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石原(慎)
委員 裁判の
あり方についてこのごろ論議がかまびすしくなったのは、一つは、非常に
国民的な
関心でありましたロッキード
裁判に関して、一審の判決後、その姿勢から、門外漢と言われるような学者
たちの間から反論が起こってきた。
被疑者が元総理
大臣であるから事は非常にクローズアップされるわけでありますけれども、私、たまたまこうした問題に
関心を持たざるを得なくなったのは、その
戸塚君の
事件が
きっかけでありますけれども、事のついでにロッキード
裁判なるものに対する
批判なるものを読んでみましたら、昨年の文芸春秋に石島さんという
弁護士が、私
たち素人が読んでもなるほどなと思う部分が幾つかある論文を連載しておられる。その中で、私は愕然としたのは、かつて名
検事か鬼
検事か知りませんが、言われた河井信太郎さんが酒席でざれ歌として、「王将」という有名な歌のかえ歌を歌っておられた。その文句は、
明日は法廷に出てゆくからは
何が何でも落とさにゃならぬ
脅しすかしで固めた調書
私はそれを読んで、本当に背中が寒くなった。これはざれ歌では済みませんですな。私は、この
弁護士はいいこと言うなと思って後で聞いたら、これは共産党員だというのでがっかりしちゃったんですけれども、共産党の方いらしたら失礼いたしますが、私
たちとイデオロギーを極めて異にするので共産党に対しては厳しい
批判を持っておりますけれども、しかし全く自由を保障されていない共産主義というものを、どういうわけか、自由にあふれた
日本の中で志向される共産党の党員の
弁護士が、
一種の
国民雑誌である文芸春秋の誌上にああいう論文を書くということはまことに皮肉な現象で、一体何がどうなっているんだ、
日本は
かなり混乱しているなどいう
感じがいたしました。
またこの問題に戻りますけれども、
戸塚事件というのは、皆さん
専門家だから言われなくてもわかっていると言われるでしょうが、自白が取りつけられないと非常に
罪状の成立が難しい
事件じゃな
いかと私は思います。また、
専門家に聞きましてもそう言われますし、
訴因そのものが
かなり無理があるなどいう
意見を持つ、実は
弁護士だけじゃなしに、
友人の
検事もおりました。それはそれで、担当の
検事の所信ですから私はここで口を挟みませんが、ただある種の
裁判の中でどうしても自白というものが必要となってくるときに、それを取りつけるために一つの手段として長期の
勾留が行われているという現況は、残念ながらあるのではな
いかと私は思います。これは厳正に
チェックされませんと、そこら辺が
裁判官の器量ということになるのでしょうけれども、ある種の信念を持ったグループですから頑張っていますが、脱落していく人もあるかもしれない。
そこで、結局
訴因そのものが、先ほど申しましたように、この
事件が持っている、暗示している
日本の荒廃した
教育の救済の手だてというものを頭から全く認めずに行われている起訴だけに、私は非常に心配がある。むしろもっと頻繁に
被疑者の
意見が聞かれたり、それに対する反論があったりする方がいいのではな
いか。密室とは言いませんけれども、非常に限られた
世界でこの
裁判が行われ、しかもどうやって自白をとるかということに時間がかけられているとするならば、これは
被疑者にとってだけではなしに、
司法にとっても極めて悲劇ですし、
日本の
国民にとっても悲劇ではな
いかという気が私はいたします。そういう
意味でも、春日
先生がされようとしている
質問は非常に大事だと思いますし、実際に
質問がなされましたならば、さっきの御
意見もありましたけれども、正面から受けとめて
法務省全体でお
考え願いたいと思います。
裁判は、
一種の闘いと言うと語弊があるかもしれませんが、
検察官と
弁護士との丁丁発止の中で、これが開かれた形で公平に行われて、初めて
被疑者の人権が守られ、同時に
裁判官も、
有罪にしろ
無罪にしろ、公正な判定を下されるというものだと思いますが、非常に膨大な調書が延べ一万数千人という捜査員でつくられて、何でも厚さは七メートルくらいあるそうですけれども、これが非常に遅いタイミングでしか開示されていないということで、
裁判そのものにひずみが出ている気がいたします。そういう例がほかにもあるのではな
いかと思ってあえてこれを申し上げているわけです。
もう一つ、賛否両論あるのは世の常でありますが、先ほど申しましたように、親もあきらめ、
先生も投げ出した
子供がこの
学校で奇跡的に治ったということで、
戸塚君を本当に神様、仏様、
戸塚さんと言って感謝している親がいるわけです。そういう親の感謝、謝意、つまり肯定的な評価というものを、
検察側の所信に盾突くことになるかもしれませんけれども、
