック強化というものを阻止する意味でも役に立つとともに、また、第三世界日本との協力関係を増大する意味でも、また、南北関係をもう少し望ましい方向に方向づける上でも役に立つのではないかと思います。  そういう意味で、経済大国日本としての一つ外交戦略は、やはり経済力、技術力を利用して中級国家あるいは第三世界国々とのパイプをより太くするということではないかと思います。つまり私が提案したいことは、日米関係を薄くするというのではなくて、日米関係以外の、米国以外との関係をむしろ厚くする。特にヨーロッパ国々との関係あるいは第三世界の国との関係、そしてまた、多様化してきている社会主義圏国々との関係をいろいろ経済的、技術的、そしてまた平和問題についても厚くしていく。それで今までのアメリカとのパイプも太いパイプをそのままにして おくというのではなしに、そのパイプの中にいろいろなものが流れているのを整理をして、軍事問題は少しパイプを細め、そして経済問題は少しパイプを太くするというような努力が必要になるのではないかと思います。  最後に、国連外交日本外交の基盤ということについて簡単に触れさせていただきたいと思います。  この場合に、今まで申しましたようなブロックを崩していく、そしてそのかわりに新しい安全保障仕組みをいろいろつくっていくという場合には、双務的な二つの国の間の外交関係ではなくて、むしろ第三世界あるいは中級国家、中進国家との提携ということが非常に大事になってまいりますが、その場合に、ヨーロッパ国々ヨーロッパという一つの単位を持っていますが、日本の場合には、残念ながらアジアは非常に多元的ですので、アジアをよりどころにはできない。日本がよりどころにできる一つの多角的な土俵というものはやはり国連ではないかと思います。ですから国連をうまく利用、活用して、そこで仲間をつくって支持する勢力をたくさんつくっていくということが日本一つの大事な役割であり、また、ブロック化が進む中で、例えばュネスコの問題が出てきておりますように国連の危機ということが出てきている。つまり、ブロック強化されればされるほど国連というものが邪魔者になってくるという状況にありますので、国連強化する力をつけるということが日本一つの大きな役割ではないかと思います。  その場合に、やはり日本外交の基盤を整備するということは、これは政府のレベルでの外交と民間レベルでの外交というもの、民際外交というものをうまくつなげていく必要があるのではないかと思います。今までは、国民のレベルでいろいろ軍備を増強することに対して反対があるということを口実にして日本は平和外交を進めてきたわけですけれども、そういう弁解をするというのではなくて、むしろ積極的に旗幟を鮮明にして、日本はそういう平和的な地域構想あるいは国連を支持する構想を持っているから、民間のそういう動きも国のレベルでの動きも両方協力していこう、そういう形で日本外交の旗幟を鮮明にし、そして民際外交を国家外交と結びつけるということが日本外交の基盤の整備に一番大事なのではないかと思います。  どうも長くなってしまって申しわけございませんでした。
  6. 大木浩

