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吉岡参考人 私、
吉岡でございます。社団法人の
日本電子工業振興協会専務理事をいたしております。
お送りいただきました
書類を拝見いたしまして、私は法律の専門ではございませんので
内容についてはよくわからないのでございますが、要するに、
登記事務につきまして
コンピューターを利用していこう、こういうことだと理解いたしまして、これは時代に沿った極めて適切なことではないかと心から喜んでおる次第でございます。ただ、
電子工業振興協会というのはメーカーの団体でございまして、果たしてこの
委員会におきまして御
参考になるかということをいろいろ考えたのでございますが、一応、
コンピューターの発達の
経過、またそれがひいては将来どういう程度に発達をしていくかということを類推できるかと思いますので、これを申し上げまして、それからまた
コンピューターの現状なんかを御紹介いたしまして、御
参考に供したいと思っております。
なお、
電子工業振興協会というのは小さな団体でございますが、これの紹介を若干させていただきたいと思います。
設立は
昭和三十三年四月二十六日でございまして、現在の会員数が百七十七社という形になってございます。設立の趣旨といたしましては、
昭和三十年代におきまして政府におかれては電子工業の振興というのを非常に大きな柱に立てておられまして、
昭和三十二年に電子工業振興臨時措置法というのが成立したわけでございます。これに応じまして民間におきましてもお手伝いする団体が必要ではないかということで急遽設立を計画いたしまして、この法律ができました三十二年の翌年、
先ほども申し上げました
昭和三十二年に設立をしたわけでございます。
現在、
委員会組織をもちましていろいろ調査
研究をいたしておりますが、現在
委員会の数が合計いたしますと約五十五に及んでございます。やっている仕事といたしましては、まず調査がございまして、調査と申しますといろいろな調査がございますが、私どもの協会の
特徴といたしましては長期展望というのを実施いたしております。これは大体五年ごとにやっておりまして、その始めました時点におきます十年先の電子工業がどういう形になっておりますか、これはもちろん電子計算機を含んででございますけれども、そういう
作業をやっておりまして、その需要の予測でございますとかあるいは
技術予測、こういったことにつきまして勉強をいたしてございます。
この調査のほかに、本日話題の電子計算機につきましての例えば新
技術の動向でありますとか需要動向でございますとか、あるいはさらに具体的には
日本語の
情報処理
システムはどういう形で進歩させたらよろしいか、あるいは
機械翻訳
システム、こういったことにつきましても勉強をいたしておる次第でございます。
コンピューターのほかには、
システム関係、例えば最近はやりのオフィスオートメーションあるいはフューチャー・ファクトリー・
システムあるいはパソコン、こういった勉強もさせていただいております。このほか新センサーでありますとか新電子材料、それから最後は標準化、こういった仕事をさせていただいておりますが、その中心になりますものはやはり電子計算機でございまして、以下電子計算機の大体の発展の
経過につきましてごく簡単に申し上げたいと思っております。
まず、
世界最初に電子計算機があらわれましたのが一九四六年、
昭和二十一年でございます。アメリカでございまして、ニックネームでENIACというのが
開発されまして、このとき真空管を一万八千本使用いたしてございます。これは
昭和二十六年、五年ほどたちましていわゆる商用機といたしまして発売をされてございます。
日本でもこのENIACの
開発に触発されまして、各大学、大阪大学あるいは東京大学あたりで
研究が開始されております。また政府の工業
技術院電子
技術総合
研究所におきましては、
昭和二十八年にリレー式の電子計算機の
研究開発が進められております。このリレー式は富士通が
昭和三十一年、一九五六年に当たりますが、FA
COM脳という
機械で完成をいたしてございます。
この
日本とアメリカのこれが本当に初期の状態でございますが、現在使われておりますいわゆるトランジスター
方式あるいはIC
方式の始まりは若干おくれておりまして、
昭和三十一年あるいは
昭和三十二年に電子
技術総合
研究所でそれぞれMARKⅢあるいはMARKWという形で
研究が終わってございます。これらの
研究を
もとにいたしまして、一九六〇年、
昭和三十五年、ただいまからちょうど二十五年前になるわけでございますが、日立製作所、富士通、
日本電気、東芝、三菱電機、沖電気、松下通信工業、それから北辰電機の八社がそれぞれ商用機を
開発をいたしてございます。規模は非常に小さかったのでございますが、我が国の電子計算機産業の発足ではないか、こういうふうに私ども見ておるわけでございます。同時期に、IBMがいろいろ特許を持っておりましたので、特許契約も成立いたしております。
