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1985-02-13 第102回国会 衆議院 予算委員会公聴会 第2号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和六十年二月十三日(水曜日)     午前十時開議 出席委員   委員長 天野 光晴君    理事 大西 正男君 理事 小泉純一郎君    理事 橋本龍太郎君 理事 原田昇左右君    理事 三原 朝雄君 理事 稲葉 誠一君    理事 岡田 利春君 理事 二見 伸明君    理事 吉田 之久君       伊藤宗一郎君    伊吹 文明君       大村 襄治君    小杉  隆君       砂田 重民君    田中 秀征君       田中 龍夫君    葉梨 信行君       原田  憲君    井上 一成君       大出  俊君    岡田 春夫君       川俣健二郎君    佐藤 観樹君       松浦 利尚君    矢山 有作君       池田 克也君    近江巳記夫君       神崎 武法君    大内 啓伍君       岡田 正勝君    木下敬之助君       小平  忠君    梅田  勝君       瀬崎 博義君    田中美智子君       松本 善明君  出席公述人         青山学院大学教         授       館 龍一郎君         住民の足を守る         道民会議会長  大内  基君         同盟政策室長  幸重 義孝君         全日本民主医療         機関連合会会長 莇  昭三君         サンケイ新聞社         論説副委員長  千田  恒君         軍事評論家   前田 哲男君  出席政府委員         内閣官房副長官 山崎  拓君         総務政務次官  岸田 文武君         北海道開発政務         次官      上草 義輝君         経済企画政務次         官       中西 啓介君         環境政務次官  中馬 弘毅君         法務政務次官  村上 茂利君         大蔵政務次官  中村正三郎君         大蔵省主計局次         長       平澤 貞昭君         大蔵省主計局次         長       保田  博君         文部政務次官  鳩山 邦夫君         農林水産政務次         官       近藤 元次君         通商産業政務次         官       与謝野 馨君         運輸政務次官  小里 貞利君         郵政政務次官  畑 英次郎君         労働政務次官  浜野  剛君         建設政務次官  谷  洋一君         自治政務次官  小澤  潔君 委員外出席者         予算委員会調査         室長      大内  宏君     ————————————— 委員の異動 二月十三日  辞任         補欠選任   倉成  正君     伊吹 文明君   武藤 嘉文君     田中 秀征君   井上 普方君     岡田 春夫君   木下敬之助君     岡田 正勝君   梅田  勝君     田中美智子君 同日  辞任         補欠選任   伊吹 文明君     倉成  正君   田中 秀征君     武藤 嘉文君   岡田 春夫君     井上 普方君   岡田 正勝君     木下敬之助君     ————————————— 本日の公聴会意見を聞いた案件  昭和六十年度一般会計予算  昭和六十年度特別会計予算  昭和六十年度政府関係機関予算      ————◇—————
  2. 天野光晴

    天野委員長 これより会議を開きます。  昭和六十年度一般会計予算昭和六十年度特別会計予算昭和六十年度政府関係機関予算、以上三案について公聴会を開きます。  この際、御出席公述人各位に一言ごあいさつを申し上げます。  公述人各位におかれましては、御多用中にもかかわらず御出席を賜りまして、まことにありがとうございます。昭和六十年度総予算に対する御意見を拝聴し、予算審議の参考にいたしたいと存じますので、忌憚のない御意見をお述べいただくようお願い申し上げます。  なお、御意見を承る順序といたしましては、まず館公述人、次に大内公述人、続いて幸重公述人順序で、一人二十分程度ずつ一通り御意見をお述べいただき、その後、委員からの質疑にお答え願いたいと存じます。  それでは、館公述人にお願いいたします。
  3. 館龍一郎

    館公述人 ただいま御紹介いただきました館でございます。  本日、六十年度予算について意見を表明する機会を与えていただいたことを大変光栄に存じます。予算歳出面中心にしまして、それと経済活動との関係中心に私の意見を述べてまいりたいと存じます。  昨年、昭和五十九年度予算審議に際しまして、公聴会におきまして公述をする機会を持ったわけでございますが、その際に次のように申し上げたわけでございます。  日本経済石油価格の下落、アメリカ中心とする景気回復影響を受けて、ここ当分自律的な回復の過程をたどると期待される。したがって、財政については、財政支出拡大ネット減税によって経済活動刺激を与え、経済拡大を図っていく余裕がないばかりか、仮にそのような政策をとっても効果はほとんどなく、いたずらに財政を悪化させる危険がある。したがって当面は、まず財政再建に努め、弾力的な財政運営を行い得る余地を確保するように努めることが肝要である、こういうように述べたわけでございます。  幸いにして昭和五十九年度中の日本経済は、アメリカ中心とする世界経済の好況、石油価格物低位安定と設備投資増大等に支えられまして、大変順調に回復、発展してまいったわけでございます。同時に、物価も大変安定するという良好なパフォーマンスを示してまいりました。昭和六十年度も、五十九年度と同じように引き続き良好なパフォーマンスを示すだろうというように期待されるわけでございます。これは幾つかの原因が考えられますが、まず第一に、アメリカ経済が少なくとも六十年中は引き続き活況を呈するというように期待されるということ。第二に、日本における設備投資がこれまた、五十九年度に引き続き高い水準を示すものと考えられるということでございます。  したがいまして、日本財政が現在置かれている状況を考えた場合、財政に期待されることは、昨年とほぼ同様でありまして、公共事業支出をふやすとかネット減税によって景気刺激を与えるということではなく、この経済が順調に発展している機会をつかまえて財政再建に努めて、それによって財政の弾力的、機動的な運営を行い得る余地をこの機会に高めるように努めることであるというように考える次第でございます。  もっともこのような主張に対しましては、経済回復、発展を確実なものにするために、財政再建を多少先に延ばして当面、公共事業減税を行う方が望ましい、こういった反論が予想されるわけでございます。しかし、現在の時点におきましては、従来と違いまして、経済構造そのものが変化してまいっておりまして、公共事業減税を行っても、その景気に与える効果は余り大きくないというように考えられる一方、これによって財政赤字改善は一層おくれて、その結果、国債残高はさらに増加するということになるのではないかと思います。所得税減税といったようなことが問題になっておりますが、所得税減税等については、これは税制全体の見直しを行う際に、その一環として検討していくのが最も望ましいというように考える次第でございます。  ところで、国債の増発はいろいろな問題を生じます。まず、国債を増発するということになりますと、残高が累増して、国債費、つまり利払いの増大を招きまして、本来ならば教育であるとか社会福祉等に充てることができるはずの資金を食いつぶすということになります。つまり、財政本来の目的に使い得る資金がその結果減少するという意味で、財政弾力性が失われるということになります。  さらに、国債発行は、本来は将来税金で国債の元利を支払うといういわば納税の予約あるいは納税の繰り延べにほかならないわけでありますが、さしあたり税負担増大を生じないということから、どうしても安易な支出増加を生じやすいという問題があります。そういう意味で、国債発行に依存していく場合には、財政節度が失われてしまうという危険が大きいわけでありまして、当初は国債発行に警戒的であった人たちも、大量の国債発行が続いてまいりますと、だんだんそれに不感症になってまいりまして、その結果、財政節度が失われるということになるわけであります。  なおそのほか、公債発行の弊害といたしましては、借金でありますので、後の世代の負担増大するといったような問題があることも否定できないわけでございます。したがって、先ほども申しましたように、経済が現在のように着実に発展しているという際には、できるだけ公債依存度を下げて、財政弾力性回復するように努めるということが肝要であるというように考えるわけでございます。  ところで、財政再建目標でございますが、財政再建目標につきましては、私はかねてから、経済が着実に成長しているという状況のもとでは少なくとも赤字公債には依存しない、つまり、経済が着実に成長している状態のもとでは、投資的な支出以外の経常的支出は、経常的収入で賄うようにするべきであるというように主張してまいったわけでございます。つまり資本的あるいは投資的な支出が、これが建設公債によって賄われるということは不自然ではないといたしましても、経常的な経費は経常的な収入によるべきであり、赤字公債発行は、これは絶対にいけないというわけではありませんけれども、赤字公債発行は大不況等非常事態に限られるべきものであるというように考えているわけでございます。  ところで、それではなぜ非常事態のもとで公債発行を認めるか、ある意味で積極的にそういう場合に公債発行を認めるかと申しますと、大量の財政支出が必要な場合、一度にこれを租税で賄って支出しようということになりますと、低所得者層にまで非常に高い負担を求めなければ税では賄い得ないという問題が生ずるからでございます。そこで、今申しましたような不都合を取り除くために、公債発行して一時、資金を調達し、徐々に返済するという方法がとられる。つまり、徴税タイミングを変えることによって社会的な摩擦を取り除くといいますか、そういう不都合を小さくするというために、臨時、非常の場合には赤字公債発行もやむを得ないというように考えるわけでございます。  以上のような考え方に立って導かれる結論が、先ほど申しました、経済が着実に発展している場合には、赤字公債の脱却を目指し、そして赤字公債依存度を下げていくべきである、こういう結論になるわけでございます。  赤字公債依存度を着実に下げていく方策といたしましては、幾つかの方策が考えられるわけであります。第一は、思い切った歳出削減合理化を行うことであります。第二は、受益者負担等の歳入の増加を図っていくということであります。第三は、インフレーション政策をとるということでございます。この三つ方法の中で、インフレーション政策が最悪の方法であるということは明らかであります。  そこで、この三つ方法の中でまず第一になすべきことは、思い切った歳出削減合理化に努めるということでありまして、そしてそれだけで目的を達し得ないという場合には、増税を含む増収策が必要になってくるというように考えられるわけでございます。  この場合、留意しなければならない問題点といたしまして、財政支出を税によって賄うか、国債発行によって賄うかということ、それの経済活動に与える効果という点について申しますと、これはそれほど大きな違いがないということでございます。経済活動そのものに与える影響という点ではそれほど大きな違いがないということであります。  それから二番目に、増税がある場合に不可避であるといたしましても、低所得者層に対する負担増加を回避するためには、増税による再建を余り急ぎ過ぎないようにするということが重要である。もともと公債発行が認められるというのは、先ほど申しましたように、徴税タイミングの問題になるわけでございますから、余り急ぎ過ぎないようにするということが留意されなければならない点であるというように思います。  そういうように考えてまいりますと、場合によっては、財政再建の終期が六十五年以降にずれ込むというようなことがあっても、それは決して歓迎すべきことであるというわけではございませんが、そういうことがあってもやむを得ない、こういうように考える次第でございます。  以上のような観点に立って六十年度の予算について見てまいりますと、まず第一に注目されるのは、地方交付税国債費を除く一般歳出が三年連続で対前年減額という姿になっており、その伸率も一応〇%ということになります。地方交付税国債費を含んで一般会計で見ても三・七%の増加にとどまり、その結果、一兆円の国債発行の減少が達成されたという点でございます。一兆円の減額の中で、赤字公債減額が一兆円ではなくて七千五百二十億にとどまったという問題はありますが、しかし、これによりまして、一時は三四%まで上昇していた公債依存度が、昨年をさらに下回って二二・二%にまで下がることになった。年を追って歳出カットが難しくなっているということを考えますと、歳出節減合理化に示された努力については、これを一応評価してよいというように考える次第でございます。  この予算景気に与える影響は、これは地方財政とあわせて考えなければならないわけでございますが、ほぼ中立的であるというように申してよろしいと私は考えております。  それから、六十年度の予算の重要な特徴一つは、補助金について五十九年度に引き続き総額の厳しい圧縮が行われたということ、それから、不必要になった補助金廃止であるとか統合メニュー化といったようなことが行われたことに加えまして、高率補助見直しであるとか人件費補助見直し等によって、国と地方費用負担についての見直しが行われたということが、六十年度予算の非常な特徴であると思います。  補助金整理合理化については、いつも総論賛成各論反対で遅々としてその改善が進められないというのが実情であったわけでありますが、五十九年度に引き続いて六十年度の予算で相当の補助金カットが行われたという点は、これまた評価すべき点であるというように考えます。  特に高率補助引き下げ等につきましては、いろいろの批判がなされていることは承知しております。しかし、概算要求におけるシーリングを設定することが、各省庁創意工夫を引き出して、それによって財政節減合理化が進められたということを考え合わせてみますと、財政的に余裕のある地方自治体負担の分担を求めるという今回の措置は、これは地方自治体における創意工夫を促して、中央地方を通ずる財政節減合理化に役立つに違いないというように考え、その点を評価するものであります。これを機会に国と地方との関係について、さらに幅広い見地からの見直しが行われることを強く期待するものでございます。  なお、歳出の内容につきましては、教科書無償給付等取り扱い等、なお一層合理化に努めるべき点が存在することは否定できませんが、さきにも述べましたように、全体としては節減合理化努力を評価してよいと考えている次第であります。  ただ、私自身の率直な見解を申し上げさせていただきますと、現下の財政状況のもとでは、すべての歳出について聖域を設けることなく徹底した節減合理化を図るということが肝要であるというように考えておりまして、そういう観点から申しますと、防衛費等について例外的措置が認められたことについては遺憾に感ずる次第であります。文教や社会福祉等に非常に厳しい抑制を求める以上、これらの経費について聖域を設けるということは大変遺憾であるというように私は考えております。  さて、六十年度の予算については、ともかくも従来方式によって節減合理化が図られ、予算編成がなされたわけでありますが、このような予算編成を可能にした背景は、五十九年度に着手された制度改革効果が六十年度になってあらわれてくるということ、それから国債整理基金への定率繰り入れの停止が六十年度も行われるということ、さらに、税外収入の可能な限りの確保といったようなことがなされた結果として、先ほどから述べたような予算が編成されたわけでありますが、以上のような従来方式に基づく節減合理化中心とした予等編成は、次第に無理も目立ってきているような点がございます。  そういう意味で従来方式予算編成は、限界に来ているとは申しませんが、いわば限界に近づきつつあるように感ずる次第でありますし、その結果として、税制面でもいろいろなゆがみが生ずるに至っております。したがって、今後の予算編成を考えた場合には、財政再建のスピード、税制あり方等をも含めて財政全体のあり方を検討していくことが重要になるのではなかろうかというように考える次第でございます。  以上をもちまして、私の公述を終わります。(拍手)
  4. 天野光晴

    天野委員長 どうもありがとうございました。  次に、大内公述人にお願いをいたします。
  5. 大内基

    大内公述人 御紹介をいただきました大内基でございます。  国の財政が極めて困難な状態にあるということは、国民の大半が知悉しているところであります。国債累積発行高が百二十兆円を超える今日、国に対しましてあれもこれもと無理な要求を突きつけるというようなことが、必ずしも建設的な意見だというふうには思っておりません。が、しかし、財政が苦しければ苦しいほど、少ない支出の中からどのような施策を実行することが、民生の安定あるいは庶民の生活向上につながるかを慎重に検討することが一層要求されるわけであります。つまり、予算の中にはっきりした理念あるいは理想といったものが盛られておらなければ、予算というものは単なる数字合わせあるいは数字の羅列にすぎないものでかりまして、本当の意味での政策とはとても言えないものだというふうに存ずるのであります。  総じて言いますと、今日の財政危機というのは、明治以来の中央集権機構、特に高度成長期に肥大をしましたところの行政システム機能麻痺を起こして、例えば病人で言いますと、ある部分血行障害を起こし、あるいはある部分が胃けいれんになったといったものとよく似ておりまして、健康体にするためには当然、麻痺をした部分を治すことから始めなければならないのにかかわらず、従来国のとってきた政策というのは、そうした機能麻痺を放置したまま専ら財政再建だけを優先しまして、各省庁予算を一律削減あるいは補助金助成金といったものを軒並みカットする。一体こういうような一律削減とか軒並みカットというものが、本当に国民全体の生活向上に役立つものかどうかということについての配慮というものが、予算の中には欠落しているのではないかというふうに考えるわけであります。  これはささいな例で恐縮でありますが、委員皆様御承知の、百万円をもらうのに八十万円かかるという地方自治体の嘆きをもう一度思い返していただきたいのであります。補助金をもらうのに中央陳情に行かなければなりません。しかも一度では熱意を疑われますので、二度、三度と出かける。この旅費が二十万円。さらに、縦割り行政でありますから、一つの省ばかりでなくて二つ、三つというところに陳情に行く。しかも、ここを直せ、あそこがおかしいというように突っ返される。そのたびごとに書類を作成しなければならない。この作成の費用というものが十万円。同時に、さらにつけ加えてでありますが、このために余分の人員を抱えなければならない人件費というものが五十万円。合計して八十万円かかりまして、その結果自治体が受けるのが百万円ということになるわけであります。ことしもまた補助金が軒並みにカットをされるようでありますから、そうなりますと、八十万円をかけて実際に自治体の使えるのは十万円ということになるわけであります。  ある自治体首長さんいわく、補助金は現在の三分の一でもよろしい、それが自治体が自由に使えるものであるならば、今までのひもつきよりもはるかに能率を上げることができる。これは大分前でありますが、新聞紙上自治体名前首長名前も明らかにして報道されたところでありますから、委員皆様も御記憶になっていらっしゃる方もあろうかと存ずるのであります。行政システム麻痺状態というのは、まさにこういうところにも出ているわけであります。  以上の前提条件に立ちまして、私は、財政的に最も苦しい国鉄問題、特に地方交通線廃止分割民営に焦点を絞りまして、いささか私見を述べたいというふうに存じます。  まず、国鉄問題を論義する際よく利用されるのが、国民経済効率化という命題であります。一部のエコノミストたちも好んでこの言葉を使っているようでありますが、例えば膨大な赤字を生むところの国鉄は、国民経済の上からいって効率を上げるために赤字線は切ってしまえ、あるいは公社制度では能率が上がらないからこれを解体して分割民営にしろという議論であります。  さて、この場合でありますが、国民経済とは一体何を意味するのか。廃止論者が主張するところの国民経済効率化というのは専ら数量化されたもの、つまりお金に換算をして、地方線幾ら幾ら赤字が出るから廃止をしろ、全国一本の公社形態では能率が上がらないから分割して民営にすればどれぐらいの金が稼げるかという算術計算から出たものであります。しかも、この効率化というのは専ら企業の側に立っての計算でありまして、列車運行によって受けるところの住民利益というものが全く考慮の中に入っていません。効率化という概念は、企業の側に立てはまさに数量化されるものでありますけれども、住民の側に立った場合、つまり消費者の側に立った場合でありますが、なかなか数量化は困難なものであります。例えば通学の便、医療を受けるための利益、さらに文化の向上といったものは到底数量化できないものでありまして、もともとお金に換算することになじまないものであります。  さて、私は北海道から参りました。今国鉄が抱えておりますところの赤字の悩み、同時にまた、その一方で、列車によるところの恩恵を受けている点では国鉄のプラス・マイナスの面を象徴的に示しているところでありますので、国鉄問題も専ら北海道に重点を絞りまして問題提起をさせていただきたいというふうに思うのであります。  北海道鉄道が敷かれたのは、新橋−横浜間が開業した八年後の一八八〇年、明治十三年のことであります。札幌から小樽の手宮間を結ぶ短い区間であって、これは札幌のヒンターランドに当たるところの空知地方幌内石炭小樽港から本州に運ぶための鉄道であります。明治の初め北海道には、あの広大な土地にわずか五万を超える程度の人間より住んでおりませんでした。したがって、この鉄道はもちろん人を運ぶものではなくて、専ら石炭を運ぶことを目的にしたものであります。以来今日まで百余年、北海道鉄道網は幹線、支線合わせまして三十二、人口も五百六十万を数えるに至りました。この事実は、鉄道敷設が専ら殖産を志向したものでありますけれども、同時にそれによって北海道の開拓が急速に促進をされて、道民生活が著しく向上したことを示すものであります。  ところが、第一次、第二次の地方線廃止の対象になっているのは、実に三十二線の三分の二に当たる二十二線にも上っております。この案がそのまま実施をされますと、北海道はまさに七十年前の大正の時代に逆戻りすることになります。しかも分割民営が行われたならば、国鉄のいわゆる営業係数ですかその指数から見て、幹線さえも経営は極めて困難になり、北海道では全線路が撤去されるかもしれないおそれさえも十分あるのであります。これでは大正時代どころか、明治の初め、蝦夷の昔に返るわけであります。もちろん昔とは違いまして今日道路が整備をされておりますから、バスに転換することもできるし、マイカーで旅することも可能、あるいはトラックで物資を輸送するのも容易であります、こう反論する人もあるだろうと思います。しかし、それは北海道の広さあるいは北海道の環境の厳しさというものを認識していない人の議論であります。  昨年の夏でありますが、運輸省の係官が第二次廃止対象線の沿線地区を現地視察をいたしました。北海道で最も気候のよい夏、それも一日で二線、三線といった駆け足で回るような形式的視察でありましたので、住民の大きな反感を買ったという事実があります。視察や調査に来るならば、寒さの厳しい真冬の雪に埋もれているところを見ろというのが住民の率直な声なのであります。運輸省は今月もう一度調査をし直すようですが、私はできれば再建監理委員会の委員の方々も御同行をいただければ幸いだと思っているのであります。  北海道を南北に分けますようにちょうど真ん中を東西に走っております深名線、名寄線というのがあります。ことしも零下三十度を超える日が何日も続きました。あるところでは三十七度以下を記録さえしております。委員皆様は、零下三十度といっても、数字としては御理解いただけるでしょうが、実際どんな寒さなのかということを果たして実感としてお持ちいただけるかどうか。零下三十度ぐらいになりますと、本州などから行った人がもしも無防備でもって戸外などに出ますと、瞬時のうちに顔も耳もそれから手も足もあっという間に凍傷にかかってしまいます。暖かい地方の方々は、冷蔵庫といえば物を冷やして保存するためのものとお考えでしょうが、極寒の地にありましては冷蔵庫というものは物を冷やすためにあるのではなくて、凍らせないためにあるもの、あえて言いますと、これは冷蔵庫ではなくて保温庫であります。零下三十度を超えますと、ビールでも酒でもたちまちのうちに凍って音を立てて瓶が破裂をします。野菜も果物も魚もからんからんに凍ってしまいます。これではとても調理はできませんので、冷蔵庫に入れて凍らせないように保存をするというのが北海道における冷蔵庫の役割であるということを特に強調しておきたいというふうに思うのであります。  今、これらの極寒の地に走るところの線を廃止して、バスに転換をしたとします。短い距離でさえもバスというものはとかく定刻どおりには走れないものであります。まして百キロを超えるような長大路線を走るバスでありますから、定刻どおりバスが来るという保証は全くありません。いつ来るともわからないバスを待って吹雪の野原で首を長くしているというその苦痛というものは、委員皆様もぜひお考えをいただきたいというふうに思うのであります。北海道のような寒冷地にあって鉄道線路を撤去しバスに転換するということは、単に便不便の問題ではなくて、まさに生死にかかわる問題であるのであります。  北海道はここ数年、交通事故死全国一の不名誉な記録をつくっております。事故の多くが、夏の間の若者の暴走と、もう一つ、冬の路面凍結による車の制御困難から発生をしております。殊に冬期間スパイクタイヤの使用によって削られたアスファルトの粉じんに甚だしく環境が汚染をされております。さて、このような事故死や環境汚染というものは、残念ながらこれを数量化することができないのでありまして、また野っ原でもってバスを待つつらさ、一方暖房のあるところの鉄道の駅で列車を待つことの快適さとの差異というものを、これまた数量にあらわすことはできません。国民経済効率化という概念の欠陥はここにも明瞭に酌み取れるのであります。  さらに、北海道全部が過疎地でありますが、この過疎地の北海道にあって、すべての市町村に十分な教育施設、医療機関、文化施設を置くわけにはいきません。小さな村や町から大きな町や市へ、学校、病院に通います。ところで、国鉄の運賃は毎年のように上がって利用者の不満を買っておりますけれども、それでも地方にあっては列車にかえて民営のバスを利用すれば、大体において三倍から五倍の費用がかかります。高校が義務教育化した今日、地方民の多くがバス通学の費用負担に耐えられるのかどうか。また、ある高校では生徒の七割が列車通学をしている例もありますが、通勤者を含めて、所定の時間にバスで一斉に運ぶことが果たして技術的、物理的に可能なことなのかどうか、多大の疑問が持たれるのであります。  以上、主としまして北海道に例をとって国鉄の問題の一端を述べました。しかし、これは単に北海道だけの問題ではなくて、質や量の違いはあるものの全国に共通するところの深刻な問題でもあるのであります。そもそも国と自治体と、どちらが住民と直接に触れ合い、日々の生活にかかわり合いを持っているか、住民のことを本当に案じているのはどちらなのか、改めて言わずとも明らかなことだというふうに思います。住民と肌を触れ合わせる中で、自治体は現在産業構造の変化に対応しながら、どうしたら新しい産業を興して住民の雇用を確立するかに真剣に取り組んでおります。大都市ばかりでなくて地方住民にとっても、教育、医療あるいは福祉施設、広い意味での文化を享受することは、生きていく上での権利というよりも生活の必需品的な役割を持っているのであります。その自治体住民がこぞって地方線廃止に反対しているのを一体何と解釈すべきでありましょうか。これを単に自己中心的な自治体住民のエゴイズムから出たものととるべきではないというふうに思うのであります。  最後に、国鉄問題を考えるに当たって、私は三つの点から検討しなければならないというふうに思っているのであります。  第一は、国鉄が二十二兆円もの累積債務を抱えるようになったのは一体どういう理由なのか、その原因と経過を徹底的に分析解明することが重要だというふうに思うのであります。原因の追及をなおざりにしては、再建策を幾ら立てても、いつでもびほう策に終わるか、最後には投げ出してしまうという結果になるわけでありまして、本当の意味での解決策は生まれないというふうに思うからであります。  第二には、国鉄が本来的に持つ役割というものを再検討すべきではないか。企業である以上は当然利潤原理というものをある程度導入することはやむを得ないというふうに思いますけれども、さきに述べましたような計量化されないところの利用者の利益もまたもっと再評価すべきではないかというふうに考えるのであります。  三番目に、三十年後、五十年後の交通がどのような状態にあるのかあるいはどうあるべきかの長期展望を持つことの重要性があります。五十年後も石油が豊富にあって、もっと今日よりもモータリゼーションが進むだろうというふうに見るのは余りにも無邪気過ぎるというふうに思うのであります。石油不足が現実化したとき、大量輸送機関を何に求めるべきなのかということを今から十分に考慮、検討しておく必要があるだろうと思います。  残念ながら政府の予算案には、以上述べたような三点につきまして、故意か偶然かいずれも欠落をしていると判断せざるを得ません。理想を持たない予算はだめだと冒頭に申しましたが、六十年度の予算にはそのことが欠けている点を特に指摘をしまして、賛成できないことを改めて表明し、私の陳述を終わることにしたいというふうに思います。  どうもありがとうございました。(拍手)
  6. 天野光晴