    ○小委員長大木浩君) ありがとうございました。  次に、関参考人にお願いいたします。
  7. 関寛治

    参考人(関寛治君) 約二十五分ぐらいというお話を聞いておりますので、その範囲におさめるつもりでございますが、私の話は大体四つの部分に分かれると思います。  最初の部分は、日本が置かれている現代の状況をどのようにとらえるのか、つまり、太平洋時代と言われているような中での日本の位置づけ、次に、米ソの軍拡競争と日米の経済貿易摩擦というのは、これは両方とも対抗関係でありますが、その対抗関係をワンセットにして考えた場合にどうなるのかということ、三番目は、非常に地球的な規模の現在の構造の中で日本の持っている知識、情報の位置づけというもの、それから最後に、地球的な規模の発展という概念がどういう形で可能になるのか、日本がそれに貢献できるのかどうかということについてお話をさせていただければ幸いであります。  現代世界の理解で何よりも突出している太平洋時代というものが言われております。太平洋時代は最近は大学の学生も非常に関心を持っておりまして、五月祭で東大の学生も国際政治研究会がいろいろなインタビューをやりまして、「太平洋の時代を検証する」というのを出したわけでありますが、そういう関心中心になっているのは何と申しましても世界じゅうに非常に解決の難しい問題、この解決の難しい問題をグローバルプロブレマチック、地球的問題群と呼びますが、そういう問題群がある中で、ほのかにアジア太平洋地域だけがある種の明るい側面を持っているということに基づいているわけです。その明るい側面と、もう一つの非常に暗い側面、つまり米ソの核軍拡競争がNATO地域から太平洋地域に移行してきて、SDIというようなものが現在重要な争点になっているわけですが、そういう中で太平洋時代というものはどういう位置づけにあるのかという、そういう関心だろうと思うのです。  明るい側面についてはいろいろ言われておりますが、経済成長が非常に高いとか貿易量が非常に多いとか、あるいは日本の対外投資の中でも八二年の段階で三八%が対米投資になって、一千億ドル以上も日本の対米投資があるというような状況で、日米関係の摩擦といいましても、従来の構造をはるかに超えて、理解を超えるような状況が出てきている。つまりアメリカが本当に地盤沈下したのか、アメリカは猛烈な力をまだ持っているのかどうかという議論の中に、日本アメリカ経済を助けているという側面を無視して議論できないような状況が出てきているわけです。そして、アメリカ経済中心が当然大西洋岸から太平洋岸に移ってきている、あるいは南部が非常に活動力を持ってきて、ハイテク、ハイサイエンスはそっちの方に集中し始めているという問題、こういう大きなアメリカの内部の構造変動と日本経済の発展というものが密接に連関しているという、そういう太平洋時代を見る必要がある。  そして、アメリカにとって非常に解決困難な問題というのは、恐らく中米が一番難しいだろうと思う。それから中東もちょっと動きがとれないという面がある。それに比べるとアジア太平洋地域においては、朝鮮半島の問題に見られるとおり非常に明るい展望が目の前に浮かび上がり始めている。これをどうするかというのが日本の非常に大きな責任であろうと思うわけであります。  こういう中で、日本の位置づけをどういうふうにしたらいいのかという点から、次の三つの問題、つまり米ソ関係と日米関係の問題、そして臨教審に示されているような教育改革の問題、これは日本の教育改革の問題じゃないと私は思っているのです。世界全体の教育改革につながる問題だというふうに思っているわけですが、その問題があり、そして地球的な規模の発展が可能なのかどうなのか、日本がそれにどういう役割を果たし得るのかというところに焦点が移るだろうと思うのです。  そこで、まず米ソ関係について一番大きな問題は、これは大きな争点でありますけれども、一体七〇年代中ごろにできたデタントはなぜ崩壊したのか。これは冷戦起源論と同じようにデタント崩壊論というのは非常に大きな争点だろうと思うのです。アメリカに言わせれば、はっきり主張するわけですけれども、七〇年代というのはアメリカはベトナム戦争に失敗して、そしてニクソン・ドクトリンでだんだん兵力を縮小していく、そして、軍事予算も七〇年代中ごろは大体凍結に近い状態になった、にもかかわらず、ソ連軍事費は伸び続けた、そして、いろいろなところで問題が起こったというわけであります。しかし、私はこの見方には必ずしも同意しないのです。  なぜならば、まことにそうなのです、アメリカ軍事費を七〇年代中ごろにかなりストップしたけれども、ソ連軍事費が伸びたというわけですが、実はこのとき何が起こったかと申しますと、キッシンジャー外交が展開されたわけでして、キッシンジャー外交は完全に勢力均衡外交に移ったわけです。ニクソン・ドクトリンで兵力縮小するかわりに勢力均衡外交に移りまして、米中軍事同盟というような方向がまたキッシンジャーの中にはっきり出ていなかったけれども、大体軍事的な路線としてはそういうものが浮上してきていたわけですね。ベトナムはその中から取り残されるものですから、ソ連と結びつくと。そして、ソ連にとってはアメリカ中国を含めたものに対抗する形でベトナムと結べば、当然これは太平洋に艦隊を出してくると。  それで、従来からのソ連の基本的な路線という のはアメリカに追いつけだったわけです。だから追いつくところまではいくということが、まず間違いない一貫した政策だったわけで、その点がさまざまの研究者によって、その時期の米ソ関係をどうとらえるかについて非常にはっきりしたイメージが出ております。つまり、ソ連軍事費を増し続けたということが、アメリカの方はストップしたのにと。これは間違いないわけなのですが、しかし、勢力均衡型の大きな問題が生じてきたために、ソ連外交はそこで必ずしもアメリカ軍事費をストップしたと同じ方向に行かなかったという問題を見る必要があると思います。  それから、もちろんその間、核ミサイルを中心とした軍事技術が急速に向上した。この軍事技術の急速な向上というのは、ソ連にとってはアメリカの方がどうしてもこれは先であったわけですから、それに対応するという姿勢というものがSS20につながったという分析は非常に明快なわけであります。  さらにもう一つ、中東の問題で申しますと、アメリカ軍事費をストップしたけれども、今までの軍事産業が大量の兵器を製造しておりましたから、軍事費がストップすると、その兵器生産したものをどこかに売りつけなきゃならないということで、それとアメリカ世界政策が結びつきまして、ベトナムまで行っていたものがイランとサウジアラビアに非常に大きく切りかえられた。ところが、イランの方はその結果として逆にひっくり返ってしまったわけです。大きな革命が起こったわけです。この革命は、ソ連というのじゃなくてイスラムファンダメンタリズムが基盤にありたわけです。その波及効果は当然アフガニスタンにも及んだわけでありますけれども、アフガニスタンはソ連と接触していて、しかも、それまでちょうどイランをアメリカが把握しているがごとくアフガニスタンをソ連が把握してたので、簡単にソ連は地続きで出兵してしまった。  ところが、カーター政権はイランに出兵できないわけですから、フラストレーションはますます大きくなる。そうしてアメリカはナンバーツーになる。したがって、チームBが活動し始めまして、チームBのグループで戦略論というものも、例えばフォスター氏の、最近翻訳されていますけれども、「コンパラティブストラテジー」なんかの中に非常にはっきり書かれているわけですけれども、現在の初期のレーガン政策の軍拡の方向というものを完全に基礎づけるような議論が展開されているわけです。このフォスターの本の中を見てみればわかりますけれども、カーターのときには朝鮮半島から軍隊を撤兵するニクソン・ドクトリンのの延長線上で撤収しようとしてたわけですけれども、それにストップをかける非常に強固な議論がその中で展開されているわけです。こういうようなことを通じまして、冷戦再開という事態が再び大きな軍拡をアメリカが再開するという形で始まってきた。こうして、米ソの対決が第一期レーガン政権の間は非常に危機的な状況になったわけであります。  このようなデタント崩壊というものを見てみた場合に、私どもはそのデタントが崩壊して、その再開された冷戦政策というものが非常に大きな壁に世界じゅうでぶつかっている事態を見る必要があります。したがって、今は基本的な世界の空気は、再開した冷戦をいかにしてストップさせるかという方向が地球政治の中の草の根レベルで非常に上昇している。アメリカを含めてそうであります。このような動きの中でレーガンは再選されたわけですけれども、再選のやり方を見てみますと、もはやレーガンは平和の大統領だということを公然と言わずしては再選がほとんど不可能だった状態であります。  レーガンは再選しましたけれども、軍事費ストップの状況。このような状況アメリカに出てきているということは、私は、アメリカが今まで再開した冷戦政策というのは、世界的な意味でも大きな壁にぶつかっただけではなく、アメリカ国内経済の問題を通じても大きな困難にぶつかった。二千億ドルの財政赤字、一千二百億ドルを超える貿易赤字と高金利、そしてアメリカにますます外国の資金が流れ込んできているというこういう状況アメリカの輸出競争力は全くなくなってしまった。こういった状況の中で、米ソ関係の危機というものは、我々の日米関係の問題にシフトさせて考えてみる必要があろうかと思います。  日米関係について言えば、戦後四十年の間に日本アメリカに追いついてきたわけです。現在アメリカ経済はなお日本より強い。日本がまた弱くなるというような議論も出ておりますけれども、過去四十年の歴史を見てみれば、もうアメリカ経済競争力を日本経済競争力が追い上げてきて、完全に互角の勝負をやるまでに近づいているということが言えるわけです。もちろん宇宙とか軍事産業の領域では明らかにアメリカが優勢でありますし、ある種の先端産業の部分、例えばコンピューターのソフトウェアではアメリカの方がはるかに強いというふうにまだ言われております。確かにそれは事実でありますけれども、物をつくる領域では圧倒的に日本アメリカを追い上げて、アメリカの競争力が全くないわけです。  こういうふうな追い上げ過程の背後にある日本の強さというものは一体何であったかというと、明らかに非軍事的な日本経済の発展である。その非軍事的な日本経済の発展を支えたものは、日本の知識、情報というものが非軍事的な民需産業の発展のために知能が動員された。これに対して、アメリカでは軍需産業の発展のために最高の知能が動員されたわけです。そしてアメリカでは、基礎科学においては日本にまさるものが現在あらゆるところにあるわけですが、それを民需産業の形に応用することはできなかった。日本がそれを全部いただいてきたという形になります。このいただいてきた形というのは何かといえば、フルブライトとかいろいろなものを使いまして日本人は安い金あるいはただでアメリカに出かけていったわけです。  そして日本人は、明治以来の教育のおかげで読む能力はあったけれども、話したり、書いたり、聞いたり、しゃべったりする能力は余りなかった。そこでアメリカ人は、日本人は愚かだろうと思って安心していたら、書いたものはどんどん持っていっちゃう。ほとんどただに近い形でアメリカの知識、技術を日本へ持ち帰りたわけです。そうしてそれを使って安く第三世界から輸入してきた原料に加工をして、その加工部分は非常に大量ですから結局輸出いたしまして、アメリカからポンプのようにお金が日本へ流れてきた、こういう形でアメリカに追いついてきたわけです。  こういう形で経済大国になりますと、当然アメリカアメリカの現在の古典的な戦略から見れば一番いい方法は何かといえば、ソ連と対抗するために日本を使えということであります。日本軍事力を増強させれば日本経済力を弱めることができる、それによって日米の経済競争ではアメリカは勝てる、同時に日本の科学技術と経済の力を使ってソ連に対抗する、それでアメリカソ連にも対抗できるという、こういう古典的な戦略が頭の中に浮かんでくると思うのですが、この古典的戦略はアメリカ人は賢いように見えて一番愚かであるということになります。  何と申しましても、現在経済の側面ではアメリカ日本から学びたいというので夢中であります。アメリカ南部の四十ぐらいの大学を回りまして、私の実感なのですが、ビジネススクール、つまり経営学部とか商学部に相当するところは日本語に一生懸命であります。これは日本から経営の仕方であろうと何でも学ぶという点が非常にはっきりクローズアップされております。ところが残念ながら、世界全体の軍事安全保障の問題では、さっきも申しましたようなフォスターさんの「コンパラティブストラテジー」とか、岡崎久彦氏の「戦略的思考とは何か」とかは、みんな日本に輸出されてそして日本安全保障政策アメリカがつくった枠内でつくらせる、要するに日本はそれに従っているという状況であります。  そこで現在、日本経済力がこういう状態になり、アメリカと競争可能になったときに、そのア メリカの考え方を百八十度転回させる必要性が現在日本に出てきている。しかし残念ながら、日本の知能がまだそこまで結集していないわけです。アメリカ軍事戦略に従いなさいというのが幅をきかして、日本情報秩序を支配しているわけです。これに対して我々は何をなすべきかというのが決定的な問題になろうかと思います。その何をなすべきかという決定的な問題の一つとして、私は教育の問題があるということを指摘せざるを得ない。  大体、明治以降の日本の教育の発展を見てみますと、日本は段階的にうまくやってきたのですね。小学校から実業教育、高等専門学校、戦後は大学の自由化であります。大体小、中学校ぐらいの教育が非常に発達しているときは、高等教育というのは必ずしもうまく発達しないという非常に不思議なトレードオフ関係があるのです。これは非常に奇妙な話なのですが、私はその奇妙な関係を発見したわけです。戦前までは日本の大学教育というのは私は余り大したことなかったと思うのです。戦後、大学教育というのがやはり自由化したことによって大量の大学卒業生を生み出して、これが戦後の日本の発展の基本的な原動力になったわけです。ところが、それは私は六十年代の終わりの大学紛争で終末したと考えております。  その後、六十年代の大学紛争で終末したそういう問題の中で、実は国連大学が生まれてきて、そして日本人の武者小路先生が国連大学の副学長になられた、これは非常に大きな意味を持った出来事だと思っておるのです。ところが、残念ながら国連大学ができた後、日本の一般の大学の大学改革はちっとも進んでいない。はっきり言えば、日本の大学はこれから国際化しなきゃいけない、あるいは企業が海外に出ていっていることで、日本の大学がどんどん海外に出ていくことができるようにしなきゃいけない。そのかわり、もちろん大学を自由化すれば外国の大学も日本に輸入しなきゃならないのですけれども、それがちっとも進んでこない。  そこで、香山健一さんみたいに文部省廃止論などというのが出てくるのですが、明治維新後百二十年たてば、文部省が解体されなくてもすべての制度がある新しい形に変わらなければいけない。これは第二次明治維新と言っていいと思うのですが、第二次明治維新は日本の明治維新じゃない、地球的規模の明治維新なのです。国連大学中心にした知識、情報の傘のもと世界じゅうの大学が入るような、あるいはその傘のもと世界じゅうのシンクタンクが入るような新しい知識、情報秩序の改革の青写真を日本がつくる責任を今持っているのじゃないか、それを外国の一級の知識人が求め始めているということがあるわけです。  例えば、ヨハン・ガルトンクという平和研究者はパリに六十講座ある平和大学をつくりました。それからアナトール・ラパボート氏はトロント大学にサイエンス・フォー・ピースという平和のための科学のカレッジをつくったわけです。そのほかアメリカでもナショナル・ピース・アカデミーをつくる動きがあります。そして、それは今研究所の方に何か焦点がシフトしたようですが、いろいろの大学が新しい方向を模索し始めた。これは相当のところまで進んでいますけれども、まだこれはほんの萌芽だ。日本の場合は萌芽よりもう少しおくれていまして、大学改革はなかなかうまくいかないわけです。そこで臨教審ができていろいろ議論しておりますけれども、臨教審が、これは外交問題とは無縁だと思っている人が非常に多いと思うのですが、実は臨教審が取り上げている大学改革の問題というのは日本外交政策中心課題でなければならないだろうというふうに私は考えております。  こういうような中で、一体そういう大学改革というものが空想ではないという事実を見てみる必要がある。空想ではないということは、現在アメリカにおいても産業構造が変わる中で先端的な産業構造が生まれつつある地域、新しい発展が生まれつつある地域は必ず第一級の大学のハイサイエンスとハイテクノロジーを発展させつつある。その周辺に新しい産業が興って雇用が創出されて新しい発展が起こっている。今後はこれは日本でも同じことだろうと思います。そういうレベルの問題が実は科学技術というレベルより、より広い大学の地球化、世界化という段階であらわれてくるというのが私の見方であります。  なぜかといえば、アジア太平洋時代の一番大きな問題は、アジア太平洋時代と言っているにもかかわらず、地球的な規模での新しい発展を我我がつくり出していく上の障害というものがアジア太平洋時代にもまだ残っているわけです。第一の障害は何かといえば、これは周辺地域において国際紛争が残っており、それを基盤にして軍拡競争が非常に激しく続いている、これを解決しない限りは地球的規模の新しい発展は始まらない。地球的規模のいわゆる離陸という概念が定着しないのではないか。  テイクオフ、離陸という概念はもともとロストウ氏が発展途上国の経済発展がうまくいかないで悪循環している状況をとらえるための概念として出てきたわけですが、実は地球的規模で一体我々は離陸したのかどうかというと、軍拡競争が続く限りは私は地球的規模の発展というのは決して離陸できないというふうに思っております。こういう周辺地域の紛争を解決することと、極めて先端的な産業を育成することというのが一つのワンセットの問題として考えられなければいけない。  周辺地域の紛争を解決するためには、紛争を解決することと周辺地域の貧困とか差別とかをどのように除いていくか、そのための投資が必要であります。その投資はある意味では国内の投資でいえば社会政策的な投資に非常に近くなると思うのです。先端的な部分を発展させるのは、これは社会政策的な投資ではなくて、全体として科学技術の先端部分を発展させるとか、あるいは全体として発展のためのインフラストラクチュアの一番最先端部分を育成していくというところに問題の焦点があろうかと存じます。  大体、日本の戦後の発展を見てみましても、通産省を切めとして先端産業を常に育成してきたわけです。ところが現在の先端産業は何か。普通多くの人々はこれはコンピューターのソフトウェアとか、そういう部分が先端産業であらうというふうに考えているわけですが、実は私は教育、知識、情報、全体をどのように再編成するかということ、つまり新しい大学とか新しいシンクタンクが基本的な先端産業になるという考え方を持っております。こういう見地に立ちましたときに、現在日本の大学はほとんど改革不能状態に置かれているわけです。せっかく国連大学ができたのですけれども、いろいろの大学がみずから下から国連大学を支えるようなものに自己改革する能力を持ってない。そのことを考えますと私は、大学の国際化を外交政策のレベルとして取り上げる必要がある、そうして新しい大学の発展を考える必要があるということであります。  これらの動きというものは、既に太平洋時代を提唱されたかなり初期の時代に部分的には出ているのです。例えば大平総理の時代に環太平洋圏構想で報告が出ておりますけれども、その中で出ておりますのは、要するに現在言われている平和の船に相当するようなものを海外に派遣するということ。ところが、これがちっとも大学改革と結びついてきていないわけです。つまり、船が平和大学として世界じゅうを歩き回るという発想方法がちっとも出てきていないわけです。現在、船を持っている大学というともちろん商船大学とか、あるいは軍事関係の大学とか、東海大学は小さいのを持っておりますけれども、すべての大学が仮に五万トンクラスの平和の船をつくりまして、毎年世界じゅうを回るということで、これは国際関係の学科の学生を全部乗せる、そうして単位を上げるという形にするためには、これはやっぱり文部省の今の大学設置基準法を変えなけれはどうもうまくいかないのじゃないかというふうに私は思っております。  そういうことがちっともやられておりませんから、私は大平内閣の時代のそういう船の構想とい うものを深刻に受けとめましたから、ついこの間、四月二十六日から平和の船というのに、これはソ連船をチャーターしたわけですが、乗りましてナホトカと北朝鮮、朝鮮民主主義人民共和国の南浦と中国の天津、北京に行ってきたわけであります。これは三百一人の人間が乗りまして未曾有のことだった。船の中には百二十の講座が設定されました。そうして最新型の日電のパソコンを積みましてパソコン講座をやりました。それから船の中では日本海に平和の秩序ができるかという国際関係のシミュレーションをやりました。そうして、ソ連でも北朝鮮でも中国でも大歓迎を受けました。北朝鮮に三百一人の人間が行ったというのは、これは驚くべきことであります。  そうして、若い人々は三国を訪問した後、船の中で討論をいたしました。これらの討論は千差万別であります。若い人は非常に自由に物を感じるわけです。したがっていろいろの感想が出てくるわけです。これらを一つ一つここでは申し上げませんけれども、しかし共通の事実が二つある。  一つの事実は何かというと、今まで日本ソ連とか北朝鮮とか中国について書かれていたことから比べると、自分の目で見たソ連や北朝鮮や中国は、少なくとも日本で言われているよりはましな国であるということを実感で感じたということです。それから二番目は何か。これは全然逆なのですけれども、にもかかわらず、我々は日本にやっぱり住みたいという気持ちを持っている人が圧倒的に多いのです。ごく少数、ソ連に住みたいという人はやっぱりおりました。かなり中国に住みたいという人はいました。しかし、日本へ住みたいという人が若者の中で圧倒的に多いわけです。私は、この二つの事実は非常に貴重な問題だと思っているのです。  なぜかと申しますと、日本は今や、そういう意味では世界のいろいろな国と比べた場合に非常に住みよい国になっているからもっと自信を持っていいのではないか。必死になって情報コントロールで、ソ連が悪い国だとか、北朝鮮が悪い国で危険な国だとか、中国は悪い国だという、そういう情報を流す必要は全くないのではないか。そういうことを流す必要があると思っている人がいるとすれば、これは時代おくれである。今や我々はソ連にも中国にも北朝鮮にも出ていくべきなのだ。だから非常にはっきりしていることは、日本人の対ソイメージというのは非常に悪いのです。嫌いな国を学生にアンケートをとりますと、ソ連がトップに出てきます。私は毎年やりますけれども、いつでもトップに出てきます。しかし、ソ連に行って日本について聞くと、大部分のソ連人は、日本というのはすばらしい国だ、学びたいというわけなのです。これは驚くべき違いだと思うのです。こういう状態を突破しなければならない時代が来ているのです。私は日本海・アジア平和の船に乗ったわけでありますが、まさにそれは多くの人々の印象を通じてはっきりと実証された感じがいたしました。  そこで、私はソ連に行ったときに何を言ったかというと、もうそろそろ日本海を中心にした軍拡競争をやめようじゃないかと言ったわけです。ただ、日本側が日本海非核化と言うと、ソ連は渋って反対だと言うのですね。これなぜ反対かというと、樺太とかカムチャッカの非核化が入るのかとか、あるいは日本太平洋岸の非核化を無視して日本海だけが非核化できるのかというわけです。仕方がないから、日本海の非核化じゃなくて、日本海を善隣友好の地域というふうに私は妥協したわけですけれども、本当は日本海非核化したいのですね。日本海非核化するためにはインフラストラクチャーをつくらなきゃならない。したがって、日本海側に新新幹線、リニアモーターカーを敷いて、朝鮮にもトンネルか鉄橋をつくる。樺太から北海道にもつくる。シベリアにもつくる。一回り二十五時間か三十時間で右からも左からも回る。そして重要な地域に第一日本海大学、第二日本海大学といった国際的な大学つくる。アメリカ人も教官になる。そしてそこで多国籍の教育をやる。その周辺にハイテク都市をつくる。そのハイテク都市のネットワークを日本海に張りめぐらせる。コンピューターのネットワークを張りめぐらせる。  こういうアイデアは、既にアメリカのノースウエスタン大学のハロルド・ゲッコウ教授が、去年の十月に新潟大学に来て新潟大学で話をしたときに我々との議論の中で出したわけです。そういう方向というものの可能性太平洋時代において考えられないとすれば非常におかしいわけです。なぜなら、太平洋時代というのは日本海を含むものである、日本海を含まない限りおかしいわけなのです。周辺地域の発展を我々は考えるべきときに来ているのではないか、朝鮮半島についても、もはや解決可能であるというのが私の意見であります。  大体、七二年にニクソンが訪中したとき、もしその勢いをもう少し引き伸ばせば朝鮮半島の問題は解決できたはずなのです。しかしキッシンジャーの構想というのが、大国中心主義的パワーポリティックスという古臭い考え方に乗っているために冷戦再開につながったわけですが、そういう中で、朝鮮半島の問題の解決は延びてしまった。七二年の七四共同声明があったにもかかわらず今まで延びた。もう今はこれは可能なわけです。あの時期は中国も、アメリカ軍事同盟を結ぶとかそんな話を言っていたわけですけれども、しかし、今や中国は中立的になり第三世界向きになりました。そして朝鮮半島の問題の解決は極めて熱心であります。これに日本が協力すれば必ずできる。アメリカの内部でも、朝鮮半島の問題は解決できるという考え方を持っている人が圧倒的に多くなりました。七三年に私がアメリカに行ったときに、それを説得して歩いたわけです。そのころは反対する人間が七人、賛成する人間が三人ぐらいだったのですが、今は恐らく私は、七人と三人がちょうど逆になったというふうに思っております。  そういうような状況で、日本がなぜ朝鮮半島の平和の解決のために主導権がとれないのか。経済的には大国になったときには、それで主導権がとれないのなら、政治的には依然として三流、四流ではないかというふうに言わざるを得ないわけです。  私どもに、SDIというものが出てくることによって現在さまざまの論議が起こっております。例えば、古典的な抑止戦略に戻れという、これはMAD戦略と言われておりますけれども、MAD戦略を主張する永井陽之助教授に対抗して、またチームBにつながっているような、アメリカにつながっているのはNUTSという方を促進して、そしてSDI支持、こういうふうにSDI問題でもいろいろの議論がなされておりますけれども、私はこのSDI問題が、もし中曽根総理の言われるように理解されるなら、非核をどんどん進めなきゃいけない。そもそもレーガン大統領が言っているわけです。もしSDIが完成すれば抑止力というのはゼロになる、これは、アメリカが先につくってもソ連が先につくっても抑止力はなくなっちゃうわけです。そこで困ったものですから、アメリカが先につくった場合にはSDIはソ連の方にも配備しますと言っているのですね。アメリカが先につくったようです。これはレーガンはそういう回答をやっているのです。これが全くSDIの持っている内的な矛盾というものをはっきりと示しているだろうと思うのです。  そういう意味では、SDIをもし開発するなら、国際的な形で、米ソ協力して開発するならいいだろうと思うのですが、そうでないと非常に危ない問題が含まれているということを結論として申し上げざるを得ない。  そのSDIの一番の基盤になる最新の科学技術、つまりハイサイエンス、ハイテク、マイクロコンピューターを中心にしたさまざまの技術、こういう技術が軍事的な開発とはっきりと結合する方向は危険である。これに反して、現在のパソコンというものは非常に安くなりまして、若い人々が個人で買えるわけです。したがって私は、パソコンを中心にした市民的なレベルの新しい知識情 報研究プロジェクトというのをつくるべきである。大学なんかは非常におくれていまして、特に文科系などではいまだに、パソコンなんかを導入するのに極めてネガティブなところが非常に多いのです。これはもっと積極的に文部省がそういうものを促進して大学に五百ぐらいパソコンを置く、あるいはコンピューターの端末を置く、そういうような大学をつくって、そしてパソコンが平和のために使われるというのを市民レベルでやるべきではないか。市民レベルのそういう科学技術を発展させるために非常に重要な拠点になるのが私は実は地方自治体だと思っているのです。  外交が、国民に理解されるような外交ということが強調されておりますけれども、今や地方自治体が世界的な外交にどんどん進出していくべきではないか。姉妹都市関係世界連邦宣言自治体、非核自治体、こういうことを通しまして世界じゅうの自治体ともう一つの国境を越えたネットワークをつくる。アメリカでも現在ハイテクを促進しているのは自治体なのです。自治体が一生懸命で大学とハイテクを促進しています。したがって、そういうレベルの関係がネットワークとして発展してまいりますと、今までの軍事戦略と国家というような考え方を、地方自治体レベルの新しいネットワークを通して構造変動させる大きな力が出てくるだろうと思います。そのような大きな力を日本の自治体が先頭に立って行うようなところまで進んでいかなければいけないのではないか。  そういう意味では、国民に理解される外交の展開ではなくて、国民の参加する、地方自治体も参加する外交の展開というようなことをそろそろ、最先端産業を育成してきた日本の過去の戦後の歴史の延長線上に構想すべきところに来ている。国会はそのような側面に向けて新しいアイデアを、少なくともそういう最初の方向づけをやっていただきたいというのが私の希望でございます。  以上でございます。
  8. 大木浩

