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1985-05-24 第102回国会 参議院 外交・総合安全保障に関する調査特別委員会安全保障問題小委員会 第3号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和六十年五月二十四日(金曜日)    午後一時三分開会     ─────────────   出席者は左のとおり。     小委員長        安孫子藤吉君     小委員                 源田  実君                 佐藤栄佐久君                 杉元 恒雄君                 中西 一郎君                 堀江 正夫君                 志苫  裕君                 黒柳  明君                 上田耕一郎君                 関  嘉彦君                 秦   豊君     外交総合安全保障に     関する調査特別委員長  植木 光教君     小委員外委員                 和田 教美君    事務局側        常任委員会専門        員        山本 義彰君    参考人        読売新聞客員研        究員       桃井  真君        元毎日新聞論説        委員       高榎  堯君        中部大学教授   八木澤三夫君        中京大学教授   杉江 栄一君     ─────────────   本日の会議に付した案件 ○安全保障問題に関する調査軍縮問題と我が国対応に関する件)     ─────────────
  2. 安孫子藤吉

    ○小委員長安孫子藤吉君) ただいまから外交総合安全保障に関する調査特別委員会安全保障問題小委員会を開会いたします。  安全保障問題に関する調査のうち、軍縮問題と我が国対応に関する件を議題とし、軍縮問題と我が国対応について参考人から意見を聴取いたします。  本日は、お手元に配付の参考人名簿のとおり、四名の方々に御出席をいただいております。  この際、参考人方々に一言ごあいさつを申し上げます。  本日は、御多用中のところ、本小委員会に御出席いただきましてまことにありがとうございます。本日は、軍縮問題と我が国対応につきまして忌憚のない御意見を拝聴いたし、今後の調査参考にいたしたいと存じます。  これより参考人方々に御意見をお述べ願うのでございますが、議事の進め方といたしまして、まず最初参考人方々から御意見をお述べいただき、その後小委員の質疑にお答えいただく方法で進めてまいりたいと存じますので、よろしくお願いいたします。  それでは、まず桃井参考人にお願いいたします。
  3. 桃井真

    参考人桃井真君) 私は、与えられました二十五分間の間に主として申し上げたいと思いますのは、軍縮という言葉考え方とその現実あるいはそのギャップといいましょうか、そういう問題を最初に申し上げてみたいと思うのです。  軍縮とある以上これは軍備縮小という意味だろうと普通は解釈されます。多くの場合の議論は、その軍備というものが、ある場合には非常に兵器だけに限って考える方もおられますが、それは兵器及びそれを使う人間、したがって兵器の使用に関する政策というようなものを含めて、人間も含めてのものだと考えます。一般によく軍縮について議論される場合には、軍備というものは、特に兵器は悪である、あらゆる戦争原因兵器である、あるいはさらに、それを使う人間であるのでそれをなくせばよろしいという議論が一番普遍的ではないかと思われますが、この議論の行き着くところは、結局全面的に完全な軍縮、よくGCDと申しますが、をやらねばならぬということになろうかと思います。  ところが、現実には、戦後長い間軍縮のいろいろな交渉が重ねられてまいりましたけれども、大体六〇年ころまでの軍縮議論というのは大きく分けて二つ特徴がございまして、一つは、主として超大国二国が軍縮主導権軍縮交渉主導権を握ってやってきたということ。二番目は、その内容は主として核兵器をめぐる軍縮議論である。  その結果は、十五年から二十年かけていろいろなところでいろいろな形で議論が行われ、またそれについてのいろいろな本も出版されておりますが、結果としては、余り目覚ましいものが残っておりませんし、今日まで有効とされるような協定条約等が出てきていないわけであります。  これは実は、その考え方の中に軍備、特に核兵器でございますけれども、兵器戦争道具であることは間違いないわけですが、その道具をなくすという問題について二つの大きな問題点が隠れていたからではないかと思います。一つは、兵器というものは何であるかという定義が非常に難しい。二番目は、核兵器というものが非常に怖いものであり、その結果がどういうものであるかは、唯一の被爆国である日本人はほとんど皆が知っておるわけでございますが、しかし、よその国では核兵器の怖さについては長い間余り理解されていなかったように私は考えます。  第一の問題は、実はこの軍縮の今後とも問題になるかと思うのですが、兵器とは何か、この点で大変勝手でございますが、私がかつて外務省に出向いたしまして、非核地帯設置に関する政府専門家委員会というのがジュネーブで七〇年代の初め、七三年でございますが、開かれて、国連事務総長への世界的な規模での非核地帯設置に関する意見書をまとめる会議に出たことがございます。三カ月の予定のうち一カ月は、核兵器とは何かということをめぐって議論が沸騰して結局まとまらないわけであります。  核爆発とは何かということについては、技術的にある程度のまとまりはできますが、爆発物を運んでいくもの、それを管理する者、指揮する者、さらにその用法についてまでいろいろと入っていきますと、何を禁止したら非核地帯と言えるものができるのかという問題についてとうとうまとまらず、例えばインドのような国は、自分がつくっているものは兵器ではない、こう言い張るわけでありまして、結局、国連事務総長あての第一回の報告書は、いろいろな意見を併記するという形で終わっているくらいであります。したがって、その後のいろいろな軍縮交渉等を見ましても、兵器自体定義が非常にはっきりいたしませんと、これはなかなか対象がはっきりしない以上まとまりにくいという問題が今後とも残るのではないか、ということがまず第一に指摘できます。  その次は、核兵器中心として議論をしてくるうちに、減らすということの意味がどういうことであるかということがだんだんわからなくなってくるのであります。これは私は、今現場の模様を申し上げているわけですが、減らすということについて問題点はどういうところにあるかといいますと、仮に、何かということが一応わかったといたしましても、その次にその減らし方について、全面的に減らそうという意見はこれはなかなか成立しにくいわけですから、そこでだんだん御案内のとおりに部分的な減らし方、あるいは特定のも のについて減らすというふうに考えるようになってきたわけであります。そこまでは合意ができて、例えば核兵器について、核兵器を例えばどこどこに置くことについてやめよう、海底に配置するとか、あるいは空にやらないとか月に置かないとか、そういうような話し合いはできてくるわけですが、そうなってくると、それはGCDではむしろなくて、兵器を制限する約束ということになってくるのであります。  そこで、六〇年代の後半以後から私たち勉強しております者が見ているところでは、軍備を制限するいわゆる軍備コントロール軍備管理と訳しておりますが、そういう問題に皆さん入ってくるわけです。つまり全部をなくす、即時に完全になくすという発想から、部分的でもいいから兵器を制限していこうという感覚にだんだんなってくるだろうと思うのです。ところが、減らすということについて今までできた話というのは、ほとんどが今後持つような国を制限しようと。つまり、超大国から見て嫌な事態を、初めから危機を回避しよう、あるいは除いておこうというような発想、これは例えば核拡散防止条約その他にあらわれております。今まで持っておる国はそのままであって、持っていない国は新しくなることを先に抑えるというこういう発想が大部分か、しかも持っていないような国でも、例えば月を兵器の基地としないというような約束に入れられる、あるいは核兵器を持てないような国まで全部核拡散防止条約の中に入れられるというようなことで、実は、いかにも軍縮はできたように考える癖が何となくついてきたわけでありますが、実態を見ますとこれは軍縮なのかどうか、私は個人的に疑わしいと思うのです。  本来そうやるべきなのは超大国、特に核保有国であるべきなのに、核保有国は、後でも御説明あると思いますが、拡散防止条約の中にありますような、誠実に交渉するというようなことを果たしてやっているのかどうかということがいろいろ疑問にされているわけであります。したがって、現状において現実に何が行われているかといえば、これはGCDに向かっての軍縮努力ではなくて、特定部分的な削減凍結といったような措置中心になっているようであります。しかも次の特徴が、将来のためにある程度のことをさせない、ある部分のことをさせないというような条約が主であって、現在持っているものを減らそうという努力では余りないように考えられます。ここに軍縮の実は基本的な問題点があるのではないかと思う。  ところが、それには実は基本的な軍縮のもう一つの問題がございまして、それは、どうやったら減らせるかということについていまだに各国の間には共通の意見がないのではないか。これは先ほど申し上げたような私の非常に限られた経験からも言えることでありますが、非核地帯ということの設置について同意した場合でも、それをどうやって確実に行うかということになってくると、まず第一に問題になるのは、みんなが、それに参加する者がまじめに、忠実に実行するかどうかということであります。これが実は信頼醸成措置などと裏返しになっているわけでありまして、信頼がないからまずそういうことを決めてやっていこうじゃないかというそういう議論や、信頼がないときにそういうことをやったからといって信用できるかというような議論がございます。特にアメリカソビエトの間にはそういうことをめぐって実際条約をつくってみたが、例えばABM条約のように、これは弾道弾迎撃ミサイル制限条約でありますが、これについてもソビエトはいろいろそれを破っているというような議論が出てくるわけです。  二番目は、これは日本外交面でも主張しておることでありますし、アメリカも特にこれは強く主張いたしておりますが、確実に査察できるかどうか、検証できるかどうかという問題。これは技術的に可能な面と可能でない面とありますので、これを一緒にしてしまうと実は軍縮余り意味のないものになるわけです。非常に皮肉なことに核兵器地下実験、これはいわゆるスレッシュホールド五キロトンクラスのことを言っていると思いますが、それ以下についてはなかなか外からは探知しにくいのではないか。現在ではそれに〇・三キロトンとか〇・五キロトンクラスのものの地下実験が行われていると言われておりますので、それを外から探知することは非常に難しいわけであります。ところがどこの国も、核兵器を持っている国は自分核兵器実験場によその国の人の立ち入りを許さないわけです。  ただし、これに脚注一つつけ加えますと、たまたま私は先月、あるアメリカでの会議に出まして、そこには珍しくも中国ソビエトの両方の大使が出席されましたが、その中で、あるアメリカの議員の方が、ソビエトABM条約に違反している、その証拠は大きなレーダー基地を違反してつくっているということを指摘したときに、ドブルイニンという駐米ソビエト大使は、そんなに疑うのなら、招待するからあなたがソビエトへ来て現場を見たらどうですかということを言ったことがあります。  これは、ソビエト大使というようなポストにある方が、そういういわゆるオン・サイト・インスペクションと英語で言っておりますが、現場立入検査というようなことについて、少なくとも軽口で言ったとは考えられない調子でそういうことを述べたのは初めてでありまして、ややそういう雰囲気がこれから出てくるかもしれません。しかし、今のところは現場に入らなければ、例えばICBMの弾頭の中の幾つかに分かれるものが幾つあるのか、あるいはそういうことをふやさないという約束なのにMIRV化というものが非常にふえているのじゃないかというような検査はできないわけでありますし、現場へ行ったってわからないかもしれません。いろいろなものがそういう現場へ行かなきゃわからないことがございますが、それをやらない以上は確実な検証が行われるという保証はないわけです。その他、テスト禁止にしろいろいろの問題がございます。あるいはミサイルの発射した弾道からの信号を暗号にするかしないかというような問題等もございます。今のところこれについて技術的に可能なものと可能でないものがございます。  普通の兵器通常兵器については衛星等による偵察能力である程度わかると言われておりますが、物によっては非常にわかりにくいものがあるということも知っておかなくちゃいけないので、仮に協定ができて合意ができても、確実にそれが実行されているかどうかははかりにくいということ。それから、ある事態について合意ができたときに、それをほかの国にも同意を求める際に、それぞれの国が自分国益を主張いたしますと、必ずしも世界的に全部の国々同意するとは限らないわけであります。例えば核防条約についても、趣旨としては中国核拡散をやらない、よその国にも核の技術は漏らさないと言っておりますが、核防条約には参加しない。いずれあるいはそういう立場は変わるかもしれませんが、こういうようなケースがいろいろございますので、いわゆる普遍性ということを軍縮協定に求めることは非常に難しいということです。それで、それに喜んで参加するような国はむしろやる気がないか、やる能力がないか、あるいは外交的な配慮から一応ともかく賛成しておこうというような形、むしろ違反の可能性は少ないわけてありますが、軍拡に広がるような可能性を持つ国ほどそういうことに参加しないという面もあることを知っておかなきゃいけない。  結局、以上のことを申し上げますと、私は現実の面で難しいというのは、兵器ということの定義が非常に難しいからであります。これはもう長年の問題で、単に防御用とか攻撃用兵器の区別だけじゃなくて、兵器そのものが何であるかということは実は日本にとっても非常に関連のあることでありますが、技術進歩、特にハイテクノロジーの進歩は、今や軍事技術よりもむしろ民間技術の方に非常に多くの分野技術進歩が見られ、しかもその進歩のスピードが遠い。多くの分野では 軍事技術よりか先に民間技術が発達してしまっているという問題との関連がございますので、それが兵器に転用される可能性を完全に阻止できない以上、なかなか特定兵器禁止してみても、それが普遍性を持って軍縮方向に向かうという保証はないわけであります。  最後に、私が申し上げたい点というのは、以上のことから見て、一体日本はどういうふうにこれから考えていくべきかということでありますが、第一に認識を改める必要があると思われるのは、GCDというのは現実問題として難しいのだと。ところが、究極の目的として残すのは、恐らく世界じゅうどの国でも、どなたでも賛成するだろうと思うのです。しかし、それには兵器定義がございますから、どれを減らしていくのだということになると、完全に全部普遍的にということは難しいということも知っておかなきゃいけない。しかし、広い部分にわたって行われることは望ましいかもしれませんが、現実として我々ができるのは、特定のもので、部分的でもいいからそれを削減する、凍結する、その他の方法によって軍備をコントロールできないかという問題だと思うのてす。これは軍備管理という言葉委員会でもいろいろ御議論しておられると思います。  同時に、それに伴って、例えば日本が今後やるべきこととしては検証という問題が非常に大事だということになってまいりますと、検証並びに私に言わせれば査察といいましょうか、むしろ監視という、言葉余りよくないのですけれども、査察ないしは監視という部面で技術的に日本世界軍縮分野に寄与することがないかどうかをもう少し真剣に考えてみてもいいかと思います。同時に、ある事態が発見された場合、それを直ちに広く知らせるというコミュニケーションのいろいろな手段についても、日本はまだ貢献すべきものはいろいろあるのではないかと。  そして三番目は、そういうことを通じて日本がいわゆる信頼を醸成する措置を少しずつでもつくっていけないかどうかということだと思うのです。信頼のないところに結局幾ら協定ができたところで、それが守られるかどうかの保証はございません。その信頼をつくっていくためにはいろいろな国々一つのことについてある意見をまとめていただければいいわけです。それは、危機はいろいろな形で起きるかもしれません。軍事的な理由以外に、ただ兵器があるからだけじゃなくて、あるいはふえるからだけではなくて、領土問題あるいは沖合資源その他いろいろな原因で今後ともいろいろな紛争が危機に近づくかもしれませんが、その危機を利用するものでなくて、危機をなるべく避けるということ。仮に避けられずに危機が一部の武力行使になっても、それをなるべく局地的に抑えて、いわゆる局地化して局限するようにする努力を各国々がやる。そして三番目に、早く終えるということに努力を向ける。国際的な通念としては、これを総合して最近は危機管理と言っておるわけであります。そういうことについての意見の一致が、いろいろな会議に私個人で出てまいりますと、大国以外にもそういう国々がそういう理解を示しておるわけであります。  ある特定の国を挙げるのはいかがかと思いますが、我が国に非常に近い国でも、その国の閣僚がある爆発事件で大量に殺されるというような事件とか、あるいは民間航空機が落とされるというような事件があった場合でも、その国は、十年あるいは二十年も前でしたらもっと違った対応をしたかもしれないのに、非常に落ちついた、危機を抑える政策をとっておる。これは超大国以外にもそういう発想が広がってきておりますので、軍備がコントロールされ、危機が回避される。危機回避ということを中心とした危機管理考え方が徹底してくれば、軍備削減凍結、そして、それを踏まえた上での広い範囲にわたる軍備縮小ということは可能になる。  しかし、その間に大事なことは、それぞれの段階で、どの国の安全保障も損なわれないということだろうと思うのです。ですから、一方的にある国が軍備を撤廃してしまうということは、これはソビエトも拒否していることでありますし、アメリカもやりたくないでしょうし、日本も私は必ずしもそれはいいことだと思いません。その場合に、均衡してバランスをとって減らそうとかどうとかいう議論というのはこれは大国間の議論でありまして、あるいは核兵器中心とした議論であって、必ずしも日本がそれにこだわる必要はないだろうと思いますし、私個人意見としては、現在の日本防衛能力というものはまだまだとても減らすというような段階には達していないように思われます。古いものを取りかえるということは別問題といたしまして、減らすというような対象になるようなものは少ないと思われます。しかし、ある種の防衛が国際的に、さっき言ったようないろいろな難関を乗り越えてできるならば、日本もそういうところにだんだん今後とも参加していってもいいと思いますが、その際でも日本自身安全保障が心配になるような形では、軍縮のそういう討議なりあるいは同意には参加しにくいのではないかと思われます。  そこで、結論を最後に三点ほど申し上げて終わりたいと思いますが、結局はっきりここで考えるべきことは、GCDはあくまでこれは終局的なねらいであっても、我々が日本の国策として今後進めていくべきこの分野でのねらいというものは、軍備管理危機管理をどのように実際の政策に移しかえていくかということであり、このことをよその国にも考え方を広げていくことだろうというのが第一であります。  それから二番目は、日本としては単に提案をするだけではやはり今の日本の国力その他からいって済まない。日本はよくいろいろないいことは言ってくれるが、しかし、全然参加しようとしないではないかというような批判を国際会議等ではよく私個人では受けます。したがって、今後日本が提案していく場合には、外務省もいろいろ御努力なさって、CTB、完全テスト禁止条約その他いろいろ出しておられますが、そういうものについて日本が何ができるかということを具体的にやはりそこにしていかなきゃいけないのだろうと思われます。ですからそれには人間が必要である。特に軍事に関する人間となりますと、これは一般技術者ではなかなかできない部分がございますので、そのための人間というものはある程度養成していかなくてはいけないし、また温存し、場合によっては訓練しておかなきゃいけないだろうと思うのです。監視にしろあるいは実際の兵器削減が行われたあるいは破棄が将来行われていった場合、実際にそれを見て、本当に破棄が行われているかどうかをわかるのにはある程度の非常に重要な技術が必要だと思いますので、それがない者が見てもわからない。したがって、そういう人間マンパワーの養成ということは日本にとって非常に大事なことであり、できることではないか。  それから三番目は、今までの核中心軍縮というのは、これは非常に大事なことであり、もちろん核兵器が人類に与える恐怖というものは非常に強いわけでありますが、同時に日本自体立場からいきますと、私個人の考えでは核兵器以外にも、例えば毒ガスであるとか細菌兵器であるとか、そういうようなより別な形で恐ろしい影響を与えるものが周りに存在し続けるということは日本として関心を払わざるを得ない。したがって、今後日本軍縮、もしもそういう言葉が許されるとすれば、軍縮外交一つの方針というのは超大国間の核兵器中心の不毛な軍縮討議から、より日本国益を考えた、日本安全保障をより深く考えた通常兵器も含めての軍縮方向に向けていただきたい。それにはすぐ軍縮といっても、先ほど言ったような困難があるならば、そういう方面についての軍備管理危機管理についての考え方を超大国を含めて、及び周辺諸国、アジアの諸国を含めて理解を浸透させて、それを世界に訴えていく。そして訴えが受け入れられるならば、それに対して日本も実際的に技術面人間の面で協力し得るようにしておかなければいけないのではないかというふうに考えております。  時間が参りましたので、一応ここで私の最初の 陳述を終わらせていただきます。
  4. 安孫子藤吉