    天野委員長 どうもありがとうございました。  次に、幸重公述人にお願いいたします。
  7. 幸重義孝

    幸重公述人 御紹介いただきました全日本労働総同盟の幸重でございます。  御送付をいただきました昭和六十年度予算にかかわる資料を読ましていただきました。その中に「昭和六十年度の経済見通しと経済運営の基本的態度」と題する一月二十五日に閣議決定されたものがありました。  五十九年度の経済成長率は実質で五・三%程度となることを見込み、六十年度の経済運営の第一の柱として国内民間需要を中心とした景気の持続的拡大と雇用の安定を挙げてありました。日本経済が五年ぶりに五%成長を実現することとなったようであります。五%成長の主役を果たしたのは、対米輸出を中心とする輸出の急増であることはこれまた事実であります。しかしながら、国民生活に直結する個人消費やあるいは住宅は、例えば政府見通しでも大幅な下方修正となっております。いわば成長の内容の面で問題があるというふうに私どもは考えております。  私たち同盟は、一昨年以来、五%程度の中成長が可能であり、そのために経済政策拡大路線に転換をし、賃上げ幅の引き上げによって国内需要の拡大を提案をしてまいりました。その提案は残念ながら実現をいたしませんでしたけれども、現実には、アメリカ景気の急回復が五%成長ラインへの復帰を主導いたしたものと言えます。成長の内容に問題が残るにしましても、五%を上回る成長が実現をし、しかも物価が安定をしているという事実は極めて大きいと考えております。日本経済の潜在成長率はまさに五%以上を維持していることが実証されたわけでありますし、ここ数年一部で言われ続けてまいりました日本経済の潜在成長率は低下をしたとする論や、あるいは、欧米のスタグフレーションが長期化することを予想しまして低成長論を説き、政策の根幹に置くべしとする、そういう主張はまさに根拠を失ったと考えられるからであります。政府による有効な需要拡大政策やあるいは賃上げはインフレを加速するだけであるというような主張が続けられておりましたけれども、まさにその論拠を失ったものと判断をいたさざるを得ません。  その意味で、昭和六十年度予算において、経済運営の基本的柱ともいうべき景気の持続的拡大と雇用の安定という課題に従来と異なった積極的な政策が展開されるべきであるというふうに考えておりますが、残念ながら例えば政府支出の中の固定資本形成は二年連続マイナスでありますし、依然として縮小均衡型の経済財政政策に固執をしていると指摘せざるを得ません。我が国が抱えた国債発行残高は六十年度末で約百三十三兆円に上り、容易ならざる事態となってまいりました。このまま放置をすることは、財政の弾力的対応を困難にし、民間資金の締め出しやあるいは財政インフレの招来など、我が国経済に混乱を来すおそれなしとはいたしません。  我が国のこの財政赤字は、私は二つの要因があると考えております。一つは経常的な支出増加による構造的な赤字と、二つには景気の停滞から来る税収の伸び悩みによる循環的な赤字であります。構造的な赤字は、政府が今日まで行財政改革に極めて消極的であったことによる結果であると推定がされます。循環的な赤字は、政府が実質的かつ大幅な所得減税やあるいは投資減税の実施あるいは公共投資の拡大などの積極的な経済政策を怠ってきたばかりか、先ほど申し上げましたような低成長論ではありませんけれども、本来財政の持つ景気調整機能を発揮せしめなかったことによる税収の伸び悩みがその結果を招いたものと言わざるを得ません。  今日の財政赤字をその原因から追及することなく、構造的な赤字も循環的な赤字も短絡的に混同し、構造的な赤字解消のための行財政改革の名のもとに、それとは性格が異なる循環的な赤字に対してもいわば対症療法としては逆療法の緊縮政策をもって臨み、その結果、自律的な景気回復財政再建もともに果たすことができなかった財政当局の責任は極めて重大であると言わざるを得ません。     〔委員長退席、大西委員長代理着席〕  縮小均衡型経済財政政策の継続が国内的には財源不足を理由とする福祉の大幅後退やあるいは社会資本整備のおくれなどを不可避といたしましたし、迫り来る高齢化社会へ向けて国民の強い期待にこたえることなく、対外的にも内需の停滞による貿易摩擦の激化と財源不足による経済協力の抑制など、我が国を国際的に孤立化をさせるおそれがあります。世界経済がようやく長期にわたるスタグフレーションを解決をいたしまして、日本経済もインフレなき五%成長、中成長を達成しようとしている今こそ、低成長時代のイメージを一新をし、新しい時代の幕明けを迎えるべきであろうというふうに思います。このような時代の動きを敏感に反映した予算の策定が望まれるところであります。  私ども同盟は、積極経済政策の具体策の第一といたしまして、一つには課税量低限の引き上げによる所得税住民税の減税、二つには別居手当、帰宅旅費の非課税化による単身赴任減税三つには民間住宅ローン返済額に対する所得控除制度の創設による住宅減税、四つには教育費控除制度の創設による教育減税、五つにはパート、内職減税、六つには老年者年金特別控除額の引き上げなどの年金減税など、総額約一兆円程度の所得減税の実施を今日まで強く求めてまいりました。  同時に、私たちは、財源対策としては、第一義的には経済の安定成長による自然増収や不公平税制の是正、歳出削減などによることとしてもらいたいし、中でも国税においては、申告納税制度の強化拡充による所得捕捉率の是正やあるいは社会保険診療報酬に対する特例措置廃止あるいは利子配当所得の総合課税化、有価証券譲渡所得の非課税措置廃止、有価証券取引税率の引き上げ、各種準備金に対する租税特別措置廃止減税効果による税の増収分等を見込むことによって財源になり得るというふうに考えております。そしてまた地方税においても、利子配当所得の総合課税化、法人住民税均等割の適正化あるいは医療等事業税非課税の廃止、社会保険診療報酬に対する特例措置廃止などを提言をいたしております。  この際、一言申し上げておきたいことがございます。  私たち労働団体は、昨年十一月二十六日であったと思いますが、政府税調に対しまして、私たちの代表である税調委員を通じ、非課税貯蓄限度管理のあり方につきまして、低率分離課税には反対でありますが、非課税カードの導入に積極的に賛成であること、カード発行に必要な経費はあえてみずからの負担としてもよろしいという態度を表明をいたしました。残念ながら、この提言は全く取り上げられることなく無視をされてしまいました。私たち同盟を初めとする全労働団体がみずから一定の負担を前提として税制のシステムに関する提言を行ったということはまさに画期的なことでありますし、今こそ政府はこのような真剣な労働者の声に耳を傾けるときではないかというふうに考えております。  これに関連をいたしまして、政府税調と自民税調とで異なった改革案となりました非課税貯蓄制度の問題につきまして、結果としては自民党税調の改革案が生かされた結果となりましたけれども、内容の問題は別にいたしまして、私どもは政府税調とは一体何なのかという疑問を持たざるを得ません。直間比率の問題を中心として、今内外に新しい税体系のあり方についての論議がほうはいと起こりつつあるとき、この政府税調の社会的な位置づけにつきまして政府はまずもって明らかにすることが先決であろうというふうに考えております。  私たちは、積極経済政策の具体的な手法として、中小企業投資減税拡大やあるいは社会資本投資の拡大など、政府として果たすべき役割を十分に果たすことを求めてまいりたいというふうに考えております。     〔大西委員長代理退席、委員長着席〕  中曽根首相が答申の実行を最大限に約束をしております臨調答申、「増税なき財政再建」を唱え、その定義として、全体としての租税負担率の上昇をもたらすような税制上の新たな措置をとらないということになっております。最近における院内の論議やあるいは財界の一部における大型間接税導入を求めるかの発言は、増税なきとする旗印は一体どこへ行ってしまったのか、そういう感じがいたします。この論議から受ける強い印象は、最初に増税ありきということであります。まさに行財政改革の大義は消えてしまったのでありましょうか。  私たち同盟は、我が国における行財政改革のいわば下支えともいうべき活動を今日まで展開をいたしてまいりました。その私たちが今そういうことを直接感じているわけでありまして、この辺につきましては、どうかひとつ政府の責任においてこれから以降の行財政の方向について明らかにいたしてもらいたいというふうに考えているわけであります。  そもそも直間比率とは、あるべき税制の改革が行われた結果として出てくるものであって、その比率が目標となってそのために税制が変更されるという筋合いのものではないというふうに私どもは考えております。聞くところによりますと、現行税制におきまして直接税、特に所得の捕捉に公平が期しがたく、次善の策として間接税の導入を行い、それを財源として所得税減税を行おうとする論があるやに聞いております。何がゆえに最善の道たる所得の捕捉の徹底という行政の果たすべき役割を放棄しようとするのか、極めて疑問の尽きないところであります。  新たな増税を行う以前にやるべき課題がいまだ多く残されているというふうに思います。  その第一は、行財政改革のより一層の断行による歳出削減でありますし、第二には、経済運営財政政策の転換による大幅な税の自然増収の確保でありますし、第三には、現行税制の制度面、執行面の不公平税制の是正であります。これらを同時進行的に進める必要がありまして、いずれの項目も不十分なまま大型間接税の導入を図るということは私どもとしてはとても理解しがたいところであります。  一兆円規模の減税要求、私どもは昭和五十三年から五年間の実質可処分所得が三・七%、年率にいたしましてわずかに〇・七%の上昇しかない現在の状況から何としても脱したい、そういう国民の声を代表したものだというふうにこの一兆円規模の減税要求は考えております。  どうか予算委員会全体の総意といたしまして、予算案の修正のために具体的な協議をその点からもお願いを申し上げておきたいというふうに思います。  二月十一日付の読売新聞によりまして、太陽と緑の週の制定につきまして、約七割の人々がその実現に期待を寄せていることが明らかとなりました。私たちは今日まで国民のあらゆる階層の方々に呼びかけを行い、共感と理解を得てまいりました。この種のアンケートでもって約七割の方々が期待をするということは、まさしく国民一人一人がひとしく期待をしていると言って過言ではありません。今国会におきまして法的措置を確立されることによりまして、この期待にぜひともこたえていただきたいとお願いをいたしたいというふうに思います。  本年の一月二十四日、二十五日と私たち同盟本部の大会を開催いたしました。第二日の午後でありましたけれども、私たちは労働時間短縮に関する国際シンポジウムを開催いたしました。OECD・TUACのタピオラ書記長やあるいはアメリカ、AFL・CIOあるいはイギリス、TUC、西ドイツ、DGB等のそれぞれの組合からパネラーが出席をいたしまして異口同音に言われたことは、残業で収入を確保するというような構図は欧米においては一世代前のものである、あるいは日本からQCその他を含めて今日までいろいろ学んできたけれども、事時間短縮に関して、あるいは労働時間については学ぶものは何もないという厳しい指摘でありました。  国際収支におきましても、経常収支が三百五十億ドルを超える黒字となった我が国が、国際的に公正な労働基準のもとに貿易を展開しないと、今後ますますその責任を問われてくることになります。働くことのとうとさと働くことの喜びを知っている私たちでありますが、そのためにこそ太陽と緑の週の制定やあるいは時間短縮が、当面する極めて重要な課題であるというふうに考えております。六十年度中に年間総労働時間を二千時間以下とするような格段の行政指導をする等、迫力ある労働、雇用問題に関するところの取り組みをお願い申し上げたいというふうに思います。  高齢化社会へ向けて雇用の問題に関する積極的な取り組みが要請をされてまいりました。六十歳定年の法制化を中心とする六十歳台前半層の雇用機会を確保するための方策など、総合的な高齢者雇用対策法ともいうべき方策が今日求められていようかというふうに思います。今、雇用審議会におきまして、六十歳定年の問題を中心としてその法制化に向けての論議が続けられているようでありますが、早急に結論を求め、法制化、一般化を図っていただきたいというふうに考えております。あるいはサービス経済化に伴うところのさまざまな不安定雇用の労働者が今日急激に増加をしつつあります。雇用の安定と労働者保護のために必要な法整備がますます重要となっております。  同時に、本年中に国連婦人差別撤廃条約を政府公約のとおり批准をすることは当然といたしましても、雇用機会均等法案について実効ある男女雇用機会均等法とすべきであります。その立場での労働基準法改正も当然行っていかなければなりません。  昭和六十年度の予算案の中に占める社会保障関係を見させていただきました。主任家庭奉仕員やあるいはボラントピアなど幾つかの新規の施策が見られております。しかしながら、今年金問題は参議院に残っておりますし、年金、医療というこの二つの面における、ある意味では長期的な改革の道が進んでいようというふうに思いますが、社会福祉分野におけるところの抜本的な見直しは先送りとなったまま、国と地方の役割を明確にせず、単に国庫高率補助率の一律カットによって地方負担をつけ回ししていることは極めて疑問が残るところであります。  最後に、国家公務員給与の問題につきまして、若干触れておきます。  国家公務員給与改善費につきましては、五十三年度まで五%計上をされておりました。五十六年度以降今日まで一%しか計上をされておりません。給与改善費は、人事院勧告が民間準拠であることからして、次年度の経済見通しに立った雇用者所得の伸び率程度の計上が必要であるというふうに考えております。  以上、私の意見といたしたいというふうに考えております。どうかよろしくお願い申し上げます。(拍手)
  8. 天野光晴

    天野委員長 どうもありがとうございました。     —————————————
  9. 天野光晴

    天野委員長 これより公述人に対する質疑を行います。  質疑の申し出がありますので、順次これを許します。伊吹文明君。
  10. 伊吹文明

    伊吹委員 私は自由民主党の伊吹文明でございます。  本日は、公述人のお三方の先生方、お忙しいところをわざわざお出ましをいただきまして、大変有意義な御意見を賜りまして、ありがとうございました。これからの予算審議の参考にさせていただきたいと思います。  この標、若干の私なりの質疑を公述人の方々にさせていただきたいと思います。  まず最初に、館公述人にお伺いをいたしたいのでございますが、昨年この予算委員会においでいただいてお話しをいただきました日本経済パフォーマンス、私も大体そのとおり動いておったと思います。六十年度についても先ほど来いろいろな御意見の御開陳がございました。私も大体同意見でございます。幸重公述人がおっしゃいましたように、消費の伸びが非常に停滞しておるという問題が一つ。それから業種間によって、あるいは地域間によってまだら模様があるということもこれまた認めなければいけないと思います。それから、将来国際的な不況が生じた場合の対応ということも考えておかなければならない。であるがゆえに、私たちは苦しいけれども今財政再建をなし遂げて、そのようなまだら模様あるいは国際的な不況に対応できる財政の素地をつくるべきだ、こういうふうに思います。その際、私どもが一番不安に思っておりますことは、現在の景気が輸出によって支えられておるという意味で、やはり日米間の貿易摩擦の問題もございますし、それからアメリカが債務国になったということもあるわけですが、国際的にも開発途上国を中心に大変な金融不安がございます。これについては国際的なセーフティーネットがどの程度完備しておるかという問題もございますけれども、国際経済の将来というのは本当に大丈夫なのかということをまずお伺いいたしたいのですが、時間が限られておりますので、館公述人にはあと二、三の御質問をさせていただきたいと思いますので、恐縮でございますがひとつ簡単に御意見を賜われればと存じます。
  11. 館龍一郎

    館公述人 お答えいたします。  ただいまの点、特に最後の点についてお答え申し上げますが、かつての世界経済あり方、特に第二次大戦前と違いまして、各国の協力体制が十分に整うようになってきておりますので、昔のような大不況がそれによって誘発されるという危険はないというふうに考えております。
  12. 伊吹文明

    伊吹委員 第二の質問は、先ほど来、国債発行国債増発のいろいろな問題点について御意見がございました。私は、一番の問題は、やはり資源配分というものが国債発行のためにゆがめられるということだろうと思います。もっと端的に申しますと、十年前、二十年前の世代の人たちが安易に国債発行して、そのとき随分いい目をされたのじゃないかと私は率直に思います。しかし、今私たちの世代は、その発行された方々の利子を支払うために、国民からお預かりしている税金を、先ほど幸重公述人がおっしゃったようなことに使えないということに問題があるのだろうと思います。  ということからいきますと、赤字国債はもちろん困るわけですが、建設国債はいいのじゃないかという意見が一般に多々見受けられるように私は思います。しかし、よくよく考えてみますと、建設国債であっても、そこに橋をつくる、道路をつくるという担保財産があるからいいのじゃないかという議論が安易に行われておりますが、後の世代の人たちは、実は利払いをしてまでもそのような橋や道路は欲しくないと思うかもわからない。そういう意味からいうと、赤字国債はもちろん担保財産も何もないわけですから、館公述人がおっしゃったようにできるだけ早く赤字国債依存体質からは脱却すべきであると思いますが、建設国債というものについても余り安易に考え過ぎない方がいいのじゃないか、かように思っております。そのあたりについての公述人の御意見をお伺いいたしたいと思います。
  13. 館龍一郎

    館公述人 お答えいたします。  建設国債赤字国債との間に多少の違いがあることは事実でございますが、入ってくる歳入の中で、利払いといいますか、公債費として使わなければならない金額がふえていくという点においては同じであり、そういう意味財政弾力性を失わせていくという点では同じような効果を持ちます。したがいまして、順調に発展しているときには少なくとも赤字公債には依存しない、私はそういうふうに申し上げたわけです。
  14. 伊吹文明

    伊吹委員 もう一点、館公述人にお伺いをいたしたいのでございますが、総論賛成各論反対、かような議論が政治の場でもとかく多いと思うのですが、これを封ずるためにゼロシーリングというのは非常にいいのだという評価をいただいたと私は思います。同時に、地方財政の問題に関して、ゼロシーリングと同じように高率補助金の補助率の一律カット、これについての御評価があったと思います。  この問題を考えていきます場合には、国の財政地方財政、どちらが苦しいかという判断が一つ入ってくると思います。地方財政の場合は、公営企業債、つまり国で言えば建設国債に当たるものの発行は多々ございますが、赤字公債、つまり一般会計公債発行はないということから、地方財政は国の財政に比べて体質がいいのじゃないか、だから、国民に対しての行政サービスの質は落とすべきじゃない、しかし、国民に提供する行政サービスの負担あり方、つまり国の補助率を若干落として、地方財政にそれを持ってもらいたい、こういう考え方で補助率一律削減の法案というものが予算の中に盛り込まれておると思うのですが、国の財政地方財政の実情あるいはその体質等について、公述人の率直な御意見をお伺いいたしたいと思います。
  15. 館龍一郎

    館公述人 お答えいたします。  ただいま御質問の中に地方財政状況と国の状況とを既にお述べになった、そのとおりでありまして、何と申しましても、現在のところ、地方財政の方に国に比べて余裕があることは事実であるというように思います。したがいまして、もともと唇歯輔車の関係にある国と地方でありますが、国が苦しいときには地方が多少お手伝いをするというようなあり方でしかるべきものというふうに考えております。
  16. 伊吹文明

    伊吹委員 ありがとうございます。  先ほど大内公述人がお話しになりました、国に対してあれもこれも要求することは建設的じゃない、確かにそのとおりでございます。そして、予算に対して資源配分の理念がなければいけないということもおっしゃいました。それも私もそのとおりだろうと思います。  日本財政を振り返ってみますと、本来、自由競争あるいは効率化ということだけが大切であれば、政府の存在というものはなくてもいい、夜警国家であればいいんだろう、私はこう思います。しかし、高度成長の時期から日本がだんだん豊かになって、国民の価値観が非常に多様化してまいりました。成長することよりもゆっくり老後を送ることがいいんだ、あるいは経済より文化だ、量より質だ、こういうふうなことが言われておったのもまさにそのことであって、政府の役割はそうであるがゆえに大きくなってきたと私は思います。大きな政府というのはそのような意味であろうと思います。ですから、政府が大きくなること自体は、私は責めるべきじゃない。  しかし、よくよく考えてみると、政府の役割が大きくなることによって実は負担と受益の関係が、間に政府が入るということによって非常に不明確になってくる。昔は、一部の金持ちから累進税でがっぽりと税金を取って、大部分人たちにそれを分配するということは非常にいいことだ、こう思われておりました。しかし、政府が大きくなりますと、それだけでは財源が足らない、だからこそどうしても中産階級中心税負担がふえてくる、これが現状であって、先ほど幸重公述人がおっしゃったいろいろな減税要求もこういうところに端を発しておると私は思うのです。  したがいまして、財政の議論をする場合には、理念がなければいけないと同時に、合理性、そして現実性がなければいけない。必ずそこには、あるものをやる場合の財源というものが必要である。財源というのは、増税あるいは税負担あるいは国民負担見直しと言ってもいいかもわかりませんが、そういうもので財源を出してくる場合もございますでしょうし、あるいは既存のいろいろな行政サービスをカットするということによって財源を出してくる場合もございましょう。ですから、北海道国鉄により足を確保するということにはやはりお金がかかります。それは国庫が見るわけじゃないと私は思います。国庫負担という言葉はやめた方がいいと私は思う。これは国民の税金で負担をするというふうにやはり考えるべきであろうと思います。  そういたしますと、最後に、お三方の公述人にお一人お一人から御意見を伺いたいと思うのですが、いろいろな議論をしてまいりますと、減税をすれば、あるいは先ほど幸重公述人がおっしゃったようないろいろな減税があれば、その財源はどうするのか。あるいはまた、やや長期的に見て、減税をしたり公共事業増加をすれば、仮に国債をもってその財源を賄うのであれば、将来その国債の利払いと償還を賄い得るほどの自然増収が上がると考えておられるのかどうか。この点について三人の公述人の方からお一人お一人御意見をお伺いして、私の質疑を終わらせていただきたいと思います。
  17. 館龍一郎

    館公述人 お答えいたします。  減税をした場合に、ある程度それによって有効需要が高まるということは否定できないわけでございます。しかし、その減税財源を国債によって賄うということになり、そして有効需要がふえて、それによってどれだけ税収が増加するかといいますと、それは到底最初に発行した国債に相当するだけの税収が上がるわけではありませんから、したがって、どうしても国債は累増していくということになり、その負担が後に残っていくというように考えております。
  18. 大内基

    大内公述人 お答えいたします。  現実は国の財政が苦しいんだから、どうするんだという御意見だというふうに思うのであります。この点についてはさきの公述で述べましたけれども、私は現実も非常に大切だと思いますが、同時にその現実を招来したところの原因なり経過なりというものを追及しなければ現実に本当の意味での対処ができないのだ、びほう策にすぎないのだというのが私の意見であります。  確かに国鉄問題に例をとりますと二十二兆の赤字でありますから、もう大変なことはよくわかるのです。しかし、二十二兆がなぜその二十二兆になったのかの検討というものが従来余りされておらなかったんじゃないのか。例えば、こんな例を申し上げてよくないのかもしれませんが、福田内閣のとき、例の列島改造論の役といいますか、少しでも景気をよくしようということで膨大な予算を組みました。私たちこれをげっぷ予算と言っておりますが、なぜげっぷ予算と言うのかというと、げっぷが出るほど各省に対して予算をつけたということです。そういうような無定見な予算のつけ方をする。もしもあのときにもっと将来を見通して、それを今言いました国鉄赤字なり、そうしたものに振りかえるというような将来展望があったとするならば、私は今日の危機はある程度避け得たものだというふうに思いますから、現実も大切でありますが、同時にまた我々考えなければならないのは、やはり将来に対する展望ということを特に強調したわけであります。  ほとんど御意見でございましたので、これで終わらしていただきます。
  19. 幸重義孝

    幸重公述人 幸重でございます。  先ほど私、冒頭申し上げたところで財源対策はかなり詳細に申し上げたつもりでございますし、その立場でもってやってまいれば私どもは十分やっていける、このように考えております。  それから一月十四日でございますか、これは私どもとは相対する団体でありますけれども、経済団体で、経団連理財部でもってたしか仮定計算をやっておるようでございます。その仮定計算におきましては、一般歳出の伸びをゼロというふうに置いていった場合に、歳出カットを重点にやっていくことによって財政再建を達成するということも発表されているようでございますから、私どもとしては先ほども申し上げたような立場でもってやっていくことが肝心だというふうに考えております。  以上です。
  20. 伊吹文明

    伊吹委員 ありがとうございました。
  21. 天野光晴

    天野委員長 次に、井上一成君。
  22. 井上一成

    井上(一)委員 公述をなさったお三人の先生方、きょうはどうも御苦労さまでございます。私は社会党・護憲共同の井上一成でございますが、少しそれぞれの先生方にお尋ねをして御意見を聞かしていただきたい、こういうふうに思っています。  まず館先生に、先ほど六十年度予算についての一定の評価をなされたわけです。六十年度予算がどういう予算になっているか。例えば地方交付税の交付金、さらには国債費を差し引いた三十二兆五千八百余億、これには後年度負担という、いわば後年度に対してのツケが相当隠れているわけなんです。国民年金や厚生年金の国庫負担の繰り延べ、あるいは防衛予算ですね。常に問題になる防衛予算、今までの予算に対する後年度負担もあるわけなんですけれども、防衛予算については新規分一兆二千三百二十八億円、そういう二兆円以上の後年度のツケを残す。まあ整備新幹線なんか、たしか五十四年度価額で総額五兆円ですか、そういうこともあわせて、何か防衛予算だけが対前年度比六・九%増である。こんな予算を組んでおって、本当に国民に、地方自治体に補助率を一律カットしていくという、国の財政が苦しいからという一つの名目の中で巨額な負担を転嫁していく。六十五年までに赤字国債の依存体質を脱却しようとか「増税なき財政再建」だとか、いろいろ当初の予算編成時の方針というんですか、そういうところからまさに逸脱をしているし、健全な国家財政予算だとは私はどうしても、何ぼ譲って理解をしようとしても六十年度予算については理解しがたい、不健全な予算だと言わざるを得ないのですけれども、ひとつ館先生に、そういう予算でも評価すべきなのでしょうかと逆に、大変失礼かもわかりませんが、さっきの公述を聞かせていただいております、しかし私はあえてやはりこのことを問わざるを得ない、こういうことでございます。ひとつ御意見をいただければありがたいと思います。
  23. 館龍一郎

