○
水野(肇)
公述人 御紹介いただきました
水野でございます。
私は、
財政学者ではございませんので、
政府予算案全体について
財政学的見地から述べるような識見も何も持っておらないわけでございまして、日ごろ私がやっております医学とか医療とか健康とかという立場から見て、六十年度
予算案はどうかということについてしゃべらしていただきたいと思うのですが、私は、以下に述べるような理由から、結論として賛成でございます。
と申しますのは、そもそも
予算というのは政策を反映したものであることは言うまでもないわけでございますけれども、従来は、ややもすれば額が大きいか小さいかをもって力を入れているとか入れてないという評価だけが非常に出ていたように思うわけであります。ところが、御承知のように、石油ショック以来
景気がよかったためしはほとんどないわけでこぎいまして、ほんのわずかよければ非常にいいというふうに言わざるを得ないような状態でございます。かてて加えて、先ほど来お話の出ました赤字国債の問題もございまして、
予算そのものは硬直化しているわけであります。そこで私は、この際その
予算というものを見る目として、もちろん金額も重要であることは言うまでもございませんけれども、同時に、ただ大きい、額が多いのがいいというふうな見方だけではなくて、どういう政策を展開しているかということから、それが
国民の要望にマッチしているかどうか、そういう角度からも見るということも必要なのではないかと思うのであります。
政治というのは、
先生方に申し上げるのは失礼かもわかりませんけれども、私は、やはり
国民が安心して生活できるということが政治の第一眼目なのではないだろうかと思うのであります。その点からいいますと、今
国民が一番要望しておりますのは言うまでもなく健康ということになるわけであります。その中でも、最も今
日本にとって重要な問題というのは、やはり私は来るべき本格的な
高齢化社会にどう対応するかということなのではないかと思うのでございます。
そこで、一体今の老人というのはどうなっているかということをまず最初に若干、御承知とは思いますけれども申し上げてみたいと思いますのは、御承知のように、
日本の老人というのは
国民のほぼ一割であります。正確には九・八%ですが、その一割の中の一割というのは、これは寝たきりとか老人痴呆とかリューマチとか難病とか、それから関節がだめになったとかというふうな方で、要するに寝ていられる、ないしは介護がなければ何もでさない、こういう人たちが一割いらっしゃるわけであります。
それからもう一割は、今の医学でどんな検査をしてもどうもないという人たちであります。これは大変幸せな方で、例えば政治家の皆さんというのは、この一割に入っておられる方が大変多いわけであります。それから庶民の方では、大体朝から晩までゲートボールをやっておる、こういうのが多いわけなんでございますが、とにかくどこから見ても健康だという優良老人というのが一割おるわけです。
残りの八割は何かというと、これは現代の医学で検査をしますと、結局どこか悪いという結論になるわけであります。お医者さんの方から言えばあなたは疾病ですということになるわけで、しかし、この八割が全部疾病だという考え方をとるべきかどうかというのが、昨年来
国民健康会議で非常に議論されたところでございまして、これは、その
程度に問題はあるにしても、やはり一病息災ということでいくべきではないだろうかと思うのであります。一病どころか二病も三病もありましても、大自民党の幹事長をやっておられた方もあるわけであります。そういうふうなところから見て、私どもは、ただ単に医学の検査結果からだけで物を考えるのではなくて、一病息災で元気に生きる、多少血圧が高くてもちゃんと仕事をしているというふうなのが
高齢化社会には必要で、そういう施策が今後展開されるべきではなかろうかと私は思うのであります。これについては、御承知のように、若干ではございますが
予算もついておるわけでございます。
さて、私どもは、医学の進歩の恩恵によりまして、大体死ぬ病気が決まってきたわけであります。何で死ぬかというと、がんと心臓血管系の病気、つまり脳卒中及び心臓病でありますが、それと事故、この三つであります。事故は予測がつかないので、これはちょっとさておくといたしまして、結局、がんと心臓血管系の病気にできるだけかからないようにする、あるいはかかっても軽い段階で抑え込む、こういう施策を国がとるべきではないかと私は思うのであります。いつも年来主張しておられるように、医療費を減すというのはやはりそれしか
