○伏見康治君
研究所ではもはや窓際族であってもほかのところに持っていけば十分活躍できるという方は幾らでもおられると思うので、そういう意味合いで、
研究所の年齢を絶えず若く保つような御努力を組織的にやっていただきたいと思います。
次にシードとニードとの問題、
科学技術会議などではこういう言葉がしきりに使われるわけでございますが、この
報告全体を眺めますというと、シードとニードのうちのニードの方がどうも重きが多くて、シードの方がいささか軽いのではないかという感じを受けるわけです。殊に第三部ですか、具体的な
研究テーマをたくさん挙げておりますが、それの実際の拾い方を見るというと、ニード主導型の選択であるように思えるわけですね。もう少し基礎
研究ということを重視していただいて、本当の創造的な種を拾い出すという方に重点をお向けになった方が、
科学技術会議全体としてはそちらに重点をお移しになった方が私はいいのではないかと思うわけです。
よく申し上げることですが、ニードというものは実は素手ではニードが出てこないんですね。生まれたての赤ん坊は、これは林さんにしかられるかもしれないけれ
ども、余りお母さんのおっぱいに吸いつかないという話があります。ところが、無理に乳房を口に入れてやってそれを二滴でも三滴でも口の中に入れると、そのうまさを知って、それから先飲み始めるというお話がありますが、つまり、少し飲ませていただかないと役に立つか立たないかもわからないわけですね。そういう意味で、既存のニードだけを並べていたんでは本当の創造性というものは出てこないわけでして、役に立つか立たないかというものをもっと培養していただかないと、本当の創造性というものは出てこない。ニード主導型も結構なんですが、その時代は私は
日本では終わりを告げたと思っているわけですね。
実は昨年、イギリスの
科学技術関係の国会議員が六人ばかり見えまして、前の高木
委員長を中心に会談したことがあるんですが、イギリスではお金がなくて大変お困りでございまして、そして
日本のような応用技術を盛んにするのにはどうしたらいいかを習いに来たという大変謙虚なお話で、私はしかし、それを伺いながらある意味で涙がこぼれるわけなんです。つまりイギリスは純粋基礎
科学の分野では創造的な活動が依然として続いているわけです。純粋な学問の方で申しますというと、ほんとにすばらしい人材が続々と出てきているわけですね。
日本が習うべきものはそのイギリスの、もはやイギリス人自身はもうそれはたくさんだと思われているところを
日本人は習わなくちゃやっていけないと思うんですが、そこのところを取り違えないように、イギリス人さえ
日本を習おうとしているんだから、
日本はもうこれで大丈夫なんだという錯覚にとらわれないようにしていただきたいと私は思います。本当の基礎
研究でみずから新しいものを生み出していかなければ、今後の
日本はやっていけないと思います。
次に、いろんないいことが答申書には書いてあるんでございますが、二、三お伺いしたいのは、
研究基盤、つまり
研究者が一様に基礎的なことでやっておいてほしいと思われるものを、条件をそろえるということが大変大事だと思うんですが、例えばファクト
データに関する措置といったようなことが大事でしょうし、また実験動物といったようなものがたやすく手に入るように組織するということも必要だと思うんですが、そういう点に関しては具体的にはどんなことを考えられておられるか。