    ○小委員長安孫子藤吉君) ありがとうございました。  次に、高榎参考人にお願いいたします。
  5. 高榎堯

    参考人(高榎堯君) 高榎でございます。  私、毎日新聞で三十年ばかり国際問題と科学技術の問題を担当してまいりまして、この一月に退職したばかりでございます。  ただいま、桃井参考人から大変専門的な知識と示唆に富む御発言がございました。実は私自身きょう考えてまいりましたのと大変よく似ておりまして、概念の問題でありまして、軍備管理軍縮、それから兵器、それから削減概念が一体どうなのだろうかということを非常に考えてまいったのですけれども、今詳しいお話がありましたので、それに対してジャーナリストとしまして最近のそういうことをめぐる世界的な傾向ですね、これは私自身個人的な感じでございますけれども、それからそれに対する日本取り組みはどうかということについてちょっと補足さしていただきたいと思います。  私は、日本取り組みが非常におくれているということを大変に残念に思うものであります。最近の例を申し上げます。  例えば、最近よく言われる、新聞にも出ていますが、SDIというのがございますね、戦略防衛構想。これにつきましていろいろな議論があるのでございますけれども、例えば防衛ということは人間の自然の本能に基づいた当然の道義的な要求であるというふうな意見と、それからそれが非常に危険をもたらすという意見二つがあるわけです。それについて我が国では一体これまでどのような調査研究が行われてきたのか、どういうことに基づいてそういうことを言われているのかということ。私自身はこういう新しい兵器体系というのについて非常に不安があるわけでして、一体それがこれからの安全保障にどう影響するのかということが非常に関心があるのでございますけれども、ただ残念なことに、日本では何も資料が得られない。それで芝のアメリカンセンターの図書室なんかへ行って調べるのですけれども、それぐらいしか資料がございません。  先日、ロンドンの有名な国際戦略研究所がございますね。あそこがSDIについて何か戦略概観の中で述べておりまして、それを見ますと、詳しいことはまた言いますけれども、これが今の戦略環境を非常に不安定化させるということを強調しておられます。ロンドンの戦略研究所というのは、西側の非常に代表的な研究所でございますけれども、戦略環境が不安定化するということは非常に大変な重要なことでございます。これは日米の問題、あらゆる問題についてそのまま響いてくる問題でございます。  それから、私自身のもう一つの、いろいろあるのですけれども、こういう瞬間破壊兵器というものが、さっき兵器概念についていろいろお話がありましたけれども、瞬間破壊兵器というのは我々ちょっとまだ経験したことがない兵器でございます。例えばレーザー光線なんというのは、一秒間に地球を七回り半するわけです。そういうものが兵器として使われる時代に、一体私自身に言わせると、これはコンピューターコントロールでありましてシビリアンコントロールじゃないわけです。シビリアンは介入する余地がないと思うのです。そんな状態に対してどう考えたらいいのか。  ちょっとこれは卑近な例で申し上げますけれども、昔の西部劇、アメリカの映画にピストルを腰にした西部の荒くれ男が撃つようなシーンがあるのですね。両方ともピストル一丁持っていますから完全に武力という点では均衡しています。お互いに抑止しているわけです。別に相手をやろうと思ってやっておるわけではない、安全のために持っておる。しかし、出会い頭に抜いて撃つやつが時々いるわけです。そういう場合、先に撃ってしまった方が相手を倒しちゃうわけです。これは理屈から言いますと、抑止と均衡は完全に成り立っているはずです。しかし、どちらかがやられてしまう、両方やられるかもしれないですね。そんなことをSDIというのは私に思い起こさせるわけです。今までの兵器ですと、相手が行動を起こしますとすぐ探知されまして、対応する時間も多少あるのではないかと思いますけれども、そういうことについて非常に不安を持つわけです。  それからもう一つは、そういう新しい兵器が同盟関係にどんなインパクトを与えるのかということについてほとんど私自身まとまった意見を聞いたことがない。ただ、米国が強くなれば同盟国日本もいいのじゃないかというふうな程度の議論が行われているように受けとめられています。しかし、この問題は歴史をひもときますとすぐわかります。一九六〇年代に中国が核実験をした後で米国でABM論争が起こりまして、一体大陸間弾道弾を迎撃する方法があるのだろうか、ないのだろうかという大変な論争がありました。歴史的な論争です。それに対する資料が今でも大量に残っております。  それを見ますと、やはり当時の新技術による大陸間弾道弾迎撃の可能性が論じられまして、結局それが最終的にはマクナマラ国防長官によるABMの配備ということになる。なるけれども、結局一転して一九七二年にはニクソン大統領の構想、第一次戦略兵器制限交渉、結局ABM制限条約というのができて、非常に歴史的な条約が締結されたわけです。戦後の軍備管理交渉の中でこれほど大きな影響を持つ条約は私はないと思います。そのときにアメリカとヨーロッパの間では、やはりそれがヨーロッパの安全保障にどうつながるかという大変な議論があったわけです。その資料を私きのうちょっと見たのですけれども、結論を申し上げますと、NATOの核計画グループが当時の資料で、やはりそういう兵器は欧州の安全にとって望ましくないということを、はっきりとその当時結論を出しているわけです。  そういうことは一体どうなっているのだろうか、欧州からしてみれば二つの懸念がありまして、アメリカがあるいはソ連がそういう兵器を持って要塞みたいに安心感を持ってしまいますと、結局ヨーロッパの安全を見捨ててしまうかもしれない、そういう不安と、もう一つは逆に、アメリカソビエト自分たちの国が安全だという幻想を持ちますと、今度は自分たちの国以外の地域、例えば欧州とかあるいは極東で核兵器をもっと使いやすくなるかもしれない、そういう二つの交錯した不安があると思います。これはだれが考えてもすぐわかることでございまして、別に資料を見なくてもいいわけです。そういうことで、SDIの兵器は非常に同盟関係を危機にさらす可能性もあるということです。そういうことに対して我々はどう対処していったらいいのか、SDIについて事実が先行していまして、そういうことに対する検討が私は余り行われたような話を聞かないわけです。  私にとって非常に印象的なのは、やはり一九七二年にABM条約というのが締結され、それが今までずっと遵守され、先ほどレーダーの話がございましたけれども、これは条約そのものに抵触する問題ではないわけです。しかし、SDIというのは今の段階では問題ないかもしれませんけれども、実戦配備ということになりますとこの条約は必ず問題になるわけです。  ちょっと話が脱線したので申しわけないのですが、私自身が本当にきょう言いたいことは、今、軍備管理軍縮ということについて、日本では、これは世界的にそうですけれども、両方ごっちゃに使われているわけです。ですけれども、私はこの二つを少し区別して考えたいときょうは思うわけです。  軍備管理という考え方は、ちょうど一九六〇年代の初めに核実験禁止条約部分的核実験禁止条約ができたころ、アメリカのケネディ政権時代に非常に宣伝された言葉なのでございますが、これは要するに軍備に基づく安定化、戦争の危険の低減ということで非常にプラグマチックなあれで出てきたわけです。つまり、軍備削減する場合ではなくて、ある場合には軍備をふやすこともある、バランスをとることもある、そういうことで核兵 器と共存しようというふうな考え方のもとに出てきたわけです。その結果、その後に部分核停条約以降、核不拡散条約とかいろいろな多数の条約ができてきているわけです。しかし、その結果がどうであったかということを今考えなきゃいけない。  一九七二年のモスクワ条約のときに戦略兵器制限交渉第一次暫定協定ができまして、我々はそのときに、これで軍備競争のスパイラルが断ち切れるものだというふうに思ったのですけれども、実はそのときに一つだけ問題が残っていた。これが例のよく言われます多核弾頭というものの実験と開発というだけが抜けていたわけです。それが八〇年代になっての大きな問題になってきます。その前は核実験禁止条約の場合、地下核実験だけが抜けていた。そのときはそういうものの影響は余り大きくないのですけれども、だんだん大きくそういうものが効いてきて全体をひっくり返すような状態になってくる。そして多核弾頭の結果米ソの戦略関係が不安定化してくる、それがここ数年の国際政治に非常に暗い影を落としているわけです。私自身軍備管理というのはそれなりの価値があると思いますし、進めるべきだと思いますけれども、その中でやはり軍備管理というものに対してかなり批判的な雰囲気が出てきている。  一つ意見は、軍備管理なんか何の役にも立たないのだろうという意見ですね。しかしもう一つ意見は、そういうつじつまを合わせるような管理じゃなくて、もっと思い切った軍縮をやるべきだという意見が非常に片方には出てきているわけです。意見がそこで二つに分かれております。例えばアメリカとソ連が三月十二日からジュネーブで新しい包括交渉に入りました。そのときに、私自身はこの新聞記者三十年の生活で非常に驚いたことですけれども、核兵器の廃絶を、廃絶です、イリミネーションを究極の目標に、究極ということはついておりますけれども、廃絶を目標にして交渉に入ったわけです。今までの交渉はこういうものではございません。今までの交渉部分措置について、例えば核実験の探知をどうしようとか非常に細かいことだったわけです。  それから、SDIにつきましても、アメリカのホワイトハウス、ブリーフィングの資料を見ますと、アメリカではSDIというものを核兵器の廃絶と結びつけてはっきり考えているわけです。これはしばしば言われております。今後十年間を過渡期にしまして、その間に核兵器を大幅にカットする。今までの軍縮交渉は大幅なカットじゃないのです。つじつまを合わせよう、向こうが百発ならこっちも百発だ、そういう考え方だったのですけれども、今はそうじゃなくて、アメリカの方が非常に大胆な考え方をするようになってきた。むしろソビエトの方が非常に現状維持的であって、余りそういう思い切ったことを言わないように見受けられます。私自身がきょう申し上げたいのは、実はそういうところに注目したい。SDIもさることながら、そういう面に注目したい。  そこで、日本がこれから果たせる役割が何かあるのではないかというふうに思うわけです。そして、さっき軍備管理から軍縮への方向にいろいろな変更する兆しが見られると申し上げましたけれども、その一つ世界的に見られる核離れの現象であります。例えばSDIもこれは核離れの一種であります。核兵器はもうたくさんだという考え方がレーガン大統領の発言の中にひしひしと感じられます。私はこんなに真剣に核兵器に対して考えられた発言というのは余り聞いたことがない。ただし、それが可能になるかどうか、これは別問題です。なるかどうかじゃない、いかにして可能にするかが問題なわけです。  それから、米国で一昨年でございましたか、五千万の信者、カトリックの団体がいろいろ反核の教書を出しまして、その中の主張に、核不使用、そろそろ核兵器を使わないという約束をする時期が来たのではないかということをはっきりと打ち出したわけです。核不使用というのは軍縮専門家の間では昔から言われてきていた一つ概念でございますけれども、それがこういう世論としてかなり出てきている。  もう一つ、最近のヤンケロビッチの調査を見ますと、やはりアメリカでは八〇年代の末には核不使用ということをアメリカの公式の政策にすべきじゃないかという質問に対して、七七%の人がそういうことはあり得るのではないかというふうに肯定的な答えをしておる。それから欧州におきましても、過去数年間限定核戦争の不安におびえまして、その中で出てきたことは、やはり核依存をいかにして減らすかであります。これはNATOの方でもはっきりと言っていることであります。核兵器にこんなに依存しなくても、ほかに何かもっと、依存しない方が安全が高まるのじゃないかという考え方がほとんど支配的になっているわけです。私自身、去年たまたま夏、暇でヨーロッパへ遊びに行きまして、ぶらぶら遊んでいたのです。いろいろな人に会ったのですけれども、そういう意見が非常に強くて、一体どうするかということ、いろいろな議論をやっていたわけです。それに私も参加したのですけれども。  それからもう一つは、核兵器というのは、今まで陸上に置かれていたわけです、戦略兵器とか何とかかんとかといって。それが最近どんどん海へ移行しているわけです。この細かい数字は申し上げませんけれども、潜水艦とか、やはり本国の中には核兵器というのは置いておきたくないという気持ちがかなりあるのじゃないかという感じがするわけです。これは私の感じでございますから。  私は、この場で申し上げたいのは、核兵器の不使用といってもあれですけれども、少なくともその第一歩は第一不使用といって、まず先に自分の方から使わないという約束ということをやっぱりまじめに考えるときが来たんじゃないか。これは国連でも今まで随分投票されてきて、日本はそのとき賛成したり反対したり、非常に腰の据わらないあれだったと思いますけれども。  一九八二年にアメリカのフォーリン・アフェアーズという雑誌に、アメリカのマクナマラ国防長官、元駐ソ大使のケナン大使、それから戦略兵器制限交渉のスミス大使、それからバンディさんがお書きになっているわけです。要するに、やはりこれも核兵器の依存を減らすべきだという。マクナマラ長官がたしかお書きになったと思いますけれども、私が国防長官していたときは、核兵器の数はまあそんなに多くはなかったのですが、ある程度核兵器の使用のおどしに訴えて相手を抑止するということが可能であった、しかし、核兵器がこんなにたくさんになって、わずか〇・八%が都市に対して使われただけで核の冬がやってきて、気温が三十度も下がる、それで世界じゅう飢餓に襲われるというような状態で核兵器を使うというふうにおどかしても、一体だれが本気にするだろうか、たしかそういう意見だったと思います。これは正確な引用ではございません、私自身のあれでございますから御容赦願います。  したがって、やはりその四人も核兵器を使わないという約束約束だけじゃしようがないじゃないかというふうにおっしゃられるのがあれですが、しかし、例えば一九二五年、大分前のことになりますけれども、ジュネーブ議定書というのがございます。これはたしか三十カ国が批准をしたと思いますが、毒ガスの使用禁止です。第一次世界大戦のときに、一番恐ろしい兵器が毒ガスだったわけです。これが実戦に使われたわけです。その後数年を経ずして、当時の指導者たちはそういう議定書をつくって、それは何ら検証措置もないし、単なる宣言にしかすぎないみたいなものだけれども、まだ有効なわけです。そういうことも考えなければならない。私は、毒ガスというのは、技術革新という点で第二次大戦の核兵器のはしりみたいなものだと思うのです。第一次大戦の後にそういうものができたのに、第二次大戦後ちょうど四十年、ことしは四十年になりますけれども、四十年たってなぜそれができないのか、簡単に約束することさえできないのかというふうに、非常に不思議に思うわけです。  それに対して、一体日本がどれほどそういうことを言ってきただろうかということについても、 私は少々じくじたるものがあるわけです。ヨーロッパへ参りましても、カナダへ参りましても、日本は何をしているのか、君、こんなところへ出てきて何か言っているけれども、何かやっているのか、広島、長崎の経験があるのに、一体何だというふうにしょっちゅう言われるのです。それは余談でございますけれども。日本こそ何かイニシアチブをとれるのじゃないかということをよく言われるわけなのです。私は、何もナイーブに、軍縮があすにも可能だなどと考えておりません。しかし、そういう現状の中で、今こそそういうイニシアチブをとれる時期が来ているのだ、また、その時期をなくせばこれから先もっと危険な時代が訪れる可能性があるというふうに考えるわけです。  あと五分ですけれども、もう少し追加させていただきます。  私、さっき、新聞記者ですから、何も専門的な知識もありませんし、こういうことの解説を書いたりしていたのですけれども、資料がいつもないわけです。大体アメリカ大使館、あそこの資料をいただいたり、アメリカのセンターでいろいろ図書を借り出して勉強したり、それだけしかないのでございますけれども、どうしてこれだけ大国日本でそういう研究施設とか研究資料とか何もないのだろうと、非常に残念なわけです。新聞社の中でも、この軍縮問題なんというものは、軍備管理問題というのはほとんど所在のないような仕事でございまして、ほとんど資料もない。しかし、米国では、アメリカの議会技術評価局というのがございます。私はアメリカに行くときしょっちゅう行くのですけれども、そこでは、一九八〇年に「核戦争の影響」という大部の報告を出しています。これは、一メガトンの核爆発があればどうなるか、あるいは米ソ間の核戦争というものはどういうふうなシナリオがあり得るかということを非常に精密に書いて、日本でも翻訳されておりますけれども、出ているわけです。日本ではついぞそういうものを見たこともない。  それから、片方、会計検査院のようなところでも、これも議会でございますが、アメリカのカウンターベーリング・ストラテージ、最近の限定核戦争論ですね、それについて非常に詳しい資料を出しているわけです。  それから、ついこの間見たのですけれども、アメリカの「議会ダイジェスト」という雑誌を見ますと、三月号でSDI論争について、賛成論と反対論に五〇%ずつのスペースを割いてSDIについて論じているのを手に入れました。アメリカには軍備管理軍縮局というのがもう二十年以上あるわけですけれども、日本には軍縮課が一つあるだけでございます。平和国家ということで、対外依存も大きくて、経済の繁栄のためにも平和が必要な国に、なぜそういうものがないのだろうかというふうな気がするわけです。私は、日本にも軍備管理軍縮局長官のようなものがいても少しもおかしくないと思うのです。  ことしは、さっきも申し上げましたけれども、第二次大戦の終結、広島、長崎からちょうど四十年になります。米ソの首脳会談のうわさも流れておりますし、国連も記念総会ということになっております。欧州では、欧州の冷戦に終止符を打ってちょうど十年、ヘルシンキの全欧安保協力会議の最終文書の採択から十年になります。この夏にはそういう記念行事も開かれることになっておると思います。私は、一九八五年のことしを世界の核離れの第一歩の年にできないかというふうに考えるわけです。  非常に粗雑な意見で大変申しわけございませんですけれども、また詳しいことは御質問がありましたらお答えしたいと思います。  それでは、これで一応終わらせていただきます。
  6. 安孫子藤吉

