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久保田真苗君 私、初めに、古いお話になるのですが、
福沢諭吉が
外交について言っていることをしばしば思い出すのです。それは、こんなことを言っております。「我が
日本における
外国交際の性質は、理財上に論ずるも、
権義上に論ずるも、至困至難の大事件にして、
国命貴要の部分を犯したる
痼疾というべし。しかしてこの
痼疾は、我が全国の
人民一般の所患なれば、
人民一般にてみずからその療法を求めざるべからず。」、これは
文明開花のころに
西洋の列強が圧倒的な
西洋文明の力で押し寄せてきているのに、
日本人はうかつにしてそれに気づかず、国の
独立が危ないという
危機意識なのです。どうしたらいいかというところなのですけれども、こんなふうに言っております。「今の
外国交際は、兵力を足して、もって
維持すべきものにあらず。いわく、
目的を定めて
文明に進むの一事あるのみ。」その
目的とは
独立であって、
日本人を
文明に進める以外に
独立を保つ
方法はない、こう言っているわけです。
ここから入欧脱
亜論が出てきて、後世、批判を受けることにもなるのですが、私は今の問題とはもちろん問題が大分違いますけれども、しかし、
外交についてなかなかおもしろい
言葉を言っていると思うのです。それは結局、
外交というものは
人民一般の
総合戦力なのであって、その
人民を
文明に赴かせるほかに
方法がないというその一事を、私は大変買っているものなのです。
今、この
諭吉の言う
外国交際という難病は治ったのか。もし、
言葉をかえて、
外交はある
国民の
文化、
政治、
経済、
社会などの
総合力で行われて
いるというふうに見るならば、仮にもし今の
日本の
外交が余りぱっとしなかったとしても
外交官だけを責めるには当たらないと思うわけです。
確かに
日本は
経済的に大きくなり、成功しました。しかも、比較的短期間でなし遂げました。
後発国からの
テークオフを見事にやってのけたということであります。それについては、同一
民族であり、
一つの
言葉であり、それだけでツーカーの
社会ができて、
テークオフについては最も有利な
条件であったわけです。
経済の
発展、
情報の発達にとってすべて
日本に利しておるわけです。しかし、これを
総合力という
観点から見ますならば、同じ
条件が不利に働く面もあるいはあるのではないかということを思ってみる必要あると思います。
それは、この
条件は、異
民族と深刻に交わる必要かないということです。また、異質の
文化からの刺激や緊張に乏しいということでございます。ワンパターンの
社会。同じものだけで住み心地よく、そして、違うものには無関心であるか排他的である。このような土壌は
創造力とか
独創性あるいは
精神文化等の醸成にとっては極めて不利な
環境であるのではないでしょうか。
経済交流はよく
文化交流を伴う必要がある、あるいはそうでないから
日本は非難されるのだというようなことを言いますけれども、しかし、
伝統的文化というものは私どもは
鎖国時代以前から受け継いでいるものはいろいろと独創的なものがあるにしても、現代の
日本にそれらしいものが果たしてあるのでしょうか。
日本の
外交を支えるような精神的な支柱というものが果たしてあるのでしょうか。私はこのことをしばしば思います。そして、それがない
外交というものはやはり行き
当たりばったり、右顧左べん型にならざるを得ないのではないかと、こんなふうに思うわけです。つまり
国民を基礎とすべき
日本の
外交は、その一角が極めて貧弱なのではないかという感じを受けるわけでございます。そこで、
国際社会に向かっての
外交戦略を論ずる前に、まずみずからの姿勢を振り返り、正してみるということが必要なのではないかと思います。
そこで、このいただいた項目に沿いまして、思いつくままに
意見を述べたいと思いますが、まず、平和
外交についてでございます。
せんだっての
委員会で、
外務省の高官が説明なさった中で、
日本外交の特徴はとの質問に対しまして、それは平和
外交だと思うとお答えになったことは大変心強いことでした。現代の
日本が
国際社会に対して果たし得る最大の精神的あるいは
文化的な寄与は平和主義なのではないでしょうか。その平和主義は
日本人自身の悲痛な
戦争体験から生まれ、広く
国民の共有する信念にまでなってきたと思います。それはまた、
世界の多くの人々と分かち合うこともできるし、理解し合うこともできる共有の財産でもあると思います。現代は核兵器の脅威が最大のものでございますから、
日本が唯一の被爆
国民であるということにおいて、
世界の人々は
日本に特別の地位を与えているということが言えると思います。これは広島、長崎その他
戦争において犠牲を払った
国民の遺産であると思います。
日本が
