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説明員(仁平圀雄君) 私は十三日から昨日まで
現地へ行ってまいりましたので、
遺体の
収容等
捜索活動につきまして
現地の
状況も交えましてお答え申し上げたいと思います。
御心配のように
遺体の
収容活動は思うようにいっておらないのはまことに残念でございますが、何分にも
現場は
場所的、
地形的に見まして大変な難所でありますとともに、無線は不感地帯でありまして、通信手段も全くないといったところでございます。
まず
場所の
関係で申し上げますと、
現場は
現地対策本部の置かれております上野村役場から自動車で行けるところまで行きまして約三十キロでございまして、そこからはいわば道なき原生林の急斜面を徒歩で登るわけでございますが、速い人で約三時間三十分ぐらいかかりますので、都合約五時間ぐらいのところでございます。
また、
現場は御案内のように標高千五百メートルほどの御巣鷹山の南南東の斜面ということでございますが、
事故機が激突いたしました尾根はいわばのこぎりの歯のような大変急な尾根の一つでございまして、この尾根は御巣鷹山の山頂から東の方へ延びておるわけでありますが、
事故機はその南側の尾根にバウンドするように機首から激突いたしました。その付近のカラマツの林でございますが、これをなぎ倒し、いわば丸裸のようにいたしまして、
機体の頭部の方は主として尾根の上の方、方向でいきますと西の方向と南側の斜面へばらばらになって吹っ飛んだという
状況でございまして、
機体の後部の方は北側の斜面のカラマツ林、これまたなでるようになぎ倒しまして、土砂と一緒に尾根の稜線から約二百メートルから二百三十メートルぐらい下にありますスゲノ沢というところにばらばらとなって落下したわけでございます。したがいまして、
遺体もその周辺にばらばらになって埋まったりしておるわけであります。
この急斜面は、角度は正確にわかりませんけれども、
現場に行ってみますと、立っているのも容易でないというふうな大変な急斜面であります。そういうことで、
現場が
確認されました十三日の日に
現地に到達した者は
ヘリコプターで降下したほかは、地元の猟師すら余り入らないというようないわば人跡未踏のような急斜面を登って上がっていったということでありまして、この十三日には、したがって
生存者の
救出というのも
ヘリコプターを使いましてつり上げてやったという
状況であったわけであります。そこで、これは何とかしなきゃならぬということになりまして、十三日の日には、
自衛隊が
中心になりまして、これに
警察の機動隊も加わり
協力しまして
ヘリポートを建設することになったわけであります。徹宵
作業の結果、翌十四日の午前八時三十分ごろにようやく畳十四、五畳ぐらいの
ヘリポートができまして、さらに沢から
遺体を
ヘリポート近くまで運ぶ運搬用の道もでき上がったわけでございます。
そういうことで、
遺体の
収容作業というのは十四日に始まったわけでございます。前日の十三日に徒歩で上がりまして徹夜で待機していた検証班に、十四日の朝
ヘリコプターで運ばれました検証班が加わりまして、約二百名の
人員で
遺体の見分と検証活動を
開始したわけでございます。毛布に包まれました
遺体につきましては、
自衛隊員とか機動隊員が斜面に並びましていわばリレー方式で
ヘリポートの近くまで運びまして、そこから
ヘリコプターを使いまして数体ずつを約六十キロぐらい離れました藤岡市の第一小学校の校庭へ運びまして、そこから近くの藤岡の市民体育館へ霊柩車でもって運び、そこで検視及び
身元確認作業を行ったわけでございます。結局この日は
収容されました
遺体は百二十一体でございまして、
身元確認作業が終了したのはもう翌日の午前二時になっておったわけであります。
いずれにいたしましても、
遺体の
収容に
全力を挙げましたために、機動隊員とか検証班の下山は徒歩でほとんどしなければならぬという
状況になりまして、徒歩で下山した者もございましが、かなり多くの者はまた山で徹宵をするという
状況になりました。
現場は、御案内のように、山岳気象でございまして、日中は大変暑いんですが、午後八時ごろになり良すというと温度が急激に下がりまして仮眠すらできないという
状況であったというふうに聞いております。
こうした中で、十五日も早朝から
遺体の見分、検証活動を
開始いたしまして、本日も引き続き続行中であります。本日の午後一時現在
収容いたしました死体の数を申し上げますと、完全死体、すなわち一人の人体と認められるものが二百九十八体でございまして、それから離断死体、これは人体の一部と認められるものでございますが、四百一包を
収容いたしておりまして、これは御質問にございませんけれども、ついでにお答えいたしますと、そのうち身元の判明いたしましたのが百五十二体、御
遺族に引き渡しを完了いたしましたのが百七体という
状況になっておるわけであります。
しかし、現在使用しております
ヘリポートは、八人乗りか十人乗りの
ヘリコプターがようやく離着陸できるという
程度のものでございます。どうしてももっと輸送能力を高めなきゃならぬということで、昨日は
関係者が協議いたしまして、ほかに
ヘリポートをつくる
場所はないかということで探しましたところ、現在ございます
ヘリポートの下の方にどうにかできるという
場所が見つかりまして、現在は
自衛隊が
中心になりまして本日中にバートル、三十人乗りの大型
ヘリコプターでございますが、これがおりられるような
ヘリポートをつくるということで現在
作業中でございます。これが完成いたしますと、
遺体の搬送はもとより検証班等の運搬も可能になりますので、
収容能力というのはうんと上がるのじゃないかというふうに見ておるわけであります。
しかし、
遺体の多くはスゲノ沢というところの、幅三十メートルぐらい、長さ百メートルぐらいの地域に埋まっておるわけでありまして、そこには
機体の破片とか樹木の折れたようなものが土中に突き刺さるように埋まっております状態でございまして、本日からはエンジンカッターを使って切断したり、あるいはシャベルで掘り起こしたりという
作業をやっておりますので、今後の活動が今までのようにいくかどうか疑問もあるわけでございます。そういうことで、今後この
遺体の
収容にどのぐらいかかるかということにつきましては見通しが立たない
状況でございますが、大方の
遺体の
収容はここ数日間ぐらいで何とか終えようじゃないかということで懸命に
努力しておるところでございます。
それからまた、
収容しております
遺体につきまして見ますと、
損傷とか腐敗の
状況というものもだんだんひどくなっておるようでございますので、検視とか
身元確認作業というのは今まで以上に難航するんじゃないかということも心配されるわけでございます。
それから、先ほど通信手段のことについて触れましたので、これも蛇足かもしれませんが申し上げますと、ここは大変な無線の不感地帯であったわけでございますが、通じなかった無線につきましては、十四日の早朝、地元の藤岡署にリモコンを設けまして
現地対策本部と通話できるようになっておりますし、また昨日にはパラボラアンテナを利用いたしまして移動
警察電話等を設けまして、ようやく
現地と
連絡がとれるという
状況になったわけであります。
いずれにいたしましても、大変な悪条件の中で、
現地におきましては不眠不休で活動しております。一刻も早く
遺体を
収容すべく
努力をしておりますことを御賢察いただきたいと思います。
以上であります。