    ○小委員長大木浩君) ありがとうございました。  以上で参考人からの意見の聴取は終わりました。  これより質疑に入ります。  質疑のある方は、小委員長の許可を得て順次御発言を願います。
  9. 石井一二

    ○石井一二君 では、各参考人に一、二問ずつお伺いをしたいと思います。  まず、新関参考人にお伺いしたいのですが、外交機能強化するために三人公館の話等を出されて、もう少し人数が要るというようなことを言われたわけですが、行革という現在の政治の流れにあって、人数をふやせということであればこれはだれでも言う話だと思うのです。ややそういった中で、時間の関係もあって具体的なことはおっしゃりにくかったのだと思うのですが、どことどことを合併せいとか、あるいは遊軍的な外交団グループで足らぬところをカバーせいとか、もう少し行革という線にのっとった中で外交機能強化するというような、フレッシュなアイデアはないものかななどと思いながら聞いておったわけでございまして、それについて簡単なコメントをいただきたいことが第一点。  第二点は、国連外交の重要性ということを訴えられたという面では非常に私も共鳴するわけですが、私自身現在の国連外交に非常に失望しておる。その第一の理由は、五大国拒否権というものが余りにも強過ぎていろいろ弊害がある。ソ連一国だけで百十五回、多分それぐらいの数字だったと思いますが拒否権を発動しておる。自分の都合の悪いときに発動できるというのがその制度だから、それ自体はしようがないわけでございますが、やはり世界全体の国際的な世論というものを背景にして、余り拒否権が強いという場合にどうかと思うわけでございます。それと同時に、一国一票主義をとっておるために、小さな国が日本その他先進諸国と同じような権力を行使するために、やや仲間意識的なかばい合いというような面があって、本来のそうあるべき姿というものがゆがめられておるのではないか。また、それを調整し得るような立場にある事務局長の権限というものが弱過ぎるのではないかといったような指摘があろうかと思いますけれども、ここらを中心として国連外交の必要性を強調されたお立場でコメントをいただければありがたいと思います。  全体の時間を私は往復で二十分しか持っていませんので、済みませんがそれをお含みの上でよろしくお願いいたします。
  10. 新関欽哉

    参考人新関欽哉君) ただいま石井先生から、一つには外交機能強化の問題に関連しまして、人員をふやせということはいとも簡単だけれども、行革という現代の大きな要請のもとにそういうことが果たして可能かどうか、殊に今は三人公館といっても、ほかの三人公館があるからといってほかのやり方で何か能率のいい外交機能を果たすことはできないだろうかという御質問と承っております。しかし、確かに行革の問題がございますが、現在国際的に見まして、アメリカの場合は外交官と申しますか、人員が一万五千人いるわけでございます。それに対して日本外務省は四千人を切っているという状態でございます。イギリスも大体一万人近いと私は了解しておりますが、せめてイタリアあたり、五千人ぐらいのところまでは、大きなことを、一万五千人にしろということはとても無理な相談でございまして、そういうことは私としても申し上げる気はないのでございますけれども、せめてイタリアとかインド、インドがやはり五千人ぐらいでございます。あの程度まではないと外交機能を果たすことが非常に困難ではなかろうか、こういうふうに考えておる次第でございます。  それから、第二の国連外交につきましては、これはむしろ武者小路先生の方からのお話もあるかと思いますけれども、私は先ほど申し上げました中に、国連外交強化すべきであるということも申し上げました。ただ前の、三本の柱という場合には国連中心外交ということが一つの大きな柱になっておりましたけれども、やはり国連としての機能にはどうしても限界があるということで拒否権のこともお話ししたわけでございます。  つまり、戦後依然として五大国、常任理事国には拒否権が認められておるということで、何か自分の国の重大な利害関係関係のあるようなところになりますと拒否権という伝家の宝刀を抜くというようなことがずっと行われておるわけでありまして、そういったことから肝心の平和維持機能というものが阻害されることが多々あるわけでございます。しかし私は、やはりそういう意味安全保障理事会平和維持機能というものには、もう初めから中に組み入れられた機能的な問題として拒否権というものがあるために、限界があると私は思いますけれども、例えば緊急総会というような形で、重大な問題がありますときに総会を緊急に招集しまして、そこの決議というものによって平和的な解決を図るというようなことも行われておるようでございまして、これなども一つのいい方法ではないか。これは総会の決議は拘束力はございませんけれども、しかし非常に道徳的と申しますか、一つの圧力になり得るわけでございまして、そういうようなほかの手段も行使しながら平和維持機能としての国連機能を高めていくべきではなかろうかと私は思っているわけでございます。  それから、一国一票主義という問題は、確かに石井先生御指摘のように、これはいろいろな問題を起こしております。殊にセブンティセブンと呼ばれております非同盟諸国七十七カ国が中心になりまして、問題がありますと一致団結するというような形で重要な決議をブロックする、あるいは余り現実的ではないと思われるような決議を数を頼んで推進するというようなこともございます。これは殊に専門機関でそういうようなことが目立っておりまして、ユネスコの問題なども私はそれに絡んでおると思いますけれども、この点は国連の建前として、あくまで一国一票であるという建前はできておりますので、やはり非同盟諸国の自制ということ、それから行き過ぎに対する反省というような点に期待する以外にはこれは方法はな いのではないだろうかというふうに考えておる次第でございます。  以上でございます。
  11. 石井一二

