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参考人(進藤榮一君) 進藤でございます。
午前中の御
報告が主として
安保体制のマイナス面、消極面についての御
指摘があったやにお聞きしておりますし、午後の御
報告は、どちらかといいますと
安保体制の積極面、つまり
安保がいかに
日本の安全に役立っているかということを当然の
前提として御
議論なさっているような印象を私は受けたわけであります。
一体
日米安保とは何なのかということで、なぜこれほど極端に見解が分かれるのかということを、私は今お話をお伺いしておりまして考えておったのですけれども、おおむね三点ないし四点の点から国際
関係を見る見方がそもそも違うのではないか。一体それじゃ三点ないし四点とは何なのかということを簡単に申し述べたいと思います。
第一に、最近
核戦略論議が非常に盛んなのですけれども、
日本の
防衛力を増強する根拠として主として言われておりますのは、要するに
ソ連が
北海道の北半分を保障占領するというわけですね。なぜ保障占領するのか。つまりこれは、
中東で紛争が起きたとき
ソ連が
中東に
軍事侵攻する、
ソ連はもともと
中東の石油が欲しいのだという
前提があるわけですけれども、
中東に
軍事侵攻して、そのときに西側の兵力をインド洋から太平洋に割くために逆に
北海道に侵攻するとか、あるいは
中東における戦略を有利に
展開するために、
ソ連のSLBMをウラジオから太平洋に進出させることができるために、宗谷のチョークポイントとか津軽のチョークポイントを押さえるために
北海道の北半分を、
北海道の部分的な保障占領をするという、そういった
シナリオを書くわけです。
根底に何があるかということを考えてまいりますと、私はやっぱり一九八五年説に言及せざるを得ないと思うのです。御
承知のように、アフガニスタン紛争が一九七九年十二月に起きた後、
日本のタカ派の
先生方あるいは
防衛庁の元高官
たちが口をそろえて何を言っていたのかといいますと、一九八五年は
ソ連が
世界進攻を開始する年なのだ、そのために
日本は
軍事力を増強しなければいけないのだという、こういった
議論があるわけです。これは、しかも着々と
ソ連の進攻への準備が進められているという
議論でございますね。どういう形で進められているのかというと、要するに戦略核バランスにおける対米優位が覆されて、つまり逆に言えば
アメリカの対ソ優位が覆されて、先ほどの御
報告にもありましたけれども、戦略バランスが崩れたのだ。それをさらに敷衍させて、
ソ連の石油の需給
関係が一九八四年前後の時点で逼迫する。それで不足した石油を求めて
中東に進出していくのだといった
シナリオであるわけです。これは
アメリカの
先生方の
議論を読みましても、ペンタゴン筋の
議論を読みましても大体この
議論で終始しているわけです。
私、これは非常におかしいと思うのですね。何がおかしいのかというと、私は当時から言っておったのですけれども、八五年に
ソ連が
日本に侵攻するということが事実であれば、もうことしなんか大変なことになっているわけです。そう言った
方々は今や沈黙を守ってらして、今度は別の
軍事力増強の
シナリオを描き始めているわけですけれども、なぜおかしいのかというと、大体
ソ連というのは
世界で最大の産油国であるわけです。しかも、その
世界最大の産油国である
ソ連は、石油の半分を非共産圏諸国に輸出しているわけです。よしんば、東ヨーロッパ諸国に石油を輸出するために、つまり、東ヨーロッパ諸国に対する
ソ連の支配権を確保し続けるために石油が必要であるにしても、そのために
中東に進出する必要があるにしても、それであるならば、当然西側に向けた石油を削減すればいいのであって、決して
軍事侵攻するという、
ソ連にとっては大変大きなコストを払う必然性がどこにあるのか、
シナリオがどうして書けるのかということを私は考えたわけです。
それともう一点、根本的に何が間違っているのかと申しますと、これは第三
世界における紛争をどうとらえるかという問題だと思うのです。それで必ず
中東が出てくるわけです。あるいはサハラ砂漠以南のアフリカが出てくる。あるいはラテン
アメリカ、中米が出てくるわけです。つまり、第三
世界における
政治紛争、
軍事紛争というのは、あれは
ソ連の膨張主義のあかしなのだ、つまり
ソ連が第三
世界に
軍事的な膨張をしているのだ、間接侵略にしろ直接侵略にしろさまざまな形で第三
世界に進出している、その証拠が今の第三
世界における紛争の頻発
状況じゃないかというわけです。
しかし、これは
現実に違いますね。なぜ違うのか。大体第三
世界の紛争というのは、これを
一つ一つ丹念に分析してまいりますと内戦が軸になっているわけです。これは朝鮮戦争も同じですね、その
