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伊藤(昌)
分科員 その
考え方が、戦後を境にして全く伝統無視、どこの国の国民かわけのわからない国になってしまったのではないでしょうか。いわゆる伝統というものは、栄光もあれば屈辱もあるのです。栄光ばかりが
日本の伝統ではない。一度の敗戦によって、今のようなそんな根のないお答え方が
国会へ出ること自体が私は誤りであると思う。憲法と自衛隊の関係だって、国の
基本権というものは、これは憲法は認めておるわけです。
そこで、我が国の伝統というものをよく考えてみたときに、憲法とそれから天皇の祭祀というもの、これは、ここに
日本人全体が真剣に考えていかなければならぬと思う。いわゆる憲法二十条、憲法八十九条、これは政府が宗教に金を出したり、政府が宗教活動をすることはいけないといっておる。それはそうでしょう。しかしながら、天皇は象徴であります。象徴が大自然と一体になって皇祖皇宗を、先祖をお祭りする、これは天皇しかできない行為であります。その行為によって
日本の国は長く安寧を保っておるのかもわからない。そういう
考え方を持っておる
日本人は大勢おられるわけであります。
私は、
日本の国は不思議な国だと思う。なぜなら、二千六百年も続いて一度も外国の侵略を受けたこともないし、万世一系の天皇で、平民が天皇になったことはない。道鏡だって、それからそこの専横をきわめた人だって、自分自身が天皇になったことはない。自分の娘を天皇に嫁入りさせて、そして専横をきわめたことはあるかもわかりませんが。また、幕末のころだって、一歩間違えば
日本は侵略を受けるところも助かった。第二次世界大戦だって、あれだけ大きな傷を負いながら、普通、外国の王様だったらどうなりますかね。あの勝者の裁判、極東裁判だったら、恐らく外国の王様だったら、天皇はどうなっておるかわかりません。それだけじゃありません。
日本が負けたにもかかわらず、外国がつくった憲法の第一条、天皇象徴、こういうことは外国にないことであります。こういうことは神秘的なことで、私はよくわからないけれども、なぜこういう国体があるのかということを考えてみる、これは
日本の伝統を大事にする
日本人としては絶対必要なことであると思うのであります。
我々のような戦前教育を受けた者はこれは
理解できるはず。ところが、
昭和四十五、六年生まれ、それ以後に生まれた子供の教育を見てごらんなさいませ。教科書はでたらめ。どこの国の国民をつくるのかさっぱりわからない。それだけじゃない。権利の主張一点張り。何もわからない子供にこういう教育をしているのですよ。こういう子供たちがこれから十年、十五年たったら、ちょうど我々のような者がこの世にいなくなったころです、そのころ、おかしな教育を受けた者が総理大臣になったり、政治家になったり、官僚になったり、学校の先生になったり、
裁判官になったりするのであります。そういうことを考えて、
日本の伝統、大生命というものは何かということを今真剣に考えてみなければいけないときであると私は考えるものであります。
日本の伝統についても官房長官にお尋ねしたいのですが、官房長官もう二、三分しかいらっしゃらないから、残念ですが、ちょっと先へ飛ばします。
そこで、
皇室費それから宮内
庁費などについて申し上げまするが、官房長官、聞いてくださいませ。内廷費は、
昭和二十五年を
基本にしまして、
昭和五十九年度は倍率が八・五倍しかふえていない。それから宮廷費は二十九・三、皇族費は二十・五、それから宮内
庁費は四十七・六。何で大事な内廷費だけがわずか八・五倍にしかなっていないのかということであります。そして、五十九年度を見ると二億三千九百万円。二億三千九百万円から二十二名の
人件費を引きますと——後で資料として、内廷費の中から出している二十二名の
人件費の額を教えていただきたいが、恐らく一般のお役人と同じだとするならば、一人四百万か五百万円出費するとなると約一億円が消えてしまう。そうすると、約一億四、五千万円。月に割りますると一千万円そこそこであります。その中から祭祀を出さなくてはいけない。その神事費は全体の七%ぐらいしか
予算をとっておらないようであります。そういうようなわずかな
金額で
日本の象徴を保とうとする物の
考え方。
これは何でこんなに倍率が少ないのか。ここでお尋ねしたいのですが、時間がないですから私の知っていることを申し上げますると、終戦直後は一汁一菜。国民全体が粗末で質素な生活をしておった。ところが、経済が発展するに従いまして、我々国民は質と量がよくなってまいりました。ところが、天皇の内廷費だけは、終戦直後の一汁一菜に時代時代の物価の値上がりをそこに勘案をしてつくった
金額のように思えてならない。これはどこで決めるのですか。総理大臣が頂点に立った皇室経済会議でお決めになるとするならば、今後これをよく御
検討いただきまして——象徴の天皇の一カ月の費用が神様の祭事を入れても一千何十万円でできるわけがないじゃないですか。その辺の町の神社のお祭りを見たって、こんな
金額じゃできないはずであります。こういうことに何でメスが入っておらないのかと私は思います。このことについてひとつ。後でまとめて御答弁を願います。
それから、国民は天皇に、皇室に寄付をしたいという
考え方を持っておる人が大勢おる。しかしながら、一年間の限度額はわずか六百万円。六百万円以上寄付してはならないということであります。こんなことではいけない。もっと
金額を広げるべきではないかと思うのであります。
また、浩宮様の御結婚は皇室会議で国家機関の決定を受けるということになっておるのではないかと思いまするが、そうなりますると、皇族の結婚自体が国家行為と解されてもいいと思うのであります。そうなってまいりますと、当然そこに神道の儀式もやるでありましょうから、これは当然なことなんですよ。当然なことですから、浩宮殿下などの御結婚については皇室会議、国家機関が決定をして、そして、この神事というものを公事と考えていくという
考え方に徹していかなければいけないのではないか。こういったことを私が今申し上げておきませんと、またこのときになっておかしな思想を持った
人たちがどんな誤った論を展開をするかもわかりませんから、やはりその辺のところは政府の見解をはっきりまとめておいていただかなければならないと私は考えております。
そこで、今の
予算の問題その他について宮内庁から御答弁をいただきたいのであります。
官房長官お時間でしたら、二分超過しましたからどうぞ御自由に。