    ○石井一二君 ありがとうございました。  ほかにも言いたいことがございますけれども、次に武者小路先生、いろいろな御発言の中で私が特に印象深く受けとめましたのは、問題がアジアに移転しつつある、またアジア東西ブロック化の傾向が構築されつつあるのではないか、また、米ソ間のバランサーとしての中国というもののあり方というような御発言があったと思いますが、私は、日本という地理的な地勢から見て中国が東陣営につくか西陣営につくかということは、我が国軍事的な外交政策経済的な外交政策上極めて重要だと思っているわけです。そういった意味で中ソ関係というものを注意深く見ていくべきだという基本的な考え方を持っているわけですが、中国に言わしむれば、例えば中ソ国境における兵力の数とか、ベトナム、カンボジア関係ソ連との直接間接の支援の状態とか、ソ連の覇権主義等々についていろいろな不満があって現在の中ソ関係というものがやや冷たい関係にある。こういった中で日本は昨今経済的なアプローチもしたりいたしておりますけれども、いっても社会主義国ですから、私は、今後また中ソ関係が極めて緊密になる可能性もあるというぐあいに思うわけでございますが、先生の今後の中ソ関係に対する御先見と申しましょうか先行き予測、簡潔にどのようにお考えか、日本外交との関係で御指導を賜りたいと思います。
  12. 武者小路公秀

    参考人武者小路公秀君) 簡単にお答えを申し上げます。  中国は今、現代化政策を推進することである意味では社会主義圏内の多中心化、多極化ということを実行していますし、また多極化すること、多中心化すること、つまり社会主義のいろいろな道があるということが認められることが先決条件ではないかと思います。その意味で、ソ連との関係はいろいろ紆余曲折があり、今後平和共存という原則に基づいて非常に接近する可能性はあると思いますが、それは完全にソ連ブロックの中に中国が入って一緒に行動をするということにはならないと思います。しかもそういう状況は、西側ブロック強化して非常にかたいブロック西側にできれば、やはり中国としてはそれにバランスをとるために再び中ソのブロックをつくるということを考えざるを得なくなる、その可能性はもちろんありますけれども、その可能性は恐らくないのではないかと思います。  むしろ中国は、ソ連に対していろいろな覇権問題等あると思いますけれども、この前も中国社会科学院の先生と話をしていましたら、今ソ連アメリカとの間の勢力がたんだん均衡してきたということは非常に望ましいことである、ソ連の力がやっとアメリカに追いついたということは決して悪いことではないのだということを言っていた先生もありまして、その意味ではアメリカソ連が均衡をとり、それと中国が均衡をとるという形でむしろ安定していく、つまりブロックを越えるということを中国は求めているのではないかと思います。
  13. 石井一二

    ○石井一二君 ありがとうございました。  最後に関先生にお伺いしたいのですが、御説明が多岐にわたりましたので質問も数多く申し上げたいわけですが、二点に絞りましてお伺いしたいと思います。  まず第一点は、ソ連へ行くと日本のことを非常にすばらしい国だということを言っていただいておるというような御発言がございました。非常にうれしく感じたわけでございますが、歴史上の事実として過去五年間に何人のソ連人が日本へ来て日本を見られたか、ひとつ数字をお教えいただきたいと思います。それ以外のことは結構です。  第二点、朝鮮半島における南北交渉の主導権をなぜ日本がとれないのかとおっしゃったけれども、具体的にどのような方策をお考えになっておっしゃっておるのか、この二点について御指導いただきたいと思います。
  14. 関寛治

    参考人(関寛治君) 最初の、何人のソ連人が日本に来たかについては、私は残念ながらその数字を持っておりません。とにかく数はそれほど多くない、少なくとも我々の学者の仲間で見る限りは非常に少ない。それは相対的な問題でありまして、例えば、私は一時広島大学の平和科学研究センターをつくってそこにおりましたけれども、アメリカの学者がそこに二十人来たとしたら、ソ連の人は大体三人だった。それは広島大学の平和科学研究センターの例でありますけれども、ほかではもっと私は少ないのじゃないかというふうに思っております。
  15. 石井一二

    ○石井一二君 私が申し上げた理由は、日本がよい国だという裏には、日本をゆっくり見ていろいろ日本人とも語り合い、やはり評価するだけの何か資料がないといけないのじゃないか。これは私も勉強不足ですが、ソ連ではやや出版物とかそういったものに対しても規制があるように私は承っておるのです。また、日本語が読める方の率とかそういった面でも非常に少ない。そうなると、ソ連へ行って、だれでもが日本はいい国だと言う限りは、少なくとも三千万やそこらの方が日本へ来ていろいろ見てお帰りになったのじゃないかなと、そんな気がしましたので、私はややこれが誇張じゃないか、えらい失礼でございますが、そういうぐあいに率直に思ったということです。  あと朝鮮の問題はどうですか。
  16. 関寛治

    参考人(関寛治君) 今の問題でちょっと私言わしていただきたいのですが、私がソ連に行きまして、少なくとも日本専門家と言われる人たちの日本認識というのは、私はかなりのレベルであるということを言わざるを得ないのです。もちろん、ソ連人というのは非常におもしろいわけでして、公式に本に書いているのとプライベートに話すのと若干違うということです。プライベートに話すときは余りマルクス主義という言葉は使いません。本のときにはマルクス主義という言葉が必ずどうも出てくる傾向があるので極めて公式的になる。しかし、個人的に話したときは日本の実情なんかをかなりよく知っております。もちろん来た人もそうですけれども、聞いている人、つまり本を通して知っている人は、とにかく日本経済というのはアメリカに勝つようになったという、そういう常識ですね。それからもう一つは、日本は広島、長崎で原爆の被災者であって、非常にそういう点から平和を欲しているのだ、しかし政府に関して少しクエスチョンマークがあるということだろうと思うのです。  その点でもう一つ、最近おもしろいことを申し上げますと、平和の船で行った連中は、ハバロフスク市と平和の船が共同声明を出そうとしたのです。その共同声明の中に、日本側に労働組合の非常に五〇年代的思考の人が上の方にいましたので、日米安保条約反対というのを日本の方が入れたのです。そうしたら向こうが、日米安保条約に反対というのをとってくれと言うのですね。これは非常におもしろい。もっともほかの点では日本海非核化などというのは逆に反対しちゃったような面があるのですが、日米安保条約についてはそんなような状況だったのです。これは私は、中曽根総理がゴルバチョフ氏と会われてしばらくたちましたけれども、後のことですから、それが非常に影響したということを個人的な話を通じてはっきりと理解いたしました。そういう意味では中曽根総理がモスコーを訪問されたということ、ソ連を訪問されたというのは日ソ関係に非常に大きな意味を持ったというふうに私は向こうとの個人的な話を通じて理解いたしました。  それでは朝鮮半島のことに移りたいと思いますが、朝鮮半島に関しては六五年以降、日本アメリカの戦略軌道の中で南との結びつきを太くした。経済的に見てもこれは非常に太いパイプですね。したがって、政府レベルとしてはある意味では極めて動きにくいということは私は了解するわけです。ただ、今までの日本の北朝鮮に対するさまざまの情報というのは、少なくとも先ほど私が申しましたけれども、学生にアンケートをとったときに、ソ連が非常に嫌いな国も多いのだけれど も、北朝鮮も圧倒的に嫌いな国が多い。これは私はある意味ではわかるのですけれども、今度初めて北朝鮮に行ったという人で、非常に新鮮な感覚で見た人が、北朝鮮はこれは我々が聞いているよりはるかにすばらしい国だということを理解しているのですね。私どもの仲間に元NHKにおられた坂田二郎さんという、どっちかというとNHKでニュース解説をしていられたころは保守的な方がいらっしゃいました。この人が向こうへ行って初めて北朝鮮を見たわけですけれども、これは自民党の代議士さんにたくさん北朝鮮に行って見てもらわにゃいかぬわという率直な印象を述べておられたわけです。
  17. 石井一二

    ○石井一二君 私は今主導権をいかにしてとるかということを聞いておるので、ひとつそこのところを……。
  18. 関寛治

    参考人(関寛治君) そういう日本情報が北朝鮮についての情報をもう少し変えなきゃいけないということが私は出発点になると思います。  そこで、私どもは民間レベルが活動すべきだということを考えております。具体的に言いますと、南北両朝鮮から来た人たちを同じテーブルにつけさせるのが非常に今まで難しかったわけです。両方がノーと言っていたのです。ところが、現在はやり方のいかんによってはそれが可能になってきた。そこで日本でも中国でも構わないから、あるいはほかの国でも構わないから、日本がそういうものにお金を出してチャンスをつくるべきである。これはもちろんアメリカの学者も含めて中国ソ連の学者も一緒に含めてシンポジウムをやるとか、さまざまなシンポジウムを積み重ねて朝鮮半島の今後の将来の問題をどういうふうにするのか、そういう対話の機会を発展させることだろうと思うのです。この対話の機会というものが従来、国際学会でたまたま顔を合わせても、なかなか南北両朝鮮の問題の解決じゃなくて、ほど遠い考古学の問題とかそういうことでの顔合わせはありましたけれども、一番肝心の問題で議論されていることがほとんどなかったわけです。  私が聞くところによりますと、国連大学がタシケントで会議をやられたとき初めて南北の方が出て来られた。これは武者小路先生にお聞きした方が早いと思うのですが、来られた。そして、アメリカのブルース・カミングスという学者がスピーチをして、それに両方コメントつけさせたら両方ともブルース・カミングスのスピーチに賛成だった。そういうような工夫をやられた上で南北の話し合いが始まろうとしているのです。  我々はもう一歩進めるべきだというふうに考えておりまして、これは民間レベルがやるべきなのです。その民間レベルのものをまずやって、それからだんだん積み上げで政府レベルにまで持っていくべきだろうというふうに考えております。
  19. 石井一二

    ○石井一二君 御意見として、ありがとうございました。
  20. 久保田真苗

    久保田真苗君 きょうはお忙しいところありがとうございます。  武者小路先生に伺います。  まず、今、石井委員からも出ました国連外交の問題について、先生にはまだ御意見を伺っておりませんので。国連強化日本の大きな役割だということを言っておられます。そして、政府間と民際外交がうまくつなげるということを御提案になっているのです。私もそれは非常に大事なことだと思うのですが、さて実際の状況を見ますと、政府と民間との間には非常に大きなギャップがございます。そして、私がつくづく感じざるを得ないのは、外交ほど国民から遠いものもなく、外交ほどNGOから遠いものもなく、そしてまた、地方自治体から遠いものもないということを実感として味わっております。  そこで、この民際外交がたとえ国連というその中にあってさえも政府間との間にこれをうまくつなげるようなそういう方法があるのかどうか、そこのところを先生の御意見をお伺いしたいと思います。
  21. 武者小路公秀