    ○小委員長安孫子藤吉君) ありがとうございました。  次に、八木澤参考人にお願いいたします。
  7. 八木澤三夫

    参考人八木澤三夫君) 私は、まず、第二次大戦後の軍縮交渉の実態についてお話ししてみようと思います。  戦後の軍縮交渉は、他国に比べて圧倒的に強大な軍事力を持ちました二つ大国、すなわち米ソを中心に主として国連を舞台として行われました。ところが、冷戦下の国連では、数の上で西側が東側をはるかに引き離しておりましたから、表決という事態に追い込まれた場合には、安保理事会ではソ連は拒否権を行使し、拒否権のない原子力委員会軍縮委員会では退場したのであります。そういう事態が繰り返された結果、国連を舞台にした軍縮交渉は完全に行き詰まりました。軍縮討議の場から少なくともあからさまな米ソ対決の様相が消えたのは、軍縮委員会が国通と切り離されてからであります。  一九六一年の暮れに国連総会政治委員会で、軍縮問題を国連から切り離すべきであるという決議案が提出されて可決成立いたしました。それを受けまして、翌一九六二年三月にジュネーブに十八カ国軍縮委員会が設けられたのであります。この委員会の構成を見ますと、東西、つまり米ソ両陣営から各五カ国、それから東西いずれにも属さないその他八カ国とから成りまして、米ソが共同議長国として事務局の末端に至るまで完全に掌握したのであります。  ここに至るまでにはもちろん戦後十七年、一九四五年から六二年までということでいいのですけれども、戦後十七年の歩みがあるわけてありまして、朝鮮休戦協定の調印が一九五三年、それからスターリン批判が五六年、それから冷戦の立て役者ダレス米国務長官の辞任が五九年、それからフルシチョフ・ソ連首相の訪米、それがキャンプ・デービッド精神というふうにもてはやされたわけでありますけれども、これが同じく五九年といったことなど、冷戦の雪解けが徐々に進行していたという背景を見落とすわけにはいかないと思います。  では、国際関係のそうした好転によって軍縮が進展したかというとそうではなかった、軍拡であったのであります。このジュネーブ軍縮委員会は十六年間に約八百回の会議を開きました。その間に上げられた業績には一つのはっきりした特徴があったのであります。それは、条約あるいは協定が成立するのは米ソの意見が一致したものに限られ、米ソが合意に達しないものは絶対にまとまらなかったということであります。それでは米ソの意見が一致したのはどのような分野かといいますと、米ソがどちらもまだ手をつけていないか、さもなければ手をつけても無意味なものに限られていたのであります。例えば海底に核兵器などを設置しないことを決めた海底核禁条約、これは一九七二年に発効しておりますけれども、例えばそれなどであります。つまり、ジュネーブ軍縮委員会が十六年の歳月を費やしてやったことというのは予防的軍縮措置でしかなかったということであります。しかも、軍縮委のメンバー諸国は、それらの予防的軍縮措置に関する条約案あるいは協定案が米ソの間でまとまった後、その追認を求められるのが常でありました。  要するに、この十六年間の軍縮委員会の実態に関してはこういうことが言えると思います。  第一に、ジュネーブ軍縮委員会会議会議を重ねてきたけれども、結局すべての国連の全加盟国が軍縮に関して自由に発言し討議する機会を奪う役割を米ソによって演じさせられたことになるのではないか。  それから第二に、現代の軍備の最先端を行くのは戦略兵器であります。ICBM、SLBM、長距離重爆撃機をいいますけれども、そこでこの戦略兵器の規制が現代の軍縮中心課題となります。ところが、米ソは戦略兵器制限交渉、すなわちSALTを米ソだけで進めることによってジュネーブ軍縮委員会がこの中心課題について討議する機会を封じたのであります。  それから第三に、それだけではありませんで、現代の軍拡競争の典型は核兵器開発競争であります。核実験はその核兵器競争のあらわれであります。言いかえると、核実験を続けるということは核兵器開発を続けるということと同じであります。それを裏返しますと、核軍拡をやめさせるにはまず核実験をやめさせようということになるわ けですけれども、そこで核実験全面禁止条約の実現がジュネーブ軍縮委員会のかねてからの悲願でありましたし、特に米ソが自分たちだけでSALTを始めて後は全面核停の実現が同委員会の最大の目玉商品となったのであります。ところが米ソ英の三カ国、イギリスはつけたりで、実質は米ソですけれども、この米ソ英三カ国は、彼らだけで全面核停の作業委員会をジュネーブ軍縮委員会の中に設けることによってこの目玉商品すら同委員会から取り上げてしまったのであります。軍縮交渉の実態がそういうことであるならばどういう現象が起きてくるかといいますと、非同盟諸国が怒ったわけであります。怒ってどうしたかといいますと、ジュネーブ軍縮委員会の場で軍縮問題の突破を図ろうとする動きが出てまいりました。  お手元に差し上げました資料の表3をごらんいただきたいのですけれども、そこに「国際軍縮会議」というタイトルで七つの会議の名前を挙げております。一番下の「一九八五年夏」というのは、これから後行われるわけですので、これは一応省きますけれども、この六つの国際軍縮会議を通して共通の争点あるいは焦点と言っていいと思いますけれども、大きな焦点の一つとなったものが核兵器不拡散条約であります。  そこで、第二に核兵器不拡散条約について簡単に御説明しなければならないのですけれども、御承知のように一九六二年秋に起こりましたあのキューバの対決によって核戦争の瀬戸際まで行った米ソ両国首脳は、自分の国に対する破滅的な核攻撃を覚悟することなしには相手を屈服させることができないことを身をもって知ったのであります。そこから得た教訓は、核時代における核大国安全保障一つしかない、それは不戦だ、戦わない、それは不戦だということであり、米ソのような超核大国の場合、核戦争による相互破滅を防ぐためには、通常兵器による通常戦争もまた避けなければならないというものであったと言われております。この教訓は、アメリカで核時代の平和維持に関する公式理論とでもいうべきものに発展いたしました。簡単に言いますと、超核大国の利益は、互いに戦うことなく、恐怖の核均衡を安定させることにあり、その安定度は核兵器国の数が少ないほど高いという考え方であります。  この理論の第一の適用が部分核禁条約、これは一九六三年に発効しておりますけれども、部分核禁条約であり、第二の適用が核兵器不拡散条約、一九七〇年発効であります。大気圏内や水中での核実験をやめることを約束した部分核禁条約の締結は、第二次大戦直後から続いた米ソ冷戦の終結を確認し合うという歴史的な意義を持っていたとされておりますけれども、今挙げました平和維持の理論からいいますと欠陥条約でありました。なぜかといいますと、非核保有国、例えば西ドイツが核兵器国、例えばアメリカから核兵器そのものを入手して核兵器国となる道を閉ざしてはいなかったからであります。この欠陥を防ぐためにつくられたのが核兵器不拡散条約でありますけれども、米ソは平和維持理論の掲げる二つの要件、米ソ不戦と核兵器国増加防止、核兵器国がふえるのを防ぐ、核兵器国増加防止を二つともこの条約に織り込むことに成功したのであります。  その要点を挙げますと、核兵器不拡散条約は米ソが事実上の不戦を約束した高度の政治条約である。もう一つは、米ソの約束の内容を簡単に言いますと、第二次大戦後の東西の現状を相手が力で変えようとしない限り核兵器は使わないということであります。次に、現状を力で変えないとは、東西両陣営の現在の国境線を武力で突破しないということであります。もし、ソ連が平和共存政策を放棄して西側を力でおどすようなことがあったならば、アメリカとその同盟国はこの条約から脱退して、ソ連の最も恐れる西ドイツに核武装させるというのがこの条約の最大のポイントなのであります。  この条約は、この表3の一番上に記しました一九六八年春の再開国連総会におきまして、当時の国連加盟国はたしか百十カ国前後だったと思いますけれども、九十数カ国の賛成支持を取りつけているのであります。この条約は、核兵器国を米、ソ、英、仏、中、すなわち安保理事会の常任理事国に限定し、それ以外の国は将来とも核武装をしないことを国際的に誓約させているものでありまして、核兵器を持つことのいい、悪いは別にして、これほど不平等な条約も珍しいということを当時も言われました。また、日本における国会での批准承認案件が極めて難航したこともよく御存じだと思うのです。  そういう不平等な条約に九〇%近い国の賛成が取りつけられたのは、アメリカとソ連の非常な働きかけがあったことはもちろんですけれども、この条約がなくて米ソの冷戦が続くことが世界平和にとってプラスだろうかという配慮が各国首脳に働いたという点が一つ。それからもう一つは、非同盟諸国がこの条約が成立したならば軍縮が軌道に乗る、軍縮が軌道に乗ったならば、それによって浮く金を我々に対する援助に回してもらおうという計算があったことも否めないのであります。ところが、この条約は一九七〇年三月五日に正式に成立したにもかかわらず、それ以後軍縮であったか、全く逆で、軍拡の一途であったのであります。そのこともまた非同盟諸国を非常にいら立たせたという事実があります。  そこで、この表3に挙げました国連軍緒会議では、このNPT、核兵器不拡散条約のことですけれども、このNPTの第六条、これもお手元に差し上げました資料で上から二段目、右から二つ目の項目、第六条で米ソが、先ほど桃井参考人もちょっとお触れになっておられましたけれども、米ソが核軍縮に、核軍備縮小に関する効果的な措置につき誠実に交渉を行うことを約束しているというこの条項を取り上げまして、米ソに軍縮の実行を迫る、何とかしてそういう趣旨の決議案を成立させようということに力を注いだのであります。ところが、この六つの国際軍縮会議はいずれも米ソの完勝に終わったと言ってよいと思います。何が完勝かといいますと、今言ったような核兵器不拡散条約の内容に変更を加えるような議定書の成立、あるいは期限を区切って米ソに具体的な軍縮の実行を迫るような決議の成立というものをすべてことごとくつぶしたからであります。  いかに超大国とはいえ、米ソはたった二国、イギリスを加えても三カ国、どうしてそれら三カ国がこの核兵器不拡散条約に加入している百カ国前後の国々に表決で勝つのか、それはアメリカとソ連が同盟国と友好国を動員したからであります。修正を加える、骨抜きにする、その修正に応じない国の決議案は表決で葬り去った、それが事実この六つの国際軍縮会議で行われてきたのであります。  このようにして、米ソは米ソによる核時代の平和維持システムともいうべき核兵器不拡散条約を守るためには手をつないだということなのです。米ソが手をつないだということは、言いかえますと、NATOとワルシャワ条約機構が手をつないだということであります。第二次大戦後における世界の二大軍事同盟であるNATOとワルシャワ条約機構が手を結んだときに、これを打ち破って米ソに軍縮約束させる力はいかなる国、いかなるグループといえどもないのであります。軍縮は結果だと言われます。緊張が緩和されて初めて軍縮の実現を可能とする素地ができるのであって、その逆、つまり軍縮が突破口となって緊張緩和に向かうというものではないのであります。  米ソは、先ほど申し上げましたような冷戦の雪解けの後を受けて、遂に核を媒体として事実上の不戦を約束せざるを得ないという状況にまで至りました。第二次大戦後の東西の現状を力で変えようとしない限り核兵器を使わないことを条約約束し合った、明らかに国際環境はデタントになったのであります。ところが、それにもかかわらず軍縮ではなく軍拡であった。その最大とまでは言えないにしても、非常に大きな要素としてNATOとワルシャワ条約機構が手を結んで非同盟諸国軍縮の実行をけ散らしたということを挙げなければならない。その点を抜きにして軍縮の処方せ んは出てこないと私は考えます。  それで、こういうふうに申し上げますと、おまえの言っていることはそれはデタントの時代じゃないか、あのころはそうだった、しかしアフガニスタン以後、米ソ間は変わったのだという御意見があるいは出るかと思います。そこでお手元に配りました資料をもう一度ごらんいただきたいのですけれども、表4です。これはことしの夏、第三回NPT、核兵器不拡散条約の再検討会議が開かれることになっております。これは五年ごとに開かねばならないことが条約で決められております。米ソがそういう再検討会議を五年ごとに開くという項目をこの条約の中に入れたのは、非同盟諸国から非常な不満が出た。アメリカとソ連は我々の手足を、核武装しないことを国際条約で縛ろうとしている、にもかかわらず、米ソは拡軍縮の実行を約束しようとしないという非常な不満があったのをなだめる一つ道具として入れたのであります。五年ごとにこの条約が実行されているかどうかをレビューする、再検討するということをもってなだめる一つの材料としたのであります。したがって、米ソはどんなに嫌でもこれは開かなければならない。  ことしその三回目の再検討会議が行われるわけですけれども、そこで米ソは共同被告の座につかなければならないということであります。なぜならば核軍縮をやっていないからであります。もっとも米ソに言わせれば、この条約第六条で核軍縮を実行するとは約束していないのですね。誠実に交渉すると約束している。だから、交渉しているという体裁を整えればまあ切り抜けられないことはない。つまり、インドなどを先頭とする非同盟諸国が核軍縮の実行を条文の中に入れさせようとしたのに対して、米ソ、特にアメリカは頑として受け付けなかった。そうして「交渉」という二字をついに入れることを貫き通したのであります。それが今日まで生きているわけです。「交渉」の二字を入れたという点が今まで生きている。  それで、表4をごらんいただきますと、先ほど高榎参考人もお触れになりましたけれども、三月十二日に米ソが包括的軍縮交渉をスタートさせております。私はこれは、四月二十二日から五月一日までNPT再検討会議の三度目の、そして最後の準備委員会が開かれることが去年から決まっていた。この準備委員会でのやりとりが来るべき再検討会議の最終宣言、最終文書の草案のたたき台になるのであります。そこで、そのたたき台が米ソに対して非常に厳しい内容のものであると、秋の再検討会議で米ソはそれを和らげるために悪戦苦闘しなければならない。したがって、第三回の、そして最後の準備委員会では米ソは、誠実に実行しておりますということを態度で示さなければならない。したがって三月十二日から始めたなというふうに私は見るわけであります。それから五月十四日、つい先日外相会談が行われました。ことしに入ってから二度目であります。これも私はこの四月下旬に開かれた最後の準備委員会の決着がどうであったかを見届けてまた打ち合わせをやったなというふうに考えております。  実は、これと全く同じと言ってよいことが五年前にも行われているのであります。表5をごらんいただきたいのですけれども、五年前といいますのは第二回のNPT再検討会議でありますけれども、八十年の二月四日に包括的核実験禁止作業委員会というものが米ソ英三国によって突然開かれております。これは先ほどちょっと申し上げましたけれども、ジュネーブ軍縮委員会が全面核停を自分たちの手で審議を進めることを防ぐために取り上げたその委員会であります。これを突然始めました。そして、その一週間後の二月十一日には化学兵器禁止に関する作業委員会を米ソが始めております。この全面核停と化学兵器禁止はジュネーブ軍縮委員会における非常に大きな目玉であったわけであります。  なぜこれをやったかといいますと、その翌月、三月に第二回NPT再検討会議の三回目の、そして最後の準備委員会が開かれることが前々から決まっていた、したがって今申し上げたのと同じような理由で米ソは誠実に軍縮交渉を行っているということを態度で示す必要があったのだというふうに考えます。もう既にお気づきかと思いますけれども、一九八〇年二月四日、二月上旬といいますのはソ連がアフガニスタンに武力介入して一カ月ちょっとたった時点であります。もっとはっきり言いますと、カーター大統領がモスクワオリンピックのボイコットを最も声高に同盟諸国に呼びかけていた時期であります。そのときにアメリカ軍備管理に関する二つの作業委員会の開催をひそかにソ連に呼びかけ、ソ連はそれに応じていたのであります。  御承知かと思いますけれども、アメリカではこの軍備管理交渉ということが進展するのを非常に嫌う人たちが米議会に多いのでありまして、それに対する監視の目が非常に厳しいということもありまして、ソ連との間に軍備管理交渉を再開するときには議会の了解を得なければならない。議会の了解を得る前に大統領が主宰するNSC、国家安全保障会議で決定しなければならない。このNSCの議長は大統領であります。つまり、カーター大統領は表立ってはモスクワオリンピックのボイコットを叫びながら、呼びかけながら、裏ではNSCを議長として司会して、二つ軍備管理交渉の再開をソ連に働きかけることを決定したのであります。つまり、それほどNPT体制を守り抜きたいのか。それは当然なのです。アメリカとソ連にとってこんな都合のいい条約はないからであります。  少し横道にそれるかもしれませんけれども、ソ連はアメリカとの軍備管理交渉を通じて一つの新しい発見をしたと言われております。それは、アメリカと手を組むといろいろなことがうまくいくというのです。核兵器不拡散条約というのは、東欧諸国はもちろんソ連の命令一下加入しておりますけれども、西側の先進工業国がほとんどすべて入っております。西ドイツ、日本、イタリアはもちろん、カナダも入っております。ほとんどの西側先進工業国がこの条約に加入しまして、将来とも核武装しないことを国際的に誓約しているのであります。中ソがもし中ソ対立がなくて、中ソが一枚岩の団結を誇っていたとしても、その一枚岩の中ソが逆立ちしても西側先進工業国にそうしたことを誓約させるなどという芸当は絶対できない。それがアメリカと手を組むことによってできた。このことをソ連が軽く見過ごしていることは絶対にないと思うのであります。ソ連はアメリカと手を組んで世界に関する諸問題をプリザイド、取り決めを行いたいということを考えているのだと思います。  それで、時間ももうなくなりましたので、ひとつ結論を急ぎたいのですけれども、米ソが条約で事実上の不戦を約束したからといって万事めでたしめでたしということにはもちろんならない。大事なのは、核時代における核大国安全保障一つしかない、それは不戦だということであります。つまり、米ソは核兵器不拡散条約の締結を通して、事実上の不戦を約束し合うことによって核時代における身の安全を図ったのであります。その上でいわば安心して核軍拡を続けているのだ、そこに私たちはもっと注目する必要があるのじゃないか。したがって緊張緩和にも限界がある。それは最初からわかっていることであります。つまり、核時代における身の安全を図った上でそれぞれの陣営のリーダーとして国益の追求を続けているからであります。しかし、冷戦にもまた限界がある。不戦がそれだということであります。  それともう一つ申し上げなければなりませんのは、第二次大戦後における東西の現状を力で変えようとしない限りということが現状維持につながらざるを得ないということであります。もっとはっきり言いますと、ソ連と軍事同盟を結んでいる国はソ連の勢力圏だからアメリカは手を出さない、アメリカ軍事同盟を結んでいる国はアメリカの勢力圏だからソ連は手を出さないという了解が米ソ間に成立しているということであります。したがって、この条約の実態が明らかにされたときに、それはアメリカがNATOで説明したから でありますけれども、ヨーロッパ諸国の間でどういうことが言われたか。これは米ソによる勢力圏分割だ、第二のヤルタ協定じゃないかということが言われたのであります。そう言われることを米ソとも非常に嫌いまして、むきになって否定しましたけれども、現実にそういう事態になっているのであります。したがって、そういうことであるならば、日本軍備を増強すべき、日本に限らず米ソ以外の国が軍備を増強しなければならない理由はないというふうに私は考えるのであります。  日本軍縮に関して貢献できる最善の道は、日本自身軍備増強をしないことだ。国際軍縮会議が開かれたときも、同盟関係でアメリカからいろいろなことを頼まれるであろう。反対してくれないか、反対がだめならばせめて棄権してくれないかというふうにいろいろなことを頼まれるであろう。けれども、それに対しては極力日本としては、日本国民の世論あるいは軍縮への希望といったものを述べてできるだけの抵抗をすべきである、それと同時に、日本自身軍備増強をしないことが望ましいというふうに私は考えております。  中途半端ですけれども、時間が来たようですのでこれで終わります。
  8. 安孫子藤吉