期待されている最も大きなものは、やはり核兵器の廃絶へ向かってのイニシアチブではないかと思います。しかし、
国民の平和主義が普及していると思われるにもかかわらず、
日本の
外交が必ずしも平和、軍縮について
期待されるほどの積極的なイニシアチブをとれなかったということがあると私は思うのです。一体に
政府と
国民との間のギャップは、平和問題、軍縮問題において大小の差はあっても大きな格差があると言わざるを得ないことはまことに残念です。
日本はやはりその例外ではないと思います。むしろこのような平和主義へのイニシアチブは、中小
規模の北欧、中欧の中立国あるいは非同盟
諸国の積極的な国によって担われてきたのではないかと思います。
途上国は非同盟グループをつくり、
米ソどちらの
軍事ブロックにも属さず、核兵器に反対することによって核保有国への対抗力をつくってきました。東西緊張の間にあって、
世界の大半の国がたとえ
経済的には弱かろうとも、非同盟主義を掲げてきたことは戦後
世界の平和
維持にはかり知れない貢献だったのではないかと思います。
日本経済の
繁栄も、実は
開発途上国のこの非同盟主義の
政治姿勢に負うところが極めて大きいと思います。
日本人はとかく東西軸の視点を非常に強く持っております。しかし、実際は
世界の大勢は中立、非同盟であり、それが平和
維持に不可欠の
条件であることを私どもは忘れてはならないと思います。
日本の
立場としましては、非同盟
諸国が
大国の草刈り場になることを避ける。そして非同盟主義を
維持してもらうように
協力することがみずからの平和を図るゆえんではないかと思います。
そこで、
日本の具体的にとるべき方策につきまして若干具体的に述べたいと思います。もちろん、言うまでもなく
国民の平和主義を基盤として、
外交と
政治の姿勢をここでもう一度正していく時期であると思います。平和憲法、非核三原則、専守防衛、武器輸出禁止原則等は
国民的合意でありますから、これをかたく守るということにいたしたいと思います。
GNP一%問題がございます。これは今焦点となっておりますけれども、一%という数字の根拠はどうなのかということよりは、さらに大きな合理性として、私は大きな
軍事大国にならぬという、
国際社会、特に
アジア近隣
諸国への誓約のあかしとして一%を破らぬことに大きな国益と合理性を見出すものです。
第二に、平和憲法を初め、これらの
国民的合意を広島、長崎の心とともに子孫に伝えるという
努力を私どもはすべきですし、当然
政府に対しても、
世界にこれを輸出する
努力をしていただきたいと思うわけでございます。これは、もちろんみずからの姿勢を正すということを前提としてのみ行われることだと思います。
第三に、
国際連合、これは
日本にとりましては、多国間の軍縮交渉を行うほとんど唯一の場であると思います。
国連の軍縮諸条約、特に核兵器禁止に関する条約をてこに
外交を進めるべきだと思います。部分的核実験の禁止は、既に核
軍拡がとまらないことをもって、これでは甚だ不十分であるということが立証されております。全面的核実験の禁止条約を急ぐほかはないのでございます。外務大臣は、先般のジュネーブ軍縮会議において具体的な提案をされたのでございます。内容についてはここで述べませんが、その内容についての問題も、いつごろを目標とするかというようなポイントがないことが問題であると思いますけれども、しかし、軍縮会議において
日本が非常に積極的な
努力をしたということを評価いたしますので、ぜひ挫折せずに
努力を続けていくべきであると考えます。
また、核拡散防止条約でございますが、これは大多数の国が
加盟しており、核兵器非保有国として私どもは査察の受け入れ義務を果たしているわけです。問題は、保有国が必ずしもその義務を果たしていない、すなわち六条による誠実な軍縮
努力をやっていないということでございます。でございますから、さらにこれを進めまして、非保有国に対する核攻撃をかけないという公正な約束を将来にわたって要求していくべきだと思いますし、特に超核
大国、
米ソに対しましては、現在行われておりますジュネーブ軍縮交渉において真剣な軍縮
努力を行うよう強く要求し、また具体的な成果をもたらすようにこれをどこまでも説得し、見守っていくべきだと考えます。
第四に、非核地帯構想でございますが、南米の核兵器禁止条約による非核地帯設置に続きまして、
世界各地で非核地帯設置の
努力が行われております。インド洋、南太平洋、中欧、北欧とございますが、特に太平洋は核実験の場とされている場所でございます。
日本は太平洋の非核化に大きな利害
関係を有しておりますので、これに積極的に貢献を図っていく、そして非核地帯構想というものを近隣の
諸国とともに進めていくべきだと考えます。
第五に、過去二回にわたる
国連の軍縮特別
総会
に見られたエネルギー、これは