意味では。あるいはかつての中国革命も同じであるわけです。内戦が軸になっている。なぜ内戦が起きるのか。これは貧困と圧制です。多民族国家にあるわけです。これは、民族の多分布
状況というのが第三
世界の共通現象でした。これは百年なり二百年なりの長い植民地
体制のもとで帝国主義諸国によって民族線が分断された結果であるわけでありまして、決して不思議なことじゃないのですね。長い植民地
体制下にあって急激に近代化を進めようとする。そのために
国内的なフリクションが起こるわけです。権力が弱い、民衆の不安が出てくる。その間にクーデターやなんなり、軍部の
動向があって、これが第三
世界における紛争
状況として現出してくるわけです。フィリピンのマルコス政権下でなぜあれだけテロリズム運動が起きているのか、なぜ潜在的な内戦
状況にあるのかということは伊藤先生もよく
御存じだと思いますけれども、同じことが朝鮮に関しても言えると思います。
しかし、朝鮮の紛争にしろ、フィリピンの紛争にしろ、どうとらえているのか。フィリピンの場合は少し違うのですけれども、朝鮮戦争をどうとらえたのかというと、釜山に赤旗が立てば
日本の
安全保障を害することになるという、こういった
議論であるわけです。これは、内戦を外戦に取り違えている
議論であると言わざるを得ない。内戦を外戦に取り違える限り
日本の
安全保障は不断に周辺諸国家から脅かされているという論理が出てくるわけです。そのために何をしなければいけないのかというと、
日本は
軍事力を増強しなきゃいけないというわけですね。私が仄聞するところ、公明党は一九七九年でございましたですか、に
領域保全論に転換するわけですけれども、その根拠の
一つが朝鮮半島における戦略バランス、
軍事バランスの南にとっての不利さ、南に不利に
展開したという事実をその根拠の
一つに挙げているというふうにお聞きしておりますけれども、これはおかしいわけです。
第二番目におかしいのは、アジアとヨーロッパは違いますね。どう違うのか。例えば、ポーランドから西ベルリンまでこれは何キロあるのかということをお考えになっていただきたいのだけれども、わずか六十キロでしかないわけです。六十キロの距離というのは、
日本でいえば
東京と平塚間の距離であるわけです。あるいは神戸と京都の間の距離であるわけです。その間に戦車がせめぎ合っている、対峙し合っている
状況があって、しかも、そこがプレーンであるわけです。山
一つない、川だけによってしか区切られていないところである。しかも御
承知のように、あるいは歴史をごらんになったらわかるように、ヨーロッパの
状況というのは、あれは民族の多分布
状況がございまして、さまざまな民族線の混合
状況があって、そして不安の内戦条件がこれまた一方で潜んでいるという
状況があるわけです。そう考えると、アジアとヨーロッパを一体同じに考えてよろしいのかという疑問が出てくると思うのです。
よく
日本はGNPの一%しか使っていない、西ヨーロッパ並みに二、三%の
軍事費を支出するようにすべきじゃないかという
議論がございますけれども、そもそも
日本が一%しか使っていないというのは全くのうそでありまして、これは秦議員が
国会で明らかにされたように、例えば
NATO並みに
日本の
軍事費を退役軍人の恩給、それから
基地関連費を加えてまいりますと、これは一・六%を超えるわけです。しかも、GNPは西ヨーロッパ諸国に比べて
日本は二倍近くあるわけです。
そうなってまいりますと、五六中業あるいは五九中業を完遂した暁に
日本は一体どれぐらいの
軍事力を持つのかというと、これは米ソに次ぐ
軍事力を持つといっても差し支えないぐらいで、
世界で第四番目か第五番目の
軍事力を持つと言っていいぐらいの強大な
軍事力を持つ
軍事大国になるわけです。一体、平和憲法下の
日本でこれが許されるのかどうなのか、専守
防衛の
原則を
日本の国是としている
日本でこれが許されるのかどうか。そもそも戦略環境がアジアと西ヨーロッパでは違うのじゃないかということを私はもっと突き詰めて考えていくべきだと思うのです。
私の知り合いの西ドイツの参謀本部の某氏が、一体
日本にとって海洋はどれぐらいの
軍事的な価値を持つのかということを計算したのです。私も複雑な式を今紹介できないのですけれども、計算いたしましたら五十個師団に相当するというのです。つまり、
日本の周辺というのは、地図で見たらわかりますけれども、海洋によって、四つの海によって囲まれているわけです。この四つの海の持っている戦略的な価値が五十個師団に相当するものであるとするならば、今、
日本の陸上
自衛隊というのは十三個師団余りですね、旅団その他を入れてもおつりがくる
状況であるわけです。一体なぜそんなに
日本は
軍事力を増強しなければいけないのかという問題があると思うのです。私は、
日米安保の現在がここに象徴されていると思うのです。