    館公述人 それでは、お答えいたします。  確かに今御指摘のとおり、後年度負担が多いということはある意味での問題でございます。そこで、先ほども申しましたように、従来方式による予算編成が今後も可能であるかというように考えたとき、従来のように専ら節約合理化ということだけを掲げて、特に一律カット中心にした、あるいはシーリングを定めるという形での予算編成限界に近づきつつあるというように考えている次第でございます。ただ、何と申しましても財政再建は非常に重要な問題であり、従来の方式で可能な限度きりぎりまで削減に努め、むだを省いていってみるということは非常に重要であるというように考えて、そういう点から一定の評価をするということでございます。  なお、国と地方との関係につきましては、地方にすべてツケ回しをしているわけではないように予算を見て感じたわけでございまして、必要な手当ては一応地方に対して行っております。そこで、それだけの手当てを行って、今のような地方に若干の負担を求めるという措置をすることが、先ほども申しましたように地方自身が節減合理化についての工夫をしていく一つの契機になるし、国全体としてもその問題について、機能分担、負担分担の問題について考える一つの契機をここで与えた。従来は専ら中央中心にして考えてきたわけですが、やはり国全体として地方と国を含めて予算の姿を考えなければならないわけでありますので、そのことについて考える契機がここで与えられたという意味でも評価すべきだというように考えている次第でございます。
  24. 井上一成

    井上(一)委員 手当てがされているということ、あるいはすべて補助率、補助カットではない、そういうことを言われたんです。国と地方団体は公経済の両輪だ、私はそう受けとめるわけです。国家財政のツケを地方自治体、いわゆる地方団体に押しつけていく、強いるということは、むしろ公経済の円滑な運営に重大な支障を来すのじゃないか、そういうような認識にも立つわけです。地域住民地方自治体住民、市民としてそこで暮らしているわけなんですけれども、国民なんですよね、ひっくるめて考えれば。イコール国民なんです。住民であり、国民である。究極的に国民にすべての負担を転嫁させることになっている。公経済運営を円滑にならしむるためにも、こういう地方への転嫁、負担の転嫁というのはすべきではありませんし、むしろ財政民主主義の確立という点からすればこれは大きな間違いなんですよ。大きな間違いなんです。財政民主主義の確立、財政民主主義の見地からいってこんなばかなことはない、あり得ぬのですよというのが私の見解でございます。  さらに、手当てがなされたということですが、これもそのように政府が言っているわけなんです、手当てをしていると。しかし、本当はどうなのか。館先生も十分予算のすべてを把握していらっしゃるとも私は受けとめませんので、ちょっと数字を挙げて、経常経費系統で二千六百億円、公共事業分で三千二百億円、合計五千八百億円が、地方財政の対策として十二月の二十二日にいわゆる大蔵、自治両省の大臣で折衝がなされて既に決着済みである。しかし、その内容はどうなんだ。今館先生がおっしゃっている手当てというのはここだと思うのですよ。交付税の特例加算が一千億円、建設地方債の増発が四千八百億円の措置、うち二千億円は臨時特例地方債、これは仮称です、の元利償還金の二分の一を国が、そして残りの二千八百億円については地方交付税の基準財政需要額のいわゆる単位費用等にする。決してこの五千八百億円すべてを手当てをしているわけじゃないのですよ。国の負担分を地方に転嫁して、地方に借金を背負わせているのですよ。これが手当てと言えるのかどうか。私はやはり国民に正しい認識を持ってもらうためにも、十分な手当てというのですか、こんなごまかしの、こういう政策で手当てだということにはならないし、多額の借金を地方公共団体に押しつけるほかの何物でもない、こういうことを思っているのです。この点で、ひとつ手当てについてもし御意見があれば。  それから続いて、教科書の無償供与もさっき公述をされていたわけです。ちょっと私は、それでごまかされちゃ困るんじゃないでしょうか。義務教育の教材費は全額カットなんですよ。これは全く義務教育費国庫負担法、法律を改正する、一律カットで改正する。これは全額カットに入ってくるのですよ。こんなことをことしの予算を評価なさる館先生が御存じなんでしょうかということなんです。  その後またお尋ねをしたいと思うのですが、手当てをなさっていらっしゃるということと、教科書の問題が出たものでございますから、いや何をおっしゃるのでしょうか、教材費なんかは全額でございますよ、一割カットじゃないのですよ。こんなことで予算を評価なさるというと、本当に私としてはやはりその真意をお尋ねをしたい。御意見をひとつ聞かしていただきたい、
  25. 館龍一郎

    館公述人 いろいろな問題があることは承知しているつもりでございますが、御案内のように、地方と国との経常費の支出の黒字、赤字を、例えば昨年の経済白書が非常に明確に示しておりますが、それで見ますと、中央政府は非常な赤字を示しているわけでございますが、地方政府は大幅な黒字になっておりまして、全体としての政府部門をとってみますと、経常部門では黒字になっているわけでございます。専ら中央政府が赤字である、そういう状態日本財政の現実なんだと思うのですね。そういう状況のときに、やはり負担地方にある程度求めていくということは、これは国全体の財政あり方、政府のあり方というのを考えたときには、今のような財政事情を前提とするときにはやむを得ないというように考えるわけであります。私ももちろん品川区という区の住民地方自治体住民であり、国民であるという状況でございますけれども、しかし、それは同時に国民であり、その地方自治体住民であるわけでございますから、したがってお互いに融通し合うということがあってしかるべきではないかというように考えているわけであります。  それから教材費の補助についての問題でございますが、そのことを承知しているかというお尋ねでございますけれども、もちろんそのことも承知しているつもりでございます。私が先ほど来申し上げたい一番の趣旨は、今のような状況になりますと、これは国民がひとしく痛みを分かち合うということなしには国の財政再建はあり得ないし、そして何か緊急の事態が生じたときに国が必要な助成措置をし得る弾力性回復することができないというように考えますので、そこで全体としての財政の姿をこの機会に整えるというために、地方でも少し痛みを分け持って節減の工夫をしていただけたなら、そういうきっかけになるのではないか。今度の措置がとられるというようになりまして、地方でも真剣に、こういう補助金はというようなことを考えるようになってきているわけですね。そういうことが非常に重要な意味を持つというように私は考えておる次第であります。
  26. 井上一成

    井上(一)委員 地方がいかに創意工夫をし、いわゆる国と地方との役割分担、機能分担というのが明確にされているわけなんです、国がやらないから、あるいは国がそれを守らないから、地方自治体がどれだけ苦しんできたか。超過負担というのは私が指摘をしたのです。そして今、超過負担の解消に政府が努力をしてきたわけなのです。私はむしろ、創意工夫中央政府、いわゆる国がもっともっとやるべきじゃないか。だから必要である領域に必要な財源を手当てをし、必要でない領域には、やはり歳出を、財源手当てについてはもっともっと考え直すべきではないだろうか。  細かい話になりますが、今度のいわゆる地方自治体に対する一律補助金カットですね、生活保護費も含めていろいろな分野にわたって補助カット政策を打ち出しているが、ただ一つだけ、その対象に入っていないのがあるのです。何だと思われますか。国からの委任事務である自衛隊の募集業務に対しての国の事務補助費は、一割どころか一%もカットしていないんですよ。私は、額が少ないとか多いとかの問題でない。やはり本質論に立つと、補助金の一割カット、そんな暴挙に出て国と地方のいわゆる公経済の円滑な運営に支障を来すような政策はよろしくない。  それともう一つ、法律補助と予算補助、この性格をどう認識しているのだろうか。私は、法律補助、法律で義務づけられた負担補助、一見それも含めてみんな補助金だ、こういう受けとめ方をしているのです。これはやはりまさに国の責任、国の義務という法律負担と、予算上の補助ですね、予算における補助、これの性格の違いを私たちはきっちり整理してかからなければいけない。そういうことを考えたら、何もかもすべてを一括して地方に転嫁を、地方との役割分担を、財政負担を変えていこうとしたことしのこの一律カットは、まさに健全な予算編成だと言いがたい、こういうことなんですよ、私の意見は。このことについてもひとつ館先生、御意見がございましたら聞かしてほしい、こういうふうに思います。
  27. 館龍一郎

    館公述人 大変難しい問題でありますし、非常に細かい点になりますと、私自身承知しないところがあるという点もございます。  私が申し上げていることの一つは、政策というものはやはりインプリメンテーションといいますか実行性がなければならないわけですね。シーリングを設けるとか一律カットとかいうものは、本来望ましい政策であるかといえば、そうでないことは明らかでございますが、しかし、実行性を考えたときには、そうでなければいろいろな意見がさまざま起こってきて、ついに総論賛成各論反対で実行できなくなってしまうということがあるわけで、そういう実行性を考えて問題の提起がなされ、これを契機にもう一度ぜひ皆さん方を中心にしてお考えいただけたら、こういうことでございます。
  28. 井上一成

    井上(一)委員 いわゆる一つ問題提起あるいは部分的な警鐘、そういうきっかけでの評価だということのように私は今のお話で受けとめた。ただ私も、国民の皆さんに知ってほしいのは、予算の中身すべてを知ってほしい。そして、私たちはやはりすべてを国民に明らかにする義務がある、その上に立って総体を評価していこうじゃないか、そういうふうに思っているわけでございます。いろいろお尋ねをいたしまして、大変御無礼だったかもわかりませんが、少し御意見を聞かしていただいたわけであります。ありがとうございました。  大内先生に。先ほど特に北海道国鉄の問題を歴史的な背景から。私は、公共性をいかに確保していくか、さらにはそれをどのような形で保持していくか非常に難しい問題だ。ただ、病める人にもし私が診断処方をするとするならば、痛いんだ、痛みだということだけで痛みどめを打つのが本当に正しい診断なのか。きのう何を食べたのか、あるいは日ごろの生活状況はどうなのか、いわゆるその痛みの原因をできるだけ明らかにし、自分で把握をしてその原因を取り除く。時には大きな手術も必要になるかもわからないし、あるいは副作用のある薬を投薬しなければいけないかもわからぬ、処方しなければいけないかもわからない。いろいろそういう意味で、まさに部分的な個所だけで全体を評価するというか、とらえていくということは、若干危険なところもあるのではないだろうか。そういう意味ではローカル線の廃止ということについては、全体的にいかにバランスをとっていくかという、あるいは今までのその多額の赤字が何によって起因したのかということも、もう少し検討をしていかなければいけない課題だと思います。とりわけ北海道道民の皆さんの、その暮らしの中にあるローカル路線の必要性を強く説かれたわけであります。私としても、マイナス三十度、そういう中でのバス路線による交通体系が自然的な条件の中で本当に安全なのかどうか、そういうことも、せんだっても路面凍結でスキーバスが大事故を起こした、そういうことに関連して、非常に肌寒い、ローカル線廃止ということは、何が起こるかわからないということを考えると、本当に道民の皆さんの足をいかに守っていくかということについては、公述をされた大内先生の、国民の暮らしというものを切実に受けとめていきたい、こういうふうに思うのです。  そういう意味で一点。北海道のローカル線だけでなく、日本の全土の交通体系を今後どのように公共性を保持するために持っていくかということをみんなで考えていかなければいけないのではないだろうか。何かそういう新しい御提案をお持ちでございましたら聞かしていただきたい、こういうふうに思っております。
  29. 大内基

    大内公述人 お答えします。  国鉄をどう再建するかということにつきましては、各方面から既にたくさんの意見が出されておりますので、ここで改めて付加する必要はないだろうというふうに思いますが、ただ一点、こういうことだけを申し上げておきたいというふうに思います。  線路による輸送というものが今日のモータリゼーションの中では極めて採算がとりにくいものであるということは、単にこれは国鉄ばかりでなくて、私鉄にありましても、列車運行、電車の運行というのが全部赤字になっているわけで、この事実を見ても国鉄の今後の維持というものが極めて困難であるということが容易に判明できるわけであります。しかし、私鉄には私鉄なりの経営の方針というものが別個にあるわけでありまして、線路で損失を受けたものが外部経済といいますか、企業にとっての外部経済でありますが、それによって、例えばデパートの経営なりあるいは不動産によるところの利益というようなものを享受することができるわけでありますけれども、残念ながら国鉄の現在の公社形態の中にあっては運輸省の監督権限が余りにも強大過ぎる、明治以来のまさに中央集権的な日本行政システムというものが一切これを妨げているという意味において、このままの状態でいってはいつまでたっても赤字になることは当然だというふうに思うのであります。  ただ、私は将来の問題について言いたいことは、今まで幾度も幾度も国鉄再建策というものが立てられましたけれども、残念ですが、言葉だけでは総合交通政策というのを打ち出しておりますが、かつて一体、総合的な交通政策というのが国によってなされたことがあるのかどうか。やはり飛行機は飛行機、あるいは車は車、さらには船舶は船舶、それぞれの長所と欠陥があるわけでありますから、そうしたものを総合する中で総合政策というものを今本当につくらなければならない大事なときではないかというふうに考えているわけであります。  それからもう一点。先ほど若干触れましたけれども、一体五十年先に石油というものが確保できるめどがあるのかどうか。恐らくないだろうと思うのですよ、有限でありますから。そうしますと、当然これは電気にかえなくちゃならない。電気にかえた場合に、少なくとも現在の物理学上でいいましては、自動車を電気化するということは極めて高価につくばかりでなくて長距離も走れない。ということになりますと、将来の大量輸送というものは何に頼るべきか、そこまで大きな展望を持って交通政策というものが立案されなければならないというふうに思うのであります。私はたまたま北海道の寒さの問題だけを強調しましたけれども、そういう点からもひとつ国鉄の問題をぜひお考えいただきたいというふうに思うわけであります。
  30. 井上一成

    井上(一)委員 どうもありがとうございました。  私は、行政というのは公共的利益いわゆる社会的利益をいかに守っていくかということを第一に考えていかなければいけない。ただ、だからといって近代化、近代的な認識をそこに持ち込むことを拒んではいけない。だから公共的な利益いわゆる国民の足と、こういうことになるわけですけれども、そういう意味でこれからも、ずたずたに分割をして、そしてとまれ利益が優先するのだという発想で国鉄問題をとらえてはいけないということは全く同感でありますし、そういう意味では今後の大内先生の御健闘を期待したいと思います。  時間が参りましたが、最後に幸重先生に。先ほど公述を聞かしていただいて、まさに政府当局にその声をすべて聞いていただきたい、私はこういう気持ちがいっぱいであります。具体的に非課税貯蓄制度の画期的な提案、まあ実現はできなかった、残念であるという。日ごろから私たちも含めて、国民の暮らしを守っていくという立場に立っていろいろ御提言を皆さんからいただいているわけです。それが実現しないというのは野党の非力だということだけで済まされない状況でありますけれども、財政問題あるいは福祉問題あるいは労働問題すべてを包括された今の御意見、大変敬意を持って拝聴さしていただきました。今後ともの健闘をこれまた期待したいと思います。これからもひとつどんどんと御提言をいただきますようにむしろお願いもいたしまして、お三方に対する私の質問を終えたいと思います。  本日は、どうも御苦労さまでございました。ありがとうございました。
  31. 天野光晴

    天野委員長 次に、二見伸明君。
  32. 二見伸明

    ○二見委員 公明党の二見伸明でございます。  三人の公述人の方には、お忙しいところをおいでいただきまして貴重なる御意見を賜り、本当にありがとうございます。  最初に館先生にお尋ねをしたいのでございますが、先ほど伊吹さんの質問にもあるいは関連するかとも思いますが、六十年度子算を編成するに際して一般歳出を抑え込む、これに対しては与党の方に大分抵抗があったようだし、我々野党の方でもこれにかなり厳しい抵抗を示したわけであります。財政再建という立場から考えて、この一般歳出をこれからもこのように抑制していくという方途は、六十一年度以降もまだ続ける必要があるのか、あるいはもう一般歳出抑制というのは六十年度が限度であって、六十一年度以降は別の方途を考える必要があるというふうにお考えになっているのか、その御判断をお願いいたします。
  33. 館龍一郎

    館公述人 お答えいたします。  先ほど公述の際にも申し上げましたように、三つ方法がある。インフレというような政策はとらない。しかし、まず第一になすべきことは、依然として節減合理化という方向ではないか。次第にむだが減ってきておりまして、従来方式節減合理化が図れるかというとそれはなかなか困難になってきておりますが、しかし、全くむだがないのかというように考えますと、私自身長年国立大学に勤めていた経験から見ましても、非常に細かいところに意外に予算というものはむだが起こり得るわけであります。したがって、大枠を厳しく抑えていくことによってそういうところの節約が実現されていくということも僕は事実であるというように考えておりますので、それをまず徹底的に進めるということを中心に考えます。  しかし、それによって六十五年度までに完全な財政再建が行い得るだろうかということを客観的に考えた場合、先ほど申しましたように、税外収入等受益者負担をさらに求めていくとしても、なかなか難しいであろうというように考えております。  そういう方法をとっていきますと、例えば国民に対する負担の求め方にも非常なアンバランスが生じてくることになります。それから予算の構成についても、一割カットとかそういうような形ですね、一律カットしますと、どうしてもあるものだけが伸びてしまうというような形でアンバランスが起こってくるので、いずれの方法もやがて限界に来るので、多少その再建期間を弾力的に考えるということも必要になるのではないか、こういうように考えております。
  34. 二見伸明

    ○二見委員 館先生、もう一点お願いしますが、実は借換債の問題が去年起こりまして、現実にことしから借換債の発行が始まるわけであります。  借換債は、六十年度予算では八兆九千億円予定しております。これは、十一兆何千億かのいわゆる新規発の上に乗っかるわけですね。実際には八兆九千億円丸々公募するわけじゃなくて、運用部資金で若干買うようであります。五兆円かな、買うのですけれども、そういたしますと、ことしは八兆九千億だけれども、六十一年、六十二年と年を追うに従って借換債はふえまして、記憶に間違いかなければ昭和七十二年がたしか十何兆にもなると思うのですね。出てきますのは、これが新規の公債と一緒に出てきますから、果たして消化できるのかなという問題が起こってまいります。  大蔵省は、ことしは短期債を発行するつもりでおりまして、例えば来年の五月に大量発行する場合には年度内の三月に前倒しで若干発行しようとか、そういうようないろいろな工夫も考えて、消化には心配ないというような態度をとっているのですけれども、やはりかなり厳しいのだと思うのですよね。  その場合に、財政法第五条では日銀引き受けはできませんけれども、ただし書きでは、国会の議決の範囲内でできることになっております。そういうようなことになる可能性もあるのだと思うのです。その点についてはどういうような御判断をなさるのでしょうか。
  35. 館龍一郎

    館公述人 お答えいたします。  日銀引き受けの可能性という一番最後の点につきましては、私はそういうことはないだろうというように確信しております。そういうことはあってはならないとも思います。  それから借換債でございますが、御承知のように借りかえをするときには、一方でそれだけの支払いが行われる、資金の放出が行われるわけでありますから、新規に国債発行される場合と違いまして、それを消化するお金が民間にあるわけですね。ただ、支払いを受ける相手と新しく借換債を発行されたものを引き受ける人とは必ずしも同じではない。したがって、その間に多少の摩擦が生ずるという可能性があるわけでございます。  ところで、償還される国債について申しますと、これはどんどん期近になってきて、もう期限が来たから償還されるわけですから、それを持っている国債保有者の観点から申しますと、これは短期の国債を持っておるということになるわけでございます。  短期の国債を持っている人は、短期の国債を持つ理由があって短期の国債を持っているわけですから、したがって、今申しましたような借りかえを円滑に進めるためには、やはりそういう保有者層が短期の目的国債を持っているということを考慮して、ある程度短期の国債発行できるという状況にしておきませんと今言った摩擦が生ずるので、その可能性を考慮して短期債の発行を考えておけば、私は借りかえの消化問題についてはそれほど大きな混乱が起こるとは考えてはおりません。
  36. 二見伸明

    ○二見委員 幸重公述人にお尋ねしますが、ゴールデンウイークの法制化の問題がありますね。労働省の方は、五月三、四と四を休みにしたい。ところが、一日がメーデーですね。ですから、むしろ労働界は、二十九日は天皇誕生日ですけれども、一日から五日までできれば法制化をしたいというのがありますね。あるいは二十九日から五日までの一週間という方もいらっしゃいますけれども、そういう動きがありますね。私たちも緑と太陽のゴールデンウイーク、休み、大賛成なんですけれども、ただ、この点はどうなりますか。  要するに、金融機関の問題です。例えば日本の金融機関を一週間休みにしてしまった場合、要するに日本はもう国内だけじゃありませんからね。外国との取引がありますからね。これをどうするか。また、実際に五日とか一週間、ことしは二月の九日、十日、十一日と三連休でしょう。それだけでも大変なわけですね。そういう金融機関の問題はどういうふうにお考えになっているのか。いろいろな経済の摩擦も起こってくるのじゃないか。場合によれば家庭生活にも思わぬトラブルが起こってくるのではないかとも考えられますので、そこら辺はどういうふうに御判断になっていらっしゃいますか。
  37. 幸重義孝

    幸重公述人 お答えをいたします。  確かに金融機関だけに限らず、例えば交通その他をひっくるめまして、公益関係はその一週間なり十日なり休むわけにはいかない、そういうようなところは出てこようかと思います。当然、私どもとしては、そういう関係の労働者に関しましては、ある一定の、例えば七月いっぱいならば七月いっぱいまでの間に振りかえて休日がとれるような体制でもって、事業活動そのものは継続がされていくような、そういう形での考え方を一つは持っております。持っておりますけれども、必ずしもきちんと法律にするような形で詰めているところまではまだいっておりません。以上です。
  38. 二見伸明

    ○二見委員 大内さんにお尋ねをしたいのですが、先ほど北海道赤字線のお話がありまして、零下三十度の物すごさというのは私も初めて知ったわけです。そういうところで、赤字だからという理由でもって鉄道廃止されてしまう。その結果、地元住民に及ぼす影響というのは非常に深刻で重大なものだろうと思います。  ただ問題は、その赤字をそのままにしておいてどうやって鉄道を存続させるかというのが、むしろ私たちの方で伺いたいのはどうすればいいかということなんですけれども、例えば国鉄には二十何兆の累積赤字がある。議論を大ざっぱにするために、わかりやすくするために、これは棚上げしたとしますね。棚上げしたとしてどういうことが残るかというと、一つは運賃値上げです。全国一律に運賃値上げをして、そしてその結果増収になるか減収になるかわからぬけれども、増収になったと仮定して、増収になった分でもって赤字を埋めるという方法一つあります。  もう一つは、とんでもない、おれたちはそんな赤字線までの運賃は見切れないというエゴも一方でありますので、こうなれば赤字線のところだけは運賃を高くしてという、運賃格差という考え方も当然出てくる。あるいは運賃も上げない、運賃格差もしない、じゃ赤字は税で持とう。税というのは要するに我々サラリーマンが負担するわけであります。それでもって赤字を全部何とかしようという考え方がある。あるいはそれを適当に運賃も上げる、運賃格差も設ける、税でも一部負担するという、三者で公平に分担してやるという方法もある。そこら辺を大内さんの方ではどういうふうにお考えになっているかということを教えていただきたいのが一つ。  先ほど、私鉄の場合は不動産業だとかデパートだとかやって、鉄道部門での赤字は関連の部門での黒字でもって補うことができる、しかし国鉄の場合はそれができないというお話がありました。そうすると、例えば鉄道法を改正して国鉄に私鉄並みの観光事業だとか団地開発だとかデパートだとか、そういう関連事業をさせてしまうというところまで踏み切ることによって赤字をなくしてしまうのかということもあるわけですけれども、そこら辺のお考えはいかがでしょうか。
  39. 大内基

    大内公述人 まず、後の方からお答えをいたします。  公社制度というのは欧米諸国では割合になじみのあるといいますか、国民に理解されやすいし、それを受け入れる素地があったというふうに思うのであります。日本には、残念ですけれども公社制度をそのまま受け入れるそういった基盤がまるでない。先ほど来幾度も申し述べましたように、行政システムというものががんじがらめに国鉄を抑えている。どうも日本の為政者というものは全部の権限を自分の手におさめなければ承知ができないという、極めて不思議な性格を明治以来全部持っている。幾らでも強い権限を持とうとしますから、日本において公社制度をつくること自体が、実は基盤がなくて公社ができたというふうに思うのであります。  しかし、大きいからだめだ、公社がだめだということではなくて、要するにそれを受け入れるような機構づくりといいますか、意思の変更といいますか、そうしたものが日本においては必要だというふうに思うのであります。したがいまして、国有鉄道法を変えたからあしたからよくなるというものではなくて、まず意識の改革から始めなくてはいけないだろう。  それからもう一つ、大きいからだめだという意見のことがありますけれども、大きいのがだめなのではなくて、現在のような中央集権的機構と私先ほど言いましたが、単に中央省庁ばかりの問題ではなくて、国鉄自体にもあると思うのです。国鉄の真ん中が全部を持って、地方には全然そうした権限がない。したがいまして。地方にあっては住民と密着する中でどうしたならば便利な運行が図れるか、そうしたことについての配慮というものが全く中央にはない。ダイヤの改正一つを見ればよくわかりますね。地方民の希望というものが一切盛られない。そうしたところを徹底的に変えるのでなければ、今の状態のままで一体赤字をどう克服するか、できっこないと思いますよ。  しかし、分割民営にしたって同じことですね、分割しても二十二兆円の借金はそのままあるのですから。分割民営にすればもうかるという保証はどこにもないわけです。運賃が上がらないという保証もないわけです。ですから、分割民営がいい、あるいは分割しない方がいいという議論ではなくて、もっとそれ以前の問題だというふうに思います。現在のシステム自体の変更、意識の改革というものから出発しなければ、国鉄の問題というのはいつまでたっても解決をしないのではないかというふうに考えるわけであります。 大体以上で前のことにも若干お答えできたと思いますが、いかがでしょうか。
  40. 二見伸明