    ○小委員長安孫子藤吉君) ありがとうございました。  次に、杉江参考人にお願いいたします。
  9. 杉江栄一

    参考人(杉江栄一君) 杉江でございます。  私は、大変時間も限られておりますので、ほぼ三つほどの問題について、総論的になるかもしれませんけれども申し上げたいと思います。  三つの問題といいますのは、第一は、一番最初桃井さんがおっしゃられた核の怖さを世界の人々が知らないのではないかという問題であります。第二番目に、皆さんが触れられた軍備管理軍縮についての問題、最後検証の問題について触れてみたいと思います。  まず、核の怖さの問題でありますが、核の怖さを世界の人々が本当に知らないのではないかという御指摘については、私も本当にそうだと思います。そのことは逆に言えば、核の怖さを知らせることが今後軍縮を達成していく上で大変重要な問題だということになると思います。この場合の核の怖さというのは、言うまでもなく、もし核戦争になれば人類が滅亡するのではないかというその怖さであります。そして、その意味での怖さを一番最初に警告を発したのは、今から三十年前になりますけれども、一九五五年、ラッセル・アインシュタイン宣言ではなかったかと思います。  このラッセル・アインシュタイン宣言、ラッセルはイギリスの著名な哲学者であり、それからアインシュタインはアメリカの原爆製造計画であるマンハッタン計画を指導なさった、手紙をルーズベルト大統領に出した、その人でありまして、この二人が、日本では湯川秀樹博士も署名をいたしまして、一九五五年に声明を出しました。この声明の中で、人類は戦争を廃止するのか、それとも絶滅かという、そういう選択を迫られているのだということを指摘いたしました。このラッセル・アインシュタイン宣言というのは、実は五〇年代の初めに水素爆弾が開発されたということを背景にして出されたものであります。つまり、水爆の開発はこういう問題を引き起こしたというふうにこの著名な科学者たちは認識をしたわけです。  ラッセル・アインシュタイン宣言のほぼ五年前、ちょうど朝鮮戦争の始まる直前でありますけれども、ストックホルム・アピールというものが出されました。このストックホルム・アピールでは、原子爆弾を、原子兵器最初に使った国の政府を人類に対する犯罪を犯したものとみなすというふうに書かれております。このストックホルム・アピールでは、必ずしも核戦争になれば人類が滅亡するのだという認識が果たして厳しくあったかどうかという点についてはこの文面からははっきりいたしません。まだ水素爆弾が開発される、水爆実験の以前であって、核兵器が極めて巨大な破壊力であるという認識はあったにしても、それが人類の生存そのものに結びつくかという点では必ずしも明確な認識はなかったのではないかというふうに私は考えておりますが、ラッセル・アインシュタイン宣言によってそのことがはっきりと主張されるようになりました。  ところが、重大なことは、このラッセル・アインシュタイン宣言の段階におきましては、まだ核戦争の影響についての研究は全くなされていなかったということであります。いわば科学者が、こうまで言うと少し言い過ぎかもしれませんけれども、その直感によって人類の危機を感じ取り、それがラッセル・アインシュタイン宣言になったというふうにあるいは言えるのかもしれません。したがって、核戦争の怖さについての認識というのは必ずしも世界の民衆の間に行き渡ったわけではないわけであります。ところが、ごく最近になりまして、改めて核戦争の怖さ、核戦争による人類滅亡の危機ということが問題になってまいりました。  ラッセル・アインシュタイン宣言から三十年を経た今日、核戦争の問題についての幾つかの研究が発表されております。その際私たちが注意しておきたいと思うことは、六〇年代、七〇年代を通じまして核兵器の影響、エフェクトオブニュークリアウエポンズという研究はある程度進んできたのですが、最近では核兵器の影響ではなくて核戦争の影響、つまりエフェクトオブニュークリアウオーという、そういう問題意識が大変強くなってきたということであります。つまり、核兵器の影響という限りは、これは例えば一発の何メガトンの核爆弾がどこで破裂した場合にどれくらいの破壊力が出るのか、どれくらいの熱量が出るのか、あるいはどれくらいの放射線量が出るのかということについての研究は、これは広島、長崎以来ある程度行われてきたわけであります。ところが、そうではなくて、核兵器が実際に戦争で使われた場合、もっともこれは戦争で使われた場合というのはいろいろな使い方があります。したがって、さまざまな核戦争のシナリオを想定して、そういう戦争で使われた場合にどのような影響が出るのかという、そこに単に核爆弾の影響ではなくて、核兵器戦争現実に使われた場合の影響というふうに問題意識が最近では非常に変わってきているわけであります。とりわけ、それは八〇年代に入りましてからその研究が進んでいるように思います。  若干御紹介をしておきますと、スウェーデンの王立科学アカデミーの国際環境問題専門誌である「アンビオ」が一九八二年に発表いたしました研究があります。これはここにいらっしゃる高榎さんがお訳しになって、「一九八五年六月世界戦争が起ったら」という邦訳名で出ております。それから一九八三年にワシントンでザワールドアフターニュークリアウオー、つまり核戦争後の世界という会議が開かれました。実はお手元にお配りしてあると思いますが、タップス、TTAPS、ニュークリアウインター、グローバルコンシクエンセスオブマルティプルニュークリアエクスプロージョン、「核爆発世界に及ぼす影響」という資料をつくってまいりましたけれども、この核の冬、ニュークリアウインターという言葉がはやり出したのはこの研究が一つのきっかけになっているわけでありますし、先ほど御紹介しました「アンビオ」の研究も全く違ったところで行われながらほぼ同じ結論を実は出しているわけであります。  この核の冬といわれるのは大変象徴的な問題でありまして、核戦争が起こった場合に、何も起こるのは核の冬だけではありません。比較的古くから、早くからわかっておったことは、恐らく高空で核爆発が起こればオゾン層が破壊をされる。現在私たちの健康を守っておるオゾン層が破壊されるのではないかということは、比較的早くから議論をされております。ところが、それ以上の研究はなかなか進んでいなかったのであります。その表をごらんになってわかりますように、さまざまなケースを想定したシナリオのもとで、都市攻撃の場合あるいは対兵力戦略に基づく軍事基地や核ミサイル基地の攻撃の場合であるとか、それから使用される核兵器の質や量というものもそれぞれ 違うわけでありますから、それぞれの場合を想定して、その場合に大量の火災発生、それによって生ずるダストも舞い上がって、そして成層圏に達し太陽光線を遮って地球表面上の温度を下げる、その下げる度合い、その期間等々、さまざまなシミュレーションを使ってこういうような分析がされておるわけであります。  かつて、五五年のラッセル・アインシュタイン宣言の時代にはまだ具体的な一つのイメージを持って語られることのなかった人類滅亡の危機というのが、もちろんこれは一つの予測、想定ではありますけれども、かなりそういう具体的なイメージを持って今日語られるようになってきたということであります。もちろん核戦争によってどんな影響が起こるかということはニュークリアウインターだけに限りません。さまざまな生態学的な影響、あるいは大量核攻撃によって生ずるであろう人間の社会的活動に対するさまざまな影響、さらに放射線が引き起こすであろう遺伝的な影響などさまざまな問題が今日議論されております。そして「アンビオ」あるいはTTAPS、申しおくれましたが、TTAPSというのは、実は一九八三年のワシントンの会議に参加をして共通の報告書を出した五人の研究者の頭文字をとったのがこのTTAPSであります。  そのほかに、同じこの会議に医学の方から共通報告が出ておりますし、それから八三年には世界保健機構、WHOから核戦争が保健とサービスに及ぼす影響という報告書が出ております。それからさらに一九八二年には、国連の事務総長報告、核兵器の包括的研究の中でもやはり核戦争が引き起こす影響についてのかなり詳しい報告がございます。それからさらに、先ほど高榎さんがお触れになったと思いますが、アメリカの上院の技術評価局が作成いたしました報告書、これも岩波書店から「米ソ核戦争が起ったら」というタイトルで邦訳が出ております。もちろんこれは一つの推定、想定でありますけれども、そういった研究が重ねられてきているわけであります。そのことを通して核戦争による人類滅亡の危機ということを、今日私たちはある程度の具体的なイメージを持って語り得る。これは喜んで語るわけでは決してありませんけれども、語り得るという時代に入ってきているということであります。  一九七八年に開かれました国連の軍縮特別総会の最終文書はその中で、人類は前例のない自滅の脅威に直面しているというふうに述べております。このことは決して誇張ではなくて、今日私たちが直面している危機の本当の意味であるというふうに考えてよかろうかと思います。したがって、私たちは軍縮の問題を考える場合に、核戦争をいかにして阻止し、そして核軍縮をいかにして達成するかということが現在における軍縮の恐らく最大重要な課題であるというふうに考えるわけです。そのことを前提とした上で、第二番目の軍備管理軍縮の問題について触れてみたいと思います。この点につきましては、既に三人の方々がそれぞれの立場からお話しになりました。重複はなるべく避けたいと思います。  高榎さんの方から、軍縮軍備管理というものはしばしば混同をされている、それはしかし区別すべきだというお話がありましたが、私もその点は実は同感でありまして、軍縮という概念軍備管理、アームスコントロールという概念とは区別をすべきであるというふうに考えます。ただ、実際の政治生活の中ではしばしばこれは混同されております。例えば、先ほどどなたかお触れになりましたアメリカ軍備管理軍縮局というところがありますが、これは軍縮軍備管理の中に含めて考えているようでありますし、それを混同してそういう名称がつけられている。つまり、軍縮局でもなければ軍備管理局でもないという、そういう混乱が実は見られるわけであります。  そして、もしこの軍縮軍備管理を区別すべきだとするならば、軍備管理というのは結局は軍備の過程の管理であって、主要敵国との間の軍事バランスを保ち、そして国際的な軍事環境の不安定化を避けようとする方策である。したがって、その軍備管理の関心は、危機戦争に発展することを防ぐということ、もし戦争が起こった場合、紛争が発生した場合には、その人的あるいは物的な損害を減らすというところに軍備管理のねらいがあるのだというふうにしばしば言われております。そして、三人の方が指摘されましたように、第二次世界大戦後のこれまで締結されてきました条約、これは実は約九つの多数国間条約部分的核実験禁止条約核兵器不拡散条約を含めて約九つの多数国間条約と、それから約十二の、これは主として米ソ間でありますけれども、二国間条約協定があります。これらの条約協定はしばしば形式的には部分措置というもの、あるいは国連用語では副次的措置、コラテラルメジャースというふうに呼ばれ、その内容から見ればこれは軍備管理だというふうに言われているわけであります。  さてそこで、軍備管理意味は先ほど申したように、軍備過程の管理であっても、私は特に重視しなければならないのは、核時代における軍備管理とは何か、あるいは核軍備管理とは何かというふうに言ってよろしいかと思います。  その問題であります。核軍備管理というような言葉を使ったわけですけれども、このことを特に強調したいのは、単に軍備の過程についての管理というだけではなくして、核軍備管理という以上は、実はその背後にある核戦略というものを前提にして、そして核戦略の上に核戦略の安定化を図る方策が核軍備管理であるというふうに考えると事態がはっきりするのではないかというふうに思うわけであります。最近ハーバード大学の核グループが書きました本が日本でも「核兵器との共存」という名前で邦訳が出ておりますけれども、言ってみれば核軍備管理というのは核兵器とともに生きる、そういう方策であるというふうに考えてよろしいかと思います。  ですから、これまで締結を見た多くの条約協定というのは核兵器の存在を前提とし、そして米ソが、同時にその米ソの同盟諸国核兵器を持って対峙している、そういう状況を前提とし、かつしかも、これはアメリカの場合に公然と採用されていることでありますけれども、核抑止戦略というものを前提とする。この核抑止戦略を損なわないということが前提となって条約協定がつくられてくるということになります。これが場合によっては、先ほど八木澤さんが指摘されましたように、米ソ不戦の体制をつくると同時に、米ソによる、あるいは米ソの同盟諸国による世界支配と申しますか、そういう体制の維持ということと結びつきながら発展をしてまいりました。  さてそこで、理論的に大変重要なことは、もし核軍備管理というものが核抑止というものを前提とするならば、それは抑止戦略が変化する、あるいは変容するというふうに申してもよろしいかと思いますが、その抑止戦略が変容するにつれて実は核軍備管理の中身も変化をしてくるであろうということであります。したがって、私は軍備管理条約、諸協定の問題を考える場合に、どうしてもその背後にある核抑止戦略の問題を抜きにして、あるいはこれは無視して考えることはできないというふうに考えております。  そこで、時間が限られておりますから極めて大まかな議論になろうかと思いますけれども、核抑止戦略というのは、もしこれを整備するとするならば二つの種類といいますか、二つの側面があると思います。  一つは、報復による抑止という考え方であります。つまり相手が核兵器であれあるいは非核手段であれ、攻撃を加えてきた場合に核によって報復をする、その報復の威嚇によって相手側の攻撃を抑止するという考え方であります。もう一つは、報復というよりはむしろ核戦争を遂行する能力をつくり上げる、あるいは最近特に言われておりますのは戦勝戦略と呼ばれるように、現実核兵器を使い、そして核戦争を遂行する体制をつくることによって相手の攻撃を抑止しよう、攻撃による抑止ということは実は不正確なのでありますけれども、そういうことであります。もともと抑止と いう考え方は本来、報復による抑止というのが基本だというふうにされておりますが、実際には抑止論というのは報復による抑止という理論とそれから戦争遂行理論、これがはっきりいいますと戦勝戦略ということになります。  例えば、もう少しそこを補足して説明いたしますと、しばしば限定核戦争論ということが言われます。この限定核戦争論という考え方は何も八〇年代になってからあらわれたのではなくて、六〇年代、例えばダレスの「核兵器外交政策」という書物の中で既にあらわれておりますし、五〇年代からこの限定核戦争論という考え方はある。最近ではそれが極めて具体的といいますか、現実味を帯びているというところに特徴があると思いますが、限定核戦争論という考え方は、つまり、相手がそれ以上屈服しなければエスカレートさせるぞという威嚇をかけることによってエスカレーションを抑えようという理屈であります。この理屈は、結局はエスカレーションを繰り返して全面核戦争になるのではないかという批判がしばしば出されるわけですが、そういう限定核戦争論のような考え方現実には核兵器を使用するということによって、つまり、核戦争遂行戦略を正面に出すことによっていわば核戦争のエスカレーションを抑止していくということになっております。いずれにいたしましても核抑止戦略というのは報復による抑止から戦争遂行による抑止、あるいは戦勝戦略という幅を常に往復しているのではないかというふうに私は考えております。  このように考えますと、戦争遂行戦略といったようなものが抑止の中で非常に重要な位置を占めてくるようになりますと、例えばこういうことになります。  つまり、これは何も米ソ全面核戦争の場合であれ、あるいは限定核戦争の場合であれ、相手が核攻撃をかけるというそういう状況が明らかになった場合、あるいはレーダー網であるとかあるいは人工衡星によるセンサーであるとかいうものから核兵器の発射が目前に迫っているというふうに判断された場合には直ちにボタンを押す、これがいわゆるローンチ・オン・ウォーニング、つまり警報による発射というふうに言われる。あるいはローンチ・アンダー・アタック、つまり攻撃下の発射、相手が発射をすれば直ちにその弾頭が味方のところへ着くまでにこちらも発射をするという体制をつくるというようなことになります。つまり、核抑止戦略が報復による抑止から戦争遂行戦略に移行するにつれて、実は核戦争危機というものはさまざまな形で具体化され、危機が増すというふうに考えざるを得ないのではないかということであります。  さて、そうはいいましても、私は核抑止論というのが報復による抑止から戦争遂行戦略へというふうに変わってきたというふうに言っているのではないのでありまして、核抑止論の中には最初から戦争遂行という考え方が含まれていたというふうに思います。したがって、場合によっては報復による抑止が強調される場合がありますし、場合によっては戦勝戦略が強調される場合もありますが、最近の傾向は次第に核戦争遂行理論の方へ傾きつつあるということではないかと思います。  そこで、そのことについて、ちょっとそれるかもしれませんが、一言つけ加えておきますと、先ほど何人かの方がお触れになりました例の戦略防衛構想、SDIであります。  このSDIについてここで詳しく申し上げることはできませんが、ことしの冬に、フォーリン・アフェアーズの冬の号に、ケナンとマクナマラとバンディとスミス、この四人が論文を書いております。マクナマラは言うまでもなくケネディ時代の国防長官でありますし、ケナンは戦後駐ソ大使をやった人でありまして、この四人は三年ほど前にやはりフォーリン・アフェアーズに、先ほど高榎さんがたしかお触れになったと思いますが、論文を書きまして、NATOの第一核不使用政策を採用すべきだ、つまり第一使用政策を放棄すべきだという意見を出したので大変有名になりました。この四人がやはりSDIを批判する論文を書いております。  このSDIを批判する論文の基調になっている考え方は何かといいますと、もともと抑止というものは報復による抑止が基本であって、したがって、先ほども高榎さんがお触れになったと思いますが、七二年のSALTIのABM制限条約、これが大事なのだ、これが米ソ間の相互脆弱性、つまり米ソが相互に報復攻撃を受けるということを認めた条約であって、したがってこれを破ってはいかぬというのが彼らの実は考え方であります。大統領のSDI計画はまさにこれを破るから危険なのだという、そういう論議を展開してSDIを批判しております。  私はこれを読みまして、非常にぞっとする気持ちになったわけであります。つまり、こういうふうに相互威嚇による抑止という抑止論を基本的に肯定している人々の間からSDIについてそういう危惧が出されているという点であります。今や抑止論は実はそこまで来てしまったのではないかということが大変私にとっては危惧を持つところであります。  そこで、このSDIをそういったような考え方を生むように至った今日の状況というのは実は核抑止論の本質的な矛盾、欠陥というものが次第に明らかになったその結果であるというふうに私は考えるべきであろうというふうに思います。その点について時間がありませんから細かいことは省略いたします。  そして、ただここでもう一点つけ加えておきたいことは、そうした核抑止論の展開、あるいは核抑止論のしばしばこれは破綻というふうに言われますけれども、そういう核抑止論の予盾の激化というものが、七〇年代、あのデタント期の七〇年代の技術的な軍拡、例えば弾頭の軽量化であるとか、命中精度の向上であるとか、それに伴ういわゆるMIRV、多弾頭化といったような、あるいは最近問題になっておりますC3Iといったようなそういう技術的軍拡の動き、前進というものを背景として展開をしてきた。八〇年代に冷戦の復活とか新冷戦とか言われている非常に深刻な状態があるわけですけれども、これはもちろんアフガン問題であるとかポーランド問題とかさまざまな国際的な要因があることは言うまでもありません。しかし、これを軍備競争という点について見るならば、実は七〇年代のあのデタント期の競争が、技術的軍拡が直接にこれをもたらしたのではないかというふうに思います。そのことは要約して一言で言ってしまいますと、技術的軍拡が軍縮だけではなくて軍備管理さえも困難にするということになります。そのことは検証の問題に係っていますが、時間がありませんから、次に検証の問題に触れたいと思います。  検証の問題については、実は議論すべき問題が非常にたくさんございます。細かく言っていますと本当に切りがないのでありますが、そこで私は、いわば非常に基本的だと思われる点を二つだけ申し上げておきたいと思います。  一つは、検証というものは、ベリフィケーションというものは確かに軍縮条約協定の場合重要です。軍縮条約は効果的な検証を必要とするものであり、もし効果的な検証がなければだれもこの軍縮条約信頼しないでしょうし、軍備管理条約であってもそれを信頼しないでしょうし、それが有効に作用するとは考えられません。そのことについては全く異論がないわけですが、一つの問題は、そういう検証は極めて困難ではある、困難ではあるけれども決して克服しがたいような問題ではないという点であります。軍縮に関する条約協定に沿って検証はどういうことを意味しているかというと、その措置が当事国によって守られているというかなり高度な確信が得られればそれで十分であるということであります。逆に言いますと、しばしば検証について議論になりますのは、相手側の違反を取り上げて相手側を非難するための材料にする、検証規定を相手方の違反を非難するための材料にするということが見られるわけでありますが、検証は実は違反を防止することが目的であって、違反を告発することが目的ではありませ ん。そのことを考えるならば、検証というものは絶対不可能なものだというふうには言えないかと思います。もちろん、しかしそうはいっても、この検証というものは条約によって、あるいは措置によって具体的であります、方法もそれから目的も違います。したがって、余り抽象的に議論していては無意味になるおそれがあります。  ですから、具体的に考えなければなりませんが、先ほどから何回か話に出ております、例えば包括的な核実験禁止、特に地下核実験禁止という問題について申しますと、これについては一九六三年に部分核兵器実験禁止条約が締結されながら、それから二十年以上もたった今日に至るまで、先ほど詳しく御報告がありましたように、ジュネーブの委員会から取り上げて米英ソ三国交渉交渉を続けていながら、いまだに実現されていない。最も初歩的な軍縮措置でありますが、しばしば指摘されるのは検証が困難だということです。しかしながら、これは実は一九八〇年に包括的実験禁止に関する国連事務総長報告というものが出ております。この報告書の中では、技術的問題はほぼ調べられている、現在残されているのは政治的な意思だけである、政治的決定であるというのがこの報告書の結論でありますけれども、とにかく地震学的方法その他の方法を組み合わせれば相当低い、小規模な地下爆発実験でもほぼ探知できるというのが大体専門家の意見であります。にもかかわらず……
  10. 安孫子藤吉

    ○小委員長安孫子藤吉君) 杉江参考人、時間の関係がありますので。
  11. 杉江栄一

    参考人(杉江栄一君) わかりました。  そういうことであります。それなのに条約ができないのはなぜかということが問題です。じゃあと一、二分よろしゅうございますか。  次に、二番目に私が申し上げたいことは、先ほど申しました技術的な軍拡が検証を難しくするということであります。  一つだけ例を申しますが、一九七〇年のSALTI条約の攻撃兵器暫定協定のときにMIRV化が進みました。アメリカの国内においてもMIRVについてはモラトリアムを置けという意見が非常に強かったのです。にもかかわらず、この交渉の最中にアメリカ空軍はこれをMIRV化して、一九七〇年にミニットマンIII型の一部をMIRV化して配備してしまいました。このことがSALTIの攻撃兵器暫定協定からMIRVが完全に取り除かれた一つ原因であります。このように技術的軍拡を進めるということは検証を一層困難にし、それが軍備管理さえも難しくする、ましてや軍縮を一層困難にするということになったということであります。  最後にそのことを申し上げて、少し時間が超過して申しわけありませんが、終わらせていただきます。
  12. 安孫子藤吉

    ○小委員長安孫子藤吉君) ありがとうございました。  以上で参考人からの意見の聴取は終わりました。  これより質疑に入ります。  質疑のある方は、小委員長の許可を得て順次御発言を願います。
  13. 源田実

    ○源田実君 私はもちろん素人でございます。したがって、あまり詳しいことには入れないと思うのですが、ニュークリアウインターのあの考え方はこの数年盛んに論じられてきておるのですが、そうしてまたレーガンからアメリカのサイエンティストに、これは本当に起きるかどうか検討してくれというような話もあったらしいですね。先生方の御見解としては、ニュークリアウインターというものがやはりやれば、ある量が過ぎれば起こるというお考えですか、いかがでしょう。杉江先生に一人で。
  14. 杉江栄一

    参考人(杉江栄一君) 私は気象学の専門家ではございませんので、その点については全く先生と同じように素人であります。このことを最初にお断りしておきますが、少なくとも最近先ほども申しました「アンビオ」の研究、それからアメリカのサイエンスの研究ですね、これがかなり違った条件のもとで研究を開始しながら大変似たような結論を出しているという点です。しかもこのTTAPSのグループはその後研究をさらに進めておりまして、第二、第三の論文が出るはずでございますが、そういう点を考えますと、ニュークリアウインターの可能性というのはかなり高い確実性を持って存在するというふうに私たちは判断してよろしいかと思います。
  15. 源田実

    ○源田実君 そうしてもう一つですが、非常に確率は高い、ところが、もしこれがないとしても酸化窒素が随分核爆発で上がっていくとオゾン層がすっかりやられる、そして地球の大気はすっかり参るという、これはアメリカの国会の報告にありましたが、これはどうなのですか。
  16. 杉江栄一

    参考人(杉江栄一君) オゾン層が破壊されますと、人類は非常に脅威を受けるわけですが、そのことはかなり前から、今ちょっと私、記憶がはっきりしないのですが、恐らく七〇年代の初めぐらいからかなり問題にされてきている。これは核戦争の影響の中で一番古くから問題にされてきた問題です。この点については「アンビオ」をお訳しになった高榎さんがいらっしゃいますので、高榎さんの方に御意見があろうかと思いますが。
  17. 源田実

    ○源田実君 それじゃ高榎先生。
  18. 高榎堯

    参考人(高榎堯君) ニュークリアウインターの可能性についてお尋ねでございますけれども、私がアメリカの科学雑誌その他から承知しておりますところでは、その後の研究でやはりその可能性がかなり強いという方向で研究が進められているということでございます。  それから、昨年私はヨーロッパに参りまして、これをやりましたコーネル大学の先生にちょっと会って、どうなんだいと聞いたら、ざっくばらんな話ですけれども、コーネル大学の中でもいろいろな意見があってねということなのですね。それはそうでしょう、実際どの程度の深刻さで起こるかということについてはだれもやったことはないし、実験もできないわけですから。でもしかし、その方向で行っていると。  それから、最近はアメリカのペンタゴンですね、国防総省もこの問題に大変関心を持って研究しているように伺っております。これはちょっと観点が違うのですけれども、都市が火災になりまして煙がどんどん立ちますと、偵察衛星が全く役に立たなくなってしまいますね。偵察衛星というのは非常に大事なので、これは戦争状態になったときに、本当に次にどうするかというステップを考えるときに最も決定的な手段になるのですけれども、それが煙で何にも見えなくなってしまったらちょっとということになる、そういう関係らしいのです。しかし、そういうことを研究を始めたということを聞きますと、やはりペンタゴンの方々もかなりの可能性で光線の透視度が悪くなるということ、可能性があると考えておられることを示しているのじゃないかというふうに私は了解しておるのでございますが、よろしいでしょうか。
  19. 源田実