じゃ、なぜなのかということを突き詰めてまいりますと、これは兵器の性能を見ていけばわかる。例えばP3Cは何のために必要なのかというと、これは
アメリカの第七艦隊、特にSLBM4のためにこれは必要であるわけです。P3Cはたしか私の記憶では八十機でございますか、五十数機でございましたですか、五六中業でショッピングリストとして載っておりますけれども、一機百億内外する非常に高価なものであります。それからF15ですね、これは
自衛隊の最終目標では百五十機態勢に持っていくということであるように仄聞しておりますけれども、これは何かというと、
ソ連のバックファイアから
アメリカの第七艦隊を守るためのものなのです。
これは
アメリカの第七艦隊、特に空母を、動く巨大な
軍事基地をたたくためにバックファイアというのは非常に有効であるわけです。このバックファイアを迎撃するためにF15しか、あるいは今の
段階ではF15しか機能しないという
状況にあって、そのために
日本はF15を百五十機持たなきゃいけないというわけであるらしいのです。そう考えてまいりますと、一体
日本が今一生懸命軍拡の努力をしている、あるいは
日米運命共同体という
名前のもとに軍拡をしている、このそもそもの根源的な理由は何なのかと考えてまいりますと、私はこれはやっぱり
アメリカの
核戦略の補完機能を
日本が
アメリカに期待されていて、それに
日本がこたえている、この構図でしかないと思うのです。
この構図というのは全く正しいわけです。なぜ正しいのか。これはキャスパー・ワインバーガーが八二年十月に
日本に来て、プレスクラブで会見をやってそこではっきり言っているわけです。我我が
日本に期待するのは
アメリカの
核戦略に対する補助機能なのであると。そうなってまいりますと、
日本が
アメリカの
核戦略を補助することによって一体
日本の安全は守られるのかどうなのかという問題が出てくるわけです。これは私は疑問だと思うのです。なぜ疑問であるのか。大きく言って
二つあると思うのです。
一つは、これは核
軍事同盟、核
軍事構造が現在変わっているわけです。かつて一九六〇年代だったらまだそれでもよかったかもしれません。なぜなのかと申しますと、御
承知のように、一九六〇年代まで
アメリカの
核弾頭数というのは非常に少ないわけです。一九六〇年代当初にあっても二千個内外で、二千ちょっとしかないのです。ところが、
アメリカの
核弾頭は二十数年の間に今幾らになっているかというと三万数千個になっているわけです。もちろん
ソ連はそれに対して二万数千個持っているわけですね、二万一千個、二千個と言われていますけれども。
一体それだけの
核弾頭数がふえた
状況のもとで、これは
軍事構造、核
軍事構造
自体が質的な変容を遂げざるを得ないわけです。どう変わっているのかと申しますと、これは大きく言って戦略
体系がもはや対都市
攻撃を基軸にしていくことはできない、対兵力戦略を基軸にしていかなければいけないという
状況になっているのですね。今や例えば核のボタンがワンフラッシュ、核のボタンを押すことによって二千から三千の
核弾頭が一斉に発射されるという
状況があるわけです。そうなってまいりますと核の冬現象というのは、単に絵そらごととしてではなくて、
現実の
状況として出てこざるを得ないと思うのです。
もう
一つ、核の傘というものが同盟国に差しかけられる一九六〇年代的な古典的な
状況がもはや失われつつある。
自国の安全を最優先させるために同盟国を犠牲にせざるを得ない
状況というのは、私は現在出てきていると思うのです。これは同盟のあり方
自体に根源的な反省を私どもに迫っているというふうに私は考えます。
日米安保がよろしいか、
日米安保が悪いかという神学的論争を私はここでしたくないと思うのです。それよりも、現在
日米安保がある、この
現実の上に立ってそれじゃ
日米安保をどうすべきかという問題の方がはるかに
現実的な問題であって
政策論的な問題だと思うのです。そのことを考えたときに、
日米安保の
安保体制の持っている
軍事的な側面をこれ以上
強化すべきでないし、むしろ
安保の
軍事的な側面を和らげる
方向に持っていく方が
日米の友好的な
関係を推進し
極東の緊張を緩和させるために私ははるかに有効ではないかというふうに考えます。
それは、もし
日米安保体制の持っている経済的な側面に目を向けるならば一層証明されるのではないかというふうに考えます。なぜかというと、ここでもやっぱり私は
軍事構造、
軍事力の持っている質的な変化ということを考えなければいけないのでして、かつての
軍事力と今の
軍事力は違います。どう違うのか。昔の
軍事力というのは技術と資本においてそれほどの投入力を、投入量を必要としなかったわけです。ところが、今の
軍事力というのは膨大な技術と膨大な資本を投入せざるを得ないという