    参考人武者小路公秀君) お答え申し上げます。  非常に難しい問題だと思いますのは、まず第一点としましては、先ほどの石井先生の御質問にも関係してまいりますが、国連外交が必要なことはやはり、日本外交大国との間のパイプ、特に米国との間のパイプは非常に太くて、ほかの国とのパイプが非常にアジア諸国を除いては少ない。国連という場を使えば日本はいろいろ中進国だけではなく第三世界国々とも話し合いの場を持つことができる。第三世界というのが一番今不安定なところですし、国際平和の観点から見ても日本が対話をして協力をする必要がある。その話し合いの場ということはまず第一点としてあると思います。    〔小委員長退席、石井一二君着席〕 日本外交がもしも第三世界とも対話をする姿勢を持つようになれば、民間外交と国の外交との違いはずっと薄くなると思います。今までの日本外交は明治以来大国向きの姿勢なので、どうしても小国あるいは国民の方に向かない。その問題が一つ大きくあると思います。  それからもう一つは、これは国連の側の問題でございますが、国連の中にまず安保理事会と総会との間に大きなギャップがある。大国拒否権を使えるところは役に立つ。だけれども、総会はただ決議のしっ放しというそういうギャップ。それから国連の安保理、それから総会と今度は経済社会理事会、それからいろいろな専門機関との間にもう一つギャップがあります。つまり国際平和と安全のことを担当している部分と、それからもっと福祉とか発展とか経済社会問題、ユニセフの子供を扱う問題、その間の関係が非常にセクショナリズムでばらばらになっている。  そういう意味で、国連は非常に弱くなっているので、今国連機関の間の協力関係をつけるということがもしもできれば、国連というものが例えば情報機能についても非常にすぐれた情報機能、収集能力を持っておりますし、問題を解決する場合にも、それこそ日本で主張しております総合的な安全保障力というものをまさに実現するとすれば、これは単に戦争が起こったときにどうするかということではなくて、むしろ戦争が起きないように紛争が起きる前からいろいろ問題を処理していく能力というものを総合的に使えるようにしていく必要があると思います。そういう形に国連を改組していく、国連の組織を合理化していくということは今の事務総長の努力しているところですけれども、それに対して中進国が、つまり、残念ながら超大国はそれほど熱心ではないので、むしろ中進国のところで日本がリーダーシップをとって協力して、国連をより有効なものにする必要があると思います。もしも日本がそういう姿勢で立ち向かう場合には、やはり民際外交というものを国の外交の立場からも利用する、活用するということが十分可能なのではないかと思います。
  22. 久保田真苗

    久保田真苗君 続いてもう一つ伺います。  実は、南北の問題をおっしゃいましたのですけれども、もし南との経済関係におきまして今北の国が一体何をすればいいのかということについて、私は必ずしも一つのガイドラインというようなものがあるようにも思えないのです。    〔小委員長代理石井一二君退席、小委員長着席〕 それは例えば、OECDなんかがODAの問題について質、量を改善せよと言っている。それについて一つのターゲットが出ている。それに向かってやっていくことは私も大変賛成なのですけれども、それでは全体として見たときに今の経済援助というものが、北の国もいろいろありますし、西も東もありますから一概には言えないのですけれども、果たして本当に途上国の自立的な経済にとってプラスになっているのか。もしプラスになっているとすればどういう方法がプラスになっているのか、あるいはマイナスの面がないのか、その辺について先生はどうお考えでしょうか。
  23. 武者小路公秀

    参考人武者小路公秀君) 現在の経済援助の問題について、あるいは南北問題については三つの改善しなければならない問題があると思います。  まず第一に、これは累積債務を処理するという ことで国際機関が先進工業諸国利害を代表して、例えばIMFが第三世界国々へいろいろな条件をつけて、条件を満たさない限り金を貸してやらない。その場合につけている条件というものが非常に対外的な債権、債務の関係調整するということだけを表に出して、国内の福祉の方に金を回すことができないとかいろいろな形で国内の不満を、あるいは政治的な不安定化をかえって増しているという状況があります。それを直して、むしろ第三世界国々の立場から、あるいはその国民の立場から累積債務の問題も含めて考える、非常に難しいのですけれども、その問題が一つ。  それから第二番目は、双務的な形の援助というものの方が多角的な援助よりも熱心に行われるし、要するにひもつきの援助ということが非常に多いということがあります。これは日本よりもむしろフランスとかイギリスなどのように旧植民地を持っている国が自分たちの旧植民地の勢力を維持するために助けるということの方が多くて、国連を通じての援助とかそういうものの方になかなか金が回らないという問題がもう一つあります。  それから第三番目には、これは日本の問題にもなるかと思いますけれども、この援助を出すことが経済的な利害と結びついて、ある勢力圏を生む関係がどうも出てくるのではないかと思います。その点で私は、アジア太平洋日本が重視することはいいと思いますけれども、やはり経済協力関係はどこかに重点的にやるのではなくて、もっとまんべんなくいろいろな地域にやるという形でそれぞれの国の自発的な発展ということを助けていく、外からただ金を出すということではなく、その自発的な発展を助けるという必要があるのではないかと思います。  その意味では、やはり国連強化して、国連を通じての援助活動ということを総合的にやっていく。ただ金を出すとか技術を出すだけではなくて、いろいろな学術交流もあるでしょうし、子供の問題を考える必要もあるでしょうし、女性の地位を高めるという問題もあるでしょうし、いろいろな問題と立体化した形で協力をしていく。ただ金を出せばそれで済むのではないという立場で、総合的な援助をすることがまた総合的な安全保障につながるという考え方が必要なのではないかと思います。難しいことですけれども、原則としてはそういうことではないかと思います。
  24. 久保田真苗

    久保田真苗君 関先生に。先ほど私は、外交の問題と地方自治体の関係ということを申し上げたのですが、実はいろいろな問題に突き当たっておりまして、地方自治体は国際的な約束事については口出しができないのだというふうな考えがかなり政界には強く支配していると思うのです。しかしそれについて、地方自治体が外交の問題に口を出せる範囲というものが、地方自治体が直接影響を受けるようなそれの事柄の範囲についてはできないこともないといったような解釈がございます。先生は地方自治体の外交へのいろいろな貢献というふうなことを言っていらっしゃるのですが、伺いましたところでは、宣言、それから姉妹都市というようなものはもちろん大変結構なのだけれども、それ以上のことをできるという、そういう地方自治体のあり方というものについて先生はどうお考えになりますでしょうか。例えば今ハイテクの問題が出ましたけれども、地方自治体が直接ハイテクの問題でどこかの都市と提携して何らかのプロジェクトを実行する、そのような意味でおっしゃっているのでしょうか。
  25. 関寛治

    参考人(関寛治君) 私は、地方自治体が国際的な拘束に口出しができないというのは、これは古典的な国際法からの原則に立てばそういう議論は非常に強く出てくると思うのです、外交権がないわけですから。しかし、事実の、ファクトの問題として申しますと、地方自治体が国家を超えて別の地方自治体と関係を結ぶケースというのが例えば姉妹都市に出てきているわけです。これは最初は非常に儀礼的な関係にとどまっていると思うのですが、ある程度進んでまいりますと、例えば留学生の交換とか場合によると技術者を派遣するとか、そういうようなことも自治体の予算でもやられる可能性があるし、あるいは自治体と結んだ、その自治体にいるある企業に便益を図るというようなことで行われているケースもあるわけです。  さらに一歩進みますと、例えば自治体が大学をつくるような場合、県立大学みたいなもの、これが今までの大学と根本的に違って極めて国際的な大学の場合にはそのレベルで国際交流が行われる。あるいはアメリカでもそうなのですが、自治体が研究所を非常に育成している場合がある。その研究所が国際化してハイテクの問題にコミットしているというケースはもうアメリカに出始めているわけです。それらの問題が、日本の場合は非常に中央集権が強いわけですが、アメリカの場合には、例えばノースカロライナの近辺のリサーチトライアングル、研究三角地帯と呼んでおりますけれども、そういう地域とかあるいはテキサスが非常にそういう問題に関心を持ち始めているとか、事実の、ファクトのレベルで発展しつつある。  したがって、この事実のネットワークが非常に複合的に出てまいりますと、私は最終的には今までの国際法の考え方ではついていけなくなるので、国際法そのものがそれに対応せざるを得なくなる。そうすると、国際的な約束に口出しができない範囲というものが非常に限られてくるだろうというふうに思うのです。ときによると、余りこれは急速に進み過ぎると中央政府と地方自治体との間に衝突が起こるということがあり得るでしょう。しかし、このネットワークが非常に多くなれば、そのような衝突が仮に起こっても、ネットワーク自体が地方自治体の側に立って今までの考え方を事実の面で突き崩していくということが発展し始めるというふうに思っているわけです。  そういう意味では、今国連外交の限界みたいなものが言われている中で、一つはもちろんお金のレベルでやっている世界銀行なんかはかなり違うのですけれども、一国一票というものがあるのですね。一国一票だと、例えば人口が一億のところも十億のところも二百万ぐらいのところもみんな一票だというのではおかしいではないかという考え方が当然出てくるわけで、そういう場合に、自治体が一国ぐらいの力を持っているわけです。日本のある大きな自治体なんかはシンガポールより人口が多いし、シンガポールより金持ちだ。こういうところが何で私は発言権を行使しないのか、ある意味では実質的におかしいのです。国連の中でも経済社会理事会とかあるいは軍縮特別総会などというと、国家ではない組織、NGOが出て演説をやっているわけです。これは演説レベルにとどまっているのですが、しかし、もっと実質的に国連のさまざまの活動に参加していくという可能性がもう既に出始めているのではないか。  そういうようなことから考えますと、自治体の国際会議というものが頻繁に開かれるようになり、それが積み重ねられていけばこれは事務局ができる、そういうものを通して新しいネットワーキング、最近コンピューターサイエンスでネットワーキングというものが非常に重要視されておりますが、国際政治のレベルでも、今までの政府間のネットワークとは違う複合的なネットワーキングが発達することによって、国際政治の構造を実質的に変えていくというところにまで進み得るのだというふうに私は思っております。それが一つの方向であり、むしろその方向を妨げるのではなくて促進する、ただし、ただ無限に促進するのじゃなくて、どういう方向で促進するのかということが、恐らく中央政府レベルあるいは国会レベルでは考えられる価値があることだというふうに思っておるわけでございます。
  26. 和田教美

    ○和田教美君 まず、新関さんにお伺いしたいのですけれども、先ほどのお話で外交機能強化という問題について、これからは経済問題が容易に外交問題になり政治問題になる、そういうふうなことから情報収集能力とか判断能力というものを持たなきゃいかぬということのお話がございましたけれども、そういう収集、判断能力以外に総合調整能力というものがやっぱり外務省にとって、 特に経済問題についてはこれは非常に重要な問題になってくるのではないかというふうに思うのです。現に今進行している市場開放の問題一つ取り上げても各省の縄張り争い、業界と結びついた抵抗というふうなことでなかなか進みませんね。今までの市場開放の交渉の過程を見ていても、外務省がいわゆる調整能力を発揮しているというふうに余り思えないわけですけれども、その点はどういうふうに改革すべきかとお考えになっているか、それが第一点です。  それからもう一つは、新関さんは前からソ連問題の権威でもいらっしゃるわけなので、ソ連問題について全く言及がなかったわけですけれども、日ソ関係というのはやはり非常に重要な外交問題であることはもう間違いない。外務省は領土問題の解決ということを非常に強調されるわけなのですけれども、領土問題の解決というのは四番目ぐらいの課題だというふうなことを言う人も自民党の首脳の中におる。その辺の観点から日ソ問題についてどうお考えになっておるか。  以上の二点についてお伺いしたいと思います。
  27. 新関欽哉