方法がないのではないか。ただ、残念ながらそれらの病気のある部分は老化現象であって、結局人間には宿命として取りまとわれているような面もあるわけでございまして、絶対にならないという
方法も保証も、それはだれにもないわけであります。そこで、なっても軽い段階におさめる、これが、三十五歳以降の検診という今非常にやかましく言っておられるところが、非常に重要なんではないだろうかというふうに私は思います。
それから三番目には、これはいろいろ言われておりますけれども、要するに健康な規則正しい生活というものがやはりあるだろうと思うのであります。これは非常に難しい問題も抱えておりますけれども、要するにだれでもが御存じの話、例えば毎日七時間眠るとか、それから朝昼晩とちゃんと時刻どおり飯を食うとか、朝飯をコーヒー一杯でやめない、きっちり食ってくるとか、たばこを吸わないとか、酒は飲んでもいつでもやめられるとか、それから太り過ぎないとか、あるいは週に二回何か適当な運動をするとか、そういうようなことをやらない場合、最高寿命を大体二十年縮めるということを言われているわけであります。そういうようなことを
国民にやはり周知徹底させるということが重要なので、これは
予算の額というよりも、むしろどういうユニークな発想を担当のお役所がおやりになるか、私は、
予算案という非常に広いものから見てそういうこともまた考えられるのではないかと思うのであります。
それからもう一点強調したい点は、今の
日本で非常に重要なことは心の問題であります。
井上さんのおっしゃったのも心の問題かもわかりませんけれども、私の言う心の問題は心の健康であります。今の
日本人というのは、心が健康でないとは私は申しませんけれども、徐々に心が健康でない人がふえつつあるという実態はあるわけであります。そこで、それに対してどういう
対策を立てるかというのは、今後大変重要な問題になってくるわけであります。
かてて加えて、極めて残念なことながら、例えば先ほどニューヨークの話が出ましたが、
アメリカへ行きますと、大きなビルディングがあれば、必ず二人ぐらいはカウンセラーというのが仕事をしているわけであります。しかし
日本では、大きなビルへ行きましても、レストランはありますけれどもカウンセラーはまずいることはない。そういうことは、やはり
日本の精神科領域の医療のおくれであるわけであります。これはやはり取り戻さないと、
日本は最先端のテクニックを持っている国でありますけれども、それだけにテクノストレスというのは、
日本が一番もろに受ける危険性を私は持っていると思うのであります。
それはほんの一例でございますけれども、そういった
意味から、九〇年代には首から上の医学と首から下の医学がほぼ同等に考えられる時代が来るのではないか。それぐらいやはり精神的な問題というのは、大変重要であるというふうに私は思うわけであります。そういう
対策もいろいろ出ているわけでございます。
がん
対策についてはいろいろなことが言われておりまして、十カ年
計画等も
政府でおやりになっておられまして、私も基本的にこれは賛成であります。ただ、がんで非常に重要なことは何かというと、現段階では
国民の皆様が御希望になっておられるような、一発の薬でがんが全部治るということはあり得ないわけであります。残念ながら医学というものはそういうものであるわけでございまして、そこで今の段階でとるべき
対策というのは、総合戦略であるということにならざるを得ないと私は思うのであります。現在のがん
対策というものの基本は、やはり早期発見しかないわけであります。そういうことについて、まあ相当
程度力が入れられてきておるということが言えるわけであります。
それからもう一点、私がかねがね思っておりますことでございますが申し上げたいのは、とかく従来の医療政策あるいは公衆衛生
対策というのは、何か起きたらやるということが多かったわけであります。それは僕は間違っているとは申しません。しかし、何か起きてからやるのではなくて、生まれてから死ぬまでを一巻の物語と考えて施策を展開するということが非常に重要ではないかと私は思う。
最近、特に今年度
予算では、
先生方は額が少ないからひょっとしたらお見落としかもわかりませんけれども、例えばB型肝炎の予防費というのが三億一千万円出ております。たったの三億かとおっしゃるなかれと僕は言いたいわけであります。なぜかといいますと、B型肝炎というのは大変恐ろしいビールスでございまして、これに感染いたしますと肝炎から肝硬変、そしてそれの二八%から三二%は肝臓がんになるわけであります。余り世間では言われておりませんが、肝臓がんというのは、男については世界で一番死亡率が高いのは