状況にあるわけです。そのために
軍事力に金をかければ金をかけるほど国家の経済力はなえていくわけです、衰弱していくわけです。これは
アメリカに関してしかり、
ソ連に関してしかり、それから、同じように武器輸出において対GNPで
世界最大を誇っているフランスにおいてしかりであるわけです。これは社会主義政権であろうと資本主義政権であろうと、
軍事力に力を注げば注ぐほど、経済力を注げば注ぐほど
国民経済は衰弱していかざるを得ない。
その結果どうするかというと、
一つの
政策として出てくるのはレーガン戦略でありまして、つまり
自国の今国際的に競争力の一番強い側面、それから手っ取り早い側面、ここにお金をかけるわけです、財政投資をするわけです。つまり軍需産業、軍需
関連産業にお金を注ぎ、そのために財政赤字を物ともしないでやるわけです。大統領選挙までそれはGNPの高成長率を記録することができたけれども、しかしこれは長続きしないわけです。なぜ長続きしないかと申しますと、今の軍需産業、私が先ほど申しました
軍事力の質的な変換によって民需生産を活性化させないわけです。これが第一。
第二番目に、
世界経済を活性化させないわけです。なぜかなれば、軍需産業に特化しますと核大国は、
軍事大国は、特別に化するという字を書きますけれども、
自国の特化した産業部門に集中しまして、特化した部門の製品を
海外に輸出するわけです。これは国際競争力が高いから、兵器において
アメリカは一番国際競争力をたくさん持っているわけです、あるいは農産物において。兵器輸出するわけです。第三
世界に兵器がばらまかれますと、私が一番最初に申し上げた第三
世界の紛争
状況はもっと熾烈になるわけです。これは似たような形で
ソ連も残念ながらやっているわけです。残念か残念でないかわかりませんけれども、
ソ連もやっているわけでありまして、こうなりますと
世界経済
自体がこれはなえていくということになります。
世界市場が
拡大しないわけです。これはもう去年の
段階でブルッキングズ研究所が出していた
報告書の中に出ておりまして、
アメリカは確かに昨年の十月
段階で経済成長率は急激に
拡大したので、六・五%だかに
拡大したのですけれども、これは赤信号ですよという
報告が出ているわけです。
なぜなのかというと、今までの経済成長率の場合と違って
世界経済に対する波及効果が非常にわずかしか見えていないという
報告が出ているのです。私はそれを読んだときに、これは危ないなと思いまして非常に危惧しておったわけですけれども、その結果ごらんのとおり
アメリカ経済は再びダウンしている。これは
日本が
アメリカに対米
軍事協力をすればするほど
アメリカの経済力をますます悪くし、
世界経済をますます非活性化させていく、ひいては
日本の経済
自体を、平和経済のもとに繁栄を誇ってきた
日本のいい
意味での保守の
外交のよい点を、マイナスの面に変えていくという結果をもたらすと思うのです。これはやはり同盟のあり方
自体に対する我々のこれまでの古臭い考えを変えなきゃいけないのじゃないかしらというふうに私は考えるのです。
そうなってまいりますと、今や私どもは、
日米軍事体制の持っているプラスの側面を
議論するのはよろしいと思うのです。プラスの
議論ではなくてマイナスの、積極的な側面ではなくてあえてその持っている負の側面を直視すべきではないかと思うのです。それをしない限り、私は繰り返し以前から言っておったのですけれども、これは
日米防衛で、つまりディフェンス
領域で
日本が対米譲歩しても、貿易の面で
アメリカから対日譲歩をかち取ることができない。よしんばそれは
政治キャンペーンの一部として利用されて、ある
段階までは対日貿易譲歩をかち取ることができる。例えば大統領選挙までそれはやることができるけれども、大統領選挙が終わった後、これはモグラたたきのような
状況で再び
日本に対する貿易圧力が強まるに違いない、これは貿易赤字がなくならない限り続くわけです。
日本は、もはや民需製品に関して十分の対米競争力をつけているわけでありますから、もし
段階的にしろ何にしろ開放国家
体制に向かうことによって、そして他方で内需を喚起できるような平和経済
体制をもっと進めることによって、長い目で見たときに
世界経済なりあるいは
アメリカ経済の活性化につながるだろうし、西側経済の平和協力に対して貢献するのではないか。しかも、もしそれに伊藤先生がおっしゃったように対ソ問題に関して国際的な協力
体制をつくって、
ソ連をいつまでも仲間外れにしないで、
極東の緊張緩和に向けて集団的な平和保障
体制に向かうならば、あるいは相互信頼醸成
措置で微温的な形であれ軍備管理
措置をとるなら、私は
日米安保体制云々よりも
極東の緊張緩和に対する展望が開けるのではないかというふうに考えます。
時間がありませんので、この辺で終わります。