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佐藤(誼)
分科員 今効率性のことを言われましたけれども、確かに今の二二一Dに限らず、ローカル線はおしなべてそういう
状況にありますわね。ただその中で、特にすとんと落ちないのは、とりあえず鼠ケ関から鶴岡までカットした、あとの鶴岡から酒田までは残した、こういう言い方なんですが、この列車自体は先ほど言ったように、乗る区間は鼠ケ関から鶴岡までが多い、あとは皆おりるのだから、そうなっているわけです。ところが、おりる方を走って、乗る方を走らないわけです、簡単に言うと。これは乗客の関係からいってもおかしいじゃないかということと、それから、乗る方の人が乗れないから商売が成り立たぬ、こういうことですから、どうも常識から
考えたっておかしいじゃないかという議論もあるわけです。こういうことをひとつ押さえておいていただきたい。
それからもう
一つは、この列車は行商人が使ってきたという話をしましたが、例えば今行商関係の方が組合員が百八十三名おるのですが、二十年以上この汽車を利用して商売をしてきたという方は百七十三名いるのです。百八十三名中百七十三名が二十年間以上この汽車を使ってきている、そして五十年以上にわたるのが八人いるのです。これが一夜にして——まあ一夜にしてと言うとドラスティックな言い方ですが、だめになるということは、これは大変なんですよ。この方々は大抵
海岸ですから、海の遭難なんかに遭って未亡人になった方もいるわけです。戦争未亡人もいるわけです。この会長も引揚者なんです。そういう方々が資本なしに商売ができて子供を育てることができるということで、この列車を利用してきた。ですから、これはまさに商売、生活列車であるし、
地域的に言うなれば非常に同情を呼んでいる列車なんです。
だからこの
地方でも、今は時間がありませんから詳細は言いませんけれども、新聞社が取り上げたり、自治体がこういう形で出したり、本当に涙ぐましい陳情を続けてきたわけです。この代表の松谷という方は私と同じ部落なんだけれども、この方が新潟
鉄道管理
局長のところに行ってやったときは、何とかしてほしい、
検討だけでもしてくれないかと涙ながらに訴えているのです。それは行政当局の最前線にいる方の立場はわかるのです。だけど、もう少し何とか
考え方なり対応の仕方があったのではないかというふうに思うわけです。
その中で、特に私は非常に遺憾に思うのは、これは
責任を痛感する余りでありましょうけれども、新潟管理
局長が当該の沿線の駅長に言って、それぞれの行商人一人一人に当たりなさい、もうこの汽車はだめなんだ、説得しなさいということで説得をやったのです。それで受けた方は、もうこの汽車はだめなんだということで、説得されたものですからいや困った、あとそれ以上何ともならぬわけです。そのことをずっと吸い集めて、
地元の
皆さんは大筋了解したのだからみたいな形で宣伝し始めた。そこで関係者の
皆さんは大変頭にきているわけです。とんでもない話をするなということで、私のところにもいろいろその手記が来ているのであります。
これは陳情書であります。それから、私に直接たくさんの訴えの手紙が来ているのですが、全部は読めません。鶴岡市小波渡の七十歳を越す方は、「何んと言われても、もうきまったのですからどうにもならないのですということであったので、困ったことだとはわかっててもどうすることもできないのです。」そして「私は、何十年も乗って
国鉄に
協力したが、こんなぐあいになって本当に腹が立つ、」この原文どおり読みますと「憎んでも憎んでも足りないくらいです。」こういう手紙が来ているのです。これに類似するものを私はずっとコピーをとってきましたけれども、ここにいっぱいあるのです。言葉は余りいい言葉ではありませんので、「
鉄道、特に駅の人たちは本当に憎くてなりません。」これが温海町の五十八歳の方。それから温海町鼠ケ関の五十五歳の方、「憎くて仕方がありません。この恨みは生涯忘れることはないでしょう。」それからもう
一つ、さっき言った会長の松谷さん、私は反対と抗議をした。そして、
鉄道を恨むし、今後もその気持ちは変わらぬだろう、こういう
趣旨なんですね。私はここまで追い詰めなければならぬのかということを感ずるわけです、このことについて。このことを私はぜひ大臣によく聞き取っておいていただきたいと思うのです。
私は
国鉄はこれから、先ほどの
財政再建も含めて、
国民の
国鉄として開かれたものとして
再建しなければならぬし、これはみんな
国民考えなければならぬことです。そのときに、駅の最前線にいる
皆さんだって、何とかローカルで黒字にするためにお客さんをとかなんとかいろいろなことを言っていますよ。そのためには、
皆さんの了解なり、気持ちよく
国鉄に
協力する体制をつくらなければならぬわけです。ところがこの人たちは、二十年、五十年にわたって
国鉄に
協力してきた方です。あの辺は雪でしょう、雪で汽車が動かなければ夜中、スコップ持って走った人たちです、この人たちは。そして、旅行があれば旅行に、あらゆるものを捨てて
協力してきた人たちです。
国鉄は今さら何だ、こういう声が充満しているわけです。これでは
国民の
国鉄として、
皆さんの御了解をいただきながら
再建することはできないと私は思う。その点を私は特に
皆さんがよく受けとめてもらいたいということを特に申し上げておきたいのです。
そこで、時間もなくなってきましたから、私はこの列車はもう既に
ダイヤが発表されていますから、これを抜本的に直せとか、もとどおりにしろと言ったって、これは無理だと思う。当初は
皆さんもそういう要望を出しました。しかし、それは事実上発車と同じですから、じゃ現在の運行
計画に沿って、この人たちが要望している、もう未来永劫続けてくれとは言わないわけだ、一年でも半年でもいいということ言っているわけです、何らかの形で。その間、自分たちは心の準備と次の生活設計を立てたい、そのための期間をもう少し与えてくれないか。その期間、現行の
ダイヤで可能な限り何とかならぬのかということを言っているわけですよ。
例えば具体的に言いますと、酒田から朝出発して鶴岡に来て、鶴岡から折り返し運転なんですから、酒田から出発するのを早目にして、そして鼠ケ関まで行って戻るわけにいかぬのか。三両の予定ですからといっても、油代がかれば二両でもいい。そして、そこに働く
皆さんは、いろいろ職業がありますよね、みんなこの列車を知っていますから、いや、私たちもそんなに長いことでなければ少々労働負担になったって、その期間ぐらいはお互いに
協力をしなければならぬじゃないかということになっているわけですよ。今の時点でその知恵の出し方はできないのかどうかということを私は、
地元の
皆さんから大変強い形でこの御要望を受けているわけで、ぜひ
運輸大臣にもそのことを、私が代表になって伝えてほしいということを言われているわけです。そのことは一体どうでしょうかね、大臣。