    ○源田実君 それでは次に、実はこのSDIの着想が浮かぶまでは大体MADの思想、この思想で抑止力を働かせるというので米ソともにそう考えておったのじゃないかと思うのです。ただ私はどういうぐあいに、一九七二年のあの協定の場合に防御力を制限するというのがある。首都ともう一カ所だけ防御してあと防御しない、この考え方は私は甚だ腑に落ちないのです。どういうことかというと、ソ連はやっぱり表面的には国民のもの、しかし実際は共産党首脳部が握っておるだろうと。アメリカは民主主義国であって主人公は何にしても国民なのですね。その国民を犠牲にして政府の人たちが住んでおる首都ともう一カ所だけは守る、そのほかは守ってはならないというこの思想そのものがこれは間違っておると私は思うのです。いかがですか、それは。どういうお考えですか。
  20. 杉江栄一

    参考人(杉江栄一君) 私はMADという考え、SDIの中でですね、つまりこれは防衛だから人道的ではないか。MADは要するに人質に取り合って国民を完全に殺すのだから、したがって非人道的であるというのがこのSDIの一つ議論 なのですが、これはもう大変な誤解に基づいているのじゃないかと思います。といいますのは、つまりMADというのは防衛をしないという約束をすることによって、お互い人質に差し出すことによって核戦争を阻止するという考え方です。ですから、むしろ、防衛をしちゃうということになりますとMADが成立しなくなることが恐ろしいのだぞというのが抑止論者たちの議論なのです。ですから、抑止を安定させるという議論を、私は抑止を安定させる立場に立ちませんけれども、もし抑止を安定させるという議論に立つならばMADの方が合理性を持っている。ただ、MADでもってとどまることはないというのが抑止論の最大の問題だというふうに私は考えております。
  21. 源田実

    ○源田実君 これは私の見解を申し上げただけでありますが、これはぜひ……。  二、三あるのですよ。  今まで軍縮会議を随分やっておりますね。私が海軍に入ったその年にワシントン会議があった。それ以後随分あるけれども、長持ちしたものが一つもないのですよ、軍縮会議。ということは、本来の民族や国の世界観が違っておるものを条約で幾らしようといったっていつまでも続くものじゃない。殊に今のように世界観がすっかり違っておる。世界観に手を触れないままに軍備関係の条約軍備を締め上げてそして平和を守っていこう、それはそのときしばらくはいいかもしれない。しかし、長い何十年、何百年と考えた場合にはあの思想そのものが根本的に間違っておると。もっと確かな方法で平和の保障を得なきゃいけないのだと、こういうぐあいに考えるのですが、何かありますか、御意見は。
  22. 杉江栄一

    参考人(杉江栄一君) 確かにおっしゃるとおり、国際平和を守る手段で一〇〇%完全なものは私もないと思います。  ところが私は、もし平和を守る、より大きく確かなものは何かというふうにお尋ねだとするならば、それは民衆がいかに平和を大事なものだと思い、そしてそれを守ろうとして努力するかということにかかわってくるのではないかと思います。  つまり、第一次世界大戦後に国際連盟ができた。このときにやはり第一次世界大戦、これは実は最後戦争というふうに言われたわけです。こういう戦争でヨーロッパでは物すごくたくさん犠牲者が出ました。そのことがヨーロッパの民衆をして平和を守らなきゃならないという思想になり、国際連盟をつくる大きな一つの力になっているわけです。そのことは否定できないわけです。ところが、それがやっぱり忘れられて第二次世界大戦になったとするならば、核戦争の恐ろしさを知らせるということ、それは特に私は被爆国日本政府の責任だと思いますけれども、そのことによって平和を守ろうという確固とした意志を民衆の間に育てていくという努力、これが大変失礼でありますけれども、政治家として皆さん方の大きな責任ではないだろうか、それをやってくださるときに国民の間に平和への意志が強くなるし、そしてそれを諸国民に広げることによって大きな平和の意思をつくり出すことができるのではないか。私はそれだけで一〇〇%とは申しませんが、これを抜きにしてまず平和の第一歩も踏み出し得ないのではないかというのが、お答えになるかどうかわかりませんけれども、御質問に対する私の考え方です。
  23. 源田実

    ○源田実君 大体こういう関係の、軍縮のときの思想そのものがちょっと間違いじゃないか。バランスという意味ですよ。バランスが安定につながるというのは、今考えてみれば、相撲でも梅・常陸とか、大鵬と柏戸、あれはバランスしておったからみんな大騒ぎしたのでしょう。片方が強いならあんな騒ぎは起きない。野球もことしのセントラルリーグがなかなかバランスして、みんな戦争を喜ぶでしょう、あれは。どれが勝つかわからぬ。うんと一つのやつが強くてあとはだめだと、だれも見に行かぬ、そうなればプロ野球はつぶれるのが当たり前ですね。それは非常に平和なのですな。プロ野球が盛んになると皆闘志を燃やす。あのバランスの思想は、非常にうまいやつがおるとこれの網の目を縫ってうまく勝つ、こういう思想が出てくると思うのです。バランスというような考え方で平和を求めていく、あれは根本的に誤りがあるのじゃないかと思うのです。  それで、もう一つここでちょっと申し上げたいのは、どうしても戦にならないというのを日本で示した例があるわけです。それはつくったのかもしれない。今のSDIの思想はここに置かなきゃいけない。というのは、牛若丸、あれと弁慶の、五条の橋の上で攻撃したのは弁慶だけなのです。幾らやってもやっても切れない。ところが牛若丸は、切れないからといってそれじゃ弁慶を刀を抜いてやっつけたかというと、やらない。かわすだけなのです。最後に参ったのは弁慶である。その弁慶が最後には、参りましたと。牛若丸はこれを殺そうと思えばできたろう。やらなかった。さわりもしなかった。しかし、その最後に弁慶が家来にしてくださいと言っているのです。その家来は、義経がどんな窮境に陥っても信頼がおける家来である。  この教訓というのを国際関係においても、相手を武力で押さえつけてやり直せということを言ったってだめだと思うのです。相手がどうしてもかなわないから自分で態勢を変えていく。そうすると、世界が自由な思想を世界じゅうに広げる。共産主義で自分らの哲学にみんなを無理やりに押し込もうとするから安定が壊れるのです。それだから、この牛若丸の教訓というのは私は非常にいい例、レーガンかだれかあれを読んだのじゃないかと思うのです。SDIは絶対に攻撃をやっちゃいけない。完全な防御だけに絞って、これに対しては私は日本も早目に協力すべきであるという考えを持っているのです。これは先生方いかがですか、どういうお考えか。
  24. 安孫子藤吉

    ○小委員長安孫子藤吉君) 桃井さん、どうですか。
  25. 桃井真

    参考人桃井真君) 短くお答えしますが、SDIについて我々等マスコミを含めて一つの誤解があるのは、御指摘のMADにかわるものというような言い方を例えばレーガンが最初の方の演説にやったのがそもそもの誤解でありまして、現在ではニッツ、その他の実際にそれの交渉に当たっている者も既に発表しておりますように、主としてこれからは研究開発でありまして、今後十五年ないし二十年たたないと実際にこれを展開できるか、使いものになるかどうかわからない。その間は今のまま報復核兵力は温存せられるわけであります。場合によっては、私の想像ですが、例えばアメリカで一部提案されているように、一つの弾に、ミサイルにたくさんの弾頭をつけるという方式をやめて、一つの弾に一つの弾頭という方に、ディ・マーブ化と言いますが、それをやろうかという案もあるくらいでありまして、むしろミサイルの数はふえるかもしれない。  ですから、その意味では見方によっては軍拡化は進んでいる。決してSDIになったからといって破壊兵力、報復兵力がなくなるというものではない、今後十五年ないし二十年間は、というふうに御理解願った方がいいのじゃないかと思います。できた場合には先生御指摘のように、双方ともやりにくいということが出てまいりますので、今の米ソ間に存在するような核戦争回避協定、これは七三年の六月二十二日にできた協定ですが、核戦争回避協定というものにプラスお互いに技術的にできないという状況が出てくると思います。だが、一番そのとき困るのはフランス、英国、中国というような余りたくさんのものを持っていない国がやれなくなってしまう。そうすると、今まで金をかけて一生懸命やってきたのが何になるのだろうかということが反対の意見になって今出てきているというふうに御了解願いたいと思います。  最後に、アメリカの中にもいろいろな議論がございます。ソビエトは一致して全部反対でございますが、アメリカの中でも反対、賛成論がそれぞれ分かれております。やや反対論の方が強いように私は感じますが、しかしそれもいろいろの立場を代表しておりますし、軍の中でも反対する者は、今まで持っておる自分の専門分野がなくなるとい うような心配があったり、あるいは産業界のいろいろな意見が反映されたりしておりますので、特定意見、あるいは特定の雑誌の一つ意見中心に判断するのは私はいかがかというふうに考えております。  私はあえて申し上げれば、日本としてはもう少し様子を見て、研究開発の動きを見て、既にアメリカの方でも一部のものはだめだ、例えばレールガンみたいなものは割と早くできるけれども、ほかのものはなかなかすぐできそうもないというような発表も出てきておりますので、ここ数年様子を見ておきますと、これに対してどういうふうな態度を日本政策としてとるべきかはもっとわかってくるだろうと思いますが、現状ではむしろ同盟というものをどう維持するかという観点から、あえて直接的なあるいは激しい反対をアメリカにするのは得策ではないのではないか。むしろやや協力的な態度でおって最終的な結論は先に延ばすというのが、ずるいやり方ではありますけれども、最も現在には適しているというふうに私は考えております。
  26. 源田実

    ○源田実君 実は、これは私の考えを申し上げるので、それについて御意見があればお知らせ願いたいと思います。  というのは、戦争前にこれと同じようなことに私はぶつかっているのです。というのは、昭和十一年、私が海軍大学校の学生であったときに、そのころの日本の海軍の戦略の中枢をなすものは戦艦であった。ところが、どう考えても、演習の結果から見ても何から見てもこれは戦艦はだめだ。だから私は論文で、戦艦をやめて、そうして潜水艦と飛行機の二つにしなさいという論文を出したのです。ところが、だめなのですね。戦艦をやめたら首になる者がうんとおるのです。これは確かに今のSDIをやれば、今まで長い間ロケットの大きなやつばかりをつくっておる会社は賛成するわけがないと思うのです。そういうものが裏に回っていろいろ工作をする、それによって動かされたら大失敗をやると。ソ連は今やっておるかやっていないかはっきりしないが、やっておるという情報もあるのです。ソ連が先にやったらもう自由諸国はそれこそ簡単にやられる、こういうぐあいに私は考えるのです。だから、自分らの得意でないものを着想を出すと大体反対は相当ある。アメリカにもそれはあったのです、戦艦の問題で。これは私の意見で、御意見があればそういうこともあると言われていいのですが、別に特に御回答を求める意味はありません。
  27. 安孫子藤吉

    ○小委員長安孫子藤吉君) どなたか御意見があれば。――格別ありませんか。
  28. 杉江栄一

    参考人(杉江栄一君) じゃ、一言だけ。  今の御指摘の点は、実はMIRVに絡まる経済的な問題がございます。MIRVの発表の仕方というのは私は大変異常であったと思うのです。従来アメリカの大統領が新しい戦略方針を出す場合に、先ほどお話しになったように、国家安全保障会議にかけてという手続がとられないままにいきなり演説で出されておるわけです。それはよくわかりませんが、背後にいろいろな圧力があったということは想定されます。そして実はMIRVというのはどうも資料を見てみましても、アメリカ自身が最終的に完成しないということ、したがって、例えばニッツ特別補佐官の発言に出てきますように中間システムでも配備するぞということを言われる。そうすると中間システムをどんどんやっていくということになりますと、これはアメリカの軍需産業にとって大変な利益になりますからこれを推進するという圧力が実はあったのじゃないか、そういう意味でも、未完成のままに中間段階になると非常に危険なことであると同時に、そういう圧力が加わるということ、それによって国家の政策がゆがめられるということは大変危険なことではないかというふうに私は考えております。
  29. 源田実

    ○源田実君 ありがとうございました。
  30. 黒柳明

    ○黒柳明君 参考人の先生方、本当に御多忙のところありがとうございます。  まず、四人の先生に共通して一問お伺いしたいと思うのですが、核軍縮あるいは全体的な軍縮の問題につきまして、我が国としまして何か中長期的にもっとこの影響が出るような発言なり行動というものを行う、とる余地かないのか、ないから仕方がないのか、あるいはあるけれどもやらないのか。  例えば、一昨昨日も衆議院で核軍縮廃絶の決議をしたわけであります。参議院でも当然やるかと思いますが、それにつきましても米ソの核交渉にそんなに影響を与えるものでないことはこれは当たり前でありますし、かといって、唯一の被爆国ですから核の脅威を言い続けていくところに日本の使命が、意味があるのだ。こう知っていながら、やっぱり一方核競争はどんどんエスカレートすると、これでいいのかなと、こんなことも感じますし、現実的に四先生方も核の脅威というものを改めてのように御指摘になりまして、その中において我が国軍縮に対する行動、発言というものが果たして今のままでいいのかな、何かできる、現実的なより世界に影響力を与えられる方途はないものかなと、こんなふうに感じます。  もし、地味だけれどもこういうこともやれるのだ、やった方がいいのだと、桃井先生の場合には核軍縮、それから通常兵器軍縮を含めてやった方が我が国としてメリットがある、あるいは八木澤先生も軍縮我が国がまず軍拡をしないことだと、こういろいろおっしゃっておりますが、私たちも立法府にいまして何とか何とかと思いつつ、野党の悲哀を感じながらも政府・与党に対していろいろ提言をしつつ歯がゆいものを感ずるわけであります。別に妙手妙案はないと思いますけれども、余りにも長く核軍縮の声はあり、叫んでいるみたいですけれども、米ソを中心にしての核軍拡の方がどんどん先行するようで、何かそこにお考えをお持ち合わせでないか、これが四先生に共通の質問であります。  それから桃井先生には、せんだって先生のところの新聞で、五カ国の方がお集まりになってINFのアジア版をやったらどうか、こんなような提唱を日本の参加者の方がやられておりましたですが、現実にアジアをめぐっての米ソの核の対決、脅威というのはもう現実問題ですが、こういう提案に対して先生はどのように御評価されるか、御意見をお持ちであるか。  それから高榎先生には、SDIも国会でさんざん論議しておりますが、全くわからないことを前提にということで、何かこう話がかみ合いません。しかし、このSDIの問題が米ソの核交渉に対してかえってエスカレートする方向に行っているのか、今のところソ連あたりがこのSDI構想に反発している、こう私は感触を受けているのですが、あるいはアメリカが優位に立ちますと米ソの核交渉がスムーズにいく可能性があるのか、将来を見通しましてこのSDI構想というのが米ソの核交渉をさらに分裂さしていくのか、あるいはまとめる可能性があるのか、方向に行くのか、その点お聞かせいただきたいと思います。  それから八木澤先生には、NPTの問題でも米ソが完全に利害が一致して、こういう条約を批准したわけでありますけれども、核競争でも決して利害が相反しているのではないのじゃなかろうか。経済的にもかかりますし、両大国ともこれ以上エスカレートして税金ばかり使うことは得策じゃないというふうには根底的には感じていると思うのですが、しかしながら、いろいろの疑惑があってエスカレートの方向に行っている。しかし基本的には、米ソも経済的な問題、あるいは現実的な核戦争に至る道を防がなきゃならないという基本的な考えでは一致している。にもかかわらず、NPTみたいな米ソ仲よくというわけになかなかいかないのですけれども、そこらあたり、根底的に利害が一致している核軍縮したい、何とか軍備費も軽減したい、さらに言うならば、核戦争は起こらないそういう方向にいきたいという利害が一致しているにもかかわらず、NPTみたいな一致した方向にいかない、そこが疑惑でもあり、また手探りの交渉ということもあるかと思うのですが、その点についてどのような見解をお持ちで しょうか。  それから最後に杉江先生ですけれども、ともかく核の脅威を教えていくのだと、こうおっしゃいました。私どもが知っている中では、日本の国連のあるNGO団体なんかが、国連から始まりまして核の脅威点を国連の各国のブランチとタイアップしながら、今確かに北欧方面で開きながら、接触する人というのはあるいは何千か何万かでしょうけれども、そういう意味では非常に経費もかかる、あるいは人力も使われていきます。むしろこんなことは政府の費用でやらなきゃならない問題ではなかろうかな、やるべき行動ではなかろうかなとこうも思うのですけれども、こういう地味な中でもやっぱり訴えていく、むなしいけれども叫びを継続していく。しかし、その叫び以上のこういう具体的な行動をとっていく、こういうことも政府がもっと先頭に立ってやるべきだと思いつつ、私たちも微力ですけれども応援しているという現実があるわけでありますが、こういう面について政府はどうすべきかというようなことを、お考えをお持ちだったらお聞かせいただきたい。  以上でございます。
  31. 安孫子藤吉

    ○小委員長安孫子藤吉君) 一般的質問と個別的質問があったわけですが、桃井参考人から順次お答え願います。
  32. 桃井真

    参考人桃井真君) 短くお答えします。  軍縮については、ほかの参考人からも指摘されましたように、三つ基本的に問題があるのですね。  一つは、ほかの外交交渉と似ておりますが、特に軍事の問題を扱う関係上、力関係によって協定の中身があるいは内容が実質的に決まってしまう。したがって先ほど御指摘のような、ワシントン軍縮条約のように五、五、三といったような比率になるとか、あるいはその結果として何が残るかといえば、どこかの国に不満が残る。これが何かの形でまた別な軍拡の方向に向かう可能性が出てまいります。  二番目は、技術が必ず取ってかわるという傾向がございます。したがって、例えば戦艦を規制いたしますと、今度は戦艦と言えないような巡洋艦的なものに戦艦と同じような大砲を載せるというような発想が生まれてくる。あるいは、ICBMの規制ができかけますと、今度は弾頭をMIRV化する、最近は、今度はまたディ・マーブ化といって多弾頭化しようというような動きにまでなって、つまり技術がそれを補っていくわけですね。  三番目は、ある特定兵器についての軍備管理協定最初からできましても、それにかわるものが生まれてくる可能性が強いわけであります。ICBMが脆弱になってきて、例えばそれについての協定ができれば、恐らくだんだん今度は潜水艦に搭載するミサイルに重点が向くというようなことになってくるのじゃないか。  したがって、こういうような難点がございますし、また、先ほど私が指摘しましたような、基本的にその協定に至るまでの定義の問題がいろいろございますので、実際の私のように現場に出ておりました者にとっては、アイデアだけじゃなくて、どうやって交渉するかということからいきますと、非常に難しい問題があるのにもかかわらず、私は、御質問の御要旨の、むしろ日本としてやるべきことといえば、より具体的な発想もそれなりに重要でありますが、それ以上に具体的に、必ず聞かれる、何を日本がしてくれるのかということに対する答えを出さなきゃいけない。これができるのは、私は技術ということを背景にした日本監視査察検証の面における技術的な協力及び要員の差し出し、これは海外派兵とかいろいろのそういう問題もあるいは出てくるかもしれませんが、それと違いますので、この辺はぜひ政治的な決断で要員を、それは軍事に非常に詳しい者でないといけませんので、そういう者を国際的なそういう機関に出すというようなことをまず日本が先に提案しておいて、そしてそれに伴って包括的な核実験禁止であるとかそういうような意見を出していかないと、ただアイデアだけ出したのでは、「それで」というような言い方をされてしまうということだけつけ加えます。  最後に、個別的な御質問のINFについては、この間の五カ国会議で出されたのは、日本のある学者が出したのでありますが、その要旨は、アジアINF交渉ということが可能でないかという趣旨でありましたが、これは残念ながら読売新聞自体の記者の会議報告が少し違っておりまして、したがってその後出た社説も少し違ったのでありますが、各国これに賛成したものではございません。私、実は議長をやっておりましたからあえて申しますが、アメリカは反対しました。中国は賛成も反対もはっきりさせません。ソビエトは半分反対、半分賛成であります。賛成した部分というのは、アメリカが巡航ミサイルその他を引き揚げてしまうならば我々はそれに応じてもよろしいという面。それから反対の面というのは、これは地域的なINF交渉としては無理だ、むしろグローバルな、今ジュネーブで行われているような軍縮交渉の中でやってほしいという意見でありますので、地域軍縮交渉としての一つの形のINF交渉がアジアで、関係国の間で行われることについて、世界各国というか、この五カ国の者が全部賛成したとは言いかねるわけであります。これは新聞からは申し上げにくいのですが、ちょっと報告が間違っておったと思います。
  33. 高榎堯