    ○二見委員 どうもありがとうございました。
  41. 天野光晴

    天野委員長 次に、岡田正勝君。
  42. 岡田正勝

    岡田(正)委員 民社党の岡田でございます。  先生方には大変お忙しいところをありがとうございました。心から厚くお礼申し上げます。  まず冒頭に幸重公述人にお尋ねをいたしたいと思うのでありますが、財政、労働あるいは経済、福祉にわたりまして大変綿密なお話を聞かせていただきまして、本当にありがとうございました。時間がありませんので、二つほどお聞かせをいただきたいのでありますが、まとめてお尋ねをしますので、よろしくお願いいたします。  まず第一は、先ほどお話がありました、また、ただいまもお尋ねがありましたが、働く国民の諸君がひとしく願ってやまない太陽と緑の週の休暇制度につきまして、いま少し先生のお考えを詳しくお聞かせをいただきたいと思うのであります。  第二の問題は、働く人たちが今ME化あるいはロボット化が進む中で、将来の雇用について大変心配をし始めております。そこで、同盟といたしましては、ME機器導入に関する組合員の意識調査をされたと伺っておりますが、まことに時宜を得た調査でございまして、その結果がどんな結果が出ておるのであろうか、また、それに基づきまして政府に対してどのような施策を必要と考えていらっしゃるのか、お教えをいただければありがたいと思います。
  43. 幸重義孝

    幸重公述人 幸重でございます。  今、二点御質問をいただきました。内容が内容でございますので、若干時間がかかろうかと思いますけれども、お答えを申し上げておきたいと思います。  先ほど二見先生の方からも御質問がございましたが、太陽と緑の週の法制定につきまして、私どもは昨年七月の中央評議員会におきまして全国的な運動として展開をしてまいろうということを決定をいたしました。それ以来今日まで極めて多様な、そして数多くの方々から御賛同をいただいておりまして、大変感謝をいたしております。何としても今国会におきまして議員立法をもって成立を期したいというふうに考えているわけでありまして、諸先生方に対しましてもよろしくお願いを申し上げたいというふうに思っているところであります。  私たちが太陽と緑の週制定を提唱をする主な理由というのは、ほぼ次のような点になろうかというふうに考えております。  一つは、冒頭私申し上げましたけれども、私ども同盟の組合員というのは働くことの喜びと働くことのとうとさを知っているということを申し上げました。日本国民すべてがそうであろうというふうに思います。勤労を重んじる一方で、年に数回まとめて休暇をとって、十分な自由な時間を利用して文化やスポーツや社会福祉活動などを充実する時代となってきたというふうに考えております。  二つ目に、御案内のように日本の場合に、四月の末から五月の初めにかけての我が国はまさに輝く太陽のもとに新緑の美しい時期でありますし、この時期、森や林を歩きながら自然と親しむことによって自然と人間の触れ合いを積極的につくっていく必要があるのではないだろうかというふうに思っております。今日、青少年の非行問題なりあるいは家庭の崩壊等の問題が社会的な問題として提起をされておりますけれども、かかってすべていわば家族のきずなをどう深めていくのかという課題にあるのじゃないのかと思います。そういう観点からも、年に数回はそういった家族全体としての行動をつくっていく機会というものが必要ではないだろうかというふうに思っているわけであります。マイクロエレクトロニクスなど先端技術の進展によりまして、今日産業社会は看視労働やあるいは高度な知的労働を増加をさせております。後ほど申し上げますけれども、極めて精神的にストレスが増大をしているという状況にもあります。これらを解消していくためには、思い切った大型休暇が必要であろうというふうに考えております。  最後に、我が国の長い労働時間に対する批判を先ほど申し上げました。その批判に対してこたえていくためにも、私どもはこの太陽と緑の週を制定をしていくことが、結果として年間総労働時間の短縮につながっていくだろうというふうに考えているわけであります。たまたま欧米各国におきましては、年に例えば三週なりあるいは四週なりを法制度として休暇をとるようになっておりますけれども、我が日本の場合には、残念ながら社会的な慣行あるいは歴史、そういったものから判断をいたしました場合に、長期間の休暇というのはなかなかなじんでいかない面があるのではなかろうかというふうに思います。五月連休と、そしてようやく普遍化をしてまいりました夏休と年末年始と、年三回にわたってかなり長期的な休暇をとることによって欧米と並んでいくのではないだろうかというふうに考えているわけであります。  私どもの会長の宇佐美がよく言っておりますが、今日の時代、極めて多忙な時代となってきた。多忙の忙の字は心をなくすというふうに書くというふうによく言います。今、このときにこそ人として人の心を再生する、そういった休暇の期間が欲しいものだというふうに考えているわけであります。昨年十月の三十日には既に各党に対しまして協力方を要請いたしまして、各党から賛同の、御支援のお言葉をちょうだいいたしているわけでありますし、あるいは昨年十二月の十五日から衆参両院議員全員に対しましてアンケート依頼も申し上げました。手元に結果を持っておりますけれども、二月八日現在、現在回答がずっと参っておる最中でありますが、衆議院で百二十五名、参議院で十九名の方々の回答をいただきました。実に九三・三%の方々の賛同を得ております。本日段階なお回答が寄せられているところであります。  先ほど二見先生からのお話にありましたように、山口労働大臣を初めとして、趣旨には賛同するが行政指導ではどうかというような意見であるとか、あるいは一日からでどうかというような御意見をいただいておりますが、五月連休を私どもが法によって休暇として制定をしてまいりたい一つの目玉というのは、先ほど申し上げたように家族の再発見ということでありますから、飛び飛びに学校が開いておって子供たちが学校に行っていたのではこれは意味がないわけでありますので、どうかそういう意味で、太陽と緑の週を特別措置法によりまして議員立法として制定をしていただきたいというふうに考えているわけでございます。  ME機器導入に関する意識調査と行政に対する要望でありますが、私ども同盟は昨年七月に新しい技術と人間との調和、ME革命に対する同盟の態度というものを取りまとめ、発表をいたしました。そして、これは中間報告として出しまして、一月大会におきまして本報告といたしたわけでありますが、本報告にいたす過程におきまして、MEを導入している現場の労働者が導入に当たって一体どういうようなことで受けとめておるのかということを調査いたしました。  一九六〇年代の高度成長期の技術革新が大量生産方式であったのに比較をいたしまして、八〇年代、今日におけるME技術が格段と進歩をいたしまして、FMSやあるいは多品種少量生産方式やFA等の導入が本格化をしてまいりました。一方、事務部門におきましてもOA化の進展や、そういったME機器の拡充発展が遂げられております。まさに先生から御指摘のとおりに、八〇年代後半の技術革新はこのメカトロニクスを軸にいたしまして、情報革命、新素材、あるいはバイオ、新エネルギー、宇宙、海洋開発などの分野で極めて大きな発展が予想をされます。この新しい技術革新の波というのが、当然日本経済、社会の発展や国民生活向上に寄与する反面、産業構造や社会基盤、生活基盤等に対して極めて大きな変化を与えてくることが予想をされます。私どもは、その中でも特に省力効果をいわば本来の目的として持っているME機器の市場の実勢によるところの導入というのが雇用に対して極めて重要なインパクトを与える可能性を決して等閑視をするわけにはまいりません。したがいまして、そういう立場からこれらの諸問題に関するところの具体的な対応というのを次のように考えたわけであります。  原則を五つつくりまして、一つは、人間社会の進歩と福祉の実現に役立っていくものであること。そして二つ目に、このことは非常に難しい問題ではありますけれども、何とかひとつ将来に向かって実現を図っていきたいというふうに考えておりますものに、いわばテクノロジーアセスメントとでも言うべきアセスメント原則を確立していきたいというふうに考えております。計画、設計、応用の段階から雇用や安全や労働条件の事前評価を図っていくべきであろうというふうに考えております。そのほか、社会的な公正の確保なり、あるいは参加と労使協議制の問題なり、国際協力の確立なり、こういった五つの原則をそれぞれ全国レベルあるいは地域レベル、企業レベルにおきまして、さらには国際的なレベルにおきまして具体的な対応を図ってまいりたいというふうに考えているわけであります。  そこで、先ほど申し上げました、今私手元に持っておりますけれども、ME機器導入に関する組合員の意識調査というもの、これは後ほど先生の方に御送付を申し上げたいというふうに思いますが、昨年暮れに私たちは現にME機器を導入いたしております職場組合員の意識の調査を行いました。傘下のうち五千名の組合員を対象といたしまして、三つ観点から調査を行いました。  ME機器を使用していることの組合員の受けとめ方でありますが、特に心身への影響、仕事内容の変化と仕事の気構えについて一体どうなのか。第二点目としては、ME機器導入前後の受けとめ方としまして、配転や教育訓練や安全衛生の対策は一体どういうことであったのか、またどう思っているのか。そして三点目としては、ME化に関するところの将来の展望について導入されておる現場の労働者は一体どう考えているのか。こういった三点の基本的な課題につきまして、その課題を拡大をしながら調査を行ったわけであります。中間集計で二千九百七十五名の回答が寄せられました。私たちの対応の条件と原則が誤っていなかったことが立証されたというふうに確信をいたしております。  結果の大要をごくかいつまんで申し上げてみますと、例えば心身への影響でありますが、心身へのかなりの影響を受けたとする人が約一割程度見られました。これは主として現象的にはストレスや、あるいは目や手等の局部の悪化を訴える傾向であります。特にOAが入っております現場、OA職場の労働者というのは、長期間このOA機器になれ親しんでも、そういった心身に与える影響というのが緩和をされないという、極めて重要な特徴が出されております。  二点目として、仕事へのやりがいにつきまして、これはしかしいささか私たちが考えているものとは違った、極めて意外な結果が出ました。日本の労働者は本当に偉いものだというふうに私は感じておりますけれども、仕事のやりがい、働きがいが増したと答えた人が四七・九%もおりました。その主な理由としては、新しい知識、技術が習得できるからだという、そういったことが結果として出されております。まさに日本の労働者というのはこういったそれぞれの状況に対して極めてフレキシブルに対応している、そういうことが言えようかと思います。  一方、不安と答えた方々が一八%おります。  ME機器導入前後の受けとめ方として、教育訓練につきましては大変に厳しい回答が出されました。不十分とする厳しい評価、指摘をされましたのが四五・八%おりましたし、あるいは安全対策につきましても、生産現場では意見が相半ばした結果でありますけれども、事務部門では、まさにOA機器の導入職場では対策が不十分であるとする者が六〇%に達し、OA現場での苦痛が時間を経過しても解決していないことによる反映がこういった数字にあらわれているのだろうと思います。  成果の配分につきましては、労働時間短縮に向けてもらいたい、あるいは休日増を望むという意見が三八・二%でありまして、雇用の安定につきまして一七・二%等々の意見が寄せられております。  将来の展望につきまして聞きましたところ、ME機器の拡充、普及を否定する意見というのはほとんどありませんでした。功罪相半ばすると危惧を抱いている人たちが三九%いらっしゃいました。労働力が全体として余るとしながらも、仕事一辺倒でない、人間性のある社会の到来を予測する人も六〇%近くいたわけであります。いわば現実を直視をしながら日本人として将来に対する英知というものが、安心と期待が込められている、そういった調査の結果であろうというふうに痛感をいたしております。  行政という面で見てみれば、こういった調査に出された結果というのが当然、例えば教育訓練の問題であるとかあるいは安全対策の問題であるとかあるいは雇用全体の対策の問題として、行政として早急に対処の方針を確定をしていただきたいものだというふうに考えているわけであります。  以上であります。
  44. 岡田正勝

    岡田(正)委員 どうも大変ありがとうございました。  館先生と大内先生にお尋ねをいたします時間がちょうど切れてしまいまして大変失礼をいたしましたが、お許しをいただきたいと思います。  委員長、ありがとうございました。
  45. 天野光晴

    天野委員長 次に、瀬崎博義君。
  46. 瀬崎博義

    ○瀬崎委員 公述人の方々、御苦労さまでございます。  まず、館公述人にお伺いをしたいと思うのでございますが、先生は先ほど公述の中で、我が国の経済の現状について、五十九年度は大変順調であった、六十年度も良好なパフォーマンスを維持するであろう、こういうふうにお述べになったわけですね。確かに、上場会社を中心として大企業は昨年九月の決算を見ましても極めて順調といいますか、史上最高の利益を上げている状況ですね。ことしの三月期はもっとよくなるだろうと言われておりますから、その限りでは先生のお話もそうかなと思えるのでありますが、その一方で、中小企業は史上最高の、昨年度二万件を超す倒産を出していること、それから失業率は統計がとられ出してから最高の水準を示していること、さらには消費は拡大というよりは停滞を示していること、それから住宅建設に至っては、たしか昭和四十七年は年間百八十五万戸の着工があったと思いますが、昭和五十七年には百十万戸台、五十八年も百十万戸台。そして、残念ながら五十九年も百十八万戸で、一向に回復の兆しを見せていないという事実もあるわけですね。一種の二重構造を示しているのではないかと思うのですが、こうした事実を、失礼な話ですが先生はお認めになっていらっしゃるのだろうか。お認めになっていらっしゃるのだとすれば、それにもかかわらず日本経済は順調だ、こういう評価のもとに予算を論じたり政策を論じたりしていいのだろうかという疑問を持つのでありますが、いかがでしょうか。
  47. 館龍一郎

    館公述人 お答えいたします。  今御指摘がありましたいろいろの、例えば跛行性の問題とか、あるいは倒産の増大あるいは失業率というような点について、問題が全くないというようには私考えておりません。特に、最近は経済構造そのものが大きく変化する時期にかかっているということもございまして、その結果、例えばお挙げになりました失業率の問題にしても、これは従来労働化を要求しなかった婦人労働者の方々が労働化を要求して職安に求職の希望を出すということになりますと、それによって失業率がふえるというようなこともあります。そういう意味で、パートの機会とかそういうものが増大しますと逆に失業率が増大してしまう、統計にあらわれてくる失業率は増大してしまうというような面もございます。  経済構造そのものが全体としてサービス業あるいはその周辺の産業に重点が移行していこうというような時期にかかっているために、今のような、実態として失業が非常に深刻であるのではないけれども数字の上では非常に深刻に見えるというようなものがあり、それから、御指摘のように構造変化のために起こってきているような問題が全くないというようには考えておりませんで、予算の中でも、そういう点で多少は中小企業対策のようなところには気が配られているように私は考えております。
  48. 瀬崎博義

    ○瀬崎委員 反論するようでまことに恐縮なんですが、先ほど来、こういう時期には財政再建を最優先させるべきだ、国債を減らす手段として三つお挙げになりましたけれども、何はともあれ、歳出削減を最優先にすべきだ、そういうお話だったですね。政府の予算もそこそこだと評価されております、確かに、臨調型予算が組まれ出した昭和五十六年を起点にすれば、六十年度まで一般歳出についてはまさにゼロシーリングあるいはマイナスシーリングは堅持されているわけなんですが、その中で軍事費は御承知のように三一%伸びましたし、海外経済協力費は一九%伸びているわけですね。ところが、今おっしゃった中小企業対策費は、手当てされているのではないかとおっしゃいましたが、それはこの四年間で一三%減っているわけなんですね。  さて、こういう歳出削減の傾向が正常と評価できるのだろうかという疑問を私は持ちます。改めてもう一遍先生に御見解を聞きたいこと。  それから、同じく歳出削減について、こんなことを申し上げるのはそれこそ失礼ですが、憲法では、第九条で戦力不保持を決めている、戦力は持たないということを決めていますね。二十五条では、国民は健康で文化的な最低限度の生活を受ける権利がある、国は社会保障、社会福祉に努めなければならない、こういう義務が国に課されている。こういうことも念頭に思い浮かべるとき、政府のとっている、軍事費はふやすが社会保障は削る、これが正しいのか、それとも、国民が願っている、軍事費を削って福祉や教育の予算は守ってほしいのだ、これが正しいのだろうか、その最も基本的な問題についての先生の御見解も承っておきたいのですが。
  49. 館龍一郎

    館公述人 私が専門でないような問題もございますので、すべてにお答えするということはできませんが、一番最初に申し上げましたように、今度の予算について私自身遺憾とする点は、聖域を設けずに削減すべきであるという私の考え方から申しますと、防衛費等について例外が認められた点であるということでございまして、その点については、私はそういうように考えております。  ただ、中小企業の問題につきましては、いやここで減っているということは御指摘のとおりでございますが、それ以前から中小企業については非常に手厚い援助が、といいますか、対策が講じられてきておったので、そこでこの節減合理化の過程で減少しているというように見えているわけでございますので、どの時点から予算を見ていくかによって違いがあるのではないかというように考えております。
  50. 瀬崎博義

    ○瀬崎委員 もう一点館先生に伺いたいのですが、政府が地方自治体に対する補助金を圧縮した、あるいは高率補助見直した、この問題については先ほど他の議員の方の質問もありましたが、私、角度を変えまして、先ほど先生はそういう措置地方自治体に対してみずからの財政上の新たな工夫をするチャンスを与えたというふうに評価されたと思うのですね。しかし、憲法が地方自治を保障しているのが今日の特徴ですね。そういうもとにおいて、本来国が負担すべき負担金まで縮小し地方に背負わせるという意味合いの、補助金見直しという一種の強権発動で地方自治体財政上の方針転換を迫る。本来そういうことは地方自治体が自主的に考えるべきことであって、私から見れば、むしろ今の政府のやっていることは地方自治の侵害、干渉ではないかなという感じがするので、決して評価できることではないように思えるのですが、いかがでしょうかね。
  51. 館龍一郎

    館公述人 お答えいたします。  補助金等、特に高率補助につきましては、初めから高率補助がなされていたわけではなくて、多少財政にゆとりがあるような機会を通じてだんだん高率補助になってきたという経過があったように承知しております。そこで、今のような状況になったときには、これは私はもう専門でございませんけれども、素人的に考えますと、憲法がいろいろ決めていることの中でも、バランスをとりながらやらなければ実際の財政政策としては行えない分野についてはバランスを考えて、地方にも高率補助について少し検討していただきたい、負担していただきたい、こういうことではないかというように考えておる次第でございます。
  52. 瀬崎博義

    ○瀬崎委員 では次に、大内公述人にお伺いをしたいと思うのです。  本当に北海道の切実なお話は身にしみて伺いました。私は滋賀県の選出なんですが、滋賀県にも廃止対象路線に上がっております信楽線というのがあるわけですね。五十四年の閣議決定でしたか、当面の廃止路線は二千人未満というのを打ち出したものですから、地域ぐるみで何とか二千人を超して残してもらおうという運動もやって、辛うじて超えてきたために、現在地方協議会等は見送られているのですが、しかし、いずれ四千人未満であることに変わりがありませんから、分割民営の大きな波の中ではのみ込まれる危険を持っておる路線なんです。それだけに北海道は本当に大変だと思うのですが、そういうことを前提にして、先ほど一番最後の部分で、今後国鉄の問題を考えるときには三つの重要なポイントがあるとおっしゃったその第一に、二十二兆もの累積赤字を持つに至ったその原因と責任は明確にする必要があるのだとおっしゃいましたね。ただし、その原因と責任が何かについては、時間の関係もあったのだろうと思うのですが、お話がなかったと思うのです。非常に限られておりますので、特に大きな原因だとお考えの点を述べていただければ大変幸いだと思うのです。
  53. 大内基

    大内公述人 お答えをいたします。  赤字の原因というのはたくさんあると思いますけれども、例えば新幹線、いまだに東北あるいは上越新幹線の黒字になるめどが立っていない。それにもかかわらず、赤字を知っていて一体どうしてつくるのか。さらには、今度は百二十八億円の新しい予算を組みましてさらに新幹線を延ばす。どこから出すのか財源のめども余りはっきりしていないのでありますけれども、そういうようないわば政治が絡んだ赤字というのが最大だというふうに思います。  もう一つそれにつけ加えますと、やはり戦後の困難な状況の中でいかに物資を輸送するかという必要に迫られて相当たくさんの整備をしたという点と、及び政府の責任によって外地から引き揚げたところの人員による膨大な人件費、さらに今日それが退職金あるいは年金等にはね返ってくるというのが年々赤字増大させる原因だというふうに思います。  それから、御質問がございませんでしたけれども、さきに二見先生の御質問にもありましたので、加えて若干申しますと、二十二兆円の赤字を一体どうするかということの問題でありますが、二十二兆円、もう実に大変でありますけれども、それは国債の百二十兆をどうするのかということと同じだと思うのです。分割民営にしたところで、しょせんはしょわなければならない二十二兆円であります。したがいまして、やはりこれは国の責任でつくった赤字である以上、国が全体として持たなければならない。ということは、我々が持たなければならないということだ。これは国債と同じであります。私は防衛費があんなに膨脹することにもまことに腹が立つほど反対なのでありますけれども、それでも防衛費によって次から次へと生まれている赤字を、やはり私たちも負担しなければならないわけでありますから、当然二十二兆円は全体として国民負担しなければならない。二十二兆円を棚上げいたしますと、私は、国鉄というのはそれほど大きな赤字を生むことなくして今後も運営できるというふうに確信をしているものであります。
  54. 瀬崎博義

    ○瀬崎委員 最後に一点。  今度は、中曽根総理の所信表明でも、三K赤字のうちの米と健保の二つは退治した、これからは国鉄だ、ことしはいよいよ国鉄の抜本的改革に取り組むという並み並みならぬ決意を表明されたのですね。したがって、やはり国鉄を本当に国民の足として守っていく上では、国民的な世論と運動を大きく盛り上げることも非常に大事だと思っているのですが、その点でそういう運動もやっていらっしゃる公述人と伺いますので、今後はこういうところへ力を入れて運動を進めたいのだというお考えがありましたら簡単におっしゃっていただいて、終わらせていただきたいと思います。
  55. 大内基

    大内公述人 三Kのことを挙げられましたけれども、国は米に対しましてちゃんと十分な手当てをしています。私たちは国際価格の三倍から五倍の高い米を食わされても、ともかく我慢せざるを得ない。それからもう一つのKも同じであります。三つのKのうちで実は全然国から、全然とは申しませんが、最も冷遇されているのは鉄道であります。国鉄だけが今まで三Kのうちでいわば見放されてきたというふうに思うのでありますが、中曽根さんかどういう決意でもって残ったKをするのかわかりませんけれども、恐らく全部直接的に国民負担をさせるということだ、関係する地方住民にだけ負担をさせるという考え方ではないかというふうに考えるわけであります。  ところで、一体こういうような必ずしも喜ばしくない政策に対して私たちはどう抵抗すべきか、非常に難しい問題だというふうに私も思います。やはり住民全体の意思を結集する以外にないと思います。もともと政策を変更する者は今までの政策利益を得た者ではなくて、利益を得ないところの人間が抵抗して初めて政策というものは大きく変更できるものだというのが原則だというふうに思います。したがいまして、今まで最も国から冷遇をされておりますところの住民こそが結束して立ち上がる、それ以外には本当に国鉄を守る方法はないものだというふうに確信をいたしております。
  56. 瀬崎博義

    ○瀬崎委員 どうもありがとうございました。
  57. 天野光晴

    天野委員長 以上で公述人に対する質疑は終了いたしました。  公述人各位におかれましては、貴重な御意見をお述べいただきまして、まことにありがとうございました。厚く御礼申し上げます。  午後一時三十分より再開することとし、この際、休憩いたします。     午後零時五十分休憩      ————◇—————     午後一時三十二分開議
  58. 大西正男

    ○大西委員長代理 休憩前に引き続き会議を開きます。  この際、御出席公述人各位に一言ごあいさつを申し上げます。  公述人各位におかれましては、御多用中のところ御出席を賜り、まことにありがとうございました。昭和六十年度総予算に対する御意見を拝聴し、予算審議の参考にいたしたいと存じますので、忌憚のない御意見をお述べいただくようお願い申し上げます。  なお、御意見を承る順序といたしましては、まず莇公述人、次に千田公述人、続いて前田公述人の順序で、一人二十分程度ずつ一通り御意見をお述べいただき、その後、委員からの質疑にお答え願いたいと存じます。  それでは、莇公述人にお願いいたします。
  59. 莇昭三