国民一般のものでございまして、特にNGOの非常に盛り上がった参加がございました。八千万署名をニューヨークへ、千人を超える人が渡米しております。しかし、
世界じゅうのNGOの結集にもかかわらず、特に最近の特別
総会では、軍縮フェローシップ等、わずかなもの以外はその成果を見ていないのであります。これだけのエネルギーを何かもっと具体的な提案として
国連総会とともに自国の
政府に結束して持ちかけるという幅広い運動ができないものか。例えば、核拡散防止条約六条の遵守、あるいはジュネーブ軍縮交渉での成果の要請、あるいは
国連事務総長の
紛争調停
機能の
強化など、このようなことを民間団体が
政府に働きかけるということが非常に大事だと思いますし、
国連あるいは
政府の側から見ますと、これらの民間の
外交努力というものを積極的に評価し、取り入れていく必要があると思います。また、
国連の中にさらにNGOの
役割を位置づけるという
努力もしなければならないものと考えますので、
日本政府はこれをバックアップするような
体制をとっていただきたいと思います。
次に、
経済関係における
日本の
役割ですが、
貿易摩擦で頭に火がついたのが最大の課題であることは言うまでもありません。私も、少ない資源の国として、適度の黒字は必要ということはもちろん賛成でございますけれども、しかし、
日本が無事に
経済繁栄を進ませるための
努力としては、やはり一国で
貿易黒字をかき集めることをやめるというその
努力がこの際必要であると考えます。平和
維持に反するばかりか、これはやはり
世界経済を麻痺させ、結局は自分の首を絞めるということになると思います。
原則自由、規制は例外の市場開放を直ちに行うことはもちろんのこと、さらに根本的には、
先進国と比べて二、三割も長い
日本の長時間労働を短縮するなどにより、集中豪雨的輸出が行われないようにすること、あるいは自由時間の価値というものをもう一度見直し、生活の質を高める
努力をあわせて行うことが必要だと思います。
経済大国といっても、居住
環境、余暇の過ごし方というものは貧弱ですし、町の美化といったものについてもまだまだ学ぶところが多いわけです。したがって、諸
外国からこのような生活の質を高める面で大きな買い物ができるのではないか、先方からもそのような提案ができるのではないかと考えます。
第二に、先ほどの、規制は例外というポイントですが、どの国も例外なく、
国民の最低の生存を満たす産業基盤を必要としています。その中身は、最低限度飢えない食糧の自給
体制、必要なエネルギー源の自給、特に
日本の場合は自給できるソフトエネルギーの開発、太陽、風、海洋等のエネルギーの開発にたとえ巨額な費用を投じてもこれを進めることが必要と思います。非産油途上国のためにも、巨額を投じて開発する価値があると思うわけです。しかし、これらのことは
日本のみならずすべての国に共通している問題でありますから、平和
維持の
条件としましても途上国への
経済援助はこの
観点を優先させることが必要と考えます。
大変我田引水な言い方になりますが、目をつけていただきたいのは女性の生産労働、そういったパターンの産業であります。この女性の生産労働は家族とか地域
社会の生存産業でございまして、例えば例を
アフリカにとりますならば、八〇%の農業労働力を女性が担当している国が多いのですが、女性のつくる作物は生活作物でありまして、これはどうせほうっておいてもやっていくのだからと産業の中にさえ数えられない、したがって技術導入、機械化、融資、助成等が怠られている分野であります。これにかわって輸出作物、現金作物といった
先進国の需要に応じたモノカルチャー、例えばコーヒー、綿、サトウキビ、たばこの類ですが、このようなものが
経済援助の対象となってきたという事実がございます。したがって、これは女性も手っ取り早く現金を得るために農園へ行って草取り労働者になるというそのプロセスが進んだわけでございまして、私はこの女性の労働をこのまま
維持するという
意味ではなく、女性がやってきた労働が生存産業であるという
観点から
経済援助の面でまずその産業の基盤をつくることにプライオリティーを置くこと、これが飢えをしのぐあらゆる産業中の真の基幹産業であることを認めていくことが必要であると考えます。
第三に、
先進国への原料
供給国としてのみ扱われた
経済援助のあり方の反省でございまして、これはFAOなどがいろいろなガイドラインを出しております。例えば生活作物と輸出作物のバランスでありますとか、農村での生産技術の知識、小さい食糧加工の振興といったようなものでございます。必ずしも
先進国にとって味わいのよいことばかりではありませんか、しかし長い目で見た場合にはこれは
先進国の利益になると思いますので、二国間
援助の場合もいろいろな手法をこのような研究開発から学んでいくということが必要ではないかと考えます。
また、いわゆる新