    参考人(高榎堯君) 今アジアの話がございましたけれども、私も毎日新聞にいまして一番気になっていたのは実はアジアの問題であります。ヨーロッパではいろいろな交流がありまして、いろいろな国の人がいろいろに複雑に流れ合いまして議論が行われ、いろいろな提案が行われ、例えばNATOの防衛をどうするのかということで議論もされている。アジアの場合はそういう話し合いの場が一つもない。そして、今参考人がいろいろ意見が分かれたというふうに申し上げましたが、一体それでは、我々の方からそういうことをまとめようとする努力を今までどれほどしたことがあるのか。ただ、こちらの方からそういう話し合いの場をつくろうという努力をしないで、話がまとまらないと言ってしまったのではしようがないのではないかというような気がするのです。  軍縮問題には、もちろん妙手というのはございません。先ほど先生がおっしゃったように、軍縮キャンペーンというようなことも非常に大事なことであります。軍縮は何も専門家がやることじゃなくて、みんながやることであります。軍縮が必要だ、核戦争は嫌だという意見が、それが通ればそれでよろしいわけです。ただしかし、具体的提案ということになりますと何がしかの研究をしなきゃいけない。こういう提案をすればどうであるかということを検討しなきゃいけない。しかし、それを検討する場が一体日本にはどこにあったのか。実はこういうことを言うのも変ですけれども、我々が、市民が利用できる研究所などというのは大体ないような感じがいたします。そして、そういう状態で具体的に何をすればいいかということを言われても、私自身も一市民としてちょっと答えかねる面もあるわけです。  それから、SDIがどうなるかということですけれども、これはホワイトハウスの考え方ははっきりしておりまして、米ソ並列配備ということをはっきりと最初から言っております。つまり、ホワイトハウスの一月のブリーフィングの資料を見ますと、ソ連の安全をも考慮して配備するというふうにたしか書いてあります。果たしてそれでいいのかどうかということがあります。  奇妙なことに、SDIというのは米ソ関係がデタントになればなるほど進むかもしれません。そういうことでしたら、非常にパラドキシカルですけれども。それでよろしいのでしょうけれども、しかし、仮にそうなった場合、今度また何年かたって米ソ関係が非常に政治的に悪くなりますと、今度は、その米ソ関係の危険度というのはもう今と比較できないような危険な状態になる。そして、SDIの配備がどうなるかということじゃなくて、実は日本としてそれをどうするかと考える、どうすべきか提案するということが大事だと思います。そのためには、先ほど申し上げましたような検討が必要なのですけれども。私は、大変 僣越でございますけれども、どうなるかということではなくて、どうするかということをまず決めなきゃいけない。そのためには、やはり多少の研究をしなきゃいけないというふうに思うわけです。しかし、日本としては、さっきおっしゃったように、軍縮キャンペーンということを世界的に広げるということが非常に大事でございます。  ちょっと答えになりませんけれども、よろしゅうございますか……。
  34. 八木澤三夫

    参考人八木澤三夫君) 第二次大戦後今日まで四十年間、世界各地で武力が行使された件数というのは、内戦やクーデターまで含めますと恐らく三百を超えるだろうと思います。注目すべきは、それらすべてが通常兵力、通常兵器によって行われたということでございまして、広島、長崎以後、実験を除いて核兵器は一回も使われておりません。事軍縮に関して、核兵器の廃絶が非常に強く叫ばれている、そのこと自体結構だと思いますけれども、私があえて言いたいのは、核兵器さえなくなればそれでいいのか。核兵器がなくなったらば通常軍備の大軍拡が起こるのじゃないのかということを申し上げたいと思います。  それから、順序はばらばらになりますけれども、SDIに関してちょっと申し上げたいと思うのは、今、米ソの核はどういう状況にあるかということです。一言で言いますと、もうどうしようもないほどの過剰生産だということです。つまり、攻撃兵器ではまとまった予算がもはや取りにくくなっているということです。だからこそSDIじゃないのか。  それともう一つ、ソ連のICBMをみんなたたき落とすとか落とさないとか言っているけれども、戦略核戦力は三本柱で構成されているじゃないか。ICBMだけじゃない、SLBMはどうなのだ、長距離戦爆はどうなるのだ、もちろんソ連の場合は長距離戦爆は非常にアメリカより劣っておりますけれども。  それと、これは先ほど省略しましたけれども、戦後の米ソの軍備競争の歩みをたどってみますと、一 つの際立った特徴が発見されます。それは、アメリカが常にソ連より数年早く兵器を開発し配備してきたことであります。そして、ソ連が追いかけてくる間、アメリカはより高性能の兵器の開発に取り組んでいる。ソ連がやっと追いつきかけたころアメリカはその新型兵器を配備する、ソ連はまたふうふう言いながら追いかけるという、常にアメリカがソ連に向かって、ここまでおいでと引きずってきたことの繰り返しであったという事実、これは事実によって論証することができます。ICBMしかり、ミサイル原潜しかり、MIRVしかり、それから巡航ミサイル、また今度はSDIで引っ張ろうということですね。戦略爆撃機や本格空母に至ってはソ連とアメリカを比べることすらどうかと思うくらいであります。それにもかかわらず、ここ数年間だけを取り上げてソ連の軍事力増強が軍拡ムードの原因だとするのは、私は事実誤認であると考えております。  軍縮に反対する勢力が最後に逃げ込む場所は内政なのですね。国家安全保障に必要な軍備を整えるのは一国の内政問題であって、他国から口出しされる筋合いはない、こうくるわけなのです。内政問題だということになれば、その国の国民がどう考えるかが重要な要素になると思います。アメリカは国民がレーガン政権を支持しているわけです。その背景には、もちろんベトナム戦争がああいう決着の仕方、その後にイラン大使館人質事件、これが非常に大きかった。その一カ月後にアフガンが起きているわけです。それから、ソ連の場合にはああいう特殊な政治、経済、国家、社会体制でありますから、これはすぐどうこうしようがありません。とにかく、最後に逃げ込む場所が内政だということになれば、国民がどう考えるか。  そうしますと、私は一九六七年から三年近くジュネーブにおりまして、御承知のように、日本の新聞社は軍縮問題が好きですので、私のジュネーブにおける最大の仕事は軍縮委員会のカバーだったわけであります。私がジュネーブにおりますときに日本が加入しまして、朝海大使の初演説、加入のそれも私この耳で聞きましたけれども、その直前に、インドのフセイン大使がこういう演説を軍縮委員会でしているのですね。日本加入の直前です。我々に託された最も重要な課題である全面完全軍縮は少しも進んでいない、核兵器不拡散条約のようなとまでは言っていないのですけれども、要するに彼が言おうとしたのはそれですね。付随的措置によって軍縮があたかも進展しているかのような幻想を抱かせているが、それは非核保有国核兵器を持つことを禁止するだけの予防的措置でしかなく、核保有国が既に持っている核兵器には全く手がつけられていない、これが一九六九年の春であります。  そして、日本の加入が認められて、当時国際機関代表部大使であった中山賀博大使が、この各国大使に表敬訪問をしたわけです、よろしくということで。そのときにフセイン大使が中山大使に言ったのは、自分の演説のテキストをたしか渡して、もうすべて言い尽くされている、ジュネーブ軍縮委員会では軍縮に関するあらゆる問題が論じ尽くされている、もう言うことがなくなっているのだということを語っているわけです。  それから十六年たっているわけです。なぜその間軍縮が進んでいないかに関しては、私、先ほど二十五分間与えられた時間でそのごく概略を申し上げたわけですが、私は、黒柳先生の御覧間に対してお答えできることは、やはり繰り返しでしかない。日本自身軍備増強をしないことが、軍縮に関して現在の日本ができる最大の貢献である。核兵器だけ廃絶されればそれでいいのか、そうではないはずだということを申し上げて終わりにいたします。
  35. 杉江栄一

    参考人(杉江栄一君) 第一の問題につきましては、黒柳先生がおっしゃったようにそういうマジックのような手はないと思います。しかし、そのことは決して行き詰まりということではないのでありますが、一番大事なことは軍縮についての、それから核軍縮だけが重要なのではないかもしれませんが、考え方をはっきりさせることだ。それは端的に申しますと、核抑止という思想を前提にする限り私は軍縮への突破口はあり得ないのじゃないかというふうに考えております。だからといって、じゃここで日本は抑止をやめると宣言すればそれで事足りるというものではもちろんありません。このことは逆に言いますと、つまり抑止ということを前提にしながら、その体制にしがみつきながら幾らどんな提案を繰り返してみても、それは結局は軍備管理の繰り返しになってしまうのではないかということです。だから現象的に外観上軍備管理と非常に似たようなそういう措置であっても、基本的に抑止を否定するのだという思想がある限り、それは一つの前進をかち取ることができるのではないだろうかと思います。  これは具体的に申しますが、例えば先ほどから議論になっております核実験全面禁止協定、この核実験全面禁止協定ができないのは検証が難しいからだと言われておりますが、本当の理由はそうではない。本当の理由は、全面禁止になれば現実に核抑止を支えているところの核兵器体系というものは次第に古くさくなり、劣化し、信用がおけなくなってくる。つまり、核抑止体系というものを維持していくためには全面的な核実験禁止はやってはいけないということになってしまいます。そこで、もし全面的核実験禁止をやるときは少なくとも今日国際社会では、これは中小諸国家ですけれども、圧倒的な世論になっておりますが、この世論を培って全面核実験禁止をもしできるとするならば、これは抑止を否定する一つの一歩になるのじゃないか。  同じことは、それは非核化地域の問題についても言えると思います。非核化地域が、これはきょうは話が全く出ませんでしたけれども、大変重要だ、同時に非常にやることが困難であります。だから、重要だということはなぜ重要かというと、この非核化地域という考え方の中には抑止を否定しようとする考え方が働いているからです。それは例えばラテンアメリカ非核化条約の附属議定書の第二議定書、これはラテンアメリカ地域の国に 対しては核兵器を使用しないということが第二議定書に明確にされております。これは核兵器大国も認めております。ただ、ラテンアメリカが米ソの核戦略の中心的な位置にないということがそれを可能にしたのだという意見はあるかもしれませんが、しかし、そこには抑止の否定の思想があるからだと思います。  同じように私たちは太平洋の問題を、つまり日本を含めた太平洋の問題をもっと重視する必要があるかと思います。実は私、先ほど気がついてこの資料を持ってくればよかったと思ったのですが、去年でしたか、元ストックホルム国際平和研究所のウィルクスさんという人と話を、いろいろ議論したことがあるのですが、そのときにウィルクスさんが、核実験あるいはミサイル実験、核貯蔵、そういうようなものを全部指標にしましてヨーロッパとアジアと比べてみると、太平洋の方がはるかに多いという事実が出ております。つまり、太平洋というのは言ってみれば米ソの核のせめぎ合いになっているということです。それだけに太平洋をいかに平和の海にしていくかということを私たちはよく真剣に考えなければならないというふうに思います。いずれもそれは抑止という思想を前提にしてこれだけのことをやっても役に立たないので、抑止を否定するようなそういう政策体系というものをぜひ国会はお考えになっていただきたいというふうに思います。  それから第二の問題は、私の受けた問題ですが、確かに御指摘のように、核戦争の本当の危険性を広く知らせるのは私は各国政府の責任だと思います。そのことは第一回目の国連軍縮特別総会の最終文書の中にうたわれています。各国政府は誤った情報を知らせない責任と正しい情報を国民に知らせる義務を持つ、これは確かに法的拘束力はないかもしれないけれども、そういうことをうたっております。したがって、やはり日本の政府が核の実相について国民に知らせ、かつ諸外国にもそれを知らせる責任をおとりになること、そういう行動を始められることが私は何よりも重要ではないかというふうに思います。  あと長くなりますから、そのくらいにしておきます。
  36. 上田耕一郎

    上田耕一郎君 どうも各参考人方々ありがとうございます。共産党の上田です。  まず、桃井参考人にお伺いしたいのは、ジェネラル・コンプリート・ディスアーマメント、GCD、これはなかなか実現不可能だとおっしゃって、これは私どもも立場は違いますけれども賛成なのです。帝国主義がある限り軍備撤廃というのはなかなかそう簡単にはできない、究極理想として賛成ですけれども。  桃井参考人は、GCDは無理なのだが、軍備管理危機管理の問題は重要だというふうに言われたのですけれども、私はちょっと飛躍があるのではないかと思うのは、GCDは当面なかなか難しいとしても、核兵器、核軍備、それから通常軍備をともになくすというのではなくて、核兵器の廃絶ですね、核軍縮を最優先にするということが非常に緊急の課題だと思うのです。七八年の第一回軍縮特別総会の最終文書でも、核軍縮最優先ということがうたわれています。先ほどから何回か出ました四人の、アメリカの四人組とよく言われますけれども、あの中のジョージ・ケナンなんかも、核兵器をなくして通常軍備中心にした軍備を今や考えるべき時期に来たという論文なんかも書いております。かといって、大国軍備というのは核兵器中心に組み立てられているという点で、核軍縮最優先、それから核兵器をなくすこと、そういうことの専門家としての現実可能性、ここら辺どうお考えになっているか、お伺いしたいと思います。
  37. 桃井真

    参考人桃井真君) 私は、核廃絶ができるならばそれは非常に結構なことでありますし、それから同時に、化学兵器なり細菌兵器も同じようになくなっていく方が望ましい。それから、究極的には各国がそれぞれ自分の国の安全保障に必要だと思われる最小限の抵抗力というようなものは保持するという状況になってくればいいと思いますが、核廃絶あるいは核軍縮という言葉をここであえて使いますと、それをやるのは核兵器保有国でありまして、先ほど何人かの参考人も指摘しておりましたが、よその国が、つまり持っていない国が幾ら叫んでも、彼らがやらなければどうにもならないというのが実は現実なのでございます。  これは私の個人的な経験でございますが、先ほど申し上げた非核地帯設置委員会に出ておりましても、米ソの二つの国の大使は自由に席に座れるときにいつも隣同士に座りまして、お互いでふだんささやき合って、我々が何を言おうと余り聞いてくれないみたいな、悪い、卑近な言い方をしますと、核兵器を持っているおれたちしかわからないのだからみたいなところがあるのですね。これが外交現場でありまして、だから我々が幾ら叫んでもだめだというふうに私はあえて申しませんが、聞いてくれない。彼らが聞いて実際にやるのには、彼ら自身核兵器にかわる自分たちの安全保障を図れる方法を発見したときじゃないかと思うのです。それがもしも、例えばSDIであるならばそれはそれで結構ではないか。あるいは在来兵力の増強ということであるならばそれはそれで結構ではないかと私は思います。  我々、つまり日本として最も重視すべきことは、米ソが戦略核兵器を減らしたところで、それがすぐそのまま我が国安全保障によりプラスになるかというと、これはちょっと私は疑問があるのです。米ソはお互いに戦争をなさらない、それは結構です。お減らしになる、それも結構です。しかし、一番減らしてもらいたいのは日本に直接脅威を及ぼすような中距離の核兵器、さらには船に積んだいろいろな核兵器、あるいは航空機に績んだ核兵器というような、いわば非常に大ざっぱな言い方をすればやや戦術的な核兵器能力でありますので、相手に要求するときもどうぞ戦略兵器はお考えになってください、しかし、早急にやっていただきたいのは周辺諸国、特に核兵器を持っていない国に対して脅威を与えるような兵器体系については核軍縮か、それができなくても展開の制限くらいはしていただきたいということを要求していく方が私は早いのではないかと思いますので、全く無意味だというふうには私は考えておりません。
  38. 上田耕一郎

    上田耕一郎君 次に、八木澤参考人にお伺いしたいのですが、戦後の軍縮交渉の歴史ですけれども、私は三つの段階があったように思うのです。最初、原子力委員会中心核兵器廃棄が問題になって、バルーク案とグロムイコ案が対立して、これがまとまらないので、次に軍縮委員会をつくってやっていく。お話の六〇年からの国連切り離しの十カ国ないしは十八カ国の軍縮委員会に移っていきますね、これからもう第三段階になったように思うのですが、第三段階に導いた大きな原因は、例えばノエル・ベーカーなんかも五五年の五月十日のマリク提案の日を希望の瞬間と言って、嘆いているのだけれども、それがだめになったのを。あのときのソ連のマリク提案というのは、譲るべきでないものまで譲っているというふうに私は思いますけれども、それにしても西側があれを全部のんでしまった。  そうすると、アメリカはのまれると困るので、あの時期にそれまでの国連での提案を全部棚上げ、保留しまして、あのときのアメリカの五五年八月の態度表明では、もう核兵器をなくすというのはだめなのだ、無理だ、むしろ核兵器というのは平和に必要なので、これからは軍備管理部分措置だという態度表明をして、それがお話の十カ国軍縮委員会、十八カ国軍縮委員会に移っていって、部分措置あるいは米ソ交渉でのSALTI、II等々にいったと思うのです。だから、我々はその点五五年以後約三十年間、国連でも、二国間米ソ交渉でも、国連第一号決議にあった核兵器完全廃棄が結局もう議題に三十年間全く上ってこなかった、ここが大問題だというふうに思っていまして、その点では一月八日のシュルツ・グロムイコ共同声明で、今度の交渉で究極的にはあらゆる分野核兵器廃棄ということを目標にしたことを三十年ぶりの米ソの合意として非常に重視しているのですね。  その点でお伺いしたいのは、NPTに対する評価その他は大変参考になったのですけれども、今度の三月十二日からのジュネーブの米ソ包括交渉も、第三回目のNPTの再検討会議、ここで第三世界非同盟諸国から責められるのを防ぐためだ、その点では第二回と同じだというふうにごらんになっておられるのだが、ちょっとそこは今度の核兵器完全廃棄を三十年ぶりに目標にして、いろいろ問題はありますけれども、それで始まった米ソ軍縮交渉という新しい非常に重要な意義、その点がちょっと抜けていくのじゃないかというように思うのですが、御意見をお伺いします。
  39. 八木澤三夫

    参考人八木澤三夫君) そのNPT再検討会議準備委員会がすべてだとは私も思いませんけれども、核兵器の廃絶という字を入れたのも私はやはり秋の再検討会議、それから準備委員会をにらんでのこと、それがすべてとは言いませんけれども、やはりそれが頭にあったという気がいたします。  それから、例えばお配りしました資料の表1で左側の上ですけれども、八一年一月にレーガン政権が発足して、その年の十一月にINF削減交渉が開始された、翌年六月にSALTがSTARTと名前を変えたけれども開始された。しかし、それが八三年になって両方とも相次いで打ち切り、あるいは休会に入ったですね。これも、結局はアメリカの場合には大統領選挙が終わるまでは動きようがない、だから米ソ合意の上で私は打ち切ったというふうに見ています。それは米ソだけが第三者をまじえないところで話し合ったことですから私も断定はしかねるけれども、三年足らずの短いジュネーブの経験からするとそう考えるのが一番私にとっては合理的であり、うなづけるのです。  米ソはけんか別れしたのではなくて、話し合いの上で延ばしたのだ。それが三つとも今度の一月八日の包括的核軍縮交渉の中に入っているのです。宇宙の方、それからINFも、STARTも、三つきれいに入っている。やっぱり、じゃないのかなというふうに考えます。ですから、核兵器の廃絶ということをとらえて、今、上田先生のおっしゃったそういう見方は忘れてはいけないと思うし、大事なことだと思うけれども、米ソのこれまでのやり方からすると私はどうしても裏を見てしまうのです。勘ぐってしまう。そちらの方に私は重点を置き過ぎたかもしれませんけれども、これからやはり一年ないし二年たってどうか。この秋のNPT再検討会議、八月二十七日から九月二十日までですけれども、これが終わって、さてアメリカとソ連が実際にどういう行動をとっていくだろうか、それを私は見守りたいというふうに考えております。  それから、私の先ほどの、軍縮討議の場から、少なくとも明らさまな米ソ対決の様相が消えたのは云々というあの軍縮交渉のごく概略ですけれども、それははしょっておりまして、米ソがジュネーブ軍縮委員会で手を握り合ったという点に比重を置いて御説明申し上げたので、今、上田先生のおっしゃったような経過はそのとおりであります。
  40. 上田耕一郎