日本であります。それの原因の
一つに、これがどうもあるらしいというふうに考えられているわけでございまして、これはウイルスががんの原因であるということを証明した
一つのケースとも言えるわけでございますが、そういうものを何とか防げないかという
対策費があるわけであります。
実は肝炎というのは、B型肝炎と言われておりますのと、ノンA、ノンBと申しましてA型でもB型でもない、まだよくわからないというのもあるわけではございますけれども、少なくとも今私の申しましたB型肝炎については、これはかなり縦感染をするわけであります。縦感染というのは、母親から
子供に感染するという、大変恐ろしいわけであります。これをある
程度、ワクチンとかグロブリンを投与することによって防げるということが学問的にはっきりしてまいりましたので、この三億一千万円をつけたわけでありますが、御承知かとは思いますけれども、これは生まれた直後、それから二カ月、三カ月、五カ月に、ワクチンとかグロブリンを投与いたしますことによって免疫をつくるわけであります。
参考までに申しますと、B型肝炎を持っておるのをキャリアというのですが、そのキャリアは大体地球に二億おるのですが、そのうち一億五千万人は東洋にいるわけであります。もちろん、我々
日本人も含まれておるわけであります。私は、こういうことがやはり非常にいいのではないかと思うのであります。
もう
一つ神経芽細胞腫という、これも厄介な小児がんの問題でございますが、その神経芽細胞腫の検査費というのが一億二千万円出ております。これは、赤ちゃんのおしっこをちょっと見るだけですぐにわかるという新しい
方法を京都の研究者が開発いたしまして、既に十数県で試験的に
実施して、八七%から九〇%弱はそれで発見できるというかなりユニークな
方法でありまして、これを今度取り入れた。
私が今申し上げましたのは、非常に額の少ないものばかりを無理に取り上げたように思われたかもわかりませんけれども、私が申し上げるのはそうではなくて、額は小さくとも
国民に大きな影響を与えるものがある、低成長時代というのはやはりこういう発想が要るのではないだろうか。そして生まれてから、あるいはもっとはっきり言いますと、マイナス一歳から亡くなるまでの全部をちゃんと管理していく。管理という言葉がぐあいが悪ければ、よりよき健康な生活を営んでいただくようにしていただくということが私は大変重要であると考えておるのですが、そういう施策がぼつぼつ、少なくとも芽がいろいろとことしの
予算には出ておる。細かいのはたくさんあるわけでございますけれども、そういうやり方というのが最終的には
国民の健康を守る上においてはプラスになるのではないだろうか。そういうようなことで今回の六十年度
予算というのは、それなりに気配りができておるというふうな点において、実は私は評価しておるわけでございます。
もちろん、医療費の問題だとかあるいは年金の問題だとかいろいろございます。いろいろございますけれども、だれが
予算編成をやりましても、恐らくこれだけ大蔵省の
財政状態が悪ければ、ある
程度むだを切り詰めざるを得ないということは、私はやむを得ないと思うのです。したがいまして、昨年の健保改革案も、結局はあきらめ切れぬであきらめたという心境で僕なんかも受けとめたわけでございます。本来は、それは自己負担がない方がいいというのは決まっているわけでありますけれども、どこかでどうにか持たなければならないといったらその
程度はやむを得ない。つまり、そういうふうに時代
自体も動いてきているのじゃないか、そういう時代の動きの中で無理な負担が
国民にかかってはもちろん困るわけでございますけれども、応分の負担という
程度で展開される限りにおいてはよろしいのではないだろうか、私はそういうふうに考えておるわけでございます。
ただ、一言申し上げたいのでございますけれども、それは一体、今
国民の中でだれが一番困っているのだろうかということでございますが、それは困っている方はたくさんいらっしゃると思う。サラ金に追っかけられている人も、困っている人には違いないわけであります。しかし、私が一番困っていると思いますのは、それは家で寝たきりの方を二人以上抱えているうちというのは大変だと思うのです。そんな寝たきりが二人もいるのかというふうに思われるかもわかりませんけれども、現実にその傾向はだんだん強まってきておる。それはなぜかというと、一人っ子同士が結婚するというケースが大変ふえてきているわけであります。一人っ子同士が結婚したら、その夫婦は四人の親を面倒見なければならないわけであります。そういうふうに考えてまいりますと、政治に優先順位という話が先ほども名古屋