    ○莇公述人 私は、全日本民主医療機関連合会の莇昭三であります。昭和六十年度国家予算に対して、健康保険法の改正と老人保健法の実施後の実態という観点から、意見を述べたいと思います。  昨年十月より健康保険法が改正され、実施されました。この実施によって、患者は受診の抑制、医療機関は診療内容の低下で、不安と不満が大きくなりつつあります。特に深刻なことは、予想以上の自己負担に驚いた患者の、どうして私だけこんなに高いのかという質問に対して、がんの検査と薬だと答えられず、患者に不安と不信感を与えているケースが出始めていることであります。  この改正がされました昨年十月分の支払い確定を見ますと、被保険者本人の件数は前月より六・一%の減、金額は一七・〇%と減少しております。この減少を各管掌ごとに見ますと、金額が対前年同月比で一番減少の大きいのは旧日雇健保で三〇・八%、以下旧政管健保、船員保険、共済組合、健保組合一二・一%の順であります。  このような受診抑制をある意味では安易な医師のはしごがなくなったからだと言う方々もあるかと思います。しかし、政管健保の人がはしごが好きで健保組合の人がはしごが好きではなかったと言うわけにはいかないと思います。これは平均給与水準の低い層ほど受診が抑制されているということを示しているのでなかろうかと思います。  ある県立病院の昨年十月第一週の外来での患者調査では、六百十九名でありますが、この改定によって医師に気軽にかかれなくなるとした人が四〇%であります。そして、医療費の負担増にどう対応していますかという質問に対して、医療費の分だけ他の生活費を切り詰める、これが四八・七%であります。  次に、予防にまさる治療はない、これは万人の認めるところだと思います。また、予防の方法がまだ十分明らかでない病気には早期診断、早期治療が大事です。人間、だれでも軽い風邪や下痢で軽々しく医師を訪れるものではありません。皆様方も胸に手を当てて考えていただければおわかりだと思います。風邪ぎみで医者を訪れるのは、少し長引いてひょっとしたら肺がんかもしれないという、そういう心配が頭をよぎったときであります。そして、医師に診察していただきまして、九九・九%の人がただの風邪という診断をされて、風邪なら安心ということで再び元気で働き始めるわけであります。つまりネガティブデータを求めているわけです。早期診断、早期治療とはそのようなものであります。ところが、今述べました十月分の診療状況は、この大切な早期診断が抑制された。しかもアナウンス効果で家族にも抑制効果が出ております。これは今後の国民医療にとって重大な問題だと言わざるを得ません。  さきの十月分の支払い状況を見ますと、外来分で、一日当たりの医療費が三・三%ダウンしております。今、全国的に流感がはやっていますが、医師はやや長引いた流感の患者を診ますと、今までですと、肺炎かどうか写真を撮って確かめておきましょうと話すわけです。患者もお願いしますと、大体同意されて診断が進められることが多いわけです。しかし、最近では、先生、きょうはお金を用意していませんからと拒否されることが間々あります。一日当たりの医療費の低下は、このような現場の状況を反映しているというふうに見てよかろうと思います。一枚の写真を撮るか撮らないか、それが本人の長い苦痛の始まり、労働力の長い損失、そして医師への不信の分かれ目になるわけですが、このようなリスクを増大させているのが今度の健保法改正の今日的状況ではなかろうかというふうに思っております。  国は、これまで国民に提供する医療は、保険医療を原則としてきたわけであります。かって国会で差額ベッドの解消が論議されたのも、そのような原則からであったというふうに私は思います。しかし、今度の健康保険法の改正では、特定療養費制度がつくられました。これは保険医療と非保険医療、つまり自由診療を認めたわけであります。  一般保険医療機関では、室料差額が特定療養費として公然と認知されましたので、室料の高騰が始まりつつあります。ある県立病院では、従来二千五百円の室料が三千円となっております。また、私立大学病院の三人室以上での差額ベッドの徴収について国会でも論議にかつてなりました。その三分の一は解消されたそうですが、今度の特定承認保険医療機関絡みで解消が微妙な問題となっているというふうに伺っております。室料の差額、歯科材料費差額が自由料金の拡大、例えば給食、看護に拡大しないか、国民の大きな心配であります。  次に、高度医療の問題であります。  これは、国民の受療幅を制限する、差別する、そしていわゆる民間疾病保険の拡大に道をあけるものであって、保険あって医療なしの状態が出てくるのではないかということが非常に懸念されるものであります。  次に、今度の改正で、退職者医療制度の創設があります。国保財政赤字が軽減されるのではないかという点で歓迎する向きもありました。しかし、実際には幾つかの矛盾が出ているのは御存じのとおりであります。特に企業の少ない過疎の町村国保にはそもそも退職者がいないわけですから、国保財政の一方的な削減はその国保の経営危機を強めているというふうに思われます。  次に、六十年度予算編成に当たりまして厚生省は歳出削減を求められまして、約六百億を医療の適正化によって捻出するというふうに承りました。個々のケースを審査して不適当と認められるものを査定するのは理屈に合いますけれども、初めから削減額を決定しておいて、その予算を実行するために指導、監査を強化するのは、筋が通らないと思います。特に五十九年度の政管健保は約九百五十億の黒字であるそうですが、これが特例措置とはいえ一般会計に繰り入れられるということは我々としては非常に遺憾だと思います。  以上述べましたように、今回の健康保険法の改正は、国民への差別医療、自由診療を国民に強いるものであると思います。そしてそれは恐らく今日のアメリカ並みの総医療費の非常な高騰に道を開くということが懸念されるわけで、私は、医師の立場から早急に十割給付の復活を強く求めたいと考えております。  次に、昨年、総理府が施行いたしました国民生活選好度調査によりますと、医療と保健が三九%とトップであります。人間、結婚して子供を産むころまでは自分の命は余り意識しませんが、子供をもうけたころからみずからの命を第一に考えるわけで、この調査の結果は、昔も今も国民要求は第一に命を大切にするということを端的に示していると思います。  昭和四十八年の老人福祉法の改正による七十歳以上の老人の医療費の無料化は、そのような国民の願いが込められてつくられた法律だったわけであります。  その後、時が過ぎまして、中曽根総理も施政方針演説等では、人生八十年時代あるいは本格的な高齢化社会に突入してと、それに対応する必要を強調されておられます。そして一昨年、老人保健法が施行されたのであります。  この法律の第一の柱は、今までの無料をやめまして自己負担を義務づけたわけであります。四百円ぐらいは無理のない金という意見も各界にはあったと思います。しかし、現実の医療の現場ではどうか。百円硬貨四枚を片手に握り締めて、後にも先にもそれだけのお金を持って医療機関を訪れる真剣な老人のまなざしが今病院の窓口にあります。そして、その四百円を今月払ったか払わないかというトラブルが窓口で頻発しているのも現状であります。  医療行為は本来人間関係が大切です。これでは、今求められている心の通い合う医療は、逆に阻害されているというふうに言わざるを得ません。  厚生省は昨年老人の受診率の推移を発表いたしまして、レセプト一件当たりの日数の増加と受診率の低下の推移から、「一つ医療機関でじっくりと腰をすえて受診するという傾向が現われてきているものと推察することができる。」と言っています。しかし、これはあくまでも老人はいつもだらだらと医者通いをするという前提での勝手な解釈で、私は、軽症患者や月一回ないし二回通院の慢性疾患患者が受診を抑制されたのだというふうに単純に考えればいいことであるというふうに思います。このような一部負担制度の導入というのは、国民の老後における健康保持に今後大きな悪影響を及ぼすに違いないというふうに考えております。  老人保健法の施行で、診療報酬に老人特掲診療料が別立てで導入されました。これを例に挙げて申しますと、乙表の一般医療機関では皮下注射が一回百四十円、点滴注射は一回七百五十円ですが、特例許可外老人病院では一カ月に何回注射をいたしましても千円であります。老人は高血圧で入院いたしましても、目やにが出たり口が荒れたり時々するものです。この処置ですが、一般医療機関では目の洗眼の処置は一回百四十円、口腔の処置が一回百円です。ところが、特例許可外老人病院では、目や鼻や口の処置をどれだけしようとも、月に何回しようとも、三百円きりであります。一カ月に何回注射しても千円であったり、何回目を洗ってあげても三百円きりならば、おばあちゃん、少し我慢しなさいということを看護婦が言いたくなるのは理の当然ではなかろうかと思います。これは、やはり老人医療への差別と言ってもよかろうと思います。しかも、入院時の医学管理料にも差別があるわけであります。  このような老人医療への差別で、今新たな二つの悩みが出ております。一つは、病院からの老人患者の追い出してあります。特に、特例許可外病院に認定されますと非常に不利なわけですから、毎年一月から三月の間は老人患者の収床水準を六割以下にするということで、この間は老人の入院を制限せざるを得ない、そういうことがあります。  ところが、老人患者の追い出しはないのだという意見も間々聞かれますけれども、老人保健法施行後、ほとんどの府県で特別養護老人ホームへの入所待機者がウナギ登りに上昇しております。例えば石川県金沢市の例を見ますと、昭和五十七年の毎月の平均は二十一名の待機者であります。この二十一名のうち、在宅での待機者が十二名、入院が九名。ところが昭和五十九年では、平均しまして毎月百四十八名の待機者で、在宅が七十四名、入院が七十四名となっています。このような傾向は東京都でも言えます。昨年九月で東京都では千四百名の方が待機中というふうに言われております。  次に、もう一つの問題は、いわゆる老人の入院患者のお世話料であります。今日、医療機関の経営が非常に苦しいわけですので、どの病院でも、合法的な範囲内で保険以外の患者負担をお願いしているのは事実であります。特に、今度の老人特掲診療料の場合は、極端に他の診療報酬よりも低いわけでありますので、老人患者の保険外負担が一般化しつつあります。  お世話料を具体的に述べますと、例えば特例許可B病院の場合ですと、特別介助料が月六万八千八百円、この中には排尿パック月千円、アダプターが三十円、カテーテルが三百円、経口バックが千百七十円等々でありまして、そのほかにおむつ代が月八千八百円、合計七万六千円というふうになっております。しかも非常に重要なのは、このお世話料が老人保健法施行後値上がりしつつあることであります。杉並区のA病院では、前は四万五千円だったものが今は九万円であります。神奈川県のC病院では前は、三万五千円のお世話料が今は六万五千円という状態であります。こういうお世話料は、今の老人の福祉年金や国民年金ではどうにもならない、そのように思います。  もう一つ老人保健法に関連いたしまして述べたいのは、いわゆる保健事業であります。  四十歳からの健康管理といううたい文句は非常にいいのですけれども、実際の状態はどうかと申しますと、極めて劣悪な状態であります。御存じのように、一般健康診査というのは、問診と血圧の測定と検尿、聴打診、この程度で病気が発見されるかどうかということは素人の方々でもおわかりだと思います。こういう状態ですと、今後予想される肺がんあるいは胃がんの発見は非常におくれる、特に、老人福祉法による老人検診での胃がんの早期発見率が恐らく今度の老人保健法による健康診査では落ちるだろうというふうに言えると思います。  最後に、六十年度の政府予算案の一般歳出予算案は連続してマイナスになっております。このうち社会保障関係の伸びは二・六%で五十九年度の三・七%を下回っているわけであります。その反面、国債費は一一・七%、防衛費は六・九%と伸びが目立ち、歳入不足を穴埋めする国債発行は十兆円台を突破し、六十五年度までの赤字国債依存体質脱却も防衛費のGNP一%枠も今や空洞化する姿が露呈されつつあるというふうに言わざるを得ないと思います。  一般歳出を前年度比マイナスにするためにあらゆるテクニックが動員されており、その最大の巻き添えを食ったのが社会保障予算となっているというふうに思います、  五十七年度には厚生年金国庫負担率の変更、五十八年度は福祉年金の平準化措置、五十九年度は退職者医療制度、そして六十年度の生活保護費等の国庫の負担分の引き下げ、ここ近年の厚生行政というのは、国庫負担減らしの緊急措置に終始していると言わざるを得ないと思います。防衛費や海外協力費の着実な伸びと比較すると、社会保障費は「おしん」を強いられているというふうに言わざるを得ないと思います。  私は、軍事費よりも国民生活医療と福祉の保障をという立場から、政府提出の六十年度予算案に反対の意見を述べて私の公述を終えたいと思います。(拍手)
  60. 大西正男

    ○大西委員長代理 どうもありがとうございました。  次に、千田公述人にお願いいたします。
  61. 千田恒

    ○千田公述人 私は、当委員会で御審議になっています昭和六十年度総予算に賛成の立場で若干の所見を申し上げたいと思います。  私は、報道機関といいますか、新聞社で仕事をしております。専門領域は政治でございます。政党活動あるいは政府、行政機関、さらに地方自治体、それから皆様方国会での御活動、そういった我が国の政治過程を見まして、そこで生ずる出来事について取材をし、報道をし、論評を申し上げるのが私の本来の仕事でございまして、実は皆様方は私にはいつも取材対象でございます。本日は立場が逆でございまして、若干物を言いにくい感じがいたします。それと非常に不作法でございまして、失礼なことを申し上げることになるかもしれませんけれども、そのときは御容赦を願いたいと思います。  昭和六十年度予算について賛成と申し上げたわけでありますけれども、新年度の予算は、困難な財政状況のもとで、全体として抑制基調を貫きながらまずまずの予算であろうかと思うわけです。それで賛成と申し上げたわけでありますけれども、先ほど申し上げた私の立場から言いますと、特に関心を持っておりますのは、ここ数年来にわたる行政改革と予算関係がどういうぐあいに進んでいるのかという点でございます。本日の私の意見はそういう点に絞って申し述べてみたいと思います。  そういう立場から申し上げますと、新年度予算については、私の立場から申し上げますと、まだ注文や批判もございます。それから予算審議をお進めになっている国会に対しても御要望を申し上げたいことがたくさんございます。これは、私どもが報道の対象としている読者はいわば納税者の立場でございます。同時に、主権者の立場でございます。私の意見は、そういう読者を念頭に置いての意見ということになると思います。  けさの新聞各紙でございますけれども、取り上げられているニュースの一つに、行政改革推進審議会の内部の作業グループで「民間活力の発揮推進のための行政改革の在り方」という報告書がまとまったというニュースが出ております。実は私、ここにそのフルテキストを持ってまいっておりますけれども、そのテキストの冒頭でこういうふうに書き出しております。「いま行われている行政改革は、過去の後始末の面と未来への挑戦の面がある。前者の眼目は、ともすれば肥大し硬直しがちな行政の機構や政策見直して、その簡素化、効率化を図る点にある。後者の眼目は、時代の変化に素早く対応しながら、新たな未来を切り拓いていけるように、政策、機構、制度の変更や再構築を図る点にある。」こういう書き出しで始まっているのであります。  この報告書は、もちろん後者に力点を置いて、今後の産業活動などに対する政府規制のあり方について意見をまとめているわけでありますけれども、この行革には過去の後始末の面と将来へ向かっての挑戦といいますか、そういう両面があるという指摘をしたのは、実は中曽根総理であります。五十六年に第二臨調が発足をした年、その秋の国会で、中曽根さん、当時行管庁長官だったと思いますが、行管庁長官として、行革の方向づけをこういうふうに言ったわけです。  今日においても依然としてその両面を持っている、今日行われている行政改革というのがそういう両面を持っているということは正しいと私は考えております。既に四年目を迎えているわけであります。一体その実行段階に入った行革というのが、中曽根さんが当初言っていたようなそういう方向づけに果たして合致しているのかどうか。六十年度予算を見る場合にそういう視点から私は関心を持っております。  まず、行革推進の全般的な評価をしておく必要があるかと思います。  もう行草の必要性については皆様方にくどくど釈迦に説法のようなことを申し上げる必要もないと思いますけれども、これは単なる抽象的な理念から出発したのではなく、石油ショック以降の財政困難な状況など、そういった我が国の経済社会の変動といいますか、我が国が財政的にも壁にぶつかって、その中から必要やむを得ずして取り組んできたといういきさつがございます。しかし、同時に今後の変化ということを考えて、これに合わせて行政の仕組みや内容を改めていかなければならない。言ってみれば、新しい行政の体系といいますか、そういったものを考える必要があるのだろうと思います。  そういう議論の中で、今後の社会発展の基盤となる民間の活力を助長するために、過大な行政の保護あるいは規制、そういうものを改めていく必要があるという意見が出てきているのは御承知のとおりであります。  さらに国民の価値観や社会意識の変化にこたえて行政に対する国民の信頼を確保する、そのための行政運営の基準、公務員の職務執行のあり方といいますか公共労働のあり方自体も問われている、そういうことであろうと思います。  そこで、方法論として出てきているのが、臨調で提起をいたしました「増税なき財政再建」ということでありますが、私はこれはあくまでも堅持をしていかなければならないだろうと思います。でなければ従来の惰性や慣行を大胆に見直すようなことはとてもできまい、そういうふうに思うわけです。  最初にも申し上げましたように、私は新聞社で仕事をしておる立場であり読者の立場でもありますが、しつこく行革を要求をしていくといいますか求めていく、そういう立場での考え方、それを基本にして今申し上げておるわけですけれども、政府のこれまでの行革を一体どの程度に評価をしたらいいのか。  これまでの政府の対応を見ますと、五十六年の三月の第二臨調発足以降四回にわたって行革大綱が出ております。それに基づいて拾ってみますと、五十八年の秋、第百国会、国家行政組織法の改正をいたしております。それで総務庁が設置をされております。それから共済年金の統合が行われ、府県単位機関の廃止など、こういった措置がとられております。五十九年の百一国会で、専売公社の改革あるいは医療保険制度の改革についての法案の立法措置がとられております。今国会においては既に電電公社の改革法案が成立をしておりまして、現在年金改正諸法案が御審議中であるわけです。また、その間に十省庁内部部局の再編が行われております。政策官庁に脱皮をしなければいけない。一体どういう具体的な成果がここから出てくるのか、これはまだ今後を見なければわかりません。  それから、定員の大幅減。大幅という言葉が当てはまるのかどうか問題がございます。英国のサッチャー政権は、一九八〇年から八四年に十万人の公務員の削減計画を出して、八二年までの三年間に七万五千人の削減をしております。そういうサッチャー政権の行革に比べれば微々たる数になりますけれども、五十九年には三千九百五十三人、本年度の予算では六千四百二十八人でございますか削減計画が出されております。特殊法人の統廃合、許認可の整理合理化、そのほかに昨年七月発足いたしました総務庁など、こういった流れを見ておりますと、臨調答申で出された諸提案を着実にここでは実行に移しているというふうに私は評価してもよいと思うのであります。  全体として見ますと、今までの行革の歩みは一応評価してもいいということでありますけれども、実はこれからが本番ではないのか。昨年の十月に行革審が内閣に報告書を提出いたしました。行革の進行度は五合目程度である。私は、これに対して紙面の上で御批判を申し上げました。最近は、富士山でも五合目ならバスで行ける、そういうふうに言います。五合目程度ということをそれほど評価できるのか。実は臨調答申自身が、最終答申の中では切り込み不足を認めております。臨調答申の実行を行革というふうにそのままイコールで受け取られては、私はこれは大変間違いであろうと思うわけです。五合目ならずり落ちる可能性もあります。せめて九合目くらいまで行って、それで道半ばという評価を下してもらいたいという御批判を申し上げましたけれども、これからが本番であり、国鉄の改革や地方行革など重要な問題が山積をしております。  それから、今国会に政府が提出を予定しておる法案は行革法案で二十本あるというふうに私は聞いておりますが、そのうちの七件は予算関係法案というふうに私は承知をしております。そういったことで、行革はまだまだこれからではないのか、そういうふうに評価をしておきたいわけであります。  それで若干の個別問題について申し上げますと、国鉄問題でございます。国鉄は、現在執行中の予算では六千四百八十八億円の国家の補助をしております。その国家補助を受け入れながら、なおかつ一兆七千億の赤字が出る、そういう見通しである。累積債務が二十二兆円を超すだろう。これは、何といいますか、素人の、国民的な常識ではもうとても想像もできないような危機的な状況であろうと思うわけです。六十年度予算でも六千二十五億円の補助をし、なおかつ単年度赤字で一兆六千億円の赤字が出る見通したという。それから借入金の残高が二十二兆六千億になるだろう、そういう見通しが伝えられています。  この問題は単に国鉄だけの責任ではないのでありましょう。しかし、まず国鉄労使がその意識を切りかえる必要がある。甘えの構造といいますか、そういうものを払拭していただかなければならないんじゃないかというふうに思うわけであります。臨調答申の方向に沿って、分割民営化で適正な経営規模のもとで責任ある経営というものを打ち立てて、再建に向かって歩み出していただきたいというふうに思うわけです。国鉄再建監理委員会の答申が、ことしの夏でございますか、予定されているそうでありますが、私は、政府はこの答申に基づいて不退転の決意で取り組んでいただきたいと思うわけであります。  もう一つ地方行革の問題がございます。財政規模で大体国に匹敵をします。人員で国の三倍になります。三百二十三万人、国が大体百十八万人くらいになりましょうか、三倍というのはちょっと多うございますけれども、そういう地方自治体の行政というのを見ておりますと、これは三千三百ありますので、非常に多様でございます。しかし、全体として見ると、やはりまだ問題が多く残っており、行革はこれからではないのかというふうに思うわけです。国と比べて高過ぎる職員の給与や退職金、あるいは定員、地方議員の定数問題にしても問題がございます。先ごろ、一月二十二日ですか閣議で了承された地方行革大綱、この中で地方版臨調というものの設置を求めておりますけれども、私はあらゆる自治体で、こういう形で国民的な関心の盛り上げの中で地方自治体あり方というものを考えてもらいたいというふうに思っております。  しかし、問題は国のサイドでございまして、地方自治体の改革を一番妨げているのはむしろ国ではないのか、中央の関与のし過ぎではないのか、そういった点に問題点があろうかと思います。六十年度の予算において補助率の圧縮を行ったことは評価をいたします。しかし、国と地方費用負担あり方のほかに、補助金の中には、例えば生活保護などまだまだ問題があるように私は思うわけです。予算の執行、運営面で改善すべき点があるはずだと思います。これは、私が問題を御指摘申し上げるより、むしろ国会の問題ではないかと私は考えておるわけです。  六十五年度の赤字公債依存からの脱却を目標にした財政の改革もあわせて進行中でありますけれども、今年度予算は、一応三年連続しての一般歳出の伸び率ゼロというのは私は評価できると思います。しかし、六十年度予算案の構成を見ますと、約五十二兆五千億円に上る一般会計歳出総額の中で国債費は十兆二千億円、これは社会保障費や防衛費をはるかに上回っております。財政硬直、財政の危機的な状況というものを端的に示しているわけでありますけれども、こうした中で、一部に大幅な増税をすべきではないかという議論があるのを私は極めて憂慮いたしております。閣僚の中に、内なる改革は限界に来ているとおっしゃった方がおりますけれども、私は、まだまだ減量の余地があるのではないか、歳出そのものを見直す余地はまだあるであろう、それをもっと徹底して行った上でなければ、こういった増税の論議というのは国民の政治に対する不信を招く結果になるであろう、そういうふうに思うわけです。「増税なき財政再建」の基本精神というものを引き続き堅持して、歳出削減合理化を推進をしていただきたい。そういう視点で、国会もこの予算の御議論をなさる場合に、やはりもう少し掘り下げた議論をして、歳出の中身にまで踏み込んだ議論をどうかしていただきたいというふうに私は申し上げておきたいと思います。  今国会での予算委員会の御論議を見ておりますと、税制の問題について委員会での論議は、私は評価をいたしております。しかし、ただ防衛費の一%枠の問題は、何といいますか、もう少し防衛予算の中身に踏み込んだ議論ができるのじゃないだろうか。これは新聞の立場で、報道する立場で申し上げますと、国会の議論がおもしろうございません。もう少し、何といいますか、我々も勉強をして取材をするに値する議論というのをお進め願いたい、そういうふうに申し上げて私の意見にいたします。(拍手)
  62. 大西正男