    上田耕一郎君 高榎参考人にお伺いしますけれども、高榎さんが今度の米ソ交渉の問題、核兵器廃絶の問題を非常に重視されていることを私、大変共感するのです。それからレーガンの核廃絶の訴えですね、これも非常に熱烈な調子が何回もありまして、かなり数回発言しているのですけれども、そこで一つお伺いしたいのは、レーガンが最初核兵器廃絶を述べたのは、これは八三年三月二十三日のスターウオーズ演説なのですね。そうしてみると、レーガンが核兵器廃絶を言い始めた裏にはSDI問題というのが意識にあったのじゃないだろうか。二月二十日のポール・ニッツ演説では、桃井参考人も触れられましたけれども、もう二十一世紀の課題で、核廃絶できないかもしれぬ、当面十年で移行期が数十年と言っています。高榎参考人のそのレーガンの核廃絶の訴えとSDIとの関係ですね、これをどうお考えになるのかが一つ。  それから、もう一つ、レーガンの方は熱心だが、ソ連の方はどうもとおっしゃったのですが、我々も何もソ連を弁護するつもりはございませんけれども、少なくとも私どもの宮本議長と亡くなりましたチェルネンコ書記長との去年の十二月十七日の日ソ両党の共同声明では、核兵器全面禁止、核廃絶を人類の死活にかかわる緊急課題だ、これを世界政治でも、国連の場でも、二国間交渉でも第一義的な課題としてあらゆる努力を払うという、そういうかなり熱烈な声明で合意しております。それから一月八日のグロムイコ・シュルツの共同声明でもソ連の努力もかなりあったように思うのですね、核兵器廃絶を打ち出したのは。その後もちろんいろいろ見ていると、均衡論も出てくるし、段階論も出てくるし、必ずしも一貫していない面もあるのですけれども、そこら辺の米ソの意思ですね、ワルトハイム事務総長の「核兵器の包括的研究」でも、結局超大国の政治的意思の欠如が問題だ、だから世論の同意が大事だということを強調しているのですけれども、そこら辺の米ソの態度について御意見をお伺いしたいと思います。
  41. 高榎堯

    参考人(高榎堯君) 大変難しい質問でどこまでお答えできるかわかりませんけれども、米ソがやらなければ何もできないのだという意見もございますけれども、私はそれはおかしいと思います。地球は全部の人間のものであります。四十七億の人間が住んでいるのが地球であります。米ソはその中のたかだか数億にしか過ぎません。地球は米ソのものじゃありません。したがって、米ソがどうあろうと我々は彼らにどういうふうに影響を与えるかが問題であります。現に与えたわけです。八〇年代からの欧州のあの核兵器に反対する動きというのは、これはもう決定的な影響を与えたと私自身は考えているわけです。これは一九五〇年代にはやはりそういう時期は一つありましたけれども、このときは二つの国の戦力の開きというのがあんまり大きかったために、片方の側が何とか均衡をと、いろいろ政治的な動きもあったようですけれども、そんな時期はとっくに過ぎまして、今や核兵器そのものが人類にとって脅威になっているわけです。  そして、欧州の昨年の動きなどを思い出すのですけれども、要するにもうおれたちは核兵器はたくさんだ、アメリカ、ソ連はたくさんだと。欧州にとって初めて戦後中立的な動きが出てきたわけです。もっと極端な話、欧州自身核兵器に対して関心を示し始めたという話まで昨年聞きました。そのことが米ソを動かしてしまったと私は考えているわけです。それは反核運動じゃなくて、欧州諸国の、例えばその最も極端な例が、昨年東西両ドイツの大きな接近への実りがありました。ああいう動きは結局米ソを交渉に引き込んだ最大の理由であると私は考えているわけでして、米ソがどうするかじゃなくて、米ソにどうさせるかが我々の仕事で、そのために我々はここにいるのでありましてね。そして、さっき先生おっしゃいましたように、最近ほど核廃絶という言葉が私たちの口から軽く出るような時代はないわけです。今まで核廃絶というと非常に特定意見みたいなことに考えられまして、何か夢物語、理想的というようなことになりましたけれども、今やもう核廃絶ということが米ソ両首脳の口からはっきりと出てくるようになりました。  レーガン大統領のあの三月二十三日、御指摘になりました演説ですけれども、これも現在の核戦略というものの非常な脆弱さということを本当にひしひし感じて、大統領自身がいかに子孫とか現代のアメリカの市民の安全を考えておられるかということを私は非常に感じたのです。それならばしかし、何もSDIという技術的な手段を経過しなくとも、ほかの方法で核廃絶にもっと早く近づく方法があるのじゃないだろうか。そのことについては今まで、例えば科学者のバグウオッシュ会議にしろ、いろいろな会議でいろいろな提案をもう何十と出しておりますね。そういったことを考えて、もう少し米ソに何とかということじゃないかと思うのです。
  42. 上田耕一郎

    上田耕一郎君 私も全く高榎さんと同じ意見で、レーガン大統領が言い出したのも、これは八一年秋のボン以来の世界的な反核運動ですね、あ れはアメリカにも広がりましたけれども、あの世論の圧力がああいう形で生まれたのだろうというふうに一番思うのです。  それから、もう時間もありませんので最後に杉江参考人にお伺いしますけれども、そういう核廃絶の世論が広がり、アメリカもソ連も問題がありながら核兵器全面禁止、廃絶を三十年ぶりに言い出したという新しい情勢のもとで、杉江さんが言われた、核の冬の危険が米ソを含む科学者から言われていると。SDIについても、アメリカのマサチューセッツ工科大学の名誉総長のウィズナー博士、アポロ計画のリーダーだった方が、SDIでもオゾン層の破壊で今度は核の夏という言葉まで出ていて、大変人類絶滅の危険があると言われているわけです。やはり核兵器廃絶のためには核兵器廃絶の国際協定を結ぶことが一番必要だと思うのです。  その際やはり、私も国会で質問すると、中曽根首相は検証問題を持ち出すのですね。ところが、米ソ外相の声明についてのレーガン大統領の記者会見を読むと、レーガン大統領も、削減をだんだんしていくと、どれだけ減ったかという数を教えることの検証よりも、全部なくすことの検証の方がはるかに容易だ、つまり、あるかないか、その検証の方がはるかに容易だということをレーガン大統領も言っているのです。今まで検証査察で問題になったのは、つまり核廃絶のときの検証査察でなくて、軍備管理ないしは部分措置検証だったためにいろいろな問題があると思うのです。完全になくすという際の検証は一層レーガン大統領の言うように容易なのじゃないかというように私も思うのですけれども、その点最後にお伺いしたいと思います。
  43. 杉江栄一

    参考人(杉江栄一君) 実はそれも大変難しい問題でありまして、検証の問題はかなり技術的な面を含んでおりますので、ちょっと簡単に言えない問題がたくさんあると思います。ただし、おっしゃったように、つまり過程を検証するのとそれからゼロになくしたものを検証するのとでは、ゼロの方が検証としては容易ではないかという議論は十分あり得ると思うのです。ただし、私たちがそれから先考えなきゃならない問題が幾つかあると思うのですが、一つは、仮に核軍縮が達成されたとしても、核の知識はなくならないわけですから、これを人類がどのように将来――かつてこれは国際管理というふうに言われたのですが、管理していくのかという問題は一つ残るだろう。  それから核廃絶にしましても、もちろん、恐らく戦後四十年の歴史の中で核廃絶の可能性が最も強くあらわれた時期であるというふうに私は今思っておりますが、それにしても具体的にやっていく場合一つの手順がどうしても必要になってくるだろう。そうするとやはりこれが検証問題ということで、そう私は軽視できないのではないかというふうには考えます。そのことは、実は検証というものが常に軍縮を妨げる一つの口実としてしばしば使われてきた。そのことは私は大いに批判の目を向けなければいけない。けれども、その検証問題というのは非常に簡単なはずだというふうに簡単に片づけられるかどうかという点については、私は検証問題の完全な専門家ではありませんけれども、若干の疑問は持っております。  ただ、現実には今核兵器を完全に廃絶しようと思いますと、これを一カ所に集めてみる、これも私の専門外なのですけれども、一カ所に集めてみると実はそう量的には大したことないわけです。これを仮に原子力発電に使うといっても、これは大した効果は実はないわけであります。したがって、技術的にかなりやりやすい方法というのは、本当に核大国あるいは世界が核廃絶をやるのだというふうに決意してそのテーブルに着いて話し合いが進むときには、検証問題というのは恐らく重大な障害にはなり得ないのではないかというふうに考えております。
  44. 上田耕一郎

    上田耕一郎君 もう時間が過ぎたのでちょっと一言。  SALTI、IIも、それからABM制限条約検証は自国の手段でということになっているのですね。あれは衛星その他なのでしょうけれども、先ほども違反を防ぐことが検証の一番重要なことだと言われた。例えば核廃絶協定ができたときSALTI、IIなどのように自国の手段でということもあり得ますか。あれはまたちょっと違うのですか。
  45. 杉江栄一

    参考人(杉江栄一君) 全然あり得ないとは思いませんが、国連では現在検証について人工衛星を使った検証方法の検討なども含めておりますから、むしろ検証、とりわけ信頼醸成のためにも私は検証方法については、これは日本の場合も積極的に貢献できるところと思いますけれども、検証方法技術的開発について協力することがかなりできるのじゃないかというふうに思います。  それともう一つ検証について重要なことは、この核兵器軍縮の問題に強く踏み込まないで延ばせば延ばすほど新しい技術体系ができてくる、新しい技術体系ができればできるほど検証は困難になるということです。例えばMIRVの例がそうですし、それから巡航ミサイルの中に核弾頭があるのか通常弾頭なのかということは外からわかりませんから、どうしても現状査察が必要である、あるいは分解が必要であるというような問題が出てきて、おくれればおくれるほど検証は難しくなる。ちょっと表現としてまずいかもしれませんが、急げば急ぐほど検証の問題を解決する道は発見できるのじゃないかというふうに思います。
  46. 上田耕一郎

    上田耕一郎君 終わります。
  47. 関嘉彦

    ○関嘉彦君 民社党の関でございます。どうもきょうは各参考人ありがとうございました。  まず、最初桃井参考人にお尋ねしたいと思いますけれども、先ほどちょっと言われました国際会議出席されてドブルイニンソ連大使がオンザスポットインスペクンョンをやってもよろしいというふうなことを言われた、聞いたということを言われました。これは私は大変新しいニュースじゃないかと思いますが、その会議の列席者はどういうふうな受け取り方をしていたか、単に冗談として聞いていたのかどうか、それが一つ。  それから二番目に、私は軍縮会議は大いにやる必要があると思いますけれども、どのような方法によってそれを達成するかの方法が大事だと思うので、そのためにはやはり、自由陣営諸国が団結しているということが今度のジュネーブ会議なんかにソ連がテーブルに戻ってきた一つの大きな理由じゃないかと思います。その意味において、自由陣営の団結を崩さないということが私はやはり軍縮のための一番いい方法じゃないかと思いますけれども、その点についての御意見と。  それから三番目は、これは各参考人もし御意見がある方があれば皆さん全部にお伺いしたい問題ですけれども、緊張緩和がなければ軍縮はできないと思う、たしか八木澤参考人も言われたと思いますけれども、軍縮があって緊張緩和があるのじゃなしに、緊張緩和するから軍縮ができるのだ、その緊張緩和をもたらす方法としてアジアにおいてヨーロッパにおけると同じような信頼醸成措置というふうなものが考えられるかどうか、その可能性があるかどうか。少しでも緊張を緩和するために何か信頼を醸成させるような方式が、措置がとれるものかどうか、そのことをこれは各参考人で御意見のある方にお伺いしたいと思います。  それから高木参考人、毒ガスの話をされまして、確かに第二次大戦において毒ガスが大体において使われなかったということが言えると思いますけれども、イラン・イラク戦争なんかでやはりイラクが使ったのではないかというふうに言われております。これはもしイランの方に同じような毒ガスがあれば報復を恐れて使わなかったのじゃないか。しかし、イランの方にそれがなかったので使ったのではないか。してみると、やはり検証ということが必要ではないかというふうに考えるのですけれども、その問題をいかがお考えかということ。  それから、八木澤参考人のNPTを非常に冷めた、あるいは非常にリアリスチックに裏から見ておられる話を大変興味深く感じたのですけれども、特にそれが米ソ超大国によるそれぞれの陣営 内においてリーダーシップを確保し、米ソ双方によるヤルタ協定による勢力圏分割を固定化するものであると。私は、確かにそういう面があると思いますけれども、しかし、かといってやはりあれがあることが多少なりとも米ソ間の緊張激化を避ける意味においては役立ってきているのではないか。もちろん、我々としてはそういう状態に満足するものじゃございませんけれども、マイナスの方面だけを強調されたような気がするのですけれども、その点について御意見をお伺いしたいと思います。
  48. 桃井真

    参考人桃井真君) 短くお答えいたします。  第一点のドブルイニン駐米ソ連大使の発言は、五月十三日にアトランタで五日間にわたって開かれた会議最後の日でございますが、カーター前大統領とフォード元大統領の両方が共同司会でやりました、研究会三日間、公開討論二日間というおもしろい会議でございました。米、中ソの両方の代表が、これは政府代表でございますが、参加してやった会議としては初めてであります。日本からも、私のほかに新関元駐ソ大使が参加されました。そのときの最後のときでしかも公開の場で、テレビの前で大使がこの発言をしたわけです。  発言をした動機というのは、アメリカのナン上院議員が非常にしつこく何度も違反の問題を出したときに、ドブルイニンさんは最初には、あなたの意見はすべてアメリカの新聞のよくいうメイビー、かもしれぬ、あるいはイッツ シームス ツー ビー、のように見えるというような推測の議論ばかりであるから、そんなに言うなら、あなたは我々のところに来て実際に見たらどうだという発言であります。これはほかにも書きましたので正確に伝えているつもりでございます。ちょっとそのとき、一瞬みんなシーンといたしまして、これは重大な発言で、今までソ連大使というようなポストにある方がそういうことを言われたことはないし、オンザスポットインスペクションというのは非常に大事な問題であったわけですので緊張しまして、新聞、テレビ関係は翌日あるいはその夜、アメリカでほとんどの大新聞その他が報道しましたし、一部日本でもそれを共同通信経由で報道したものがあると聞いております。  もしも間違っていたり、あるいはその場限りの発言であるとすれば、彼は後で訂正する余裕がありました。しかし訂正をいたしません。新聞を読んだ後でも訂正をしておりません。また、御案内のとおりソビエト中国というような国の大使は公開の席で、しかもテレビの前でしゃべるようなときは、恐らく本国の了解がある程度なければできないのではないかというのが国際通念でございますので、その意味ではこれは相当、むしろ深刻というか、いい意味で深刻に取り上げていいのではないか、軽々しく言ったのではないと私は理解しております。多くの人もそうでありますし、たまたまその後私が新聞のためにやりましたカーター、フォード大統領との話のときでも、それは御両人ともそういうふうに理解しておられます。今後それがどう発展するか、これは別問題でございます。  また、この間、先ほども御質問にもあったのですが、五カ国の国の集まり、このときにも中ソ両方の学者が集まりまして東京でやりました会議、そのときに、別な座談会でその問題を出しましたが、ソビエトの代表であるチフビンスキーという外務省外交研究所の所長は、否定も肯定もいたしませんでした。したがって、非常に特別のケースとは思われますけれども、こういうことを口にするような雰囲気にソビエトがなってきているというふうに解釈してもよろしいのじゃないかと思うのです。  それから、後の問題について私の方の考えだけ申し上げますと、これはどうやってやっていったらいいかという方法については、確かにおっしゃるとおりに、自由主義諸国のまず政治的な団結が非常に大事だろうと思います。それからもう一つ大事なことは、技術的に協力し合うということではないかと思うのです。具体的な案を出さなければ軍縮というものは前進しない。ましてや軍備コントロールも前進しません。それに一番いいのは、先ほど上田先生から御指摘があったような国単位の、ナショナルミーンズと言いますが、国単位による検証というシステムは、例えば地下実験の探知のためには、日本には地震のいろいろな探知する技術はありましても、これをソビエト内の探知あるいはまた逆に言えばアメリカの国内でやる探知についても、これは約五十カ所くらいに探知網を置きませんとできないことでありますので、したがって一国ではとてもできない。  例えば、ソビエトを相手にする場合にはノルウェー、スウェーデンその他の国も一緒になって、あるいは中国も一緒になってやらなければいけない。あるいはアメリカの中で起こることを探知するのにはラテンアメリカ諸国もカナダも一緒にならなければ無理じゃないかという問題がありますので、そういう政治的な団結のほかに技術的な協力ということが私は具体的に必要じゃないかと思われます。  後の方の問題については、あとこちらの方からいろいろ回答があると思いますが、私はCBMについても、例えば国際会議等で発言しますと、必ず日本の学者、特に外交関係の方からはプロソビエト的な発言をするなというようなおしかりを受けるわけでありまして、何かこのCBMというものはソビエトのお偉方が何回も言われた、タシケント発言その他で言われたためもありまして、ソビエトの宣伝に乗ることだというふうに考えられておりますけれども、実はこれは、そもそもこれを言い出したのはアメリカでありました。ケネディ時代にゾンネンフェルトという安全保障関係の補佐官がおりました。彼がたまたま最初にこれを考えたわけです。それがヨーロッパの方の安全保障会議に利用されて、そしてソビエトがそれに乗ったわけでありまして、それとは逆に、返す刀というのはちょっと言い方が悪いのですけれども、アジアにもそれを適用したらどうだというようなことを言い出したわけです。  ですから、その意味ではソビエトのそういうアプローチは最初の今の問題とも関連しまして、ソビエトの投げたボールというものは私は受けて、ある程度返していったらどうだという考えでございます。しかし、これはソビエトの宣伝に乗るものだという意見もまた別にあることも承知しております。ただし、あくまでアジアはヨーロッパと違います。戦略環境が例えばヨーロッパの場合には空と陸上が主でありましたが、こちらは海が主でございますので、海のことについてお互いにオブザーバーの交換なり、その他いろいろなことをやろうとしても難しい面がございます。そのことは承知しておかなきゃいけないわけですが、例えば演習の通知であるとか、海峡の通過であるとか、あるいは潜水艦の行動範囲であるとか、その他いろいろな具体的な問題について連絡し合っていただくことはそんなに悪いことではないのじゃないか。  信用がないのに信頼醸成なんというのはインチキじゃないかという議論もあるのですが、それは逆じゃないか。ないからこそ少しでも信頼を醸成する措置をとるべきではないか。現に我々がもやもやしている間に朝鮮半島では南北でそういう信頼醸成措置をとろうとしているわけです。ですから、そういうものに日本は乗りおくれるというのはちょっと言い方が変でございますが、そういう一つの流れには注目していかないと、ソビエトは全然信用できないという言い方ではまずいのじゃないかというふうに私個人では考えております。
  49. 高榎堯

    参考人(高榎堯君) 高榎でございます。  信頼醸成措置につきましては、欧州で例えば軍事演習の情報交換とかいろいろなことが行われております。今、桃井参考人から大変有益なお話がございましたけれども、欧州でできることがなぜアジアでできないのか、そういう理由がどこにあるのかということでございますね。私の感じでは、アジアではそういう信頼醸成措置については、例えばスウェーデンとかフィンランドとか、ああいう中立国がイニシアチブをとっていろいろ会議を収拾する努力をやってきたわけですね。アジアで は実はそういう努力が行われていなかったのじゃないかと思うわけです。やらなければできません。やればできるかもしれません。向こうでできることがこっちでできない理由はありません。確かに今おっしゃられましたように、例えばアジアは非常に地政学的にもいろいろな意味で複雑でございますが、複雑だからできないということはありません。  それから、毒ガスの問題でございますけれども、別にこれはもう私は検証が必要がないというふうに申し上げたつもりではないのです。
  50. 関嘉彦

    ○関嘉彦君 そうですか、わかりました。
  51. 高榎堯

    参考人(高榎堯君) はい。自国の検証手段とかいろいろあります。例えば、日本外務省も七〇年代に化学兵器禁止条約の草案をジュネーブ軍縮委員会に提出して、これは各国から非常に高い評価を得ているわけです。検証につきまして、化学兵器検証というのは確かに核兵器と違いまして非常に難しいことでございます。核兵器ですと、ある程度放射線も出ますから、そういうことをつかまえるということができる。しかし、いろいろな化学物質の流れをずっと追跡していけばおのずからわかりますし、たくさんつくりますからやはり何となくわかってくるし、そういうことについても、例えばストックホルム平和研究所では、厚さ二千ページぐらいある全六巻の化学兵器検証について報告書を出しております。日本ではそういうものは一切翻訳されておりませんので、私自身も実は持っていながらなかなか読み切れないものですから。ですけれども、やはり全く可能性がないわけじゃない。それに、化学兵器を使おうとすれば、使うための軍隊の訓練その他がすぐわかります。こういう軍隊の動きを示しているのですから、これは化学兵器を想定しているということがわかりますし、そういうところから逆に検証することができるのじゃないかと思います。  それから、先ほどまた別の参考人から、核兵器が廃絶されると猛烈な通常兵器の軍拡が起こるとおっしゃられましたのですけれども、私はちょっとそこのところは意見が違うわけです。軍備競争というのは何かと言うと、恐怖感、お互いに相手に対する疑心暗鬼、その辺が大きな原動力になる。それ全部だとは申しません。しかし、核兵器がなくなれば、お互いにそういう恐怖感がなくなれば、そう人間というのはむちゃくちゃに核兵器をつくるわけでもございませんし、通常兵器をやたらにふやすというふうに考えられるのはどうかというふうに考えるわけです。  ちょっと余計なことになりましたですけれども、化学兵器検証についてはいろいろこれから研究すべき点がかなり多いと思いますけれども、私は可能性があると思います。  どうも失礼いたしました。
  52. 八木澤三夫