    参考人新関欽哉君) ただいま和田先生御指摘の外交機能強化に関連いたしまして、情報集積、分析ということもさることながら、総合調整ということが一番大事な問題じゃないか、まさに御指摘のとおりだと思います。  そういう意味で、やはり市場開放問題にいたしましても官庁それぞれの主張もございます。しかし、そういういろいろな主張を十分しんしゃくしながらも、なおかつ大局的な判断からどうするかということを決める、そういう意味での総合調整というものがやはり大変大事であるということはまさに御指摘のとおりでございまして、言ってみれば、アメリカの例で言えば国務省というものがある程度総合調整的な仕事をしている、そういったような形での外務省の中でもっと総合調整をする部門というものをもう少し強化する必要が私はあるのではないだろうかと思います。その点は全く和田先生の御指摘のとおりでございまして、そういうような総合調整の能力というものが外務省には残念ながら現在のところ不足でございますので、またそれがいろいろな経済問題への処理にいたしましても後手後手に回るというようなこともあるのではなかろうか。やはり先を見て、情報もあくまで生の情報を集めるのでございますから、こういう情勢になりそうだということで、また未然に大きな起こりそうな障害、支障を取り除くという努力が必要だと私は考えております。  それから、第二のソ連問題については時間の関係もございましたので冒頭の陳述では申し上げなかったのでございますが、日本ソ連関係も非常に重要な問題でございます。私も外務省におりましてソ連関係の仕事を担当させていただきましたし、ソ連にも二度にわたって勤務いたしました。それからまた、日ソ交渉もロンドンの松本全権の交渉に始まり、最後には田中元総理のブレジネフとの交渉に至るまで全部の交渉に参加いたしましたこともございまして、日ソ関係につきましては現在も非常に関心を持っておるわけでございます。  日ソ関係の一番大きな問題は、和田先生の御指摘のように領土問題をどうするかということでございますが、この領土問題につきましてはいろいろなことがございまして、そのために松本交渉のときも平和条約という形はとれない、それで共同宣言ということで外交再開に踏み切ったわけでございます。ただ、領土問題を含む平和条約の交渉はその後も続けられるという了解のもとに現在に立ち至っているわけでございます。  ソ連の方は最近に至りまして、領土問題というものは一切存在しない、国際的なそういう問題はない、ですから領土問題については話し合いを行わないということを言っておりまして、日本としては取りつく島もないというのが現在の状況でございます。しかし、私は田中・ブレジネフの会談にも立ち会いましたけれども、あのときも第二次世界大戦後の懸案を解決して、そして日ソ平和条約を結ぶという了解がありまして、そして大戦後の重要懸案の中に領土が当然含まれるということが了解されたわけでございますから、いずれにしてもこの領土問題について交渉に応ずるという態度にソ連になってもらうということが一番必要で、やはり共通の土俵に上らなければいけない、そのためにはいろいろな意味の対話を促進するということが必要でございましょう。それからまた、今後の国際情勢の進展に合わせていろいろな施策の手を打つということも必要でございましょう。  それからまた同時に、現在アンドロポフ、チェルネンコ政権に続きまして、これはいずれも短命の政権でございましたけれども、今度はゴルバチョフという若い指導者が出てきた。これは長期政権になるわけでございますから、このゴルバチョフ新政権の政策がどうなるかということも十分注目いたしまして、私は何らかのきっかけをつかんで今までの懸案の解決に努力するということが必要だろうと思います。  客観的に申しまして、確かに領土問題は解決が困難であるということは私も認めております。ただ、ソ連との外交に当たりましては私個人の経験から申しましても、ソ連という国自身が非常に辛抱強い国でございます。やはりソ連相手の交渉になりますとこちらも非常な忍耐力を必要とするわけでございます。ソ連外交史の研究で非常によく知られておりますアメリカのアダム・ウラムというハーバード大学のロシア問題研究所の所長でございますけれども、この人の書いた本の一等最後に、やはり外交の要締は忍耐とタイミングである、忍耐をしていって何かのきっかけをうまくつかんで、そして手を打つということが一番大事だと、私はこの言っていることは至言だと思います。これはまさに日ソ交渉に当てはまることではないだろうかと愚考しておる次第でございます。
  28. 和田教美

    ○和田教美君 ありがとうございました。  次に、武者小路先生にお尋ねしたいのですけれども、この小委員会では外務省の人たちなどにも来てもらっていろいろ話を聞いておるわけなのです。それで、戦後日本外交の一番の特徴は何だというふうなことを聞きますと、結局平和主義だ、平和外交だ、これが一貫して日本外交を彩っている特色だというふうに言うわけです。その平和主義といいますか、平和外交といいますか、そういうことについては我々も何も異論がないわけなので、結局問題は、それをいかに具体的に展開していくかということの具体的な手段という問題について、非常に見解が分かれているというのが実態ではないか。一方の極においては要するに中曽根総理のような、つまりアメリカ核抑止力に全面的に依存するという考え方もあるし、他方の極においてそれを全く否定する考え方もあるところからいろいろな対立が出ているというふうなことだと思うのです。  そこで、いわゆる現実的で有効な平和戦略という観点で非常に大きな問題ですけれども、要約して先生のお考えはどういうお考えをとっておられるか、日米安保体制の問題も含めましてお聞かせ願いたいと思います。
  29. 武者小路公秀

    参考人武者小路公秀君) それでは簡単にお答えするように努力いたします。  御指摘のように、平和外交ということが日本の戦後外交一つの大きな特徴だと思いますが、日本の戦後の平和外交の特徴はある意味では吉田ドクトリンに従って、つまりアメリカに守ってもらうということで、自分自身はなるべく軍事力を持たないという形で、その意味では日米安保というものを通じてアメリカブロックの中に入る、そしてアメリカに基地を貸与するということによって同時に守ってもらう。そのことは逆に言うと、アメリカアジアにおける一つの戦略というものの体制の中に組み込まれてきたという面があると思います。ですから、それは日本自身にとっては平和ですけれども、例えばベトナム戦争のときに日本が完全に中立であったとは言えないわけで、やはり沖縄の基地というものはベトナム戦争に役に立ったわけですから、その意味では日本限りの平和外交だったと思います。  これから日本経済大国、非軍事大国ということになってまいりますと、自分のためだけの平和外交では周りの国が承知しないということが出てまいりますので、やはりアジアあるいは世界全体の平和と安全保障の問題に対してある一つの立場を鮮明に、旗幟を鮮明にする必要があるのではないかと思います。  旗幟を鮮明にする場合に、乱暴に申しまして今御指摘の二つの極があると思いますけれども、一つブロックの中に入って、アメリカのやっていることは平和のためになるのだからそれに協力する、西側ブロックを強めることが平和のためになると。ところが、実は私はそれは冒頭陳述で申しました理由で、これは五〇年代だったらまだ可能かもしれないけれども、今の状況ではそれはむしろ非常に危険である。その場合に考えられるもう一つの極は、それじゃ日本は非同盟の国になる、そしてアメリカとの安保条約を全部破棄するという考え方があると思いますけれども、それも二つ意味で望ましくないと思います。  というのは、一つは、状況を急に変化するということは全体の安定を破るということになると思いますし、なぜ安定を破るかということを申しますと、例えばアメリカの基地が日本からなくなる場合には、当然フィリピンからもなくなった方がいいわけですし、カムランのソ連の基地もなくならなくちゃいけない。両方が同時に基地を減らしていくという形でないと、一方だけが、日本だけが勝手に進むということは非常に問題があるのではないかと思います。  それからもう一つは、むしろ日本アメリカとの関係を持っていることを利用してだんだんにブロックを切り崩していく、解消さしていく、その意味二つのことが必要だと思います。一つは、平和憲法を本当に遵守するということ、そして非核三原則というものを本当に実施していく。その場合、ニュージーランドの例もあるわけで、日本はそこまでいけないというところが非常に問題があるのではないかと思いますけれども、とりあえずは今までの平和外交の路線を切り崩されることがないようにすることが一つ。もう一つは、平和非核地帯を設けるとかあるいはいろいろなそういう形でもって相互にブロックを解消していく方向に日本が積極的に提唱をし、つまり、地域の新しい安保の体制というものを積極的に考えていく、構想して提案していくということが新しい平和外交の要点だと思います。  それで、ただ主張するだけではなくて、総合的な安全保障力ということで経済協力とかいろいろなことも含めて考えていく、そういう日本だけの平和主義ではなくて地域全体、あるいは世界全体の中でブロックをだんだん減らしていくという方向に外交を進めていく。その中には先ほど申しましたように中進国との、例えば西側の中のカナダとかヨーロッパのフランスとか、いろいろな形のブロックを少し解消していこうという勢力がありますが、それと協力をする、あるいは東側の超大国以外の国々とも協力していく、あるいは第三世界国々とも協力し、そして国連安全保障能力を強化する、それが大事ではないかと思います。
  30. 和田教美

    ○和田教美君 わかりました。  時間の関係でまだまだ先生にお聞きしたいのですけれども、関先生にも間かなきゃいかぬから、関先生に一つだけお聞きしたいのは、先ほども、今のお話にもちょっとありましたけれども、私、この小委員会でも発言したのですけれども、アジアにおける軍縮についてのいわゆる話し合いの場というものが全くないわけです。ヨーロッパにおいてはいろいろな形のパイプなり場があるわけです。ヨーロッパのジュネーブの軍縮会議にしても、あるいは今やっている米ソの軍縮交渉にしても、あるいは通常兵器における軍縮のいろいろな話し合いの場というものが、よく機能しているかどうかは別として、とにかくあることはある。  ところが、アジアにおいてはそういう場というものは全くないわけです。これは非常におかしいじゃないかということを言いましたら、外務省説明は、先ほど武者小路先生のおっしゃったような、つまりアジアというものはヨーロッパのように二つの力が対立しているようなはっきりしたものではなくて、非常に入り組んだ流動的なものだからそういう場をつくるのは難しいのだ、だからだめなのだという一貫した答えなのです。だけれども、そういう難しい状況だから余計そういうものが必要じゃないかというふうに私は考える。  最近、安倍外務大臣が、この間ゴルバチョフが提案したアジア安保構想について、条件つきですけれども前向きに検討するということを言ったのは私は一つの前進だと思うのです。そういうアジアにおける軍縮の機構というか、機構まではいかないにしても、話し合いの場つくりというものについて何か具体的なお考えはございませんか。
  31. 関寛治