    ○大西委員長代理 どうもありがとうございました。  次に、前田公述人にお願いいたします。
  63. 前田哲男

    ○前田公述人 前田哲男でございます。  私は、昭和六十年度総予算の防衛費に関して、これに反対する立場から若干の意見を述べたいと思います。  既に広く論じられているとおり、この八年間日本の防衛政策を拘束してまいりました防衛費の対GNP一%以内という枠は、来年度予算を最後に破綻する形勢にあります。率で〇・九九七%、額であと八十九億円という来年度予算の数字がそれを端的にあらわしております。既にこの席で総理大臣もその可能性について言及されましたし、各方面でGNP一%突破を推進するキャンペーンが行われているように思います。  ここで不思議でならないのは、この対GNP一%問題が専ら軍事的な見地からのみ行われ、また、それだけを切り離した形で行われていることに関してであります。百分の一原則というのが、専らその軍事的合理性からのみ、妥当がそうでないかということがそこからしか検証され得ないかのごとき印象を受けます。  三木内閣がこの一%の閣議決定をなす二百年ほど前、アダム・スミスは次のように書いております。「どのような国でも、その住民の百分の一以上を兵士として使用すると、彼らの軍役の経費を支払う国は必ず破滅してしまう」、ここでも百分の一原則というのが決して無意味なものではないということがあらわれているだろうと思います。アダム・スミスは、軍事費、マンパワー、そして経費という関係式の中で論じているわけですが、二百年前のこの関係式は、今日我々が論議している問題と本質部分においてはちっとも変わっていないのではないか。もっと広い大きな立場からGNPの一%問題というのはとらえられるべきではないのかというふうに考えます。  もう一つ、極めて遺憾なミスリードが行われていると思うわけです。例えば国際比較に関することですが、総理大臣に提出されました平和問題研究会の報告の中で、「防衛費の水準」という項の中で「防衛費がGNPに占める比率が三%を下廻る国はきわめてまれであり、一%という国は皆無に等しい。」こういう表現がなされ、これが報告として総理大臣に提出されているわけですが、しかしこれは明らかに事実と反しております。  私が持っております資料は、これはアメリカの軍備管理軍縮局が提出しました公文書でありまして、一九七二年から一九八二年までの各国の軍事費及び世界の軍事水準を分析した資料なのでありますが、この中で見てみますと、GNPの〇%台から一%までの国が十五カ国世界に存在しております。一%台、日本は国際比較をするときの水準では、準軍隊の費用、軍人恩給、それから宇宙開発とかそういう費用を入れますので一%台に入ってしまうのですが、この一%台の国に至っては日本を含めて二十二カ国。つまり世界の三十七カ国、約四分の一の国は〇%台から一%台の国であるという厳然たる事実があるわけです。にもかかわらず、日本のGNP一%以内は世界の非常識であるという、あるいはそう言わんばかりの理論がまかり通っている。  中でも注目する必要があるのは、例えばブラジルというふうに、我々が日本以上に大国として知っている国、ここは〇・六%台の防衛費であります。メキシコに関しても石油大国でありますが、やはり〇・六%台という一%以下のGNPを一九七〇年代一貫して保ってきている、そういう事実があるわけですね。南米に関しましては、南米全体で一・八%台のGNPであるというふうに、アメリカ軍備管理軍縮局の公文書は指摘しております。決して国際的に見て日本のみがただひとり、ただ一カ国おくれた国である、非常識的な軍備費を維持しているという論理は成立しないであろうというふうに私は考えます。  もう一点、このGNP一%の当不当性を論じる場合に重要な、これが制定された時点の経過についてであります。  今日、我々の周辺で横行しております論議は、専らGNP一%のみを切り離して、それのみが妥当であるかどうであるかという観点でありますが、もっとこれは、当時どういう防衛力整備の考え方においてなされたのか、決定されたのか、そのあたりを論じる姿勢が必要であろう。しかし、それが欠けておものではないかという気がいたします。  このGNP一%という防衛費の水準は、言うまでもありませんが、基盤的防衛力構想といういわば当時の国家戦略との関連において、そして防衛計画大綱という防衛政策の中において、そのコストとして位置づけられ、決定されたものであることは言うまでもないと思います。すなわち、基盤的防衛力構想という大戦略があり、それに基づいた防衛計画大綱という政策があり、そのコストとしてGNP一%という政策が決定された。したがって、この三位一体の中での論じ方、GNP一%の不当性を主張するのであれば、基盤的防衛力構想及び防衛計画大綱というものを一からげにした論議が提起されてしかるべきであるにもかかわらず、そのような論争の組み立てになっていないのは甚だ遺憾であると思います。  昭和五十二年度の防衛白書は、この三つがきちんと連関していることを極めて明快に述べております。  また、昭和五十一年十月二十九日、防衛計画大綱が決定されました当日の坂田防衛庁長官の談話の中でも、この三つ関係がはっきり明示されております。すなわち、基盤的防衛力構想というのは冷戦感覚からの脱却であり、防衛計画大綱は量の増大であったそれまでの防衛政策を質の維持に転換するものであり、かつ、GNP一%、当日はGNP一%はまだ閣議決定されておりませんが、安定成長財政への配慮という観点から財政支出がなされる、そういう趣旨で、防衛庁長官の談話も、GNP一%が基盤的防衛力構想、そして防衛計画大綱という三位一体の中で決定した事情を述べているわけであります。  こういう歴史的な経過を持ちながら、今日我々の周辺で渦巻いているGNP一%撤廃をめぐる論議というのは、余りにも軍事のみ、軍事的な合理性のみからその当不当性を論議するという、底の浅い論議ではないかというふうに感じます。  ここで、観点を全く変えまして、ならばGNP一%の水準、これの維持と防衛計画大綱の水準達成というのは絶対に相入れないものであろうかということを検討してみたいと思います。すなわち、GNP一%の防衛費を維持したまま防衛計画大綱を達成するということは、果たして防衛庁当局が言うように不可能なものであろうか、両立不能な命題なのであろうか。決してそうは思えないということがあるわけです。  端的な例として一つ予算効率的な使い方ということになるわけですが、例を挙げてみたいと思います。護衛艦、自衛艦の就役年限に関してであります。  防衛庁は、現在、自衛艦の就役年限を護衛艦に関しては二十五年、潜水艦に関しては十六年と限って運用しております。昭和三十一年度に竣工した国産最初の護衛艦であります「はるかぜ」級を含めて、これまでに九隻が退役しました。潜水艦八隻も退役、解体いたしております。昭和六十年度においてもやはり数隻の退役、艦種変更及び解体が予定されております。二十五年と十六年で、我が国の護衛艦の主力艦はダウン、退役するということになっておるわけです。  アメリカ海軍の基準を考えてみます。アメリカ海軍の場合、一九八四年二月現在の艦艇、艦隊編成リストを調べてみますと、一九五九年、昭和三十四年に就役したファラガット級が十隻、今なお海軍のリストに現役艦として登録されております。一九六〇年に就役したチャーリー・アダムス級が二十三隻、やはり現役艦として登録されている。     〔大西委員長代理退席、原田(昇)委員長代理着席〕  我が国では、昭和三十五年度艦、三十五年度竣工した「あきづき」「てるづき」というクラスが今年度、来年度、相次いで退役し、また退役する予定であります。アメリカにおいては今なお艦艇名簿に残っている。  潜水艦の場合を見てみますと、もっと歴然としておりまして、我が国の佐世保基地を母港としておりますアメリカ海軍の通常推進型の潜水艦ダーターというのがおりますが、これは一九五六年建造、艦齢二十九年であります。自衛隊の就役年限を突破すること十三年という艦艇が、本国を離れること一万キロのかなたの海外基地で現役に服しておるわけであります。今年度やはり佐世保に来ると予定されておりますバーベルという通常推進型潜水艦も、建造後二十六年という期限に達しております。これは通常型の潜水艦でありますが、アメリカの核抑止力の一角をなします原子力潜水艦群を見ましても、攻撃型原子力潜水艦、これは横須賀と佐世保に寄港してまいりますが、九十七隻中三十六隻は海上自衛隊の就役年限の基準をとりますと既に退役していなければならない、そういったものであるわけです。  米海軍は、海上自衛隊よりはるかに長い就役年限をしている、これは危険な目に乗組員を這わせているという言い方が成り立つのでありましょうか。恐らくそうではなくて、もっと効率的な兵器、装備の使用を自衛隊に要求していいということの根拠の一つでなかろうかという気がいたします。  護衛艦一隻の建造費は四百七十億円から七百十二億円であります。潜水艦一隻つくるには三百四十二億円の巨額な経費がかかります。そして自衛隊員のベア一%に必要な額は百二十数億円でありますから、潜水艦一隻の就役年限を五年間延長することによって、既に三%のベアを吸収することができるという計算になるわけです。  護衛艦、潜水艦の就役年限を延長することで、日本の安全保障に重大な影響があるとはとても考えられません。何となれば、我が国がその核の傘に依存するというふうに言っておりますアメリカの潜水艦隊群が、九十七隻中三十六隻まで海上自衛隊の基準を超える就役年限を保っているのであり、我が国防衛庁が重大な脅威を考えていると言われるソ連太平洋艦隊の潜水艦隊群の就役年限をとってみますと、これははっきりしたことはわかりませんが、西側のジェーン海軍年鑑などで調べてみますと、百三十五隻太平洋艦隊に配属されているもののうち、五十隻ないし六十隻は一九五〇年代の建造艦であると推定されます。一九五〇年代、艦齢三十年以上の潜水艦が我々にこれほどの甚大な脅威を与えているとしますれば、我が国の潜水艦の就役年限をあと五年延長したからといって、防衛力に大きな支障が入るとはとても考えられません。こういった面でも、予算効率的な使用法として、GNPの中に占める防衛費の額を圧縮する余地は十分あろうと考えます。  また、航空機について一言申しますと、F15という主力戦闘機を目下航空自衛隊へ導入しておりますが、この調達価格は一機百四億円というふうに要求されております。ところが、一九八五年度米予算書を読みますと、米空軍への納入価格がF15一機二千二百万ドルであります。二百六十円レートで換算しまして五十七億円ということになります。余りにもひどい差があり過ぎる。むろん調達機数の多寡がありますし、オプションの差がありますし、あるいは開発費を負担したかどうかというような問題もあります。しかし、それらを含めましても余りにも大きな差があるように思います。これで一機十億円の予算の節約ができますれば、百機調達するときに得られる額は一千億円ということになります。非常に大きな額であります。ここにおいても、一%以内という枠の中で果たして防衛予算効率的に使われているかどうかということに関して、重大な疑念を持たざるを得ません。  さらに陸の装備、陸の主力装備に関して一例えば戦車という兵器が五六中業の中で三百七十三台要求されております。     〔原田(昇)委員長代理退席、委員長着席〕 一千百台陸上自衛隊で装備することになっておりますが、果たして今日、我が国周辺においてあるいは我が国の防衛を考える場合、この人口稠密、国土狭隘、都市化した日本列島の中において、一千百台あるいは新型戦車三百七十三台が走り回り戦車砲を発射するような戦闘様相というものが考えられるか、そのような戦闘が行われたときの被害は一体いかなるものになるのかということを考えますと、このような大量の戦車を導入するような防衛計画大綱というのが、果たして合理的であるかどうかという疑問がわいてまいります。移動砲台としての戦車の機能がいまだ完全に終わっていないという見地に立ちましても、このような大量の戦車を調達する理由にはならない。まして国民生活を守る、国民の生命と財産を守るという防衛本来の目的に徴しますれば、このような戦車の大量導入というのはもっと別の見地からコントロールすべきではないのかという気がいたします。  以上、GNP一%の問題に関して幾つかの観点から私の意見を申し述べましたが、GNP一%の防衛費が果たして正しいのか正しくないのか、この議論はもっと行われてよいと考えます。ただ、GNP一%それのみを切り離し、かつ、軍事的な合理性の観点からのみ論じるという今のやり方でいく限り、これはやはり制服の主張する合理性に我々は巻き込まれていかざるを得ない。我々は、やはり、防衛とは国民をさまざまな脅威から守ることであるという安全保障の鉄則、原則の見地から、このGNP一%を含む安全保障、防衛費の問題を検討する姿勢を持つべきではないのか。その意味において、来年度の防衛予算に計上されました予算の総枠及びその中で確実に招来が予想される一%突破という事態に関しては、反対の立場を申し述べざるを得ません。  以上、私の意見を述べさせていただきました。ありがとうございました。(拍手)
  64. 天野光晴

    天野委員長 どうもありがとうございました。     —————————————
  65. 天野光晴

    天野委員長 これより公述人に対する質疑を行います。  質疑の申し出がありますので、順次これを許します。田中秀征君。
  66. 田中秀征

    田中(秀)委員 本日は、三人の先生におかれましては、大変お忙しいところをお越しいただきまして、私どものために大変貴重な御意見を聞かせていただきましたことを御礼申し上げます。  私は、自由民主党・新自由国民連合に所属する者でございます。日ごろ関心を持っております行政改革に関連する問題につきまして、特に千田先生に幾つかの御意見を伺いますことをお許しいただきたいと存じます。  先ほど冒頭に千田先生の方から、昨日出されました民活の行革審の中間報告についての感想が述べられたわけでございます。私も実はきょうそれを読ましていただきまして、それで感じましたのは、先ほどもお話がありましたように、行政改革には両面ある、一つは今までの後始末をするということ、そしてもう一つは未来への挑戦である、そういうことでございまして、今度の中間報告が未来への挑戦に力点を置いたものだ、こういうことで評価されている、そういうふうに私は受けとめました。  きょうのサンケイ新聞の朝刊の論説、千田さんがお書きになったものかちょっとわからないですけれども、それも読ましていただいたのですが、実はそれに関連しまして、私は、今までの行革というのはとかく古い家を壊すというところに力点が置かれていて、新しい家を建てる、そういう観点が残念ながら不十分であった、そんな感じがいたしているわけでございます。先ほど今回の民活の報告書を評価されているという話を聞きまして、行政改革がいよいよ新しい段階に入った、そういうニュアンスとして私は受けとめたわけでございますが、その点も伺いたいと思います。  それから、もしそうであるならば、五十六年に臨調が発足した当時、そしてまた五十八年の三月に臨調の最終答申が出された当時と比べまして、私どもの住むこの日本の社会が社会経済的な面で基本的な基調の変化が起こっている、こういう御認識が背景にあってのことだというふうに理解せざるを得ないわけですけれども、この三、四年の間に基本的な社会経済の変化があったとすれば、それはどういうものとお考えかということの御意見を拝聴したいと思います。  それからそれに関連しまして、そういう社会変化があったとするならば当然新しい行政需要が出てきて、そういう新しい行政需要に対応するという姿勢をこの行政改革に求めておられるようなニュアンスに私は受け取りました。誤解があったら勘弁していただきたいのですが、その点についてまずお伺いしたいと思います。
  67. 千田恒

    ○千田公述人 ただいまお尋ねのありました行革審の報告書につきましての私の認識は御指摘のとおりであります。臨調行革というのは五十六年からスタートしたわけでありますけれども、何といいますか、もう一歩階段を上げて行政改革というものを考えてみる、そういう時期にそろそろ来ているのではないかというふうに私は認識をしております。  ただ問題なのは、行政の減量といいますか簡素化、合理化という問題、さまざまに臨調答申で指摘をしている問題点について、果たして本当によくやったというだけの行革の成果というものが上がりつつあるのかどうか、これはまだ多くの国民にとっても検証できない点であります。これはむしろ国会の皆様方のお仕事ではないのかというふうに私は思うわけです。国民の立場からすれば、国会の御論議を通じて、一体どの程度まで評価できるのか、それをきちんと検証していただきたいというのが私のお願いでございます。  それから、お尋ねの基調の変化があったかどうかという、これは端的に例え話、エピソードで申し上げますとわかりがよいのかなと思います。  実は私、第二臨調に参与として参加をいたしました。五十六年の春に参加をいたしたわけであります。私は第二特別部会に属しまして、その第二特別部会では当初国鉄の問題を取り上げました。国鉄の問題というのは、臨調発足当時から最大の問題だというふうに言われていたわけであります。我々新聞社の中の編集局で、臨調がスタートした段階でもうほとんどの人たちが、国鉄について臨調は答申を書けるものかという、そういう認識でありました。現実に臨調で国鉄分割民営化の答申が出たのはそれから一年半くらい後でございましょうか。新聞記者というのは非常に先走るところがございます。先走るという癖があるのに、臨調スタートのときに、国鉄について改革のメスはとても入れられまいという、これがいわば世間並みの常識であったと思います。で、わずか一年半後に再建改革案が出て、それは大多数の国民から御支持を得ていると思いますけれども、そういった意味での意識の大きな変化というものが現実に我々の社会で起きているのではないか、この点は私御指摘を申し上げたいと思います。  それから国鉄問題については、実は与党の自民党の議員の方々も皆さん大体反対論でございました。しかしがらっと変わりました。私の取材の体験からいってもそれは肌に感じてわかっております。こういう面での変化がございます。  それからもう一点は、これは第一次臨時行政調査会と第二次臨時行政調査会の答申を読み比べていただくとすぐお気づきになると思うのですけれども、非常に大きな違いがあります。情報という言葉が第一次臨調の最終報告ではありません。我々の社会で新しい問題が起きている、大きな変化が起きている。情報化社会という言葉で言われているわけですけれども、そういう変化に対応して行政機構、行政組織のあり方というのはどういうふうにあったらいいのかというのは、これは政策決定をどういうぐあいに進めるかということとも関連して、第二臨調の大きな関心事であったと思います。仮に三、四年の間で変化があったとすれば、そういった問題になろうかと思います。  それから、もう一つ残しましたが、(田中(秀)委員「新しい行政需要」と呼ぶ)それは、今申し上げております特に情報面といいますか、そういった面でどういう対応の仕方をするのかというのが、私は新しいニーズの最たるものであろうというふうに思うわけでございます。これは我々のライフスタイルにも関係をしていく問題であろうと思います。
  68. 田中秀征

    田中(秀)委員 それに関連いたしまして、私は、行政改革の中における公共事業費の取り扱いという問題でちょっと御意見をお伺いしたいのですけれども、その前に、私がふだん思っていることをちょっと簡単に述べてみたいと思うのです。  私は、行政改革という視点から国の歳出を見ると、大まかに言って二つに分けることができる。その一つは行政の内部に向けられた支出、これは人件費関係費あるいは行政事務費とか役所の内部で使うお金のことですけれども、それからもう一つは行政の外部に向けられた支出、これは政策費と言ってもよろしいかと思うのですが、納税者である国民に直接還元されていく、そういう支出でございます。そういうふうに分けるとすれば、行政の外部に向けられた支出は、もう一つ投資的支出と、消費と言ったらなんですが非投資的支出、この二つに分けることができると思います。そして、この投資的な支出と非投資的な支出とのバランスを時代の状況に応じてうまくかみ合わせてやっていくのが非常に立派な財政運営であるというふうにふだん思っているわけでございます。  投資的な支出というと、典型的なのが公共投資あるいはまた技術開発の関係費なんかもそうであろうかと思うのですが、こういう投資的な支出の必要性が今非常に高まっているというふうに私は認識しております。二十一世紀、高齢化社会、ただいま一〇%近い六十五歳以上の人がいるのですが、これが二〇%以上になるのが紀元二〇一三、四年というふうに聞いております。二十一世紀に入ればゼロ成長あるいはマイナス成長というふうにも言われているのですけれども、この十数年の間に貧弱な社会資本を整備するということは、これはこの時代に生きる我々の非常に大きな役割である、使命であるというふうに思っているのですが、そういう中で公共事業費も抑制されているということが非常に合点のいかないことなわけでございます。したがって、民活と相伴ってこの公共事業費を毎年数%伸ばしていくのが次の時代のために私どもの大きな役割を果たすことだと思うのですけれども、残念ながら今の状態はそうではございません。千田先生に、行政改革の中におきまして公共事業費の取り扱い方について、このままの姿勢でやっていってもいいものかどうか、御意見を伺いたいと思います。
  69. 千田恒

    ○千田公述人 御指摘のように、当然考え直す時期はあろうかと私は思います。ただ、これは御理解いただきたいのですけれども、第二臨調がスタートいたしまして「増税なき財政再建」ということを掲げたのは、現在の財政の構造から見てやはり緊急外科手術的な処方が必要である。そのためには糧道を断って、それで改革を求める、そういうやり方をとらない限り、既得権を主張する、これはもう社会一般そうでございますから、その中で改革というのはなかなか進まないであろうということで、いわば「増税なき財政再建」ということがてことして使われたわけでございます。全般的に抑制をされた。特に非常に財政の硬直化している中では、一体赤字公債の問題をどう解決するのかということが緊急課題としてあったわけですから、私はやむを得ないことであった。ただ、このままずっと続けていけばいいというものではないと私は思うわけですね。  行政改革の成果がどの程度に上がったのか、これは政策判断の問題になろうかと思うわけですけれども、ただ、今までの行政改革にまつわるといいますか、それに派生して起こる議論を見ておりますと、例えば国鉄の二次地方交通線の問題なんか見ておりますと、これは北海道に集中しております。北海道に集中しているわけですけれども、私、実際に北海道の方々の御意見も聞いてみますと、北海道という地域のブロックの特殊性、人口が都市部に七割方集中をしている、そういう特殊な地域です。大陸型と申しますか、アメリカ大陸型と申しますか、そういう地域での交通体系のあり方が一体どうなのか、そういう全体総合的な観点で見て、それでは将来描かれるビジョンといいますか、交通体系の中でこれから国鉄は一体どういう役割を果たしていくのか、どういうふうに変えていかなければならないのか、そういった面での議論が実は欠けていたのじゃないのか。これは私は、政府にもそういう意味での広い視点での議論が欠けているように思うわけです。公共事業と一口に言って抑えるか抑えないかという問題ではなかろう。将来の問題となると、交通の問題を取り上げればやはり新しい交通体系のあり方の中で位置づけていく。国鉄の問題もそうでございましょうし、道路の問題もそうでございましょう。そういう視点が必要ではないのだろうかというふうに私は考えております。
  70. 田中秀征

    田中(秀)委員 与えられた時間が過ぎましたので、これで終わりにさせていただきます。ありがとうございました。
  71. 天野光晴

    天野委員長 次に、大出俊君。
  72. 大出俊

    ○大出委員 前田哲男先生に承りたいと思います。大出俊でございますが、きょうはまた大変御苦労さまでございます。ありがとうございます。  今お話聞いておりまして、一%の問題でございますけれども、もう一つ観点がある気がするのであります。今のお話は私も全面的に同感でございまして、同じ認識を持っておりますが、実は私の長い友人でございます千田さんがさっき、防衛問題で余りおもしろい議論が少ないというお話がございました。私、国会に三十八年に出てまいりましたが、あれ以来十年ぐらいというものは大変長い防衛論争を続けた時代がございました。これは千田さんよく御存じなんですが、私は四時間近い議論を中曽根さんともやったことがございますし、今必要になって昔の議事録を見ますと、よくこんなに長い議論をしたものだと思うことがあるのであります。つまり一%、五十一年三木内閣、坂田防衛庁長官、久保卓也防衛局長の連係プレーでこしらえた時代、これは一つ日本の歴史をつくっているという気がするのであります。  それは何かといいますと、憲法九条の戦力不保持の原則がございますから、戦力とは一体何だ、戦力論争と言われるものが久しく続いた。私も時の法制局長官高辻さんなどとも長い戦力論争をいたしましたが、これは理由がありまして、人事院総裁を長くやりました佐藤達夫さんが法制局長官の時代に、戦力とは近代戦争遂行能力であると定義をいたしました。当時所要防衛力論争、つまり相手の戦力が高まればこっちも高くする、向こう岸が高くなればこっちも高くするという所要防衛力構想がございまして、これが日本の防衛の原則でございましたから、そうすると、近代戦争遂行の能力というのは一体限度はどこなんだ。今で言えば「防衛計画の大綱」を達成しても近代戦争遂行能力はないのか、そんなことはないじゃないかと、こうなるのですね。  そこで、戦力不保持の原則が片っ方にあるのだが、片っ方に自衛権というものが存在をする、ここに国会の政党間の大きな対立が出てきていたわけでありまして、そこで三次防、四次防——四次防は中曽根さんのときでありますが、こういう時代にこの計画を進めていったらどこに突き当たるのだ、戦力不保持の原則とどういうふうにこれはかみ合うのだ、こうなってまいりまして、自衛権の限界を示せ、こうなりまして、政府・与党の皆さんの方からメモ的なものでございますが、陸上十八万なんだ、海は二十五万トンなんだ、飛行機は二百四十機なんだというぐあいにメモを出してきた。これを私のところの国対委員長がもらってきたのですが、うちの中はとんでもないということになった。これを返した。このときに、何とかひとつ戦力論争というものと自衛権というものとの間に合意ができないか、ここに基盤的防衛力構想が出てまいりまして、平時なら全く未然防止から始まって、小規模紛争対処ということにして「防衛計画の大綱」をつくった。言うならば、これは国会の中の長い対立の暗黙のというか、ある程度かみ合った一つの合意なんですね。だからこの防衛計画大綱の中に期限がない。他の諸政策との均衡を維持しながらこの大綱を進めていくんだということになっているのですね。  さてとなると、一体枠はどこまでなんだということになりますから、GNP対比一%なんですよということを閣議で決めたという経過があるのですよ。この一%を突き抜くとなりますと、もとの戦力論争に戻らざるを得ぬのですね。まして、ここに大きな問題があるのですが、政党間の合意がある。この一%というふうに決めているために、ほとんどの日本の余力は経済活動に使われるのですから経済大国になったのでございまして、これは私ども社会党の大きな功績だと実は思っているのですけれどもね。  そこで、国会は今後もこれで進むはずなんだが、海の向こうの方で別なことが出てきたのですね。シーレーン防衛などを含む。これは八一年のハワイ会談、ハワイの安保事務レベル協議、これは六月十、十一、十二日でございますが、その前の五月八日の鈴木・レーガン会談、こうなっているわけですね。三月に伊東正義外務大臣が行って地ならしをしてきたわけであります。ここでワインバーガーさんの言うのは、アメリカ日本に求める防衛費の拡大というのはもはや日本国の憲法の枠の中に入らぬという言い方をいみじくもしていますが、そこに他動的に枠外し、ワインバーガーさんはアメリカ要求日本がやってくるなら憲法の枠に入らぬと言っているわけですから、そうなれば九条とぶつかるわけでありまして、ここに一%というのは守っていかなければならぬ、歴史的な政党間の合意を守っていかなければならぬ宿命的なものがある、こう私は考えているのですが、せっかく一%のお話がございましたから一言御所見を賜っておきたい、こう思うのであります。
  73. 前田哲男

    ○前田公述人 全くそのとおりであると思います。私より大出先生は内部でよく御存じのわけでありまして、当時、たしか昭和四十七年だったと思います。「平和時の防衛力の上限について」というのが出されまして、確かにあれが今日の基盤的防衛力構想、防衛計画大綱の一つのルーツといいますか根源になっている。そういう大きな緩やかな合意が国会の中に芽生えてという御指摘は正しいと思います。  もう一つ私考えますに、この基盤的防衛力構想、防衛計画大綱のユニークさ、我々が堅持していかなければならぬと思うのは、何よりもこれは制服ではなしに背広が書いた戦略論であるということ。近代日本の歴史の中で初めて軍人ではなしに背広を着たシビリアンが脅威の認定をなし、評価をなし、そこから軍備の水準を決めた、これは極めて画期的なことでありまして、我々の近代史というのは、戦前の帝国国防方針は四度にわたって改定されましたが、これは一度も内閣は関与することができなかった、その存在すら知らせられなかったという歴史を知るならば、このことの持っている意味というのはもっと大きく評価されねばならない。多分これが制服の方々に評判が悪いのはそういったこともあるのではないかと勘ぐるわけですが、やはり我々は、だれが脅威の認定をするのか、脅威の評価をするのはだれなのか、それはシビリアンであり、国会が決定するのであり、有権者がそれを判定するのだという近代国家の原則を堅持していく、そこに立つ以上この原則は守られなければならない、また、そういう新しい原則を切り開いたものとしてなお評価される必要があろうというふうに考えます。
  74. 大出俊

    ○大出委員 ありがとうございます。確かに今おっしゃったことは本当にもうこの国の近代の歴史以来の出来事でございましたから、全くそれも同感でございます。  せっかくのお時間でございますので、実は御専門の先生お書きの本、これを二冊私は読みまして、もう大分前に読んだのですが、これは近刊でございますが、お考えはよくわかっているつもりでございますけれども、そこでひとつ、この本に余り詳しくない日本における核の指令基地、WWMCCSですね、これにつきまして、この間岡田春夫先生の質問もございまして、大きく取り上げている新聞もございましたが、日本の国内に指令基地が最低五カ所ある、ひょっとするともう一カ所あるのではないかという気が私はしておりますけれども、この辺のことについて、WWMCCSの日本の国内におけるつまり核指令システム、その体系の中心たるべきもの——私は横浜でございますので、上瀬谷の通信基地もよく知っておりますし、お隣のキャンプ座間、横須賀、みんな私の選挙区のすぐ隣ですから。上瀬谷は私の選挙区でございます。東京のジャイアント・トーク、横田、嘉手納にもあるはずでありますが、そこらについてちょっと御所見を聞かせておいていただきたいと思うのです。
  75. 前田哲男