しかし、商用機の発表はいたしましたけれども、アメリカの先進企業IBMでありますとかユニバックでありますとか、こういった会社との
技術格差がかなりございました。各社はそれぞれ十年とかそういう期間を決めまして
技術導入をした時代がございます。
技術導入と同時に、これは非常に重要な
機械でございますので、ぜひひとつ国産化を計画しなければいかぬのではないかということが政府を中心としまして企業の中でも非常に強く起きてまいりまして、一九六二年、
昭和三十七年になりますが、これから三カ年をかけまして、通産省の補助を受けまして当時の
世界最新鋭の大型
機械に匹敵する
システムの
開発に成功いたしてございます。
開発に従事いたしました会社は、富士通、
日本電気、沖電気の三社共同
研究でございました。
しかし、エレクトロニクス、特に電子計算機に関する
技術革新は非常に激しいところがございまして、
昭和三十九年、一九六四年でございますが、この時期になりますとIBMが全く新しい設計概念に基づく電子計算機
システム、
システム湖を
開発いたしまして、大々的に販売にかかったわけでございます。この
システム360というのは当時としては全く画期的な新しい設計概念に基づいたものでございまして、モデルが30から70まで六つのモデルを持っておって
一つの親子とか兄弟のようなものでございまして、同じ考え方で六
種類の
機械が動く、こういう形のものでございました。
これに対して
日本のメーカーも一九六五年、
昭和四十年、一年ほどおくれまして日立製作所あるいは富士通、
日本電気その他国産六社がそれぞれシリーズ
コンピューターを
開発いたしてございますが、たまたま
昭和四十一年に工業
技術院において大型プロジェクト制度が発足をいたしましたのでここにお取り上げをいただきまして、超高性能電子計算機の
開発が行われたわけでございます。これは
昭和四十一年から六カ年で約百億円の予算を投入していただきまして、一九七〇年代において
世界最高水準の性能を持つ
コンピューターを
開発しよう、こういうことでございまして、とてもこういったものは一社では
開発できないというのが当時の概念でございまして、国産七社の共同
開発でございました。これも非常に見事に成功いたしまして、この成果が国産の電子計算機の
開発に大きく採用されまして、
技術ギャップを縮小することに多大の効果があったと考えでございます。
ところが、一九七〇年、
昭和四十五年になりますと、さらにIBMは新世代
コンピューターといたしまして370シリーズという新しいシリーズを発表いたしました。これは
システム360に比べましてコスト・パフォーマンス、値段と性能を一緒に比較するということでございますが、そのコスト・パフォーマンスから申しますと大幅に改善された形でございました。ここで、国産メーカーも従来のシリーズの強化あるいは新シリーズの
開発について対応を求められたわけでございます。
この370シリーズが発表されますとほぼ時を同じゅういたしまして、アメリカから電子計算機の自由化を強く迫られてきたわけでございます。政府におかれましては、日米の友好関係を維持するという大方針の
もとに一九七一年七月に自由化の方針を決定されまして、いろいろな折衝が次第次第に広がってまいりまして、一九七三年六月に最終的な自由化のスケジュールが決定をいたしてございます。詳細は省きますが、最終的には一九七六年、
昭和五十一年四月以降、
コンピューター関係は、ハードウエア、
ソフトウエアあるいは資本提携、
技術提携あるいは輸入、こういったものを含めまして完全に自由化される状態になったわけでございます。
こういう状態でございますので、
日本でも独特の国産の
コンピューターを
開発することが非常に急がれた時代が参っておりまして、政府におかれましては、新しい
コンピューターの補助金制度をおつくりになりまして、そのときの六社を三グループに分けまして
開発を進められたわけでございます。三グループと申しますのは、富士通と日立のグループ、
日本電気と東芝のグループ、三菱電機と沖電気のグループ、この
三つでございます。
この時期はまた国際的にも非常に大きな動きがございまして、アメリカの巨大メーカーでございますGEあるいはRCA、これは大々メーカーでございますが、
コンピューターもつくっておったわけでございますが、
コンピューターの生産から撤退をいたしてございます。
政府からいただきました助成は一応
昭和五十一年まで六カ年間行われたわけでございますが、成果は極めて大きいものがございまして、富士通、日立のグループはMシリーズ、
日本電気と東芝のグループはACOSシリーズ、三菱電機、沖電気のグループはCOSMOシリーズ、こういう形で
三つのシリーズが生まれたわけでございます。私どもは、この時点で国産電子計算機の基礎が確立したものと考えております。一九七六年、
昭和五十一年です。
その後、ただいま申し上げました各シリーズの拡充に各メーカーが努めておりまして、それからまた新しいシリーズが二回ほど生まれておりまして、ハードウエアにつきましては、現在一応
世界の一流であろうと自負をしているわけでございます。
ところが、最近問題になりますのは