    参考人(関寛治君) 私は、現在のところは民間レベルではさまざまのがありますけれども、政府レベルでないことだろうというふうに思っております。しかし、民間レベルの話し合いを成長させていって準政府レベルまで持っていくことは私は下からの外交として可能だというふうに思っているのです、もし政府がそのつもりになれば。そのための条件というのはやはり国際環境がよくなってこなければなかなかできないわけです。しかし、軍縮と国際関係がよくなるということは鶏と卵との関係に似ていまして、両方が進まないと成らない。具体的に言えば、例えば朝鮮半島の問題の解決かないと朝鮮半島での軍縮というものは進まないわけです。そういう意味朝鮮半島の平和解決というものが軍縮問題とワンセットになって行われることが望ましいわけで、それがかなり見通しが明るくなってきているのではないか。  それで、もう一つの大きな変化は、中国がかなり変わってきた。これはついこの間、平和の船の帰りに中国に行きまして、中国の国際問題専門家とその中の一部の国際問題に関心のある者が三時間ぐらいのシンポジウムをやり、そしてその後で胡耀邦総書記と四十分ぐらい二十人の人が会ったわけですが、それらを総合して言いますと、中国は九年前から比べて非常に大きく変わった。九年前に私は中国に行ってやっぱり同じようなシンポジウムをやったわけです。どういうふうに変わったかというのは非常にはっきりしているのですが、向こうはみずから自分たちのスピーチで中国が少し変わったと言うのです。ところが私は、全部聞いた後、少しどころじゃなくてもう大きく変わったのではないかということを言ったわけですが、これは変わった点が三点あるのです。  一つは何かというと、九年前には世界戦争は避けがたいということをはっきり言っていたわけです。だからそのために我々は準備をしなければいけない、世界戦争は、多分通常戦争として第三次大戦が起こるであろう、しかし、ひょっとしたら核戦争になるかもしれない、我々はそれに対して準備しておるのだということをはっきりと張香山氏が言ったのです。今度はそうじゃなくて、世界戦争は引き延ばすことができる、それは永久に引き延ばすことができるから不可避ではなくなった、そのために多くの国が努力すれば、これは彼らは人民と言いましたけれども、努力すればいい、しかし、国で言えば、現在はソ連中国と、それから北朝鮮と日本とを合わせると世界の人口の三分の一であって、これが本気に軍縮の方向になれば必ず軍縮は可能になる、軍縮が可能になるということを彼らは言っているわけです。  日本の方は非核自治体宣言をやった連中が行きましたから、これはソ連に行っても北朝鮮に行っても中国に行っても非核自治体の問題は出したわけですが、これに対して一番警戒的だったのはソ連なのです。北朝鮮は一番大歓迎ですね、非核自治体は。中国はちょっと困った問題を抱えているわけです、みずから核保有国である。しかし、今度広島で自治体会議があるときに五つの都市を出しますと、これははっきりと胡耀邦が言ったわけです。湖耀邦自身、五つの都市のうちの五つ目を忘れちゃって、あれ、どこだったっけと聞いているような状態だったのですけれども、とにかく広島に送ると。数年前は、私の印象だと、中国が核実験をやるたびに広島の市長が中国大使館に抗議 の文書を突きつけていたら、必ずそれを封を切らないで広島市に送り返してきたそうです。ところが、今やもう中国はそういう状態ではなくなったわけです。非常に軍縮に熱心になったということです。これが第一点です。  それから二番目の点は、ソ連に対して九年前にはソ連社会帝国主義と言っていたのですが、社会帝国主義という言葉はやめたのだと言うのですね。やめてどういうふうになったか。二つの超大国ということを言っていまして、米ソともに危険である、核戦争をやるとすれば米ソ以外にやるところはないと胡耀邦自身が言うわけです。超大国が核戦争をしないように話し合ってもらわなければならないということを言うわけです。そこで日本側は、一体いつからそういうふうに意見をなぜ変えたのかと言ったら、これは日本側のソ連専門家と過去何年もの間討議に討議を重ねた結果、我我は社会帝国主義という使い方が間違っているということを知ったので、もう社会帝国主義とソ連を言わなくなった、しかし、社会主義国と資本主義国と二つを考えた場合に、我々は昔、社会主義国は平和の国であり、資本主義国は戦争をやると考えていたけれども、これは間違いであるということがわかった、社会主義国にも戦争をやる国もあれば平和の国もある、資本主義国にも戦争をやる国もあれば平和の国もある、それを我々ははっきりと認めるようになったのだということを言っているわけです。これもやはり日本の学者と討論した結果であると。  つまり、はっきり言えば、日本の学者が中国外交政策に影響を及ぼしたということです。これは非常に大きなことで、軍縮の問題も私はそうだと思っております。我々が影響を及ぼしたと思っているわけであります。例えば、国際平和研究学会ができて横浜でその会議をやったときに、中国から来まして、一人ですけれども、軍縮問題を討議して帰っていきました。これは一つの例ですけれども、だんだんとそういうふうに日本が影響を及ぼすようになった。  日本が影響を及ぼすようになった面で非常に大きなものは国連大学です。したがって、こういう国連大学を含めて多元的なアプローチをすることによって軍縮の場を設定することは可能である、政府レベルにまでこれを上昇させることが可能である、その大きな問題点が朝鮮半島の解決と同時に可能になってくるというふうに私は思います。民間レベルではいろいろなところでそういう会議が可能なわけでして、去年の十月もアメリカのコンピューター専門家が新潟大学へ来た話を先ほどちょっといたしましたけれども、ソ連の学者を含めてどのように軍縮をするかというシミュレーションの研究をやるべきだと。シミュレーションというのはある意味ではまね事でございますから、まね事をやりながら議論をして本物とどう接続させるかという話を発展させることも可能なわけです。  したがって、民間レベルの会議が、なるべくアカデミックなレベル、平和運動、軍縮運動ですね、そういうレベルとの結合でやられることが望ましいのではないか。だんだんとアカデミックなレベルのものを強化していくということがいろいろな形で私は可能になってくると思います、民間の学術交流ですね。したがって、民間の学術交流でそういう場を設定するための予算を政府レベルでも、あるいは地方自治体レベルでも出すべきではないか。政府レベルがなかなか出せないならば、我々は民間の活力を利用するということを考えておりまして、民間活力でやります。そういう意味でも、軍縮の国際会議の場をつくるについても、政府の外交というよりは民間の参加する外交というものが可能性として開けてきた。しかも、それは日本人だけではない、国際的なアカデミックなレベルがその民間活力の上に乗って新しい方向を切り開いていく見通しがあるということでございます。
  32. 和田教美

    ○和田教美君 ありがとうございました。
  33. 立木洋

    ○立木洋君 最初に新関参考人にお尋ねしたいと思います。  参考人は、外務省でお仕事をされ、また、海外でも幾つかの重要な国で大使として仕事をなさってこられ、非常に動きの激しい状況の中でお仕事をなすってこられたわけです。戦後、今四十年たったわけですけれども、この経過というのが、一方では絶え間ない軍拡が進んだ状態だったと思うのです。一方では何としてでも軍縮にしなければならないということがありながら、現実は軍拡が進んだ。国連でも二回にわたる軍縮特別総会が開かれたわけですが、なかなかそういうところまで至っていない。昨今米ソ交渉が行われていますけれども、これもなかなか順調に進むとは見られないわけです。  そういう状況の中で、参考人のこれまでの外交活動の経験の中から、軍縮という問題を外交上どのように位置づけるべきかとお考えになっているのか、お尋ねしたいと思うのです。
  34. 新関欽哉

    参考人新関欽哉君) 立木先生からお話しの、日本外交の中で軍縮というものをどういうふうに位置づけるべきか、これは非常に大事な御指摘でございまして、私は、先ほども話がございましたけれども、日本の平和外交一つの大きな柱として軍縮問題に対する努力ということはあると思います。  こういうことで、戦後いろいろと軍拡、軍縮の波をずっと繰り返してまいりましたが、このたびまた米ソがやっと交渉をジュネーブで始めまして、第一ラウンドが終わりまして、二、三日前から第二ラウンドが始まったわけでございます。今のところははかばかしい成果はございませんが、それは、現在はある程度力の均衡によって平和が保たれておるという事実はございますけれども、その核の装備のレベルを何とかして下げていくという努力は、これは真剣にやっていかなきゃならない問題だと私は思います。そういう意味で、日本もこれに寄与できることは全力を挙げて努力すべきであると思っております。  これにつきまして、実は最近のことでございますけれども、四月に、アメリカのアトランタというところで国際安全保障と軍縮に関する国際会議がございまして、これは非常に大規模な会議でございました。アメリカのカーター元大統領とフォード元大統領、カーターさんは御承知のように民主党でございます。フォード元大統領は共和党でございますけれども、この二人が議長になりまして、共和党と民主党呉越同舟というような形で会議が開かれまして、アメリカから外交、戦略問題の専門家が多数、キッシンジャー、ブレジンスキー初め集まって討議をいたしました。それにはまたソ連からも珍しく参加をいたしまして、ドルブイニン大使が団長になりまして相当大型の代表団を寄こしましたし、それから中国もこの問題にだんだん熱心になってまいりまして、軍縮問題担当の銭嘉東というジュネーブにおられる大使でございますけれども、その方が参加されました。  このときいろいろな話がございました。これにつきまして詳しく申し述べることは差し控えたいと思いますけれども、私もたまたま発言機会を与えられたものでございますから、私はこの軍縮の問題、殊にその発言機会は核不拡散問題でございます。核拡散防止問題、これはアメリカソ連も共通の利害関係を持っておりまして非常に強く言うわけでございます。つまり、核兵器を持つ国をこれ以上ふやさないように努力しなきゃいけない、これはもっともなことでございますけれども、同時にある意味では水平的な軍縮が行われる、と同時に垂直的な軍縮も大事じゃないか、つまり、米ソがやはり軍備を縮小する努力がどうしても一番大事なことではないだろうか。  それに関連いたしまして、これはせっかく戦略兵器、中距離の核兵器、それからまた宇宙兵器を含めてジュネーブで交渉が行われておるわけでございますけれども、この交渉については、会議の出席者は見通しはなかなか暗い、難しいというのが大体今のところ一致した意見でございましたが、それはそれとしても、そればかりでなくほかの分野においても軍縮をやるべきじゃないだろうかというので、核実験の停止という問題を私は取 り上げまして、核実験の停止を、これは御承知のようにもう二十年前に核実験の部分停止ということで大気圏と水中、それから地表の核実験は禁止されておりますけれども、ただ地下の核実験はまだ除外されておるわけでございます。  米ソの間の了解で百五十キロトン以上の地下核実験は禁止するけれども、それ以下は認めるということで、年間にいたしますとやはり五十回ぐらいの実験が繰り返されておるというのが現状でございます。これは何とかしてやめなきゃいけないということをその国際会議の場で、ソ連の代表、中国の代表、アメリカの代表のいる前で、カーター、フォード両元大統領が議長をやっているときに私は申しました。これは一気にはいかない、全面的にできればそれにこしたことはないけれども、どうしてもそれは検証、実際に核実験があるかどうかということを探知することは今ちょっと技術的に困難、地震と紛らわしいという面がございます。  ですから、そういったような探知技術の発展に伴ってやはりだんだんとその地下核実験の数を少なくする、それから閾値を下げていくという努力が必要ではないだろうか。現在百五十キロトン以上は禁止されているけれどもそれ以下は認められております。しかし、これは努力次第で現在の技術能力、探知能力をもってすれば二十キロトンぐらいまでは下げられるだろうと思います。ですから、それをやはり日本が音頭をとってやるべきだろうということで、私はそのことを会議の席上で訴えたわけでございまして、これに対しては非常にアメリカを含めていい反響がございました。そしてその会議で最後に採択されました政策提言と申しますか、その中にもそういった段階的な核実験停止というものが盛り込まれたわけでございます。  つまり、そのときのある人が言っておりましたように、日本はやはり広島、長崎の原爆の苦い体験をしておる、そのほかに地震国として知られている、それから科学技術が発達している、そういう三つの要素のある日本というものはこういった面でも努力をするのに一番適任の国ではないだろうかということで大いに励まされた次第でございました。私は要するに、それは全面完全軍縮がいいに決まっておりますけれども、そう簡単にはできない、一朝一夕にはできないとすれば、やはりできるものから手をつけていく、それからできる範囲内でやっていくという積み上げの努力が必要でありますし、日本としても私はその面で十分貢献ができるのではないだろうかと信じておる次第でございます。
  35. 立木洋