    参考人八木澤三夫君) 今アジア・太平洋地域について私がまずいなと思わずにいられないことの一つは、アメリカ、ソ連、中国が同じテーブルに着いて対等に話し合えないことだと思うのです。関先生からお尋ねのアジアで信頼醸成措置を講ずる可能性はどうかという点ですけれども、やはり中国アメリカ、ソ連と同じテーブルに着いて話し合える時期が一日も早く来ることが望ましいと私は考えております。  それに関連しますけれども、先ほど例えば中距離兵器云々という御発言があったのですけれども、もっとはっきり言ってソ連のSS20、これはINFの対象にされたのですけれども、これが日本は射程にすっぽり入るわけですね、グアム島までも届くわけですから。ただ、ソ連のSS20は日本自身が核武装しているから据えつけられたのではない。ソ連のSS20が七〇年代末あるいは八〇年代初めからアジア地域に配備開始されたことになっているわけですけれども、それよりももっと早く最強の動く核戦力と言われる第七艦隊は日本基地にしてアジア・太平洋地域を遊よくしていたわけです。それからB52の戦略爆撃隊は、グアムを基地にして、そして空中給油の飛行機は嘉手納などを基地にして随伴して飛んでいたわけです。そのことをあわせて論じないでSS20だけを取り上げるのはどうかというふうに考えます。  それから、私への御質問にNPT云々、マイナス面のみを強調しているような気がするというお尋ね、もしそういう印象を与えたとすれば私の舌足らずでありまして、私が申し上げたかったのは、この条約が効力を発生したのは一九七〇年三月五日、つまり第二次大戦が終わってから二十五年たっているわけです。戦後二十五年かかったけれども、米ソが核を媒体として事実上の不戦を約束せざるを得ない状況がついに生まれた。この事実を過小評価すべきではないということを私は繰り返しあちこちで物にも書き、また、招かれれば話もしてきたわけであります。特に、NPTというのは、私がジュネーブにおりますときにジュネーブ軍縮委員会を通過して国連に送られたものでありまして、若干その背景なども知っておるものですから。  ただ、NPTができて米ソが事実上の不戦を約束したからといって万事めでたしめでたしというわけにはいかないのだ、核時代における身の安全を図った上で安心して核軍拡を続けているじゃないか、そして、米ソはお互いの陣営のリーダーとして自国の利益も国益も追求し、陣営の利益も追求していくということを指摘したわけです。もしマイナス面だけを強調したという印象を与えるような点がありましたら、私としては非常に残念であります。  私が一番強調したいのは、米ソはもう戦えない、そのことをNPTは法的に追認したものなのだから、何よりも軍縮に関して言うならば、米ソは現状凍結に踏み切らなければいけないのだと。また、それを期待できると思ったからこそ多くの非同盟諸国あるいは西側の先進工業国も調印したのだ。そして核武装を将来にわたってしないことを国際的に誓約した、何よりも現状凍結なのですね、この条約から直接的に期待できるものは。ところが、それを非常に嫌っている勢力があるのだ。それは恐らく米ソ双方にあるのでしょうね。つまり、デタントには被害者がいたという点が極めて重要だと考えております。デタントの最大の被害者は何だ。軍人であり、兵器メーカーであり、彼らを背後からバックアップしているところの議会や党のタカ派じゃないかというのが私の考えです。  先ほどから信頼醸成措置のことが出ておりますけれども、これが多国間の国際的な文書に記録されたのは多分ヘルシンキ宣言が最初じゃないか、私の知っているところでは。一九七五年八月末全欧安保協力会議、ことし十周年を迎えるわけですけれども、このヘルシンキ宣言が発表されたときが恐らくデタントの最高潮期であったと言っていいかと思うのですけれども、あのころ西ヨーロッパに一つ言葉といいますか、ジョークといいますか、はやった。NATOが確実に守ったものが一つある、それは各国の軍人の生活だという言葉がもてはやされたのです。それは言いかえますと、あのデタントによって一番大きなダメージというか被害というか危機感を抱いたグループがある。軍縮に関してはこの点を軽視してはいけないというふうに考えております。  以上です。
  53. 秦豊

    ○秦豊君 きょうは長時間にわたりましてありがとうございます。  私の立場は、参議院の会と申しますけれども、政党に属する二人と無所属の私、三名で構成されている最小会派の一つであります。したがって、私は、私の意見しか反映しません。今から申し上げますことは、恐縮ですけれども、皆さんからお答えをちょうだいしておきたいことに触れたいと思います。  先ほど八木澤さんからは、お話の一こまとして、日本の新聞は軍縮問題を好むという御発言がありました。ややカテゴリーは違うけれども、日本の歴代政権も理念としての軍縮を語ることを好みます。私が数年前から、福田政権以来から、例えば国連の軍縮総会を被爆中心の広島で開いてはどうかというふうな提案的質問をすると、福田さんもその後の総理も乗ってくる。大変興味ある御提案でありましてとか、あるいは定型的な言葉としては、 前向きに検討するに値するとか、そういう答弁は必ず機械的に返ってくる。しかし、行政官庁の一つである外務省における軍縮課の位置づけは軍縮課であり、杉江さんが言われた軍縮庁はおろか、五名のスタッフが時たま資料を配付し、国会の説明員として登場する以外に存在感はない。しかも、軍縮交渉に幻想を抱いてはならないという外務省のもとにあるセクションにすぎない。これは逃れようのない現実です。  そこで、先ほどから皆さんのお話に散見されておりましたけれども、やはり立法府の我々としては、国是たる非核三原則と、杉江さんのお言葉をおかりすればまさに米ソ対決、核のせめぎ合いの戦略的中枢を占めている我が国をめぐる防衛環境の現実、この余りにも甚だしい乖離、このことを捨象して核軍縮問題を論ずることは私はむなしいと思う。そこで国民の皆さんの感覚は、何かよくわからないけれども巨大な事実が着実に進行している、そら恐ろしい、直観的には非核三原則などというものはこの国ではついぞ守られていないし今後ともそうではないだろうかと。そのことは朝、毎、読、共同、時事の五大マスメディアの世論調査で、非核三原則は守られていますかという設問に対しては、多少ばらつきはありますけれども、六七%から七五%の皆さんは、守られていない、しかし守れという一括した反応になっております。  そこで、日米防衛協力路線、日米共同作戦路線、公開文書では、行政協定交渉の中で指揮権の問題なども最近浮上しているわけですが、桃井さんと高榎さんと八木澤さんと杉江さんに、恐縮ですけれども、国是たる非核三原則、それから米ソの核対決という中での日本のシチュエーション、置かれている条件、追い詰められている状況、だから非核三原則は守られていないという認識を私も共有しているのですけれども、桃井さんはこの現実をどういうふうにお考えになっていらっしゃいますか。
  54. 桃井真

    参考人桃井真君) 今、最初に先生おっしゃいました広島、長崎で国連軍縮会議ということについて、ちょっと短く申し上げてよろしゅうございますか。――先ほど触れました七三年にジュネーブで開かれました非核地帯設置に関する政府専門委員会に出ておりまして、最後報告書をつくるときの初めの書き出しのところに、「核兵器が出現して」という文章が出て、その後に「広島、長崎にこれが最初に使われて」という文章をうちの方で出したわけです。そうしたら一番先に反対したのはアメリカなのですね。要らないと言うのです、その後の方は。「出現して」だけでいいじゃないか、使ったことは言う必要ないと。ソビエトはにやにや笑っている。結局議事を約半日ばかり延ばして強引に入れてもらったので、今でも公文書で残っていますけれども、今申し上げたのはそういうことを言うだけでもアメリカは反対するという事実です。それからソビエトもこっちに賛成してくれないという事実がある。これが現実だということを申し上げておきます。ですから、国連軍縮会議が広島、長崎で開かれることはある意味で非常に意味があることだと思いますが、外交問題というのはそういう感情的なものが相当入ってきますのでなかなか難しいということだけ、余計なことですが。  それから、第二点については、非常に大事な問題でありますが、これは前のある総理に、私が前の役所におりましたときにブリーフィングをする立場に立って申し上げたときに、その総理から、非核三原則を有事でも守るとおれは言ったが、それでいいなと、こういう御質問がありました。私は、論理的に言うと、有事にもと言われますとちょっと答えにくいわけであります、前の役所におりますときは。そこでちょっと考えたあげくに、よろしいと思います、なぜならばソビエトは総理のおっしゃることを全然信用しておりませんから、こう申し上げたわけでありますが、総理おわかりになったかなと思って後で秘書官に確かめたら、わかっておられるということで、非常に卑近な民間の言葉で言いますとハト派的な総理でございましたけれども、そういうことをおわかりでございます。  このことは、実は大事なことを総理はおわかりだと私は思うのです。というのは、問題は、我々はそれを守っております。守ることをずっと国是としてきておりますが、大事なことは、ソビエトやほかの国が信用するかどうかという問題だと思うのです。ソビエトの軍人は恐らく信用していないと思います。それでよろしいのでありまして、実際上は守られていても、ほかの国がもしかしたら日本は有事になると持ち込ませるのじゃないかなと思わせることによってある種の抑止が成立するのじゃないかと私は考えます。ですから、あえてこのことは非核三原則を変える必要はないのじゃないかというふうに私自身個人意見としては考えております。
  55. 秦豊

    ○秦豊君 恐縮ですが、高榎さん。
  56. 高榎堯

    参考人(高榎堯君) 私もその点では今おっしゃられた意見と大変近い意見でございます。  こういうことについて余りせんさくしましても、核兵器というものは一つの非常に具体的なものでありますけれども、非常にまた抽象的なものでございます。あるかないかということがつまり核兵器の生命ですね。あるということがわかったら直ちにその瞬間に核兵器が攻撃目標になっていますから、したがって常にあるかないかわからなくしておくというのは、何もアメリカがずるいからでなくて、これは核兵器というものの本質、特性でございますから、我々はそういう厄介な性質を持っている兵器について余りに厳密につべこべ言わない。これは物理学に不確定性原理というのがありまして、測定しようとすると必ずその相手はどこかへ消えてなくなってしまうという、私は核兵器というのはそういう性格を持っていると思うのです。したがって、それゆえに非核三原則というのは大変貴重な日本の資産でありまして、こんな貴重なものはない。これは将来非核地域にも核軍縮にもどの方向にも発展するわけでありますから、そういう意味で大事に守っていきたいと思います。しかもありがたいことには、米国もしばしばそれを尊重するというふうに言っておられますので。  ちょっとあれですけれども、ようございますでしょうか。
  57. 秦豊

    ○秦豊君 はい、ありがとうございました。
  58. 八木澤三夫

    参考人八木澤三夫君) 非核三原則は守られていないと感じている国民が過半数ということが新聞の世論調査に載っているという質問だったのですけれども、非核三原則は堅持されなければならないと私は思います。ただ、積んでいないはずはないと決めてしまわない方がいいのじゃないか、もしかしたら積んでいないかもしれないという気が私はしているのですね、第七艦隊の艦船に。  再びNPTのことになるのですけれども、つまりライシャワー大使がああいう暴露的な発言をされた、大使のころはそうだったでしょうね。しかし、一九七〇年ですか、三月五日に核兵器不拡散条約が正式に発効した。つまり、米ソの事実上の不戦条約というものが成立したわけです。そして、現在はそれが百二十七カ国にまでふえている。あのNPTに日本の国会が非常に批准を渋った。はっきり申し上げさしていただくならば自民党ですね。非常に渋ったときに、アメリカはある政府・与党の重要人物に直接会って、核兵器不拡散条約の堅持はアメリカの変わることのない基本国策である、それに対してあなたはあくまで反対なさるのですかということを尋ねているのですね。それから数日にしてその人は新聞紙上で見ると発言が変わっているわけです。今日もそうだと思うのです。ですから、ライシャワー大使のころはそうであったろうけれども、あの条約が発効して、そしてソ連も守るということが次第にはっきりしてきている。何らかの時点で変わったかもしれません。  それは何も、日本に寄港するたびに騒がれる、うるさくてかなわぬ、だからおろそうというようなことではなくて、そういう日本国民あるいは世論に対する配慮からではなくて、積んでいる必要がないということがまず一点。そして積んでいないことがアメリカにとって利益だということがあ る。ですから、これはもう先ほどもほかの参考人からも触れられておりますけれども、確かに弾頭のカバーをねじ回しで外して専門家が見てみなきゃわからない。素人が見てもわからないのです、そっくりにつくってあるわけだから。赤く塗ってあってもそれが本当に核分裂物質、引き金をあれして発射すれば爆発するのか、それともそっくりにつくられているのか、これはわからないわけです。だから私も断定はしない。断定的な言い方は避けなければならないけれども、もしかしたら積んでいないかもしれない。だから、積んでいないはずはないと決めてしまわない方がいいかもしれない。お答えにならないかもしれませんけれども、私はそういうふうに考えております。
  59. 秦豊

    ○秦豊君 わかりました。  いかがですか、杉江さん。
  60. 杉江栄一

    参考人(杉江栄一君) 非核三原則については、結論から先に申しますと、これはやはり名実ともに守られるべきであるというふうに私は考えます。しかし、非核三原則の場合は、皆さんがおっしゃったように大変シニカルな問題を含んでおりまして、確かにアメリカ核兵器の存在については言わない、これは核兵器戦略というものを前提にする限りというか、つまりその戦略が維持される限りにおいてその原則はやむを得ないと思います。ですから、そこを今度は逆にせんさくするということは議論を非常に混乱させるもとになる、そういう面は確かに一面で含んでいるというふうに思います。  しかし、同時にもう一つ考えなければならない問題は、日本防衛計画の大綱にも、核についてはアメリカの核抑止力に依存するということになっておりますが、じゃ一体、核の抑止力に依存するということはどういうことなのか。これは私が最初に申しました例の報復による威嚇、これは理論上はそれはあるのだけれども、実際上は報復による威嚇なんてないじゃないか、私はそう思いますが、この立場に立つ限り、これはもう米ソ間の戦略核の均衡さえあればいいので、同盟国にとってはそれが核の傘であったわけです。  ところが、その核の傘の戦略核の均衡というものは、現実には、例えばヨーロッパの場合どうかということになると、しばしばこれは、デカップリングという言葉が最近はやっておりますけれども、戦略核の均衡だけではNATO諸国の安全は守られないではないかということが、NATOへ新型の中距離核ミサイル導入の一つの論拠にされてしまっているわけです。ということは、つまり抑止体系をあそこにもつくろう、極東にも抑止体系をつくろう、そしてその抑止体系を複数にたくさんつくりながら、それでいてそこで平和が守れるというふうに考えることは非常に危険である。だから、詳しく申し上げる時間はないのですけれども、抑止体系を複雑化するということは、あたかも同盟国の安全を守っているかのように言われて、しかしそのことが実は反核運動を引き起こしたのではないかという、最近の動きを見る必要があるだろう。  私がいつかニューヨークへ行ってラロックさんと会ったときにやはり持ち込みの問題が出まして、そのときに議論をしたのですが、ラロックさんがあのときに指摘されるのは、あなた方が日米安保体制でそれに依存をしておきながら、今さら持ち込むのはけしからぬという日本人の議論はわからぬということをラロックさんでさえ指摘されるわけです。ということは、核抑止に依存するような軍事同盟体系というものを持っておれば、日本とある意味ではソビエト、それからNATOとワルシャワ条約があるわけですから、その論理から言えば核抑止体系が複数になることもやむを得ないし、そうなってしまえば、核の持ち込みは、実は三原則は本当は二・五原則だったということになるのも、そこの論理を認めてしまえばやむを得なくなる。だから、本当にそれをなくしていくために、非核三原則がきちんと守られるためには、やはり言い古されていることかもしれませんけれども、核廃絶ということを考えながら核抑止からいかに離脱するかという、そういう歴史的展望を持って考えなければならない。その意味で名実ともに三原則は守るべきであるというふうに私は考えます。
  61. 秦豊

    ○秦豊君 あと数分残っているようですから、桃井参考人一つだけ伺いたいのですが、おとといのこれはワシントンからの報道で、SDIシステムの技術開発に関連して、レーザーのエネルギーを減衰させないで強力に収束する技術分野で大きな進展があったという報道、これは一報道ですけれども、アメリカの公式な国防総省の文書の中には、時々SDI、SDIと言うけれども、この分野における軍事科学の現状というのは、ソビエトが明らかに優位を占めている、アメリカはむしろ劣っているのだ、アメリカが逆に追っかけているのだという種類の表現があります。もっとも、一九七〇年代の早い時期に偵察衛星から撮影したセミパラチンスクの膨大な施設がレーザー関係じゃなかったということは、後で実はアメリカの公式機関も認めるというふうな錯誤はあったけれども、全体としてこのSDIの技術分野ではソ連の方が優越しているというアメリカ側の一部にある主張には客観性があるのかどうか、この点はどうでしょう。
  62. 桃井真

    参考人桃井真君) 短くお答えをいたしますと、お答えは、冗談でなくて半分半分になるのです、それは見方によりますので。ソビエトが開発しているミサイルもしくはミサイル弾頭迎撃システムというのは、主として地上を基地として何かを出すというやつですね。今ソビエトで一番可能性が強いと思われるのは、地下で大きな洞窟のようなものを掘りまして、その中で恐らく一メガトン以下の非常に低い核爆発を起こさして、そのうちから主要なエネルギーを一定の方向に向けて出すという、ビーム兵器と普通言われております、そういうものにあって、それは既にテストが行われたというようなことはもう五、六年前から言われております。そのことが主としてありまして、これは結果として何を意味するかといえば、成功すればアメリカの弾が飛んでいってソビエトの領空に入りかけたときに落とすわけですね、できれば。今アメリカが言っているのは、空中に、スペースにそういう何か出すものを置いて、それが例えば収束的なレーザーを発射して、ソビエトの上がってくるのを途中で落とそう。いずれにしても、ソビエトの方で落とされるものですからソビエトはおもしろくない、こういうことになるわけでございますが、アメリカのその技術がレーザーの可能性が非常に強い。  レールガンというのは、電子砲といいますが、その方の可能性が強いのですが、それがなぜできるようになったかというと、実はSDIとはシャトルの技術であるとさえ言われているわけです。今までは、アメリカは遠うございますので、待っていてやるのはもうやめようということにアメリカはなったわけです。ですから、ソビエトの上の方へ行って落とそうということになりますと空中に何かシステムを上げなきゃいけない。そのシステムを上げるためには相当巨大なものを空中で組み立てなきゃいけないのですね。例えば発電関係であるか何かわかりませんが、レーザーのもとになるようなエネルギーを出すものを組み立てなきゃいかぬ。それが今のシャトルが何回も物を運べるようになったがために、空中にいわば工場みたいなものがつくれるわけですね。そこで、アメリカとしてはSDIの発想がより具体的になりそうだという考えを持つようになったわけです。  ですから、できるようになりますれば恐らく、下からやりますとレーザーは途中でいろいろ遮られたり、スペースにミラーを置いたりして、あるいは磁場をつくってそれに反射させるとか、途中でどんどんなくなってしまうわけですが、もしもスペースにそういうものが、パワーがつくれますと、割合とロスが少なくてやれるということだろうと思います、簡単に申し上げますと。実際はもっと難しい問題がいろいろあるのでございます。探知の問題とか識別問題ございますけれども、そういうところの違いが非常にございますので、ソビエトの方が進んでいるかと言われれば、地上 発射といいましょうか、そういうものは進んでいる、既にあると考えた方がいいと思います。しかし、空からとなるとソビエトの方はないのですね。アメリカの方は両方ともないわけです、十年前にABMをやめましたから。ただし、上の方は少し可能性が出てきたというところが今の現状ではないでしょうか。それは見方によりますので……。
  63. 秦豊

    ○秦豊君 皆さん、どうもありがとうございました。
  64. 安孫子藤吉

    ○小委員長安孫子藤吉君) 以上で質疑は終わりました。  参考人方々に御礼のごあいさつを申し上げます。  本日は、お忙しい中を本小委員会に御出席を願い、長時間にわたり貴重な御意見をお述べいただきましてまことにありがとう存じました。  ただいまお述べいただきました御意見等につきましては、今後の本小委員会調査参考にいたしたいと存じます。小委員会を代表いたしまして厚く御礼を申し上げます。  本日の調査はこの程度にとどめ、これにて散会いたします。    午後四時五十二分散会