大学の
水野先生から出ておりましたけれども、私は、政治に優先順位があるとすれば、一番困っている人ということになると思うのです。
その
意味において、ぼつぼつ厚生省などもおやりになっているわけでございますけれども、やはり特別養護老人ホームというのは事情のいかんにかかわらず、ふやすべきじゃないだろうか。今日、寝たきりというのは、厚生省の調査では三十六万人いるわけであります。それに対して、特別養護老人ホームのベッドは十万しかないわけであります。そうすると、あとの二十六万人というのは、それは病院に入っている人も多分十万ぐらいあると思うのですが、それでも家庭介護をしておられるというのが相当数あるわけであります。こういう人たちに、家庭で介護するのならもっと徹底した訪問看護をやるとか、そこに医療を持ち込む。
日本では、病院に入院した方が金はかからなくて済むようになっているわけであります。特別養護老人ホームに入るよりは病院に入った方が、老人の場合にははるかに自己負担は少ないわけであります。だけど、そういうような矛盾をひとつ六十一年度
予算あたりからぼつぼつ是正しながら、やはり一番みんなが困っているというところに手を差し伸べていただきたい。
その
意味において、もう一点言わしていただきますと、それは老人痴呆の問題でございます。これは今日の医学では、今のところは、そう言うと精神科の
先生にしかられるかもわかりませんけれども、
実質的にお手上げの状態なんです。どういうことをやってみてもうまくいかないというのが精神科の
先生方の結論のようでございますけれども、これはきっちりとしたプロジェクトチームをつくって、何らかの形でどうにかならないだろうか。例えば、自助
努力というふうなものというのは、何か残酷のように聞こえるかもわかりませんけれども、老人痴呆がどんどん進んでいく過程というのは、まず第一段階というのは環境が変わるということがある。だから、長年住んでいたところから息子が東京にいるからといって東京へ転居をしてきたりすると、急に老人痴呆は進むわけであります。
そういうことが
一つあるのと、もう
一つは、手とり足とりということが果たしていいのかということは、今精神科の
先生方の間では大変議論の対象になっているわけであります。それは、どうにもならなくなった方はそうしてあげざるを得ないと思いますけれども、そうではなくて、まだ残存能力があるという方についてどうやっていくかということが重要なんで、その
意味から今日、医学ではリハビリテーションという考え方こそ重要であるわけであります。リハビリテーションといえば、多分
先生方は、あの脳卒中、脳梗塞や脳出血の後遺症で一生懸命体操しながらやっている人のことをお考えになると思うのですけれども、もちろん、あれもリハビリテーションでございますけれども、リハビリテーションというものの本当の
意味は、国際的な
意味では、残存能力をどう開発して、どう社会に適応させるかということであります。だとすれば、年をとれば補聴器をつけたり、眼鏡をかけたりするのもリハビリテーションであるわけでございまして、そういう
意味においてリハビリテーションというのは、非常に大きなウエートを持ってこれからの大きな柱になりつつあるわけであります。
医療というものは、今まではその治療が医療だというふうに考えられておったのでございますけれども、これからはそうではなくて、予防も健康管理もリハビリテーションも、そしてもう
一つ、ターミナルケアと言われておるホスピスというのがございますが、そういうものも全部含めたのが医療だ、そういう総合
対策というものが打ち立てられるようにならなければいけないのではないかと思うのです。
行政あるいは政治というものは、一遍に何もかにもできるものではないということは、私もよく存じ上げております。しかし、徐々にいろいろな芽が出てきたのをうまくまとめながら推進していく、そういう
意味において私は、本年度
予算といいうのはその第一歩になってほしいというふうに考えておるわけでございます。
ちょうど時間になりましたので、この
程度で終わります。どうもありがとうございました。(拍手)