ソフトウエアでございまして、後でも申し上げる
機会があろうかと思いますけれども、ハードウエアにつきましては一応
世界の水準に達したという自負を持っておりますが、ソフトウェアにつきましては、これはいわゆる蓄積でございまして、時間がかかります。したがいまして、この点につきましてはまだアメリカに一歩を譲らざるを得ないという状態になっているわけでございます。今後の問題は、いかに
ソフトウエアを
開発し、それを充実、拡充していくか、こういう問題になろうかと思っております。
次に、電子計算機産業の現状につきましてごく簡単に申し上げますと、現在、五十九年の年間でございますが生産が二兆八千億程度になっております。これは七年前の一九七八年、
昭和五十三年に比べますと、この当時は約八千五百億程度でございましたので、既に三倍以上の生産額に到達している状態でございます。今申し上げました
数字は通産省の発表でございますが、この通産省の統計以外にオフィス
コンピューター、パーソナル
コンピューターという小さい
コンピューターがございます。これは私の方の協会が独自の統計をとってございますが、一九八三年、
昭和五十八年の実績までわかっておりますが、この両方を合わせまして約七千二百億に達してございます。
現在どの程度の
コンピューターが動いているかということを申し上げますと、合計大体十六万台、十五万五千台でございますが、この程度の
コンピューターが現在動いております。これを形の大きいもの、小さいものに分けて申し上げますと、数の上では超小型
コンピューター、これが約六〇%でございまして、非常に多うございます。それに対しまして大型は三%弱、四千四百二十六台という
数字が五十九年六月末の状態でございます。
これにつきましてもうちょっとつけ加えて申し上げますと、通産省の発表でございますが、どういう業種に使われているかということを申し上げますと、一番使われておりますのが卸、小売商事の関係でございまして、
先ほど申し上げました十五万五千台のうちの半数近い七万台がここで使われてございます。その次がサービス業でございまして、約一万四千台。三番目が電気
機械の企業が使ってございます。
地方公共団体あるいは政府、政府関係機関、これは案外少のうございまして、約三千五百台という状態でございます。
これを
地方別に見ますと、やはり大都会に集中してございまして、これは府県別でございますが、東京都が五万台、大阪府が二万二千台、愛知県が八千七百台、神奈川県が五千四百台、こういうところが大どころでございますが、ただいま申し上げました四つの都道府県、それに福岡とか北海道は大体似たような
数字でございますが、これらを入れますと全部で九万五千台でございますので、全国の十五万五千台のうちの三分の二は今申し上げましたような都道府県に設置をされておる、こういう形になろうかと思っております。
大分長く
日本の電子計算機の宣伝をさせていただきまして恐縮でございますが、それでは
世界市場に比べましてどの程度かということを申し上げますと、これはアメリカのIDCという会社の調査でございます。ちょっと古うございますが、一九八〇年の十二月末の現状では、全
世界で金額に換算いたしますと三十四兆一千七百億円の
コンピューターが動いております。このうちアメリカのメーカーがつくりましたのは約八〇%、それからヨーロッパのメーカーがつくりましたのが約五%、それから
日本メーカーがつくりましたのが七%、アメリカメーカーの約十分の一という状態でございまして、まだまだ
世界的に見ますと
日本の力は弱いなという感じを持つわけでございます。
日本の国内のシェアを申し上げますと、メーカー別のものは雑誌その他に出ておりますが、大きく分けまして国産機と外国機でございます。
日本で使われております
コンピューターのうち、国産機が五五・九%、外国機が四四・一%、その国の国産機がこのように半分以上も使われておりますのは
日本だけでございまして、あとヨーロッパその他におきましても外国機、特にIBMの
機械が圧倒的に多いというのが実情でございます。
それから、
先ほど自由化のことについて申し上げましたが、我が国へどういう会社が進出しているか、これは営業のみの場合も含めてでございますが、若干最後につけ加えさせていただきますと、IBMは御案内のとおり
日本アイ・ビー・エムという一〇〇%の子会社を持っております。それから、NCRは
日本エヌ・シー・アールという会社、これは七〇%の資本比率を持っておりますが、これが進出しておるわけでございます。CDCという会社は
日本シーディーシー、一〇〇%。バロースは
日本でもバロースでございますが、これも一〇〇%。スペリー、
つまりユニバックでございますが、これは
二つの合併会社を持っておりまして、
日本ユニバックは三四%、沖ユニバック四五%、こういう状態になっておりまして、現在は全く自由化されました開放体制におきまして、
日本メーカー、それから外国メーカー全部がある程度の競争の
もとに現在存在をしている、こういう状態でございます。
簡単でございますが、以上をもって私の
意見を終わらせていただきます。ありがとうございました。