国際経済秩序の要求が途上国から長年にわたって行われているわけでございますが、
国際社会では
先進国を含めてこの原則は大筋受け入れられているものと考えます。しかし、
日本の視点にはこのことがないか、あるいはあっても西欧よりもかなり少ないと思わざるを得ないのでございます。すなわち、単なる
経済援助だけではざるに水を注ぐようなものであって、原料
供給国としてのみでなく、有限な原料に付加価値を付して製品として輸出していきたい、すなわち不利な
貿易、
経済、金融
体制の
改革を求めるというそのことでございます。
私は、途上国の
援助にはやはり一番難しいところは
テークオフの
条件であると考えます。
日本は成功しました、しかしその過程には女工哀史とかタコ部屋というような悲惨な
歴史もございます。同じような
テークオフを途上国に対して求める気持ちが私どもにないのならばいわゆる戦略
援助というような方式はとるべきではありません。
政治体制として
社会主義的なやり方をする国もありますが、少なくともその国にとってそれが労使
関係をよりヒューマナイズするものであり、あるいは
独立した
状態で国が生産手段の管理を引き継ぐ必要のあるというような状況を十分考慮して
日本は偏見なく
テークオフの面倒見をすることが重要であると考えます。
日本の輸出の半分以上は途上国へ行っていることを考えますと、これは
日本の国益にも沿うことであります。もちろんODAは質量ともに改善する必要がありますが、私は巨額の
援助は余り必要ではないと思いますし、また、まともな途上国ならばそのような
援助を望まないのではないかと思います。すなわち、
テークオフに必要な技術、
経済援助、
日本人にはこれを面倒を見ていく非常にすぐれた素質があるのではないかと思います。
次に、
環境のことに一言触れておきます。
現在砂漠化が非常に憂えられております。
日本は植林の国でありましたが、今や
日本の林業もいろいろな問題にぶつかっております。自分の林業を救うためにも、この砂漠化を防ぐ技術的な貢献が
日本にはできるのではないか、すべきだと考えます。
次に、
国連外交についてでございます。
国連といえども
世界の縮図でございますから、いろいろなギャップがあって不思議はないと思います。事務局もけんか早い人が多い。
国連の最高目標である平和に奉仕できるのかどうかと首をかしげることもございます。やはり
国連の職員などは、
国連の
目的に沿った不断の教育訓練が非常に必要であると考えます。そして、
国連は最も多人種
社会でございます。途上国が最近ふえていろいろな面で
先進国は不利な
立場にあるといいますが、少なくとも事務局を見る限りは、私はまだ欧米
社会を脱していないと思います。それは
拠出金にリンクして人員が採用されるからです。今でも大きな
変化はないのではないでしょうか。それに
国際機関本部の所在地がほとんど欧米にあり、公用語もまた大方そうであり、公務員制度はイギリスから、予算制度は
アメリカからというふうに導
入されておりますから、いろいろな面でここはカルチャーショックの人々のたくさんいる
社会でございます。ですから、とても理想
社会とは申せませんけれども、しかし私は、ジグザグしても
目的に向かって進もうとしているということは評価している者です。
例えば
国際婦人年、婦人の十年、これだけをとりましても、これがなければ
日本は婦人差別撤廃条約を批准するために曲がりなりにも国内法制の整備を十年間ぐらいで図ったでしょうか。できたとしても何倍かの月日が必要であったと私は思います。同じことが人種差別、
政治犯の人権、軍縮、あるいは
人口、家族計画、文盲撲滅等に言えるのだと思います。
第二に、
国連の傘下に地域会議、
専門機関がございます。私はこういう会議に出ますと例えば
ヨーロッパの地域会議に出ますと、ここには東欧、西欧、北米の国が列席してアルファベット順に
お互いを反面教師として研究もし、それぞれの
社会の
存在理由をかけて競い合っているわけでございます。
日本はもちろんE SCA Pに所属しておりますが、
日本にはそのような
環境が非常に薄いことを私は残念に思います。つまり、血眼で競う雰囲気ではないのですね。その
意味で
アフリカ、米州、それからEC、アラブ、どこもそれぞれの自主的
努力による地域機構を持っておりますけれども、
アジアだけはそれがないということを指摘したいと思います。
日本は何かこのような面でできないものでしょうか。
第三に、
日本はどこに所属するのかという問題があります。正式には
アジア、ESCA P地域です。しかし、
国連のインフォーマルグループではウエスタングループに入っております。ESCAPの国の多くはグループ77、つまり途上国グループに所属しております。ですから、
日本は西側でも
