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山原委員 これは本当に冷静に
考えますと、
言葉としてはわかりますけれども、実際には、
中曽根首相が臨教審に、あるいは専門
委員として積極的に送り込まれたと言われております
委員のメンバー、これはほとんど行政改革論を、今の私が言いました幾つかの問題を理論としている行政改革理論を背景にして、それで自由化論が出てまいります。そして、一様に
教育予算削減論者であるとまで言われる、また現実にそういう
言葉を言っておられる方が出ておられるものですから、
中曽根首相としては行政改革というものと
教育改革は違うのだと前から言っているのだと言うけれども、行為として行われている面から見ますならば、やはり行政改革優先、その中での
教育改革という、両立し得ないものをここでいよいよ行政改革において
教育改革をやろうとしているのではないか。だから、先ほど出ましたような民営化論あるいは選択の自由、それはもちろんそういう
言葉だけで評価すべきではありませんけれども、これが出てくるのですよ。しかもそれは、香山さんたちの言っていることとぴったりと符節が合うということでございますから、私たちが心配するのも当然ではないでしょうか。
そして、今度は、この行革理論というものともう一つは、今父母たち、また学校の教師たち、
国民が一番心配しておりますのは、非行の問題、暴力の問題、いじめの問題、落ちこぼれの問題、入試地獄、こういうものがあるわけですね。これを解決してもらいたいという
国民の声、これには少なくともこたえなければなりません。したがって、
教育改革は必要なんです、必要だけれども、そういうものにこたえると言いながら、あなた方がおっしゃっている自由化論とこの今の
国民の願いにこたえる、これはつながらないのです。むしろ、あの
子供たちを輪切りにする偏差値、もっと強化されるでしょうね、もっと激烈になるでしょう、もっと入試地獄はさまざまになってくるでしょう。
子供たちに一番大事なのは、これは毎日
新聞の一月の世論調査でもありますけれども、親たちもそうですけれども、できる子、できない子と区別しないで等しく取り扱ってもらいたいというのが圧倒的に多いのです、世論調査の結果。それはそうですよ。だから、その
国民の要望にこたえて、憲法、
教育基本法に基づいて行き届いた
教育をする、あるいは
高等学校に対する全員入学制あるいは希望者全員入学制をとる、あるいは私学の助成をして国公私間の格差をなくする、そして入試の問題についての改善をしていく。
国民の
合意のもとに一つ一つ改善をしていく面がいっぱいあります。むしろこれを阻害をしてきたのが
文部省。だから、そこから画一化が生まれ硬直化が生まれ、その
文部省の行ってきた硬直化の原因あるいは画一化の原因、ここをえぐらずして、むしろ
文部省のやってきたことを免罪をして、そして硬直化だ、画一化だということで、だから自由化だ、こういう論理の飛躍は
教育の
世界では許されません。
この
教育に対する自由化論、これは、ミルトン・フリードマン、御承知のようにいわば保守的な経済論者でございまして、今
アメリカにおきましては多くの崇拝者を持っているミルトン・フリードマンの理論。この人の理論というのは商業
世界における経済活性化の理論でございますけれども、彼がこれを
教育の
世界に持ち込んでまいりましたね。そこで出てくるのが受益者負担、選択の自由、民営化、そして民間活力の導入、競争原理、これが全部口移しに今の
日本の少壮といいますか、経済学者の一部に受けとめられまして、これが臨教審の中に入り、専門
委員の中に入り、そこから出てきた自由化論、これなんです。
では、
アメリカにおいてこのフリードマン理論というのがどのように
教育界で行われているかといいますと、全部失敗しております。カリフォルニアで一部行われましたが、これはスペイン系の五五%、黒人一三%のアラムロックにおいて行われましたけれども、もう五年目から全部廃止です。コネチカット州で行われました場合は、校長先生方の支持を失い
中止、ニューハンプシャーで試行されました場合は
住民の反対。このときは、自由市場的競争によると
教育費が安くなるという理論で展開をされましたが、これは逆に
教育費が負担増になるということで
住民の反対を受けまして、ついに国立
教育研究所はいわゆるバウチャー制、証券制の計画試行を断念したのが現実の
状態です。七八年にミシガン州で
住民投票にかけましたけれども、三分の一で敗北して、実施に移っておりません。八〇年におきましてもカリフォルニアで請願署名運動が展開されましたが、請願は大きく不足をしてついに実施に至らず。これがフリードマン理論の
教育界に持ち込まれた
アメリカにおける実態です。
世界じゅう、これはありません。イギリスのロンドンで行われていることがある
新聞に報道されたことがありますが、これも事実無根でございました。
このように見てまいりますと、今行われております自由化論というものが本当に
国民の願いに立っているのか、また、あるいは今まで
文部省がやってきましたこの行政の反省の上に立っているのか、こういうようなことが本当に緻密に論議されないと、朝起きてみたら
新聞に、大学の私立化、
教育基本法四条、六条を変えろ、こんなことで
国民が不安に置かれ、そして論議がどういっているのかわからぬなどという、こんなばかな
教育改革理論というのはありません。本当に衆知を絞って、また
教育学者も長年の経験を積んでおります、それらの者の衆知を絞って論議をして、そして
日本の
教育と
子供たちの行方を見据えていく、こういう
立場でなければこれは必ず失敗する。
しかも、私が申し上げたいのは、なぜこんな理論がぽかっぽかっと、私どもの見ることもできない、ときどき〇〇二とか〇〇三とかいう香山さんの論文が出てきたり、あるいはある
委員の論文が出てきたり、それで知る以外にない、臨教審の中で何が討議され、どの
委員がどんなことを話し合って、どのように論議が進んでおるかも皆目わかりません。だから議事録を出しなさい、議事録を。そうであればこそ初めて百花斉放といいますか、百家争鳴といいますか、
国民が
教育の問題でみんな語り合うこともできるわけですね。議事録は出ないで、何とこんなPR誌が出る。こんなものは必要ありません。法律でつくった審議会がPRする必要が何がありますか。やっている議事録を見せたらいいんですよ。これは
国民のもうみんなの願いなんです。それもしないで、何を論議されているかわからないというようなことで、
教育改革が正常にいくはずがないのでございます。
私は、その
意味で、本当に私の気持ちがわかっていただけると思いますが、
中曽根総理大臣、本当に
教育改革をやろうとするならば、
国民の衆知を絞るようなあらゆる手だてを講じていただきたいのでございますが、あなたの御
見解を伺います。