検察が現地の警察を使って規制している事実がございます。これについてここで論じることは具体的な例になるから
お答えがいただけな
いかもしれませんが、ございます。これは非常に残念なことでして、いろいろな形である。もっとひどいのは、
戸塚ヨットスクール支援会の幹部の人にまで嫌がらせとしか思えない尾行がついて、おまえの
証拠写真を撮った、これだけで三カ月引っ張れるぞと言った刑事さんがいる。その
証拠写真を見せてもらったら、別にこの
戸塚ヨットスクールの
事件に直接
関係している、手をかしている人じゃないのですけれども、その尾行された人の
証拠写真なるものが、その人がどこかで立ち小便している写真だったので、その人もびっくりしたし周りの人も驚いたというのですが、一番ぐあいの悪いのは、謝意を表明している親のところに捜査の方がいらして、余計なことを言わぬ方がいい、君のところの
子供は治ったと思われているけれどもまだ確かではない、その兆候があったら即座に鑑別所に送るとか家裁にかけるぞというようなことを言われる。それから、これは知っているかどうか知らぬけれども、監禁
傷害致死といって業務上
傷害致死じゃないんだ、だからあんなアウシュビッツみたいなところに、事もあろうに親が頼んで
自分の
子供を入れただけでおまえも同罪になるんだぞということを言われると、これは親は動転します。要するに
戸塚ヨットスクールとは絶縁しろという、そういう現象が実際に起こっている。
しかし、これは決してすべての警察の傾向ではございませんで、皮肉なことにこの
事件が起こる前に、これは
予算委員会でちょっと申し上げましたが、
周囲の警察はどこももてあまして、
学校で暴力を振るう、家庭内暴力を振るう、登校拒否をする
子供たちが奇跡のように蘇生していくので、警察の方々はひそかに快哉を叫んだ。そして、親が、
戸塚ヨットスクールに入れたいんだけれども、
子供にそう言ったら嫌だと言って暴れているんで何とかしてくださいと言ったら、わかったと言ってパトカーを派遣して、警官が暴れている
子供を取り押さえて、
ヨットスクールのライトバンがその
子供を迎えに来るまで警察が手をかしてくれた、そういう事例が現実にございます。あるいは、その
学校のスパルタ
教育がつらくて脱走した
子供が、何とかしてうちへ逃げて帰りたいうちへ帰ったらまた親にしかられるかもしれないけれども、とにかくあそこだけは逃げ出したいと言って行くんだけれども、町の人もこれに手をかさない、とうとう
子供たちは交番に泣き込んでいったら、交番のおまわりさんが、わかった、それじゃすぐお父さんに連絡してやるから奥の部屋に入っていると言って、
子供たちをそこに入れて、お茶を出して、実は電話をかけて、おたくの生徒が逃げ出してきて行くところがなくてうちへ来ているから受け取りに来いと通報して、
ヨットスクールの車が迎えに来て、こらっと言ってまた連れていってしごいて、その二人の
子供は更生したそうであります。
そうなってくると、これは警察の立場も非常に微妙になりまして、親に向かって
検察が本気で、
ヨットスクールにおまえの
子供を入れただけで親だって同罪で、起訴したらおまえだって起訴できるんだということになれば、
検察官が今度は、
戸塚ヨットスクールにシンパとしてひそかに共感を覚えて手をかした
警察官まで起訴できるということになる。まことに珍妙な現象が起こっておるわけであります。
しかし、この状況を非常に冷静に踏まえた警察当局の発言がございます。これは当時の県警本部長が非常に冷静にこういうことを言っておられる。
被告人らの所為については親の委託がある限り必ずしも
犯罪とは言えない旨、述べたことがある。そう本部長は言っております。そして、スクールについては将来立派な施設として立ち直ってほしいということも言っておられる。私は、これが大方の
日本人の良識を代表した
意見ではな
いかと思いますね。それから、ある
検察官の中には、これは本当かどうか知りませんけれども、弁護人から聞いたことですけれども、
自分も
司法官試験に合格してなかったら
戸塚ヨットスクールに行ってコーチをやったかもしれない、これはお世辞か何か知りませんけれども、その後で怖いことを言ったのかもしれませんけれども、そういうことを言った
検事もいるそうであります。
いずれにしろ、るる申しましたが、自白というものがいろいろな形で大きな
意味合いを持たざるを得ない性格の
事件の中で、
検察と警察とどういう
関係にあるかつまびらかにいたしませんけれども、
検察陣が人を使って、つまり
検察にとって不利な自白を規制するようなことが絶対にあってはならないと思いますけれども、これは原則論として私はそう信じます。あったかなかったということ、これは事実としてお調べ願ったらよろしいし、私はその事実を踏まえて申し上げているつもりでありますけれども、原則論としてそういうことがあってはならないと思いますが、
いかがでしょうか。