アジアでも準会員の感じを持たざるを得ない。しかしこれはよい点も悪い点もあります。へたをすると右顧左べん型だけに終わります。しかし、両方へ片足ずつ突っ込まざるを得ないのであればここから東西南北の接点、調整役としての創造的
外交を編み出してやるということができるのではないでしょうか。例えば筋の通った
経済援助、人権擁護、平和主義といったような面でのイニシアチブがとれるのではないでしょうか。また、
軍事費の一%を割いて最貧国の
援助に回せというようなイニシアチブも
日本がとるのは何もおかしくない、一番適当な役柄ではないかと考える次第です。
四番目に、
国連で平和
外交を進めるには中立的な
立場を保っていることが非常に有利です。しかし、これはすぐにできる国もできない国もあります。中
小国の中立国はこれをてこにして非常に大きな貢献をしておるわけです。
日本はもちろん平和
維持軍等に多額の拠出をしております。しかし、
日本の憲法、国内法でできる範囲内で医療班、救護班あるいは教育班など、NGOを含んでこのような人道的あるいは
紛争地域の救援にもっと顕著な
努力をすることができるのではないかと考えます。
また、
国際会議とか
国際機関の誘致なども
一つの
平和努力と考えますし、いろいろな
国連の諸機関へ人を送り込んでいくということも大事でございます。しかし、
日本には終身雇用制がございまして、
国連職員やーいと呼んでもなかなかこれに積極的に行く人が少ないということでございます。
外国で教育を受けた人を積極的に企業が活用するというような
努力をすべきであると考えます。
最後に、
外交基盤の整備でございますけれども、
日本にとって
基本的なことは、
貿易の自由化にも先立ち、あるいはその
前提条件として精神的に開かれた人間、
国民、
外交官、
政府になっていくことではないかと考えます。
国民に理解される
外交の展開ということでございますけれども、
国民とともにやる気になる、秘密主義をできるだけ避けていく。過日の
情報公開のことでもいろいろと問題がございますけれども、
国民の知る権利が守られることが国益の最大のものであると考えます。
また、人間の
交流、特に身内
社会からなかなか抜け出られない
日本人にとりましては、マーブル玉のような層のある
社会が幾つもある、その間の
交流を活発にするということが国の内外で必要だと考えます。やはり微に入り細にわたるレギュレーションなども自家中毒の症状の
一つではないかと考えます。
外国人に奇異な感じを与えて当然ではないかと思います。しかし中毒者は自分ではわかりません。それをわからなければならないのが今だと考えます。国内的に言いましても、
基本的にはやはり許認可事務、機関委任事務等の廃止をここでないがしろにせず、積極的に取り組む姿勢を持つということによって
外交も
国際化もうまくいくのではないかというふうに考えるわけです。
もう
一つの点としまして、国会の審議権の問題を指摘しておきたいと思います。
国民に開かれた
外交というその最も大きなものは、国会での
外交案件の十分な審議だと思います。しかし、重要事項はとかく
政府間の交換公文で行われる、このことは正しくないと思います。国会は
国民を代表してこれを論議すべきであります。例えば条約の国会提出基準につきまして
政府は三つほどのことを決めております。一、法律事項を含む
国際約束、二、財政事項を含む
国際約束、三、
政治的に重要な
国際約束とありますが、しかしこの
政治的に重要というのは、与野党が問題とするというようなその問題性にあるのではなく、対外的な批准を要するなどというような
条件であると思います。したがいまして、今、国会に提出されております条約のうち、余り重要性のないものもかなりあると思われます。
このようなものでなく、例えば
アメリカへの武器技術供与についての交換公文などは、武器輸出三原則、
国民合意についての例外をつくったものでございますから、このようなものこそ国会で審議し、
国民の審判を得るべきだと考えます。もちろん
国民の中にはうるさい
国民もおります。しかし、
国民に聞く耳を持つということは非常に大事でして、同族会社のような
社会ではやはりこのうるささを歓迎するということにし、うるささと格闘していかないと進歩がないと考えます。
最後に、
外務省と各省のかかわりでございます。
やはり、この間
外務省の方が説明されましたように、いろいろとあるけれども、
お互いに競い合い、けんかし合うのもいいことなのだというようなことを言っておられたと思い、大変心強く思った次第です。しかし何と申しましても、終局的には
外務省の
立場で責任を持ってその
外交の
整合性というものを図っていかねばなりません。この間外務次官が言っておられたと思いますが、各省マターに十分通じて各省と十分やり合い調整できる、そのような
人材を養成し、そして勇気を持って
発言して
日本の
外交、内外の接点となっていただきたいと考えます。
終わります。