    ○前田公述人 改めてお話しするまでもないと思いますが、核というものに関しましては、その構成要件は核弾頭だけではなしに、核の運搬体及びそれを制御、指令、通信というふうに称されますが、シーキューブドあるいはシースリーと言われるコミュニケーションシステムがあるわけですね。弾頭、運搬手段、そして制御システム、この三つで核戦力あるいは核戦略というのは成り立っていると言うことができます。したがって、核弾頭があるかどうかということは核が持ち込まれたかどうかを決定する極めて大きな要因ではありますが、それだけで果たして非核三原則あるいは核と無縁であるかどうかを決めるということは、今日の核戦略の世界的展開及びその運用の実態から見て必ずしも適当ではない。先日の岡田春夫先生の質問が極めてユニークであったのは、そういった核戦略あるいは核戦力というものの実態の分析というのがともすればなおざりにされがちであった、そこをついたからであったのだろうと思います。  今日、特にアメリカはその核戦略を、前進展開という言葉がよく使用されますように、世界に展開することによってソ連を包囲するということで遂行しておりますので、アメリカの核戦力は世界に散らばっている。その散らばり方が、一九五〇年代は爆撃機に核弾頭を積んでソ連の周辺あるいは中国の周辺、ユーラシア大陸の基地からねらうという方式であったわけでありますが、それがだんだんそうでは安全が保ちがたくなってきて、今では潜水艦に搭載して世界の公海から、海洋からソ連をねらうという形になってきた。アメリカの場合、ソ連と比べて極めて不利なのは、世界に散らばった核戦力を意のごとく掌握するコミュニケーションシステムというのをソ連よりより重大なものとして建築せざるを得ない。しかも、空中ですといろいろなシステムの無線で結ぶことができるわけですが、水中、それも深海となりますと、無線システムあるいは通信システムというのは極めて膨大になってくる。しかし、アメリカの前進展開戦略の核戦略を遂行する以上それをやらねばならないというところに、アメリカの持っている核戦略の宿命があるわけでありまして、今日、アメリカの核の運搬体の一番大きな部分が潜水艦搭載核に移行し、その潜水艦搭載核のミサイルの射程がどんどん伸びました結果、一九六〇年代は北極海からしかソ連の主要部がねらえなかったのが、一九七〇年代になりますと、今度はインド洋北西部からソ連主要部がねらえるようになった。一九八〇年代になりますと、北西太平洋、我が国周辺からモスクワ、レニングラードが射程に入るということになりました結果、我が国周辺もアメリカの戦略核のネットワークの中に入ってこざるを得ないということになったわけであります。その意味で、我が国の持っている地理的なあるいは地政学的な、アメリカの考える地政学的な核戦略上の位置は極めて大きくなった。そして核というのは、弾頭、運搬体、制御手段、三つの要素から成りますから、その三つ意味で、日本列島及びそこに存在する在日米軍基地の持っている、あるいは果たし得る役割は急速に大きくなるようになった。これがここ数年の傾向であろうというふうに思います。  したがって我々は、非核三原則というのをこれまで、七〇年代までは核弾頭の持ち込みの有無という観点から律すればかなりよろしかったわけでありますが、一九八〇年代になりまして、そのようにアメリカの持っている核戦略の様相が変わってまいりますと、そうではない部分で、核の指令基地があるのかどうかというような観点からもやはり注目してまいらなければ、非核三原則を正しく運用していくということはできない情勢になってきた。その意味でお尋ねがあったのであろうというふうに思いますが、確かに、核弾頭の持ち込みという観点から見ますれば何の変哲もないような田舎の町が、核の指令基地、発射基地というフィルターで見てみますと、そこがなければアメリカの北西太平洋における核戦略が完全に穴があいてしまうという重要な意味を持つ、そういう箇所が日本列島の中に何カ所かできてきました。  例えば、愛知県の刈谷市にあります依佐美という場所であります。ほとんどの人が聞いたことのない場所でありますが、ここがなくなりますと、アメリカの北西太平洋における潜水艦はまさに神経中枢を失ったと同じような影響を受ける。すなわち、この愛知県刈谷市の依佐美通信基地にあります大アンテナ群が、ここから潜水艦、それも水面下十五メートルから三十メートルのところに潜没した潜水艦に核の発射指令を含む情報を送ることができる、送る場所として運用されているからであります。それから、よく引用されます横田基地、それに嘉手納基地というのは、グアムを基点としますB52戦略爆撃機、これは四メガトンというアメリカが持っております一番大きな威力の核爆弾を積んでパトロールしておるのですが、これが空中の任意の一点に行ってそこから引き返すかどうかを決定するときに、この横田のジァイアント・トークというシステムが関与してくる。という意味で発射指令基地の機能を持っている横田及び嘉手納であるわけです。  こう見てまいりますと、アメリカの持っております戦略核戦力は、B52、潜水艦発射ミサイル、それとアメリカ国内にあるICBM、大陸間弾道弾から成っておりまして、これを我々は核の三本柱と称しておるのでありますが、この核の三本柱のうち二本までが日本列島を足場として立脚しておる。したがって、依佐美の方々あるいは嘉手納、横田の人たちにとって、そこに核弾頭があるかどうかというのは問題ではない。もし核戦争あるいは核戦争寸前になりますれば、アメリカの想定敵国は間違いなくそこを核の発射指令基地と認め、それにふさわしい行動をとってくるであろうことは容易に想像できるわけでありまして、やはりそういう観点からも非核三原則あるいは核の持ち込みというものは検討されねばならないのではないか。そのほかにも三沢でありますとか座間でありますとか、そういう我々が通常核との関連なしに考えております、しかし、有事には核の発射指令基地となる場所が幾つもあるということは、極めてゆゆしい事態であるというふうに考えます。
  76. 大出俊

    ○大出委員 ありがとうございました。  この依佐美の基地は、私行ってみましたけれども、かつて真珠湾攻撃のときの帝国海軍の潜水艦隊基地でございます。例の「ニイタカヤマノボレ」という指令はここから出されたわけです。その後、自衛隊と同居する時期が少しあり、今米軍がやっているわけでございます。ですから、確かに申し上げれば切りがなく日本国内にいろいろな諸問題がございまして、また先生のお知恵を拝借したい時期も出てくるだろうと思うのでありますが、ありがとうございました。  もう一つ、時間が余りございませんが承っておきたいのは、シーレーンという言葉でございまして、国防用語辞典等を引用されてお書きになっておられますけれども、私はアメリカ議会の議事録なんか見ますと、この今のシーレーン構想というのはトマホーク問題と切り離せませんで、百五十六隻ばかりの船に積むわけですけれども、大論争がアメリカ海軍の中にもあるのです。つまり、海軍の戦略体系を全部変えてしまうことになるからなんですね。敵艦見ゆとの情報に接しなんというのじゃなくて、これからの米海軍というのは、オハイオ級の古い戦艦を含めまして、簡単に言えばトマホークというのは無人飛行機ですから、そういう意味で大陸に近づいて相手を攻撃するという任務になってしまう。そうすると、これはどこかが守らなければいかぬですね。そうすると、日本の海上自衛隊にその役割を割り振るのは当然なことでございまして、つまり、海のオイルロードを守るとかなんとかではなくて、あるいはまた単なる兵たん線の防衛ではなくて、もっと大きく言えば、このシーレーンというものはアメリカの核艦船を守るという、そういう任務に変わってきたという気がするのです。その例は英国を見ればわかるので、スエズ以東みんな引き揚げましたが、簡単に言えば、英国艦隊というのは今大西洋艦隊ですね。何をやっているのだというと、英国はアメリカの核艦船を守る大西洋艦隊にしたということなんです。そういう認識を私は持つのです。つまり、このシーレーン問題を突き詰めていくとそこにぶつかっていくのじゃないか。  あわせて、三海峡封鎖がございますね。宗谷海峡というところを封鎖するとすると、これは小川和久さんの「原潜回廊」じゃありませんけれども、一つ間違うと最後には核魚雷をソビエトは使うかもしらぬ。核魚雷を使われたら、これは一発で消し飛んでしまう。稚内の先の宗谷岬からサハリンの一番手前の西能登呂岬まで二十二海里しかない、しかも六十メーター前後の浅い海峡でございますから、潜水艦ではなかなか機雷敷設は困難である。水上艦艇といったって向こう側はソビエトの基地である。そういうことになるとこれは大変なことになるのですけれども、シーレーン防衛の一つの要点がそこにあると思うので、あわせてその辺をどういうふうにお考えか、少しお聞かせをいただきたいのです。
  77. 前田哲男

    ○前田公述人 シーレーン防衛という言葉は、私は日米間における最大の非関税障壁ではないかというふうに思っております。アメリカが言っている意味を我々が極めて正確に受けとめ得ない、あるいは受けとめるように政府が努力していないという意味であるわけですが、非常にギャップがあり過ぎます。おっしゃるとおりだと思います。  イギリスの例、あるいはイギリスに代表されるNATOの諸国が一九六〇年代どのような形でアメリカの大西洋戦略の中で地域海軍、局地艦隊として再編成されていったかを見ますれば、今日、一九八〇年代、アメリカが北西太平洋で何をしようとしているのか、リムパック演習というのがどこへ向こうとしているのかというのはかなり的確に推測することができる。一九六七年にNATOは柔軟反応戦略というのを決定いたしました。これは、起こり得るあらゆるレベルの脅威にそのレベルで報復していこうという戦略であるわけです。これによってNATOの多国籍艦隊という構想が動き始めるわけですが、これと連動してイギリスのスエズ以東からの撤退というのが一九六八年に公表され、一九七一年に完了するという中で、ユニオンジャックが世界の海軍である旗をおろし、大西洋の局地海軍となるわけですが、これはとりもなおさず、アメリカの大西洋戦略の中で、アメリカ大陸とヨーロッパ大陸のシーレーン防衛という大義名分の中に自己の存在を位置づける決定だったわけです。  NATOのシーレーン防衛というのは極めて即物的でありまして、といいますのは、そこには余り建前と本音の区別がないのであけすけに論じることができるわけですが、まさに対ソ核戦略の発動としての側面をはっきり示しております。NATOのシーレーン防衛というのは三段階から成っておりますが、第一段階がアメリカ第六艦隊によってなされる、ムルマンスクというソ連のちょうど太平洋で言いますとウラジオに相当する軍港でありますが、ここへの先制攻撃あるいは報復第一攻撃です。これはシーレーン防衛という大きな枠の中で位置づけられておりますが、アメリカ機動艦隊による攻撃作戦、攻勢作戦として位置づけられております。これはアメリカによって主としてなされます。  第二段階が狭水道の閉塞作戦であります。これはアメリカであるより主として同盟国の責任、分担ということになっております。NATO、大西洋の場合GIUKギャップというふうに通称されておりますが、グリーンランド、アイスランド、ユナイテッドキングダム、イギリスとの間の比較的すぼまった水道を閉塞してソ連の潜水艦隊群が開かれた大西洋に出ることを阻止する、そういう戦略であるわけです。これを世界から引き揚げたイギリスあるいは西ドイツ、オランダ、デンマークといった諸国の海軍が共同して行う。そしてソ連の海軍、とりわけ潜水艦隊群を開かれた海に出さないようにする。  第三段階が、我々がよく知っておるような船団護衛を含むシーレーン防衛であるわけですが、この護衛される船団も、防衛白書でありますとか防衛庁の方々がお答えになるようなタンカーであるとか小麦粉を積んだ船であるとか民間の商船を守るというのではなしに、ミサイルの弾頭をアメリカ大陸からヨーロッパの戦線に運ぶ、航空機のジェット燃料を運ぶ、そういう高速タンカーを護衛する、そういった船団護衛のシーレーンでありまして、まさにミリタリーシーレーンという色彩が極めて濃厚である。恐らくアメリカが考え、かつ日本の現場の方々もそう受けとめているに違いないシーレーン防衛というのは、そういった形で動いているし、また動いていかざるを得ない。我々が誤って思い込んでいるような、ペルシャ湾からのタンカーに海上自衛隊の護衛艦がついて船団護衛として運営されるようなシーレーン防衛というのはあり得ないであろうと思います。それをするにはGNPの二%、三%ではないもっと莫大な資源が必要でありましょうし、第一、今日の潜水艦、魚雷の発達と水上を航行する船の基本的には百年前と変わっていない状況を考えますと、技術的にも船団護衛方式が成り立つという保証は全くない。ますますなくなりつつある。  ですから、シーレーン防衛というのは、先生おっしゃったように、アメリカの艦隊がソ連の対地攻撃、対地核攻撃を主任務とすうようになった結果、海戦兵器であるよりは陸戦兵器、対陸兵器としての性格をますます濃くしていくようにならざるを得ない。核戦略上そうならざるを得ない。海軍兵器であるより対陸軍兵器、対陸地兵器にならざるを得ない。一方でそういう宿命を持っておる。したがって、アメリカのプロの海軍の軍人の中でも深刻な論争があるというのはおっしゃるとおりなんです。  しかしそうなってきますと、対陸地兵器を守る海戦兵器が必要になってくる。アメリカはもはやそれを生み出す余力がない。したがって同盟国に依存する。そういう関連の中での日本の海上自衛隊の位置づけがアメリカ海軍の首脳の念頭に浮かんだとしても何の不思議もないと思います。そのとおりであると思います。その中で三海峡封鎖、シーレーン防衛を拡大した形で、NATOにおけるGIUKギャップを太平洋に持ってきた形での三海峡封鎖というのが今日提起されているのだと思います。NATOのGIUKギャップというのは一つの幅が二百キロ、三百キロあるのに対しまして、我が国の三海峡はせいぜい三十キロ、五十キロ台でありますから、軍事効率としては、GIUKギャップを軍事力で守るより三海峡を軍事力で守る方が極めて確実な保証が得られる、これは軍事的合理性に立つ限り三海峡封鎖が達成可能な戦術として提起されるのは間違いない。恐らくそういうところから提起されているのだと思います。  ただ、旧日本海軍も三海峡を封鎖して、日本海を天皇の浴槽とアメリカ海軍をして言わしめるほど絶対の聖域にした時期がありますが、それがどのようになったか。昭和十九年から二十年にかけて関門海峡すら通れなくなった。北海道石炭を本州に送ることすらおぼつかなくなったということがありますので、海峡封鎖をやってみる価値があるかどうかというのは、我々は半世紀前の経験に徴してもっと真剣に考える必要があろうかと考えます。
  78. 大出俊

    ○大出委員 一番大きな問題は、海峡封鎖では宗谷海峡なんですね。ソビエツカヤガワニあたりから七千トン級のフェリーでカムチャツカ半島周辺に行っているわけですね。あれが封鎖されればペトロパブロフスクなど陸の孤島になりますからね。そうすると、小川さんの言う核魚雷なんかの話が出かかっているわけでありますけれども、国後、択捉には天寧、東沸の基地があり、サハリンにはコルサコフからユジノサハリンスクの南、北がありまして、ノボアレクサンドロフスクもある。ドリンスクソコルもあるわけですから、さすがに、防衛庁のかつての首脳の方々が、制服の方が最近誌上で討論をしていますけれども、宗谷海峡はどうも日本の今の自衛隊の戦力でとてもじゃないが守れぬ、そのとおりなんですね。そうすると、これをやろうというならまさに日本アメリカは運命共同体になってしまう。これはそういう意味で非常に危険な発想であるという気がするのです。  もう一言、時間がありませんからそれとあわせて、だからどうすればいいかという問題が残るのですけれども、先生の憲法前文、九条を含めての、憲法を守るんじゃない、つまり、この憲法をもっと先の方に展開をして、新しい平和体制をつくっていくんだという御意見もございますけれども、一言そこらについてお触れいただいて、時間の関係で終わりにしたいと思うのであります。
  79. 前田哲男

    ○前田公述人 一言で申し上げるには余りにも大きなテーマをいただきまして、満足いただける自信が全くありませんが、おっしゃるとおり宗谷海峡を封鎖するという考えほど危険なものはないと思います。宗谷海峡を封鎖されることに対するソ連の反応というのは、日ソ間の問題ではなしに米ソ間の戦略レベルの挑発として受けとめられ、そこのレベルで考量され、評価され、決定され、日本に降りかかってくる。宗谷海峡封鎖というのは日ソ問題ではなくて米ソ問題であるという観点で我々は考えなければならない。これは大韓航空機撃墜事故の後のソ連政府声明がよくあらわしているように、我が国戦略基地が所在するカムチャツカ半島に直進しという表現で述べておりますが、まさに戦略核基地であるわけなんですね。しかし、そのペトロパブロフスクが所在するカムチャツカ半島とソ連太平洋艦隊の策源地でありますウラジオストクを結ぶシーレーンが宗谷海峡を横切っているという冷厳な事実があるわけで、そして北西太平洋が米ソ間の戦略的なせめぎ合いの場になったという大きな背景が存在しております限り、ソ連は何としてもここをこじあける、こじあける手段に関してはそれほど柔軟な考えはとらないだろう。対日関係ではなく対米関係のレベルで考えてその手段も決定するであろう、当然であります。ですから、この宗谷海峡を維持するために陸軍が上陸してきて北海道を制圧するというような悠長なことは恐らくないだろうと思います。いきなりSS20とか核魚雷が飛んでくるようなこじあけ方をしても不思議がないような決定を下すであろうと思います。  ですから、北海道の平和あるいは北海道を含む日本列島における平和を考える場合、ソ連の脅威を北海道に四個師団上陸する能力がある、可能性があるというようなレベルで考えるのではなしに、今我が国の周辺で起こっている脅威、ソ連の軍事力の増強というのは確かに客観的に観察できる事実でありまして、それは平和の条件とは違うことであることは間違いないのですが、しかしこれは、日本に対する具体的な差し迫った脅威であるよりは、米ソの地球レベルの核戦略、核のせめぎ合い、核の対峙が我が国にいや応なしにもたらした余波にほかならない。したがって、日ソ間の問題としてこれを処理し対応しようとすれば、理論的には我が国もアメリカと同じような、ソ連のモスクワを射程に入れた核の三本柱を持たなければ平和は達成できないということになってしまう。それはできないことでありますし、そうではない、均衡と抑止という立場で事をエスカレートさせていくのではない、それの逆の平和への接近というのを考える必要があるのではないか。北海道をますます北の要塞にし、重武装化し、兵を鉄で包む戦備を進めることによってソ連をいら立たせるより、ソ連をしてアメリカの走狗としての日本というような不必要な要らざる認識を持たせしめるより、むしろそうではない、米ソの核の果たし合いに関しては日本は局外中立である、日本列島を日本が守るということに関しては我々は権利を保留するにしても、日本周辺で米ソが北西太平洋を核の場として争うせめぎ合いに関しては、日本は局外中立であるという、これは何としても維持していただきたい。非核三原則というのはまさにそのことを国民の悲願として、熱意として結実されたものであるというふうに考えるわけです。したがって、北海道における今日進められているような兵を鉄で包む戦備は恐らく平和とは全く逆のものであろう、そうではないところで我々の平和の可能性を追求しなければならないというふうに考えます。
  80. 大出俊

    ○大出委員 どうも大変ありがとうございました。時間でございますので……。
  81. 天野光晴

    天野委員長 次に、神崎武法君。
  82. 神崎武法

    ○神崎委員 公述人の先生方におかれましては、御多忙中のところ御出席をいただきまして貴重な御意見を御開陳いただきましたこと、本当にありがとうございました。  私は、千田先生に行政改革の問題を中心にお尋ねをいたしたいと思います。  先ほど先生は、行革審の意見書で言うところのほぼ五合目に達しているという意見につきまして、批判的な御意見をお述べになられました。私自身も、この行革審の政府の取り組みに対する意見というものは少々甘過ぎるというふうに認識をいたしております。私どもの実感といたしましては、昨年十月二十七日サンケイ新聞にサラリーマンの「行革の成績表」というものが出されておりますけれども、それによりますと、総合評価は百点満点中の十九点にすぎない、こういう数字が出ております。この方が私どもの実感に近いのじゃないか、このように思っておるわけでございます。その「行革の成績表」、これは一部の方の御意見であろうかと思いますけれども、その中では、答申の評価につきまして、開かれた行政、地方自治の強化、補助金削減、許認可の整理、機構・定員の簡素化等につきまして低い評価がされております。また、答申の実施状況につきましても、開かれた行政、地方自治の強化、機構・定員の簡素化、官業の見直し、特に郵貯の見直しにつきまして低い評価がなされておりますし、総合的にも開かれた行政、地方自治の強化、機構・定員の簡素化等につきまして低い評価がなされているわけでございます。  こういったアンケートの結果も踏まえまして、先生としては、どういう点でこの行革審の評価に対して厳しい評価をお持ちになっていらっしゃるのか、その点についてお伺いいたします。
  83. 千田恒

    ○千田公述人 これは臨調の最終答申が出たときにお読みになってお気づきと思いますけれども、臨調の改革案について臨調自身が切り込み不足であったことを認めております。これは最低限のものである、速やかに完全にやっていただきたいということを申しているほどです。これは臨調の内部での答申をまとめた段階での感想といいますか、率直な感想というのは、最初は外科手術を施すつもりで取り組んだけれども、結果から見ると、せいぜい麻酔をした程度かなということです。これはいわば実際に作業に携わったメンバーの率直な感想です。だけど、これはやむを得ないことであります。現実に国と地方と合わせますと五百三十万人くらいになりましょうか、職員、政府関係機関も含めますと。これは家族も含めますと膨大な数になります。ですから行政改革というのは、ある意味では私は生体解剖に近いかもしれないと思います。どこかにメスを入れれば、ショック反応が起こるのは当然でございます。ですから、なかなか言われているほど格好いい改革案が出るのを求める方が無理なのかもしれません。  しかし、現在の我が国の経済社会の情勢あるいは財政状況というのはやはり改革を求めている。ですから、そこに政治の苦しみがあるのだろうと私は存じますけれども、そういう意味で言ってこの前の行革審の昨年の評価、臨調答申を評価をしたのが、大体五割から六割程度かなということで五合目という評価をしたわけですね。ですから私は御批判を申し上げたわけですが、今御指摘のように、国民の側から見れば臨調答申というのはやはり切り込み不足がありますよ。それで、行革が五合目と受け取れるようなそういう自己評価、自己採点はいかがなものかというのは、これは常識的にだれでも考えることだろうというふうに私は思うわけです。そういう意味で批判的な意見を持っているわけであります。
  84. 神崎武法

    ○神崎委員 先生御指摘のように、確かに現在本格的な行革の段階に入ってきているというふうに認識をしておるわけでありますけれども、いろいろな点を総合して考えますと、どうも最近政府の行革推進に対する姿勢が弱くなってきたんじゃないか、そういう懸念を感ずるわけでございますけれども、先生はどのようにお感じになっていらっしゃるでしょうか。
  85. 千田恒

    ○千田公述人 これは印象批評を申し上げるのもいかがかと思いますので、こういう経験がございます。行革というのは本来、国会の皆様方がイニシアチブをとっておやりになるべきことである。それを法律を立法化されまして臨調を設けられた。そういう点で私は国会に対しては非常に厳しい目で御注文申し上げざるを得ないわけですね。国権の最高機関である皆様方がまず行政というものを洗い直して、ここをこういうふうに直そうではないかと言うのが私は当然だろうと思うわけですね。それで、現実に臨調で部会のディスカッションをやっておりまして、参考人として学識経験者に御出席いただいて御意見を聞いたことがある。その出席をしているスタッフの中からこういう声が出ました。行革について政府は、本来これは政治がやるべきものなのだけれども、国会で法律をお決めになって、臨調を設けられて我々に任せられた。それで、その任せられた我々が今度は学識経験者の皆様をお呼びして、どういう知恵があるかということをお尋ねしているので、大変恐縮である、大変申しわけない、現実にそういう発言が臨調の場で出たことがあります。これは私は、本来政治が責任を持って取り組むべき問題であろうと思うわけですね。ですから、政府の行革に対する姿勢が近ごろという御発言、御趣旨でございました。だけど、本当にそうでしょうかと、それはむしろ国会にお返ししなければならない、皆様方が政府を鞭撻されるお立場ではないでしょうかというふうに申し上げなければならないように私は思うわけです、大変失礼な言い方なんですけれども。お答えになったかどうか。
  86. 神崎武法

    ○神崎委員 昨年七月二十五日の行革審の「当面の行政改革推進方策に関する意見」では、昭和六十年度予算におきます行財政改革の推進方策といたしまして「聖域なく」という点を特に挙げているわけでございます。「聖域なく、制度・施策の根本に遡った見直しを行いこという点が挙げられているわけでありますけれども、六十年度予算案のうち防衛費の問題があるわけでございますが、六・九%増という聖域が設けられているように思うわけでございますが、行革審のこの意見書との関係、特に行革と防衛費のあり方という点について先生の御所見をお伺いいたしたい。
  87. 千田恒

    ○千田公述人 防衛の問題も、やはり行革の視点からメスを入れなければならない問題点が随分あろうかと思います。私、今度の国会で、予算委員会でここまでの議論を今まで見てまして、税制の問題についての論議は評価申し上げるけれども、一%枠の問題についてはちょっと何といいますかという感じを申し上げたわけですけれども、それは専ら私、行革という点での関心で申し上げたわけです。  これはもうお読みになったかと思うのですけれども、中央公論の三月号に、前国防会議事務局長の伊藤圭一さんがお書きになっています「前国防会議事務局長として防衛費一%枠を論ず」というのがございます。この中で、私読みまして、注目をしている節がございます。それは、「防衛費がGNPの一%を超えるのは目前に迫っている。政府は国民の理解を求めるために最小限二つの問題を明かにする必要がある。」として、二点を指摘されております。「防衛費の増加が巷間伝えられているように直ちに防衛力の増強につながるものでない実態を具体的に説明しなければならない。」これは政府の立場でございましょう。それからもう一点、「次いで自衛隊内部の行政改革を徹底的に行なって防衛費の効率的使用の実を挙げることである。発足以来、自衛隊は漸増の経過をたどって現在にいたっている。贅肉を落す努力が充分だったとはいえない。自衛隊の組織、編制、装備、運用についてきめ細かい行革を断行するのは当然の責務であろう。」こういうふうにお書きになっています。  伊藤さんは私よく存じ上げておりまして、まじめな方でいらっしゃいます。その方がここで、特に防衛予算といいますか、それの効率的な使用という、実施段階では本当にそうなのか、一%枠の問題で御論議をなさるのであれば、私はこういった議論が前提になければならないと思います。私なんかの感じで申し上げますと、どうも人員構成の面から見てもトップヘビーではないのかなという感じを持っております。それから、調達の執行についてもやはり問題があるように思います。  そういった面は、これはすべて我々の問題ではない、新聞社の問題ではございませんで、実は皆様方が予算論議をなさる場で掘り下げた議論をおやりいただいて、その上でこの枠の問題というのが議論として乗っかってきて、初めて国民はよくわかるのではないのか。賛成するにしても反対するにしても、そういう論議が前提として必要じゃないのかというふうに考えております。  ですから、防衛費の問題も、実は行革の視点からとらえてみれば相当問題があるだろうというふうに思うわけです。どうかそういった面での議論を、今後は私は国会に期待をいたしたいと思います。
  88. 神崎武法