    ○立木洋君 武者小路参考人にお尋ねしたいと思いますが、先ほどお話がありましたブロック化のもたらす弊害ということを大変興味深く聞かしていただいたのですが、私の考えている点で言いますと、ブロック化の問題というのは他国の民族主権に対して極めて好ましくない影響をもたらすという重要な側面もあるのではないかと思うのです。特に戦後の歴史、歩みを見てきますと、民族自決権というのは戦前と変わって、これがすべてに普遍的な原則として認められるような状態というのが生まれてきている。そういう状況の中でやはりブロック化というのは必然的に、御承知の自分の裏庭とみなすような状態だとか、あるいはかつてありましたブレジネフの主権制限論だとかというドクトリン等々、いろいろそれは資本主義、社会主義を問わず、そういう大国がもたらす悪影響ということがこのブロック化によってつくり出されるのじゃないか、だからそういうことをやっぱりなくしていく努力ということが非常に重要じゃないかというふうに思うのですが、このブロック化の弊害の問題についての私が述べた点について何か御所見があれば、また同時に、これを克服していく問題点等、先ほどお述べになった以外に若干補足すべき点がありましたら述べていただきたいと思いますが。
  36. 武者小路公秀

    参考人武者小路公秀君) 御指摘のとおり、ブロックと民族の自決権あるいは主権の問題ということが、自決権だけではなくて民族、国家の主権の問題が矛盾しているということがありますし、覇権主義ということをどう定義するかは別としまして、ブロックということはやはりある覇権ということの前提になるし、またその結果でもあるということがあると思います。その意味で民族主義の原則をとっている国々あるいは人々は、平和主義ということだけではなく、民族主義の立場からブロックに反対ということがあると思います。  先週、私は北朝鮮に行っていたのですけれども、朝鮮民主主義人民共和国においてもチュチェ思想とか、そういうような形で民族の主体性ということを強調しているのは、ある意味ブロックということに対する批判というか危険性を認めているということがあると思います。その点ベトナムの人たちもやはりブロック化ということは反対していると思いますし、今度は逆に、逆にと申しますか、いわゆる自由圏と言われている方の諸国でも、例えば韓国において自主的平和統一という民族的な主張をしている人たちはそのブロックということが困る。実は先ほど関先生が引用されましたタシケント、ここで国連大学が開いた会議で南北朝鮮の参加者がブルース・カミングスというアメリカ研究者の論文について両方とも同意をしたのは、まさにブロック化が困るのだ、二つの超大国中心としてブロックをつくられて、それで自分たちは二分され分断されたと。そういう意味で民族主義ということがブロックを破るための一つの大きな実力に、原動力になると思います。その意味ではまた、例えばフィリピンあるいはその他の東南アジア諸国における民主化動きというものも、やはりブロック化あるいは地域化ということに対する反対ということと一緒に起こっております。  それからさらに、非同盟諸国がなぜ非同盟かというと、ブロックに反対であり、そして民族主義を中心とした第三世界連帯ということを言っているわけで、日本だけではありませんけれども、やはりブロックの中にいる国々はそういうブロックをどういうふうにして乗り越えるかということを考える場合に、そのブロックの外にいる非同盟諸国との連携を密にしながら、それぞれの国の中の健全な民族主義、国枠主義に流れない平和的な民族主義というものの間の連携をつけていく。具体的にはそれがやはり民間の交流ということにもつながると思いますし、民主主義的な勢力とか社会主義圏の中の自由を求めている動きとか、そういうものをつなげていくという民間のレベルでの非ブロック化動きが非常に大事になってまいります。その場合に、例えばインド洋を平和の海にするという方の案はなかなか進まないのですけれども、むしろ南太平洋の非核化構想は南太平洋に民間の運動が盛んになっているために、その方は非核化の動きが非常に高まっているということがありますし、民間の力というものと民族主義とがつながっている面が一つあると思います。  もう一つは、政府レベルでの協力を進めていく場合にややもしますと、これは無理もないのですけれども、先進諸国は第三世界の民族主義というものをうさん臭いものとみなす傾向がありますし、確かに投票傾向として国連で乱暴だというふうに考える面もありますけれども、やはり第三世界がそういう鋭い自己主張をせざるを得ない立場に置かれているということに対する理解をした上でそういう第三世界国々との協力関係を進めていくことが、日本外交にとってこのブロック化を乗り越える場合に非常に大きな課題ではないか。しかし、課題であると同時に、第三世界の国国は、民族主義的な意味日本の技術力とか日本アジアの国でこれだけ伸びたということに対して非常に尊敬をしているわけですから、そういう意味での協力関係は十分できていけるのではないかということを、これは国連大学でいろいろ第三世界の知識人と話し合っている中でそういう気持ちが第三世界の中にあるということを確認しております。  その意味で、このブロック化をどういうふうにだんだん解消していくかという場合に、片方では非常に非核地域をつくるとか、あるいはその基地 を撤廃するように相互にソ連アメリカが話し合いをするという問題、それから全般的な軍縮のそういう制度的な問題が片方にありますけれども、片方には運動と申しますか政治的な形での民間レベルから国の間のレベルでの協力関係をつけて、そしてブロック以外の形で国際的な安全保障、みんなが自分たちの安全が守られるのだという意識が持てるような世界をつくっていく必要があるのではないかと思います。
  37. 立木洋

    ○立木洋君 もう時間があれになりましたけれども、最後に関参考人にお尋ねしたいと思いますが、こういう主張があるのですね。今の問題とも関連するのですけれども、つまり国際政治における大国主導の時代が終わりつつあるというふうなことが言われてきて、特に例えば今度の国連軍縮特別総会なども非同盟などの力によってこれが行われて、今までの大国間だけの軍縮には任しておけないという批判が高まってきている。一方では、天然資源の恒久主権等々のことから、いわゆる多国籍企業に反発する動きとしての経済的な自立を求めるいわゆる中小国の動きだとか、こういう新たなパワーが出てきている。そういうのが代表されるのが一つの非同盟運動だと思うのです。非同盟運動にもいろいろ問題がありますけれども、非同盟運動という動きをどういうふうにごらんになるのか、あるいは日本外交上非同盟運動とのかかわりをどういうふうに考えたらいいのか、その点で参考人の御意見をお聞きしたいと思うのです。
  38. 関寛治

    参考人(関寛治君) 私は、非同盟運動の歴史を探った場合に、冷戦が非常に激化するとか熱戦に転化しそうなときに、非同盟運動がその両極化の厳しい対決に反対する抗議の声を上げ、かなりの成果を上げてきた歴史的事実というものを無視すべきではないというふうに思っております。これは五〇年代のバンドン会議以来の流れとしてあったわけです。  ところが、六〇年代に入りまして非同盟諸国というものが全部やはり経済発展ということを国家目標の中心に置くようになりましてから、さまざまの試行錯誤を企てたけれども、なかなか経済の発展がうまくいかなかった部分があり、それらの問題を通じて両超大国経済援助というような形で、非同盟の中での多極化というか分裂が起こった。これは何といっても経済的な自立性というものがないときには、幾ら非同盟のイデオロギーを強く主張してもなかなかうまくいかないということだったと思うのです。  現在、そうしますと非同盟というものが軍事化しないで、今ある意味では非同盟諸国でも軍事政権というようなところがかなりあるのですね。それが軍事化の方向に行かないで経済の発展を自立的に成功させるならば、ブロックというものはそのレベルで解体する大きな力。ところが、現在のところそこがうまくいっていないということからさまざまな問題がある。せっかく非同盟の政権ができても、経済がうまくいかないために解体してほかの政権に移行するような例もある。  そこで、平和的に現在の世界を軍縮の方向に変えていく非同盟の力というものを、経済のレベルで発展させなければならないのではないかというのが私の主張なのです。具体的に言いますと、そういうレベルが実はアジア太平洋圏の周辺地域である程度出てきている部分がある。それが朝鮮半島である。したがって、朝鮮半島は一番可能性が成熟してくるのではないか。南はどちらかというと従属型経済発展をやったけれども、NICSとして高成長であったために、政治がかなり変わる傾向が見えてきた。  大体過去の国際政治経済学の常識になっているのですが、GNP一人当たりが二千ドルから三千ドルになると民主主義に移行せざるを得ないという一般的な法則性がありまして、大体韓国がそういう方向に行っているわけです。それで今度は北について見ますと、南と全然別の行き方でいわゆるチュチェ思想というので自主的な経済建設をやってきたけれども、これが共産圏の第三世界の国とほかの国と比較した場合にはやはり模範的な成功をおさめた。そして、ほかの東欧の諸国と比べてもこれはイデオロギー的には非常にまだかたいけれども、相当成功をおさめている。  最近、日本では、北の経済がうまくいかなくなったというのが専門家の間にかなり流通していますけれども、私は過去八〇年と八二年と今度行ってみましたけれども、着実に進歩しています。進歩ということは経済のレベルが上がるだけではなくて、歩いている人々の心がやわらかくなる。顔つきが非常にかたいものからやわらかくなってきている。カラフルになり、本当に北というものは中国の場合と比較して顕著なのですが、緩やかであるけれどもいい方向にずうっと発展している。この線が私は南との話し合いを可能にしている内在的な条件だというふうに見ているわけです。  南の方も、この前の選挙で野党が大いに進出したということから、人権問題などを含めてかなりの進歩が見られる。この前ちょっとラジカルなことが起こりました。アメリカ文化センターを学生が占拠しましたが、これまた北がやってくる直前に占拠を解いてしまって、実に前のときのから比べるとだんだんと成熟してきているのだという感じを持っているわけです。もちろん、南北統一とか、話し合いの最大の阻害要因は何かということをアメリカの学者と話をしたときに、幾つかあった中で、一つは金日成の存在だなどということを言う人もいたし、あるいはもう一つの問題として南の経済的不安定だという人もいます。あるいは、朝鮮半島アメリカにとって戦略的に重要な前線だから難しいのだということを言う人がいるわけですが、この面で私は、中国と比較した場合に、少なくとも金日成氏が存在していることが障害だとはちっとも思えないのです。毛沢東がいるときにニクソン訪中やったわけですから、その点は大分アメリカ人の専門家も理解してきたのです。  最後にアメリカ人の専門家が、南北話し合いがうまくいかない障害条件として南の政治的不安定というのを非常に強調するわけなのです。もしこの問題が何とかそうでなくなってくれば、南北の話し合いというものは非常にうまくいく可能性を持ってきた。しかも、オリンピックというのが一つのメルクマール、八八年までに何とかしなきゃいけない。全斗煥氏が八八年になってもまだもう一回居座るという形になると話はこじれるかもしれないけれども、もし政権がかわるということになれば、北においても金正日、息子に政権を譲るような形というものはその時点で成立するのじゃないか。この点についていろいろおかしいじゃないかと言うのです。社会主義圏の人は特にそう言うのじゃないかと思うのですが、我が国において見ると、天皇の後に皇太子が出てきてもちっとも不思議でない。イギリスでも、国王の後に王子が出てきても不思議でないので、あの国は非常に日本に似ているのです。  だから、私の友人等も国際政治学者で、行って帰ってきたときに議論したのですけれども、やっぱり向こうはそれを言うと嫌がるのです。天照大御神、神武天皇、明治天皇、これがわずか四十年ぐらいの間に集中して出てきている、そういう面を我々は見てみなきゃいかぬのじゃないかというふうに言っているのです。息子の世代になるとだんだん池田大作さんみたいな形に変わってくるのじゃないかというのが私の見方で、そういう意味では北朝鮮は明らかに近代化しつつある政治組織であるというのが私の分析なわけです。したがって、北朝鮮とぎくしゃくしているような政党がいらっしゃった場合は、もう少しその辺のところを緩やかに考えて関係を改善されるのがいいのじゃないかというのが私の考えでございます。
  39. 大木浩

    ○小委員長大木浩君) 以上で質疑は終わりました。  参考人方々にお礼のごあいさつを申し上げます。  本日は、お忙しい中を本小委員会に御出席願い、長時間にわたり貴重な御意見をお述べいただきましてありがとうございました。  ただいまお述べいただきました御意見等につき ましては、今後の本小委員会調査参考にいたしたいと存じます。小委員会を代表いたしまして厚く御礼を申し上げます。  本日はこれにて散会いたします。    午後四時四分散会