    ○神崎委員 土光さんが行革を請け負ったときに、増税をしないという条件をつけたわけでございます。増税をしないということを一つのてこにしてむだを省いていこう、これが行革の出発点だったと思うわけでございますけれども、先生も、「増税なき財政再建」を堅持すべきだということを先ほど申されました。  これまで政府は、税率アップあるいは課税品目のアップという形で実質の増税をしてきたわけでございます。行革審の方では、こういうものについては新税の創設でないから臨調答申には違反しないんだ、そういうお考え方もあるようでございますけれども、国民の目から見ますとこれは増税に変わりないわけでございます。このような増収というのは、私は行革のてこにはならないと思うわけでございますが、その点について。  それからもう一点、今問題になっております大型間接税の導入の問題、この点と行革との関係ですね。これらが行革の基本に反し、「増税なき財政再建」の公約に違反するのではないか、そういう観点からお尋ねをいたします。
  89. 千田恒

    ○千田公述人 増税と言うべきなのか増収と言うべきなのか、これは臨調に参加して作業をしたメンバーは、非常に複雑な気持ちで聞いております。これは事実でございます。小さいけれどもずるずる崩れているのではないか、そういう懸念を持ってみんなが見ているのは事実でございます。だけれども、世の中のことですから、ようかんを切ったみたいにいかない場合もあるのかなというふうに思うわけですけれども。  ただ、一点申し上げておきたいのですが、これはもう中長期税制の問題との関連もございます。やはり、せめて九合目くらいまで臨調答申を実行なさって、そこで中長期税制の議論をなされてはいかがかというふうに私は思うわけです。臨調答申でも、税制あり方については見直さなきゃならぬということも指摘をしております。これは、理屈の上からいっても私はそうだと思います。しかし、これは政治家の判断として、現在の段階で問題提起をしてしかるべき問題とそうでない問題、TPOの問題があろうかと思うわけですね。私は、もう少し御努力をなさってから御議論をなさるべきことではないのか、政府が現状を、もうとことんおやりになってどうにもならないということであれば、納税者の側としてはそれは考えようもありますと、そういうふうに申し上げたいわけですね。  だから、例えば自治体のケースにしても、私は不満は高まっていると思います。例えば三年ごとの固定資産税の評価がえの問題ですね。これはやはり資産を持っている人、年金生活に入っている人たちには非常に、いろいろな意味影響があると思うのですけれども、そういった面に存外、政党、政治家の方は鈍感、そういう言い方は大変失礼なんですけれども、私はそういう感じを持って見ております。
  90. 神崎武法

    ○神崎委員 どうもありがとうございました。以上で終わります。
  91. 天野光晴

    天野委員長 次に、岡田正勝君。
  92. 岡田正勝

    岡田(正)委員 民社党の岡田でございます。本日はお忙しいところ、ありがとうございました。  最初に千田先生にちょっとお尋ねをいたしますが、ある程度重複するようなところがあるかと思いますが、あえてお尋ねをさしていただきます。  先ほど来から話しになった中で、ちょっと時間の関係で中途切れになったような形になっておるものですからつないでお尋ねをしたいのでありますが、先生がおっしゃっている「増税なき財政再建」は貫かなければいかぬ、それから五合目まで行革は来たという変な評価をしているが、五合目ならバスでも上がる、そんなものは九合目に上がってから業半ばに至れりと言うべきであると、非常にはっきりした御意見で、私も同感であります。  そこで、こういうときに、何かしらどうも政府部内におきましても「増税なき」という旗印が外れそうな感じがするのです。その感じが早くも六十年度の予算に出てきている。先ほどは大型間接税がちらほらとというお話がありましたのでこれは省きますけれども、六十年度の予算を見ましても、もう早くも、これは地方関係でありますが、市町村民税あるいは県民税のいわゆる均等割がそれぞれ五百円と二百円、合わせて七百円上がっていく。さらに、いま一つ非常に気になりますのは、先ほど先生がちょっとお答えをしかけましたが、固定資産の評価がえてあります。これが三年間にわたって二〇%アップするという問題があります。これが案外軽く見られておるような気がいたしまして、もしこの固定資産の評価がえが行われますと、その及ぶところの影響というものは実に大きなものでありまして、固定資産税が直接今度はかかってきます。それから地代が上がっていく、あるいは家賃が上がっていく、あるいはビルの部屋代が上がっていく、あるいは駐車料金が上がっていく、その及ぶところ大変なものだと思うのですね。またそれ以外に、あるいは飲食店にいたしましても、小売店等にいたしましても、やはり土地が上がっていけば何かに転嫁しなきゃなりません。そういうものがやはりいろいろな品物の値段にかぶせられてくるという、これは大変なことをやり出したなといって私は非常に心配をしておるのでありますが、大型間接税のことも含めまして、どうやら増税の足取りがどこやらか聞こえてくるような感じがする。これに対しては、やはり我々は毅然としてこれを阻止する。いわゆる「増税なき」という増税を外したら、もう財政再建なんてあり得ない、こんなもの後ずさりするだけだということを、行政改革推進の立場に立っておる民社党でありますが、非常に心配をしておるのであります。千田先生は幸いにしてマスコミの立場に立っていらっしゃるわけでございますので、はっきりした御意思をお聞かせいただけると大変ありがたいと思います。
  93. 千田恒

    ○千田公述人 今御指摘の中で固定資産税の問題ですね、私は非常に大きな影響を及ぼすであろうと思います。これは先生御指摘のとおりでございまして、現実にそういう議論を今生み出しております。政治学で言う、影響を受けるのは旧中間層の方ですね。商店主とか、いわゆる旧中間層の方々が最も影響を受けるのでしょう。それからリタイヤされた方ですわ、年金生活に入っていらっしゃる方々。実は私、いつ選挙があるかわかりませんけれども、政党関係皆様方がそういうところをきちんとごらんになっているのかどうかなということを最近不思議に思っておりまして、特に固定資産税については、あと何回かすれば倍ぐらいになると思います。ですから、固定資産税の課税の仕方そのものに問題がないのかどうかですね。私は、これは国会の問題であろうと思うわけですね。行政府の問題というよりは、むしろ国会の問題ではないのかなと思っているわけです。  ですから、行政改革について私は国会の責任が重いと申し上げているのは、端的に言えば、そういったこと一つについてもやはり皆様方、国民の方に顔をお向けになって実情をごらんになって、それで政策論議の中にくみ上げていただきたい、そういう意味で申し上げたのですが、大型間接税の問題についても、これは中曽根総理が施政方針演説の中で非常にあいまいな形で触れております。これは、私は総理大臣が施政方針演説の中で現在今言うべき問題なのかどうかということを、私は非常に疑問に思っております。ですから、もう少し慎重に考えていただきたい。  仮に戦後政治の総決算の一環としてお考えになっているのであれば、私は反対でございまして、そういうことではなくて、都合が悪くなれば変えればいいじゃないかというのが我々の立場です。若い世代、私はもうそんなに若くないわけですけれども、若い世代の御意見をお聞きになっていただきたいと思います。憲法問題にしても、都合が悪ければ変えればいいじゃないか、戦前と戦後、戦後政治といった、そういう何といいますか、太刀を振り上げたような立場で物事を決して考えていないということを、念のために申し上げておきたいと思います。
  94. 岡田正勝

    岡田(正)委員 大変ありがとうございました。明確なお答えでございまして、大変教えられました。  次に、前田先生にちょっとお尋ねをさせていただきますが、冒頭にちょっと申し上げておきますが、これからの質問は、私は防衛費のGNP一%枠を取っ払えとか、あるいは突破してもいいんだとかいうような立場に立ってお尋ねをするのではありませんので、先ほど来先生がいろいろとお述べになりました、こういうところにもメスを入れるべきである、あるいは耐用年数等、具体的な数字をお挙げになりまして、自衛隊の中そのものにも行革のメスを入れるべきじゃないかというような意味のお話、効率的に予算が使われておるのかどうかという疑いがある、非常に厳しい内容でありますが、私も非常に同感であります。  そういう立場に立ってお伺いをするのでありますが、先生の信条といたしましては、日本の防衛というのは日本だけの力で守り切れるものである、こうお考えになっていらっしゃいますか。
  95. 前田哲男

    ○前田公述人 大変難しいというより、一種の何か禅問答めいたようなお答えになりますが、どういう形の脅威が想定されるのかによって日本の防衛のあり方というのは幾重にも描けますので、なかなかお答えしがたいわけですが、基本的にやはり日本の防衛は日本人の努力によってなすというのが原則であろうと思います。ただ、これはもう御承知のように核兵器が出現し、その核兵器の運搬手段が地球兵器、地球規模の射程距離を有するようになって以後、つまりこの四十年ということでありますが、国防、安全保障、地域安全保障という概念が、恐らく第二次世界大戦前とがらっと変わってしまったというふうに思います。一国の防衛を一国が、少なくとも核戦略との関連において考える場合、一国のみでなすというようなことはできなくなった、あるいは一国の水際を守っていれば安全であると言うこともできなくなった。一国の国民の財産と生命を守るために、アメリカは今や宇宙にまで兵器を持ち上げ、世界の深海に潜水艦を配備しないと安心できない。それで安心できるかというと、ますます安心できなくなっている。ソ連に関しても同様であるという、国防におけるパラドックスといいますか、逆説的な現象が世界的に進行している。これはやはり核兵器とその運搬手段の長大化がもたらした逆説的な現象でありまして、核の論理に立つ限り、一国の防衛を一国でなすということは全くナンセンスである。アメリカのような、あるいはソ連のような大国にしても、集団安全保障という枠の中でしか一国の安全を考えられない。しかも宇宙という真空と無重力の領する地帯、深海という暗黒と高水圧の場にまで、つまり人間が生存することができない場にまで兵器体系を展開しなくてはその国の住民の命と安全が守れない、そういうことになったわけですから、その核の論理を認めるかどうかにこの防衛の問題というのはかかっているというふうにお答えすべきだと思います。
  96. 岡田正勝

    岡田(正)委員 先生、重ねてで恐縮でありますが、というふうに述べてまいりますと、日本という国は日本人の力で守るべきである、しかしながら核という問題を考えた場合には、集団安全保障ということをも無視はできないというお立場をお述べになったのでありますが、日本は今、日米安保条約を結んでおりますね。この日米安保条約の存在について、どのような評価を先生はなさっておる立場なんですか。
  97. 前田哲男

    ○前田公述人 基本的に、私は日米安保条約には反対いたします。行く行くは解消すべきであるというふうに考えます。ただし、それを直ちに全面的になすという立場には立ちません。やはり日本アメリカが太平洋の両側に存在する国として、友好を保つというのは極めて重要であろうと思います。したがって、日本アメリカの間に友好的な関係が保たれることは、日本にとってのみならず太平洋沿岸諸国及び世界にとっても極めて重要な命題であろうと思います。そういう意味で、日米基軸、日米友好というのは、私にとっても極めて大事なものであると思います。しかし、安保条約の持っている軍事的な側面というのは、もっと変わっていかざるを得ないように持っていくべきだと考えます。  安保条約をよく読みますと、前文には、これはアメリカが外国と結んだ条約すべてでありますが、国連協力という大原則が打ち出されております。第二条、これは非常にユニークなんですが経済協力、これはアメリカが外国と結んだ軍事条約の中に決して入ったことがない、日本との日米安保だけに存在する条項として経済協力条項というのがあるわけですね。これはほとんど顧みられませんが、アメリカがときどき日本に関税障壁やなんかの圧力をかけるときに持ち出しますが、むしろこういう経済協力条項というものを我々は日米協力の一番大きなパイプにしていくべきではないのか、そういう形の安全保障、友好条約という形に安保条約は長い時間をかけて脱皮していくべきであるというのが、私の立場であります。
  98. 岡田正勝

    岡田(正)委員 ありがとうございました。  それでは最後に、莇先生にちょっとお尋ねさせていただきますが、先生のお話を承っておりますと、非常に細かい現場に出ての詳細なデータを提げてのお話でございまして、一番最後のとどめといたしましては、よって十割給付を確保すべしというのが、先生の一番最後のとどめじゃなかったかと思うのであります。そこで、この十割給付ということについて、どういう立場の方でも基本的に反対をする者はおらぬと思います。しかしながら問題は、しからばいかなる保険も全部十割給付、すなわち本人負担ただということはもう一番結構なことでありますが、財源をどういうふうに先生はお考えになっていらっしゃるのか、教えていただきたいと思います。
  99. 莇昭三

    ○莇公述人 健保の十割というのは、昭和二年に健康保険法が制定されてからの少なくとも国民的な合意だったと思うわけです。これが昭和十八年ですか、東条内閣のときに一部分崩されましたけれども、その後復活いたしまして、今日まで十割給付ということが堅持されてきておる。やはり一つ国民的な目標としてつくられてきたわけで、国民健康保険がつくられた当時にいたしましても、将来は十割給付へという一つ目標があったわけであります。ですから、やはり憲法の二十五条の立場からいいまして、国民の文化的な生活を保障する義務というのが国にありますし、国民自身がそれを求める権利というのはあろうかと思います。そういう点で、今すぐにすべての保険が十割給付にできなくとも、それに向けてどう政治をするかというのは、やはりあくまでも国会の皆さん方のお仕事だろうというふうに思います。  ですから、財源については私詳しい知識がございませんのでそれ以上のことは述べられませんけれども、要はどういう選択を合すべきかという点で、真剣に国会で論議をしていただきたい。そういう気持ちを込めて、現実十割給付が崩されて九割、いずれ六十一年から二割負担ということになる予定ですけれども、それでは非常に現場では困る、国民は困っておるし、医療を行っておる我々が困っておるのだ、そういう選択じゃなくてぜひひとつ復活していただきたいのだ、そういう気持ちを述べたわけであります。
  100. 岡田正勝

    岡田(正)委員 ありがとうございました。終わります。
  101. 天野光晴

    天野委員長 次に、瀬崎博義君。
  102. 瀬崎博義

    ○瀬崎委員 まず、莇先生に伺いたいと思うのです。  先ほど公述に関連をするのですが、高度医療に関しては、今度の健康保険法の改正に関連して、特定承認保険医療機関の制度が新たにつくられて、その結果従来のときよりは高度医療が受けやすくなったんだ、こういうふうに政府側は言ってきたわけでありますが、莇先生の先ほど公述では、新しい制度のもとで高度医療に問題がある、その恩恵を受けられるのはお金のある一部の人で、ここにも国民に対して医療差別が起こっている、こういうお話だったのですが、実情は一体どうなのか、どの点にそういう問題が発生しているのか、もう少し詳しく御説明をいただけたらと思います。
  103. 莇昭三

    ○莇公述人 先生も御存じだと思いますけれども、今政府が健康保険法の改正に当たって、高度医療として幾つかの技術手技を出しております。例えば人工膵臓だとか、あるいはがんの温熱療法など出されております。確かに、今人工膵臓の適用患者がどれだけいて、それを正確に行える医療機関が幾つあるかということになりますと、非常に限られてくる刀だけれども、必要な分野であるということがあると思うのですね。ですから国、厚生省は、国民のニーズが非常に多様化してきておる、特定の疾患の負担軽減ということが非常に大事なんだということで、この制度がつくられてきているわけです。ですけれども、私が言いたいのは、例えばCTの機械にいたしましても、瞬く間に相当な医療機関に普及されていったわけですね。そのように、今日のいろいろ日進月歩の医学、医療というのは、必要な国民がいる限り何らかの形で浸透していく。ですから、今高度な医療であっても、いつの日にか必ず普通の治療法に変わるであろうということだと思うのです。ですから、私はやはり今そういう先端的な高度医療が保険へどのような形で導入されるか、そういうルールを明確にしないままこういう形で出されるというのは、非常に今後禍根を残す。  どういう禍根かと申しますと、一部の特定の人しか受療できない。つまり、それはやはり国民の受療権の侵害だと思います。もう一つは、特定の医療機関しかそれができない。これは医療機関に対するランクづけと申しますか、そういうことだと思います。ところが、そういう形で今後五年、十年と進むとして、高度医療と言われる分野のものが保険から除外されていくということがもしも起こるとすれば、私は国民医療費がウナギ登りに相当上るんじゃなかろうかというふうに思います。現実、アメリカの総医療費というのは、我々の日本と比べてけた違いであります。やはりその主な点というのは、そういう自由診療部分医療費がウナギ登りに上っているというふうに伺っているわけですから、そういう点非常に問題がある。それから、そのことはひいては民間疾病保険の拡大に道をあげるだろう。でありますから、非常に深く考え過ぎるかと思いますけれども、あの高度医療が特定承認保険医療機関で行われるということは、場合によっては保険あって医療なし、そういうことになるんじゃないかという懸念を非常にしている、そういう意味であります。
  104. 瀬崎博義

    ○瀬崎委員 引き続いて莇公述人に伺いたいのですが、中曽根総理はかねがね民間活力の活用に熱心なんですが、今国会では所信表明の中で、民間活力活用の柱として、第一に公的規制の撤廃、緩和、それから第二に関西国際空港株式会社のような新しい経営形態の導入、第三に国有地の民間への払い下げ、これ自身についてももちろん我々と見解が大きく相違しているのですが、それは今まで出ておった話なんですが、それに加えて、今度は社会的サービスとか緑の国土づくりのような新たな分野にも民間活力の積極的な導入を図るべきだ、こう言い出したわけです。その直前、去年十二月二十日には、経済審議会が五十九年度リボルビング報告というのを出しているのですが、全く軌を一にする記述があるわけですね。それは保健医療、福祉、こういった社会的サービスの分野にも民間活力の導入は重要だとして、特に第三セクター方式、それから有償制による在宅福祉サービス、それから政策金融を活用した有料老人ホームの建設などというものが具体的に挙げられている。先ほどもちょっと話が出ましたが、けさ新聞に出ております「民間活力の発揮推進のための行政改革の在り方」という臨時行政改革推進審議会の答申ですね。ここにはもっと具体的に、福祉、医療保健、教育の社会的サービスは、基礎的な部分は公的事業主体が対応せざるを得ぬけれども、高次の多様なサービス、ニーズについては、民間企業等の力を生かし、効率的かつきめ細かいサービスの提供を行っていく必要がある。この場合、できるだけ市場原理を生かし、民間企業等の参入を促進する必要がある。言いかえれば、市場原理の導入ですから、もうかるようにしてやれば民間資本はどんどん参加するわけです。果たして医療保健とかあるいは福祉をこうした市場原理の対象にしていいものだろうかと、私は大変疑問を持つわけですね。  こういった点について莇先生はどういうふうにお考えをお持ちだろうか、伺っておきたいと思います。
  105. 莇昭三

    ○莇公述人 今、瀬崎先生の言われたこと、あるいはそのリボルビング報告ですか、そういう考え方というのは、私は二つがあると思うのです。一つは、低成長時代に入った、低医療政策が必要なんだ、だからここでどうするかという点が一つ。それから、国民のニーズが非常に変わってきている、これにどう対応するか。そういう二つの点から、いわゆる医療資源の効率的な配分、効率化ということが必要で、そのためには民間活力が当然必要なんだ、こういう展開だろうと思います。いわゆる自由な競争が新しい秩序をつくる、そういう考え方なんだろうと思います。  それはそれとしてあり得ますけれども、今先生が幾つかのサービスをお話しになりまして思いつくのは、アメリカでは、現在既に在宅医療サービスだとか、あるいは看護人の派遣サービス、あるいは病院経営の代行というような、いわゆる医療福祉産業花盛り、こういうことだと思います。野村総合研究所発行の報告を見ますと、一九八三年に大体二百七十億ドルの市場、これが一九九〇年、今から五年後ですか、大体一千億ドルの市場になるんだ、こういうことを計算しています。そういう点を見ても、いかにアメリカで今先生が言われたようなことが花盛りかということが理解できると思います。  日本でももちろんいろいろと動きが出ております。例えば三菱グループだとか丸紅、それから伊藤忠、具体的にヘルシーライフ・サービスというのがありますが、これは在宅看護サービスですね。それから、フランスベッドが治療用のベッドのレンタルをやっておりますし、それから東大の赤門前にありますトータル・メディカル・システムですか、これが今非保険で会員制の病院をつくるというような計画で動いていっている、こういうことがあります。現実、日本の保険会社十一社が十五種類の民間疾病保険を発売しているということも御存じだろうと思います。それから、アメリカが次の日本の市場開放をねらうのは、あるいはここらあたりが一つのターゲットになるのじゃなかろうかというくらいだと思います。わけてそういう点で、今そういう民間活力というのがどんどん出されてきますと、恐らく日本自体にもそういうものが出てくるだろうし、アメリカの新しい市場として提供されていくだろう。  それで、そういう形で進めばどういう点があるかと申しますと、一つは、従来の公的な福祉が肩がわりされる、これははっきりしていると思うのです。それから二つ目は、受療者が負担をするわけですから、言ってみれば、負担できる人はそのサービスにありつけるし、負担のできない人はサービスにありつけない。極めて明確になる。一言で申し上げれば、貧富の差というものがそこに明らかに出てくるだろう。もう一つは、先ほど申しましたように、日本の総医療費が非常に膨大になってくる、こういうことだろうと思います。  本来、医療というのはだれでも平等に受けられる権利だろうと思うのです。これは憲法の二十五条を中心にして決められてきているということでありますから、そういう点では、民間活力という形で展開されないで、もう一遍政府あるいは国会で、基本的にどこまで国として協力できるのかということを真剣に考えていただきたいという点が一つと、もう一つは、やはり医療というのは営利になじまないと思いますね。医療法の第七条には、医療機関は営利を目的にしてはいけないんだということを言っているわけですけれども、これは明治七年の医制以来、そういう観点というのは日本でずっと定着しているわけですね。医療の公共性という問題については、日本と欧米諸国との比較もありますけれども、時間がありませんので省略しますが、いずれにしても、医療行為一つ一つに営利が伴った場合どうなるかということを静かに考えれば、私はわかると思うのです。この患者はもうからないからやめたということはあり得ることですね。そういうことをされたならば、患者は非常に迷惑なわけです。ところが、自分だけはそういうことはないだろうと思うのが人間の常で、そういうものが起きてくる可能性はあるのだということを私はぜひ強調したいと思うのです。ですから、私の言いたいのは、ニーズが変わったということが一つの殺し文句に出されるのですけれども、言ってみれば、今までの医療供給、保障などが十分国民のニーズに対応できなかった、それに対して国民が新しい不満と申しますか要求と申しますか意見を述べているのが、ニーズが変わった変わったという表現をされているわけで、私はそんなに慌てふためくことはないというふうに思っています。もちろん情報化社会ですから、それに対応したサービスの提供のあり方というのは追求されるべきだと思いますけれども、そんなに百年くらいで人間の命に対する考え方が変わるわけじゃありませんので、やはり親切で心優しい医療国民は求めている、それをどう国が提供するかということが私は非常に大事だと思います。  もう一つ述べたいのですけれども、民間活力だとか自由な競争が新しい秩序をつくるということがよく言われるのですけれども、そういう考え方の基礎には、やはり自分のことは自分が一番わかっているという非常にありふれた考え方がある。確かに、自分のことは一番自分ではわかっている。だけれども、わからないこともあるのですよ。わからないことがあるということを、国会議員の皆さん方は理解していただきたい。いかに自分というのはだらしないかということを一例申し上げます。  これは、昭和五十七年ですから今から三年前ですが、厚生省が発表いたしました「肺がん等胸部疾患調査報告」であります。これで見ますと、肺がんの発見動機をデータで出しているわけです。検診群と自覚群ですね。検診群というのは、言ってみれば非常にまじめに国の言うとおり検診を受ける人たちですね。自覚群というのは、非常にずぼらな人で、自分だけは何でもないだろう、こういう群だというふうに見ていいだろうと思います。検診群、ややまじめ型ですが、このまじめ型の方々が一期で発見されるというのは五一・二八%です。この一期というのは、ほとんど治療可能ですね、今日の段階では。ところが、自覚群は何と一五%しか一期で発見されていないのですね。自覚群はどこで発見されるかと申しますと、三期と四期、これはもう今の医療では手がつけられないのですが、三期が三八・七%、四期が三三・五%、合わせますと約七〇%ですね。だから検診群と自覚群を、国の言うとおりを聞いたのが検診群で、ずぼらな人は自覚群だというふうに仮定すれば、いかに自覚群、自分だけを頼った方々が死を急いだかということがよくわかると思うのです。  そういう点で私は、民間活力というのは言葉としては非常にすっきりするように思いますけれども、少なくとも我々医療に携わっている者としては、やはり一定の行政努力を真剣にしていただかないことには長生きできない。今日、日本は有数の長寿国でありますけれども、これはやはり今までの保険制度が一つの大きな原因だったということを言いたいと思います。それを崩すようなことは絶対していだきたくないというのが私の希望であります。
  106. 瀬崎博義

    ○瀬崎委員 お聞きしたいことはまだあるのですが、時間が来ておりますので、これで終わりたいと思います。  どうもありがとうございました。
  107. 天野光晴

    天野委員長 以上で公述人に対する質疑は終了いたしました。  公述人各位におかれましては、貴重な御意見をお述べいただきまして、まことにありがとうございました。厚く御礼申し上げます。  以上をもちまして公聴会は終了いたしました。  次回は、明十四日午前十時より委員会を開会し、総括質疑を行います。  本日は、これにて散会いたします。     午後四時十三分散会